「ん、んっ…ふう…」
「あー!神通さんまた運動しようとしてるかも!!!」
「あっ!あ、あの!こ、これはですね…ストレッチを…」
「今思い切り足を動かそうとしてたかも!!」
「うっ…」
「はあ…だいぶ体の疲れも取れてきて、体も少しずつもとに戻ってきたらこれだものね…」
「申し訳ありません…」
「申し訳ないで済んだら憲兵さんはいらないかも!今日はちょっと怒ったかも!神通さん、そこのマットに横になるかも!!!」
「は、はい!」
神通の体を治そうと秋津洲たちが奮闘してからもうすぐ2週間が経とうとしていた。神通は相変わらず秋津洲が出したメニュー以外、体を激しく動かすことは禁止。グラウンドを以前なら10周走っても平気だったのだが、こっそり走って見たら2周も回らないうちに股関節が痛みだし、走ることができなくなった。
おまけにそれをちょっと足を触った満潮に「音ズレが昨日よりひどくなってる」と指摘を受け、謝っても許されず。どうしようもないので四六時中秋津洲か満潮が貼りつくことになった。たまたま今回は秋津洲と満潮が提督に経過報告をしに行っていたので体を動かしたくなり、足を蹴り上げたりしてみたところ、またバレたのだった。
「今が一番治りかけで大事な時かも!今変なことをされるとまた調子がズレるからやめてほしいかも…」
「す、すみません。ただ、どうもじっとしていられなくて…」
「まあ、神通さんは名取さんが言うにはずーっと動きっぱなしだったって言うくらいだし、動きたくなるのはわかりけど…まだ治療中なんだから変なことされると変な癖がついてダメになるからね」
「う、うう…」
「痛いことはしないかも。ちょっと見せて」
スッとうつぶせになった神通の足の付け根とお尻のあたりに手を置いて目を閉じる。
『あなたの声を聞かせて。あなたの音色はどんな音色?』
スゥ…と大きく息を吸い込むと秋津洲は歌いだした。
『ラ~♪』
まるで音符が踊っているかのような幻影が見える。満潮は改めて『旋律の女王』秋津洲の調律のすごさを思い知る。
『もっと聞かせて。もっと…もっと。ラ~♪』
「ラ~♪」
神通が秋津洲に釣られて声を出す。その声は音程がどうのではなく、秋津洲が出させた声である。艦娘の体内の具合を音階で示す。秋津州の音階は高い。しかし、神通の音階は低い。まだまだ旋律が合わさらない状態である。しかし、激痛に苦しんでいた時に比べると、だいぶ高くなった。
当時は音が歪で不協和音であるくらい、神通の体はおかしかったのだ。
秋津州、『旋律の女王』の個別能力『
実際に「原初の艦娘」の陸奥が大本営からの命令により酷使され、神通のように体中に痛みを感じ動けなくなった際、秋津洲の旋律の歌声と、陸奥の歌声が見事にマッチしたときは誰もが驚くほど美しい音色だったことがある。その後、陸奥はしばしの休暇の後、完璧に体の痛みが消え、再び『刃の女王』としてのチカラを取り戻したと言う。
「うーん…もうちょっとかも。今日歪んでいる骨は~ここかもぉ!!!!」
「ぐぇっ!!!!」
ゴキゴキゴキ!!と背骨から恐ろしい音が聞こえ、神通から発せられたとは思えないひどい声が聞こえた。さっきの秋津洲の『音階の協奏曲』との時の声とは雲泥の差である。
「秋津洲活殺じゅちゅかも!」
「活殺術ね…」
「噛んだかもぉ…はずかしい…」
「いや、それよりも神通さんがピクピクしてるんだけど…大丈夫なの?」
「大丈夫かも!神通さんの背骨の歪みを治してたかも!言うほど痛くなかったかも?」
「…声も出ないくらい悶絶してるけど。痛くしないって言ってたのにめちゃくちゃ痛そうだったけど…?」
「あれ?」
このような感じで秋津洲は非常にゆるく(?)神通の治療を行っている。時々満潮にツッコミを入れられ、怒られつつも神通は緩やかに回復傾向である。秋津州は急激に回復をさせる方法ももちろんある。その気になれば今から3日で神通を完治に近い状態に持って行くことは可能であるのだ。
しかし、それをやってしまうと「じゃあまた秋津洲に頼めばいい。明石にも頼めばいい」と言う悪循環に陥ってしまう。壊れてもすぐ治る。そう思わせてしまってはいけないのだ。特に神通のようなせっかちに、早く治して動きたい子にそれを教えてしまうのは余計にやってはいけない。
