提督はコックだった   作:YuzuremonEP3

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原初の艦娘 「宵闇」川内

「居る」のに「居ない」能力を持つ。周りの風景に完全に溶け込む。影から影へ移動するなど忍者のように隠密行動を得意とする能力を持つ。影から突然現れた。何もいなかったはずなのに目の前に居た。など奇襲攻撃を多用するが、普通の戦闘も身軽な動きで敵を翻弄するトリッキーな動きを見せてあっという間に殲滅する。夜戦となれば空間すべてが隠れ場所になるために一人で主力艦隊を全滅させたこともある。隠密行動を得意とする故に諜報を主な仕事とし、戦闘に出る機会は陸奥や龍驤、赤城に任せて別行動を取ることも多い。ずぼらで昼間寝ていることも多く、うっかり上から落ちてくることがある。


第二十五話

コールタールのようにドロドロ、ねっとりと厭らしい口調、下卑た笑い声。ニタニタと誰が見ても不快になる笑顔。翔鶴は目があった瞬間に腰を抜かした。そして、脳内に一気に過去の奴にされてきたことがフラッシュバックする。

 

「いやああああああああ!!!」

 

頭を抱え、うずくまる。その体は異様なまでに震えている。瑞鶴が冷や汗を流しながらも翔鶴と名取の前に出て守ろうとする。震えが止まらない。

 

「なんで、なんであんたがここにいるのよ!」

 

「逮捕されたのに、か?いやぁ、仲が良い友を持つというのは良いものだ。こうして儂を逃がしてくれたのだからな。時間はないが、やはり妻を置いて高飛びなどできんのでな。ククク、さあ、翔鶴。迎えに来たぞ?かわいい儂の妻になるのだ。クハハハハ!!」

 

「ひっひっひっ!あが、かはっ…い…ぐっいや!」

「何が嫌なものか。儂を見てそこまでになるとは。いやいや、実に儂に捉われているなぁ。そんなに儂が忘れられんかったか。では、また思い出させてやろう。そしてまたかわいがってやるからなぁ…」

 

安久野の声を聞く度に翔鶴の呼吸が乱れていく。狂気でも宿しているかのようなその顔に瑞鶴ももはや耐えきれないでいた。心の奥底で安久野に対して多大な恐怖を植え付けられていた。睨みつけたその目からは涙がこぼれる。怖い…怖い…!

安久野は一度翔鶴から目を離す。そして名取を見る。その顔は嫌らしい笑みから憤怒の表情に変わる。ひっ!?と名取が声をあげる。

 

「名取ぃ。お前には本当に世話になったなぁ…。とろいとろいと思っていた貴様が、まさかあのようなことをして儂を騙してハメてくれよったなぁ?ええ?」

「あ、あうう…ひっ、た、すけ…!」

 

「散々世話をしてやったというのに儂の顔に泥を塗りおって!ああ!?兵器が人間に逆らうなどとはずいぶんいいご身分だなぁ名取ぃ!…まあ、裏切り者の貴様には相応しい待遇をしてやろう。逃げた先にも男はごまんとおる。兵器でも姿は女だ。な?搾りカスになるまでせいぜい男達にかわいがってもらえるよう取り計らってやろう」

 

そうしてまた笑みを浮かべて近づき手を伸ばす。

 

「ひ、ひいいい!!い、いや!!」

「やめて!こないでえええ!!!」

 

翔鶴と名取の悲痛な叫びが響き渡る。瑞鶴は恐怖で声が出せないでいた。

名取を抱き締めていた扶桑が立ち上がり、翔鶴と名取と瑞鶴の前に立つ。その目は優しく穏やかなものではなく、先ほどの演習で日向達の動きを止めた鋭い目つきだった。

 

「なんだ、貴様?ほう…?」

「この子達は連れて行かせないわ…。その汚らわしい手で名取さん、翔鶴さん、瑞鶴さんに触れることは、この扶桑が絶対に…絶対に許さないわ…!今すぐ去りなさい!」

 

透き通る。それでいて刃のように鋭い声が安久野を威嚇する。その鋭さに安久野は思わず後ずさった。いつの間にかその隣には神通がいた。扶桑と同じく、鋭い目で安久野を睨みつけていた。

