提督はコックだった   作:YuzuremonEP3

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第百二話

/横須賀鎮守府

 

「まさか本当の朝帰りかしら…」

「うっそ、あの提督さんと翔鶴姉だよ?」

 

「あ、あの、五十鈴姉さんも瑞鶴さんもそこまでに…」

「何よ名取。あなただって提督達が気にならないの?」

 

「わ、わたしはそれよりも、翔鶴さんが幸せになってくれるならそれでいいかなって。翔鶴さん、本当にあの人のせいで…血が滲むくらい体を洗ったり、時々髪の毛を抜いてたりしてたから…」

 

瑞鶴と五十鈴の話は夕方になっても玲司と翔鶴の話題で持ちきりだった。扶桑は温かく見守ってあげましょうと終えたが、愛だ恋だに何気に五十鈴や摩耶の恋愛もののマンガや小説をよく読む瑞鶴も、マンガの世界ではなく実際に。しかも姉がマンガや小説の世界のような甘いデートをしていると思ったらワクワクが止まるはずがない。

 

ちなみに摩耶のマンガはせいぜいデートしてキスして好き!で終わりな子供っぽい少女マンガ。それに引き換え、五十鈴の読むマンガは好き!ではなく、愛している…のあと、摩耶がひっくり返って気絶するくらいの展開が続きにあるマンガだった。瑞鶴も五十鈴もそっちのほうが好きだと言う。リアルだって。しかしこれは五十鈴の部屋のベッドの隠し収納箱にしっかりと収納されている。摩耶が鳥海に密告し、何冊かは没収されている。どうでもいい話だが、摩耶はキスしたらコウノトリが赤ちゃんを運んできてくれると本気で信じている、うん…まあ、うん…お子ちゃまである。

 

「何よいい子ぶっちゃって。あなた、こっそり五十鈴の本読んでうわー、うわーって言ってるくせに」

「ふぇええ!?な、なんで知ってるのぉ!?」

 

「五十鈴には丸見えよ!」

「そうなの…五十鈴、まだそんな本を隠し持っていたのね」

 

「げっ、鳥海!?」

「あとでお部屋に伺います。隠しても無駄よ。この鳥海にはお見通しですからね」

 

「し、しまったー…ね、ねえ鳥海も読んでみなさいよ!」

「………」

 

「何、その反応、ねえ!あなたまさか五十鈴から没収した本こっそり!?」

「な、何のこと!?私、そ、そんなの捨てたわよ。あ、あんな…司令官さんに似てる男の人と…あんな…」

 

「ガッツリ読んでるんじゃない!!」

「五十鈴姉さん落ち着いてー!」

 

「あはははは!!!鳥海って意外とえっちなんだぁ!あっちゃぁ!!お茶かけたな!?」

「コラそこ!食堂で暴れないでください!!」

 

大騒ぎしたせいで間宮に怒られて退散。瑞鶴はお風呂に入って自室へと戻った。布団にボフッと仰向けになって天井を見る。考えるのは姉のことだ。あの翔鶴姉が提督さんとかぁ…と感慨深く翔鶴の過去を思い出す。

 

自分に手出しをさせないため、自らの身体を差し出して穢された姉。死んだ目で毎日を生きていた。奴が逮捕され、この鎮守府から消えた後も。見るに堪えなかった。常に奴の動向を気にし、男を見るたびに怯えた。殴られることも、変な趣向を凝らされたこともある。部屋はあのドブのようなドックの水の臭いがいつも充満していた。

 

「……あの人たちの臭いを部屋に充満させたくないわ…それなら、このドックの腐った水のような匂いのほうがマシね……フフフフ…」

 

くさい…くさい…あの男の臭いがする…私の髪から!とブチブチと髪を抜き始めたこともある。体はいつも血が滲むまで洗い、ドブのようなドックに浸かって傷を治し、何事もなかったかのように体の傷を消した。

 

「翔鶴姉やめて!傷のままこんな所に入ったら病気になっちゃうよ!」

「いっそ病気にでもかかって…いいえ、ダメね。ていとくさまにそんなこと言っては…」

 

「翔鶴姉…」

 

