提督はコックだった   作:YuzuremonEP3

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深海棲艦

突如海から現れ、人間を憎悪し敵意をむき出しにしてくる得体の知れない何か。
深海棲艦は研究により沈んでしまった艦娘が海の底で恨みや憎しみを集めて転生するのではないかと言われている。しかし、この場合、まずは低級な深海棲艦として生まれ、力は弱い。ある程度成長すると沈んだ時の艦娘の艦種によって姿が変化すると言われているが、詳細は不明。
実はもう一つの方法があると言われているが、実証はされていない。


第十三話

暗い海を駆ける艦娘達がいた。しかし、彼女たちは次々と何者かに攻撃され一人、また一人と海の底へと消えていく。その一面黒の世界に一点だけ白い服を着た少女もまた海を駆ける一人。

 

陽炎型駆逐艦八番艦「雪風」

 

雪風は奇跡的に全ての攻撃をかわし、傷一つないままに砲撃の雨の中を右へ左へと慌ただしく走っていた。耳には砲撃の音、そして仲間たちの悲鳴。断末魔の叫び

 

「死にたくない!」「助けて!」「嫌だ…お姉ちゃん…!いやあああ!!!」

 

彼女たちの悲鳴だけが鮮明に耳に残る。大破した艦娘が一人手をこちらに差し出して助けを求めていた。

 

「お願い!助けて!雪風!!」

「っ!陽炎姉さん!!」

 

方向を急転換し、自分の姉の救助へと向かう。砲撃はなぜか止み、救うなら今しかないと雪風は全力で陽炎の下へと駆け寄った。そして手を取った。

 

「陽炎姉さん、もう大丈夫!雪風がついていますから!絶対、大丈夫!」

「ああ、あああ…雪風…」

 

―――――――本当に大丈夫?―――――――

 

姉から発せられた謎の質問。雪風は大きく困惑した。陽炎がニタリと気味の悪い笑みをこぼすと肌の色が青白くなっていく。髪は赤茶色の髪から白に染まり、目は青く爛爛と輝いている。ギリッ…と雪風の手をへし折らんばかりに強く握りしめた。

 

「いたっ…陽炎…姉さん?」

「雪風…あたシ、沈んじャウノ…深海棲艦ニなっちゃうノ…ダッテ…アナタガ助ケてクレナカッタかラ」

 

「!?そ、それは…」

「ダカラ…アンタモ仲間に入レチャオウッテ。コこは…暗クテ、痛くテ…ネエ。オ姉チャンノ言ウコトヲ聞イテヨ」

 

陽炎だったモノがそういうと、海面にはいくつもの青白い手と、青や赤や黄色の目をした深海棲艦になってしまった仲間が浮かび上がってきた。そして口々に雪風に向けて言うのだ。

 

コッチニ来テヨ…痛イヨ…苦シイ…

何でタスケテクレナカッタノォォォォ!?

 

自分ダケ生キテズルイ…オマエモコッチニ…

許サナイ…コノ死神…

 

「ああ…ああう…あ…」

「サア、雪風。一緒ニ行コウ?深イ暗イ…海ノ底ヘ…私タチヲ見捨テタ苦シミと怒リヲ受ケナサイ。サア…ウフフフ…アハハハハハハハ!!!」

「ソウダ…許サナイ…許サナイ…」

 

「ひっ、嫌!ゴブッごぼぼ!!」

「モウ逃ラレナイ…ダッテアナタモモウ…深海棲艦ナンダカラ…」

 

沈みゆく体。その自分の腕を見ると、自分もまた青白い深海棲艦の体になっていた…

 

嫌だ!沈みたくない!沈みたくない!!!助けて!!北上さん…しれえ!しれえ!!!助けて!!!タスケテ!!!!!

 

………

 

物凄い勢いで飛び起きた。息は全力で戦闘を繰り返した後のように切れ、全身汗だく。そして、ガタガタと体は震えていた。

 

カチカチガチガチガチカチカチ。時計の秒を刻む針の音と、雪風の歯が噛み合う音が部屋に響く。うるさいがどうにかする事もできない。こうなると動けないのだから。

 

雪風はいつの頃からか沈んでしまった仲間に海の底に引きずりこまれ、深海棲艦になる夢を繰り返し見ていた。それは、罪悪感なのか。それとも海から恨みを引き連れてしまったからなのかはわからないが、毎晩のように見るようになっていた。

 

