ようこそ禁止区域出身の男がいる教室へ   作:白崎くろね

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今回も長めです


第9話 櫛田桔梗という少女

 

 

 今日の放課後は勉強会だったな。

 特に勉強をする必要性を感じられなかったが、清隆が言うから仕方がなく参加することになってしまった。

 こんなことなら答えの欄を塗りつぶして提出なんかするんじゃなかったぜ。

 

だって以下の問いを()()()()()って書かれてたんだぜ? そりゃあ埋めるだろ。むしろ天才的な発想にユニークボーナス点をくれてもいいくらいだ

 

 と、小さく呟く。

 

「急にどうしたの?」

 

「この世の中の不条理を嘆いていたのさ」

 

「ふーん、変なのっ。……後は池くんに山内くん。それに須藤くんだね。あっ、沖谷くんもか」

 

 オレが変な風に見えるとしたら、それは世界の方が変なのかもしれない。

 人と人は分かり合えるようでいて、分かり合えない生き物なのだ。だから簡単に争いなんてもの生まれてしまう。真に平和を求めるのなら、それこそ人類一掃作戦くらいはやらなきゃダメだろう。

 

 何てことを考えているうちに、他の三人も桔梗に回収されていく。

 わざと遅刻して行こうと考えていたのだが、お見通しだったらしい。

 それもこれも清隆の策略か。もしくは彼女の鈴音の仕業か。

 

「連れてきたよ~!」

 

 図書館の端、学生の勉強スペースに清隆と鈴音が隣り合って座っていた。

 相変わらずの仲の良さである。

 二人は否定こそしてはいるが、Dクラスでは付き合っていると専らの噂だ。

 

「いやあ、櫛田ちゃんから勉強を開くって聞いてさ~。入学したばっかなのに退学するとかありえないしなー。よろしくなー」

 

 なんてことを言っているが、桔梗が目当てなのは一目瞭然だ。

 これが洋介主催の勉強会なら参加していなかっただろう。

 

「あれ? 沖谷って赤点だったっけか?」

 

「あ、ううん……違うんだけど、その赤点ギリギリで……でも平田くんのグループはちょっと入りづらくって……だ、ダメだったかな?」

 

 男っぽくない仕草でおどおどとしながら、そう言う沖谷。いかにも女の子っぽい雰囲気を持っているヤツだが、薫とは違って生粋の男だ。男の娘というヤツだろうか。

 

「別に、沖谷くんが参加しても大丈夫だよね?」

 

「赤点の心配がある生徒なら、参加しても構わないわ。ただやるからには真面目にやってもらうわよ」

 

「う、うんっ」

 

 嬉しそうに笑って、沖谷は席に座った。それに続いてオレたちも腰を下ろそうとするが――

 

「櫛田さん。綾小路くんに聞かなかったのかしら。あなたは――」

 

「実はね、私も中間テストが不安なんだよね」

 

「あなたは、前の小テストで悪くない成績だったわ」

 

「うーん、あの小テストって選択問題が多かったじゃない? だから結構適当だったりして。だから中間テストではもっと頑張らないとって思って……」

 

 桔梗はえへへっと頬を掻き、ちょっとだけ照れたような顔を見せる。

 

「だから実際はもっと点数が下だったと思うんだよね。それこそ沖谷くんよりも下かな。だから私も赤点回避するために勉強会参加させてほしいなって。いいよね?」

 

「わかったわ……あなたの参加を認める」

 

「ありがとっ」

 

 女の戦いは終わりを告げた。

 これ以上の論争は血みどろな展開になっていたかもしれん。

 女の嫉妬ってこわぁい……。

 

「32点未満は赤点つってたよな。32点じゃダメってことか?」

 

「未満だったらセーフだって。須藤お前大丈夫かよ」

 

「寛治に言われちゃおしまいだな」

 

「んだとてめぇ」

 

「あれ? これ俺も怒るとこ?」

 

