足元は相変わらずごつごつした岩場。この岩は多分、赤竜山がまだ頻繁に噴火していた大昔に降ったものだろう。岩には詳しくないが、そんな気がする。今はそれを覆うように草木が生えていて、しかも登り坂。歩きにくいことこの上ない。
「ふぅ。しっかりしたブーツ履いてきて良かったよ」
ソフィーが呟いた。見れば確かに、丈夫そう……を通り越して、頑丈そうな革のブーツだ。鉄板で補強されている。その分、重そうでもあるが。
「いいなあ。ボクももっと強いのにすれば良かった……」
アメリアが羨む。アメリアのも、俺のと比べたら充分に丈夫そうだけどな。ちゃんと準備しただけのことはある。俺のなんか、この岩場だと滑りそうでかなり怖いってレベルだぞ。でも王都から帰ったばかりでこれしかないもんだから、そのまま来てしまった。失敗だったな……。
「待て。……何かいる」
先頭を行くソフィーが、後ろを歩く俺たちにそう言って注意を促した。
「何かって、何にゃ?」
「よく見えない。人間じゃなさそうだ。でも、結構大きい感じ……」
「野生の獣か? 場所、代わってくれ。俺が見てみる」
「あ、うん。ほら、あの岩の陰に……」
一応、学院で魔獣全般についての知識は得てきた。見ればわかるかもしれない。俺はソフィーと位置をかわり、彼女の示す方に目を凝らす。
幸い、こっちは風下だ。何かいたとしても、においですぐに気付かれるってことはないだろう。
「もっ、もしかして、ド、ドラゴンじゃないっ!?」
アメリアが、不安げに俺の服の裾を握って、そう訊ねてきた。
「確か、ドラゴンは大昔に勇者に退治されたんじゃなかったっけにゃ?」
マリオンは不思議そうに訊ねてきたが、それは違う。俺は説明する。
「伝説になるのは、ドラゴンの王様みたいな奴なんだ。そういうものすごいのばかりじゃなくて、そこそこのもいる。ここは、大昔はでかいドラゴンがいた土地らしいから、奴らにとっては住みやすい場所かもしれない。別のやつなら、今もいる可能性はある」
「ほ、本当にいるのにゃ? そんなの見たこともないし、聞いたこともないけどにゃあ」
「見てみればわかるさ。けど、あの岩の向こう? 何も出てこないな」
「さっきは確かにいたんだよ」
ああ、ソフィーの言葉を疑ってるわけじゃない。言ったのがマリオンならともかく。
「……もう少し近付いてみる。ここで待っててくれ」
「あっ、危ないよケネス! 本当にドラゴンだったら……」
「大丈夫大丈夫。こんなところにドラゴンがいるはずがない」
そうだ。マリオンも言っていたじゃないか。こんなところにドラゴンがいるなんて聞いたことがないってな。もしいるんだったら狼宴からだって空を飛ぶ竜の姿が見えるはずだ。それなのに知られてないってことは、いないんだ。
「にゃああ……本当にドラゴンだったら、ケネスが食われてる間に逃げるにゃあ……」
……マリオンめ。まあ、本当の本当にドラゴンなら、四人がかりで立ち向かっても勝つ見込みはないから、みんな食われるよりは逃げてもらった方がいいのも事実だが。その時は仕方がない、俺がエサになってみんなを逃がそうじゃないか。それで女の子二人と猫一匹の命を救えるなら、俺の命の使い方としては悪くない。
と、俺がそんなことを考えていた時だった。身の毛もよだつ咆吼が轟いたのは。
ギィャアァァアァァアァ――――ス!
