ポケットモンスター虹 ― Where is Justice ― 作:入江末吉
カリカリ、カリカリ。
コンクリートの上を鉄が滑る。切っ先が放つは線香花火が如き炎の煌めき。その鉄は平たく、波打つ波紋の意匠が滴る水を思わせる。
尤も、その鉄が纏う液体は紅く、路地裏の暗い光を受けてぬらぬらと気色の悪い輝きを放っていた。
「お~まわりさんは、弱虫だ~」
俗に言う、"刀"を得物とするその男は刀身を染める紅の本来の持ち主を睥睨しながら歌を口ずさんだ。
それは歌と呼ぶにはあまりにもおどろおどろしいもので、喉から出たその音を放出する口は三日月の形に歪んでいる。
「まぁ、
切っ先の鈍色が弧を描いて、男の頭上へ掲げられた。眼下に横たわる権力の犬は怯えた目で、最期にその鈍色を目に焼き付けた。
ぐしゃり、と潰れたマトマの実がその中身をぶちまけるように、今までPGの職員だった肉の塊から頭部がゴトリと音を立てて血の海へ沈む。
返り血が男の顔を隠す鬼の面へと降り掛かる。それに嫌悪感を抱くでもなく、男は満足げに微笑んだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「うわぁぁぁぁ!! 間に合った!!」
まるで映画のように扉を蹴破って受け身を取るのはこの度昇進し、巡査から巡査長になり胸の階級章に"ほしのかけら"が一つ増えたエイミー。
アクションスターさながらの出勤を横目に、快活に笑う中年太りの壮年男性。
「いいや、三秒遅刻だぞコールソン」
「そんなぁ! 道に迷ったお婆ちゃんがいたので庁舎まで送ってきたんです! 大目に見てくださいよおやっさん~!」
「お、善行結構。じゃあ今日の遅刻は見逃してやる、コーヒーいるか?」
「いただきます! ミルクと砂糖はマシマシで!!」
昇進しても中身はまだ
カップに角砂糖を放り込み、ミルクで薄めるとカップを唇に近づけるエイミー。熱いコーヒーだったそれを口に流し込む寸前、異変に気づく。
「あれ、アシュリーさんはどうしたんです? まさかアシュリーさんが遅刻ッ!?」
エイミーが声を裏返らせると、一課の中で笑いが起きる。それに答えたのは今より数時間前には既にこの場所にいたアストンだった。
「アシュリーなら、今日は
「あっ、ラジエスでの連続通り魔事件、でしたっけ?」
「上層部がポケモン協会に捜査協力を依頼してね、アシュリーが出向してるんだ。本当ならボクもついていきたかったところだけど」
「奴さんを推薦したのァ俺だ。お前ら二人と違ってまだどっか
ギリアムがカッカと笑いながら言った瞬間、エイミーとアストンの両方が異なる色のコーヒーを噴き出した。両者に挟まれ二色のコーヒーを浴びたギリアムが一層笑いを誘う。
「なっ、なんでこと言うんですかーッ!!!! 外で揉まれてこいってセクハラですよおやっさん!! 本部長みたい!!」
「バカタレ、そう言う意味で言ったんじゃない……あーもう、シャツに染みが出来ちまうだろ」
顔をマトマ色にしながら怒るエイミーにげんなりとした表情で訂正を促すギリアム。アストンが濡れた布巾を差し出す、恐らく謝罪の意味もあるのだろう。
「お前さんがそういう反応するのは珍しいなぁ、えぇ? アストンよぅ」
「気の所為では? 偶然器官に入り込んでしまっただけですよ」
「それも含めて、珍しいよなぁ」
意地の悪い笑み、だがそれでいて悪戯小僧程度にしか思えない笑みを浮かべるギリアムに、アストンもするりと躱してみせる。
このやり取りにも慣れたものだ、アストンたちがそろそろ一課に配属されて一年。ポケモンバイヤーや悪の組織『ネクスシャドー』との戦いを経て、彼らも大人へ成長している。
若い集団を見ながら、ギリアムはそう思っていた。
