「不知火の洗脳なんざとっくの昔に覚めとるやろ。横須賀に初めて来たとき、一目で洗脳されとる?嘘やろって思ったわ」
「ええ!?本当ですか!?」
「しーっ!声がでかいっちゅうねん!!」
ある日の夜、鹿島の部屋に来て話をしている龍驤が慌てて鹿島の口を押えた。もがもがとまだ何か言いたげであったが、あまりに声が大きく、誰か(川内以外)に聞かれるのはまずいのだ。
「川内はどう思う?不知火のこと」
「あー、あれは洗脳解けてるでしょ。兄さんも気づいてるんじゃないかな」
「きゃあああああ!?」
「静かにせえっちゅうねん!!!」
いや静かにしろって言うのが無理だろう。今の今まで自分と龍驤しかいなかったはずなのにいつの間にかぬっと部屋の隅にいたのだから。「宵闇」川内。噂は聞いていたがどこからともなく現れ、いつの間にか会話を聞いている諜報部隊だった艦娘。横須賀の艦娘は大体が川内に驚かされているが、今はもう慣れている。そんなものに慣れれるのか?よく、わからない…。
川内はようやく、原初の姉妹以外とも気兼ねなく話ができるようになった。最初はすぐ真っ赤になって「ううう…」と唸って影に消えたりしていたのだが。今はお菓子をボリボリ食べながら話をするくらいはできる。初対面の子にはまだ恥ずかしがるしぐさをする。龍驤はそこがかわいいと言っておちょくる…いや褒めていた。
「だけど、漣は気づいていないっぽいね。不知火はあえて漣に気づかれないように洗脳されたフリをしている?」
「さあ、そこはうちにも何とも。不知火自身が、うちや玲司が話しかけてもまだ洗脳されたフリをしとるからなぁ」
「フリ…ですか?」
「せや。大府提督にやられたっちゅー洗脳はとっくに解けとるよ。たぶん、陽炎を沈められた時にすでにな。洗脳っちゅーたかて、艦娘の心はそう簡単には完璧に掌握でけへんよ。人間と一緒でな」
「では、どうして不知火さんはまだそんなことを…?」
「漣に何か負い目を感じてるとこがあるんじゃないかな。そのために、洗脳されたフリして逃げてるだけ」
「そんな…こと…」
「まー何となく察せるんやけどな。なんで、漣に負い目を感じてるんか」
「あー、確かに。兄さんから不知火と漣の事情は聞いてるからね」
「勝手にな」
「うっさいなー。兄さんが怒ったりしてないからいいじゃんか」
「盗聴は犯罪やで、歩く盗聴器」
「そこら中にべらべらしゃべり歩く拡声器に言われてもね」
「おー!?お前何や上等やんけ!!!!ケンカなら買うたるわい!!!」
「そっちこそケンカ売ってきてるんじゃんか!!!あったまきた!!!!いいよ、派手にやってあげるよ!!!」
「ケンカはやめてくださいー!!!」
原初の艦娘のケンカは過激である…のだが…。部屋のドアが開く。
「そこまでです。ケンカをされるのであれば提督に報告させて頂きます。おふたりがケンカを始めそうになった場合、すぐに報告するよう提督に指示されております」
「げぇっ!?神通!?」
「ちょ、まっ!?待って!兄さんに報告はストップストップ!?」
「おふたりの殺気が感じられたので参りました。提督にはご報告させて頂きます。それでは」
「神通待ってーなー!こんなん遊びやって!」
そう龍驤と川内が何とか止めようとしても、神通はズンズンと玲司のもとへと向かう。結局、龍驤と川内は厳しく玲司に怒られたのである。「原初の艦娘」同士がケンカを始めるともうとんでもないくらいの大きな騒ぎになるのだ。以前は陸奥がいたのだが今はいない。が、今回は神通がその止め口となる。「原初の艦娘」にも劣らない実力をもつ神通だからこそできること。
ちなみに、ケンカの仲裁役は誰か?と聞いて回ると、十中八九が神通、と彼女を指名した。真面目で平等。そして何より、龍驤や川内など、口車に乗せるのがうまい艦娘でも頑として聞き入れない頑固…いやいや芯の通った子であるからこそである。憐れ龍驤と川内は3日間おやつ抜きである。