 俺の余計な一言に健が噛み付いてくる。

 まるで狂犬だな。健なだけに。

 ……思った以上にくだらなかった。

 

「いちいち騒がないでくれるかしら。それにどちらでも構わないわ。あなたたちには50点を目指してもらうから」

 

「げぇっ! マジかよ! そんなん無理だって! なあ?」

 

「あなたはバカなの? そのための勉強でしょう? そんな甘いことを言ってたら退学になるわよ」

 

「あまりバカバカ言ってやるな。本当のバカになっちまう」

 

「お前さっきから俺をバカにしすぎだろ!」

 

「しまった……最初からバカだったか」

 

「おい!?」

 

 侑祈レベルのバカが量産されたら日本は終わりだからな。

 

「言っておくけどあなたが一番の問題児よ」

 

「オレのどこか問題児なんだ?」

 

「0点なんてどうやったら取れるのかしら……」

 

「そりゃ何も書かなければ取れるだろ?」

 

「……いったい、何を考えているのよ。何だかあたまが痛くなってきたわ」

 

 そりゃあ大変だ。

 ロキソニンでも飲むといい。

 

「……まあいいわ。それよりも今度のテストで出題される範囲をこっちでまとめておいたわ。テストまで2週間ほどだから徹底して取り組むのよ。わからないことがあれば私に聞いて」

 

 プリントが配られ、それにみんなが目を通していく。

 

「……最初の問題からわからないんだが」

 

 健が難易度高すぎるぞ、という目を鈴音に向けていた。

 どれどれ……。

 

『A、B、Cの三人の持っているお金の合計は2150円で、AはBよりも120円多く持っています。また、Cの持っているお金の5ぶんの2をBに渡すと、BはAよりも220円多く持つことになりました。ではAは最初からいくら持っていたでしょうか』

 

 1問目の問題はそんな感じだった。

 

「少しは頭を使って考えてみろよ……」

 

「んなこと言ってもよ……」

 

「みんな良く受かったよね」

 

 坂柳が言うには、筆記テストや面接といったものは見せかけでしかなく、選ばれた人間はどんなに点数が悪かろうと入学が決まっているって話だ。

 だが、こいつらはそんなことを知る由もない。

 

「海斗くんはわかる?」

 

「オレか?」

 

 ボケた回答をすることもできたが、こんな序盤で躓いていても面倒だったので素直に書いておく。

 オレが空いたスペースに式も書かずに答えだけを書いていくのを見て、桔梗が驚きの声を上げる。

 

「もしかして海斗くんってやれば出来る子?」

 

「馬鹿にしてんのか? あぁん?」

 

「正直な話、この問題は中学生でも解こうと思えば解けるレベルよ」

 

「さいですか」

 

「ってことは俺たち小学生レベル……?」

 

 何やら寛治と健がショックを受けていたが、小学生で習う内容のものは基礎となる部分が非常に多いため、そこを理解出来ているかで大きく変わってくるのだ。こいつらに勉強を教えるのなら、連立方程式なんかじゃなくて方程式からやる必要があるだろうな。もしくは文字式か。

 しかし、そんなことは知っている前提である桔梗や鈴音はそのことに気が付かない。オレがわざわざ指摘するわけもなく、勉強会は進んでいく。

 

「あー、ダメだ。やめる。こんなことやってられるか」

 

 1問も解けず、遂に須藤がシャーペンを放り投げた。

 その姿に鈴音が怒りのオーラを発していた。

 

「ま、待ってよ須藤くん。もうちょっと頑張ってみよ? 解き方さえわかれば応用できるはずだからテストでも活かせるよ! ねっ?」

 

「……櫛田ちゃんがそう言うなら頑張ってみるけどさ。と言うか櫛田ちゃんが優しく教えてくれたら、もうちょい頑張れるかも」

 

「え、えーと」

 

 桔梗がちらちらと鈴音の方に目を向けるが、鈴音は無言のままだ。

 ちょっとした沈黙が続いたが、意を決したように桔梗はシャーペンを手にした。

 