何もできない。姉が必死で守ってくれているのに。何を言っても姉は病んでいく。何をしても姉から生気が消えていく。人形のようになって汚い男達に穢され、壊れたロボットのように毎日血が滲むまで身体を洗い、髪を抜く。姉は人間が…男が信じられなくなり、自分は大嫌いになった。司令長官が奴が消えてから1度来たが、姉は発狂して悲鳴をあげ、瑞鶴は司令長官が悪くないのだが、溜まった鬱憤をぶちまけるかのように罵った。

 

「結局そうやって何も考えずにまた男の提督を寄越すなんて頭おかしいんじゃない!?」

 

そう言ってしまった。勢いに任せて言ったことを激しく後悔しているうちに彼、三条玲司がやってきた。チョロいかもしれない。時雨や村雨の傷を癒し、雪風や夕立に料理を振る舞い。艦娘に笑顔を取り戻していく彼を信用しようと思った。そう思った矢先に、姉が玲司を襲った。ああ、もうダメだ。そう思ったが…。

 

「わたし…提督を…玲司さんのことを…好きになったみたい」

 

部屋で姉にそう言われた時、自分は盛大に飲んでいた紅茶を吹き出した。けど、嬉しかった。あの絶望を毎日背負って歩いていた姉が、頬を赤らめてそう言って、恥ずかしそうに笑っていた。翔鶴姉のほにゃっとした笑顔が今ではたまらなく好きだ。その笑顔を作ってくれたのは間違いなく提督さんだ。自分も毎日が楽しい。姉は本当に提督さんを見ているだけでほにゃっと幸せそうな笑顔を見せる。

 

出撃で大失敗を冒して姉に迷惑をかけてしまった時も、厳しく、でもすごく優しく諭してくれた。あれは何度謝っても謝りきれない。でも、変わらず姉は自分に笑ってくれるし、提督さんのことを自分にだけ話してくれる。

 

「翔鶴姉、よかったね。楽しんできてね。いっぱい…提督さんに甘えて、幸せになってね」

 

瑞鶴の机にある、商店街に出かけた際に振袖を着せてもらったときの2人で写った写真に向かってニコッと笑って言った。姉が幸せなら、自分も幸せだ。あの2人はほんとにお似合いだから。

 

「ふぁーあ。五十鈴、大丈夫かなぁ?ま、私しーらないっと」

 

そう言ってテレビをごろ寝しながら見る瑞鶴であった。

 

/横浜

 

「れ、玲司さん!こんな…こんなお高そうなところ!」

「いいっていいって。たまになんだから気にすんなって」

 

「で、でも…」

「いいからいいから!あ、2人で」

 

翔鶴が連れてこられたところはなんとも高そうな。それでいてものすごい高い建物の上階にあるレストランだった。当然であるが翔鶴は来たことがない。玲司は慣れているかのように中へ入り、案内を受けていた。

 

「好きなの頼んでいいからなー」

 

そうは言われてもわかるはずがない。日本語で書いてあるメニューのはずなのに、よくわからない外国の言葉で書いてあるように。何かの呪文のように見えててんでわからない。目をぐるぐる回して読むも当然決まるはずがない。

 

「んふっ…一緒のにしよっか」

「は、はひ…」

 

奇妙な返事をして、玲司に任せることにした。臆することなくオーダーをする玲司と。やっぱり玲司の口から出てくる呪文のような料理の名前に混乱は続く。

 

「いい夜景だなぁ。いい所でよかった」

「は、はい。とても…綺麗ですね。すごいですね…まるで艦載機からの景色を見てるみたい…」

 

「あー、そっかー。翔鶴達空母なら、そういう表現もアリだな」

「ですけど、わたしは夜に艦載機を飛ばせないですし、それに、海でしか飛ばせませんから」

 

「それもそっか、はは」

「綺麗…宝石をちりばめたみたい…素敵ね…」

 

窓からの夜景を静かに眺める翔鶴。その目はキラキラと輝いてどこか楽しそうだった。あれは何かしら?と指差して聞いてきたり、あそこ!船!と嬉しそうだった。そうしているうちに料理が運ばれてきた。見たこともない料理だ。と、言うかテーブルマナーとかわからない…。