……
「うう…ぐアッ…!艦娘…こロシテ…やル!!」
「………!!!」
あの時、撃沈もされていないのに突如として様子がおかしくなった陽炎を見て眠りから覚めるかのように不知火は自我を取り戻した。体の一部が青白くなり、青い不気味な片目。口から出た言葉は姉から本当に出ていた言葉だったのだろうかと思うような聞きなれない言葉。
私は何をしている。何をしていた?ここはどこだ?いや、それよりも…目の前で自分に砲を向ける姉であろうモノは一体なぜ自分に砲を向けているのか。
「あなたは兵器です。一切の感情などいらない。あなたは兵器。死ぬまで私のモノです」
兵器。モノ。兵器。モノ。モノ。兵器。
破壊しつくせ。敵を倒せ。痛みなどない。心などない。
ズキン!頭が痛い。胡乱な頭では何も処理ができない。自分に砲が向けられていても。目の前のモノが敵なのだろうか?陽炎なのか?自分は撃たれる。殺される。だが、体は動かない。撃たなきゃ…殺されると言うのに。今まさに火を噴こうとしている…。
ドォン!!
轟音。しかし、爆ぜたのは目の前の何かの砲ではなく…目の前で自分に向けられた砲が消えていた。目の前の彼女の腕ごと。驚愕の表情で横を見る陽炎だと思しきもの。不知火もボーッと横を見た。駆逐艦が砲を構えて立っていた。彼女の見た目と名前はわかる。特型駆逐艦「漣」だ。ぼやけた記憶力だったが、なぜか彼女の見た目と名前だけは憶えていた。
「ぬい!大丈夫!?」
ぬいと言うのは自分のことか。ああ、何となくそう呼ばれていた気がする。自分は漣に助けられたのか。
「……」
陽炎は生きているもう片方の腕で砲を構え、言葉になっていないうめき声をあげたあと、漣を撃とうとした。しかし再び轟音が響き、陽炎の胸に穴が空いた。ドン!と陽炎の砲は空へと向けて撃たれ、漣に当たることはなかった。
不知火は目の前で姉の胸に大穴が空いたことに目を見開いた。ブバッと赤い血を吐き、膝をついてこちらを見る。その顔は…笑っていた。やがて青白い肌は自分たち艦娘と同じ肌色になり、青い目も陽炎の茶色の瞳に戻っていた。
カチカチと仲間を撃ってしまったことに恐怖を覚えたのか、歯を鳴らし、体をブルブル震わせて漣は陽炎を見ていた。
「ごめんね…ありがとう」
ごめんね、は不知火を見て。ありがとうは漣を見て言い、そして…陽炎は暗い海の底に消えていった。
「ひっ…ひっ…」
漣は腰を抜かし、ガタガタと水上でへたりこんで座っているだけだった。不知火は、ただただ陽炎が沈んでいった場所を見つめ、ぶくぶくと浮かんでくる泡を眺めているだけだった。
泊地に戻ってきてからと言うもの、不知火は陽炎の「ごめんね」と言う言葉と、漣が撃った砲撃音だけが耳に残り、ボーっとしていているだけだった。いや、
「ぬい…ごめんね…ごめんね…ぬいのお姉さん…漣が…漣が撃っちゃった!」
そう言われても困る。しかし、体はびくりと反応する。陽炎のごめんねと言う言葉が再びよみがえる。漣が自分に抱き着いてわんわん泣いても、それに反応はしてはいけない。自分は人形だ。そうして逃げることしかできない。漣が謝罪するべきではない。姉が深海棲艦になったのなら、自分が始末するべきだった。
漣は確か、同じ特型の「曙」と「朧」についても何かを背負い込んでいるようだった。彼女は曙も朧も雷撃処分をしたのだと語っていた。そして、陽炎。
「し、しかた…しかたなかったんだ…じゃないと、みんな殺されると思ったから…」
誰かに許しを請うかのように。不知火に許しを請うように。彼女はぽつぽつと語っていた。しかし、あるとき漣にも異変が起きる。