「幸運の女神」雪風。そう呼ばれたのはいつまでだったか。最終的には死神。他の艦娘の命を吸って生きる艦娘。裏切者。「生きて還ってきてくれた」から「また生きて還ってきた」となり。横須賀鎮守府の中では北上と同じく忌み嫌われる存在となってしまっていた。

 

『生きて還ってきてしまった、なんて言わないで。あたしはあんたが生きて還ってきてくれて嬉しいよ。あたしの部屋いこっか。死神同士仲良くしましょなんてね』

 

そう言ってくれたのは唯一、同じく古参の生き残り北上。鎮守府においては人間も、艦娘も。北上以外は信用できなかった。

 

『おお、雪風。また還ってきてくれたのだなぁ。偉いぞ。早速だがまたこいつらを連れて出撃だ。お前の盾になってくれる者たちだ。お前は気にせず戦いに集中しなさい。必ず帰ってくるのだぞ?』

 

『なんで私たちが貴方の盾なんかに!ふざけないで!私たちは深海棲艦と戦うために生まれてきたの!なのに…生まれてすぐ死んで来いなんてふざけないでよ!!!許さないわ…一生恨んでやる…許さない…!』

 

『ああ、また一人で還ってきたのか。ふふふ、まあ良い。勝利は刻んだ。また次も頼むぞぉ?』

 

思い出すだけでも嫌になる。特にあの男だ。タバコと何かで臭い手で頭と頬を撫でられるのが嫌いだった。還って来てしまったのに、男は偉いぞと言った。偉くなんかない。自分のせいでたくさんの艦娘を沈めてしまった。

 

褒めたかと思えば時には酒臭い息で罵倒する。時に殴られも蹴られもした。

 

『何を全員沈めておめおめと還ってきた!!!!貴様、儂に敗北をもたらした役立たずが!何が幸運の駆逐艦だ!!!この役立たずが!!!!!』

 

酒と加齢で臭い息を吐きかけて罵る醜い男。何もかもが不潔で汚かった。あの男がいなくなると分かった時、本当によかったと思った。

だが、雪風は安久野がいたころから仲間に夢の中でさえも恨まれるようになった。そして、最後にはいつもの深海棲艦になってしまう悪夢。日に日に数が増えていく仲間。そして激しく怒りを表しているのか明滅する赤と青と黄色の光。それは深海棲艦の目だ。何十と言う光がぐるぐると雪風を取り囲み明滅する。

 

やがてそれは幻覚として起きている最中にも時々見えるようになった。夢だろうと現実だろうとお前を許さない。そういわれているような気がした。

 

「…助けて…助けて…しれえ…助けて…しれえ…助けて…」

 

この光の明滅の幻覚は日が昇るまで続く。時刻は0230…朝日は…遠い…。

 

カチカチカチガチガチカチガチガチ

 

 

朝、食堂には摩耶、五十鈴、最上、鳥海、阿武隈の五人が姿を見せた。玲司の約束を守りちゃんと食堂に顔を見せに来たようだ。

 

「おはようさん。ちゃんと約束は守ってくれたな」

「あったりめえだろ…あんたとの約束は守るよ…。あたし達も、もうあんたを恨んだりもしてねえし…」

 

「そいつは結構。さ、ちょっと皿並べてくれ」

「あ、うん…ここでいいの?」

「僕も手伝うよ」

 

そう言って五人はてきぱきと食器を並べたり、飲み物を並べたりと玲司の手伝いを進んでやっていく。その姿を見て玲司は笑った。

 

(なんだ。やっぱりいい子たちじゃないか。これなら大丈夫そうだ)と満足しているようだった。やがて翔鶴姉妹や駆逐艦たち。それに北上なども集まって、お互い少し気まずそうにしているようだった。

 

「あの…その…昨日は、ごめん。あたし達、馬鹿なことして…龍驤の姐さんに懲らしめられて…自分たちがいかに馬鹿なことしてたって…迷惑かけてたって…だから、ごめん!!!」

「五十鈴達のやってることは独りよがりだったのよね…。本当に馬鹿だったわ…許してとは言わないけど…ごめんなさい」

 

「僕もだよ。提督も悪くないし、みんなだって新しい環境に慣れようとしてたのに、一方的に拒否しちゃって…。ごめんなさい」

 