そして秋津洲は知ってしまった。彼女の「旋律」で神通の奥底から聞こえるとても美しい音色。小さく小さく聞こえてくるその音は、以前に「原初の艦娘」である『刃の女王』陸奥や、『炎の女王』龍驤たちから聞こえてくるものであった。胸が躍り、聞いている秋津洲が昂揚を覚えるような荒々しくもあり、そしてとても美しい音色。
これを今神通の中から消すわけにはいかない。だからこそ、ゆっくり時間をかけて治療と調律を施しているのである。満潮にはまだ聞こえない小さな歌。彼女の未来を輝かしいものにするか、潰してしまうかは今の調律で全てが決まる。
「それだけ無理して体が歪んでたかもぉ。今やっとその歪みを矯正できるくらいには体が回復してきたかも。関節はもうちょっとかも」
「ふ、ふう…あ、ありがとうございます」
「ゆっくり。でも汗をかくくらいは歩くのはオーケーかも。でも、走るのは厳禁だよ」
「わかりました。私の体はこんなにも歪んでいたのですね…」
「無茶しすぎなのよ。確かにすごかったけどね」
「すごい…ですか」
「すごいんですよー、神通さんは」
「明石さん」
「はーい、お疲れ様です!神通さん、まだ激しく動くことは許されてないっぽいですけど、艤装はできましたよ。ブーツもね」
「明石さん、何日寝てない…?」
「あー、えー、2日…?5日は寝てないわね」
「いや、あはははは。あまりに作るのが楽しすぎて、ですね…はい。しっかり寝ます」
「もうバカばっかり…」
霞の言葉がうつるほど呆れかえる満潮。以前の朝潮の『牙の艤装」を作っていた時と同じだ。まああの時は姉のためと明石と共に何日も徹夜していたから、あまり責めたてられないのだが…。
「神通ちゃん、調子はどう?」
明石と一緒に名取も入ってきた。後ろには北上もいる。
「おー。ちょっとはマシな顔になったんじゃない?疲れ切って柳の下の幽霊みたいな顔してたけどさ」
そんなにひどかったのか…と自分でも驚いた。
「そんなに…でしたか?」
「そだねー。何て言うか、何かに取り憑かれてんじゃないかって顔してた。そんでもって何が何でも外に出て鍛錬しなきゃって顔してた。あたしや名取がどんだけ言っても必死な顔でさ。やらなきゃならないって顔して。今はその憑き物が少し取れた顔してんね」
「うん。何だか心なしかいつもより顔色がいい気がするな」
「秋津洲と満潮ちゃんのメンテナンスはばっちりかも!でも、一番神通さんに必要だったのは、心の休養だったかも」
「心の休養…」
「何かあたし達の最初の頃みたいだね。まずは心の休養だ。心に栄養をあげなきゃーって玲司が言ってたのに似てる」
「提督やみんなの期待、称賛、そう言ったものを背負いすぎたんですね。兄さん…提督が期待しているぞって言うからそれに応えなきゃ。みんなが神通さんはすごいとか強いとか、そう言う誉め言葉が神通さんにはすごい重荷になっていたんですよ」
「……」
「神通ちゃんの実力は確かにすごいよ。でも、それを言うだけで神通ちゃんがどんな気持ちでいたかを知ろうとはしてなかった。ごめんね」
「いえ!名取さんが謝ることでは!私が…私の心が弱かったから…提督や皆さんの期待にお応えできなかったら…もしかすると白い目で見られるのでは…と」
「んー、あの玲司がちょっとやそっとの失敗で期待外れだーなんていうと思う?神通も1回だけ見たんだっけ、あのクソガエル。あいつとは違うよ。あいつは使えないとわかるとすぐ沈めたんだけど、玲司はそんなことしない。戦闘に出さないとも言わない。神通の努力は玲司が何より知ってるよ」
北上も神通が心配になって神通の様子を聞きに行ったらしい。心配だけど俺は何もできないのが悔しいな、と悲しそうな目で言っていたそうだ。
………
「じゃあさ、時雨や村雨にやってあげたみたいに玲司の血を分けてあげたら?」
「あれはもう緊急措置だよ。あれしか思いつかなかったし、うまくいくかもわからなかった。俺の血はな。実験施設にいたころ、たくさんの艦娘や深海棲艦に輸血したり、わざと手を切り落としてそこに打ち込んだりして反応がどう出るかを試すことを何度もやってた」
「ふーん…結果は?」
「一部は生きた。8割は死んだ。生きたのも危険視されて解体、もしくは雷撃処分された」
「……マジで…」