「ここはね、連立方程式を使った問題なの。さっき海斗くんの答えにするには式がこうなって――」

 

 頭の中で計算を済ませていたオレとは違って、桔梗が1から式を書いていく。

 

「で、答えはこうなるの。わかったかな?」

 

 桔梗は笑顔を浮かべ、二人の方を見る。が、そこはやはりというか何というか。

 

「……? なんでこうなるんだ?」

「うー……」

 

 これが理解している者であれば、桔梗の解説はわかりやすいものだったのかもしれない。しかし、相手は連立方程式すら知らない二人だ。小難しい数式にしか見えないのだろう。

 

「あなたたちを否定するつもりはないけど、あまりに無知蒙昧すぎるわね」

 

 先程まで無言だった鈴音がようやく口にしたのは、そんな煽るような言葉だった。

 

「んだとこら。お前には関係ないだろうが」

 

「そうね。確かに私には関係のないことだわ。あなたたちがどれだけ苦しもうと影響はないから。ただ憐れみを感じるだけよ。さぞ今までの人生、辛いことから逃げ続けてきたのでしょうね」

 

「言いたいこと言いやがって。勉強なんざ人生で役になんか立たないんだよ」

 

「勉強が役に立たない? それは興味深いわね。その根拠が知りたいわ」

 

「こんな問題が解けなくても、俺は苦労しなかったからな。勉強して教科書に齧りついてるくらいなら、バスケでプロ目指した方がよっぽど有意義だ」

 

「それはどうかしらね。こういった問題を解けるようになって初めて、今まで生活にも変化が生まれてくる。つまり勉強していれば今までの生活も苦労しないで済んだ可能性がある。バスケットにしたって同じことが言えるわね。辛いことから逃げてきたんじゃない? 練習だって真面目に取り組んでるようには見えないわ。私が顧問ならレギュラーにはしないわね」

 

「――っっ!」

 

 まさに売り言葉に買い言葉。

 先にキレたのは、健の方だった。

 攻撃力は健の方が高くとも、口撃力は鈴音の方が高かったというわけだな。

 

 健は椅子を吹っ飛ばすほどの勢いで立ち上がり、正面に座っている掘北の胸倉を掴み上げた。

 

「須藤くんっ」

 

 そして、須藤の腕を桔梗が掴んだ。

 清隆も動こうとしていたみたいだったが、それよりも僅かに桔梗の方が動くのが早かった。

 須藤は放っておけば今にも殴りそうな剣幕で鈴音を睨みつけている。

 

 そんな状況であっても、鈴音は冷めた目で言葉を続ける。

 

「私はあなたにはまるで興味はないのだけれど、少し見ていただけでどんな人間かわかるわ。あなたがバスケットでプロを目指すですって? そんな子供みたいに分不相応な夢が叶うとでも思っているのかしら。勉強でさえものの数分で投げ出すような人間は、プロになるなんて夢のまた夢よ。もっとも、仮にプロになれたとしても待っているのは納得の年収がもらえずに投げ出すのは明白だわ。はっきり言ってあなたは愚かな人間よ」

 

「――ッテメェ」

 

 ギリギリと歯を噛み締める音が今にも聞こえてきそうだった。

 よくもまあ、こんな状況でつらつらとそんなセリフが出てくるもんだ。逆に感心してしまった。

 こいつには恐怖心ってものがないのだろうか?