「んー、結局はあのヒキガエルが悪いんだし、玲司だってどんな人かもわかんなかったししょうがないんじゃない?別にあたしは怒ってないしさー」

「いや!北上にはひどいことばっかり言っちまった!殴るならいくらでも殴ってくれ!」

 

「えー、疲れるし痛いからやだ。だったら深海棲艦にそれぶつけるから、ちゃんとあたしをサポートしてよね」

「北上…わかったわ。阿武隈もいるし、しっかりやるわ」

「私も…摩耶と一緒に頑張るわ…」

 

「んー。じゃあおっけー。でさー、あたしお腹すいちゃってるんだよね。ご飯にしていい?」

「緊張感が相変わらずだね…北上は。うん、でも僕もお腹ぺこぺこ。提督のご飯、楽しみだったんだ!」

 

「ん。じゃあもういいってことで。これからもよろしくな。手を合わせて、いただきます」

「「「「いただきます」」」」

 

シンプルに今日も焼き鮭と海苔。卵焼き。白いご飯。一口食べただけで摩耶や最上は目を輝かせておかわりも何杯も食べた。五十鈴は下品ねぇ…といいつつ二杯ご飯を食べていた。

 

北上は満足そうにそれを眺めていたが、雪風が眠そうに食べているのを見て気になった。

 

「雪風…また変なの見たの?あとでうちのとこにおいで」

 

そういうと雪風はコクリとうなずいてもそもそとご飯を食べていた。今までは北上の部屋で北上に抱き着いて眠るとぐっすり眠っていたのだが、このところは1時間もすれば目を覚まし、震える始末。

満足に夜も眠れず、うたた寝さえ許されない状況を北上は心配していた。

 

北上は知っていた。自分以上に汚いあの男に。そして多くの仲間から心ない言葉で罵られていたことを。安久野が来る以前から、共に海に出向き深海棲艦と戦ってきた数少ない仲間。もう安久野より前の艦娘は北上と雪風しかいない。長門と加賀、そして多くの古参はもういない。

 

……

 

「北上」

「ん?どうしたの?長門さん」

 

「雪風が心配だ。もし、もし私と加賀が沈むことがあれば…」

「よしてよ。縁起でもない。そんな話聞きたくないんだけど」

 

「聞け…私も加賀ももう限界だ…いつ沈んでもおかしくはない。入渠させてもらえそうもない。おそらく、大破したまま雪風とお前の盾にでもしたいのだろう。私と加賀は、資材を多く使うからな」

 

「………」

「北上。怒るのはそこまでだ。本当に私と加賀がいなくなったら、雪風を守れるのはお前だ。だから、雪風を頼む。あの子は生まれてこの方、不幸な目にばかり遭っている。仲間の死。そして今まで出会った提督が最悪の分類であり、優しさと言うものを知らん」

「だから、私や加賀ができうる限り優しさと言うものを与えたつもりではあるが…やはり、私たちではうまく伝えきれなんだ。だから、どうか心優しい提督に出会うまで、あの子を守ってくれ。いつになるかは…わからんがな…」

 

「あたしが?くちくに冷たい。ひどい人と言われてるあたしにそんなこと言う?」

「だがなんだかんだと雪風には優しいではないか。一緒に寝たりしているのだろう?」

「そりゃあの子が悪夢を見るからって…」

 

「雪風は気丈に振る舞っていても駆逐艦。人間で言えば子供だ。この鎮守府の悪意に耐えられるとは思わん。すまん、お前にこんなことを託すのは心苦しい。だが、次の出撃で私と加賀は…帰ってこれんだろう。頼む、北上」

 

……

 

本当に長門と加賀はこの頼みを残したあと、北上と雪風の目の前で沈んだ。雪風は泣き喚いていた。けれど、雪風は鎮守府で安久野と仲間たちに罵声を浴びせられた。北上もであるが。

北上は長門の最期の頼みを律儀に守っている。あれほどまでに真剣な眼差しで頼まれたのなら守るしかない。長く一緒に戦ってきた仲間の真剣な頼みだ。無碍にはできない。

 

しかし、もうそれも翳りが見えてきた。事実、雪風の悪夢から守り切れていない。北上にはもうどうすればいいのかわからなかった。

 

(玲司なら…あるいはいけるかな…?お願いだよ。あたしや翔鶴を助けたみたいに…雪風を助けてあげて…)

 

事態は深刻であった。

 

……

 

「え?雪風が?」

「ああ、昨夜庭で自分は死神。とかブツブツ言ってさ…なんか、すごいヤバい雰囲気だった…」

 