 

……

 

執務室で一宮提督と談笑をしようとしていた玲司の下に、川内が突然姿を現した。

 

「うおっ!川内!こら、いきなり出てくんな!みんなびっくりするだろうが!」

「そんなこと言ってる場合じゃないんだって!おと…司令長官から火急の報だよ!」

 

「……どうした?」

「ここの前の提督が脱走したんだって。ここには来れないと思うけど、危険だから報せに来たよ!」

 

その言葉に大淀は息を詰まらせた。あの男が…どうして…?体が冷たくなる。震える。絶対の恐怖の対象でしかない安久野が…。

 

「…邪な気配が…鎮守府に入ってきました…。翔鶴さんたちに接近します…!」

 

神通が何かの気配を察知した。邪な気配。それはもう間違いなく…。

 

「大淀、みんなを集めて食堂で待ってろ。いいか、俺が来るまで絶対に食堂から出るなよ。

心配すんな。お前らも翔鶴達も俺が守るから」

 

クシャリと大淀の頭をやや乱暴に撫でる。わあ!と言い、何かを玲司に言いたげな顔で少し睨む。しかし、恐怖やすくみは消えた。

 

「よし、動けるな。大淀、頼むぞ。ゴー!」

「は、はいっ!」

 

「神通、お前もって、ちょっと、おい!」

 

一方で神通は玲司の静止も聞かずに窓を開け、そのまま外へ飛び出した。二階からの高さをものともしない着地ですぐさま走り出した。

 

「ああ、ったく!一宮提督、すいません!そちらの艦娘達も食堂へ!」

 

そう言うと玲司も入り口へ駆け出し飛び出ていった。そして執務室には一宮提督しか残らなかった。川内が執務室の机の前にいたはずだが、いつの間にか影も形もない。周囲を見渡してもどこにも「居ない」

 

一人執務室に取り残され、ぽかんとする一宮提督。ノックの後、日向が入ってきた。

 

「提督。三条提督が至急食堂へ、と言っていた。皆は向かわせた。あとは貴方だけだ」

「あ、ああ…すみません。私達はどうやらとても最悪のタイミングで来てしまったようですね…」

 

「そんな事情は私達の与り知るところではない。たまたま運が悪かっただけ。そうだろう?」

「…そうですね。すみませんでした。では、行きましょうか」

 

「ああ。行こう」

 

駆け足気味で部屋を後にする二人。その二人の息はぴったりだったと川内が後で二人に向かって言った。まだ「居た」ようであった。二人は真っ赤になったと言う。

 

 

「クク…ワハハハハ!!!素晴らしい!気に入ったぞ!ああっと扶桑だったか?その美貌、その体、存分に楽しめるな!貴様のその凛々しい顔を薬と男でぐちゃぐちゃにしてやろう!」

「…下品ね…」

 

「貴様らなど儂が逃げた先ではそれくらいしか役に立たん!それまでは海上護衛を任せるが…着いた先での貴様らの運命はそんなものだ」

 

神通の目がさらに鋭くなる。欲望に身をやつすとここまで堕ちるものなのか。あらゆる欲望に染まった男には何を言っても無駄だと悟る。

 

「私達の提督とは…大違いですね…」

「提督?提督!ほう、儂の後釜か。どんな奴なのだ?貴様等のその反抗的な態度、まったくふざけた教育しかしとらんようだな。翔鶴達のように従順になるよう躾をせねばならんのにな!」

 

「へえ、随分とまあ変わった艦隊運用だな。そんなもんは運用のマニュアルにゃないよ」

 

背後から声がする。聞き慣れた声。扶桑も神通も振り向く。見たことのない怒りに満ちた顔をして三条玲司がやってきた。神通と扶桑の前に立ち、扶桑のように手を広げて彼女達を守る。

 

「提督、お下がりください。私達が提督をお守りします」

「いいや、ここは退かないぜ、神通。うちの家族を守るのが俺の役目だ。ここで艦娘に守ってもらいましたなんざ、男が廃る。扶桑、翔鶴達を連れて、お前らも下がれ」

 

