提督はコックだった   作:YuzuremonEP3

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一宮提督の過去編、続きになります。
現在の彼を彩る多彩な趣味。それを始めたきかけを書いていきます。


第二百四十七話

一宮提督は芸術において秀でた才能を持っている。それは趣味にもしっかりと活かされている。音楽。絵画。こちらにおいては素晴らしい能力がある。これは父と母もそうであるが、これを教えてあげた者の影響もある。

 

涼介少年は乗馬と言う趣味を持つに至ったが、それは長期休暇の中でしか趣味を活かせず、ストレスを発散すると言うものが自宅においてはないと言う欠点があった。すぐに行ける場所にも乗馬できる場所はあったのだが、やはりサザンエトワールのようにすんなりと乗れる馬がいないと言う点が大きい。

 

これではストレスの解消にならない…と両親は涼介少年を案じた。啓介は空手や剣道で汗を流して勉強に臨むなどがあったので両親は安心していたのだが、後々に兄をいじめる連中がいるから習いだした、と聞いて暴力沙汰で大きな騒ぎにならなければいいが…と別の不安を抱えることになった。

 

「まあまあ、鏡子ちゃん!いらっしゃい!ピアノのコンクール日本一、おめでとうねぇ!」

 

「おばさん、こんにちは!ふふ、ありがとうございます!先生も一流のピアニストになれるわって!嬉しい!」

 

「鏡子ちゃんのピアノは人をほれぼれさせる魅力があるからね!おばさんたちも嬉しいわ!」

 

有名音楽高校の制服を着てやってきたのは一宮 鏡子(いちのみや きょうこ)。幼少からピアノの才能を開花させ、今や有名な高校生ピアニスト。涼介少年とは遠い親戚になるが、一宮の人間である。

 

彼女も涼介少年と同様、親戚の人間に冷遇されているために涼介少年を心配する子である。高校生でありながらしっかりとした性格で、ピアノと日本舞踊をたしなみ、家事も得意である。中でもピアノの才能に秀でており、涼介少年は彼女にピアノを教えてもらったことで新たな趣味を見つけるきっかけに至った。

 

「おばさん、涼君はどう?元気?」

 

「ええ。元気よ。お馬さんに乗ることができたの!もうおばさん嬉しくって!でもねぇ…」

「でも?」

 

「お馬さんに乗るには…長野まで行かなきゃいけないの。都内の乗馬クラブではちょっと…心配でねぇ…おうちで何かできるストレスの解消法はないかしらねぇ…」

 

「それならおばさん!わたしに任せて!ピアノを弾いてみてはどうかしら?」

「お願い、鏡子ちゃん。お任せできるかしら?」

 

「わかったわ!」

 

意気揚々とピアノを教えに行こうとする鏡子。実は涼介にはバイオリンを弾いてもらおうと講師をつけたことがある。習字も習わせたことがある。しかし、やっぱり「一宮社長の息子」と言う言葉を使う講師だったことが涼介の口から明らかになった。その言葉を辟易し、強いストレスを与えてしまうと言うことから解任、やめさせた。

 

「わ、私、何か失礼なことを坊ちゃんに…?」

「いいえ。家の問題ですのでお気になさらず」

 

オブラートに包んで帰したが、見過ごすわけにはいかない。講師たちは顔を真っ青にして帰って行った。しかし、涼介の将来を考えれば「一宮の社長の息子」と言う言葉はタブーなのだ。

 

「おとうさん、おかあさん。僕はしゃちょうのむすこなのでしょうらいはおとうさんのあとをつごうとおもいます」

 

幼い子がこういうことを言うのは未来の大きな希望の芽を摘んでしまうことになる。親の言いなりになり、感情が消えてしまった青年になるともう取り返しがつかない。何とかならないものか。

 

「涼介、父さんたちは別に無理に父さんの後を継がなくてもいいと思っている。涼介も、啓介も未来がある。未来は無限にある。だから、そういうことは考えなくてもいいんだよ」

「はい、おとうさん」

 

