提督はコックだった   作:YuzuremonEP3

18 / 259
雪風のお話も終わり、ひと段落な横須賀鎮守府

さて、横須賀鎮守府の諸悪の根源「安久野 楠男」
この男の栄華を没落させた一人の勇気ある知られざるお話



第十八話

(おのれぇ…おのれぇ貴様!この儂に逆らいよって…!!儂が今まで面倒を見てやった恩を忘れてこの仕打ちかぁ!!!!)

 

(許さん…この恨み、一生をかけて晴らしに来てやるからな!!覚えているがいい!!)

 

―――名取ぃ!!!!!!!

 

………

 

目を覚ませば、朝。しかし嫌な夢を見て、さらには覚えていることから目覚めのいい朝とは残念ながら言いにくかった。おかげで頭も痛い。耳には今でもすくみ上り、鳥肌が立つあの男の怒声。

 

長良型軽巡洋艦「名取」

 

翔鶴や雪風の騒動が終わり、落ち着いた横須賀鎮守府ではあるがまだまだ彼女たちの恐怖。傷は完全に消えやしない。名取は性的なことは特になかったが、生来の性格故によく怒鳴られ、時に殴られもしていた。

 

曰く、その怯えた目と態度が気に入らない。はっきりした喋り方をしないのが気に入らない。何をするにもとろくさい。散々そう安久野に言われてきた。けれど、暴君である安久野の実態を暴き、安久野を失脚させたのはほかでもなく、彼女の功績であった。

大淀や瑞鶴達が口をそろえて名取のおかげで自分たちは助かった、そういってはいるが実態はほとんどがどのような作戦で行われたのかはわかっていない。名取も語ろうとはしない。

 

果たして、名取は安久野のいない。そして平穏を取り戻しつつあるこの横須賀鎮守府で安穏を得られているのだろうか?それは誰にもわからない。

 

 

冬の朝の水は冷たい。悪夢を忘れるかのように念入りに冷たい水で顔を洗い目を覚まそうとする。目を閉じているだけでも、あのおぞましい憤怒の炎に身を焼く安久野の顔が甦る。彼女もまた、安久野に負わされた深い傷がじくじくと痛んでいるのだ。

 

(…私も…司令官さんにお話をしたら、楽になれるかなぁ…)

 

親友と自分で言っている北上も。大きな傷でボロボロだった翔鶴も。そして、もう誰もが深海棲艦になると思っていた雪風でさえ、彼は救った、まさしく横須賀のヒーローだった。暇な時に読む王子様とお姫様のお話のように。颯爽と現れて瞬く間にたくさんの艦娘を救ってきた。

肉体的にもうダメだと言われていた時雨も、村雨も。傷は残れど元気に笑って生活を送っている。名取には玲司が白馬に乗って颯爽と現れた王子のように見えていた。きっと…助けてくれる。そう信じて彼がいるであろう食堂へと向かった。

 

……

 

「おはよう…ございます…」

「おう、おはよう名取。今日は和食にする?パンにする?」

 

やっぱり彼はいた。タオルを頭に巻いて、おおよそコックとは言い難い恰好で。朝の嫌な気分が和らぎ、クスリと笑った。

 

「えっと…パンがいいです。えっと…あの…この…」

「ああ、ジャムが気になるのか?オーケー。ちょっと待ってな」

 

そういうと厨房の奥へ引っ込んでしまった。おどおどとジャムに目をやってこれが食べたい…と言いたかったのが出てこなかった。こういう時、安久野には容赦なく怒鳴られる。

 

(さっさと言わんか!おどおどおどおどと鬱陶しい!はっきり言えこのグズ!!言わんのなら蹴りをくれてやるわ!!)

 

違う。玲司はそうじゃない。ちゃんと自分の思っていたことをくみ取ってくれたじゃないか。ちゃんと言えなかった自分が少し悔しかった。

少ししてパンの香ばしい焼く匂いが漂ってきたとき、また一人食堂にやってきた。黒く長い髪。ガーネットのようにきれいな赤い瞳。艦橋を模した髪飾り。扶桑だった。

 

「あっ、扶桑さん!おはようございます!」

「名取さん。おはようございます。名取さんも朝食ですか?」

 

「はいっ。今、パンを焼いてもらってるんです」

「ぱん…ですか。では、せっかく名取さんがぱんを食べられるのでしたら、私もそれにしようかしら…」

 