 

「いいよ。俺が教えるよ」

 

そう言ってもらえるのがありがたかった。ぎこちない手つきで出てくる料理を楽しむ。お酒は玲司は車を運転しないといけないから。翔鶴はお酒が飲めない。龍驤に付き合って1度飲まされたことがあるが、一口で目を回して数分後には寝てしまうくらいだった。そのときの酔った翔鶴の数分は、龍驤が腹を抱えて笑う最高の時間だったとか。龍驤はニタニタしながら、何か失礼はありませんでしたか?と聞いても教えてくれなかったが。

 

「おいしい…」

「うん。このローストビーフのソースいいな。ちょっと試そうかな」

 

「ふふ、楽しみにしていますね」

「おう。んー、これは…」

 

元料理人だけにソースの味やおいしい料理を今度振舞ってみようか、なんて考えている。うーん…と真剣に何かを考えている玲司。出撃の時などとは違う玲司の新しい顔が見れて嬉しい。そんな顔を自分だけが知っているというのも嬉しいのだ。玲司さんをもっともっと知りたい。

 

「今度作るからさ、翔鶴。食べてみてくれるか?」

「わたしだけですか?」

 

「ん、何ていうか、一番最初に食べてもらうのは翔鶴がいいなって」

「え、えっと…は、はい。わたしでよろしければ…」

 

「よっしゃ、決まりな。早いうちに作るから。あ、北上や夕立が嗅ぎつけてきそうだな。あの2人食い物になるとすっげえ鼻がきいてさあ」

 

「それなら瑞鶴も要注意ですよ。あの子も玲司さんのご飯の匂い、すぐわかって飛んでいきますから」

「マジかー。よし、厨房ブラックリストに追加だな。確かに早いなあいつも」

 

「そうですよ。提督さんの新作はないのかなって時々お部屋で言ってますから…と言うかブラックリストって…」

 

「試食させろ、いつの間にか隣で作ってるところを見てる。あれ作れこれ作れとうるさいリストだよ。夕立に摩耶、北上に…龍驤姉ちゃん」

「龍驤さんまで…」

 

「姉ちゃんは一番だよ。うるせーのなんのって」

「ふふふ…瑞鶴も気をつけてくださいね」

 

そんな他愛無い会話が食事をしつつ繰り広げられる。その他愛無い会話でさえ、本当に楽しい。おいしい食事に楽しい会話。食事はあっと言う間に食べてしまった。自分はあまりお金に関してはわからない。ただ、喫茶「ルーチェ」で見たケーキや紅茶の値段より、1桁多いのはわかった。お会計なんて2桁多いのだ。

 

「玲司さん…本当に、いいんですか?」

「いいのいいの。気にしないでくれよ」

 

「はい…あの、玲司さん。このお礼は…必ず…」

「気にしなくてもいいって…」

 

「いいえ。わたしは玲司さんにもらってばかりです。優しさも…愛情も。そして、こうしていろいろと…何かお返しがしたいのですけど、わからなくて」

「翔鶴にお返しがほしくってやってるわけじゃないんだ。だから、いいんだよ」

 

そう言うと玲司に寄り添い、ちょっと背伸びをして目を閉じる。

 

「あの、翔鶴さん…?」

「ん!」

 

唇を少しすぼませて背伸びをして何か待っている。ひ、人気はないけども…。頭をぐしゃっとかいて、キスをする。

 

「えへへ…」

「大胆だな、意外と…」

 

空母は時に大胆でなければならない…?いやいや。こんな時にそんなことを言っても…。いや、だったらもっと大胆にいけ、翔鶴!そう思ってギューッと腕に自分の腕を絡める。ここまできたらもうこうしちゃえ!といってしまった。まあ、キスまでしてるなら…いいか。

 

「ご飯も食べましたし…もう帰りますか?」

「んーや。まだ帰らない。まだ翔鶴とデートしたい」

 

「わ、わた、わたわた…わたしと…」

「そうなの。翔鶴とまだ2人でいたいの」

 

「なんですかそれ、ふふ」

「翔鶴を独り占めしたいだけ。よし、次はここだ」

 