「ぬい!ぬい!ぼのとぼろが帰ってきたんだ!もうマジメシウマ!マジでキタコレ!!ね!」
漣は誰と話をしているのだ。壁に語り掛けている。そこにぼの…曙も。ぼろ…朧も。いない。漣にだけ見えているのだろう。自分には単に、壁に語り掛けている漣しか見えない。ああ…。
ごめんなさい。
おそらく、陽炎を沈めたことが引き金となり、幻覚が見えるようになるほど、彼女の心は壊れだしているのだろうと思った。私のせいだ。私があの時、陽炎を沈めておけばこんなことになることもなかっただろう。それからと言うもの、漣を避けるためにとにかく何も聞こえていないようにふるまった。すればするほど胸が痛い。不知火はそれでも、漣を直視することができないでいた。
漣を壊した決定打は自分にある。そう思い込んで。けど、壊れていないはずの曙と朧に語りかける漣に恐怖感を抱いた不知火は、恐怖感と後ろめたさでますます漣を冷遇、無視した。時に勇気を振り絞り、朧や曙などいない、と言ったこともあったが掴みかかられ、怒鳴られた。恐怖で顔が引きつりそうになったのを何とか我慢して無表情で逃げ切った。
横須賀に来てから、軽巡川内と軽空母龍驤に何かを怪しむかのような視線を向けられたがそれもごまかせているだろう。そう思っている。洗脳が解けているなんて気づかれるはずがない。そう信じている。
司令の前で裸になろうとした時も恥ずかしかったが、洗脳されているフリをするのなら致し方ない。そう思っていた。でも、もうフリも疲れてきた。漣はついてきてしまったことで、ここでもただひたすらに人形を演じないといけないのは…辛い。
「いたいの?」
そう言われたとき思わず表情を動かしてしまった。漣以上に壊れている少女。いや、駆逐艦霞。彼女は全部を見透かしているかのように不知火にそう言った。
「いたいなら、いたいっていわなきゃだめだよ?しれーかんもそういってた!」
簡単に言えるなら苦労しない。自分はまだ人形のようにして逃げているのだから。しかし、なぜかこの霞は自分にくっついてくる。
「かすみといっしょだね!」
そう言ったのだが、ならちょっと待て。霞も壊れたふりをしているのか?人間の子供を演じているだけなのか?いや、違うだろう。霞は本当に壊れていると思う。漣以上に取り返しがつかないほど。
「なら、その子供のような素振りは…演技なのですか?」
そう聞いた。霞とふたりきりの時。自分と同じと言うのなら素のままで話してもいいのではと思い、霞に聞き返してみた。その時の霞の笑顔は、到底子供のそれとは思えない表情で。不知火は逃げ出した。自分の部屋で…バクバクとうるさい心臓を握りしめるかのように自分の胸をぎゅっと握った。あの霞は一体…なんだ?ゾワゾワと背筋に寒気がはしり…しばらく霞と会うことも怖くてたまらなかった。
/
そしてつい先日、逃げ回っていた霞と出くわしてしまい…。
「しらぬいちゃん、かすみのこときらいになったの?」
しゅんとした表情で会うやいなやそう言ってきた。不知火はたじろぎながら「い、いえ…」と言うのが精いっぱいだった。霞はじっと不知火を見つめてはっきりとした答えを求めていたのだろう。不知火が口を開くのを待っていた。
「いえ…嫌いになったわけではありません」
「ほんと!?みょうこうおねえちゃん!しらぬいちゃん、かすみのこときらいじゃないって!」
「よかったですね。不知火さん、何か霞さんがご迷惑をおかけしましたでしょうか?」
「いえ。そのようなことはありません」
「じゃあかすみとおはなししましょ!」
「ええ。構いません」
「よかった!みょうこうおねえちゃん、かすみね、しらぬいちゃんとないしょのおはなしがあるの」
妙高さんがいるなら、と思ったのだが予測が外れた。内緒の話などない。何だろうか。何を霞は企んでいる?