「…はい。ですが、ここを離れるわけには参りません。いざと言う時、この扶桑。提督をお守り致します」

「同じく神通。申し訳ありませんがそのご命令はお聞きできません」

 

「……わかった。そこで待機だ。絶対に動くな」

 

そう言うと玲司が前に出て、安久野対峙する。

 

「なんだ、随分と若いな。ふん、こんな小僧が?こんな小僧が横須賀鎮守府の提督だと?笑わせてくれるな。儂がやってやったほうがいいんじゃないのか?」

「あんたに比べれば随分とマシだと思うぜ。何人も艦娘沈めるような無能の提督とはなぁ!」

 

玲司の語気が荒くなっている。多くの艦娘を物のように扱い、沈め。そしてここにいる翔鶴や名取、北上や雪風達に大きな傷を残した張本人。今まで溜まりに溜まっていた怒りが爆発していた。聞いたことのない玲司の言葉遣いと声量に、どれほど玲司が怒っているのかを扶桑は感じ取っていた。

 

(本気で怒っている…。私たち…いえ、翔鶴さんや名取さんたちのことで…)

 

「小僧、言葉遣いに気をつけろよ?儂はまだ寛大だから許してやろう。貴様、階級は何だ?上官に対する態度がなっていないようだが?」

「大尉だが…あんたはもうここを追われた犯罪者だ。まだ軍に所属しているつもりか、不法侵入者?」

 

「ああ、そうだとも。一時的に休業するだけだとも。儂のことを大本営はまだまだ必要しているからな。クク、大尉?大尉だと?フフフ…貴様、その程度の階級でここ横須賀に?フハハハハ!笑わせてくれる!!大佐である儂に大尉如きが何を偉そうに!フハハハハ!…………ふざけるなぁ!!!!」

 

一人で笑っていたかと思うと突然玲司に怒りだした。プライドだけは高い人間だ。若く、それでいて大佐と言う階級を持っていた安久野はそれが非常に気に入らなかった。見下されたようで頭に来たようだ。

 

「小僧。儂は貴様のような馬鹿に付き合っている暇はない。さっさと翔鶴と名取とその女を渡せ。上官に逆らう気わけではあるまいな?上官の命令は絶対だぞ?」

「寛大…寛大ねえ…ふふ…笑わせてくれるぜ。答えはお断りだよ。あんたはもう上官でも何でもない。不法侵入者で人さらいか。どうしようもない悪人だな。もうじき憲兵が駆け付ける。そうなりゃあんたはまた牢にぶち込まれる」

 

「貴様ぁ…儂は捕まってもまたここに来るぞ。翔鶴をモノにするまではな…。小僧、翔鶴だけでいい。渡せ。そうしたら貴様が求めるだけの金をくれてやる。どうだ?しばらく遊んで暮らせるだけの金を用意してやるぞ?妻である翔鶴を渡させるために金を用意せねばならんのは気に入らんがな」

 

「妻?何だそりゃ、気持ち悪い。金なんかに興味はない。翔鶴はうちの家族だ。てめえみてえな金と色欲に塗れた奴に、うちの家族は誰一人として渡しゃしねえ。ここはてめえの来る場所じゃねえ。とっとと捕まって豚箱に戻るんだな!!安久野!!」

 

凄まじい玲司の剣幕にたじろぐ安久野。こんなことをしている時間はあまりないが、目の前の極上の宝物を置いて逃げるわけにはいかないと意固地になっていた。何のためにここまで来たのか?それは散々いたぶった翔鶴をまたいたぶるためだ。あれほど至高の女はいない。艦娘を物や兵器と呼ばわりながら、この言い分であり、身勝手極まりない。

若造に馬鹿にされ、さらには翔鶴を渡さないと言う言葉に安久野は我慢がならない。

 

「貴様…儂を馬鹿にしおって…ならば、力尽くで奪い取るまでだ!!これが何だかわかるか、小僧ぉ!!」

 

懐から取り出したのは回転式リボルバーの拳銃。どこから持ってきたのか、それを玲司に向ける。

 

「提督さん、ダメ!逃げて!」

「提督…いけません!」

 

