待ってよ、私のヒーロー! 作:ののみや
「はあ~……」
吐き出した白い息が薄れて空気に溶けていくのを見上げながら、舗装された道を歩く。厚手のコートを羽織ってマフラーを巻いて。耳当て付きのニット帽を被っていても寒いものは寒い。
手袋、持ってくればよかったな。寒さを紛らわすために手を擦り合わせてもすぐに空気に冷やされるから、上着のポケットに手を突っ込んだ。布ではない硬い感触に、あ、と呟く。
ポケットからスマホを取り出してみる。相変わらず新着の通知はないし、メッセージアプリで一通だけ送った内容にも既読はついていない。ほぼ一年経ってもまだ私がヒーロー科を目指すことに否定的だから、拗ねているのだろうか。
「いや、ないでしょ」
焦ちゃんならそんな回りくどいことはしない。口数は少ないけど気持ちの変化が分かりやすく空気に出るし、最近はずっと肩肘を張って怖い顔をしているけど本当はかなりぽやっぽやの天然だ。
でも、分かりやすかった、と言うのがきっと正しい。普通科にしろって言ってるのに、筋トレのメニューを組んでくれるし、忙しいのに私の特訓にも付き合ってくれる。今の焦ちゃんはちぐはぐで、見ていると心がそわそわする。
「さむい……」
はあ。手に息を吹きかけてみると、また白い息が昇って消えていった。
「おかえり。道瑠」
「ただいま。お父さん」
家に帰ると、お父さんが出迎えてくれた。エプロン姿が似合うおっとりした笑みは安心するが、私はあれ、と首を傾げた。
「どうしたの? なんだかご機嫌」
朝は私よりも緊張していたし、今から帰ると電話で伝えた時も少し慌てていたのに、今はとても上機嫌だ。気のせいか花も散っている。
「はは、普通だよ。それよりも、早く着替えておいで。疲れただろう」
「うん。でも、その前に挨拶してくる」
「ああ……うん。それがいい」
脱いだ靴を揃えて立ち上がる。洗面台に行く間もにこにこしたお父さんが私を見ていて、何? と訊くと鼻歌を歌いながら部屋に入った。
何なんだろう。と思った疑問はすぐに聞こえてきた微かな話し声で解消される。
手を洗って、ぱたぱたと走ってリビングの扉を開ける。でも予想とは違ってそこには誰もいなくて、台所にお父さんがいるだけだった。
和室かな。廊下には出ず、リビングから直接和室に入ろうとして仕切り扉に手をかけた。
「遅ぇよ」
手に力を入れずとも、扉が勝手に引かれた。同時に聞こえてくるのは呆れたような声。
「とっくに入試終わってただろ」
和室から出てきたのはやっぱり焦ちゃんだった。そうだったらいいと思っていたのに、私は思わず扉を閉めた。
深呼吸してもう一度扉を引くと、そこには当然焦ちゃんが立っていたけど、今度は怪訝な顔をしている。
「何してんだよ」
「部屋……と言うか、家間違えてないかなって……」
「は?」
声が低くなった。目を逸らす私に遠慮なく焦ちゃんはにらんでくる。
「自分家くらい確認しなくても分かるだろ」
「そりゃそうだけど……」
焦ちゃんが家に上がるのが何か月ぶりだと思ってるんだ。見て、お父さんすごい嬉しそうだよ。晩御飯食べていくかい、なんて聞いてる。焦ちゃんはお父さんに食べますと答えた。
食べていくんだ。少し浮かれる私に再び視線を戻して焦ちゃんは問いただす。
「で。何してたんだよ」
「す、スマホと格闘……?」
「おじさんにすぐ帰るって電話しただけだろ」
「だって焦ちゃん、電話しても出ないし……」
親に伝えるよりも先に電話をかけたというのに、出なかったのだ。
教えろとは言われなかったけど、試験が終わったことは伝えたくて、今度はメッセージを送ろうとした。でも改まって書こうとすると、全然文面が浮かばなくて、諦めて「終わったよ」とだけ送って帰ってきた。
あれ。これはスマホを片手に粘るよりも早く帰ってきた方がよかったのかな。
「……悪ィ。スマホ忘れてた」
「冬美ちゃんに連絡するくらいでしか普段使ってないもんね」
こういうところがぽやっぽやだ。どこか抜けてる。そして私はそんな焦ちゃんを見て安心するのだ。まだ私の知ってる轟焦凍だと。
それに、私も人のことを言えないくらい普段から触っていない。ふふと頬が緩む。焦ちゃんはふいとそっぽを向いた。焦ちゃんの癖だ。
薄いグレーの瞳を見ながら左手に手を伸ばす。暖かい部屋に入っても外から帰ったばかりの体は少し冷たくて、焦ちゃんの温かい手が心地よい。
「あったかいね。焦ちゃんの手」
私の冷たい手との温度差に反応しただけではない。焦ちゃんは目を細めて何かを言おうとしたけど、口を閉じた。
そんな顔をさせたいわけじゃないのに。お互いに無言のまま、私はただ焦ちゃんの手に触れていた。
「……手袋ぐらい使えよ」
小さい、吐息の混じった声。
「私、焦ちゃんの両手好きだもん」
止めろと言われたことはあったけど、振り払われたことは一度もなかった。
その後シャワーを浴びてから、私と焦ちゃんはソファーに並んで座りテレビを眺めていた。手伝おうかって言ってもお父さんはゆっくりしていてと譲らないし、私の部屋に行くのは焦ちゃんが拒否した。
眺めていても内容は頭をすり抜けていく。隣の焦ちゃんも、なんとなく同じだろうと思った。
「それで、今日はどうしたの?」
「は?」
本日二度目の「は?」はさっきよりも威圧感を増していた。