「そう、なのですか。不知火さん、では霞さんをよろしくお願いしますね」
待って、と言える空気ではなかった。いこ?と霞は手を取って引っ張る。妙高は自分の気も知らないでのんきに笑って手を振って見送っている。不知火の心境はそんなのんきなものじゃない。あの、おおよそ子供には思えないほど妖艶な笑顔を見た後では、ふたりきりで話すのは恐ろしいことのように思えた。霞はぎゅっと手を絶対離さないかのようなチカラでズンズンと不知火を引っ張っていく。
連れてこられたのは中庭だ。
「ここでいいかなー」
なんてのんきに言っているが、内緒の話と言って誰もいないここで何の内緒の話をするのか。
「ええ、内緒のお話ですよ」
「!?」
後ろへ飛び、霞と距離を取った。恐ろしい何かわからないものが目の前にいる。それだけで不知火の目つきはより一層厳しくなった。
「心配しないでください。あなたに危害を加える気はありません」
「あなたは…霞ですか?」
「はい。駆逐艦霞です。と言いたいところですが…わたしは霞であって霞ではない。そんなところでしょうか」
「……どういうこと…ですか?」
「この体の中にいた『駆逐艦 霞』と言う自我は崩壊してしまいました。人間の徹底的な暴力によって。ですが、自我がなくなり、空っぽになってしまうとこの体に何が入ってきてしまうかわかりません。ですので、わたしが入り込みました」
「では、あなたは霞ではない…?」
「いいえ。霞、と呼ばれていますので、わたしは霞なのでしょう」
クスクス、と笑っている。幼児退行してしまったフリをしているほうが都合がいいのか。確かに、今の霞の話し方は異様であり、不気味ささえ感じる。
「不知火に何かご用でも?」
「ふふ。言ったでしょう?ちょっと前でしたか。痛いの?とお聞きしたはずですが」
「ええ、聞かれましたね。ですが、あなたではない」
「わたしはわたし。霞であるわたしが問うたのですよ。あの時の霞もわたし。今あなたに問うたのもわたしです」
目の前の霞はそういう。しかし、自分の中で最大警戒の鐘が大音量で鳴っている気がした。
「艦娘とは艦であった魂の入れ物。中身は千差万別。霞は霞でも私のような霞がいても不思議ではありません」
「いいえ、霞の性格は自他共に厳しく、気の強いものです。あなたのような大人びた霞を私は知りません」
「そうでしたね。ふふ、わたしとしたことが」
「あなたは何者ですか」
「わたしは霞です」
「答えになっていません」
「霞は霞でも違う人格が形成されてしまったようでして。空っぽの霞に同じ霞が入る、と言うことはできませんでした。すでに壊れてしまっていましたので。わたしは急ごしらえの霞。あなたの知る霞を形成することができなかった。ですが、この様子ではわたしは異常でしかありません。ですので、壊れたのなら、人の子のようにすれば自然であった。それだけでしょう」
……わけがわからない。霞であって霞でない?いや、彼女は霞だと言い張る。なら、彼女は霞であると認めざるを得ない。自分たちの知る艦娘。駆逐艦「霞」でないから異常であると思ってしまうが彼女は紛れもなく霞である。それは、もう認めるしかない。
「私に真実をお見せしたのはなぜ?」
「同じだと思ったから」
「同じ?私と…あなたが?」
「空っぽですね。心を封じられ、人格を破壊され。今のあなたはがらんどう。けれど、駆逐艦『不知火』として存在し続けている」
「私はただ空っぽを演じていただけです」
「……いいえ。残念ながら人格を破壊されたあなたは仮初めの不知火。性格は似ていれど、異なる不知火さんですよ」
「なっ…」
「ですが、今はあなたこそが横須賀鎮守府の駆逐艦『不知火』なのです。空っぽの心はわたしと違い、埋めることができる」
もう何を言っているかが理解できない。彼女は一体、自分の何を見てそう言っているのか?