「動くな!動けばこの男に風穴が開くぞぉ?ヒヒヒ…儂を馬鹿にしたんだ。絶対に許さんぞ…!絶対に許さんからな!!許してほしくば翔鶴を渡せ!!!!」

 

「てめえに渡す艦娘は居ねえつってんだよ!艦娘を…皆を、物だ兵器だと?ちゃんと感情があるんだ…この子達だって笑うんだ…。泣くんだ…。そして、沈むとなったら怖い。痛い、苦しいに決まってる…。俺はもう俺の手の届く範囲にいる艦娘は守ると決めた。笑って楽しく過ごさせたい…。だからなぁ…てめえみてえな屑にうちの家族を渡してたまるかってんだ!」

 

「貴様あああああ!!!!!!」

 

玲司の言葉に安久野の指が拳銃のトリガーにかかる。神通が真っ先に動こうとしたが、安久野の足元が何か動いた。

 

「はい、そこまで。変なことするとあんた…首、掻っ切っるよ?残念だけどじっと見てたからね」

 

影から現れた艦娘。安久野の首元にクナイのような刃物をあてがい、行動を無力化する。現れたのは川内。そう、「宵闇」川内。どこからでも現れる。

 

「な、何だ貴様!?艦娘か!艦娘の分際で…上官に刃を向けるだと!?ふざけるな貴様!放せ!上官の命令だぞ!!!」

 

「ならば、君のさらなる上官の命令を聞いてもらうとするかね。銃を捨てろ。抵抗するな」

「おやっ…司令長官」

 

「川内、その男の銃を取り上げなさい。随分と思い切ったことをしてくれたね、安久野大佐、いや、安久野。君はすでに階級を語れる身分ではないはずだがね?」

「儂はまだ…海軍に所属していると聞いていますがね…」

 

「ほう、誰が君の身の保証をしているのかね?誰に聞いても、君についての処遇は満場一致で懲戒免職だよ。いや、それすら温い。貴様のしてきた行為は許されるべきではない。貴様の行き先は…二度と出れぬ檻の中だ。もう貴様の味方をする者はおらんよ。全て洗い出し、逮捕に動いている。君の免職を最後まで反対していた艦娘兵器派の上官も、今は免職について首を縦に振ったよ。よって、貴様の居場所はここにはない」

 

「な、なん…だと…!?儂を…儂を裏切っただと!?」

 

「言ったはずだ。貴様の身辺の者は全て炙り出しが可能だよ。さすがに余りに首を突っ込みすぎるとこちらも命が危ないのでね。ある程度はわきまえているが。貴様のお友達や仲間とやらに貴様のことを聞こうとあちこち以前から尋ねていたのだがね?安久野楠男と言う男など口を揃えて知らないと言うんだよ。おかしな話だとは思わないかい?」

 

穏やかな口調とは裏腹に鋭い視線が安久野を射抜く。自分の身の回りで大金をはたいて作っていたパイプはいとも簡単に壊されて、逃げ道はないと言われてしまった。結局のところ、金と女だけで繋がったパイプなど容易く壊れてしまうものだ。安久野は自分に都合の悪い人間、と言うことで蜥蜴の尻尾切りに遭ったのだった。それはひどく安久野を怒らせた。

 

「ぐぅ…ググググ…あれほど…あれほど金と女で遊ばせてやったのに…ふざけおって…ふざけおってえええ!!!」

「安久野、貴様はもう何もかもお終いだ。お縄につけ。まもなく憲兵もやってくる」

 

「儂を馬鹿にするなぁ!!!そこの若造…!そこの若造にまで馬鹿にされてたまるか!!!!儂は大佐だ!!大尉などと言うクソガキにまでなぜ!!!」

「大尉?誰が大尉なのかね?横須賀鎮守府は日本の要ともなるやもしれん鎮守府だ。そこを大尉や新米に任せるわけにはいかんよ。三条提督が大尉?何を寝言を言っているのかね?」

 

「そのクソガキが言ったんだぞ!!自分で大尉と!!」

「ああ、そのことかね。うむ。私の言いつけをきっちり守っていたようだね。階級の高い提督を置くと、また不安を持ったり委縮したりしてしまうだろうからと身分を低く言うようにしなさいと言っておいたんだよ。…一ヶ月も経たないうちに言うのも気が引けるがね。彼は君より階級は上だよ」

