「ケネっさん! 向こうから悲鳴が聞こえましただ!」
……ああ、追っ手がちょうど竜の巣に踏み込んだ頃か。こっちに来るのも時間の問題だな。アメリアのスカートを気にしてる場合じゃない。
「レイチェル。降りてこい。さっきの水で濡れてるから、慎重にな」
「はっ、はい!」
ゆっくりと降りてくるレイチェルを、俺たちは下から見守る。彼女はスカートじゃないからその点は簡単だ。……もちろん、残念な気持ちがないわけじゃないが。
「――あっ!」
レイチェルが小さくそう叫んだ。足を滑らせたか! 異変に気付いた俺たちは、彼女を受け止めようとそれぞれ手を伸ばした。
どんっ、と衝撃。
けど、それだけだ。下で待ちかまえていた俺たちは、レイチェルをうまく捕まえた。
「……ふぅ。危ないところだったな、レイチェル」
「あっ、ありがとうござ――……あっ!?」
ん? レイチェルがお礼を言い終わらないうちに、何かに気付いて言葉を止めた。
「どうした?」
「……あっ! ケ、ケネス!? その手は良くないよ!」
「手?」
俺の手か? 手がどうしたって言うんだ?
「わひゃっ!? こっ、これ、ケネっさんの手ですだか!?」
「俺の手がどうしたんだよ! まさか、骨折!? 変な風に曲がったりしてるのか!?」
「兄さん。……わざとやってるなら軽蔑するけど?」
ソフィーが冷たい目で俺を見ている。……何だ? わざとって、何の話だ?
「ケネっさん。あっ、あの……」
と、肩越しに振り返ったレイチェルが、妙に赤い顔で俺に声を掛けてきた。
「……さ、支えてくれたのは助かったですけんど……その……む、胸から手をどけて欲しいですだ……」
「え? ――あっ! す、すまん! わざとじゃなかったんだ!」
ああ、くそう。後から考えてみれば、鍛えてる身体にしては妙に柔らかかった。そうと知ってればもう少し堪能……いや違う! もう少し早く! 手を! 離したんだが!
……ああ、俺は妹から軽蔑されても仕方のない人間だ……。
「そろそろあたしも降りていいかにゃあー?」
はっ。まだ上にいるマリオンが、心なしかそわそわした感じの声で訊いてきた。
「ま、待ってくれ。荷物。荷物を忘れるな。先に降ろしてくれ」
「何か、扉の向こうに人が集まり始めてるんだけどにゃあ?」
その言葉と同時に、ぽいっと荷物が放り込まれてきた。それがまだ穴の真下にいたレイチェルに当たりそうになって、俺は慌てて荷物を受け止めた。これは……水筒と食糧を入れておいたバッグか。
「おい! 乱暴にするなよ!」
「あたしも早く降りたいんだにゃあー!!」
続いてもうひとつ放り込まれてきた。こっちは、ロープやランプみたいな道具をひとまとめにしたやつだ。
「もひとつにゃあー!! それっ!」
もうひとつは……何が入ってるんだったかな。野宿になったときのために寝袋とか入れてたんだったか? ま、とにかくそれが落ちてきて……
ぼすっ!
……落ちてこない。何かいま、妙な音がして……何だ? とにかく落ちてこない。
「あ、あ、ああーっ! つ、詰まったにゃあーっ!!」
「待て……詰まったにゃあじゃねえ! 詰めるな!」
「蹴るっ! 蹴って落とすにゃっ!」
「おい待てっ! 蹴るなっ! 一旦引っ張り上げて――こらっ! 蹴るなって!」
ああ、くそ! 何でこいつは話を聞かないんだ!? 下の方が狭くなってるから詰まったのに、そこにさらに押し込んでしまってる!