「駆逐艦『不知火』と言う根源をねじまげることはできません。あなたは間違いなく不知火。ですが、他の不知火とは似て非なるもの」
「根源…?」
「不知火ならば不知火たる根源がある。朽ち果て、新たな艦娘『不知火』が生まれようとそれは変わりません。すみません、わたしもうまく説明ができません」
敵ではないようではあるが、自分の奥底を見られているようで不快だった。それと同時に自分を見てくれていると言う嬉しさも多少あった。漣が一生懸命自分を見ようとしてくれているのと同じように。
「以前、わたしはあなたを空っぽと言いました。ですが、まったくの空っぽと言うわけではありません。あなたの心は漣さんと同じ。満たされていないと言う意味で空っぽです。洗脳されていたと言うのは嘘ではないでしょう」
「あなたには私の心などわかるはずもありません。私の何を知っているのか」
「……漣さんに後ろめたさを感じ、それでも自分の存在を認めてもらおうと彼女を無視しているのに?」
刹那、不知火は霞の胸倉をつかみ、睨んで射殺さんとばかりに霞を睨みつけた。図星だ。
「あなたに…あなたに私の何がわかるんですか。さもわかったかのように私のことを語るな…!」
「いいえ、これがあなたの本心。後ろめたさからわざと漣さんから目を逸らし、でもわずかでも心の渇きを満たすために漣さんに見ていてほしいから…ぐっ!」
さらにつかんだ胸倉にチカラを込め、首を絞める。これ以上余計なことをしゃべらないように。頭ではわかっている。霞の言う通りだ。突き飛ばすかのように霞から手を放す。ゴホッゴホッと霞はせき込みへたり込む。
「わかったような口を叩くな…!!あの時…あの時…目が覚めた瞬間に…私は…陽炎に砲を向けられ…殺意を向けられ…心のどこかで…姉が私に砲を撃つなど思っていないと…」
「ですが…」
「…私を撃とうとした。撃たなければ私は殺される。けど…手も足も…動かなかった」
不知火が膝から崩れ落ちる。あの時の無力感。あの時の死ぬかもしれないと言う恐怖。何もできなかった。漣が助けてくれなければ。漣が陽炎を撃ってくれなければ。自分は死んでいた。
そして、仲間を沈めなければならないと言うことを、漣に任せてしまったと言う後悔。全てが後ろめたかった。だから漣に申し訳が立たず、洗脳されたフリをし、逃げ回るしかできなかった。
「…洗脳から目が覚めたと言うのでしたら…きっと不知火さんはどうすることもできなったでしょう。心は空っぽで。練度もあってないようなもので…ですから、不知火さんが悪いわけではないと思います」
「違う…違います。あの時、陽炎を沈めるのは私の役目でした。ですが、私には…何もでき…できなか…った…」
「あの時、あなたはようやく自分の足で立ち上がった赤子…子供…それで精一杯でした。漣さんは…ずっと自分の足で走り続け、それが自分の役目であると理解していた。だから、あなたのお姉さんを沈めた。それだけです。あなたが責任を感じると言う理由は…何一つない」
「うう…うあっ…」
今まで誰にも許されなかったこと。打ち明けてもいないのだから、許されるも何もないのだが。それでも、それでも…。
「あなたが許せないと言うのなら、わたしが許しましょう。わたしは…霞であり『艦娘を見守る者』…と言ってもここの皆さんしか見守ることができませんが…」
「私は…許されて…いいの…ですか」
「いいんです。いいんです。誰もあなたを責めはしません」
霞が抱きしめてきた。そして、許しますと言われ、ようやく心の鎖が音を立てて壊れた気がした。不知火は霞の小さな胸で抱いた。大きな慈愛に包まれて。ごめんなさい、陽炎。ごめんなさい、漣。と何度も謝りながら泣いた。