 

 

―――そうだろう?三条准将。

 

 

「じゅ、准将!?」

 

「て、提督さんが…准将…?そ、そんな階級…」

「彼はショートランドで若くして大変すばらしい功績を残した『ショートランドの英雄』。いや、彼はこう呼ぶのを嫌がるがね。さて、上官の命令は絶対なのだろう?ならば、彼が彼女たちは渡さないと言った言葉は聞くべきではないかね?」

 

玲司はバツが悪そうな顔をしていた。古井司令長官の的確な反論に、安久野は汗をダラダラと流しながら固まっていた。その的確な反論に反論を返すことができず、見事に論破されてしまった。もはや、何一つ勝ち目はない。

 

「ク、クク…捕まってなどなるものか!儂はまだ…こんなところでなぁ!!」

 

懐にもう一丁隠していた銃を取り出して古井司令長官、もしくは玲司を狙って銃を構える。川内がそれを止めようとするが…。

 

「動くなよ艦娘!動けばすぐさまどちらかを撃ってやる!!!ククク、クハハハハ!!!ではさらばだ!!!」

 

「安久野!!てめえ!!!!」

「待つんだ三条提督!!今は危険だ!!」

「しかし…!!」

 

「問題はない。川内、安久野を追いなさい。そして、何かあっても手は出してはいけない。いいね?」

 

コクリとうなずいた川内はまた跳躍をしたと同時に消えた。神通が目で追っていたように見えたが今はそれどころではない。

 

「司令長官…いや、おやっさん、何で安久野を見逃した!!!ここで捕えておかないとどこへ逃げられるかわかんねえじゃねえか!!!また翔鶴や名取たちの前に現れたらどうしてくれるつもりだ!!!!」

 

司令長官に向かっての口の利き方ではないことは百も承知。しかし、大切な艦娘を守るためにもあの男を逃がしてはならないと思っていた。だからこそ、感情を剥き出しにして吼えた。こればかりは看過できない。

 

「落ち着きなさい。川内が追いかけたんだ。あの子が見つかるとでも思っているのかい?」

「じゃあどうする気だ!」

 

「まあ待ちなさい。そら、彼がここに来て逃げるならこうするであろうと手は打ってある」

 

そういうと携帯電話を取り出し、会話を始めた。余りのじれったさに携帯をひったくりたいところだったが、それは何とか押しとどめた。

 

「もしもし、ああ。うん。やはりそう行ったかね。うん、ああ。お前の言う通りだったね。わかった。川内が追いかけている。あとは突き止めてチェックメイトだ。ありがとう」

 

電話は1分も経たずに終わった。古井司令長官はにやりと笑って玲司に語りだした。

 

「今の電話はね、明石なんだよ。用意周到な奴のことだ。きっと有事の際には秘密の逃げ道を作っているだろうと思っていたんだがね。大正解だったよ。明石をここにやったのは、そう言ったことに詳しい、そしてそういうのを作ることが大好きな子がよかったんだよ。明石には、横須賀鎮守府の変わったところがないかを隅々まで調べるように言ってあったんだ」

 

全くそんな話は聞かされていない。明石は単に玲司の食事でなければ嫌だと駄々をこね、仕事にならないからよこしたとしか聞いていない。古井司令長官はさらにいたずらを思いついた子供のような笑みを浮かべて話を続ける。

 

「玲司、お前まで騙していたことは悪かった。だが、明石の調査はばっちりでね。母港に秘密の通路を作っていてんだ。そこに船を置いていたんだよ。まあ、もうメンテナンスも怠っていたようで動かなかっただろうけど、明石にそれをこっそりメンテナンスしていつでも動かせるようにしておくようにと言っておいた。

高雄の話でも安久野を近々脱獄させようと言う話が出ていたようでね。異様なまでに横須賀鎮守府の翔鶴君に固執していたから、脱獄の際にはきっとここに来て翔鶴君を連れ去るのではないかと懸念していたんだよ。まあ、私がここに来ているときに来たのが運の尽きだったね。高雄の徹底的な情報統制で外部に私が横須賀に行くことは知らせていなかったし。敵を騙すならまず味方から。すまなかった」

