待ってよ、私のヒーロー!   作:ののみや

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25話 変わらないもの、変わっていくもの

「いたい……」

「そりゃあんだけ泣いたらね」

「うっ」

 

 頭も、こすり過ぎた目元も痛い。ひりひりする目元を押さえていると、頭上から耳郎さんの厳しすぎる言葉が飛んできた。いくら声を抑えても震える肩は誤魔化せなかっただろうし、近くに座っている人たちには絶対に泣いていたことは気付かれていたと思うけど。かと言ってそれをはっきり言われてしまうのもそれはそれで恥ずかしい。

 

「落ち着いた?」

「うん。……ありがとう透ちゃん」

 

 背中をさすってくれていた透ちゃんの手が離れていく。

 焦ちゃんと緑谷くんの次は飯田くんと塩崎さんの試合なんだけど、始める前に今はステージの補修作業をしている。その間に飯田くんは保健室に運ばれた緑谷くんの様子を見に行くと言ってリカバリーガールの元へ向かった。同じく緑谷くんと仲のいいお茶子ちゃんたちも、何度も振り返りながらこの場を離れていった。

 

「何があったかは知んないけどさ、あんたらがギスギスしてると落ち着かないんだよね」

「響香ちゃんもすごく心配してたんだって」

「す、すごくじゃない!!」

 

 ちょっとムキになって、図星と言う顔を見せた。がばっと後ろの席から透ちゃんの口元を押さえようとしている。ただ、そこは口じゃなくて目だったようで、透ちゃんの楽し気な笑い声が止まることはなかった。

 

「嬉しい。耳郎さんもありがとう」

「別に……」

 

 顔を上げて振り返ると彼女はそっぽを向いた。

 飯田くんたちの試合が始まるまではもう少しかかりそうだ。その前に顔を洗いに行く時間くらいはあるのかな。

 

「ごめん、私ちょっと席外すね」

 

 声を掛けてそっとその場を離れる。

 階段を上り通路に入って少し歩くとすぐに出張保健所の前に着いた。中からはまだ話し声が聞こえている。私も後で様子を見に行こうと思って通り過ぎ、さらに奥へ進んだ。

 そして階段の前を通り過ぎようとしたとき、自然と足が止まる。

 

「道瑠」

 

 静かな声で名前を呼ばれた。足音がゆっくり近付いてくる。振り向くと、大きく目を見開いて驚いた顔をした。

 そこで偶然会ったのはいいことだったのだろうか。焦ちゃんの顔付きは、一回戦のときの険しい顔でも、控え室で最後に見た何か堪えるような、それでいて穏やかだったものとも違った。ただ、暗い通路の中にいるというのにその瞳は強く眩い光を宿しているように感じて。

 

「話がある」

 

 こくり。首を縦に振った私の顔は、きっと引きつっていたと思う。

 

 

 

「さっき親父に会った」

 

 人気のない通路で、少し間を開けてから焦ちゃんは話し始めた。

 

「俺はアイツを許すことは出来ねえ。今も憎いと思ってる」

 

 左の力を使わず、おじさんが焦がれ続けた存在になることで完全に否定できると思っていた。そうあるべきだと思い込んで、なりたいものを押し隠して、いつの間にか忘れてしまっていたのだ。

 でも、そうやって一番になって、それからどうなるんだろう。それで気持ちは満たされないよ。焦ちゃんが初めて私に向かって口にした言葉を、ただ黙って聞いていた。

 

「でも、道瑠の言うとおりだった。左の力を使っても何も変わらなかった。アイツが俺の親父だってことも、右も左も俺の個性だってことも、全部変えようのない事実だ」

 

 視界の端で焦ちゃんが左手が持ち上げる。どんな顔をして左手を見つめているのかは分からなかった。壁を背にして隣同士に並ぶ私たちに、お互いの顔は見えなかったから。

 

「俺は、俺だったんだな」

 

 続けて口にした言葉に、胸が詰まった。言葉が届いていた。焦ちゃんの心に触れられた。

 本当になりたいものは何なのか。焦ちゃんの気持ちはどうなのか。今の彼に、その迷いは感じられなかった。

 

「緑谷にも……道瑠にも悪いことしちまったな。俺は何も見てなかった。見えてなかったんだ」

 