「反応はいろいろだった。緩やかに毒を注入されて眠るように死ぬものもいれば、のたうち回り、苦しんだ結果死んだのもいた。じわじわと体中の穴と言う穴から血を吹き出して死んだのもいれば、体中が沸騰したかのようにボコボコとなって最後は水風船が弾けるかの「もういいやめて」
北上が制止した。横で聞いていた大淀の顔が怯えきってた。提督のことはいろいろと聞いておきたい。そしてそれを知ったうえで提督と共に歩みたい。そう考えている大淀は北上と共に話を聞いていたが青ざめて震えた。
「玲司の過去の話は聞いたことあるけど…艦娘や深海棲艦をそこまで惨い実験台にしていたのは初耳だね…って言うか、深海棲艦を捕まえてそんなこともやってたんだね…」
「深海棲艦を捕まえてどうこうするって話は今はもうないな。まあ、裏ではあるのかもしれないけど」
「提督が村雨さんや時雨さんに血を分けて…回復したのは…」
「正直賭けだった。自分ももう殺される覚悟だったよ。軽く言ってたけどな。あれで時雨の足が吹き飛んでいたかもしれない。腐敗を進行させたかもしれない。村雨の頭が弾け飛んだかもしれない。かわいい顔をめちゃくちゃにしていたかもしれない。だから賭けだった」
玲司の血は確かに村雨と時雨を治した。奇跡の薬にもなれば、苦しめるか無惨な死を与える猛毒になるかもしれない。軽くあの時は言っていたが、本当に賭けだった。
「おやっさんには滅多なことでない限り使うなと言われてる。あの時はあれしか治しようがないと思ったから使った。俺の寿命を縮めると言われていたんだけど、そりゃそれで艦娘が死んだら、特に安久野の後に来た提督だからな。信頼は皆無だし、夕立がとにかく必死に時雨と村雨を守ろうとしていた。あの時は藁にもすがる気分だっただろう。ただこれで時雨達が死んでいたら、俺は寿命を縮めるどころか命がなかったろうな。夕立にぶち殺されてたと思う。」
だから気軽に俺の血は使えないんだよ、と言った。軽はずみに言ってしまったことを北上は後悔した。万能薬かと軽く思っていたが、気軽に使えば玲司は自分の血を使うわけだし、艦娘にも何が起きるかわからない。何より、玲司の過去を聞いて平静を装っているが身震いした。神通が目の前ではじけ飛びでもしたら…?考えるだけで恐ろしい。
「神通の体はまだ時雨や村雨のようなもうどうにもならない状況でもない。満潮や秋津洲の報告だと回復に向かっているらしいしな。顔色もマシになったって聞いてる。注射で泣きそうな顔はちょっと見たかったかな。かわいらしいところもあるんだな」
カカカと笑っていた。まあ確かにあの何も怖いものがなさそうな神通が注射で必死の拒否をしたそうだ。かわいいところもあるな、と思った。
「神通がああしてるのは心が弱いだけさ。そして、期待を全部背負い込もうとする。そしてそのプレッシャーに押しつぶされそうになってるんだ。神通が弱い?冗談じゃない。神通の強さはそりゃすごいもんさ。あとは…神通がプレッシャーをはねのける強さを得ればな」
「自分は才能がないとも嘆いているみたいです…その自信のなさが、あの鍛錬なのだと」
「明石曰くそんじょそこらの神通と変わらんらしいからなぁ。ここで言うのもあれだけど、北上や大淀のような『才能』と言うのはないと思う」
「才能ねぇ…あたしは単に生き残るのに必死だったから得たチカラだと思ってるけど」
「音も気配もなく魚雷を撃ち込むヤツが才能がないっていってもな。大淀はその頭の回転の早さ、海図を見て瞬時に全てを把握するチカラ。これも立派な『才能』だ」
朝潮の『牙』も生まれ持った才能である。神通はそれがない。
「神通は努力を惜しまない『才能』を持つ艦娘なのかもな」
限界と体が言い続けてもそれを跳ねのける。強情、言うことを聞かないと言えばそれまでだ。しかし、誰しも限界と突き止められるとそこで努力をやめてしまうのがほとんどだろう。しかし神通はそれでもなお努力を続けた。体は限界だ。
北上は見ている。どんな鍛錬でも、彼女は絶対に音を上げない。そして、明石や秋津洲に限界だと言われても、神通の体が言っているような気がするのだ。
「それでももっと強くなりたい!!」
だから神通にもうやめなよ、とは口が裂けても言えなかった。神通の気迫が。神通の背中がそう言っている。
お風呂で見た神通の体は驚くものだった。異様に発達した二の腕。細い無駄をそぎ落としたふともも、ふくらはぎの筋肉。腹筋で固められているであろう腹。