願わくば彼らも、背に持つ翼を広げてさらに高いところへ飛んでいけるように。
「──おやっさん、管内で殺しです」
その平穏は、いとも容易く砕かれた。ギリアムとアストンの顔が即座に切り替わり、肌寒くなった外に合わせてコートを羽織る。
今まで、機会が無かったわけではない。当然この職業についていれば、殺人事件の捜査を行うときだってあった。
だがエイミーにとって、殺人事件とはまだどこか違う世界の出来事で、反応が遅れてしまった。
「コールソン、ボーッとしてねぇで支度しろ」
「ぁ……は、はい!」
和やかな雰囲気はどこへやら、既に歴戦の刑事と早変わりしたギリアムがピシャリと言い放った。慌ててカップの中身を空にしたエイミーが同じように外出用の上着に袖を通す。
ギリアムの運転する車が現場へ到着したのはそれから十分もしなかった。『KEEP OUT』と『立入禁止』の文字が街の一角を封鎖するように踊っていた。
「ご苦労さん」
「お疲れさまです」
立ち入りを制限している警察官に会釈をしてテープの中を潜っていくギリアムとアストン、遅れてやってきたエイミーにギリアムは背中を向けたまま言った。
「コールソン、お前さんはそこで待機だ。誰も入らないよう見張ってろ」
「そ、そんな! おやっさん、私だって──」
捜査に参加します、そう言いかけた口を閉ざさせたのはブルーシートの奥から漂う強烈な死臭だった。血と脂の臭いが、エイミーの鼻腔を容赦なく通り魔のように襲い、何処かへ立ち去った。
足が震えた、越えて良いはずの立入禁止のテープを潜る勇気が出なかった。
「わ、かりました……」
ブルーシートの奥に消えていく上司と同僚を見送るしか出来ない。エイミーは胸元で輝く二つのほしのかけらに嘲笑われているがした。
ギリアムとアストンは白い手袋を身に着け、鑑識がひっきりなしに言ったり来たりする現場へ踏み入った。
薄暗い路地に一筋、血の河川が見えた瞬間だった。アストンは人だったモノを目撃した。壁にももたれ掛かり、恐怖の形相を固定したまま動かなくなっている被害者に手を合わせるアストン。ギリアムが好むホウエン地方の警察組織が現場で行う儀式のようなものだ。死者のこれからの安寧を手を合わせて祈るそうだ、アストンも右に倣い手を合わせて目を閉じた。
しかしギリアムは手を離すと即座にコートの内側からタバコを取り出し、火をつけて口に咥えた。その些細な行動にアストンが首を傾げた。
血の河川は続いている、先に進めば進むほど太く大きくなっていき、やがて
「これは……」
「どちらも鋭利な刃物で滅多斬りにされています。刺し傷はいずれも貫通しており、刃渡りは少なくとも三〇センチ以上はあるかと……」
鑑識の見立てを聞いてアストンが思案する。犯人の凶器は確かに気になる、捜査をする上で恐らく必要な情報になる。
だがそれ以上に気になったのは、被害者だ。
「二人共、PGの職員か……」
「えぇ、どちらも機動部の若手で有望株だったそうです。それがこんな簡単に……」
鑑識員の憐れみの視線、アストンは現場に残されたものを調べてみることにした。足元の血はもう全て乾いており、手袋で触れても血が付着するということはなかった。
「血液の凝固性を鑑みても、殺されたのは恐らく昨夜の二二時頃か……ところでギリアムさん」
「……なんだ」
壁にもたれている方の被害者を調べながらアストンがギリアムを呼び止めた。タバコから口を離し、ギリアムが返事をした瞬間だった。
「──犯人に心当たり、ありますね?」
「……どうして、そう思う?」
「ギリアムさんほどの現場歴を持つ人が、鑑識がまだ調べている最中の現場でタバコを吸うなんておかしいと思ったからです。まるで「調べるまでもなく、犯人に目星がついている」ようだと思ったんです、違いますか?」