 それにバスケット選手は胸筋や上腕二頭筋にそれらを支える下半身の筋肉が発達してるから、殴られたら非常に痛いだろうな。前に『バスケットボールに必要なトレーニング法』という本で読んだ。

 

「今すぐ勉強をやめ――いいえ、学校をやめてもらえないかしら。そしてバスケットボールのプロ選手なんて甘い夢は捨てて、バイトでもして惨めな生活を送るといいわ」

 

「はっ……やめてやるよんなもん。ただ苦労するばかりじゃねえか。今がねえよ。わざわざバスケの練習休んでまで来てやったってのによ。テメェこそ勉強ばかりして頭でっかちになってろよ。じゃあな」

 

「馬鹿ね。勉強は苦労するものよ。なぜそれがわからないのかしら」

 

 乱暴に教科書をカバンに詰め込み、荒々しく図書館を出ていった。

 

「おい、いいのか?」

 

「構わないわ。やる気のない人間には何をやっても無駄よ。退学が掛かっているというのに、呑気なものね」

 

 さほど真面目に受ける気のなかった勉強会だったが、もう既に崩壊していた。

 健に続いて、春樹も図書館を出ていく。寛治は不満を口にしながらも様子を伺っていたが、とてもじゃないが勉強会を続けられるような雰囲気ではない。

 

「み、皆……本当にいいの……?」

 

 沖谷がそう言うが、もうどうしようもないものはどうにも出来ない。

 ここでオレが何かを言おうものなら、鈴音から口撃を受けてしまいそうだ。それは別に構わないんだが、意味のないことをするつもりはない。

 

「あー、もう滅茶苦茶だな。俺らも帰るか」

 

「オレは図書館で本でも借りてからにするわ」

 

「そっか。じゃあ沖谷行こうぜ」

 

「う、うん……」

 

 寛治に沖谷もまた図書館から出ていった。

 そして、残ったのはオレ、桔梗、清隆、鈴音の4人。

 

「堀北さん……こんなんじゃ誰も一緒に勉強できないよ……?」

 

「それもそうね。私は彼らの赤点を回避するために勉強を教えたとしても、また同じようなことが必ず起きるわ。その度に私が尻拭いをするっていうのは、確かにバカのすることだったわ。失敗ね」

 

「…………」

 

 遂には、あの温厚な桔梗も彼らと同じように不満を口にした。

 だが、しかし。それさえも鈴音はキッパリと切って捨ててしまう。

 取り付く島がないとは、このことだろうな。

 

「ねえ、綾小路くんからも何か……」

 

「特に言えることはないな……」

 

「じ、じゃあ海斗くんは何かないかなっ」

 

 桔梗がオレの方を縋るような目で見てくる。

 

「って言われてもな。特にはねえな」

 

 最初から歩み寄ろうって気がないヤツには、何を言っても無駄な気がするな。

 それこそ考えを変えるようなキッカケがあれば違ってくるかもしれないが。

 

「……仕方ないね。後は私が何とかする。絶対にしてみせる。こんなに早くにみんなとお別れなんて嫌だからね」

 

 おお、なんて健気なんだ。

 こういうのがモテる秘訣なのかねぇ……。

 

「……本気でそう思っているの?」

 

「ダメなのかな? 須藤くんや池くんを見捨てられないって思うのは」

 

「それを本心から言っているのであれば、ね。でも私にはあなたが本気で彼らを救いたいと思っているようには思えないのよ」

 

「……何それ。どうして堀北さんはいつもそうやって敵を作るような発言をしちゃうの? そんなの、私は悲しいよ」

 

 伏し目がちにそう言うが、これ以上は言い争いになってしまうと思ってか、桔梗は笑顔を作って顔を上げた。

 

「……じゃあ、ね。三人とも」

 

 儚げな笑顔一つを残して、桔梗までもが図書館を去っていった。

 こんだけ騒いでしまったせいで、周りの人たちがこちらをじっと見ている。

 図書館はこれ以上ないほどの静寂に包まれていたが、嫌悪感に塗れた視線だけが煩かった。

 

「――ご苦労だったわね。これで勉強会は終わりよ。もう二度とないだろうけれど」

 

「……そうみたいだな」

 

「んじゃオレは本でも借りて帰るわ」

 

 せっかく図書館に来たんだし、何か借りて帰らなければ本に失礼だろう。

 ミステリーコーナーへと向かい、ひよりがオススメこそしていなかったが、会話の中で度々口に出していた本のタイトルを思い出しながら、数冊ほど借りていく。

 

 図書館から出る際、最後まで残っていた二人は何やら勉強を続けていた。

 まあ、あいつらは特別仲がいいからな。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 たまには夜風に当たりながら、本を読むのも悪くはないと思った。

 

 人間が思い出や記憶を思い出す際、それらに関連する情報を見聞きしたり考えることで思い出すことがある。それを連想記憶と呼び、それが思い出すのが困難な記憶でも簡単に思い出すことが出来るのだ。

 

 例えばだが、赤い物を見て想像するのは何だろうか? 