食事のあと、摩耶が昨夜見かけた雪風の異常な行動を報告していた。しかし、摩耶が声をかけるとぴたりとそれを止め、いつも通りに話してきたこと。それも摩耶としては異常な感じだったと玲司に告げた。

 

「わかった。雪風は何とかしてみるよ。それは放っておくと取り返しがつかなくなりそうだ。ありがとな、摩耶」

 

そう言って摩耶の頭を撫でた。摩耶は瞬時に顔を真っ赤にして怒鳴る。

 

「な、何してんだよ!人の頭勝手に撫でやがって!セクハラ!へんたい!!」

「あ、わ、わりい。つい…」

「なにがついだよ!馬鹿!」

 

そう罵りつつも、まんざらでもない顔をしていた。摩耶も知らないのだ。人の優しさを。頭を撫でられることの温もりを。だから、突然の優しさに困惑しただけだった。

 

「い、いいか!そういうのをやるのはここの鎮守府の奴らだけにしとけよ!!あーもう…顔あっつい…鳥海!行くぞ!!」

「ふふふ…司令官さん。今度は私にもお願いしますね…」

 

そう言ってズンズンと大股で歩いて部屋に戻る摩耶と、手を振って摩耶についていく鳥海。何とも言い難い雰囲気を残して玲司が立ち尽くしていた。

 

「あーあ、玲司の頭なでなでの虜になったなぁ、摩耶。ニシシ、玲司も隅に置けん男やなぁ」

「何が言いたいんだ姉ちゃん…」

 

「あれが本で読んだ撫でポってやっちゃな!鳥海もされてたら危なかったんちゃうかなぁ。あんたの頭なでなでは危険やでな。あのクソうるさい島風も黙るくらいやし。まあ、それよか、聞いたんと見た感じ、あれはもう壊れとるな」

「そんなこと…」

 

「ほんまにそんなことないって思うとるんか?あんたは自分のことはからっきしやけど、艦娘を見る目は鋭いやろ。はっきり言うてみ?あんたの目から見て、雪風はどうや?」

「……やばいと思う。もう取り返しのつかないレベルで」

 

「せやろな…。どう見ても壊れとる。玲司、雪風を海に出したらあかんで。あれは海に出したらあかん。走ってる間に海から恨みを集めて自ずと沈まんでも深海棲艦になりよる。壊れた心の隙間から…じわじわと海の底から恨みや怒りが入り込んで来よる。

そしたらそれが雪風の心の中の怒りや恨み、負の感情と混ざり合って。やがてはそれが一つになって。走りに走ってその呪いが雪風を深海棲艦にする。沈んで生まれ変わったやつとは比べもんにならんくらい凶悪なやつに成り代わる」

 

「…そんなことはさせねえ。もう、二度と仲間がいなくなるのは御免だ」

「その意気や。せやけど、雪風の闇はめっちゃ深いで。覚悟しいや…」

 

とは言え、どうすればいいのかさえわからない状況に、玲司は無力感を背負った…。

 

/北上の部屋

 

「どう?眠れそう?」

 

北上が聞いても雪風は首を横に振る。小さく震え、怯える様子を心配そうに見つめるが、解決策がない。自分ではもうどうしようもないところまで来てしまっている、と深刻に受け止めた。

 

「怖い…光が…雪風の周りグルグルって…声も…聞こえるんです…タスケテって…お前も来いって…」

「その声に反応しちゃダメだかんね…。お願いだよ…あんたまでいなくなったら、あたし…」

 

「ゆ、雪風は…沈み、ませ…ん…でも…もう…助けて…」

「雪風!しっかり…しっかりしてよ!」

 

雪風の気力も限界に達しようとしていた。寝不足に加えて昼も夜もない幻覚、幻聴。これが着実に雪風の心を破壊していった。誰も助けてくれない。むしろ危害しか加えない人間。北上の言葉は気休めにしかならない。

 

「雪風、玲司…提督のところへ行ってみな。あの人なら大丈夫って雪風も言ってたじゃん。よし、連れてってあげるからね…」

 

自分ではもうどうしようもないところまで来ていた雪風を。僅かな希望を託して玲司のもとへ連れていくことにした。自分や翔鶴を助けてくれた彼なら、きっと…。

 

/執務室

 

