提督はコックだった   作:YuzuremonEP3

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第百三十四話

漣は翌日、目を覚ましたが強力な薬の影響と崩壊してしまった精神で1日中、医務室の窓からボーッと外を見ているだけになってしまった。明石や玲司が呼び掛けても無反応で、物を食べることも水を飲むこともない。

 

「こうなっちゃったか…薬でボーッとしてるだけかなと思って、お昼を過ぎれば治ると思ったんだけど…心の問題もあるかな…」

 

玲司と明石が話をしている中、微動だにしない漣を見つめ、何を思うのか。かける言葉が見つからない。不知火は漣の名を呼ぼうとするものどで引っ掛かり、呼ぶことができない。

あまりに見ていて痛々しい。怪我をしたわけではないのだが、その虚ろな目をした漣を見るのは不知火には胸を締め付けられるかのような思いだった。

 

「……漣さん」

 

不知火の呼びかけにピクリと漣が動いた。しかし、こちらに振り向いたり返事をしたりはしない。相変わらず窓の外を見つめている。まさか、自分のようにボーッとしているフリをしているのかと思ったが。

 

そうしてここに居づらくなった不知火は静かに医務室を後にした。自分が壊した。自分が漣を壊してしまった。自責の念に駆られ、たくさんのヒマワリが咲き誇る花壇の前のベンチで頭を抱えた。考えても考えても答えなど出てこない。漣を元に戻す方法なんてわからない。

 

手の甲にヒヤリと冷たい感覚がし、飛び上がった。ひゃっ、とか自分には似合わない高い声が出た。その犯人は…。

 

「ここで考え事は体を壊すわよ」

 

どういうわけか敵意もなく、深海棲艦だと言うのにここに住むことになった柴亜であった。手には麦茶だろうか。グラスの中の氷がカランと小気味いい音を立てて揺れる。夏の炎天下。魅力的だった。

 

「お友達のことで悩んでいるのね」

「…はい」

 

グイッと麦茶を一気にあおる。のどからお腹にかけて冷たい何かが通る感覚。これが気持ちいい。柴亜は飲み終えた不知火のグラスにポットからまた麦茶を注ぐ。今度は不知火は麦茶を見つめて動かない。

 

「人間は…艦娘も…深海棲艦もそうなのかしらねぇ」

「…?」

 

「人間はね。負の感情を強く抱いている時こそ、強く生きようとするものらしいの」

「負の感情…」

 

「怒り、憎しみ、悲しみ。その感情を強く持つ人は、生にしがみつく人が多いと聞くわ。漣ちゃんは…そっちだったのかもね」

「ですが、彼女は不知火を守るためにと」

 

「本心はわからないものよ。ごめんなさいね。こんな言い方。不知火さんを守る。それも確かに漣さんが生きる。心をつなぎとめるための理由なのかもしれない。けど、それだけなら、どうして沈んだお友達のことを見えると言い、頑なにそれを拒否する者に激怒したのか」

 

漣は朧と曙のことをいないと否定すると怒り狂う。潮だろうと自分であろうと容赦はなかった。そして、彼女らを必死に守った。

 

「あの子の心には深海棲艦に似た激しい憎悪が見え隠れしていたわね」

「憎悪…ですか」

 

「ええ。全てを憎むかのような。その憎しみと怒りは姫にも劣らないくらいね」

「そんなもの…ないように思っていたのですが」

 

「心と言うものは、見えるのはほんの表面だけよ。奥底なんて、自分以外はわからないのよ。心が読める人でもない限り」

「……私はそれを見抜くことが…」

 

「できなくて当たり前よ。不知火は相手の心なんて読めないでしょう?」

 

小さくコクリと頷くしかできない。自分は漣の何一つを理解していなかった。理解しようとしなかった。

 

「私たちはとても複雑なものを持って生まれてしまったわね…艦娘は特に…人と同じような心を持っているから」

「柴亜さんたちもそうではないのですか」

 

「私たち深海棲艦は単純よ。人間を殺せ。モノを壊せ。憎め、怒れ。それくらいよ」

「ですが柴亜さんは違います」

 

「どうかしらね。私の知らない心の根底では、大きな憎しみの炎が燃え上がっているかもしれないわ」

「……」

 