ダメだ。わかっていない。これはいかん。ずっと頭を悩ませたことだった。ええい、くだらない大人共め。うちの息子に社長と言う未来しか与えんとは…ふざけておる。両親は大層憤った。

 

………

 

「涼君、こんにちは!」

「鏡子…おねえさん?こんにちは」

 

「お勉強?頑張っているわね」

「はい。おとうさんのあとをつぐにはおべんきょうをしなければいけません」

 

目が死んでいるように鏡子には見えた。おばさんからいろいろと話は聞いている。なるほど…これはたしかに危ない感じだ。こんな小さな子がこんな死んだ目をしているなんて…わたしが何とかしないと!

 

「涼君、涼君もピアノを弾いてみない?」

「ピアノ…ですか。わかりました。弾いてみます」

 

それは自分が興味を持って弾くではなく、鏡子に言われたから弾くと言うものだった。しかし、涼介はバイオリンや習字などで言われた、うまくできたなら「一宮社長の息子」と言う言葉が付きまとうため、本当はあまり気乗りしないものであった。サザンエトワールに乗ってみたいと興味を示したものではなかった。

 

「じゃあ、まずは私が弾いてみるわね」

 

涼介の家には鏡子が遊びに来た際、涼介にぜひ弾いてあげてほしいと言う思いと、鏡子がピアノに夢中だったことを知っていたため、いつ来てもいつでも弾けるようにと両親が用意したものだったのだ。一宮家は外観は大きな家だが家具などは質素である。派手な調度品などは極力買わずにしているのだが、これは、と言うものだけはドン!とお金を出して買う。鏡子のために買ったピアノは某最高級のピアノだ。ピアノだけで高級車が買えるくらいだと思う。

 

鏡子が弾いた曲は彼女が一番好きだと言うショパンの「幻想即興曲」だ。彼女の弾く音色に耳を傾ける涼介。何か彼の琴線に触れるものがあったのだろうか。

 

「どうかしら、わたしの演奏は?」

「はい。とてもきれいです。聞き入っていました」

 

「そう!じゃあ、涼君も弾いてみる?」

「ぼくにひけるでしょうか?」

 

「ええ!慣れていけばわたしが今弾いた曲も弾けるようになるわ」

「わかりました。やってみます」

 

鍵盤の位置、弾き方など簡単なことから教えてもらった。一番最初に教えてもらった曲は…「きらきらぼし」だった。楽譜はまだ早いかな…と思ったのでまずは弾き方だけを教えてもらったのだった。

 

「鏡子おねえさん、ありがとうございました。ぼく、おうちにいるときはピアノをひこうとおもいます」

「うん。近いうちにまた来るからね。そしたら今度は楽譜を見ながらピアノを弾いてみましょうね」

 

「はい。わかりました」

 

そう言うと涼介少年は再び「きらきらぼし」を弾き始めた。たった2時間ほどであったがもう鍵盤を間違えずに音色を奏でている。恐ろしいスピードで習得している…正直始めたての頃はよく間違えて先生に怒られたものだったが。嫉妬するくらい…いや、嫉妬を通り越して驚愕するほどの早さだ。

 

「うーん、今度は両手を使う演奏を覚えてみましょうか」

「はい、おねがいします」

 

しばらくしてぎこちないながらも少しずつ覚えていく。やはりその学習能力はすさまじい。おばさまやおじさまが天才と言う理由がよくわかる。確かバイオリンも驚くほどの早さで学習し、講師の顔をひきつらせたこともあったとか。

 

「エクセレン!素晴らしいわ!涼君、ピアニストになれるんじゃない?」

「そう、でしょうか?」

 

「ええ!こんな早さでピアノを弾けるようになるなんて才能があるわ。ま、これは参考程度にしておいてね。無理になろう、って思ってもいけないから」

 

「どうしてですか?」

 

「なろうって思うと涼君の未来をピアニストと言うもので縛りつけてしまう。だから、なろうなんて思わないで。涼君の未来はいーっぱい、なれるものがきっとあるわ」

 

「ぼくは…おとうさんのかいしゃを…」

 

「お父さんがなりなさいって言った?」

「いえ…」

 

「ならならなくていいのよ。お父さんも無理にならなくていいって仰っていたはずよ?涼君は涼君の好きなお仕事を見つければいいのよ」

 

その鏡子の言葉は涼介の心に深く染み込んだ。ならなくていい。僕はお父さんの会社を…継がなくていい?

