待ってよ、私のヒーロー! 作:ののみや
開幕早々、瞬きする間もなく現れた大氷壁を瞬間移動して避ける。
トーナメント戦のルールは単純明快。相手を場外に出すか行動不能にするか、あとは降参の意思を示させれば勝ちだ。私と焦ちゃんが個性を発動させるまでにかかる時間はほぼ同じ。一か八か、氷壁で視界を遮られる前に場外送りにできる可能性にかけてもよかった。でも、それでは意味がない。私にとっての勝利は、焦ちゃんに降参と言わせることだけだ。
私が立っていた東側のステージはほぼ一面氷に覆われていて足場はなく、観客席も見えなくなっていた。四月の戦闘訓練のときよりもさらに早くなっていそうだ。
左足が着地すると同時に、今度は発生した氷は地を這い襲い来る。私には透ちゃんのような避け方は出来ない。踏み下ろした足で強く地面を蹴ってまた瞬間移動して前に出る。
「ふう……」
開始からまだ一分と経っていないのに、僅かに息が荒くなってきた。
「防戦一方だな」
「……っ!」
再び氷結が迫る。私の個性そのものに攻撃能力がないこと、知ってるくせに。おまけに足元を見ると、右足の膝上までを凍らせて地面と固定していた。
焦ちゃんの個性は強力だけど、反面長期戦には向かない。断続的に使っていると自身の冷気で体が冷えていき、体の動きも氷の勢いも鈍ってしまうから。ただ、それは私にも同じだった。
転移する回数の限界は大体五分間で十回前後。その回数も対象の体積や質量、移動距離に依存したものだから、短い距離に限ってならもう少し増やすことはできる。無駄打ちさせて焦ちゃんが消耗するまで逃げ続けられればいいけど、その前に私もキャパオーバーになる可能性が高い。それでも、やるしかない。
「降参しろ。お前じゃ俺には勝てない」
「……ぜったい、いや」
一拍置き、私を睨みつけている焦ちゃんを見つめ返す。
焦ちゃんの氷結は接地していないと使えない。左側は、使わない。最初に出された氷壁の一部を足場にして、見下ろしていた。
「怪我するっつってんだよ!」
「怪我させるつもりもない癖に!」
焦ちゃんの動きがわずかに止まった。
刺すような冷気が身を嬲るけど、勢いよく生み出す氷はいつものような鋭さはない。氷壁もところどころに足場になりそうなところがある。自覚していなかったのかもしれない。
また氷結が迫る。私は身を屈めて、上方に意識が向いている焦ちゃんの背後から足元に触れるように瞬間移動した。氷のある空間を歪めて、圧縮する。障害物競走のときに自分で試せていてよかった。体と靴を避けて、氷だけを崩せる。
切島くんには言わなかったけど、これ、すごく難しいんだよ。例えるのは難しいんだけど、両手で別の作業をしているみたいなものだ。瞬間移動はそれこそ歩いたり走ったりするのと同じ感覚で扱えていたから、個性って全部そういうものだと思っていた。でも、そうじゃないこともあるみたい。
この戦いの中で初めてと言っていい大きな隙が生じた。
「おおおお光移! ここに来て初めての近接だー!!?」
騎馬戦のとき、きっとあの状況で他のチームを見る余裕なんてなかったはずだから、焦ちゃんには初めて見せる使い方だ。一秒前まで私がいた位置を見るように振り返った焦ちゃんの視線は足元に向いている。その隙に私は襟ぐりを思いっきり引き寄せた。私が肉弾戦に持ち込むなんて思っていなかったんだろう。思いの外あっさり従った体を瞬間移動させて地面にうつ伏せに押し倒す。その背に跨って右手首を掴み、捻り上げて背中に押し付けた。
「はあっ……はあ……!!」
目を丸くした焦ちゃんの横顔。掴んだ右手は冷たい。霜が降りていて、小刻みに震えている。大技を連発したせいで限界が近いんだ。
「降参、して」
「なに……したんだよ」
「降参して! しないなら、場外に出すから……!」
ハッタリだ。私の体力も限界が近くて、頭がぐらぐらする。それでもここは押し通さないといけない。震えそうになる足と腕に力を込めた。
「轟くん、まだ動ける?」