「にゃっ!? 詠唱が聞こえてきたにゃ……」
詠唱!? ……ここからじゃよく聞こえないが、まさか……
「あのドアを壊すつもりみたいだにゃ……っ!」
冗談じゃない……! 今、上の部屋に追っ手が入ってきたら、取り残されたままのマリオンがあっさり捕まるのは目に見えてる。何しろ、相手は魔王と戦ったこともある魔術士たちだ。絶対に見付かるし、そしたらマリオンは、俺たちの居場所をいつまでも黙っていることはできない!
「マリオン! 今はツボにでも隠れてろ! ……あっ! その前にここのフタになってたタイル元に戻して、この穴は隠せ! そんでやつらがいなくなってから……」
「あたしも今すぐに入りたいにゃあー!!」
「入れないように詰め込んだのお前だろ!? やり過ごしてる間に荷物は引っ張り込んでおくから、急げ!」
話してる間に、俺にもわかってきた。
「急げーっ! もう魔術が発動するぞ――っ!!」
「う、う、うにゃあーっ!」
ごりごり、と音がして、俺たちの頭上にはフタが戻された。ご丁寧に、上に何かその辺の骨董品を置いて隠してくれたらしい。そんな音も聞こえた。
「――〈
追っ手の魔術士たちの声が重なり、複数の魔術が扉に打ち付けられた音がした。と同時に、扉が壊れる音も響いた。〈
「ああっ! ド、
「な、なんてコト……! そこまでは考えてなかったデス……! ……ええい! オマエタチもブルーム団の精鋭にして〈
「そ、そんな無茶なー!!」
……というやりとりの後、どうやらドラゴンパピーが乱入してきたようなんだが……
「……入れるようになったかにゃ……?」
静かになった上から、小さな囁き声。マリオンだ。
「まだだ。あいつらは? 何か、大騒ぎしてたのは聞こえたが」
「ドラゴンパピーに追われて出ていったにゃ。にゃー、早く入れてにゃあー」
一旦引っ張り上げて向きを変えないと上手く入ってこないと思うんだが、いま、その時間があるだろうか? やつら、すぐ戻ってくるんじゃないか?
「……切るしかないか。バッグを切って、中身を引きずり出そう」
「待って!」
アメリアが、ナイフを取りだした俺を止めた。
「……何か、変な音が聞こえない?」
変な音? ……確かに、何か聞こえる。足元が、びりびりと震えてるのもわかった。
まさか……足元に緩い傾斜がついてるのは、まさか……
「仕掛けがまだ動いてる! 上の方から何か来るぞ! 気を付けろッ!!」
俺が警告を発したのとほぼ同時に。
――轟音!!
「また水ーっ!?」
アメリアの叫んだ通り、また水だ! 足元をものすごい勢いで水が流れていく! 俺は体勢を崩しながらとっさに、一番近くにいたアメリアの腕をがっしと掴み、もう一方の手で手近な出っ張りを掴んだ。アメリアはソフィーを、ソフィーはレイチェルを掴んで、ひとまずは誰も流されていないが……まずい! 水の勢いが弱まらない!
「あっ! レイチェル!」
ソフィーが叫んだ。奥は暗くてよく見えないが、レイチェルの悲鳴が遠ざかるのが聞こえれば、何が起きたかはわかる!
「――マリオン! レイチェルが流された! 俺たちは彼女を助けに行く! お前は降りてくるな! 追っ手に全部話して、町にいる伯爵に連絡を――」
叫んだけど、伝わっただろうか?
最後まで言い切らないうちに、弱まるどころかさらに勢いを増した水流で、俺は出っ張りを掴んでいた手を滑らせてしまった。当然、俺が繋いでいたアメリアも、アメリアが繋いでいたソフィーも、みんな一緒に流されることになって……
……ええい! 水に従え、だ! 俺は意を決して、俺を押し流す水に身体を任せた。ソフィーとアメリアもすぐ近くで、同じように暗い中を流されている。その目の前に……
崖だ。水は滝のように流れ落ちていて――ああ、くそ。こいつはヘヴィだぜ。