水は部屋いっぱいに広がって、その上で、俺の膝下まで溜まっている。骨董品っぽいツボなんかはもれなく水面下だ。
幸い、というか……俺たちは水をかぶっただけで済んだ。長い年月を経て貯水量が減っていたのか、もともとそういう、ただ驚かせるだけの罠だったのかはわからないが、ともかくこの場で溺れ死ぬことはなかったわけだ。ただ……
「……ずぶ濡れになっちゃった……」
アメリアが金髪から水を滴らせながら、呆然と呟いた。アメリアだけじゃない。みんながみんな、頭のてっぺんからつま先までぐっしょりだ。
安堵からか疲れからか、しきりにため息をつきながら、頬や額に張り付いた髪をかき上げてみたり、濡れた服の裾を絞ってみたり……
……不謹慎ながら、そんな彼女たちが妙に色っぽく見えたのはここだけの秘密だ。特にレイチェルは、引き締まったお腹がへその少し上まであらわで、もう少しで胸が――
「ケネス、地図は大丈夫?」
「おっ!? あ、ああ。ちゃんとここにあるぞ!」
不自然に慌ててしまった俺に、アメリアが少し首を傾げた。
改めて考えるとここに男は俺一人。女の子の肌に目が言ってしまうのは男の正常な反応だなんて主張しても、多勢に無勢だ。……黙っておこう。
で、ああ、地図だ。少し濡れてしまっているが、端の方だし問題はないだろう。
「……兄さん。水位が下がってる」
ソフィーがぽつりと呟いた。……確かに、さっきは膝のすぐ下まであった水が、ふくらはぎのあたりまでに減っている。少しひっかかって、俺は地図を見直した。
「……これか! これだ! 地図に書いてあるぞ! 『祭壇の下、竜の目の届かぬうちは水に従え』――水が流れていく方だ! 排水口だ! そこからさらに下に入れる!」
「えっ、えっ? あっ、あそこかな?」
「そこだ!」
アメリアが指差した先に、水が流れ込んで小さく渦を作っている部分があった。ざぶざぶと近寄ってみると、その床も他と特に違いのないタイルだったが、隣のタイルとの間に隙間があって、そこから下に水が流れているらしかった。
水が抜けてしまうまで待ってから、俺たちはそのタイルを外した。
その下には、さらに深くへと俺たちを誘う縦穴があった。
「……底は見えてる。降りられるぞ」
俺がそう言って振り返ると、みんなは……小さく頷いたが、どうもやはり不安げだ。
「ほ、本当に、この奥に行くつもりですだか……?」
レイチェルの言葉に、俺たちは顔を見合わせる。
うーん。心配なのはわかるがな……
「仕方ないだろ。……ドラゴンから逃げ切る自信があるなら、話は別だけどさ」
ソフィーがため息混じりにそう言った。まあ、そういうことだ。
「ドラゴンは怖いにゃあ……。さっきのアレが、伝説の、えーっと……ナントカ?」
「伝説の竜〈
「……あっ。そういえば、小さいドラゴン……ドラゴンパピーもいたよね? 仔育て中なのかな? だとしたら、あの大きい方は、お母さん竜?」
アメリアがぽんと手を叩く。その可能性はあるな。そう言われると微笑ましい感じがしないでもないが……こっちがエサになる立場じゃ、応援するわけにもいかない。
「ド、ドラゴンが寝付くまで待ってからこっそり抜け出すのはどうですだか?」
「相手が休眠期なら可能だと思うが、どうも気性が荒いし、仔育て中なら……最短でも、ドラゴンパピーが空を飛べるような一人前になるまでは、活動期のままだろうな」
「それって、どのくらいの期間なのかな」
「南に渡って越冬するならその前に飛べるようになるはずだから、半年。火山の熱で越冬するなら慌てる必要はないから、それ以上……」
「待ってられない。それより、奥に他の出口を探す方が気も紛れる」