雪風をどうにかしたいが、具体的な解決策が見つからず、考え事をしながら書類をこなす。大淀も忙しそうにペンを走らせていた。ショートランドでは数多の幸運を呼び寄せ、幾多の勝利をもたらした幸運の女神雪風。金剛と青葉と共に最後まで戦ったが運悪く、青葉を庇い沈んでしまった。

 

かつての雪風はとても甘えん坊で膝の上に乗ってきたり、頭を撫でろと要求してきたりと見た目と同様子供のようだった。横須賀の雪風はその様子はない。虚ろで、甘えようとはしない。こちらからも手を出しにくいが…

 

がちゃりとドアが開いた。突然の来訪者は今まさにどうしようか悩んでいた雪風がやってきた。部屋に入ったところでボーっと玲司を見つめて立ち尽くしていた。

 

「雪風、どうした?ずいぶんと眠そうだな?眠れないのか?」

「………」

 

雪風は答えないが、少しだけ頷いたように見えた。玲司は小さな雪風のSOSを見逃さなかった。

 

「そっかそっか。よし、ちょっと待ってろよ。大淀、すまん。しばらく頼めるか」

「はい、お任せください。雪風ちゃんをお願いいたします…」

 

大淀は玲司に全幅の信頼を置いている。雪風に変なことをしないと思ったので雪風を任せることにした。大淀も心配だったのだ。時々虚ろにしている雪風を。

 

……

 

玲司の寝室に雪風を連れてきて、玲司は温かいミルクを雪風に振る舞った。

 

「ほい、熱いから気をつけろよ。寝る前には体を少し温めるとよく眠れるぞ。まずはそれを飲みな」

 

雪風はしゃべらない。おそるおそるマグカップに口をつけ、雪風のために少し冷ましたホットミルクを飲んだ。ちびちび…と口をつける雪風。その顔は少し嬉しそうに見えた。

 

「ここじゃ雪風はどんなわがままを言ってもいいぞ。特別にな」

 

ゆっくりと頭を撫でた。ショートランドでもかつて雪風の頭を撫でていたように。優しく。その撫でた感触と温かさが雪風の心をほぐす。初めて会った時にも撫でてもらったが、その時の温もりが忘れられなかった。

頭の温かさがそのまま胸に流れ込み、なんとも言えない感情を生んだ。雪風自身はそれに気づけていないが、雪風は優しさを知った。あの汚い男が撫でたときとは違い、ポッと温かかった。

 

彼女は玲司に撫でてもらったときに、幻覚と幻聴が消えたことを忘れてはいなかった。正気に戻れた。正気と狂気の狭間をさまよい、狂気に触れている時間が長くなっていた彼女を正気に戻したのは玲司の撫でる行為だった。

 

今もまた、色褪せた世界に色が戻る。自分を狂気と闇へ誘う光も声も聞こえない。しかし、これが。この行為こそが、雪風をさらに狂気へと導く猛毒になるとは、玲司も。雪風さえも気づいていなかった。

 

「しれえ…眠い…です。一緒に…、寝てほしいです。北上さん、に…いつもお願いしていましたけど…」

「ん?北上も忙しいもんな。しょうがない。俺が隣にいてあげるから。ほら、おいで」

 

ボス、と玲司に抱き着いて、そのまま布団に入った。暖かい…。頭を撫でてもらう温かさ。あの男とは違う柔らかな匂い。抱きしめてもらっている感覚。雪風は玲司の全てに安心し、一瞬で眠りについた。一筋の涙を流して。

 

/雪風の部屋

 

「なんやこれ…!」

 

一方で龍驤は雪風を何とかできないかと模索し、悪いとは思いつつも雪風の部屋にきて、状況を把握しようとしていた。駆逐艦らしからぬ、何もない部屋。玲司が与えた布団と、そして日記を書く小さなテーブル以外何もない部屋。

龍驤はその机の上に置かれていた日記に手をかけた。日記は何冊もあった。長いこと書いているのだろう。そして、それだけ彼女は生きているんだなと思った。

 

4月1日

今日から日記をかくことにしました!たくさん毎日書けるとうれしいです!

 

2年前からそれは始まっていた。パラパラとめくると最初は演習をした。イ級をやっつけた。今日はこんなことがあった、など微笑ましい女の子の日記だった。

 

4月1日

今日はあたらしいしれいが着にんしました!どんな人なんでしょう?前のしれいがいなくなってしまったのがさみしいですが、あたらしいしれいになってもがんばります!

