待ってよ、私のヒーロー! 作:ののみや
「ああ麗日……ウン。爆豪一回戦とっぱ……」
「ちゃんとやれよやるなら」
お茶子ちゃんと爆豪くんの試合は思わず見入ってしまうものだった。スロースターターな爆豪くんは動けば動くほど強力になっていく。近接戦ではほぼ隙なしの爆豪くんに対して、触れないと発動できないお茶子ちゃんの個性は分が悪かった。そこでとった作戦は捨て身の特効。低姿勢での突進を繰り返して爆豪くんの打点を下に集中させて砕けたコンクリートを浮かせ、武器を蓄えていた。
一回戦が一通り終わり、小休憩をはさんでから二回戦が始まる。その間にステージの補修もされるようだ。
「それじゃ、そろそろ僕も行くね」
「ああ! 応援しているぞ、緑谷くん! ……もちろん轟くんのことも応援しているが!」
「そ、そうなんだ……?」
飯田くんは強い口調で私に言った。私は急に振り返られたせいでびっくりしていた。やっぱり飯田くんはとても真面目だ。わざわざ言わなくても気にしてなかったのに。まあ、応援してくれて嬉しくないと言うと嘘になるんだけど。
「がんばってね、緑谷くん」
「ありがとう」
少し固くなっている緑谷くんに気の利いた台詞はとっさには出てこなくて、私はその背中を見送る。
このままここから見ていれば、焦ちゃんと緑谷くんの試合が始まる。私では届かなかった。左の力を使わない焦ちゃんと戦って、最後は体力が尽きて負けた。きっとこのあとの試合だって右の力だけで戦い抜くのだろう。そうやって、自分で自分の首を絞めていくのだ。
お茶子ちゃんたちの試合が始まる前には色んなことで頭の中がぐるぐるしていたけど、今は随分と気持ちが落ち着いてきた。冷えた頭で、もう少し考えてみる。
屈折した想いは視野を狭め、焦ちゃんは否定しようとしているおじさんに自ら囚われようとしている。私は、どうしたかったのだろう。初めて喧嘩をした。本当に伝えたかったのはあんなことじゃなかったのに。
「道瑠ちゃん?」
透ちゃんの声はもう私には聞こえなかった。私は気づいたら、控え室の前に立っていて。ドアノブを握ろうとして、手が震える。
「……はあ……」
深呼吸をして、もう一度手を掛けたところで、不意にドアノブが回った。
「わっ!?」
「うおっ?!!」
咄嗟に手を離す。内開きでよかったと思ったのはしばらく経ってからのことだった。
「きり、しま、くん……」
「光移じゃねーか! 起きてたんだな!」
開いた扉の影から顔を見せたのは切島くん。その奥には、座ってこちらに視線を向けている焦ちゃんもいた。
「うん。切島くんの試合は見れなかったのがちょっと残念だけど」
「はは、嬉しいこと言ってくれるじゃんか。休憩明け最初の試合は俺たちみたいだから、応援よろしくな!」
なんて言って笑う切島くんに首を傾げた。
「え? 次って緑谷くんたちじゃないの?」
「そうなんだけどさ。二回戦の前に鉄哲と試合の続きがあるんだよ」
「そっか、引き分けだったんだっけ」
二回戦を始める前に引き分けだった試合の勝敗を決めるのだ。勝負内容はその場で発表されるらしく、切島くんも内容は知らないみたいだけど、腕が鳴るぜと言って拳を打ち付けている。本当にいい音が鳴っていた。
「応援してるね」
「サンキュー! そんじゃ行ってくるな!」
ゆるゆると手を振って切島くんを見送る。扉を出て行ったときのままにしているのは、私がここに来た目的を察していたからなのだろう。私が試合に出ないことは分かっていただろうから。
控え室に入って、後ろ手にドアを閉めた。
「あの……」
切島くんが出て行って、控え室にいるのは私たち二人だけ。
散々考えたのに、答えも持たないままに来てしまった。それでも、本当に伝えたいことはずっと一つだった。
今言わないと。きっとまた逃げてしまう。
「その……えーと」
「……いつ」
私がもごもごと言葉を濁していると、焦ちゃんが小さく口を開いた。
「いつ起きたんだよ」
「お茶子ちゃんたちの試合が始まる前だよ。……たぶん、焦ちゃんが出ていってすぐ」
焦ちゃんは座ったまま私に視線を向けようとはしなかった。それ以上は何も言おうとしない。
「私ね……」
まだ休憩時間は残っている。でも残りは少ない。切島くんたちの試合も始まってしまうだろう。言え、言うんだ私。
「私、焦ちゃんのこと」
思い出の欠片を拾い上げて、繋げていた。臆病で、傷つけることも、傷つくこともいやで何も言わずにいた私がいつも見てきた幼馴染の姿を思い浮かべる。今だって視線も合わない焦ちゃんのことを。
「ぜんぜん、分からないの」
頬杖をついてそっぽを向く肩が一瞬跳ねた。