主審のミッドナイトが壇上からマイク越しに問いかける。右腕がぴくりと動いたから背中を膝で押さえつけた。ごめんね、焦ちゃん。きっと痛いよね。戦闘訓練のとき、加減されていても少しだけ痛かったから。だから、早く言って。
でも、焦ちゃんはその問いかけには答えなかった。
「出来ねえ癖に……」
「っう?!」
睨みつけるような焦ちゃんと視線が交錯した次の瞬間、私は横っ飛びに転がるようにして焦ちゃんから距離を取る。
「……ったぁ……」
「降参するのはお前の方みたいだな」
焦ちゃんは片膝を立て、手を支えにしながらゆっくりと立ち上がる。
「まだ……お互い体力残ってるでしょ……」
「俺はな。お前はもう限界だ」
「そんなこと、ない……!」
間合いを詰められる。牽制に使えそうなものはない。手を伸ばせば触れられそうな距離になり、私は体を捻って腕を避け、瞬間移動で距離を取った。しかし転移先は思った位置からはズレていて、制御が甘くなっているのを実感する。
「分かんねえ奴だな!」
「分からず屋はそっちでしょ!」
勢いの弱まった氷が地面を這って迫ってくる。正面から襲ってくる氷結を前に私は動かず、片膝をついたまま左手を前に出した。
「ちっ……」
私が今まで立っていた場所には、両足の足首までを凍らされている焦ちゃんがいた。それだけで済んでいるのは多分、途中で気づいて氷結を止めたからなんだろう。さすがの判断力だ。この対象同士の位置の入れ替えは、結構タイミングに自信あったんだけどな。
「両者一進一退の攻防! つーかさっきの光移は惜しかったなー! やっちまえ!!」
「私情入ってんだろ。と言うか……」
ちょっとうるさいくらいのプレゼント・マイクの実況が遠くに聞こえた。
焦ちゃんは足を乱暴に払って氷結から抜け出した。絶対痛いでしょ。それでも左は使わないんだね。
「……いっ、た……」
立ち上がろうとして右手をついた瞬間、鈍い痛みが走った。情けない。さっき避けた時に受け身を取るのに失敗していたんだ。腫れてたらいやだな。
中腰になり、足に力を入れようとしても体がふらつき、地面にしゃがみこんでしまった。
「焦ちゃん……」
ぼやけた視界の中で焦ちゃんは近づいてきた。もう一度確保……は、無理だ。マウントをとれてもすぐに振り払われてしまう。いっそ場外に出すのはどうだろう。でも、それも出来ない。もう指先一本動かすのも億劫だった。
今までにない眠気を感じる。意識が飛びそうだ。虚ろな意識の中で捉えた表情は見たことがあるようで、今の焦ちゃんが見せるのは初めての表情に思えた。
悔しい。でも、こんなにしっかり目が合ったのがなんだか初めてな気がした。そんなわけないのにね。
「泣かないで……」
焦ちゃんの顔がぐにゃりと歪む。地面が近づいてきて、鈍い痛みを覚悟したけどそれよりも早く感じたのは冷たい体温。
「光移さん……行動不能。轟くん、二回戦進出!」
遠のく意識の中で最後に聞こえたのは、ミッドナイトの静かな宣言だった。
いつだって私は焦ちゃんを見ていた。焦ちゃんは歩くのが速いから、私は置いて行かれそうになることも多かったし、転んでは泣きそうになっていた。でも、置いて行かれたことはなかった。たまに立ち止まって、付いてきているか確認するみたいに振り返ってくれた。最初から一緒に歩いてくれればいいのに、なんて思うけど、そんな焦ちゃんを追いかけるのが好きだった。転んでうずくまる私の腕を引いて立たせてくれたのも焦ちゃん。
大きな背中。温かくて、冷たい背中。いつも見てきた追いつきたい背中は、まだ遠かった。
「道瑠ちゃん、起きた?」
「透、ちゃん……梅雨ちゃんも……」
なんとも身に覚えのある感覚だ。目を覚ますとそこは保健室――ではなくて、リカバリーガールの出張保健所だった。
「さっきまでお茶子ちゃんもいたんだよ。今は控え室で順番を待ってる」
「そっか……」