だって、覚えてくれていただけでも嬉しいのに、わざわざ家にまで来た理由って気になるでしょ。
膝を抱えたままちらちらと横目で見つつ、続きを待つ。
「…………怪我してないのか」
「え……うん、無傷だったよ」
「目が赤かった」
「外、寒かったし……」
膝を抱えなおして俯く。焦ちゃんは納得しなかったらしい。とっとと話せって言いたそうな視線だ。
何も言わずに見つめてくるのも焦ちゃんの癖。先に耐えきれなくなるのも、ほとんど私。
「ずっと緊張してたから、気が抜けちゃって」
これは本当。朝はガッチガチで玄関を出る瞬間に転びそうになったし、筆記試験が始まる前には筆箱の中身をぶちまけてしまった。爆弾少年を敵と思って叫んだことと、ゼロポイントの仮想敵に恐怖したことは絶対に言いたくない。
「わ、私のことはいいでしょ」
はあと焦ちゃんがため息をつく。怒ってはいないみたい。
「おじさんと……おばさんにも顔見せておこうと思っただけだ」
「そっか」
紡がれた言葉に短く返事をする。そっか。もう一度呟いた。口元がほころぶ。
「ありがとう。お母さんも、すごく喜んでると思う」
かぎ慣れた線香の匂いが、かすかに残っている気がした。
焦ちゃんが和室から出てきたのは、やはりお母さんに線香をあげていたからだったようだ。その後帰ってきた私が仏壇に手を合わせている間も、ずっと隣にいてくれた。
お母さんは朗らかで強いヒーローだった。ふと立ち寄ったお店でお父さんに一目惚れして、猛アタックして口説き落としたという話は幼い頃に何度も聞かされた。
「道瑠も……焦凍くんもヒーローになるのか」
「…………」
「気が早いよ。合格かもまだ分かんないし」
食卓を囲みながら、お父さんがしみじみと言う。
「順当にいけば……俺はそうなりますね」
自分から話題を振ることはないけれど、時折相槌を打ちながら焦ちゃんはずっと話を聞いていた。
「焦凍くんは優しいヒーローになるんだろうね」
「そう、でしょうか……」
焦ちゃんは箸を止めて答えた。その表情はいまいち読めない。戸惑っているような、悲しそうな。ぼんやりした表情だ。
「うん。人気が出すぎて道瑠が泣いちゃいそうだ」
「な、泣かないよそんなことで!」
もう! と言ってみるがお父さんは目元を柔らかく細めていて、怒る気にはならなかった。
「ねえ、私は?」
「道瑠は……そうだな。皆から応援されるヒーローかな」
「そ、そうかなぁ」
「泣かないで~ってね」
「も、もう!」
緩んだ顔を一転。今度は怒った。お父さんは楽しそうに笑っている。
焦ちゃんは静かだった。手が全然動いていない。
「人の痛みが分かるのは素敵なことだよ」
少し頬が熱くなるのを感じる。
隣に座る焦ちゃんの顔は、白い前髪に隠されていてよく見えなかったけど、遠いものを見るような眼をしている気がした。
食事を終えた焦ちゃんがせめて片づけを、と言っていたのをやんわり断って、お土産に葛餅を持たせて玄関で見送る。葛餅は、和菓子屋を開いているお父さんの手作り。
「すみません。わざわざ」
「気にしないでくれ。炎司さんと冬美くんたちにもよろしくね」
「……はい」
中身はそれほどの重さではないのに、焦ちゃんはとても重たいものを持っているように見えた。
焦ちゃんのお父さんが時々うちの和菓子屋に来ていること、焦ちゃんは知っているのだろうか。常連さんなんだよ。怖いけど、私がいるとため息をついて常に燃やしている髭の炎を消してくれるんだよ。
そんな言葉は焦ちゃんにとって重荷にしかならなくて、ずっと言えないままだ。
「焦ちゃん、また明日ね」
「ああ」
「応援しているよ、焦凍くん。僕は君たちの大ファンだから」
「……ありがとうございます」
私のお父さんよりも背が高くなった焦ちゃんの頭を、お父さんが優しく撫でる。焦ちゃんは頭を下げて帰っていった。
お皿をもって流しに行くと、大きな手が私の頭に触れた。
「頑張ったね」
お父さんはにっこりと微笑んだ。
出来ることは、きっともっとたくさんあった。焦ちゃんだったら、きっと私の倍以上は倒していたと思う。
緊張の糸が切れたからだけじゃない。本当は、当日になっても逃げ腰な自分が情けなくて、応援してくれたお父さんに申し訳なくて。
それでもそう言ってくれた。お父さんは無個性だけど、傍にいると心があたたかくなる人だ。私にとっては、お父さんもお母さんも、
「……うん! ありがと、お父さん」
私はお母さんみたいに強くて、お父さんみたいに優しいヒーローになりたい。
焦ちゃんを守れるヒーローに。
――それから一週間後。雄英から届いた手紙を片手に、私は真っ先に焦ちゃんの元へ走り出した。
顔が熱い。心臓が張り裂けそうだ。喜びが後から後から溢れてきて、外に零れ落ちちゃうんじゃないかってくらい嬉しい。
「ヒーロースーツ、考えなきゃ……!」
春は、もうすぐだ。
こんにちは、ののみやです。
感想をくださった方、お気に入り登録していただいた方、拙作をお読みいただいた皆様、ありがとうございます。
第三話にしてようやく道瑠が一度も泣かずに話が進みました。少し危ない部分もありましたが、セーフだったと思います。
これで中学生編は終わり、次回から高校入学後の話が始まります。
お楽しみいただけると幸いです。