「玲司、神通は秋津洲や明石さんの手で完治して艤装とかも完璧になったらどうなるんだろうね。それで、強い心を持ったなら」
「間違いなく軽巡のエースさ。今でもエースだけど」
「そっか。そうだね。玲司、神通と話をしてあげたら?神通は怖がるかもしれないけどね」
「まあ、そのつもりさ」
さって、晩飯でも久々に作りますかね、と立ち上がった玲司に「あたしかに玉がいいー」といつもの雰囲気に戻った北上と玲司であった。
………
「私も時雨さんや村雨さんから聞いた提督の血を入れてもらったと言うお話…それで村雨さんは目がすごくよくなり、山城さんと超長距離砲のサポートができたり、時雨さんも戦闘中ではありませんが蒼い眼になったり…私も提督の血を入れてもらえれば…と思ったことは何度もあります」
北上の話を聞いた神通が語りだした。強くなるために何かに縋る。それは人も艦娘もそうだろう、と明石は思うし、神通が強くなるために兄の血を頼るのは当然かもしれない。
しかし現実は神通が死に至る可能性の方が高い。それは北上から聞いた話でわかってもらえただろう。
「明石さんを頼り、もっと良い艤装は作れないかと無茶を言ったこともありました…」
「ええ。毎日のように言われましたね。答えは『どうにもできない』だったんですけども」
「はい…」
「まあ、今は神通さんのための専用艤装を作っている最中なんですけどね。ただ、これは朝潮ちゃんにも言いましたけど、艤装を過信してはいけませんよ、と伝えています」
「最後に何だかんだ頼れるのは自分ってことだねー」
「そういうことです」
神通は自分に自信がない。この強さでありながら…心眼と言う強い武器を持ちながらも自分に自信が持てないでいる。改の時点で改二相当の実力を持っているのだが、まだ改二にはなれていない。
改二になれる練度には十分すぎるほどであるのだが、まだ改二にもなれていないのだ。
「神通さん、以前に深海棲艦にぼろ負けしたことがあるかも?それがずっと心に引っ掛かってるかも」
「ぼろ負け?神通が?そんなことは…あー、あれかな。深海棲艦化した響に不意打ちで大破させられたこと?」
「………」
「当たりかー。まああれは不意打ちもあるし、神通の練度もまだまだ成長途中だったしねぇ」
「ですが、気配に気づけずに直撃を…」
「そんなときもあるっしょ。あたしだって油断してボロボロにされたことなんてしょっちゅうだったしね」
「ですが…」
「ですがもへったくれもないの。あれはあれ。それから神通はもっともっと鍛錬してすんごい強くなったわけじゃん。神通は軽巡1強い。そう言ってもいいくらいなんだよ」
(『女王』へ至るにはやっぱりこの心の弱さがネックかな。これを超えなければいくらアレを装備したとして、使いこなせないどころか艤装に食われちゃうかな)
明石の『契の女王』により作られた艤装は艤装を使う者が相応しいか否かを選ぶと言う。艤装に認められれば大きなチカラを得るが、そうでないと判断した場合は艤装に振り回され、制御が効かずに艤装が艦娘の魂を乗っ取ることもあると言う。
最初は陸奥や龍驤など「原初の艦娘」の姉であるにも関わらず、艤装の制御が効かず、暴走しそうになったこともある。陸奥はチカラでねじ伏せ、龍驤は技術でねじ伏せた。同時に彼女たちは最初から『女王』である、と言う自負と屈強な精神力を持った艦娘であった。だからこそ制御できた。
ちなみに明石が初めて横須賀に来た時、夕立に専用装備として艤装を作り直していたが、夕立の奥底に眠るポテンシャルと強い精神力があると看破し
「明石さん、艤装から声が聞こえたっぽい。もっと速くって。だから試してみたら今までよりももっと速く走れたっぽい!すごいっぽい!」
あれはあれで唖然としたものだ。夕立は多くの死線を潜り抜けてきたのは知っているが、その練度と経験。そして、今の提督、兄の下で全体の安心感から戦える自信。それが心の強さに繋がり、使えたのだろう。もっとも、あとで玲司にそれを話したら怒られたものだ。夕立に何かあったらどうするんだと。
以後は適宜彼女たちの負担にならないように整備を施し、使いやすいようにする程度にとどめている。しかし、夕立の艤装は神通と同じく、真の専用艤装『玉璽』を作ろうと設計図を引いている。その前に神通を最優先にしているのだが。どんな『女王』になるのか。楽しみである。