そろそろお茶子ちゃんと爆豪くんの試合ってことは、私は軽く四試合分は寝てしまっていたのか。もったいないことをした、と呟くと梅雨ちゃんが見逃した試合は後でVTRで確認できると教えてくれた。そうなんだ。あとで私の前に戦っていた緑谷くんと心操くんの試合も見れるんだね、ありがたい。
「とりあえず右手の捻挫は直しておいたから、動けるんなら観客席に戻りな」
「そうします。ありがとうございました、リカバリーガール」
右手以外、怪我と言う怪我はなかった。まだ少し眠さはあるけど、我慢できないほどではない。ブーツを履きなおしてゆっくりと歩いて保健所を出て観客席に向かう。
「個性ダダ被り組! 鉄哲VS切島! 両者ダウン――引き分け!!」
「も、もうお茶子ちゃんの試合始まっちゃう……?!」
「落ち着いて道瑠ちゃん。開始までには間に合うわ」
「ていうか引き分けってこともあるんだね」
引き分けの場合は両者敗退扱いではなく、回復後、腕相撲などの簡単な勝負で改めて勝敗を決めるそうだ。
移動距離を見誤ることはあまりなかったけど、出張保健所から観客席までは案外近かったようですぐに観客席についた。
「おっ、起きたのか! あんなやるとは思ってなかったからビックリしたぜ」
「お疲れー。ちょっと意外だったけど、かっこよかったよ。上鳴とは大違いだね」
「なんで比べられた?!」
クラスの皆が集まっていた席に行くと、まず最初に気付いてくれたのは上鳴くんと耳郎さんだった。常闇くんと八百万さんはまだ席に戻ってきていないみたいで、これから試合のお茶子ちゃんと爆豪くん、それから緑谷くんと飯田くんもいなかった。
「轟はまだ戻って来てねーぞ」
「うっ……そ、そうなんだ」
無意識の内に観客席をきょろきょろしていたみたいだ。お前らの喧嘩ってめんどくさそうだな、と続けた峰田くんを梅雨ちゃんがビンタした。喧嘩。うん、喧嘩だったんだね、あれは。
「ここ座りなよ」
「ありがとう、耳郎さん」
開けてくれていたらしい席に座ると、モニターにお茶子ちゃんと爆豪くんの姿が映し出される。
どうなるんだろう。二人とも頑張って。自然と両手を握りしめていて、くじいていたはずの右手を見た。痛みはない。そういえば、リストバンドを外したままだ。リカバリーガールのところに置いているのかなと思いながら一応体操服のポケットの中を確認したけど、やっぱりなかった。
「あっ、ごめん! 道瑠ちゃんのリストバンド、私が預かってたんだ」
「そうだったんだ、ありがと。……それと、一つだけ聞いていいかな」
「なに?」
お茶子ちゃんと爆豪くんが入場した。お茶子ちゃんは少し表情が固く見える。
リストバンドを手に通しながら、気になっていたことを聞く。
「起きた時にね、右手がすごくあったかかったの。透ちゃん達が握っててくれたのかなって思って」
そう問いかけると、透ちゃんは梅雨ちゃんと顔を合わせるように振り返った。あれ、そんな気まずくなる質問だったのだろうか。
「か、勘違いだったらごめんね! 試合始まっちゃうし応援――」
「轟ちゃん、ずっといたのよ」
「え…………」
「道瑠ちゃんが起きるギリギリまで側にいたんだよ、轟くん」
お茶子ちゃんと爆豪くんの試合が終われば、次は緑谷くんと焦ちゃんの試合だ。お茶子ちゃんが出て行ったあと、控え室に行くギリギリまで手を握っていてくれたとか。
「そ、う……なんだ……」
なにそれ。なんなの、それ。
手を握っている間どんな顔をしていたんだろう、なんて考えてしまう。私と焦ちゃんは頭一個分身長が違うから、焦ちゃんが顔を向けてくれないと表情がよく分からない。だから、知りたい。教えてくれないと分からないよ。
「間に合ったか!」
「よ、よかった……! って、光移さん!」
緑谷くんと飯田くんが駆け込んできた。私を見ておろおろしたような顔をしていたから、ごしごしと目元を拭って顔を上げた。
「応援しよう!」
「ええっ……?! いや、応援はするけど!!」
なぜか緑谷くんは驚いた声を出した。そんな緑谷くんに私は大丈夫だよと笑い、お茶子ちゃんと爆豪くんの試合を見守っていた。