そう言って夜になった横浜を歩き出す。腕は組んだまま。道ゆく人が見てくるが、玲司は見せつけるかのように歩いた。この子は俺の彼女だ。こうやって腕組んで誰にも渡さねえぞ。なんて独占欲丸出しの心境だった。

 

………

 

やってきた場所は赤レンガ倉庫。ライトアップされ、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 

「わあ…」

「何か買ってこうか。2人の記念品か何か」

 

「え、ええ!?」

 

本当、彼には驚かされっぱなしだ。せっかくの記念にと。そうしてここへ寄ったらしい。寄ったのはアクセサリーショップ。たくさんのかんざしが並んでいる。振袖を着た時につけてもらったっけ…。きれいだったな。ここにあるものもすごくきれい。感嘆の息が翔鶴から漏れる。

 

「シルバーアクセサリーもあるのか。いいな、金よか俺好きなんだよな」

 

そう言ってブラブラと見て回る。あ、これきれいだな…と思うものがたくさん。目移りしてしまって組んだ腕を引っ張って玲司の足を止める。これ、よくないですか?買う?と、ととととんでもない!と言うやりとりを繰り返す。

 

「せっかくですから、玲司さんも何か買っていかれては…?」

「そうだなぁ」

 

そう言うと玲司は店員さんを呼び、何かを話している。リング?を買おうとしているのか。意外だな。しばらくお店の人と話をして、ペコリとお辞儀をお店の人にしてお会計のようだ。翔鶴はよくわからないので玲司についていく。かんざしをほしいとも思ったけど、それより、いつも自分たちを優先してくれる彼が、自分が欲しいものを買っている、と言うのがなんだか安心した。いっつも。お昼ご飯も夕飯も。かんざしだって、自分のことは全く気にせずにわたしのことにお金を使っているから。なのに。なのに。

 

「翔鶴。おそろいのシルバーリング。ペアリングってやつなんだけど。よかったら一緒に着けてくれないか?」

 

そう言って、リングを差し出してくれた。どうしてこの人は…こう、自分のことはからっきしなんだろうか…。

 

「へへ、ほら、俺はつけるわけにはいかないからさ。こうしてネックレスみたいにしてみたんだ。翔鶴はどうする?」

「えっ?」

 

ペアリングと言うものがそもそもわからなかった翔鶴は玲司が胸にぶらさげているリングと一緒のシンプルなリング。玲司のと比べて少し小さい、建物のライトアップの色に輝いている。

 

「玲司さんと…お揃い?わたしと?」

「うん。何かこう、翔鶴とお揃いなものがほしかったんだ。その…どう、かな」

 

ああ、もう胸がいっぱいだ。この人は本当に、わたしもしたいなと思っていたことをやってくれる。わたしも何か、玲司さんと繋がりのあるお揃いの何かがほしかった。自分では思いつかなかったもの。指輪。指輪なら何となくわかる。玲司に歩み寄り。

 

「嬉しい…わたしも何か玲司さんとお揃いのものがほしかったの…うふふ。何だか、玲司さんにわたしの心を見透かされているみたい」

「あはは…そうだったんだ。じゃあ…って俺翔鶴の指のサイズわかんねえ…」

 

「いいんです。わたしも玲司さんと同じようにします。指につけると、みんなにバレちゃうから…」

「そ、そうか。だったら、シルバーのチェーンがあるから、それにつけよう」

 

玲司につけてもらい、手に取って見せびらかす。その翔鶴の笑顔本当に幸せそうだ。よかった。

 

「これで、玲司さんと一緒の物がある。出撃や演習の時はつけていられませんけど…玲司さんがそれをつけてくださっていれば、わたしも繋がっていると思っていられます。離れていても…あなたの側にいられる…そんな繋がりのあるもの…もう、あなたなしではいられないから…」

 

「翔鶴…お前…」

 

「わたしの過去はお話ししましたよね。毎日毎日…玲司さん。わたしは汚れているんですよ。あなたが撫でてくださるこの髪も。あなたがキスをしてくれるこの口も。いずれ…あなたにお見せするこの体も…全て、本当に全て…穢されてきました。玲司さんと恋人でいられるのは嬉しい…でも、こんなわたしの全てを…本当に愛してくださるのか…ねえ、玲司さん。いつまでも。この汚れたわたしを…本当にあいんむっ!?」