 

(涼介!父さんの会社を継ごうなんて無理に考えなくていいんだからな!)

 

何度もそう言われていたような気がする。それでも「一宮の社長の息子」と言う鎖が彼を縛り付けていた。

 

「いやぁ、良い後継ぎがお産まれになりましたな!」

「後継ぎがいらっしゃるなら一宮コーポレーションは安泰ですな!」

 

どの大人も皆自分を見て会社を継ぐ跡取りでしか見ていなかった。涼介はだから必死に勉強して…会社を継ぐことしか考えていなかった。家族以外に言われて初めてわかったような気がする。

 

「ぼくは…えっと…」

「そうねぇ。わたしと同じくらいになって、それでも何をしようか迷ったなら、その時はお父さんやお母さん、わたしにお話しを聞かせてね」

 

「は、はい…」

 

未来なんてまだまだ。小学2年生の男の子が未来を決められるわけがないし、鏡子や両親、親戚などが決めるものではない。この子が考えるには早すぎるし、決めるのも早すぎる。それは親も言ってきたことであったが聞き入れようとしなかった。逆にプレッシャーになっていたようだ。もやもやしつつも、鏡子の言う通りに未来を考えるのは一旦忘れた。しかし、ふとした時に自分は会社を継がねばならない、と言う思いがムクリと鎌首をもたげるようで、その際に鏡子が何度でも、ゆっくりと説得をする。

 

そうして小学6年生に上がったころには鏡子が得意な「幻想即興曲」をコピーできるようになり、その後はいろいろな音楽を耳で聴いては取り入れるようになった。天才と天才が奏でるピアノの演奏は両親もうっとりするほどだったと言う。

 

………

 

「へえ。その人のおかげで目が覚めたわけね」

「目が覚めたといいましょうか…思い込みから抜け出したと言うべきでしょうか」

 

「ピアニストになろうとは思わなかったんですか?」

「一時は考えたこともありますが…最終的には提督を目指すことしか頭にありませんでしたね…」

 

「そ、それで…そのSisterは今何を…?まさか、サザンエトワール君のように…」

「ああ。はは、その方は生きておられますよ。今では世界的に有名な女性ピアニストとして世界を行脚しています。癒しを与えるヒーリングピアニスト…そう呼ばれています。桜井鏡子さん。今でも連絡を「えええええええええ!?!?!?!?!」」

 

「ちょ!?な。何!?」

 

曙がその悲鳴のような叫び声をあげる方を向く。そこには…潮がいた。横須賀の潮も悲鳴をあげると窓が割れる程度の声をあげるが、ここの潮も悲鳴や叫び声は大きい。

 

「さ、さくら、さくらい…鏡子…さん?」

「はい。旧姓は一宮ですがご結婚なさりましてね。姓が変わりました。一宮鏡子としても名を馳せましたが、今では桜井の姓のほうが有名ですね」

 

「はわわ…」

「何よ、どうしたのよ潮…てか耳いった…」

 

曙が耳を押さえていると潮はとたたたと部屋を駆けだしていった。しばらくして戻ってくると何か雑誌を持ってきた。

 

『世界最高峰の癒しを…天才ピアニスト 桜井鏡子のピアノの世界』

 

ちなみに鏡子の夫は世界的に有名なアルトサックス演奏者。協奏をすれば瞬時に陽気なジャズを演じたりすることもある。

 

「わ、私…桜井鏡子さんのファンなんです!まさか、提督の親戚のお姉さんだったなんて…」

 

キラキラと輝く目で提督を見つめる。潮は以前から提督が弾くピアノに聴き惚れていて、ポータブルCDプレイヤーで何気なく買ったピアニストのCDのピアノ演奏にのめり込んだ。それこそが桜井鏡子だった。

 

(あれ?このピアノ…なんだか提督が弾いてくれる感じに似てる…?)

