ちょっとした誤解からかなり本気の追っ手がかかったことをまだ知らない俺たちは、小雨の降る中、幌付きの荷馬車でガタゴトと北へ向かっていた。
この頃の不吉な雷鳴……後で思えば、伯爵の怒りを暗示していたんだな……。
ただ、この時の俺は、背後のことよりも、先に待ち受けるものに対しての警戒心の方を強く持っていた。
……嫌な雲だ。御者台で手綱を握る俺は、赤竜山の威容を見て少し震えた。
「ねえ、ケネス。この地図には何て書いてあったっけ? まず最初は?」
後ろの荷台で例の地図を広げていたアメリアが訊ねてきた。
そこにいるのは三人。もちろん、アメリアとソフィー、それにマリオンだ。荷台には幌があるから、小雨に濡れているのは手綱を握っている俺だけ。季節は春だけど、さすがにちょっと寒いぞ。
「まずは祭壇を目指せ、だ。ひとつの山、ふたつの川、みっつの岩、よっつの柱。竜を讃えし古き民の祭壇はそこにある。……まずは、ってことは最初の手順だよな」
「ひとつの山は、刃義の赤竜山で間違いないんじゃない?」
「だったら、ふたつの川は……山の方から狐水の川に流れ込んでる小川に関係があるのかな。合流するところなら、川はふたつだ」
「あたしもそう思うにゃあ。でも、狐水の川との合流はもっと南の方だし、上流に別の支流があるんじゃないかにゃ? そこからみっつの岩が見えると予想するにゃ」
「その岩を目指すと、よっつの柱がある? うんうん、それっぽいかも!」
宝の地図の暗号がそんなに簡単かな、と思わないでもないが、今のところはその方向で考えるしかないか。実際、ソフィーが持ってきた比較的最近の地図を見てみると、赤竜山から流れ出ている小川ふたつが、麓で合流することになってる。
「だったら、もう少し西か? ……どこまで馬車で入れるかな」
「入れなくなったら降りて歩きだよ」
アメリアはあっさり言った。ソフィーやマリオンも「仕方がない」と言っている。けどちょっと待ってくれ。今の俺には、そんな体力無いぞ? 随分長いこと文学青年だったわけだし。
……まあ、幸い、小川の合流点までは馬車で行くことができた。途中の橋が細かったから、もう少し大きい馬車だと危なかったけどな。
さて、ここから、次はどうするんだ? 俺はぐるりと見回してみるが、特に何も……
「あれだにゃっ! どこ見てるにゃっ!? あの林の方っ!! 変に尖った岩にゃ!!」
叫んだのはマリオンだ。俺たちは、彼女が指差す方角に目を凝らしてみる。
「あっ、ほんとだ! いち、に、みっつだ!! やった! あれだよ! すごい!!」
アメリアが大喜びで手を叩く。俺にも見えた。確かに、目印になるような変な岩だ。
「宝物はあっちだよ! よーし、進めーっ!!」
*
一方その頃……だ。ああ、ちょうどその頃のはずだ。
レイチェルが、赤竜山に向かって馬を走らせていたのは。
「ううぅ……結局、誤解を解くことはできなかっただ……」
宝探しに出かけた俺たちを追いながら、レイチェルは自分を責めていたそうだ。
「せめて、このことを早くお嬢様に知らせないといけないだ……!」
いや……あれは彼女が悪いわけじゃないよな。彼女をちゃんと説得せず宝物庫に閉じこめた俺たちにも責任がある。どうか俺を恨んでくれ。俺がその分も併せてサイラスの野郎を恨んでやる。
……ま、それはいい。置いておこう。
問題は、そのレイチェルを追ってきた『本当の』追っ手だ。
「ソコの少女! 止まりなサイ! 止まるのデス!!」
後方からレイチェルと同じように馬で駆けてきたのは、セレストの部下と紹介されていた、どピンクのローブの女魔術士だった。嫌な予感を覚えつつも、レイチェルは仕方なく馬を止め、彼女に従った。
レイチェルによれば、相手の歳は二十歳くらい。髪は長く、赤みがかった金色。顔はわりと美人だが、どピンクのローブを始めとして、服装の趣味が悪い。……って人だ。
それにさらに、二人の部下がついていた。先頭のどピンクの人と比べると大人しい服装の、小柄な女二人……どうも彼女たちも魔術士らしい。
「ワタシはパール・ブルーム。後ろの二人は我がブルーム団の精鋭デス。……アナタ、そんなに急いでいるのはナニゴトデスカ? もしや、逃げたヤツラがどこにいるのか、知っているのではないデスカ? ンン?」
訊ねられてもレイチェルは黙っていたが、びくっと肩を震わせたのを見られてしまったらしい。相手の女魔術士は、にやり、と笑って言った。