 

愛してくれますか。そう言い終える前に抱き寄せられ、息をする暇もないくらいにキスの雨が降る。最後は長く…長くキスをして唇を塞がれる。

 

「ぷはっ!れ、玲司さん…?」

「前にも言ったろ。翔鶴はきれいだって、身も心も綺麗だって。昔のことは忘れられないだろうけど…そんなもん飛び越えていけるくらい、俺が幸せにする。今は…こんなリングだけどさ。大本営から支給されるカッコカリの指輪とも違う。本当に…2人だけの。翔鶴にだけ送る指輪を用意するから」

 

「あ…ああ…玲…司さん」

 

「俺だってこの体は人間じゃない。深海棲艦の血が混ざった人じゃない体だ。そんな俺は、ダメか?」

「そ、そんなことありません!玲司さんは玲司さんです!優しい…わたしの癒しの止まり木…心の拠り所…あなたでなくてはダメなの!」

 

「なら俺だって同じだ。優しくて、俺を癒してくれた。体が動かなかった時にずっと俺を支えてくれた。だから、翔鶴でないとダメなんだよ」

 

「うん…うん…!」

 

そうして再びしっかりと抱き合い、キスもする。お互いの温もりを感じ合う。もうお互い止められない。止まらない。翔鶴は心臓がもうドックンドックンと大きく脈打っている。玲司への愛が止まらない。これが、愛していると言うこと。

 

(ククク、愛しているぞ…我が妻、翔鶴)

 

そんな言葉が霞んでいく。本当に愛されるってこんなに…あったかい。温かい涙が止まらない。玲司の愛していると言う言葉が胸に染み込む。玲司の何もかもが愛しい。離したくない!!

 

「ずっと…離さないでくださいね…」

「離すもんか」

 

短い一言。でも、それだけで安心した。ああ、涙が止まらない。わたしの中の穢れが流れていく。そんな気がした。

 

玲司は小さくしゃくりあげる翔鶴を愛しく抱きしめ、頭を撫でていた。もしかしたらこの間の倒れた時、深い闇を彷徨っていた夢を見た。もうダメだ。闇に引きずり込まれそうになっていた時に、光を照らし、宙を舞う白い鶴。あれは…きっと翔鶴だったんだな…と思った。翔鶴のおかげで俺は生きている。そう言っても言い過ぎじゃないだろう。

 

お互いに彼でなければ。彼女でなければいけない。

 

(金剛。俺はまだ頑張れるよ。提督として、もっと頑張るよ。翔鶴と一緒に)

 

イエース!

 

聞き慣れた声がした物で周りを見回したが誰もいなかった。ああ、いやいや。翔鶴をしっかり見ないと。そうして泣き止むまでずっと抱きしめていた。

 

………

 

さすがに朝帰りはまずいと思ったので車を横須賀へ走らせている。車内は2人揃って無言。お互いにソワソワ…どうも落ち着きがない。あるチャンスを窺っているのだが、その好機が見えない。言え、言っちまえ!言うのよ…言いなさい…!と揃って自分に命じているのだけど、喉に引っかかって出てこないのだ。

 

無情にも鎮守府に帰ってきてしまった。駐車場に車を停め、エンジンを切る。切るが降りない。降りることなく過ぎる時間。数分過ぎた時…。

 

「部屋」

「へあっ!?」

 

「あ、いや、そう言うんじゃなくて…」

「は、はい…ごめんなさい…」

 

「俺の部屋…来る?」

「………」

 

「い、いや。ごめ「謝らないで!!」

 

「謝らないで。そこで謝られたら、わたし、もうお返事できないから…」

「あ、ああ、うん」

 

「いき、行きます…行きたい…です。今夜は…ずっと居たい…」

「…………い、いく…か。よし、行くか!」

 

「は、はいっ!」

 

謎のテンションだったがそこでも腕を組んで、静かに玲司の部屋へ行った。部屋に来た翔鶴はもう人形のようにカッチコチだったが、何とか玲司がおもてなしをして平静を取り戻した。