 

一年前。安久野の着任。ここからの日記は徐々に龍驤を啞然とさせるような日記が増えていく。

 

9月9日

ながとさんとかがさんがいなくなってしまいました…かなしくてかなしくてなみだが止まりません。あたしのたてにだなんて…そんなことをいうしれいは大きらいです。

 

10がつ29日

今日もまた多くの人がしにました。みんながあたしをしにがみと言います。雪風はしにがみなのでしょうか…?お前がしねと言われました。しねばいいのはしれいだと思います

 

12月15日

きょうもまたいっぱいしにました。きょうもしねと言われました。しれいが死ねばいいのに。死ね

 

12月17日

きょうもしにました。死ね

 

12月29日

しれい、死ね

 

1月9日

しねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしね

 

龍驤は日記を机に投げ出した。これ以降はもう「しね」の羅列でしかなかった。心臓がバクバクと早く脈打つ。危うく…狂気に巻き込まれるところだった。

 

「はぁっ…はぁっ…やばいどころの話ちゃうやん…もう…もう完全に…壊れとるやん…」

 

意を決して続きを読む。安久野がいなくなってからはしねはなくなったが、幻覚と幻聴の話を書いていた。龍驤はガンと頭を殴られるような衝撃を受けた。玲司が着任した日。カレーを食べた日は正気に戻っている。

しかし、それ以外はもはや狂気に侵された日記でしかない。たすけて、連れていかれる。それは…もう

 

「深海棲艦に…なりかかっとる…いや、もう…なっててもおかしない…なんでや…何でまだ駆逐艦『雪風』のまま…留まっとるんや…?」

 

日記は昨日も書いてあった。

 

12月2日

つれていかれる。たすけて。たすけて…しれい…たすけて。

あたまをなでてくれれば、雪風、がんばります。

 

「…戦っとるんか…玲司のもとでがんばりたいから…狂気に飲まれるのを必死で…!」

 

わずか一週間ほどしか経っていないにも関わらず、雪風は玲司の優しさに触れ。狂うことに、深海棲艦に堕ちるのを必死に小さな体で耐えていた。普通ならばもう深海棲艦になってしまってもおかしくないと言うのに。

 

「…雪風……踏ん張り…!あんたが助けを求めとる奴は…ほんまにあんたを助けてくれるさかい!玲司…助けたってやぁ…こんな、こんなええ子…深海棲艦にしたらあかんて…お願いやぁ…助けたって…お願いや…」

 

龍驤は一人、日記を抱きしめて泣き崩れた。自分たちが知らなかった闇が其処にある。

 

……

 

「もういいのか?雪風。もっと寝ててもよかったんだけど…」

「はいっ、3時間も眠れたのは久しぶりです!しれえのおかげです!」

 

「そ、そうか。んじゃあ俺、執務室で仕事するから、雪風もいてもいいぞ」

「本当ですか!?えへへ、雪風もお手伝いしますっ!」

 

僅か3時間で雪風は元気を取り戻した。一時的なものなので油断ならない状況ではあったが、とりあえずはと安心はしていた。雪風を今一人にしておくのは危ない…そう思った玲司は何とか雪風を執務室に置くことに疑問を持たなかったことに安堵した。

 

「あ、玲司ー。おつかれー」

「おう、北上。お疲れ」

 

「お、雪風ー。ちょっとは元気になったんじゃなーい?」

 

そう言って笑顔で雪風に手を振った北上。しかし…雪風から出た言葉はあまりにも異常な言葉であった…

 

「あっ、初めまして!新しい艦娘さんですね!陽炎型駆逐艦『雪風』です!どうぞよろしくお願いいたします!あなたのお名前は何ですか?」

 

「―――――え?」

「ゆ、きか…ぜ?」

 

雪風の瞳は昏く、光は…映していなかった。雪風は、北上を――なぜか忘れてしまっていた。雪風の狂気は。闇は。止まらない。




大型建造をやったら大鳳が出て小躍りしてるゆずれもんです

雪風編、スタートしました。しょっぱなから非常に重い話ですね…。ハッピーエンド大好きな私ですので、北上や翔鶴同様に最後は笑って終われるようにしたいですが、そこは前途多難が待ち受けています。果たしてこの闇をコック提督こと玲司は晴らせるのでしょうか?

そして、唯一無二の恩人北上に初めましてと言った雪風。一体何があったのでしょうか。

お読みいただきありがとうございました。次回も読んでいただけましたら嬉しいです。

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