 答える代わりに左右に首を振った。

 個性も、焦ちゃん自身も。親から受け継いだものであっても、親そのものではない。どれも全て焦ちゃん自身で、自分自身の力だ。

 

「ありがとう」

 

 顔を上げると、焦ちゃんはまっすぐに私を見ていた。いつか話してくれると信じて自分に言い聞かせてきた。道を見失ってしまう前に、気づいてほしかった。そして懐に土足で踏み込んだ。それでも、彼が今口にした言葉は穏やかなもので。

 

「あと、昨日の話だけどよ――」

「っう、……」

 

 その言葉を途中で遮るように、私は個性を使ってその場から姿を消してしまった。

 

 

 

「……光移少女ね、一応許可なく個性を使用するのは禁止ってことは知ってるよね」

「はい……すみませんでした」

 

 焦ちゃんの前から飛んで十数秒後、私は出張保健所の前で八木さんに叱られていた。叱ると言っても、小さくため息をついているくらいで、すごく怖いって感じではない。ただ、耳は痛かった。

 

「怒ってないから顔を上げなさい」

 

 私はゆっくりと顔を上げた。八木さんは背が高いから、この距離で顔を見ようとするとほぼ真上を見るような角度になる。

 

「んんっ!?」

 

 影になっていたから見間違いだったのかもしれないけど、八木さんが目を見開いた。

 そう言えば、目はきっと腫れているし、乾いた涙の跡も痛かった。今の私は酷い顔をしていたと思う。

 

「あのっ、や、八木さんはやっぱりサポート会社の人なんですか?」

「えっ、今それ聞くの?」

 

 咄嗟に出たのはそれくらいで、私は苦笑した。おろおろしていた八木さんが急に止まったのも面白かった。

 

「関係なくはないんだけど、まあ、ほらね。一応雄英の卒業生だから」

「はあ……?」

 

 はっきりしない言い方だ。卒業生と言っても、生徒に直接干渉したりスカウトするのを防ぐために許可がないと正面入り口から観客席に直接繋がる通路以外は立ち入り禁止になっているはずだけど。その為に観客席も生徒席と教師陣、来場者席がそれぞれ分けられているはずだ。もしかしたら雄英の関係者だったりするのかな。事務員さんとかはあまり見たことがないし。

 

「それで、どうして外に?」

「今緑谷少年が手術中だから」

「手術……っ?!」

 

 緑谷くんは個性を使うたびに大きな怪我をしている。焦ちゃんとの戦いでも、氷を相殺するたびに遠くから見ても分かるくらい指が腫れあがっていて、決着がついたときには両腕と片足も痛めているようだったから、リカバリーガールの治癒だけでは治り切らなかったんだ。

 

「ん? 八木さんって緑谷くんと知り合いだったんですか?」

「……あっ!」

 

 今日の八木さんはよく驚く。

 私も八木さんの住んでいるところは知らないけど、緑谷くんは実家から電車通と言っていたので少なくともご近所さんということはないだろう。

 

「私のことはいいからさ、光移少女のことを聞かせてくれないかい?」

「私の……?」

 

 八木さんははぐらかすように話題を変えた。

 

「光移少女と"焦ちゃん"の試合、私も見ていたよ」

 

 さっきまでのうろたえた姿から一転、優しげな声がかけられた。

 

「答えは見つかったのかな?」

「……分かり、ません……。考えすぎてわけもわからなくなって……とても、正しいことをしたとは言い切れません」

 

 何度も悩み、最善と思える方法を見つけられないまま、思いの丈を口にした。半分八つ当たりに近いものもあった。昨日だって、目に涙なんて浮かんでいなかったのに、泣いてしまうと思った。

 

「正しいっていうのはどういうことだい?」

「それは……」

 

 何が正しくて正しくないのか。改めて訊かれると分からなくなった。私は焦ちゃんを傷つけたくなかった。でも、これ以上自分を追い込んで苦しむ姿を見ているのも嫌で。焦ちゃんはありがとうと言ってくれたけど、私はその顔を見て合わせる顔がないと感じた。

 