――って感じだった。
「ギャース!」
……これは後ろから聞こえた。誰かが驚いて叫んだんだろう。マリオンっぽいな。
「い、今のな、なにっ!?」
「ド、ド、ド、ドラゴンにゃあっ!」
……あの声だけじゃ、俺にはそこまでは判断できないな。ドラゴンの可能性を完全に否定はしないが、ないだろう。ないない。
「黙れマリオン。本当にドラゴンがいたらその大声で気付かれる」
ソフィーがマリオンにそう言ったら、マリオンは自分で自分の口を押さえた。ああ、これでちょっとは静かになるな。
「ケ、ケネス!? もう危ないよ! こっちに戻って!」
アメリアが小声で俺を呼んでいるが、俺は首を横に振った。せっかく、地図の言う祭壇の近くまで来てるんだ。ここまで来て何もせず戻るつもりはない。障害があるなら乗り越える。そのためには、しっかり見て、しっかり対策を考えないといけない。
後ろに三人には身を伏せているように手振りで示して、俺もゆっくりと慎重に進む。
岩の陰に隠れて、俺はその向こう側をそっと覗き込む――
――と、そこにいた鹿と目が合った。
鹿は俺の姿を見付けると、機敏な動きでガサガサと林の向こうへ駆けていった。見かけは大きいのに、素早いもんだな。
「……鹿がいた。逃げていったよ。他には何もいないな」
俺がそう言うと、後ろの……特にアメリアはほっとした表情を見せた。ソフィーもだ。
「し、鹿があんな声で鳴くかにゃあ?」
マリオンだけはまだ警戒しているが、見上げても見回してもドラゴンなんて――
「――お、アレだ! きっとアレがよっつの柱だ!」
俺の指摘で、みんなもすぐにそれに気が付いたようだ。林の少し先に、確かに柱が四つある。祭壇の周囲を飾るのに相応しい、立派な石柱だ。その四つの石柱は、それぞれを線で結ぶと正方形を描くような形に配置されている。その上に――
「わっ! ド、ドラゴンっ!?」
「大丈夫、石像だ」
そう。そのよっつの柱を足場にして、俺たちを睨みつけるドラゴンがいた。言った通りこれは石像だが、今にも炎を吐いてきそうなくらいに、何ともリアルだ。
「びっくりしたー。あっ、そっか。竜を讃える祭壇があるんだったね?」
「そう。この彫像も、祭壇を作ったのと同じ、大昔の人が作ったんだろう」
これがもう少し町の近くなら、観光名所にできたろうに、こんな山奥じゃな……。
「兄さん、あの柱に囲まれて、何かある。祭壇じゃない?」
「そうだろうな。さて、祭壇に辿り着いたら次はどうするんだろうな」
俺が地図を広げると、ソフィーとアメリアもそれを覗き込んだ。マリオンだけが、まだじーっとドラゴンの像を見ている。
「おい、マリオン?」
「……にゃーっはっはっはっはっ! ドラゴンがいないなら一番乗りにゃあー!!」
……ふぅ。ま、ざっと見たところ特に危険はなさそうだし、大丈夫だろう。
「走ると危ないぞ。さっきの雨で湿ってるからな」
「わーかってるにゃあー!!」
そんな返事をしながら、マリオンは走っていって……途中ですっ転んだ。だから言ったのに。ま、すぐに起きあがったし、大した怪我じゃなさそうだが。
「それで、兄さん? 地図には何て書いてある?」
ソフィーに訊ねられて、俺は地図に視線を戻す。
「……『祭壇を目にする者は同時に竜をも見るであろう。祭壇の守護竜は、勇気ある者を竜の山の深奥へと誘う。資格無き者は――」
「……資格無き者は、どうなるの?」
アメリアに訊ねられて、俺は少し迷ったが、隠していても仕方がない。先を続けた。
「その腕を竜に喰われ、失うだろう』……って書いてあるな」
「罠があるってことかな」
ソフィーの呟きに、俺は「多分な」と頷く。本格的になってきた。
「あ、あうぅ……」
……さっきまで俺よりずっと元気だったアメリアが、ドラゴンの話が現実的になってから、どうにも萎縮してしまってるな。
俺とソフィーは、どうしたものかと顔を見合わせた。
「今ならまだ引き返せる」
俺は一応、そう言った。ソフィーもアメリアを心配してか、その背中をぽんと叩いた。
「怖いなら、無理しなくていいんだぞ。私と兄さんだけで調べてきてもいいんだし」
「……う、ううん。大丈夫。ボク、がんばる! これはボクがやらなくちゃいけないことだもん。でも、ありがと。心配かけてごめんね?」
ん、ちょっとは気勢が戻ったみたいだ。
「……山の内部への入口がこのあたりにあるのは間違いないな。ここまで全部、この地図に書いてある通りだ。俺たちは確かに竜の黄金に近付いてるぞ」
そう言って励ますと、アメリアは「うんっ」と頷いて両手の拳を強く握った。
「ギャース!」
……と、マリオンの絶叫が響いてきた。せっかく元気になったアメリアが、またびくっと肩を縮める。
「ど、どうしたのっ!?」
「ド、ド、ド、ドラゴンにゃあーっ!!」
「……二人は隠れてろ。俺が見てくる」
「や、私も行く。いざとなったら兄さん一人じゃ不安だし」
心配してくれるのはいいが、その言い方は何か……もしかして俺って信頼されてないのか? いや、確かにこの道中、醜態を見せなかったとは言えないし、逆にじゃあ、いいところを見せられたかというとそうでもないが、それにしても――
「えっ、ちょっ、置いてかないでよ! ひとりにしないで!!」
声のした方に向かった俺とソフィーを、アメリアが追いかけてくる。……まあ、その方が安心かもな。本当にドラゴンがいるなら、少し後ろにいる程度じゃ、どうせ同じように標的になるかもしれない。
……けど、本当にドラゴンがいるのか?