 真っ赤に熟れたトマトであったり、ツルツルのリンゴを想像するかもしれない。もしくは物に限らずに暖かさを感じ取ったり、実際には赤くはないが太陽を想像する人だっているかもしれない。

 

 それらを意図的に行うことで、記憶を思い出しやすくさせることが出来る。

 本を読みながらステーキを食べていた場合、同じようにステーキを食べている時に感じた味などから本の内容を連想してしまう。などといったことが可能で、他にも音楽を聞きながら勉強していた場合にも同じことが言える。その時に聞いていた曲を聞くことで勉強の内容がすんなりと思い出せるといったこともある。

 

 もちろん、必ずしも思い出せるわけではない。その方が思い出しやすいというだけの話で。

 

 だからオレは思うのだ。

 本を読む際も何かを感じながら読むことで、その内容を強く刻み込めるんじゃないかってな。

 

 オレは前にひよりが昼休みに屋上で本を読んでいたら気持ちがよかったという話を思い出しながら、学校の校舎へと入った。

 誰もいない校舎は不気味なほど静かで、廊下を歩く足音が響き渡る。別に怖いわけじゃないが、夜の校舎で足音を無駄に立てるのもどうかと思い、足音を完全に殺し気配も消して歩く。

 

 1階、2階、3階――と上がろうとしたところで、かつんかつんという足音が上から聞こえてきた。これが幽霊の仕業でなければ誰かオレと同じように屋上を目指す者がいるということだろう。

 幽霊じゃないことを祈りながら、屋上へと続いている階段をゆっくりと上がっていく。

 

 屋上の扉はやや開いていて、その先には人の気配があった。そこにいたのは、桔梗の姿。

 

「あ――――――ウザい」

 

 そんな底冷えするような声を放ったのは、間違いなく桔梗の声だ。いつものような温厚そうな感じはどこにもない。それが本来の姿なのかはわからないが、だとすれば中々の隠蔽具合だな。少なくともオレは一度もそんなふうに感じたことはない。

 

「マジでウザい。本当にウザい。――死ねばいいのに」

 

 呪詛でも吐くようにして紡がれる暴言の数々。

 こんな光景を寛治や春樹のヤツが見ちまったら、現実の光景であるかを真っ先に疑うだろうな。

 

「自分が可愛いと思ってお高く止まりやがって。売女みたいな女が勉強勉強ってコンプレックスの発露みたいに連呼しやがって。他人(ひと)を見る前に自分を見やがれっつーの!」

 

 どうやら鈴音に対して暴言を吐いているようだった。

 そこに思うところは特にない。誰が誰に暴言を吐いていようがオレには影響がないからな。

 だがその暴言を吐いている人物があの桔梗ということもあり、オレの中に無駄な好奇心が生まれていた。

 

「――最悪。最悪最悪最悪最悪。ウザいウザい……ほんっっとウザい」

 

 落下防止の柵を相手に殴る蹴るを繰り返し、鉄の響くような音が屋上から階段にまで響き渡った。思ったよりも自分が音を出してしまったことにハッとしたような感じで振り返り――オレと目が合った。それもバッチリと。

「あ」

 

 今は午後6時ごろ。やや薄暗くなっており、おまけにオレは気配を消している。このまま音もなく消え去りさえすれば桔梗はオレに気が付くことはないだろう。間違いなく。

 