うまくでてこなかった言葉も、そう言ってしまうとどんどん口から零れていく。
「分かんないよ……。いつも怖いし、何も言ってくれないのに、急に……突き放すみたいなこと言うし」
それなのに。
「それなのに……いつも優しいし」
俯いたまま、私は顔を動かすことが出来なかった。自分の意思とは関係なく鼓動が速くなっていく。
「泣くなよ」
「泣かないよ」
ガタ、と椅子を引く音。部屋の外からはプレゼント・マイクの声と大きな歓声が聞こえた。切島くんたちの試合が今から始まるんだ。
「泣かないから、教えてよ。私、動きも鈍いし、迷惑かけてばっかりだけど……それでも、何も言えないくらい頼りない?」
背中を追いかけるのが好きだった。だって、焦ちゃんはいつも私の前を歩いて、手を引いてくれていたから。
でも、いつからかそれだけじゃだめだと思った。私はずっと対等になりたかったんだ。寄りかかってもらえるような存在に。ずっと、なりたかった。
「いやだよ……。もう、後ろから見てるだけはいやなの。どうして私がヒーロー目指すのを否定するのに特訓に付き合ってくれたの? どうして私が倒れると側にいてくれたの? どうして……っ」
ゆっくりと前を見た。鉛でも入っているみたいに頭が重い。焦ちゃんはうつむいたままだ。
「どうしておばさんの笑った顔も覚えてないの?」
焦ちゃんは弾かれたように顔を上げた。私を見る目が見開かれている。
「忘れないでよ……! 憧れに向かって進んでるって、おばさんのこと安心させてよ!!」
これはきっと、焦ちゃんの心に土足で踏み入る行為だ。焦ちゃんがもう何年もおばさんに会いに行けていないことは知っていた。
でも、おばさんはそんなこと望んでいないって思うから。心の片隅で感じている負い目と引け目のせいで、おじさんを否定する以外の道を捨ててほしくないから。
「焦ちゃんは、焦ちゃんでしょ……!」
「……っ!」
泣かないって言ったのに。視界が滲んで、目から雫がこぼれそうになった。
口にするとたったこれだけ。それが、ずっと言えなかった。
「あ――おォ!! 今切島と鉄哲の進出結果が!!」
「ご、ごめっ……、試合、始まっちゃうのに……全然、準備が――」
「――好き勝手言いやがって」
ぐしぐしと目元を拭い、話を切り上げようとしたとき、焦ちゃんが立ち上がった。
「言い逃げするつもりで来たのかよ」
「ち、違う……!」
そうじゃないよ。伝えたかったけど、これ以上引き留めることも、私の気持ちを一言で言い表すことも出来なくてそれしか言えなかった。
「今までずっと、俺は待ってただろ」
言葉はただの吐息にしかならなかった。だって、明確な拒絶にもとれそうなその言葉には、冷たさはなかったから。
近づいてくる焦ちゃんを処理の追い付いていない頭で眺めていた。通り過ぎざまに、伸びてきた左手が頭に乗せられる。
「だから、今は道瑠が待ってろ」
「え……」
軽い力で、二回。そしてすぐに左手も焦ちゃんも私から離れて行った。
「それ、どういう……」
問いかけても答えは返ってこない。控え室から出て行った焦ちゃんが静かに扉を閉める。閉まり切る寸前に、私は叫んだ。
「っ左の力を使っても変わらないよ!」
ドアノブがから回る音がした。扉は閉まっていない。焦ちゃんでもそんなことあるんだね、なんて。今まで当たり前のように言えていたことを思い、なんだか懐かしくなった。
「焦ちゃんはおじさんじゃないし、おばさんでもない」
ドアを掴んで私も通路に出た。控え室に比べると暗い。でも、焦ちゃんの表情はしっかり見えた。まっすぐに私を見ていた。
「何も変わらないよ」
根拠も何もない言葉。焦ちゃんの気持ち全ては私には分からない。それでも、轟焦凍という一人の人間を誰より見ていたのは私だということだけは自信を持てるから。
最後にそう伝えると、焦ちゃんは私を振り返らずに通路の中に歩いて行った。
――それから緑谷くんと焦ちゃんの試合を私は観客席に戻って観戦していた。
十数万人の観客が歓声を上げる。その一切が耳をつんざく轟音にかき消される。
力と力が衝突し、コンクリートが爆ぜる。鮮烈な熱風が巻き起こり、続いてぱらぱらと細かい破片が降り落ちていく。立ち上った水蒸気に覆われてステージがどうなっているのかよく見えなかったけど、私には関係なかった。
「焦ちゃん……笑うの、へただなあ……」
昨日あんなに泣いたのに涙は溢れてきて。
こんなところで泣き続けたくないのに、足は凍り付いたように動かなくて。ただ焦ちゃんと緑谷くんの戦いを映していた目元だけが焼けるように熱かった。