そう言ったのはソフィーだが、俺も同じ意見だ。
「あとな、みんなはいいけど、俺は伯爵の追っ手に捕まるのもまずいんだよ。アメリアとの仲を疑われてるんだから」
「あー……そう言えばそうだにゃ。それは命の危険があるにゃあ」
マリオンが憐れみの視線を向けてきた。
「可愛い娘にたかる虫は駆除されるにゃあー。でも、駆け落ちなんて絶対にない、なんて言い訳するのも危険だにゃあ」
「ワシのアメリアに魅力がないと申すのかっ! って怒る人だよな、あの人」
……うう。マリオンとソフィーの言葉が不吉だ。しかも、アメリアとレイチェルは顔を見合わせただけ。そのノーコメントは肯定なのか? ……ヘヴィだ。
――と、その無言の空間に、扉の向こうからきんきんとした怒鳴り声が届いてきた。
「……酷い目に遭ったデス! 何でこんなところにドラゴンがいるデス!!」
俺たちはとっさに自分の口を塞いで、息を止めた。
聞いたことのない声だな。妙な訛りのある、女の声……
「でも
他にもいるらしい。これも女みたいだ。どうも、三人くらいいそうだが……
「こっ、これ……追っ手の魔術士たちですだ!」
レイチェルが、小声で警告を発した。
……追いついてきたのか。参ったな。そこら中に足跡を残してきちまってる。追っ手がいるのに、軽率すぎたな。今さら言っても仕方ないが……。
「オマエタチ! その扉を見張るのデス! ワタシは反対側を調べるデス!」
訛りのある女が指示を出したのが聞こえた。……竜の巣の方に行くのか。がんばれ。
「やつら、巣の方に行くみたいだ。もう迷ってる時間はない。俺たちは奥に行くぞ!」
俺がそう言うと、今度こそレイチェルも含めて全員が頷いた。
床のタイルを外して開いた縦穴。下からはひんやりとした風が流れてきている。その暗がりに、俺が最初に足を差し込んだ。下の方がより危険なら、俺が真っ先に犠牲になるってわけだが、もちろん、覚悟の上。
……っと。深さはさほどでもなく、足はすぐに下に着いた。縦穴はそこから緩い傾斜のある横穴になって、さらに奥へと続いている。水の導きに従うなら、低い方に行けばいいわけだ。ざっとランプで照らしても、少し天井が低い以外は、特に問題ない。
「……大丈夫みたいだ。一人ずつ、慌てずに降りてこい」
俺の言葉に従って、まずはソフィーが降りてきた。……俺より手際が良くて、兄としては自分が少し情けなくなるが。
「兄さん、少し下がって。次、アメリアが降りてくるから」
「ああ……いや、でも、もし足を滑らせたとき、ソフィーだけで支えられるか?」
「大丈夫だから、離れて。大丈夫だから」
……何だ? なぜだか、ソフィーは俺を睨むようにしているが……。
「なあ、怒ってるのか? 確かに、こんな状況になったのは俺にも責任があるが……」
「ああもう! いいからどいててくれ! アメリアはスカートなんだ!」
……ああ、な、なるほど。そう言えばそうだった。スカートか。……その下に俺がいて見上げてたら確かにまずいな。俺は慌てて離れた。
「……つーか、何で宝探しにスカートで来てるんだ、アメリアは」
しかもミニスカート。俺が通ってた学院の女子制服もそんなだったな、そういや。
「だ、だって……ボクだって自分で選べるならレイチェルみたいに動きやすい服にするけどっ! ボクの服、全部父様が選んで買ってきちゃうんだもん!」
降りてきたアメリアが、スカートの裾を握りしめて弁解した。でもまあ、動きやすくはあるだろう。短いし。……恥ずかしささえ乗り越えれば、だが。この場合俺は、伯爵の過保護に憤るべきなのか、それともお礼を言うべきなのか。……悩むな。