アストンがそう言うと、短くなったタバコの先端が灰になってはらりと落ちる。ギリアムはというと短くなったタバコを落として踏み潰して消火すると乾いた笑いを漏らした。
「お前さん、刑事やめても探偵で食ってけるな、俺が保証してやる」
「やっぱり。誰なんです、こんなことをする犯人というのは」
「────"鬼"だよ」
鬼? とアストンが聞き返す間もなかった。鑑識員はその言葉に覚えがあったのか、震えながら言った。
「鬼って、あの……"
「ああそうだ、そのチンケな二つ名は初耳だがな。もう十年以上前になるか、PGだけを狙った大量殺人事件、今では『百鬼夜行』なんて呼ばれちゃいるが……俺ぁかれこれずっとそいつを追ってる」
そう話すギリアムの目はアストンも見たことがないほど冷ややかだった。口元に運ばれた指にもうタバコは摘まれていない。
「あの野郎、また姿を現しやがったな……今度こそ逃さねえ」
アストンは悟った。鬼は、こちら側にもいたのだ。絶対に凶悪犯を逃さない、正義の鬼が。
ポツリ、ポツリとブルーシートに降り注ぎ始めた雨は、思えばこれから起きる惨劇を嘆いての、天の涙だったのだと思わざるを得なかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
翌日、出勤したエイミーが目撃したのはデスクの上の資料の山とにらめっこしているギリアムだった。いつでも余裕を持って構えていたギリアムの真剣すぎる眼差しに、エイミーは声をかけることが出来なかった。
「おはよう、エイミー」
「アストンさん、おはようございます……」
「落ち着いたら、ちょっといいかな」
そう言ってアストンが指で来いと指示する。エイミーは荷物を自分の席に置くと、アストンの後ろについて資料室へ向かった。
アストンは昨日の事件現場の情報をかいつまんでエイミーに教えた。ショッキングな写真を見せるのは些か気が引けたが、情報の共有を拒んでいては捜査に支障が出る。エイミーも覚悟の上で、現場の情報を取り入れた。
「ギリアムさんの話では、犯人は十数年前の『百鬼夜行』と同一、らしい」
「私、あんなおやっさん初めて見ました……」
「ボクだってそうさ。それでボクなりに調べてみたんだ、ギリアムさんをね」
資料室のテーブルに広がっているのは、あらゆる事件の調書だった。アストンは一晩でギリアムが担当した事件の中で、PG職員が被害者のものを全て洗い出したのだ。
そして分かった事実が一つあった。それは残酷な真実で、気づいた今ではある意味当然とも言えた。
「ギリアムさんの部下が、少なくとも二十人以上がこの"赤鬼"に殺されている」
長くPGを続けているギリアムは、組織を構成する血とも呼べる警察官の多くを部下として排出している。それらをむざむざと殺されれば、当然この赤鬼に執着もするだろう。
「ラフエル全土でPGを襲い続けているこの赤鬼が、紛れもなく今このペガスシティにいるというなら、きっとギリアムさんは動くよ」
「……どうしてアストンさんはこの話を私にするんですか?」
「ただの情報共有だよ。ギリアムさんをフォローする同士、情報の齟齬は無くしておきたいしね」
エイミーはテーブルの上に広がる資料を手に取り、穴が空くほど観察する。
凶器は恐らく刀剣の類、背格好は目撃情報から一七〇後半、犯行の目的は依然不明。しかし被害者が全てPG職員であるため、私怨の線は薄い。
羅列された情報を見るたび、エイミーはギリアムの気持ちを察してしまった。
「ここにいたか」
だから、頭上から声を掛けられて飛び上がるほどに驚いてしまった。見上げるとギリアムが上階から身を乗り出していた。
「聞き込みだ、外出るぞ。それと、今回の捜査は……武装指示が出ている」