「神通さん、今日はもうおしまいかも。背骨の矯正も終わったし、お風呂にゆーっくり入ってまた疲れを癒すかも!」
「はい。ありがとうございました…」
ストレッチと言っても体を柔軟にすると同時に体幹を鍛えることもしているので汗はかいた。お風呂はゆっくり入るべし。これは玲司や名取、秋津洲、満潮から言われていることだ。名取は単に神通との会話の時間がほしいだけだったりする。
確かにすごい音がして大丈夫かとも思ったが、何だか体がシャンとなってまっすぐになったような気がして軽い…気がした。
………
風呂に入り、霰や皐月にいいと言ったのに体や髪を洗ってもらい、神通さんとお風呂!と皐月はうれしそうだったし霰も嬉しそう(なように見えた)だった。
夕飯を皆で食べ、中庭に出て秋の月を眺めていた。虫の音が耳に心地よく入ってくる。しかし、夜になると風は冷たく、もう少し厚着するべきだったか…と思った。ブルル…と体が寒さを訴えて震えた。
「風邪ひくなよ」
ふわりと肩や背中に刺さる風がなくなり、暖かくなった。同時に聞こえた男性の声…。
「て、提督!?」
「あれ?気配に敏感なはずの神通がそんな驚くなんてな」
完全に今は油断していた。別に四六時中気を張って気配を関知し、心眼でみんなを探っているわけではない。姉の川内からその心眼に頼るのはやめな、と言われてからは見渡すのをほぼやめている。やめたところで心眼がなくなるわけでもないので。
「び、びっくりしちゃいました…」
「はは、そっと近づいてみたからな。気付かれると思ったらボーっとしてたから」
「うう…恥ずかしいです…」
肩にかけられたブランケットで顔を隠し、恥ずかしがっている顔を見られないようにしていた。それがかわいらしかった。
「注射が大嫌い。恥ずかしがり。間宮のアイスが大好き。神通ってかわいいところがいっぱいあるよな」
「ふぇっ!?」
提督にかわいいと言われてもう頭がどうにかなりそうだった。煙が頭から出そうなくらいである。
「頑張り屋で努力は惜しまない。うちの軽巡でトップクラスの強さ。でもプレッシャーに弱い」
「あう…」
持ち上げて落とすとはこういう事だろうか。
「常にみんなの後ろを歩き、見守るお姉さん的な存在で誰からも頼りにされている。困った子がいたらそっと手を差し出す優しい子。戦闘になれば誰よりも前に出て敵に立ち向かい、仲間を守ろうとする強い子」
それが横須賀鎮守府の神通。頼れるうちの前衛。
そうとも玲司が言った。バッと提督を見ると月夜に照らされて笑っていた。蒼い眼だけが、何だか星のように輝いているようにも見えた。
「私…は…」
「そんな強い子じゃないって?そんなことはない。自信がなけりゃ誰よりも前に出て敵と戦おうとはしない。鍛錬を怠るはずがない。そんな神通の姿を見て、北上や駆逐艦たちもそれに鼓舞されてついていく。翔鶴や瑞鶴たち空母や霧島たちはその背中を見ながら神通達のサポートをする。神通の影響って大きいんだよ」
「………」
「才能を持ってる人って羨ましいよなー。俺だって別に何か抜き出てるわけじゃないし、料理の才能だって結局は一流ホテルなんかじゃ通用しないようなもんだし。まあ、俺は人とは違うけど、結局頭が一宮みたいにいいわけでもないし、刈谷提督みたいな完璧な作戦だって立てられない。努力しても努力しても追いつけないよ」
「提督はそのようなことは…」
「神通が私はそんなことはって言ってるのと同じだよ。作戦だって大淀や鳥海達の方がすごいの立てるようになったし、事務仕事は妙高のが早いし。最近は料理の腕も間宮に負けてきたなー」
提督がいろいろと抱え込んでいることも知っている。艦娘のことをとにかく考えていることも知っている。私の知る提督は、私達を大事にしてくれて、誰も沈まない作戦を考えてくれて、おいしい料理を作ってくださって…そんな、そんなすごい提督なのに。
「で、ですが!ですが、私に…私達にとっては優しくて、頼りになって、おいしい料理を作ってくださる提督なんです!だから!」
「自信を持てってか?それは俺が神通にも言いたい言葉だよ」
ハッとなった。ククク、と玲司は笑っていた。神通にそう言わせるように誘導させたのだ。