 そう思い、オレは――何故か屋上に姿を現していた。

 まさに危機感よりも好奇心が打ち勝ってしまった証拠に他ならない。

 

「……ッ……ここで、何をしてるの……」

 

 オレが現れたことに驚き、僅かな沈黙が生まれた。

 が、すぐさま睨みつけてきた。

 

「ちょっと本をな」

 

「聞いてたの」

 

「聞いてないって言っても信じるようには見えないな」

 

「そう、だね……」

 

 それに構わず、オレはベンチに腰を下ろした。

 桔梗に背を向ける形になるが構わない。

 しかし、桔梗は屋上から見える夕陽を遮るようにしてオレの目の前に立った。

 

「…………今、聞いたこと、見たことを誰かに話したら容赦しないから」

 

「容赦ってどうなるんだ? まさかとは思うがクラスでいじめられたりでもするのか?」

 

「そんなのはしないよ。だけど今ここで私があんたにレイプされそうになったって言いふらしてやる」

 

「嘘だろ?」

 

「でも事実だから」

 

 ここからどう話が転んだら、オレが桔梗をレイプするような事態になるんだ?

 少なくともそんなことをする気はこれっぽっちもない。だが目の前にいる櫛田の表情はまるで嘘を言っているようには見えなかった。

 

 そんなことを思っていると……オレの右手首をそっと掴み、手のひらをもみもみと開かせる。特に抵抗をすることもなく、その手は桔梗の胸へと誘導されていく。

 シャツ越しではあるが、桔梗の豊満な胸の柔らかさが手のひらを通して伝わってきた。

 

「あ?」

 

「――これであんたの指紋はべっとりついたから。証拠もある。私は本気よ」

 

「はぁん」

 

 思わず、なるほどなと感心してしまう。

 これでオレは桔梗の胸を触ったレイプ魔ということか。

 

 オレは腕をそのままにし、ベンチから立ち上がる。

 

「――桔梗」

 

「なに」

 

「お前には、特別にオレのことを教えてやる」

 

 胸を握る手に力を入れ、胸を軽く揉んだ。

 それから逃れるようにして、桔梗が抵抗を見せるがオレの腕はビクともしない。その抵抗する腕を空いている方の腕で掴み、くるっとその場で反転。そのままベンチに押し倒した。

 以前と変わらぬ底冷えした目で睨みつけているが、その瞳の奥は揺らいでいる。表面上でこそ取り繕っているが、確かな恐怖を感じているはずだ。

 抵抗も出来なければ、身じろぎ一つ出来ない状況に。

 

「怖いか?」

 

「……本気、なの?」

 

「オレが今からお前を犯すって言ったらどうする」

 

「――やればいいでしょ。そしたらあんたを警察に突き出すから」

 

 その一言に桔梗は身体を強張らせるが、それでも気丈に振る舞う。

 

「叫んだっていいし、騒いだって構わない。ここに来るまでに確認したが、校舎には誰もいないからな。それに万が一見られたとしてもベンチの影になって見えやしない」

 

 そう言葉を続け、股座に足を挟み込みながら空いている方の手でリボンを解き、シャツのボタンを上から外していく。

 あともう少しで下着が露わになり、胸が見えるだろう。

 

「それにお前は馬鹿正直にレイプされたっていう事実を公表するのか? それでこの三年間を過ごすことが出来るのか、お前に」

 

「…………っ」

 

 互いに顔と顔が近づき、互いの唇が触れそうになり――

 

「――――なんてな。冗談だ」

 

 ぱっと手を離し、その場から立ち上がる。

 

「これを証拠に脅すなら好きにすればいい。警察に突き出すのもお前の自由だ」

 

「…………」

 

「別にオレはお前を陥れようって気はこれっぽっちもない」

 

 仮に言ったとしてもオレの冗談に思われるだろうしな。

 

「それじゃこれに懲りたら人に胸を触らせるようなことをするなよ」

 

「……待って」

 