「ん、おはよ、扶桑。扶桑も食べるか?」

「おはようございます、提督。私も名取さんと同じものをお願いいたします」

「おっけー。ちょうど俺の分も焼いてたんだけど、いいよ。先に扶桑と名取、一緒に食べな」

 

「い、いえ。提督のお食事を私が食べるなど…」

「いいって。俺は別に後でもいいからさ。せっかくだし、一緒に食べたほうがいいぜ」

 

「提督がそう仰るのでしたら…。ああ、朝から名取さんと食事ができるなんて幸せだわ…幸運艦の時雨と同じお布団で寝たのがよかったのかしら…」

 

そういうと扶桑はどこかキラキラと輝いているように見えた。美人だけどどこか不思議な雰囲気のある人だと名取は思った。けれどそれが扶桑の凛とした美しさの中でかわいいところだと思っている。

 

「ほい。お待ち。へえ、名取と扶桑は仲いいんだな」

「ふぇっ、そ、そうでしょうか?」

 

「うふふ。名取さんは私を匿ってくださった命の恩人なの。お話し相手は名取さんがほとんどでしたし、今こうして。時雨やみんなと楽しくお話ができるのも名取さんのおかげですね…」

「い、命の恩人だなんて…えっと、そんな、こと…」

 

「いいえ…。名取さんが私を前の提督の下へ連れて行ったなら、私はこうして楽しく朝食をとることもできなかったでしょう…。私がこうした毎日を送れるのは間違いなく名取さんのおかげよ…ありがとう」

 

その言葉に名取がぽろぽろと涙を流した。扶桑は泣きじゃくる名取を静かに抱き寄せ、その胸で思いきり泣かせた。その扶桑の顔は聖母のような優しい表情だった。

 

「おっはよー。って名取どしたの?玲司が泣かせたんでしょー。もー女泣かせだなぁ」

「ちげえよ。扶桑を匿ったことで扶桑がこうして生きていられるって感謝したんだよ。そしたらこうさ」

 

北上が泣きじゃくる名取を見る。そして申し訳ない気持ちになった。

 

「そういうことね…。扶桑さん。神通に皐月、文月、霰。この5人を必死に必死に守り抜いたのは名取だもんね。この人だけは、絶対に守るってね。あたしにはできなかったことだよ。特に神通とくちくの三人の話はほんとにあいつが消えてから初めて知ったし」

 

玲司は考えた。もし仮にこの危険な隠し事がバレた際には、名取はもちろん扶桑たちの命も危うかっただろう。とてもではないが普通では隠し通せないであろうことを彼女は命を危険に晒しながらも守り抜いた。その信念の強さは如何ばかりか。

 

「すげえな。バレるかもしれないプレッシャーと、バレた時のことを考えたときのプレッシャー。二つのプレッシャーによく耐えきって守り抜いたな、名取」

 

玲司が泣き止まない名取の頭をそっと撫でた。一瞬ビクッと怯えたようなそぶりだったが、しゃくりあげながら黙って撫でられていた。扶桑は穏やかに笑っていた。

 

……

 

しばらくしてようやく泣き止んだ名取がぽつりぽつりと語りだす。いや、語って吐き出したかった。扶桑や皐月たち。彼女を命をかけて守り抜き、そして報告書にあった横須賀鎮守府の巨悪と戦い、見事その悪を打ち破った横須賀鎮守府の知られざる話を。

 

幸い食堂に来た時間が遅かったため、いるのは玲司、間宮、北上、扶桑。そして名取。4人を前に名取は過去を思い出していった。

 

 

「大破をして撤退をしただと!?主力艦との戦まであと僅かで!?貴様らどういうつもりだ!!そんなに儂に敗北を押し付けたいのか!?この能無し共め!!」

 

「ごめんなさい!ごめんなさい!許してください!傷を治してすぐにもう一度向かいますから!」

「いらん!貴様のような役立たずはこの鎮守府にはいらん!!!貴様はそのまま出撃して味方の盾になれ!」

 

「そ、そんな…お願いします!死んじゃう!お願いしますぅ!嫌ぁ!死にたくないよ!」

「やかましい!それが貴様への罰だ!!とっとと行け!勝利を取ってくるまで帰ってくるな!!!」

 

ゴッと言う鈍い音がする。大破して再度出撃を命じられた艦娘を殴る音。ここは地獄だ。いや、地獄のほうがまだマシかもしれない。今日もまた、一人艦娘が命を落とすことになるだろう。己のほうが無能だと言うのに。