「神通は自分が思っている以上に強い。それは誰もが認めていることだよ。けど、そう思っていないのは神通だけなんだ。誰に聞いても神通はすごい。強い。そう言うんだ。でも神通の口からは私よりも…と言う言葉ばっかりなんだって言われてな」
「う、うう…」
「それが神通の重荷になっちゃってるって言うのも知った。俺が神通に期待しているからなって言う言葉も強烈なプレッシャーになってるってわかった。それに応えようと体が壊れかけるまで鍛錬にも励んだ。努力をすごいしているのに『私なんて』って言葉で全部台無しだよ。私が軽巡神通の中で最強だって胸を張って言えるくらいの努力を重ねて来たんだ。その努力を心の弱さで台無しにしている」
秋津州や北上にも言われたことだ。名取にも、もっと自信を持ってと言われた。それがプレッシャーになることは重々わかっていたはずなのに、だ。
「神通、お前は何のためにあんなストイックな鍛錬を繰り返す?自分の体がここまでになるまで」
「……皆さんを…お守りするため」
「と、同時に自分に自信を持ちたかったんじゃないのか?弱い自分を強く見せることで、何て生易しい鍛錬じゃない。自分は強いと思いたい。だから自分を極限まで追い詰めたんじゃないのか?その上に、仲間を守りたいと言う思いも強くある。だったら…」
神通の両肩に手を乗せ、神通を蒼い眼でしっかりと見つめた。
「お前は仲間を守るために誰もが認めるくらいの強さを持ったんだ。だったら、私が戦場で全部敵を薙ぎ倒してやる。私が先頭に立って敵を倒すから。それくらいの自信でいくんだ。お前にはそれだけの実力が眠っている。軽く言うかもしれないけどさ、気楽にいこうぜ」
みんなの期待なんか知るか。俺の期待なんか知ったこっちゃない。思い切りその強さを見せたらいい。それだけなんだ。ともいう。
カシャン…鎖が壊れる音が聞こえた気がした。弱い自分を隠すために強くなろうと思った。みんなはすごいと言ってくれる。それだけじゃ足りない。もっともっと。ここまでやってもどうすればもっと自分に自信が持てる?わからなかった。どれだけ鍛錬に打ち込んでも。鹿島から与えられた演習メニューをこなしても、何もわからなかった。
「最終的に強い心を持てるかどうかは自分にかかっている。心の強さだけは『才能』では得られないんだよ、神通」
「才能…」
「神通は努力する『才能』を持ってる。それに、鎮守府内の気配を誰がどうしているかを探知したりとか、うちの視えない川内を見破る心眼って『才能』もある。神通はいっぱい素敵な『才能』を持ってるんだよ。けど、今さっき言ったけど、『才能』があるから心まで強くなるかは別。心の強さは自分で得るものだ」
玲司の言葉は心にスッと入ってくる。私を認めてくれる。
「心が弱いのは人だって同じだ。弱いから何にでもすがろうと思う。けど、神通はそれに縋らず、自分で強さを得ようとした。それはすごいことだ。それは神通の『心の強さ』だと思うよ」
その言葉に神通は涙が出た。弱い私。それをしっかりと見てくれていた。頭を撫でられる。その手の温もりが心まで温かくした。私は…こんなにも…ちゃんと見てくれていて。ちゃんと認めてくれる。そんな素晴らしい提督がいてくれた。仲間がいてくれる。だったら…私は…もっともっと…頑張れる。
神通の体が光りだす。暖かく優しい。その光は次第に強くなり、神通を包み込んだ。光が消えると神通は普段のオレンジの服から白と赤を基調にした服に変わった。額に鉢がね。そのままそれが深草色のリボンになり、特徴的であった。
「神通、お前…」
「提督…私…は?」
「……改二になったんだな。おめでとう」
「改二…?」
「心の弱さを乗り越えたんだ。自分を信じ、心の弱さを認めながらも乗り越えた。だから改二になった。見違えるほど凛々しい顔になったな」
「あの…私、よくわからなくて…どうなっているのでしょう?」
「んじゃあ戻るか。冷えてきたしな」
そうして神通は執務室に玲司と共にやってきた。そこで鏡を見せられ、見たことのない服装、リボン、いろいろと理解が追い付かなかった。
「これが…私…改二…」
「そうさ。さらなる強さを求め、心の弱さを乗り越えた神通の努力の成果さ」
体の内から力が湧いてくる。これなら…もっと…もっとみんなを守れる!共に…戦える!!