何をやっても満たされなかった。陽炎をあんな風に変えた司令を。深海棲艦を憎んでも。満たされない。深海棲艦を憎み、壊れたフリをしてみるも無惨な姿になるまでグチャグチャにしても。何も満たされない。変わらない。グチャグチャに壊すほど、より虚無感が増した。
ああ、誰かに許してもらえるって、こんなに心が晴れるものなんだ。
……
どれくらい泣いただろうか。真っ赤に目が腫れてしまい、こんなのを見られたら漣に何と言われるか。いや、他の誰かに見られてもややこしい。誰にも見られないように部屋に帰りたい。そう思った。
「…ありがとう、ございました」
「いいえ、あなたの心が晴れたのならそれに越したことはありません。わたしとお話しすることはもうめったにないでしょうけど。わたしはいつでもあなたを見守っていますよ」
「…もう、会えないのですか」
「あなたが道に迷わない限りは」
「そう、ですか」
「ですが、わたしはわたし、霞です。時々は思い出してくださいね」
「忘れられるわけがないのですが」
「ふふ、なら嬉しいです。それでは、あなたの道に光がありますように」
スッと霞が目を閉じた。それから待つこと数秒。霞が目を開ける。
「おはなしはできた?」
それはいつもの霞だった。彼女は眠っていたのか。
「あなたともう1人の霞さんは…」
「かすみはかすみだよ。あのこもかすみ。わたしもかすみ」
霞は霞。そして…不知火は不知火である。それ以外の何者でもない。霞に許しももらえたことでいくぶんか楽になった心。
演じている霞とあの霞は別物か。嘘をついたな。今度話ができたなら文句のひとつでも言ってやるか。
「しらぬいちゃん、だいじょーぶ?まだ、いたい?」
「……いえ。かなり楽になりました。ありがとうございました」
「もうひとりのかすみがね。しらぬいちゃんとおはなしがしたいっていってたの。けど、はずかしーさんだからみんなにはないしょね」
「そう…ですか」
言っても誰も信じないだろうこんな話。ますますおかしいんじゃないかと思われてしまう。
「ないしょ。しーっね!」
「わかりました。このことは不知火と霞さんの秘密に」
「うん!」
そうして約束を交わし、霞と妙高のもとへ戻る。霞のブラウスが胸元だけ妙に伸びていることを怪しまれ、何か乱暴なことをしたのではないかと思われてしまったが、霞がお花畑に入ろうとして無理に止められた、と説明した。あまりにも嘘くさいものであったが、妙高は怪しみながらも引き下がった。
「しらぬいちゃん、またおはなししようね」
ええ…と気の抜けた返事をした。できるなら、もう霞とは…いや、あの霞とは話をしたくはなかった。のだが、霞がにっこり笑うので…ああ、もうやめてほしい…とお願いを心の中でするしかなかった。
/
それからしばらく経っても、不知火は洗脳されたフリを解くことなく毎日を過ごしていた。もともと表情はあまり変わらないし、動きも機械的なのでバレてはいないと思うが。いい加減それも終わりにしたいし、漣にも謝りたい。そう思っていたが、どうしても勇気が出せず、相変わらず漣を見ることも声をかけることもできないでいた。
「ぬい!ちょっといいかな」
背後から聞き覚えのある声、と同時にドキリと戦慄が走った。漣だ。不知火は振り返って何ですか?と機械的な声で聞き返すことができず…。
「ッ!!!」
そのまま漣を見ることなく走り出した。全速力で。あったまきた!!!!と言う声が小さく聞こえたような気がしたが、そんなことは構っていられない。不知火に何か落ち度でもあっただろうか?いや…落ち度だらけである…。
不知火視点でした。
霞は霞であり。幼子の喋り方をする霞も霞。大人びた霞も霞です。空の入れ物に魂が間違って2つ入った…そして混ざって共生している。そんな感じでしょうか。表裏一体。なのでどちらも霞です。
次回は漣と不知火がついに対面です。次回をお待ちいただけると嬉しいです。
それでは、また。