武装所持、犯人を捕らえるポケモンだけではなく自身を守るための武器を持てという指示に、エイミーはやはり気後れせずにはいられなかった。
「アストン、お前もだ」
「すみません、ボクは資料を片付けてから合流します」
「そうか、あんま遅くなるんじゃないぞ。お前みたいに腕のある奴だろうと殺されちまうのが、赤鬼だ。出来るだけ、一人の時間は作るな」
わかりました、と小さく返事をしたアストン。彼が気がかりだったのは連続通り魔事件の捜査で出向しているアシュリーのことだった。
仮に、もしラジエスの事件がこの赤鬼の事件と無関係で無かったのなら、そう思うと顔には出さないもののアストンは気が気でなかった。
ギリアムとエイミーは保管庫へ向かった。ギリアムが何重もの鍵を開けてようやく出てくるのは感情のない殺意。
手のひらに収まるそれは簡単に人を、生物を終わらせることが出来る。弾倉に弾が装填されていることを確認し、ギリアムがそれをホルスターへと収めた。
「お前さんには、なるたけこういうの持たせたくないんだがな」
片手でぽん、と渡された拳銃がまるで岩石かなにかのように重たくエイミーの両手にのしかかった。これが殺意の重さなんだと、エイミーは震える手で弾倉を確認する。
危ない手付きでマニュアル通りセーフティの確認をする。射撃訓練だってこなしているはずなのに、いざ使うかもしれない機会に迫られると今までやってきた訓練などなんの意味ももたらさなかったとエイミーは後悔した。
「おやっさん、やっぱり私──」
「ダメだ、持ってろ」
「無理です……絶対、絶対絶対、撃てません」
しまってくれ、とばかりに突き返すエイミーだったが、ギリアムは突っぱねた。ダメだ、の一点張りだった。
「これは人を殺す道具じゃあない、お前が身を守るためのものだ。勘違いしなきゃいいだけだ」
「そんな簡単には、割り切れません……」
「それでいいさ。たまにゃ、お前さんみたいに優しい奴がいたって」
エイミーの肩に手を置き、上着内側のホルスターに拳銃を無理やり押し込めたギリアム。普段なら上着の内側に手を入れるなど言語道断だが、この時ばかりはエイミーもギリアムを咎める気にならなかった。
結局アストンはもう少し時間がかかりそうだと判断したため、ギリアムとエイミーは二人で外へ出ることにした。
まずは聞き込みだ、周辺で目撃情報を探さねば雲をつかむ話になってしまう。事件現場のあった周辺の防犯カメラを当たることにした、のだが。
「鑑識の話では、周辺のカメラは全て破壊されていたみたいです。それも、基部からスッパリと……」
実際に現場を見て、よく分かった。監視カメラがあったと思しき場所は見事に切り裂かれていた。とても人間業ではない、鋭い切れ味の器官を持つポケモンでも連れていない限りは出来そうにない。
それは殺しに加担するポケモンがいるという事実を突きつけていた。当然、悪事に手を染めるトレーナーの援護をするポケモンも存在する。
だが、殺しという禁断を犯すポケモンが存在してしまうという事実は、何度向き合っても嘘であってほしいと思った。
ギリアムとエイミーが次に向かったのは事件現場から近くの骨董品店だった。エイミーはなぜこんなところに来るのか、疑問で首を傾げた。
「いらっしゃい、ご用件は?」
「『砂糖と蜜、より甘いのは?』」
今にも眠りそうな顔の老店主の問いかけに、問いかけで返すギリアム。すると老店主はコクリと頷き、テーブルの裏側に手を潜り込ませた。
カチリ、となにかを押すような音がエイミーには聞こえた。直後、店主の後ろにある皿が飾られている棚がまるで扉のように開いた。
「どうぞ」
「な、なんですかここは!」
ギリアムは答えずに扉の奥にある階段を下っていく。慌てて追いかけるエイミーが見たのは、骨董品店とは思えないほどの精密機械で溢れた空間だった。