「うふふ、いじわるが過ぎたわね。不知火ちゃんや漣ちゃんはまだまだ人付き合いと言うものが新人ですもの。読めるわけがないし、柔軟な対応も無理でしょう」

 

「新人、ですか」

「人との関りも、艦娘同士の関りもほとんどしてこなかったんでしょう?それがいきなり、漣ちゃんの心をどうにかしたいと言っても無理よ」

 

まあ、私も人付き合いは新人ね、とクスクス笑っていた。

 

「今の不知火ちゃんにできることは…そうね。漣ちゃんを信じることかしら」

「信じる…ですか」

 

「ええ。目を覚まして、また自分のお名前を呼んでくれる。きっとそうしてくれるって信じることね」

「……」

 

「思う念力岩をも徹す…それくらい信じれば、不知火ちゃんの思いも通じるかもしれないわ。それくらい、漣ちゃんを信じてあげなさい。きっと今、漣ちゃんは迷子になっているでしょう。暗い暗い夜道を1人で…泣いているかもしれないわね。けど、あなたが信じて、漣ちゃんを呼び続ければ光になり、それを頼りにこちらへ帰ってこれるかもしれない」

 

「それが、強く信じ、心で呼び続けると言うことですか」

 

「そうよ。そうして漣ちゃんを信じて待つしかないわ。不知火ちゃんに今できることはそれくらいかしら…」

 

「…わかりました。それで漣さんが戻ってきてくれるなら」

「ふふ、いいお友達を持ったわね、漣ちゃんは」

 

「私を…友達と再び言ってくれるでしょうか?」

「大丈夫よ。ずーっと漣ちゃんはあなたを信じてくれていたんでしょう?」

 

「はい…」

「なら待ちましょう。そして、今迷子の漣ちゃんをこちらに連れて帰れるのはあなただけよ?」

 

「…わかりました」

「じゃあ、人付き合いが新人同士、がんばりましょうね」

 

そう言って紫亜は花壇整理があると言うことで去っていった。去り際に不知火の頭を撫でて行った。玲司に撫でられた時とは違い、より優しく、より柔らかい感触であった。

 

不知火は明石に無理を言って漣が起きるまでここにいたいと頼み込み、猛烈な押しに負けた明石の許可をもらい、漣の手を握り、漣が目を覚ますのを待つ。

 

「もし仮に、漣さんが目を覚ましたらすぐ知らせてね。暴れたりしたらすぐに手を離して近づかないこと。徹底をお願いします」

 

はい。と強く返事をし、不知火は目覚めぬ友の目覚めを待った。

 

 

目を覚ますと自分はよくわからない世界にいた。一面紫の霧がかかったような世界。もやもやとしており、霧の先は明るいのか暗いのかわからない。足元はおぼつかず、ふわふわと浮いているのか、それともごつごつとした岩場のようなのかもわからない。

 

――漣は自分の感覚をつかむために一歩足を踏み出した。歩くたびに少しずつ霧が晴れていく。何かを思い出したかのように振り返ると、霧と言うよりは分厚い雲のような濃い紫色の霧が行く手を阻み、虚ろな思考ながらも戻ってはいけないな、と本能が察した。仕方がないので前へ進む。前へ。前へ。

 

漣さん。

 

ふとどこかから自分を呼ぶ声がした。その声に懐かしさを覚え、辺りを見回すが誰もいない。誰だ…思い出せない。

 

漣ちゃん。

 

また別の誰かが呼ぶ声がする。こちらもどこか懐かしいような感じ。でも、やっぱり誰もいない。

 

漣さん。漣ちゃん。

 

呼ぶ声を頼りに薄暗い道を歩く。暑いのか寒いのかもわからない。歩いているのかさえもわからない。それでもその声の主が知りたい。知っているだろうに。思い出せない。それでも足は止まらなかった。

 

……

 

どれくらい歩いたもわからないが、今度は後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた。それは間違いない。その声は覚えている。立ち止まり、振り返る。

 

「漣」

 

「……ぼの…」

 

「漣」

 

「……ぼろさん…」

 

漣を呼び止めたのは、ずいぶんと長いこと会えていない、久しぶりに再会できた駆逐艦。第七駆逐隊の「朧」と「曙」であった。その姿に漣は自然と涙をこぼす。

 