「神通」
「はい、提督」
「一緒に頑張って行こうな」
期待しているとは言わない。共に頑張る。提督は提督のやり方で。私は私のやり方でこれからも横須賀鎮守府で。尊敬する提督と共に。
「はい!」
その神通の返事は、弱弱しいものではなく、力強いものであった。
………
「すごいかもぉ…体の悪い所がないかも…」
「すごい力強い音が聞こえてくるわ。神通さん…すごい。司令官、神通さんに何をしたの?」
「いいや?俺は何も」
「はあ?嘘ばっかり!」
「いや、ほんとだっての」
翌朝、ガラリと雰囲気が変わった神通にみんなが驚いていた。キリっとした顔つきに力強さを感じる。
「本当にうちの神通さん…だよね?入れ替わったとか…ないよね?」
「瑞鶴…そんなわけないでしょ?」
「かっこいい…」
「うわぁ、改二かぁ。かっこいいなぁ!くぅ~ボクも早くなりたいな!」
「文月も~」
そんな称賛の声を浴びつつ、朝食を終え、秋津洲の部屋に来ているわけである。
「神通さん、艤装自体はもう完成していたんです。どうですか?体は動かせそうですか?」
足を思い切り振り回す。関節の可動域がより柔らかくなったのか、凄まじい蹴り。そして軽々と、しなやかな動き。
「司令官!マジマジ見てないでよ!神通さん!司令官がいるのにそんなことしたらパ、パンツが丸見え!!」
「え、きゃ、きゃああああ!!!」
「おごっ!」
座って見ていた玲司の頭を無理やり横へ向ける満潮。グキッと嫌な音が玲司の首から聞こえた。
「く、くび…くびが…」
「こうすれば…えいっ」
「うがっ!」
秋津州が今度は強引に玲司の頭を掴んで動かす。またゴキィッ!と鈍い音がしたが…。
「お、お前らな…」
「ふん!神通さんのパンツを見て鼻の下を伸ばしてるのが悪いのよ。ヘンタイ司令官!」
「で、ですが…提督にはしっかりと見て頂かないと…」
「はいはい、兄さんは役得だねー」
「首が180°ねじれるかと思ったけどな!」
「神通さん。ちょっといいかも?『聞かせて。あなたの音色』」
「は、はい…」
「♪~」
秋津州の『音階の協奏曲』だ。美しい秋津洲の歌声が響く。
「♪~♪~」
「♪~♪~」
その音色は満潮や明石が呆然と聞き入れるほど美しいハーモニーだった。秋津州と神通の歌が見事に重なり合い、部屋を音符が楽しそうに踊っているような幻影が見えるほどに。
「すごい…」
調律者。『旋律の女王』…その実力に同じ調律者である満潮が圧倒されるくらいである。
「うん!今の神通さんはすごいかも!小さく聞こえていた歌が今はとてもとても強く聞こえるかも!!!間違いなく、『女王』の歌かも!!!!」
「おー、秋津洲の太鼓判付か」
「よーし!なら神通さん!この艤装をつけて演習場へ出ましょう!兄さん、いいよね!?」
「秋津洲、問題はないか?」
「問題ないかも!!!」
そうして神通は艤装を装備し、長いこと立てていなかった海に立つのであった。
………
「お、何だ何だ?久しぶりだな、神通が海に立つの!」
「改二になって初めてだね。ふふ、海に立つ方法、忘れてたりしないよね?」
摩耶や最上も期待の目で神通を見ていた。
「以前に比べて、とても余裕がある立ち振る舞いですわね。チカラ強くてかっこいいです」
「お手並み拝見ですわ!」
三隈や熊野も注目する。鈴谷はじっと神通を見ていた。
「何かなぁ。今の神通さん見てるとすんごいチカラが湧いてくる感じがするね」
鈴谷はそう呟いた。そう、見ているだけで何だか奥からチカラが湧いてくるような。そんなチカラ強さを持っているような雰囲気だった。