とにかく勝利をして帰ってこなければ火がついたように喚き散らし、殴り、ストレスを発散させる。勝ってもこちらに轟沈者が出ればまたうるさく怒鳴り散らす。彼はとにかく喚くか、自分の腐った欲望をぶつけることしかしない。多くの仲間が海に散り、生き残った仲間は明日は我が身と怯えて生活する毎日だった。

 

生き残れば性欲の捌け口にされるおまけつきだ。一つも気の休まることができない地獄。いや地獄のほうが…さっきも言ったか。とにかく救いがない。神に祈ってもう一年近く。未だにその祈りは叶わない。神は自分たちを見捨てたか。そう絶望せざるを得ない。

 

「名取!こいつはもういなくなる。その補充をしてこい。この間お偉いさんからもらったありがたいものがあるからなぁ。あんなガキの何がいいのか…ふん、まあいい。さっさと行け!!」

「は、はい…」

 

「なんだ!おどおどと鬱陶しい!何か言いたいのか!?お前みたいなグズは反吐が出る!抱く気にも沈める気にもならんわ。死ぬまで奴隷としてこき使ってやる。まあ、いらなくなった日には…そうだな、一人くらいは欲しがる奴がいるかもしれん。娼婦として売りさばいてやるわ。グフフフ…」

 

これから死にゆく艦娘にごめんなさい…と言うこともできず、名取はとぼとぼと工廠へ向かう。気が重い。なぜ自分は死にゆく艦娘を生み出す手伝いをしているのか、自己嫌悪で圧し潰されそうだった。けれど、そうしなければ自分が生きていけない。自分がいなくなれば姉である五十鈴がどうなってしまうのか…考えたくもない。

 

司令官が書いたメモを見る。この資材の投入は戦艦を作りたいのだろう。先日、横須賀のリーダー的存在であった長門が沈んでしまった。何があろうと自分たちを支え続けてくれた彼女がいなくなり、さらにはもう一人空母加賀もいなくなり、この鎮守府の二大支柱を失ってしまったことで、大きく士気も下がってしまった。

 

こんな中で生まれてくる戦艦は…またぼろ雑巾のように使われ、最後にはまた沈められるのだろう。けれど、名取には反旗を翻すほど心に余裕もない。ほぼ折れかかっている。最後には、奴と同じような汚らしい男の慰み者として、どこかに売り払われてしまうのだろう。それでも生きたいと思ってしまう自分が嫌いだ。

とにかく今は無心で建造を行おう。どうなるかは知る由もない。指示通りの資材を投入し、高速建造材を用いてすぐさま建造を終わらせる。光の中から現れたその艦娘は…

 

「扶桑型超弩級戦艦一番艦『扶桑』です。どうぞよろしく…ってあら…?」

 

建造は成功した。けれど名取はその扶桑と呼ばれる戦艦に目が釘付けであった。真っ黒な墨を垂らしたような、それでいて美しく流麗な長い髪。宝石をそのままはめ込んだかのような綺麗な目。そして見惚れるほど整った顔。声は鈴の音色のようで。引き締まっていながらも出るところは出ている抜群のスタイル。こんなに美しい人は見たことがない。

名取はただひたすらに扶桑に魅了されていた。「きれい…」とぼそりと思わず漏らしてしまうほどに。

 

「私がきれい?ふふ、ありがとう…。ところで…提督はどちらにいらっしゃるのかしら」

「は、はい!司令官さんは…えっと、そのぉ…あの」

「どうしましたか?」

 

狐につままれたように見惚れて変な言葉しかでない。しかし、名取の頭の中では一つの願望が現れていた。

 

 

この人をあの人に見せたくない。渡したくない。

 

 

見せて渡せばそう。空母翔鶴のように絶対に酷い目にしかならない。この全てが完璧な美しさを持つ彼女を、あんな汚らしい男の下へおいそれと連れて行き、汚い男が喜ぶことが。そして汚されることが我慢ならなかった。

何としても扶桑を守りたい。できることなら…永久に見せたくない。ではどうすればよいのか?ああ、簡単じゃないか。そう言って自分の頭を自分で打ってやりたいくらいだ。

 

―――そうだ。あの男を追い出せばいい―――

 

心臓がドクドクと早鐘を打つ。頭がジーンとしびれる。腹部が緊張で痛くなる。名取はこの日、とてつもない野心を抱いた。何としてでもこの宝石。美しい花である扶桑を守り抜きたくなった。