「あいたかった…あいたかったよぉ!!」

 

泣きながら2人に飛び込んだ。朧と曙は漣を受け止めてくれた。2人に腕を広げてわんわん泣いた。曙は呆れたように。朧は笑って漣を受け止めた。

 

「漣。よく頑張ったね。今まで。十分頑張ったよ」

「ま、まあ…そうね。よくやったんじゃないの」

 

2人にそう言われ。さらに声を上げて泣く漣。今まで支えであった2人にそう言われて嬉しくて、そして久方ぶりの再会に涙が止まらなかった。

 

「もウ…大丈夫だカら…」

「そうヨ。イツまで泣いテるノよ…」

 

漣は気が付かない。曙と朧の異変が起きていることを。曙と朧の目が黄色や赤になっていることも。

 

「さア、漣。ここデ3人で一緒に過ごソうよ」

「ソウヨ。ここでハ何も苦しまナクていイのよ」

 

「そうよそうよ。こコは私たちノ落ち着けル場所…」

「か、陽炎!!!」

 

自分が沈めた陽炎だろうか。ずっと気にかけていた陽炎だ。その姿をみてさらに漣は顔をくしゃくしゃにして泣く。

 

「ほら、行こうよ」

「早くしなさいよ」

 

「う、うん!待ってよ!」

 

歩いてどこかへ行こうとする曙たちを追いかけようと立ち上がり、小走りに曙たちに向かおうとしたときだった。

 

 

漣さん…

漣ちゃん

 

 

そう誰かが自分呼び、止めるような声が聞こえ、後ろを振り向く。明確に一筋の光が強く輝いている。その光を暖かいものと思う。そして、漣はそちらへ吸い込まれるかのように立ち止まり、光を見つめ続けた。その光の方へ行かなくてはいけない、と頭の中に強く念じられるかのようであった。

 

「どうしたの?」

「もう、一体何なのよ。早く行くわよ!」

 

「何かあったの?」

 

曙たちが聞いてくるが、それに答えることもせずに後ろを見つめている。曙がグイッと手を引いて漣を促そうとする。

 

「早くいくわよ!何かあったの?」

「…っ!?」

 

曙の手を強く振り払う。曙はきょとんとした顔で漣を見る。漣は青ざめた顔で曙を見た。恐ろしく冷たかったのだ。恐怖を覚えるほどに。握られた曙の手が。真冬にキンと冷やされた鉄のように。温もりもなく、無機質な金属のような感触に恐怖を覚えた。

 

「何よいきなり。あんたがグズグズしてるからでしょ?」

「……ぼの…そっちへは行けない」

 

「はあ?あんた何言ってるの?」

「行けない…そっちに行ったらいけない気がする」

 

「漣、何かあったの?どうしたの?何か変だよ?」

「そうなのかもしれない。けど…けどあの光を見てから私は絶対にそっちへ行っちゃいけない気がするの!」

 

「えー?何でさ。私たちとずっとここで暮らすんでしょ?もう何も気にしなくていいんだよ?曙がいて朧がいて、私もいる。これで何が問題なのよ?」

 

(忘れてる気がする。お願い、思い出して。思い出せ、漣!!私は何か大切なことを忘れてる気がする!!!)

 

ギュッと目を閉じて必死に忘れている何かを思い出そうとする。陽炎たちのことを気にせずにまず記憶を振り絞る。そして、これを思い出せずにいると、もう何か後戻りができない気がした。何を?わからない。

 

 

漣さん…■■■は…あなたの帰りを待っています。

漣ちゃん。■は待ってるからね。

 

 

誰だ…!誰かが自分を呼んでいる!漣を呼ぶのは誰!?

