俺はようやく、安堵の息を吐いた。
「……やれやれ。危ないところだったな」
とはいえ、レイチェルはまだ自分の足で立って歩くことはできないらしい。俺に身体を預けたままでぐったりして……まさか、気絶してるわけじゃないだろうな?
「レイチェル?」
「はっ、はひ……ま、まさかあんな怪物がいるとは思わなくて、腰が抜けて……た、助けてくださって、どうもありがとうございましただ……」
「まあ、たまたま近くにいたからな……」
他の三人は俺の忠告に素直に従って、かなり奥に行ってしまったらしい。俺は彼女たちに追いつくべく、レイチェルに肩を貸したまま、奥に進んだ。
ぐおおぉう……。
奥からドラゴンパピーの声が聞こえた。まさかみんな、あっち側に行ったんじゃないだろうな? ……そういえば、どっちに竜の巣があるか言ってなかった。
「ギャ――――ス!」
何度目かわからないくらい聞いたマリオンの絶叫がまたもこだまして、ばたばたと複数の足音が近付いてきた。何かあったに違いないとは思うが、レイチェルに肩を貸している俺は走ることができない。
「ド、ド、ド、ドラゴンにゃあーっ!」
三人が大慌てで走ってくるのが、ようやく見えた。竜の巣の方に行っていたらしい。まあ、今はあの巨大なドラゴンはいないはずだし、そう慌てることもない……
……と思ったのもつかの間。
赤いウロコの生き物が三人を追いかけているのが見えた。
ドラゴンパピーに追われてる!
た、確かにあいつの大きさなら、こっちの方まで入ってこられるだろうが……
何でこんな、唸り声を上げて追ってきてるんだ!?
「な、何したんだお前らーっ!!」
「マリオンがー!! マリオンがドラゴンの尻尾を踏んづけてーっ!!」
「あたしじゃないにゃあー!! ソフィーにゃあー!! ソフィーがやったのにゃあーっ!!」
「人に責任転嫁するのもいい加減にしろよ!?」
ああ、こりゃマリオンがやらかしたんだろうな。……なんて、のんびりはできない!
「こっちだ! こっちの奥に扉が見える!!」
ドラゴンの巣とは違う方向。奥を照らせば、一枚の扉があった。
俺はレイチェルを完全に背負って、俺なりの全力でそこまで進んだ。……走った、と言えないのがきつい。
とにかく、扉は、ぐっと体重を掛けたら奥に向かって開いた。
そういえば罠があるかもしれないんだった。でももう開けちまったぞ、畜生。特に何もなかったみたいなのが幸いだ。
俺はレイチェルを手近な床に降ろすと、扉に飛びついた。
「早くっ! 急げ急げ!!」
まず真っ先にマリオンが飛び込んできた。
次にアメリア、そしてソフィー!!
ドラゴンパピーはまだ少しだけ離れてる!!
「閉めるぞっ! 手伝えっ! ――アメリアッ!! そこの木の棒を持ってきてくれ!! かんぬきだ!!」
俺はソフィーと一緒に扉を思いっきり閉めた。
ドラゴンパピーがその扉に体当たりしてきて、俺たちはガツンとした衝撃を受けた。
くそっ、こいつはヘヴィだぜ!
だが、耐えた!! 俺たちの力というより、扉が金属製なのが助かった!!