 

ずっとそう思っていた。その感じはまさにその通り。鏡子女史に教わったものであるし、彼は鏡子女史のピアノの演奏方法を完璧にコピーしていた。それはまさに才能。ただ、涼介はお姉さんのコピーでしかないと言うことでピアニストには向いていないな、と悟った。だからこそ趣味の範疇で収まっている。

 

「会いたい…」

 

さらに目がキラキラと輝く潮。ふむ…鏡子姉さんは今世界中を飛び回っている。もしかしたら海を渡る際に船団護衛で彼女の船を守ることもあるかもしれない。

 

「機会があればお会いすることもあるでしょう。連絡はしてみましょう」

「ほんとですか!?」

 

「ええ。今はどこでしたかね…イギリスに行かれて啓介に会うと仰っていたはず…」

「弟さんの様子を見に…?」

 

「ええ。啓介も鏡子さんには懐いていましたからね」

「サインください!」

 

「そうなんですね。それにしても…世界的に有名な方がいらっしゃるのですね…」

「サインください!」

 

「ええ。両親とも、親戚に「サインください!!!!!!!!」」

 

「潮、落ち着いて」

「潮、さっきからうるさい!」

 

「サーイーンーーーーーーー!!!!!」

「あ、潮が混乱モード」

 

潮が鏡子の非常に熱心なファンでひたすらにサインをねだっていた。後ほど、啓介に電話をし「鏡子姉さんに会ったらサインをもらってください…」と非常にやつれた表情でお願いをしたとか。後日、鏡子から電話があり「サインなんてもういっぱいあげたでしょ?」と言ったのだが、潮の写真を送って彼女がほしがっているんです、と伝えると『潮ちゃんへ』と宛名付きの超貴重なサインをもらい、潮がしばらく某配管工ゲームの星を取ったときのようにキラキラと輝き、朧や曙を寝苦しくさせたとか。

 

………

 

「Admiral?このお馬さんの絵は…?」

「ああ、それは私が中学の時に描いたエト君ですね」

 

「アメージング…す、すごい…」

「プロの画家が描いたものとそっくりなんだけど…」

 

「はは、私の絵は稚拙ですよ。祖父には敵いませんし、プロと呼ぶには未熟すぎます」

「ちゅ、中学生で?!」

 

「はーい!皆さん、おみかんをお持ちしましたよ。京都の由良みかんです。由良の頭にみかんを乗っけてー…はーい、由良みかんですよー!みかんおいしいですよね、ね!」

 

「ぶふーーー!!!」

「サミダレ!?」

 

由良のかわいらしいギャグにお茶を噴き出す五月雨。由良が談話に加わる。由良はそれなりに趣味の話を聞いている。

 

「あ、これ前に見せてくれたお馬さんの絵ですね!ね!提督さん、お上手ですよね」

「ありがとうございます。エト君です」

 

「エト君!わぁ、これって…」

「はい。最後のレースの後の写真を見て描きました。逆光で金色に輝くエト君です」

 

「わあ…すごい。提督さん?提督さんはどこでこんな絵を…?」

「ああ、私の祖父が画家ですのでね」

 

「画家…す、すごい…」

「ちなみに祖父の名前は碧海 彩雲(へきかい さいうん)と申します」

 

「ええええええええええええ!?!?!?!」

「Johnston!?」

 

「ちょっと待て提督よ。なぜ彩雲なのだ。お爺さんに会わせてくれ、瑞雲のよさを教えてやらねばならん」

 

「えっ、ちょっとそれは…「彩雲と瑞雲とでは雲泥の差だ。瑞雲に改名したほうが良い」」

「あの…」

 

「瑞雲だ」

「ちょっと、Admiral!?あー、うーん…Wait here!」

 