 

寝巻きがないので玲司のシャツを借り…。

 

「忘れられない夜に…してください…」

 

…………

 

「はうあ!!」

 

妙な悲鳴をあげて飛び起きる。嫌な夢だった。

 

「竹槍で刺される夢とか何よそれ…もう!ゲッ、もう7時じゃん!翔鶴姉!ねぼ…う」

 

横を見たが布団は敷かれていなかった。と、言うことは本当に、姉は昨夜ここに帰ってきていない?うっそ、マジで?マジで朝帰り?朝チュン?へ、へへ、あの朴念仁と奥手の姉が…ねえ。これはますます聞かなきゃな。ガラリ…とふすまが開いた。入ってきたのは…。

 

「あら、おはよう瑞鶴。今起きたの?」

「うぇっ!?」

 

姉だった。提督さんと朝帰りをした姉だった。ん?ちょっと待て。何だか髪が濡れている。それに、シャンプーのいい匂いがする。

 

「翔鶴姉、今帰ってきたの?」

「えっ?え、ええ、そうよ?」

 

「ふーん、部屋に一旦戻ってお風呂入ってもよかったんじゃない?着替えとかさぁ」

「あ、あはは、ちょっと、ね」

 

「で、シャンプーの匂いがお風呂場のシャンプーの匂いと違うんだけど、どこで入ってきたの?」

「よ、横浜の大きなお風呂よ?」

 

「ねえ、男物のシャンプーの匂いがするんだけど(匂い知らないけどね)」

「ええっ!?やだ、どうして…?どうしてわかったの…?」

 

「はあ!?じゃあほんとに男物のシャンプーの匂い!?ま、まさか提督さんと一緒に!?」

「ち、違うわ瑞鶴!さすがにそんなことまで恥ずかしくてできないわ!」

 

「ちょーっと待って!そんなことまで!?そんなことまでってどう言うこと!?じゃ、じゃあ何?提督さんのお部屋でひ、一晩……!?」

「…………」

 

真っ赤になりながら無言。無言は肯定。

 

「お、お泊りデート…だと…?」

「あ、あの、あの…もう着替えてもいいかしら…お外に出てくれると…嬉しいのだけど…」

 

「なんで?」

「あ、いえ、その…」

 

「なんで?いつものことじゃん。私も着替えたいし」

「あ、あう…」

 

「………まさかあいつみたいに提督さんに暴力を振るわれたとか!?」

「違うわ!そんなことされてない!むしろすごく優しくって………あっ!?」

 

「どうやらマヌケは見つかったようだな…観念なさい!翔鶴姉!」

「瑞鶴!落ち着いて!きゃ、きゃあああああ!!!」

 

翔鶴の悲鳴を聞きつけた祥鳳が飛んできて、中に入ったのだが…。

 

「脱ぎなさい翔鶴姉!しっかり見せてもらうんだから!」

「お願い瑞鶴、やめてぇ!!」

 

とんでもないことになっていた。瑞鶴先輩がそんな趣味だったなんて…!と慌てて扶桑や名取に相談をしたせいで、しばらくの間、瑞鶴は扶桑や名取から妙に生温かい目で見られることになるのだった。翔鶴は秘密を死守した。瑞鶴はそのあと摩耶や五十鈴にも噂が広まり、本の影響だと鳥海に五十鈴秘蔵の本は全て没収されたとか。

 

「翔鶴さん、何だかまた綺麗になったわねぇ…」

 

扶桑がニコニコと翔鶴を見、どこかいつも張り詰めたような、思い詰めたような表情が消えたことにホッとした。提督にお任せすれば安心ね。うんうん。と嬉しそうに演習場へと向かうのであった。




翔鶴姉のお話、終わりです。
過去の澱みを捨て去り、美しい白き翼に生え変わった鶴はまたどこまでも飛んでいけるでしょう。止まり木があるとわかれば、怖いものはありません。

さて、次回は新艦娘の登場。そして、また波乱の日々が始まろうとしています。その波乱の主は…敵か味方か?の彼です。彼の真意は何か?そちらも見守ってあげてください。

それでは、また。

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