「光移少女の思う正しさは、考え得る限りで最善の方法を指すのかもしれない。ただ、私はそこに正解も間違いもないと思う」

「正解も……間違いもない……」

「光移少女は優しい子だよ。大切な人を自分で傷つけてしまうことが間違いだと思って、怖いんだろう」

 

 その通りだ。でも、少し違う。傷つけることは嫌だけど、それ以上に。嫌われることが怖かった。

 

「ただ、今は少し独りよがりになっているんじゃないかな?」

「……独りよがり」

 

 その時、八木さんが私から顔を逸らした。聞こえてきた声は私がよく知るもので。見間違うはずなんてないのに、振り返って見つけた姿に目を疑った。

 

「お、お父さん!?!」

「やあ。なかなか電話に出てくれないから心配したよ」

「ご、ごめんね。ずっと控え室に置きっぱなしにしてて……」

 

 朝にメールを確認してから、一度も見ないままだった。

 

「どうしてお父さんがここにいるの? 関係者以外立ち入り禁止じゃ……」

「俊典くんが気を利かせてくれてね。あと、一応僕も卒業生だから」

 

 ほら、と言って見せてくれたのは関係者用のネームプレート。それを用意できるってことは、八木さんってやっぱりすごくて……謎な人だ。

 

「道瑠」

 

 私が頭に疑問符を浮かべていると、お父さんが名前を呼んだ。

 

「焦凍くんと何かあったんだね」

「…………うん」

 

 現実に引き戻され、聞こえたのは幼馴染の名前。すぐ分かっちゃうんだ。

 

「私、焦ちゃんにひどいこと言っちゃったの」

 

 私の言葉に返事は返ってこなかった。

 

「今まで喧嘩なんてしたことなかったのに」

 

 返事はない。お父さんは近づいて、優しく頭を撫でて抱きしめてくれた。

 

「焦ちゃん怒ってなさそうだった。あ……っ、ありがとうって、言ってくれたの。でも、怒ってなくても、私が傷つけた」

 

 震える声を隠したくて、顔を胸に押し付けた。それでも気にせずお父さんは撫で続けてくれた。

 

「傍にいて、守りたかっただけなのに……分かんなくなって、逃げちゃった」

 

 どうしよう。そんな弱気が、口から零れた。

 

「焦凍くん、良い顔してたね」

 

 首を縦に振って答えた。本当にいい顔してた。笑うのはちょっとへたで、引きつっていたけど。

 

「道瑠のことを本当に嫌うかどうかは、道瑠が一番分かるんじゃないかな」

 

 焦ちゃんはいつも怖い。ぽやっぽやの天然だし、時々変なことを言い出す。でも、いつも優しかった。縋る手を振り払われたのは、あの一度だけ。

 さっき拒絶したのは私の方だ。八木さんの言う通りだった。勝手に追い詰められた気になって逃げていた。

 

「ありがとう、お父さん」

「どういたしまして。戦う道瑠はハルさんみたいにかっこよかったよ。さすがは僕たちの娘だ」

「えへへ……そうかなぁ」

 

 お父さんの背中から手を離す。

 出張保健所からはリカバリーガールが治癒をするときのお馴染みの声が聞こえてきて、緑谷くんの治療もちょうど終わったようだ。

 

「八木さんもありがとうございました」

「うん。あとは二人でたくさん話をしなさい。君たちに必要なのは、きっとそれだけだ」

「はい。本当にそうみたいです」

 

 軽い力で肩を叩かれた後、八木さんは部屋の中に入っていった。お父さんも観客席に戻るみたいだ。背中を見送って、深く息を吐く。

 やっぱり私は臆病で、世界で一番大切な幼馴染を失うことが怖くて、いつも逃げ腰だった。

 でも、今は話したいことがいっぱいある。聞きたいことも、言いたいことも。だから、もう逃げないよ。

 




こんばんは、ののみやです。

三歩進んで二歩下がる的に話が進んできましたが、いよいよ次が道瑠視点の最終話となります。

ちなみに道瑠父は道瑠母とエンデヴァーよりも年上で雄英の普通科出身という設定でした。

最後までお楽しみいただけると幸いです。



12月25日追記
最終話の投稿予定ですが、今年中にというのが難しく、年明けの更新を予定しております。すみません。

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