ガクガクと揺さぶられる一宮提督。どこかへ行くジョンストン。そうして持ってきたのが…

 

「碧海 彩雲。その素晴らしき風景に酔いしれる」

 

「おや、お爺さんが本の取材を受けるとは…ん?」

 

『海を守りし最愛の孫に捧ぐ暁の水平線』

 

涼介にあてた絵を一枚雑誌に寄せたらしい。これは…大間の海だと言うことだ。わざわざここまで来てくれていたと言うのに…ああ、祖父はそう言う所はすごく気を遣ってくれると言うか…不器用と言うか…声をかけなかったのだろう。そしてそっと絵だけを自分のために描いてくれたのだろう。

 

………

 

時々ではあるが一宮一家は母の実家に行くことがある。家はそう遠くはないので、学校の連休などで行くことが多いし、長野に行ってさらにこちらへ行くこともある。そこで新たな趣味を見つけたのが3年生の春。

 

「まあまあ、よく来たわね~」

「ん…」

 

祖母は歓迎してくれるが祖父はそっけなく、すぐにアトリエに篭って絵を描き始める。祖父は日本絵画の第一人者だ。水彩画、水墨画を描けば右に出る者はいない。何人か過去に弟子を取ったこともあるが、厳格すぎ、そしてほとんど教えることをしないことからやめていった。そしてアトリエには妻でさえ食事ができた時以外は入らせない。厳格と言うが悪く言えば変人であった。

 

しかし、その中でたった一人だけ入室を必ず許された者がいる。涼介少年だ。彼だけはなぜか入室を許されていた。特に何をするわけでもない。ただただじっと祖父が描く絵を見つめていた。

 

「ん…」

「すみだけで、こんなにかけるですか」

 

「うむ」

「きれい…です」

 

「そうか」

 

ある時涼介の両親の話を聞いた。

 

「ピアノには興味を持ってくれたんだが…お爺さんの絵にも興味を持ってもらえないだろうか…と思ってですね…」

 

「まあまあ…一宮の重圧と言うやつかねぇ…」

「あの子にはいろんなものに興味を持って、笑ったりしてほしいのよ…」

 

「涼ちゃんはそうねぇ…笑わないし…ここに来てまで算数や国語の勉強をしなくてもいいのにねぇと思っているわ」

 

「そうなんです…」

「だけど、涼ちゃんはお爺ちゃんにべったりでしょう?お爺ちゃんの絵に興味があるのかしら?」

 

「それは…そうですな」

 

「………ふむ」

 

涼介をアトリエに招き入れているのは祖父の気まぐれ。別に勉強でも何でも静かにしてくれていれば何も言わない。それを言えば涼介は黙々と…ここでは勉強をしない。夜、自分が絵を描かなくなってテレビをボーっとみていたりする時は勉強をしている。

 

「涼、勉強は好きか?」

「………わかりません」」

 

「む。ならアトリエに来るといい」

「はい。おじいさん」

 

口数も少ない子だなと思った。そして従順すぎる。これは確かにいかんことだな、と祖父も思うくらいであった。そして祖父は特に何かをするわけではなく、涼介をアトリエに置いて自分は絵を描く。

 

「これは何を描いているんだい?」

「出来上がりが楽しみだねぇ」

 

妻はそう言って事あるごとに話しかけてくるのでうるさくてかなわん。なので飯の時以外は呼ぶな、来るなと言ってある。

 

「涼。退屈ではないか?」

「はいおじいさん。たいくつではありません。おじいさんが絵をかいているところを見るのが楽しいです」

 

「ん…そうか」

 

ボーっとしているわけでもない。何をするわけでもない。ただひたすらに祖父の絵を眺める涼介。次の日…。

 

「涼。退屈だろう。何か描いてみなさい」

「えっ…?はい、おじいさん」

 

祖父はスケッチブックにクレパス…そしてクロッキーを手渡して描いてみろと言った。涼介はしばらくの間困ったようにスケッチブックとクロッキーを見つめていたが、やがて何かを描きだしたので祖父も手を動かすことにした。

 