その声は心に温もりを呼んだ。心地いい声だった。自分は最近までこれを聞いていたはず。

 

「漣。早く行こうよ。もう、戻れなくなっちゃうよ?」

「早くしなさいってば!」

 

「ちょっと待ってって言ってるでしょ!!!!」

 

「漣は…朧たちといたくないの?ずっと一緒に…ここで過ごそうよ。大丈夫。何も怖いものも、ひどい人もいない。朧たちに無茶を言う提督もいない。ここでなら、朧たち艦娘は静かに暮らせるんだよ。痛いことも苦しいこともない。みんな、待ってるよ」

 

 

「そうよ。あたし達を大破させて沈めるようなヤツもいない。ずっと。ずっとずっとここにいればいいじゃない!」

 

「そうそう。なーんにも気にしなくていいもんね!」

 

 

待っていますよ。漣さん。不知火は…ずっと。

漣ちゃん。潮、ずっと待ってるからね。

 

大きく目を開き、立ち尽くす。思い出した。さっきから漣を呼び続けるのは…。

 

ぬい…うっしー…

 

ようやく今、ボーっとしてた頭が覚めて、目も覚めた。どうして今まで忘れていたのか…いや、それよりも…。

 

「ぼろさん、ぼのたん、陽炎…ごめん。漣はそっちに行けない」

「は?」

 

「……どうして、かな?」

 

「漣を待ってる人がいる。ぼのやぼろも陽炎も…大事な人。でも、今の漣には…ごめん、もっと大切にしてた…大切な人がいる!!!!」

 

「そう…」

「あたしたちを裏切るんだ…」

 

「違う!!」

「違わない」

 

「違うんだってば!!!」

「ううん、違わないよ。漣は…朧たちよリ…その人ヲ取るンだ…」

 

「ヘエ…そうナノ…なら…」

「無理やり引キズリコムマデヨ!!」

 

「!!!」

 

曙たちは姿を変え、深海棲艦のように青白い肌、青や赤の目に変わった。何と、曙たちは…悪しき魂に堕ちた艦娘達だったのだ。そして、漣もそちら側へ引き込み、魂を闇に堕として深海棲艦にしようとしていたのだ。そもそも、曙たちの姿をし、記憶を引き継いで漣を深海棲艦に引きずり込もうとする何かであった。

 

「コウナッテハ仕方ナイ。無理ニデモ引ズリコンデヤル!」

「フフフ。コノ世界カラ出ラレナイ…大人シクコチラニ来レバ苦シマズニ済ンダノニ…」

 

「オ前ダケ艦娘トシテ生キエ帰ルダナンテ…サセナイ」

 

違ったのか…曙たちではなかった。それはそれで安堵した。だが…。

 

「よくも曙たちに化けてこの漣を騙そうとしたな!?ふざけんな!メシマズだよ!ふっざけんなぁ!!!」

 

手をかざすと現れたのはいつもの使いこまれた自分の砲だ。そして、いつも使っているように、ウサギのシールをいたずらで潮につけられたのもそのまま。それがさらに漣にチカラを与えた。1対3でも気にしない。とにかく、ここから脱出するために躊躇わずに敵を撃った。

 

「ぐっ…はにゃー!?」

 

集中砲火をかわし、懸命に砲を撃つ。焼けた鉄の棒を押し付けられたような痛みが肩を、わき腹を、頬を襲う。泣いても苦しんでもいられない。痛みがあるのは生きている証拠だ。まだやれる。

 

「ギッ…ゴボッ…」

 

曙に化けていたモノの胸に大きな穴が空いた。漣の砲撃、直撃。貫通し、陽炎に化けていたモノにも直撃し、吹き飛ぶ。地面を転がり、悶絶していた。

 

「死ネ!!」

 

朧だったモノが漣を撃つ。間一髪、上体を逸らして回避。起き上がった反動で反撃する。右腕が吹き飛んだ。

 

「アアアアアアア!!?!!?」

 

もう一発。トドメを刺そうと砲を構える。

 

「漣…痛イ…痛イィ…ヤメテ…」

「…朧の姿に化けたってもう無理だね。朧の声で、顔で、漣を騙そうとしたってもう無理だね。そっちもそうだよ。陽炎の姿になったって、もうあんたらがそうでないのはわかったからね!!!」

 

ガァン!!ガァン!!と連撃を放つ。片腕が吹き飛んだ深海棲艦は頭と胸を正確に撃ち抜かれ、黒い霧に。さきほど胸に穴を空けられたモノも霧になり、最後に助けを乞うていたモノも無言で撃ち抜き、こちらも黒い霧となって消えた。

 

「はぁっ…はぁっ…くっ…うう…ぼの…ぼろ…陽炎…!」

 

結局あれほど会いたいと思っていた朧たちとは違った。そして、いくら化けていたとは言え、彼女たちを撃ってしまった。その寂しさと苦しさに膝をついて泣きだした漣。そうして泣いていると頭を誰かにはたかれた気がする。顔を上げるとそこには曙が呆れたような…怒ったような顔で見ていた。

 

「ぼ、ぼの…」

 

(いつまでもメソメソしないの!!そんな暇があるなら今すぐ立ちなさい!!)