 

「い、いえ。司令官さんは今多忙で…扶桑さんにはその…会っていられない、かと」

「あら、そうなの…ふぅー、ではどうしましょう…」

 

「と、とりあえず戦艦の寮へご案内しますね。ついてきてください!」

「では、よろしくお願いいたします…ええっと…」

「名取と言います。軽巡洋艦の名取です」

「では、よろしくお願いいたします、名取さん」

 

整備の人たちは遊び惚けて工廠にいる時間がほとんどない。今頃憲兵と酒でも飲んで豪遊しているであろう。今なら誰にも見られずに扶桑を部屋へ送り届けられるだろう。けれど名取は慎重に。人目のつかないルートを通って戦艦寮へとたどり着いた。

 

「ここが、扶桑さんのお部屋です…。扶桑さんしかいませんけど…」

「そうなのね…。戦艦が私だけ…と言うのもどうして…」

「ふ、扶桑さん、聞いてください。この鎮守府のこと!」

 

名取は今のこの鎮守府の状況を細かく説明した。扶桑は最初こそ怪訝な顔をしていたが、やがて明らかになっていく実態に真剣な表情で名取の話を聞いていた。

 

「だから…扶桑さんを。せっかくこうして出会えた扶桑さんを!沈めさせたり…汚い目にあわせたくないんです…!」

「そんなことが…私はとんでもないところに生まれてきてしまったのね…はぁ…」

 

憂鬱にため息を漏らす。その動作でさえ、艶やかだなと名取は思った。扶桑の表情はいずれ来るであろう轟沈の日か、毎日汚される日々を想像したのか悲しげであった。

 

「わ、私が扶桑さんを守ります…。きっと、きっとこの状況を変えて…みんなが笑える日がくるようにしてみせます!い、今は…その…何もできない…です、けど…」

「名取さん…嬉しいわ。その言葉。けれど、ごめんなさい…あなたのお力にはなれそうにないわ…」

 

「う、ううん!そう言ってくれるだけでも嬉しいです!きっと、きっと叶えてみせます!だから、それまでここにずっと押し込んでしまいますけど…」

「ええ…大丈夫よ…きっと貴女が自由にしてくれると信じていますから…」

 

名取はぽろぽろと涙を流して扶桑に抱き着いた。優しく柔らかい手で頭を撫でてくれることで大きく励みになった。部屋を出て、涙を拭いって執務室へと向かった。大きな決意を胸に。名取の孤独な戦いが始まった。

 

……

 

「なにぃ?ふんっ、まともに建造もできんのかグズめ。もういい。さっさと出ていけ。目障りだ。ぐふふ…なあ翔鶴…」

「…はい。ていとくさま…」

 

…どこにいたのか、死んだ目をした翔鶴がやってきた。また…ひどい目にあわされるのだろう。逃げるように執務室を後にし、自分の部屋へと戻った。

 

建造の成功、失敗に関してはかなり考えが緩かったのか、失敗、と言っても翔鶴とのことで頭がいっぱいだったのだろう。特別疑問視されることなく逃げ切れた。建造は開発と違い、何らかの艦娘は確実に建造される。だが、自分で何かをしようとはしない性格が幸いしたらしい。ホッと胸をなでおろす。

 

カチ コチ カチ コチ カチ コチ

 

時計の針が妙にうるさく部屋に響く。眠れない。脳が物凄く興奮している。扶桑を守る。どのようにして扶桑を守り、安久野や憲兵達をここから追い出せるかを必死に考えていた。中途半端なことではダメだ。自分の命も危なくなる。

理想としては大本営にこのことを伝え、実際に調査をしてもらうのが一番だ。そうすれば全員まとめて逮捕され、ここは安全な場所になる。けれど、どうやって大本営へ駆け込む?脱走なんてして駆け込もうとすれば、怒り狂った安久野が何をするかわからない。そして、すべてを隠してしまうだろう。そうなればもう横須賀を救う手立てがなくなってしまう。

 

どうすればいい?もう大本営に陳情するしかない。しかし、有効な手立てが見つからない。何をしても最悪の未来しかイメージができない…。

 

カチ コチ カチ コチ カチ

 