 

「む…?」

 

だいぶ進んだところで一旦体が疲れを訴えたので休憩をすることにした。よく見ると昼食も忘れて描いてしまっていたか。また戻ったら婆さんがうるさそうだ。涼介は…戻ったか…?と思ったがいた。彼もまたスケッチブックを睨み、クレパスを持って手を動かしている。

 

「………?」

 

覗き込んでみても涼介は黙々と手を動かす。そこには拙い絵ではあるがそこに描かれていたのは自分であり、絵を描く姿を描いているところだった。いつの間にか自分がモデルになっていたか。

 

「……?あ、おじいさん」

「儂を描いておるのか」

 

「はい。絵を描いているおじいさんの絵を描きたいと思いました。まだ完成していません」

「そうか…む…」

 

陰影の描き方など、いつの間にか覚えて描いている。小学3年生が描くにはできすぎている…。天才。口には出さないが彼はまさにそれである。

 

「涼。絵を描くのは楽しいか」

「はい。とてもたのしいです。おじいさんのかっこいい姿を描くことができます」

 

「かっこいい…か」

「はい!」

 

「ふむ…」

「おじいさん、今日はもうお仕事はおしまいですか?」

 

「いや。まだ描く」

「そうですか。ではまたおじいさんが座ったらぼくも絵を描きます」

 

「少し…休憩じゃ。茶」

「ありがとうございます。おじいさん」

 

「うむ…」

 

お茶を飲みながら少し修正を始める涼介少年。儂より熱心ではないか…?

 

「涼。休みの時間は休め。でなければよいものはできん」

「あ、はい。ごめんなさい」

 

「……食え」

「チョコレート…いいのですか?」

 

「食え」

「はい」

 

お菓子。これも涼介のためにこっそりアトリエに涼介が来る前日に運び込んでいたのだ。無関心なようでかわいい孫だと思っている。啓介にもこっそり「食べな」と言ってお菓子を渡したりはしている。一宮の子は苦労していると聞いた。いじめられたと聞いた時には怒鳴りこんでやろうかとも思ったが、自分の立場と言うこともあるし、一宮の外部の人間が口を出してもややこしくなるだけだろう。

 

もどかしい話だ。こんなかわいい孫をいじめる連中など許すわけにはいかん。はらわたが煮えくり返る。ここでのびのびとしてほしいものだ。大人に未来を決めつけられ、子供にはいじめられ。理不尽なものだ。感情をも失いかけている涼介が不憫でならなかった。

 

少し嬉しそうにチョコレートを食べる涼介を見て気づかれないように優しく笑った。不愛想な偏屈爺。それが儂なのだから。笑顔など見られてたまるか。

 

「食ったか」

「はい」

 

「ではやるか」

「はい。おじいさん」

 

そうして再び祖父が筆を執る。ちらちらと涼介の様子を見ると、少し笑みを浮かべて自分を描いている。むう、何だか恥ずかしいものがあるが…妻も「もう、私をモデルだなんて…恥ずかしいですよ」と若いころに何度か依頼したことがあったがこんなに恥ずかしいものだったか。

 

夕方になり、祖母が声をかけたところでその日はおしまい。1日ではしっかり描けなかったのがちょっと悔しいのか、不満げな顔だった。

 

「涼ちゃん、今日は何をしていたの?」

「おじいさんを描いていました」

 

「まあ!それはお爺さんも喜ぶわ!」

「儂は喜ばん」

 

「もう、お父さん?せっかく涼介が描いてくれているのに…」

「む…」

 

「涼介、楽しいか?」

「はい、お父さん!」

 

「ははは!そうか!」

「おじいさん、お馬さんを描くのはむずかしいでしょうか?」

 

「ふむ…ちと難しいな。毛をうまく描くのが難しいじゃろうな…」

 

しばらくして油絵で描いた馬の絵を持ってきた。立派なキャンパスに描かれた馬。躍動感が素晴らしい。

 

「これを見て学ぶが良い」

「ありがとうございます」

 