(曙、言い過ぎ。ほら立って。早くしないと戻れなくなる)

 

「ぼ、ぼろ…」

 

(ほーら早く!漣、私の妹、頼んだわよ!)

 

「かげ、陽炎…」

 

(いいからほら、早く行きなさい。あんたの帰りを待ってる人がいるんでしょ。なら早く行ってあげなさい)

 

(漣。朧たちは怒ってたり、漣を憎んだりはしてない。アタシたちのことより、今、漣のそばにいてくれる子たちのことを考えてあげて)

 

(私は漣に助けられた。だから、ありがとう。半分なりかけてたけど、漣のおかげで何とか私のままだったんだから。さあ、早くいってあげなって!)

 

朧たちは光の粒となり、天に消えていく。その3人の顔は…笑顔だった。

 

「みんな、待って!待ってよ!!!漣は!漣は!!」

 

薄れゆく世界。光に吸い込まれていく漣。そして最後に、朧の声が聞こえた気がする。

 

 

漣。生きて。アタシ達の分まで。

 

 

 

目を開けるとそこは白い天井であった。起き上がろうとしたが猛烈な頭痛とめまいで吐きそうになり、動くのをやめた。声を出すのもめんどくさいくらいのダルさと体の重さ。そして吐き気。起きて早々憂鬱な気分である。そのくせ頭は数時間ぐっすり寝たかのように冴えていた。それ故に体を動かしたかったのだができなかった。

 

で、ここは一体どこなんだろう?漣は確か…。頭だけを動かして周囲を見渡す。世界はくすんだ色の世界ではなく、きれいな白。ツンと匂う消毒液の匂い。自分は…どうなったんだっけ?もう何だか全部が全部、長い夢を見ていたかのように実感がない。

 

「ん?起きたか?まったく、この私を看病役にするとは…まあ、構わないんだが」

「ここ…は?」

 

「ここは横須賀鎮守府。工廠の中の医務室だ。主に提督が使う場所らしいのだが、そこにお前が寝かされている。事情は詳しく知らん。私が建造された時にはここに寝かされて、何日も眠っていたからな。目が覚めたら明石に伝えてくれと提督に言われているのでな。提督は今、私のことでいろいろと忙しいらしい。後で報告はしておくがな。何をそんなに慌てていたのかは知らんが…まあ、それはお前に言っても仕方あるまい。明石に伝えてくるとしよう」

 

じゃあな、と立ち上がって部屋を出て行った。見知らぬ人だった。服、ちゃんと来た方がいいんじゃない?包帯か何かを体にグルグル巻いてその上にちょっと何かを羽織っているくらいで…見ているこっちが恥ずかしいくらいだったけど…。横須賀にあんな艦娘いたっけな…。わからない。

 

しばらくしてバァン!と言うすごい音と共にドタバタと駆け寄る音がした。

 

「漣ちゃん!!」

 

潮だった。なるべく漣の体に負担をかけないよう、そっと優しく手で漣の手を包み込む。温かい。その温かさは漣の心に安堵をくれた。

 

「漣ちゃん、漣ちゃん…よかった…よかったよぉ…」

「うっしー…えへへ…おはよっす」

 

「……おはよう、漣ちゃん」

「えっと、漣ちゃんはどうなったのかな?」

 

潮に今自分がこうして横たわっている理由を尋ね、それを追って説明してくれた。その話の中で出てくる名前に胸がザワザワする。何であの夢の中で忘れていたんだろう。今ここで目をウルウルさせながら、冷たくしても、怒鳴っても困った笑顔を浮かべて許してくれる。そして、真剣に自分が自棄になったときはしっかり怒ってくれる優しい…潮。

 