時間だけが無情に過ぎる。いくら考えてもわからない。思いつかない。結局朝まで寝ずに考えても結果は同じで。寝不足なんていつものことだ。満足にぐっすり眠れた試しなんてない。ほぼ夜までいないもの扱いされる存在だ。考える時間はいくらでもある。夜が明ける。名取の戦いは当たり前だが思うようにいかずに始まった。

 

……

 

一週間ほど、寝る間も惜しんで考えに考えたが有効策はこれと言って思いつかなかった。こうしている間にも扶桑に魔の手が及ぶ可能性もある。そして何よりまた少しずつ鎮守府の仲間が減っていく。その埋め合わせをするために建造もしなくてはならない。

 

「役立たず共め。資材を無駄に減らして建造などと。使えん奴らばかりで困ったものだ。そうだろう?名取?」

「え、あ…う…はい…」

「ふん、貴様に聞くだけ無駄だな。鬱陶しい、さっさと建造をしてこい」

 

今日も建造だ。この頃ますます建造する頻度が多く、それでいてすぐさまにその艦娘を出撃させ、すぐさま沈める。無謀な出撃が増えた。どうも他所の鎮守府で何か言われたようだ。勝利に固執するあまり、作戦も何もあったものではない。

 

建造の回数を増やす。それは犠牲者が増加すると言うこと。名取は必死に手を講じていた。3日前の建造では皐月を。2日前には霰を。

 

「あたしぃ、文月っていいまーす。よっろしく~」

「文月ちゃんだね。初めまして、私は軽巡名取と言います。今、司令官さんは忙しいから、挨拶はしばらく先になっちゃうの。だから、お部屋に案内しますね」

「は~い。よろしく、名取さん」

 

全員を匿うことはできない。しかし、これもそろそろ限界だ。この子と、皐月、霰。そして扶桑。なんとか匿えるのはここまでだ。

 

「あれ、文月?わあ、文月じゃないか!皐月だよ、よろしくね!」

「わぁ~。皐月ちゃん、嬉しいなぁ。よろしくね~」

「…んちゃ。霰です」

 

少し楽しそうだ。これならしばらくの間、何とかなるかもしれない。

 

「じゃあ、私はこれで司令官さんのところに戻るね。司令官は、絶対お部屋から出ちゃいけないって命令を出しているの。ごめんね…ここでしばらく我慢してね…」

 

「はぁ~い。さっちんと霰ちゃんがいるから大丈夫だよぉ」

「……大丈夫、です」

「うん、ちゃんと命令は守るから平気だよ!」

 

よかった、いい子たちで…。ますます、何とか守らなくては…。しかし、いつまで経っても策は思い浮かばない…一体どうすれば…。戦艦寮にも行き、扶桑にも話をする。いつまでも閉じ込めてしまっていることを詫びる。

 

「心配いらないわ。むしろ、こちらこそ命を助けてもらってるんですもの。私なら大丈夫…。名取さんは自分の心配をしてください」

 

そうは言うものの、申し訳なく思う。日は過ぎるばかり。扶桑や皐月たちがバレてしまったら終わりだ。ああ、頭が痛い…。

 

「名取…?何してんの、戦艦寮で」

「ふぇっ!?あ、き、北上ちゃん?」

 

「ああ、うん。そうだけど…。どうしたの?すごい上の空だけど」

「えっ、あ、ううん。私なら大丈夫、だよ…」

 

ばったり出くわしたのは北上。自分とほぼ同じころに建造され、そのためか何かをすることが多かった友達。重雷装巡洋艦になってからは出撃がひっきりなしで忙しく、満足に話もできていないが、何かあれば相談したり、愚痴を言いあったりと仲良くしてきたのは本当だ。

 

「いいや、大丈夫じゃないね。その顔。他はごまかせてもあたしはごまかせないよ。何かあったの…?水臭いじゃん。あたしたちの仲じゃん…。まあ、死神に関わるとあれかー」

「ま、待って北上ちゃん!北上ちゃんは大事な友達だもん!死神なんかじゃない!」

 

「友達…か。あんただけだよ。そう呼んでくれるのは」

 

この鎮守府で今、唯一無二のいろんなことをさらけ出して話せる友。北上。もはや一人では限界を感じていた名取は、最後の期待を込めて。北上に勇気を出した。

 

「北上ちゃん…。相談したいことが…その、あるんだ…」

 

功を奏すか。裏目に出るか。名取の戦いは続く。




横須賀鎮守府の安久野時代のお話です。はたして名取の戦いはどうなっていくのでしょうか?次回をお楽しみいただければ幸いです

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。