「まだ何かあんのか?」

 

 立ち去ろうとするオレを桔梗が止める。

 

「馬鹿じゃないの? こんな意味もないことをして、偽善者みたいな忠告なんかしちゃって何様のつもり」

 

「オレ様って冗談はともかくとして。意味はあっただろ。クラスで人気なお前の胸を揉めたんだからな」

 

「ならやればよかった。それにこんな中途半端なことをして後で私に通報されるとは思わないの?」

 

「そうだな。別にそれならそれでいい。それこそお前の自由だ。オレには関係ない」

 

「意味わかんない」

 

 こいつにして見れば意味のわからない行動かもしれないが、オレにとってはそうじゃない。

 いや、誰にも理解はできないのかもしれない。

 ただスリルを感じること自体に意味を見出しているなんてことはな。

 

 もしかしたら、こいつはオレのことを通報するのかもしれない。

 あるいは未遂だからと無罪放免とするのか。

 無罪か、退学か。

 そんなふうにオレの処遇を他者に委ねるのは、ただの退屈凌ぎでしかない。

 

 ……もしかしたら、オレは狂っているのかもしれないな。

 

「とにかく誰にも言わないことに関しては約束するさ」

 

「……腑に落ちないことだらけだけど、ひとまずは信じるよ」

 

「正気か?」

 

「海斗くんのことは計り知れないことがあるけど、これでも私は同い年の中じゃ、一番沢山の人と接点を結んできた自信がある。それこそくだらない人間から、信じられないくらい善人な人とかね」

 

「いや、その目腐ってんじゃね?」

 

 思わず口を突いて出てきた言葉だったが、めっちゃ睨まれた。

 

「それが私の信じる理由。海斗くんは人とどこか一線を置いてるでしょ?」

 

「そんなつもりはないけどな」

 

「自分から誰かに話掛けるってこと一ヶ月の間してこなかったでしょ?」

 

 本当にそんなつもりはこれっぽっちもなかったのだが、よくよく思い出してみると確かにオレから話しかけたことはなかったかもしれん。

 

「そういう理由で人に話したりしない。そう、思ったから」

 

「だからってオレがしたことを許せるのか?」

 

「……それは許せないから一回で許してあげる」

 

「一回?」

 

 何が一回なのかと思っていたら、気合の入った声と共に足を振り上げていた。

 直後、激痛が全身に奔る。

 

「この痴漢野郎!」

 

「――ぐ、っぉ……ぉおお……!」

 

 男の急所に桔梗の膝蹴りがクリーンヒット。

 全身の至る箇所から冷や汗のようなものがぶわっと吹き出てきた。

 じ、実にいい蹴りだ……。

 

 こればっかりは普通に身体を鍛えても強化されるような場所ではないため、女のそれもひ弱な蹴りであっても綺麗に入れば簡単にダメージとなる。

 確か中国の方に鉄股功という金玉を鍛える技があるって話を聞いたことがある。

 

 オレも鍛えておけばよかったぜ……。

 

「お、お前……オレが不能になったらどうしてくれるんだ」

 

「その時は性欲が減って仙人になれるかも?」

 

「そんなんで仙人になれて堪るか!」

 

 軽く深呼吸を行い、痛みが徐々に引いていく。

 

「じゃ帰ろっか」

 

「ところでどっちが素なんだ?」

 

「さあ、海斗くんはどっちだと思う?」

 

「別にどっちでもいいけどな」

 

「ふぅん……」

 

「どっちでもお前だっていう事実は変わらねぇよ」

 

 桔梗はあっさりといつもの表情、いつもの口調、いつもの雰囲気に戻った。

 まるで先程までの桔梗など最初から存在していなかったかのように。

 実に見事な変わり身の早さだ。

 

 …………そういや何をしに屋上に来たんだったか。

 そう思いながら、オレは桔梗と共に屋上を後にしたのだった。

 




海斗の破滅願望のようなものを表現しようとしたのですが、非常に難しい
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