「それでね、今漣ちゃんに会いたいって言う子がいるの…わかる?」

「ぬい…」

 

「うん。もうずーっと心配してたからね。ね、不知火ちゃん」

「……あ、はい…」

 

「ぬい」

「漣…さん」

 

2人して無言。そして…。

 

「「ごめんなさい」」

 

2人して声を揃えてごめんなさいと言った。その姿がおもしろかったのか、でも不謹慎だろうからとものすごく笑いを抑えて…でも笑っている潮。

 

「ふふふ、ごめんね」

「いえ…」

 

「ひどくない?」

 

でも潮のおかげで漣と不知火の間に会ったガチガチの緊張感は消えた。潮のホワホワした雰囲気はこういう時に役に立つのかもしれない。駆逐艦1の「癒し系」と今後呼ばれるようになる。

 

不知火は漣へ今まで洗脳されていたフリをしてしまったこと。漣は不知火に暴言を吐いてしまったり、最後にはこんな事態に巻き込んでしまったこと。多大な迷惑をかけたことを詫びた。

 

「じゃあ、漣ちゃんも不知火ちゃんもお互いにごめんなさいできたし、これでちゃんと解決だね」

「そうなんでしょうか…」

 

「え、ほんとにそれでいいの?」

「うん、おしまい。漣ちゃんは目を覚ましたし、不知火ちゃんも不知火ちゃんでいられるし、これで大丈夫じゃないかなぁ?」

 

潮はそう言ってくれるがまだお互いに気まずいところがある。何せ数年間に渡った話だ。タウイタウイからの溝。穴はそう簡単には埋めにくい。潮はそれについても、少しずつゆっくり埋めていけばいいんだよ、と優しく言ってくれる。

 

「全部提督が言ってたことなんだけどね。かっこよく言ったけど…えへへ」

「なんだ…潮が考えたんじゃないんだったら…」

 

「ふぇえ…そんなこと言わないでよぉ…」

「ふふ…」

 

「……」

「……」

 

「…?不知火に何か?」

「今、ぬい笑ったよね」

 

「…?いいえ」

「笑ったって。絶対笑ったって、ね、ね?潮!」

 

「うーん、どうだったかなぁ。潮にははっきりとは…」

「えー!?いてて…あ、頭が…」

 

「だ、大丈夫?!し、不知火ちゃん!明石さん呼んで!漣ちゃんが死んじゃう!」

「はい…!!」

 

「ま、待って…いててて…ぬ、ぬい待って…潮…ぐるじい…」

「漣ちゃんだめ!今助けてあげるからね!!」

 

「ぐ、ぐえええええ…」

 

すぐにやってきた明石にとても怒られてしまったのは言うまでもない。

 

……

 

夕方過ぎに玲司がやってきて、開口一番に謝罪し、頭を下げた。漣や不知火はそんなことをする提督は見たことがなかったので、驚くしかない。

 

「ちょ、ちょ…ご主人様…そんな…」

「いや、もっとしっかりと話を聞くべきだった。すまなかったな…」

 

「そりは違うんじゃないかなー。ご主人様は漣のお話を聞いてくれましたよね。たぶん、ぬいの話も聞いてくれてたんですよね?少しでも、お話。潮っちも聞いてくれて。それがなかったら、漣はこっちに帰ってくれなかったかもしんないですね」

 

「そう、なのかな」

「最初の提督なんて何も聞く耳も持ってなかったし、前の提督はヒントはくれたのかもしんないですけど、漣には難しかったです」

 

「あー、まあ…あの人はな…」

「不知火も、司令に背中を押してもらわなければ…取り返しがつかなかったかもしれません」

 

「そ、そうか…」

「だから、提督の存在は大きいんです。潮はここに来れて良かったと思っています」

 

「そっか…そう言ってくれると…ありがたいな」

「ご主人様。初めてここに来た時に食べたアレ。実はあの時はよく味わって食べられなかったんです。で・す・か・ら。ご主人様、黄色いアレ、またオナシャース!」

 

「ん、わかった」

「やったー!」

 

「ん、んん…不知火も…」

 

はしゃぎすぎてまためまいを起こし、潮にまた首を絞められそうになったとか。

 

……

 