アメリアは俺の指示通り近くにあった角材を持って走ってきた。
そして、二人がかりで押さえている扉の留め金に、上からガコンと差し込んだ。
向こう側からはもう一度、ガンッ!! と体当たり。
だが、かんぬきを掛けたのが功を奏したのか、扉は破られない。
ぐるるるるるう……。
口惜しいとばかりの唸り声をあげて、ドラゴンパピーが離れていく気配があった。
それでも、その気配が完全に行ってしまうまで、油断はできない。
ああ、この緊張で、心臓が早鐘のように鳴っている。
今にも口から飛び出していきそうなくらいに、胸の中で暴れている。
俺はそれを無理に呑み込んだ。
――自分の鼓動を、三百ほども数えてから……
足音も聞こえなくなり、俺たちはようやく、顔を見合わせて安堵の息を吐いた。
「……次からは気を付けろよな」
俺がそう言うと、みんな神妙な顔で頷いた。
表にいるレッドドラゴンから逃げるのに必死で、ドラゴンパピーまで気にしてる余裕がなかったんだろうし、竜の巣のある方向を話しておかなかった俺も悪い。誰の責任かなんて追求しても仕方がないだろう。……それより、これからどうするかだ。
「みんなはレイチェルを診てやってくれ。俺は地図を読み直す。……部屋の物には触るなよ。何があるかわからないからな」
暗い部屋をランプで照らして見回すと、骨董品が所狭しと並べられていた。置いたときは骨董品じゃなかったのかもしれないが、もはや全部骨董品だ。それは、まあいい。問題は、この部屋が行き止まりだってことだ。
俺の予想では、こっちが本道で、こっちに竜の黄金へと続く道があるはずなんだ。
まさか、竜の巣を突っ切って行くのが正解だってのか? 無理だろ。あの高さまで登るのも一苦労だし、それになにより、ドラゴンがいる。……もう一度言うが、無理だろ。
だとしたら、この部屋に何かがある。そのはずだ。
それなのに……地図にはそれらしい記述がない。捧げ物がどうとか、賢者と精霊がどうとか、よくわからないことは書いてあるが……この部屋ではこうしろとは書いてない。これくらいはヒントなしで突破しろということなのか、それとも、この地図が描かれたより後に、改装でもされたのか……。
まさか、この骨董品が竜の黄金だってオチじゃないだろうな。泣くぞ、それは。
「あっ、あの……ケ、ケネっさん……さ、さっきは本当にありがとうございましただ」
ん? レイチェルが、俺に声を掛けてきた。少しは元気になったみたいだな。
「気にするなよ。……ただ、そうだ。こうなったからには、先に行くのを手伝ってくれないか? さっきの入口も今は危ないが、奥には他の出口があるかもしれないし」
その言葉に、レイチェルはこくりと頷いた。屋敷に戻るよう説得に来た彼女も、さすがに、あのドラゴンがまだいるかもしれない今、来た道を引き返す勇気はないらしい。
「じゃ、とりあえず……」
「にゃんにゃんにゃーん♪ 何か面白いもんないかにゃあー♪」
「……マリオンを見張っててくれ。頼む」
「は、はいですだ」
いくらなんでも気持ちの切り替えが早すぎるだろ、マリオン。さっきはドラゴン怖いとか言って震えてたのに――……ふぅ、まあいい。他の三人で見張ってれば、さすがのマリオンもそうそう妙なことはやらかさないだろう。
「にゃ? 壁のここんとこだけ変に出っ張ってるにゃあ……」
マリオンがそう言ったのが聞こえた。と思った直後、俺が振り向くとすでに――
「押してみるにゃ♪」
――押していた。何の躊躇もなく押しやがった。マリオンめ。
ガコン! と音が響いた。マリオンの押したブロックが壁に吸い込まれていくのを、俺は……いや、俺だけじゃない。その場にいた全員が、マリオンも含めて全員が、ただ呆然と見守るしかなかった。
「あ……ああーっ! ソフィー!? 変なとこ押しちゃダメだにゃあぁ!!」
「……ほんといい加減にしろよ?」
ソフィーを始め、他の四人から白い目で見られて、マリオンは……
「にゃはは……まあ、押しちゃったものは仕方ないにゃあー」
開き直りやがったぞ、こいつ。……くそ、だが叱る暇もなさそうだ。この間にも壁の向こう側で何かが動いている音がしている。足元がびりびりと振動した。
「ケ、ケネス!? 何が……起きるの?」
アメリアが訊ねてきたが、俺にもわからないから答えようがない。
「ともかく、散らばるな。部屋の真ん中に固まろう。どの方向から何が来るかわからないから、背中合わせにして――」
――ざあ……
ふと。壁の向こうから、それまでとは違う、異質な音が聞こえた。
「……兄さん。水の流れる音だ」
「ああ、俺にも聞こえた。嫌な予感しかしないな。……そうなったら、息を止められるように心の準備をしておいてくれ」
俺は何が『そう』なのかは口にしなかったが、みんなわかってくれたみたいだ。
要するに……俺たちは今から水責めにあうだろうってことなんだが。
誰かが、俺の袖を握った。それが誰の手かを確認する暇もなく――
「――来るぞっ!」
水の音がすぐ近くまで迫ってきて、俺は叫んだ。
水は……
頭上から降ってきた。