その空間の中心に、その女はいた。タンクトップにホットパンツ、ボサボサに伸び切り手入れの一切されていない髪と眠たげな顔。そして目を引くのは、彼女の前に存在するパッと見いくつあるかわからないモニターの数々だった。
「ん~? あぁ、ギリアム警部じゃないか。いらっしゃい、今日の要件は?」
その女は振り返らずに言った。確認もせずに、来客がギリアムであると言い当てた。エスパーか、とエイミーが思った瞬間それは否定された。
彼女の目の前にあるモニターが移り変わり、そこにはギリアムとエイミーが写っていたからだ。
「覚えとけコールソン、こいつは情報屋『ウォッチャー』、ペガスシティはある意味こいつの庭だ」
「こんなに広い庭はいらないよ」
振り返った女──ウォッチャーは薄ら笑いを浮かべていた。周囲に食べ終えたまま片付けていない食器類さえなければミステリアスな女性で通っただろうが、残念ながらプロの引き篭もりにしか見えなかった。
「ペガスシティのありとあらゆる場所に監視カメラを仕掛けて、ブロックごとに監視している。目撃証言が得られなかった時なんかは、こいつの目が頼りになる」
「ふふん、それほどでもあるさ。それで、警部殿がここへ来たということはまた手詰まりかな?」
「あぁ、ちょいと一昨日の夜を探ってくれ。時間帯は深夜だ、頼めるか?」
「了解した、報酬はいつも通り頼むよ」
ウォッチャーが目の前のキーボードを叩いてエンターキーを力強くタップすると、目の前のモニタ郡が一斉に同じ画面を表示しだす。さらにそのうち半分を今映ってる反対側から映したであろう画面に切り替える。
「ほい、これでこの空間に死角はないよ。人が来ればどこかしらに映る、それで今回のターゲットは」
「……赤鬼だ、お前さんにも因縁深い相手だろ」
「そうだね、それを先に言ってくれて助かった。報酬以上の仕事を約束しよう」
「よろしく頼む」
それだけを言い残して、ギリアムは骨董品店を後にした。慌ててついてきたエイミーが声を上ずらせながら言った。
「あ、あれ違法捜査じゃないんですか!? 経費じゃ絶対落ちませんよ!?」
「いいんだよ、俺のポケットマネーから出てんだから。それに奴さんの手を借りるのは緊急時とよっぽどの難事件だけだ」
それに、とだけ付け加えてからギリアムは一旦タバコに火をつけた。一服し、もくもくとした煙を吐き出してから続きを話し出す。
「あの娘の親父さんも昔
「可能性、ってことは確証は無いってことですか?」
「あぁ、目撃証言が得られなかったからだ。だからあの子はウォッチャーになった。街中に監視カメラを仕掛け、情報を金で売るようにな」
だから赤鬼逮捕は、ウォッチャーにとっても悲願である。故にギリアムは彼女から情報を買い、赤鬼を追い詰めようとしている。
そして殺人事件が起きた現場がカメラに丸ごと映っているのなら、今まで"赤鬼"としか言いようのなかった犯人の姿が明らかになる。
エイミーは目を伏せた。十年近く、裏社会とも呼べるような環境で生きてきた
「次は、そうさな……もういっぺん、現場に戻ってみるか」
小さくなったタバコを携帯灰皿に押し込み、車に乗り込んだギリアムとエイミー。車が走り出した直後、エイミーは窓から空を窺った。
というのも、先程まで空は雲を含んでこそいたが晴れだった。なのに今はゴロゴロと、機嫌が悪そうな音を発している。
「洗濯物、干しっぱなしなんですよね」
「余裕が戻ってきたな、洗濯物の心配たぁ」
ハハハ、と快活に笑うギリアムはいつもどおりだった。それを見て、遅れながらエイミーはホッとした。
怖い顔のギリアムは何度も見たことがあるが、ここまで張り詰めた空気を放つギリアムは初めて見たからだ。