「だったら教えナサイ! ヤツラを捕らえれば、ワタシタチはたっぷりと謝礼がもらえるのデス! 居場所がわかっているなら、楽な仕事デスネ! アーッハッハッハッ!!」
「あっ、あうぅ……そっ、それはだめですだ! お嬢様はこんな粗忽者のわたしでも信頼してお屋敷の警備に取り立ててくださったんですだー!! お嬢様の信頼を裏切ってお嬢様を売るような真似は、わたしにはできないですだーっ!!」
レイチェルはそう叫んで馬の首を北へ向けると、再び赤竜山目指して走り出した。
「アーッ! 待つのデス! オマエタチ、あのコムスメを追うのデス!!」
「はっ!!」
逃げるレイチェル、追うブルーム団の三人組。乗馬の腕での勝負なら、しっかり鍛えているレイチェルが有利だったが、後ろは魔術士だ。
「――〈
俺がその場にいたなら、それは冷気属性で最も初歩的な攻撃魔術に過ぎないとわかったんだろうが、レイチェルは魔術に関しては全く無知だ。氷のつぶてが襲いかかってくるのを、冷静には見ていられなかったんだろう。
「あっ、あっ、あわわっ!」
慌てに慌てて、それでもなんとか前へ前へと馬を進めた結果……
「あっ……あーっ!?」
レイチェルは、急な斜面を馬に乗ったまま滑り落ちた――ってことらしい。ヘヴィだ。
*
レイチェルが坂を転げ落ちる一方……
俺たちは重い荷物を背負って、坂を登っていた。
長く学院で暮らした俺にこれはきつい。……俺の荷物はこれでも四人の中では一番軽いんだけどな。情けない。マリオンはそんな俺を笑った。情けない。アメリアとソフィーは慰めてくれた。それもまた情けない。雨が止んでいたのだけが唯一の慰めだ。
ああ、そんな俺の姿を見ればすぐにわかると思うが、馬車は途中に停めてきた。馬車では進めないからそうせざるを得なかった。なにしろ、木々が生い茂り、足元にはごつごつした岩が転がっていて、まともな道もない場所だ。
そうして目指す先には、妙な岩が見えていた。ようやくだが、もう、すぐ目の前だ。
山の斜面から空に向かって、変に尖った岩が伸びている。みっつもだ。それはまるで猛獣の牙か爪みたいだった。周囲に転がる岩もごつごつしてはいるが、これほど強烈な違和感はない。
これが自然にできたものなのか、昔の誰かが目印として置いたものなのかはわからないが、ともかく、地図が言う『みっつの岩』ってのがコレなのは間違いなさそうだ。
俺たちは、重い荷物を背負って歩いてきた疲れも忘れ、大喜びした。
「間違いないよね!? ひとつの山、ふたつの川、みっつの岩! 地図の通りだよ!」
きゃあきゃあと興奮しているアメリアに、マリオンとソフィーも大きく頷く。
「そうだにゃあ! これなら竜の黄金も本当にあるかもしれないにゃあ!」
「ああ。次はよっつの柱か……見たところ、それらしいのは見えないけど……兄さん。あの地図、他に何か書いてない?」
「ん、ちょっと待て……いま見てみる」
ああ、大人しく荷台に座ってこれを解読してればすぐ返事ができたんだが、情けないところは見せられないなんて見栄を張ったせいで解読は進んでない。しかも、見栄を張った甲斐もなく、馬車を降りて歩きになった途端に情けない姿だしな……。
ま、だからここで少しは出来るところを見せないといかん。
「……よっつの柱はひとつとみっつの間にある……って書いてあるな。これは多分――」
「みっつの岩から、ひとつの山――山頂の方に向かっていけばいいってことだにゃ!!」
「なるほどー!! マリオン、冴えてるっ!!」
「にゃーっはっはっはっ!!」
……なあ。その賞賛は俺が受けるべきものじゃないのか? 結論は同じなんだが……なんか釈然としないぞ。
「あっ……ケ、ケネス! ケネスの解読が上手いから、マリオンもこんなに簡単にわかっちゃったんだよ、きっと!!」
「そ、そうだ兄さん。マリオンでもわかってしまうくらいだ。すごいじゃないか。うん」
……慰めもむなしい。
「えぇー? あたしの実力だと思うけどにゃあー? にゃあにゃあ?」
くそう……小首を傾げる仕草が微妙にかわいいから余計にむかつく……。
「とっ、とにかく進もうよ! ボクたちの冒険はまだ始まったばかりなんだから!」
「……その言い方は縁起が悪いからやめた方がいいぞ」
「えっ、えっ? ど、どうして!?」
まだ続きそうなのにいきなりそうやって終わってる本、結構あるんだよな。
とにかく、地図の指示は明確だ。俺たちはそれに従えばいい。今のところはな。
「よし、じゃあ行「行くにゃあー!!」
……マリオンめ。