「足首、股関節。それぞれの負担を軽減できるような作りになってます。まずは普通に動いてみてください。あ、左右に動いてみて違和感を感じたら教えてくださいね」
「わかりました」
まずはゆっくりと。右へ。左へ。蛇行をする。しかし、以前と違って足首をしっかりと支えてくれている感じがし、安定して動ける。少しずつ速度を上げて蛇行するも、挙動が乱れない。
「神通さん、一度思い切り走ってみてください!」
明石のゴーサインが出た。待ってましたと言わんばかりにスピードを上げる。走る。疾る。海の上を自在に疾る。足は痛くもなんともない。グッとブーツが、艤装が体や足を支えてくれている。そして神通は明石の許可が出ていないが、いつものように急旋回を試してみた。
「……ふっ!!!」
「うおっ!?」
摩耶に向かって急激に角度を変えて旋回し、その勢いを殺さないまま摩耶の周りを、まるで絡みつくかのように旋回する。
「うおおおお!?な、何がどうなってんだよ!?これ、抜け出せねえぞ!」
本来ならばそのまま攻撃を繰り出し、もがけばもがくほど絡まり、傷が増えていく。それはまさしく茨のようである。
「改二になって、秋津洲さんに教えてもらったんだけど、今までよりもっと関節が柔軟になったんだって。すごいよね、疲れに疲れて前屈さえできなかった神通さんがぺたーんと両足を広げて座れるんだもの。で、それをしっかり負担をかけないサポートを艤装でしっかりしてくれるようにしたの。予想外だったけど急いで改良を加えたよ」
「うわあ!な、何これ!ど、どうやって逃げればいいの!?」
最上も同じ目にあっている。動けば動くほど神通の動きは激しくなり、抜け出せない。他の艦娘にはできない急旋回を持続させ、絡みつく『茨」。
「一度絡みつかれたら抜け出せない。抜け出そうとすればするほど、その棘に傷をつけられ、やがて力尽きる。『茨の女王』…神通さんは本当に努力だけで『女王』の扉をこじあけた」
「おっそろしいやっちゃ。努力する『才能』か。ほんま、艦娘っておもろいなぁ。うちも艦娘やけど」
『炎の女王』龍驤。その龍驤が感嘆するほどの出来事である。
「生まれ持った『才能』を持たずとも、『女王』になれる。これはすごいことだね。ま、あたしをいきなり見破った子だったわけだし、何かやるとは思ってたよ。そ・れ・に!あたしの妹だしね」
「川内の妹やからって関係あるんか?」
「あたしがいるところの神通だよ?」
「理由になってへんわ!」
その後、夕立と軽く立ち合ったが夕立が翻弄されるほどであった。
南方海域の作戦開始を前に、横須賀鎮守府に『茨の女王』と名付けられた艦娘。軽巡神通が誕生した。横須賀から2人目の『女王』が君臨した。
玲司はそれを嬉しそうに眺め、陸に上がってきた神通の頭を撫でてあげると「は、はわわ」と真っ赤になり、慌てるいつもの神通。それを見たみんなは『女王』になっても神通は神通だねーと言う北上の言葉に笑い、神通は全身がトマトのように真っ赤になるのだった。
神通、真の改二。そして南方海域戦を前にまた新たな『女王』の誕生です。
心の強さは『才能』では得られない。さらに神通は姉の川内の言いつけ「心眼を使うな」と言うのを守っております。『才能』はちゃんと持っているのに心が弱ければ「心眼」に頼りすぎる。だから川内は「心眼」を封じました。
『女王』『心の強さ』…そして『心眼』と言う才能を持つ神通。大いに海を疾り、敵を屠る『茨の女王』として活躍してくれるでしょう。
いよいよ南方海域。ヤツとの邂逅、戦闘もありえるでしょう。そして大府提督の怪しげな指揮。刈谷提督と玲司はこの南方海域に勝利を刻めるのでしょうか?
それでは、また。