「涼介、エト君で描くのか?」

「はい!お友達の絵を描きたいです!」

 

「そうかそうか!」

「あの道具は持って帰ってええ。好きに使うと良い」

 

「ありがとうございます、おじいさん!」

「うむ」

 

翌日、何とかできあがった祖父の絵。祖父はその絵を見ると「良い」と一言だけ言っただけであったが、それだけでも涼介は喜んだ。

 

「おじいさん、どうか持っていてください」

「む…儂が持っていてよいのか」

 

「はい!おじいさんの絵がありませんでしたので、おじいさんを描きました!だから持っていてほしいです!」

 

「そうか」

 

そう一言だけ言うと祖父は涼介の頭を撫でた。今もその絵はアトリエに数十万する高い額縁に入れられて飾られている。ちなみに、高校生になった時にもう一度祖父の絵を描いたことがある。そちらは絵画のコンクールにて金賞、さらには都知事賞を得た。その絵も祖父に送った。そちらも高い額縁に入れられて飾られている。

 

提督になった際に写真を送ったら、写真を水彩画で送って来た。それは涼介の自室に大切に飾られている。

 

言葉は少ないが祖父と涼介は仲が良く、心を通わせているのだ。老いてそろそろ筆を思っているらしい。涼介は特に気を遣うこともなく「お体ご自愛下さい」とだけ電話で言葉を交わした。「うむ。ありがとうよ」と祖父もそれだけだったが、祖父はその後アトリエで1人泣いていたそうだ。

 

………

 

これが私が提督に就任したときの写真を絵にしていただいたものです。

 

「す、すごい…」

「あ、これ…彩雲先生のサイン…すごい…ほしい」

 

「申し訳ありません。これは私の宝物ですので…」

「そう、そうよね…」

 

「見せびらかすようですみません…」

「い、いいのよ!ここに彩雲先生の絵があるって言うだけで嬉しいもん!」

 

まるで子供のようになっているジョンストンにフレッチャーがかわいらしくて笑っていた。

 

「ああ、こちらの水墨画の山河。こちらはいかがですか?」

「ほ、ほしい!!!Please!!!!」

 

「ふふ、どうぞ」

「Thanks!!」

 

「私は鏡子姉さんと祖父のおかげで…こうしていられるのだと思います。そして…エト君のおかげです」

「ふむ…提督は大企業の御曹司と言うことで苦労したのだな。恵まれた環境ではあるが…子は恵まれないと言うこともあるのだな」

 

「人間の家庭と言うのは非常にややこしいものです。三条君も、九重君も七原さんも。いろいろです。きっと刈谷提督もそうでしょう。その中で私は両親も健在で周りの人にも恵まれ…幸せ者のお坊ちゃんと言うのは間違いないでしょう」

 

「ふふ、五月雨は幸せです!提督にお会いできたこと!」

「そうですか。そう言って下さると私も嬉しいです」

 

「はい!」

「提督さん、由良も幸せです!」

 

「ふん、ま、まあいいんじゃないかしらね」

「一番うれしいのは曙じゃないの?」

 

「はーーーーーー!?!?!?あたしはそんなに嬉しくはないわよ!」

「日記には提督の事ばっかり書いているよね?」

 

「潮、あんたまた人の日記を勝手に見たわね!?」

「開きっぱなしはよくないと思うよ。あたしのクソ提督とか書いてあったけど」

 

「ここで日記の中身を暴露するなあああああああ!!!!!知らないわよそんなこと!!!!書いた覚えない!!!!!」

 

「えーっと、クソ提督の弾くピアノってなんであんなに癒されるのかしらね?ま、あたしのクソ提督の弾くピアノならなんでも癒されるんだけど!」

 

「朧ーーーーーーー!!!!あたしの日記の中身なんで暗記してんのよ!?!?!?!?!あ、あわわわわ、ちが、違うんだから!べ、別にあんたのピアノなんて癒されるとか思ってないんだから!!!」

 

「今度は何を弾きましょう?」

 