それから数日後、歩けるようにはなったものの、明石から激しい動きは禁じられているために、今まで通り、みんなが鍛錬している中を座って見ている漣。

 

「大和よ、見てろ!ってぇ!!!」

 

新しい戦艦の人の砲撃の爆音が響く。的には当たらず、大外れ。

 

「全然当たっていないじゃない!!」

「むぅ…なぜだ?」

 

「適当に撃っているからでしょう!」

 

怒られている。大和さんも怒るんだなぁ…と思う。その怒り方が結構きつく、タジタジしている人。相変わらずすごい見た目をしているな。砲を撃ったときはバインバイン…いや、何を考えているのやら。まあ身近に潮と言うやーらかい子がいるしな…。

 

それはさておき、新たに鍛錬に加わった不知火。鹿島先生曰く矯正のしがいがありますねと言って何だか楽しそうだった。なかなかに厳しい指導にも、とりあえずはついていけているようである。汗をぬぐい、ふぅっと息をついて休憩をしている不知火と目が合う。漣は笑って手を振ると、不知火は恥ずかしそうに小さく手を振って返してくれた。何あの子かわいい。そんな感情が漣に芽生えたのであった。

 

「不知火さん、がんばっていますよ」

 

不知火に萌え萌えしていたら鹿島に声をかけられる。鹿島はにっこりと笑っていた。

 

「まるで漣がサボってるみたいじゃないですか。漣は明石さんから運動禁止令が出てるんです。ちゃんとオーケーが出たら漣もやりますよ」

 

「ご、ごめんなさい。そういう意味で言ったわけではなのですが…」

「ジョーダンですよ。たしかに、頑張ってますね」

 

「響さんが勝負を仕掛けたりしなくてホッとしています。あの子はすぐ誰かに勝負を挑みたがるので…」

「ぬいは顔がまだちょっと怖いからなぁ…」

 

「そうかなぁ…緊張してるだけッスよ」

「漣さんがそういうなら…」

 

「あーあ、漣も早く出たいなぁ。うっしーとぬいと一緒にがんばるんだー」

「もう少しの辛抱ですね」

 

「あーい」

 

朝潮に「もう一度行きましょう!」と言われて嫌な顔一つせず「はい!」と走り込みを始める不知火。漣も、不知火も。ようやく自分の居場所を見つけることができた気がする。

 

「ものすごーく、時間がかかったねぇ…ね、ぬい?」

「???」

 

「独り言でーす」

 

ここを見つけるまでに。お互いに苦労した。いろんなものから目を背けたし、理不尽な怒りを誰彼構わずぶつけたこともあるし。そして、もう見えなくはなっちゃったけど、朧に言われたことをしっかり守って、ぬいと生きようと思う。ううん、横須賀のみんなと。

 

曙と陽炎の分も。2人で一緒に背負って生きていく。不知火とはそう話をして決めたから。潮も手伝ってくれると言っていた。これからはきっと、楽しくやっていけると信じて。

 

「あ、ごっしゅじんさまー!!」

 

そう言ってやってきた玲司にわーい!と抱き着くと、何か視線が痛かったりとか、妙な殺気を感じたりとかしたけど気のせいだよね?

お風呂で夕立や皐月達にぶーぶー言われたけど、やっぱり、自分の居場所を作ってくれたあの提督は、真のご主人様だから。大好きな提督になると思うから。つい甘えてしまう漣であった。

 

「漣さん。司令に抱き着いていたことで少しお話があるのですが」

「ひっ!?」

 

「あー、不知火ちゃん。潮もその話、一緒に聞きたいなぁ~」

「ひぇっ…」

 

潮と不知火。ルームメイトなので逃げることができず、延々と怖い笑顔でどういうことかを尋ねられる。そんなことができる今につい笑ってしまったのだが、それがさらに潮たちを怖い顔にさせると気づくには少々時間がかかるのであった。




漣と不知火編、ひとまずこれで大きな問題は解決です。潮も交じって、楽しい鎮守府生活。漣がずっと待ち望んでいた安息の日々が始まります。漣と不知火。潮。彼女たちもこれから活躍する横須賀のメンバーとして暖かく見守ってあげてください。

さて、次回はちょこっとだけ今回登場した彼女の話を書きたいと思います。

それでは、また。

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