マリオンは、木に抱きついてへたりこんでいた。その顔は今にも泣き出しそうで、冗談にしては真に迫ってる。
ソフィーとアメリアが、俺よりも先にマリオンに駆け寄った。俺はその後ろから、周囲に目を向けて警戒する。右手には、師匠からもらった杖を握った。
けど、相手が本当にドラゴンなら、学院で学んだ俺の魔術にも過度な期待はできない。
「マ、マリオン? 大丈夫?」
「……あ、あ、あ、あたしは見てしまったにゃ……あ、あれはドラゴンだったにゃ……」
「いないぞ? ドラゴンなんて」
「真っ赤なドラゴンがっ! 向こうの空からサーッと滑空してきたにゃ! そして頭から急降下して……鹿にガブリッと咬み付いて一瞬で仕留めて……また音もなく山の向こう側に飛んでいったにゃ……っ!!」
「見間違いじゃないのか?」
「あれが見間違いなら、あたしはもうこの両目を信じられないにゃ……」
冗談、ではなさそうだな。ただ、本当にドラゴンがいるって話を、簡単には信じられない。今は気配がないから、なおさらだ。これじゃ警戒もしようがない。
「……ソフィー。マリオンのことは頼む。俺は祭壇の方を調べてみる」
俺がそう言うと、ソフィーはこくりと頷いた。今のところ、俺以外の三人の中では一番落ち着いてるし、マリオンとは付き合いも長いみたいだ。ここは妹に任せよう。
さて、地図の言葉は確か……『祭壇を目にする者は同時に竜をも見るであろう。祭壇の守護竜は、勇気ある者を竜の山の深奥へと誘う』か。まさか、本物のドラゴンと戦って勝てってことじゃないはずだ。となれば、祭壇の守護竜ってのは、あの柱の上に飾られた竜の石像のことだとしか考えられない。
石の竜は、その首を俺の胸の高さに下げて、俺を睨みつけている。
勇気ある者……勇者? 確か、アメリアが話していたな。
竜牙の勇者伝説……赤竜は確か、牙を折られたことで負けを認めたんだ。
そういえば、なるほど。ああいう鎧の硬い怪物の弱点ってのは、多くの伝承で、眼球か、そうでなければ口の中だとされてる。外側が硬くてもそこだけは柔らかくて武器が刺さるって話だな。
その真似をしろってことなら……石像の頭部に秘密があるんだろう。特に口の中は怪しい。どうも空洞になっているみたいだ。きっと何かある。
ただ、この石像……今にも動き出しそうなくらいに精巧な作りで、本当に恐ろしい顔つきで……だから、口の中に仕掛けがあるんだと見当が付いていても、そこに手を突っ込むというのが、なかなか難しい。せめて中の仕掛けが見えてればいいんだが、口の奥は暗くて、よく見えないんだよなあ。
これで、勇気を試されてるってのか?
だったらそれも地図の指示の通りだ。ここまで指示通りで上手くいってる。大丈夫。
俺は石の竜としばし睨み合い、そして……意を決して、その口の中に手を突っ込んだ。
――ガチン。
奥の何かに触れたと同時に、別の所から嫌な音がした。
何だ、と思う間もなく……
「――ッ!! がぁっ! 腕っ、挟まれたっっ!!」
竜の口に突っ込んだ腕の、手首のあたりに圧力を感じた。上下から挟まれてる。
抜けない。まずい!!
シャラシャラシャラシャラ、と聞こえてくるのは……
鎖の音か!? 鎖が動いてる!! 中で!?
ゴリゴリゴリゴリってのは石臼の音みたいな……
要するに、ふたつの大きな石がこすれ合う音だ……っ!!
心臓に氷水をぶっかけられたみたいに、血が冷えた。
「兄さんっ!? 石のドラゴンが動いてる!」
ああ、確かに動いてる。見えてるさ。
ドラゴンの口が今にも閉じられようとしてる。俺の腕が食われそうだ。
というか、すり潰されるのか?
……こいつはヘヴィだぜ。
竜の口は間違いだったのか?
他にどんな方法があったんだ?
俺はどうすればいい?
いろんな疑問がぐるぐると頭の中を駆けめぐった。そして俺は――
――精一杯の勇気を振り絞って、咬まれそうな腕をさらに奥に押し込んだ。