第18話 彼女の独白 佐倉愛里の場合
人間は群れを形成しなければ、生きていくことはとても難しい。
孤独が人を強くするという言葉もあるが、実際には人との繋がりは必要不可欠だ。
とにかくそういうものなのだ。
私がその繋がりを疎ましく思ったのは、いつの頃だろうか。
今となってはわからない。それでも、この想いは変わらない。
人と触れ合うのが苦手だし、人の目を見て話すのも苦手だし、集団というグループの中で何かしらの発言を行うのが苦手だ。
そんな自分に嫌気が差すし、それを改善しようとするのだって楽じゃない。自分勝手な我儘かもしれないが、自分を変えるというのは、それほどに難しいことなのだ。それは昨日今日で変われるようなものなんかじゃない。
そう気が付いた時、私は"私"に偽りの仮面を被せていたのだった。
本当の自分とは違う私。だけど、それは私で――私の中に浸ることができる唯一の世界。
真っ暗で、何もなくて、虚しくて、寂しいけれど……間違いなく、私だけの世界がそこにはあった。
でも、本当の私は綺麗な世界を望んでいる。
綺麗な世界が本当は存在しないこと知っているけれど、それでも私は綺麗な世界を心の底から望んでいるのだ。
そこに生まれる矛盾がある限り、私の世界が変わることはないだろう。
だから、だから――誰か本当の私を自分の上に被せた仮面の上から見破ってほしい、と。
酷く利己的で、他人任せで、愚かな考え。
そんなことは不可能なのだと、私が一番わかっている。
けれど、それでも、願わずにはいられないのだ。
私は、一人でも大丈夫――。
私は、孤独でも大丈夫――。
私は――――
今日も一人、私は私という仮面を被って生きていく――。
§ § §
それは、最悪のタイミングだった。
自撮りをするため、それに適した場所を探していたタイミングで見てしまったのは、暴力事件の現場。
慌てて隠れるも既に遅く、刻一刻と事態は悪化していく一方だ。彼らが去っていかない限り、私はここを動くことができないでいた。
事の発端は数分前のこと。最初こそ些細な言い合いだったが、段々とそれは激化していき、最終的には殴り合いの喧嘩に発展してしまったのだ。身じろぎ一つでも見せれば、私が巻き込まれかねない事態だった。
もっとも、殴り合いというのは正確じゃない。
正確に言うのであれば、それはあまりにも一方的な暴力だ。
床に倒れ伏すのは、3人の男子生徒。それを見下ろし、息を荒げる赤髪の男子生徒。その後ろにはもう一人の男子生徒が特に気にするでもなく立っている。
赤髪の彼は私と同じDクラスの須藤くんだ。接点はまるでないが、クラスの問題児として有名であるため顔は覚えていた。そして、もう一人の男子生徒の名前は朝霧くん。こちらも須藤くん同様にほとんど接点はないが、前に一度だけ言葉を交わしたことがあるという程度のもの。あちらからしてみれば、空気同然の私のことなんて覚えてはいないだろう。
殴ったであろう右手は血で赤く滲んでおり、とても痛そうに見える。私の人生において、初めて見た本気の喧嘩がそこにはあった。
昔、小学生時代の頃に男の子が喧嘩をしている姿を見たことは何度もあるにはあったが、これに比べれば何と可愛いことか。それほどまでに場の空気が重く、鋭かった。対面していない私でさえそう感じているのだから、相手の生徒はもっと強烈なプレッシャーを味わっているに違いない。
私は早鐘を打つ心臓の鼓動を必死に抑えながら、その情景を必死に無我夢中でレンズに捉えようとしていた。シャッターの音は無音のため響かないが、心の中で消音ながらもシャッターが切ったような感覚が伝わってくる。その感覚で僅かに冷静さを取り戻したが、頭は依然としてぐるぐると回ったまま。パニックに陥っているのだけは理解できる。落ち着かなきゃ……。
そうして、再び彼らに目をやる。
「はぁっ、へへっ……んなことしてよぉ、タダで済むと思ってんのかぁ? 須藤ぅ!」
辛うじて、意識があった男子生徒の一人が声を上げる。
息を切らしながらも、焦燥感でいっぱいの顔はとても痛そうに見えた。
「笑ってんなよ。お前らは3人がかりでそのザマだろうが。ダセェって思わねえのかよ。これに懲りたらもう二度と関わってくんな。次はもっと痛い目を見せてやる」
床に伏している生徒の胸倉を掴み上げ、須藤くんは強引に顔を近づける。目と目が触れるか触れないかの距離。通常時であれば別の意味にも取れたかもしれないが、今は恐怖でしかなかった。
それは掴み上げられた生徒も同じだったのか、がっくりとさせながら目を逸らす。
「はんっ、この程度でビビりやがって。そもそも人数がいれば勝てるって考えの時点でお前らの負けなんだよ。行こうぜ、朝霧」
ふんっ、と吐き捨ててからボストンバッグを肩に掛ける。
既に満身創痍といった感じの彼らには興味もないのか、踵を返した。
瞬間、ぶわっと汗が出てきた。心臓も二割増しで動いている。
なぜなら、須藤くんと朝霧くんが私の方に向かって歩き出したからだ。当たり前だが、私がいる特別練はそう広い場所じゃない。そうなれば必然的に出る場所は限られてくる。そして、そのうちの一つが私側の階段を通るルート。まるで金縛りにでも遭ったかのように身体が動かずにいた。
もう、ダメだ……見つかってしまう。
「ったく、時間をムダにしたぜ。人がせっかく気持ちよくダチとバスケをしてたってのによ」
あともう少し、ほんの僅か数メートルの距離。
全身を必死で縮こまらせ、呼吸を抑えて、気配を消す。
はやく、はやく……。
「……後で後悔するのはおまえだぜ。須藤、朝霧」
名前の知らぬ男子生徒が、須藤くんたちを不穏な言葉で引き留める。
「負け犬がよく言うぜ。お前ら程度が何人群れたって勝てやしねーよ」
その言葉には力があった。
弱者のそれではなく、強者ゆえの言葉。
それは先程の行動で示したばかりだ。人数差があるにも関わらず、無傷で相手を倒してしまったのだから。
汗だくになったシャツの隙間から汗が滴った。
バレないように深呼吸を繰り返し、ゆっくりと冷静になっていく頭でその場からの脱出を決意する。
……ここでバレてしまえば、私の今までの努力が水の泡だ。
それだけは嫌だ……。
彼らの目線を読み、音を立てず、迅速にその場を動き出そうとする。
しかし、その行動に一つだけ致命的な問題があったとすれば、朝霧くんの視線だけがまるで読めなかったことだろう。
孤独に生きてきたおかげで、私は人の視線には敏感だった。誰がどこを見ているのかが容易に見て取れたし、僅かな動きだけで何をしようとしているのかを察するといったことができる。
そのおかげで私は人を避け、空気を演じることが出来ていたのだ。
なのに、彼の視線は読めない。見ている場所はわかるのに、何故かそこ以外のところを視ている。
ダメだ。これ以上はバレてしまう。
私は意を決して、その場から脱出した。
立ち去る一瞬、ほんの一瞬だけど――朝霧くんと目があった。
それは本当に一瞬のことだった。まるで何も見なかったとでも言うかのように目を逸らされたが、間違いなく彼は私を視界に捉えていた。
たぶん、その時には既に私は――
だいたい、原作と一緒の筋書きです。