そうこうしている内に、車は再び隔離された事件現場へと戻ってきた。だが、どういうわけか見張りをしているはずの巡査たちの姿が見当たらなかった。昼食休憩と言ってもローテーションで見張り番は交代になるため、誰かは立っているはずなのだ。
「なんだなんだ、サボりかぁ?」
車から降りたギリアムがボヤいた瞬間だった。
まるで、果物をすごい勢いで潰したかのように、ブルーシートに内側から
「──ッ!」
「お、おやっさ……おやっさん、あれ!!」
「わかってら、でけぇ声出すんじゃあねぇ……」
エイミーが震える手でブルーシートを指す。重力に従って垂れ下がる赤が肝を冷やす。
青い顔をしながら立ち尽くすエイミーを追い越し、ギリアムがその肩を掴み先にブルーシートを捲りあげた。
結論から言えば、まさに昨日声を掛け労った巡査が目を見開いたまま、命を終わらせていた。
その肩口から腰にかけてを、鋭利な刃物でバッサリと切り裂かれた姿で。
命は終わっていた。
「や、やぁ……こんなの、って……」
信じられないものを見るような目でエイミーが譫言のように呟いた。ギリアムは帰らぬ人となった巡査の躯を跨いで、路地裏へと歩を進めた。
そして見たのだ、東洋の地方にルーツを持つ"キモノ"と呼ばれる民族衣装に身を包んだ、鬼を。
「────おや、入れ食いだねぇ。次々掛かる」
間違いない、こいつが赤鬼だとギリアムは直感した。むしろ今まで被害者は死の間際に、見たものを見たままに伝え遺していたのだ。
半分に割れた血染めの、同じく東洋に通じるポケモンとは異なる魔物"オニ"の面を被り薄ら笑いを浮かべるこいつこそが、
「この十数年間、お前さんをずぅっと探していたぜ」
「そこまで熱烈なファナティックだとは、俺も有名人かな」
「ほざいてろ、殺人鬼が」
「最高の褒め言葉さ」
ギリアムはモンスターボールに手をかけるまでもなく、胸元のホルスターから拳銃を引き抜こうとし、
「──ばぁ!」
瞬きの隙、眼前に迫っていた赤鬼を見て半身を逸した。瞬間、コンクリートを裂きながら切り上がる刀がギリアムのコートの裾を切り裂いた。
スイッチを切り替えたギリアムは即座にセーフティを解除、撃鉄を起こし引き金を引いた。真黒い殺意から二発、弾丸がひり出される。
この至近距離、拳銃の弾を避けられる道理もない。犯人を捕まえるのが警察の仕事だが、ことS級の犯罪者にその道理が通じるはずもない。
なぜなら、身柄の確保に当たって
が、赤鬼は一発目の弾丸を身を屈めて回避。二発目をその手に持つ得物でなんと切り裂いてしまった。
カランカラン、薬莢が転がるのと切り裂かれ二つに裂かれた弾丸がコロコロと地面に落ちるのはほぼ同時だった。
「おやっさん!?」
「来るんじゃねえ! 無線で応援を呼べ……! いいな!!」
ギリアムの怒号にも似た制止が、エイミーの身体をその場に踏み留めた。
「外にも誰かいるのかい、本当に入れ食いだ」
「ッ、だらぁっ!!」
赤鬼の意識が外へ向かった隙にギリアムは赤鬼が得物を持つ右手と胸ぐらを掴み、勢いのままに背負、投げ飛ばす。
しかし投げ飛ばされた赤鬼はまるで身軽なポケモンの如く、空中でくるりと体勢を入れ替えて着地した。
「鉄砲の弾ァ、避けやがるなんざマジでバケモンか、手前は」
「生憎、その手の手合とばっか死合ってきたもんでね、弾速と弾道は手に取るように分かるのさ」
「なるほど、勤勉な野郎だ。クソッタレめ」
ギリアムは拳銃の口を赤鬼へ向けたままボヤく。立ち上がり裾の汚れを叩く赤鬼が「あぁ」と声を上げた。
「自己紹介がまだだったね、といってもあなたは俺のことを知っているようだし、名前だけでも」
刀を肩口に引き絞りながら、赤鬼は微笑う。
「俺の名前は、テンヨウ。見たところ腕が立つようですし、手合わせいただきたい」
頼むからポケモンバトルをしてくれ