「はあああああ?!!?!?!?!いらないったら!!!!今度は月光を弾いてほしいとか思ってないんだから!!!!!」

 

「月光ですか。私の得意な曲の1つですね。練習しておきましょう」

 

「うっ…」

「わあぁ、提督!楽しみにしていますね!ねっ、曙ちゃん!」

 

「う、ううううううう!!!うああああああ!!!」

 

「ア、アケボノ!?What happening!?」

「あ、悶えてる」

 

「ふふふ、月光、楽しみにしていますね、ね!」

「ほわぁ…彩雲先生の水墨画ぁ…」

 

「あ、あの…何だか、大変…」

「Iowa、楽しいじゃない!」

 

「ふふ、提督さんの話はおもしろいね。ところで、どうして提督さんになろうと?」

 

「ああ。それは最初の私の言葉に戻るのですが「うあああああああ!!!!!」」

 

「アケボノ、Shut up」

 

こうして一宮提督が提督を目指すきっかけになる話に戻る。恩師、鏡子姉さんと祖父のおかげで感性と趣味を。親友であるサザンエトワール号のおかげで感情を取り戻した涼介。親戚の子にいじめられることはまだ続いていたが、それは啓介が空手や剣道の全国大会で優勝を果たすと暴力は止んだ。

 

学校では続いて友達ができなかったがそれでよかった。彼に近づく子供は男女問わず、親から「お近づきになっておけば社長と仲良くなれる」と言う邪な入れ知恵だけであり、友達になろうとか本当に彼が好きだからと言う理由では近づいてきていないと涼介自身も看破しているからだ。

 

「ごめんなさい。僕はいま好きとか嫌いとかはわからないです」

 

告白されてもこうである。もっとも、ちゃんと聞こえている。「一宮君に告白しなよ!社長の息子と付き合えるだなんて…結婚したら玉の輿!!」

 

そんな言葉を言って「だよね!」などと言う女の子の好きが本気で聞こえるわけがない。

 

「一宮、お前…クラス一のマドンナのあの子を振るなんて随分といい気になったな!」

 

「僕は単に『一宮の社長の息子だから』と言う理由で付き合いたいと言う女の子はお断りしただけです」

 

「ハッ!お前なんかそれくらいの価値しかねえだろうが!」

「そうですね。ですからお断りしました」

 

「はあ!?てめえ!」

「おい」

 

「ああ!?うっ…お、弟…」

「玉の輿狙ってるだけの頭パーの女なんかお兄ちゃんに似合うわけないだろ!何だよその手、お兄ちゃんを殴ろうって言うのか!?だったら僕が相手になるぞ!」

 

「っ!!行くぞ!!」

「啓介…ありがとう」

 

「ふん!お兄ちゃんに集るんじゃないや!」

 

弟に助けられつつ、小学時代を過ごした。中学に上がってもやはり同じようにして近づく者が多かったが涼介も感情はあるし、趣味を通して明るくなっていたので嫌味を言うことなく、持ち前の頭の回転の早さを活かしてトラブルを事前に回避したり、論破をしてグゥの音も出ないくらいにしたり。そうして過ごした。しかし、中学1年のときに進路を問われた時に詰まった。

 

「やっぱり、お家のお仕事を継ぐのかな?」

「いえ…それは…」

 

言葉に詰まった。そうだ。やりたいことをやれと両親にも鏡子にも言われていたがまだ決まっていなかった。困ったな…やはり僕には父の後を継ぐしかないのだろうか?

 

そうしてそれを悶々と抱えながら日々を過ごし、やがて涼介少年の運命を変える出来事が起きるのだった。

 




涼介少年の趣味のお話でした。
献身的に心配してくれる両親、親戚。そして親友。弟。みんながいたから涼介少年はどこかのリンガの提督のようにならなかったのだと思います。

ここから中学生、そして涼介少年が提督になるに至るまで。また家族たちとのどのような会話などがあったのか。提督を目指すきっかけは?そちらを掘り下げて行こうと思います。

次回もお待ちいただけますと嬉しいです。

それでは、また。
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