 

全ては古井司令長官の作戦だったようで、見事に玲司は騙されていた。ちなみに龍驤は本当にうるさいからこちらによこしただけ、と付け足していた。

 

「彼に協力していた者達は小物だけは炙り出した。そうして逃げ道を着実に奪った。今から逃げる先にも仲間がいるだろうが、川内が突き止め全員これでアウトだ。大本営のほうの彼を擁護した者もここで悪事に加担していたとして逮捕した。大本営の洗浄の始まりだよ。

ここから先は誰にも語るなよ。あわよくば奴には消えてもらった方がいい。無防備に海へ送り出す理由はそこさ。逃げ切っても川内の追跡からは逃げられない。だが、小型の船が一隻、艦娘の護衛もなく出て行っては無防備だろう?ここと、大本営のよろしくない連中をさらに炙り出すにも奴には消えてもらうのがいいんだ。私もあのような男には虫唾が走る」

 

そうして話をしているうちに船が走る音が聞こえた。海をみると小型の船舶が一隻沖へと向かっていた。するとまた電話がかかってきた。

 

「もしもし明石かい?うん。ああ、やっぱり今のはそうか。うん。わかった。では、玲司と一宮提督とお茶でもしながら気長に待つとしよう。では、またあとでね」

 

「みんな、大丈夫か?…怖かったな。怖い目にあわせてごめんな…」

「て、提督さん…怖かった…怖かったよ…。でも…提督さんが来てくれたから…ね、翔鶴姉」

 

「翔鶴、もう悪い奴はいない。部屋に行くか?食堂にならみんないる。名取も。食堂へ行こう。食堂へ行って落ち着こう。大丈夫だ。俺もいる」

「司令官さん…う、ううう…!」

 

「名取…大丈夫だ。よしよし…」

 

子供をあやすかのように頭を撫で、翔鶴と名取、そして瑞鶴を心配する。扶桑と神通にも礼を言い、なんとか立たせて食堂へと向かった。後ろを古井司令長官がついていく。振り返り、海を見つめては険しい顔をしていた。

 

 

「フハハハハハ!!!逃げた!逃げたぞ!!!儂はこれで自由だ!!」

 

安久野は秘密の通路から万が一のための緊急脱出用の小型船舶に乗って横須賀鎮守府から無事に脱出できた。艦娘も妖精さんもおらず、銃を持ったがために追うに追えず、まんまと逃がしてくれたと勘違いしているようだったが、とにかくあの状況からうまく逃げ切れたと前向きに考え、勝利の高笑いをしていた。

別の仲間と合流できるポイントに向かい、そこでこの船は捨てて仲間の船で領海内の島でしばらく身を隠し、落ち着いたころにそこを使ってまた悪事を働こうと言う算段であった。

 

今回は翔鶴を連れてこれなかったのが痛かったが、落ち着いてから仲間と一緒に押しかけ、連れてくればいい。まずは自分の自由を優先したのだ。

 

「あの三条と言うクソガキもいずれは魚の餌にしてくれる…。ククク、あのクソ生意気なガキを翔鶴の目の前で殺し…絶望させてまた好き放題してやろう…ククク…」

 

またあの翔鶴の絶望の顔が見たい。そうしてまた穢してやる。そう考えるだけで涎を垂らしてご機嫌だった。船は海の上を走る。彼の最期が近づいているとも知らずに。安久野の船を遠くから顔だけ出して見ている、深海棲艦の潜水艦に見られたことなど露知らず、彼は今後の人生計画を鼻唄混じりに考えては高笑いをしていた。

 

……

 

海図を頼りに目的の地点に到着した安久野。着いたはいいが仲間の船が見当たらない。辺りは日も暮れだし、薄暗くなってきており視界も悪い。どこを見渡しても船らしきものはない。

 

「あいつらめ…まさか遅刻か?ふざけよって。これは奴らの取り分を少し減らすいい口実だわ…」

 

ニタニタと仲間が来た時に言うことを考えていると何かがぶつかったのかゴツンと衝撃が走る。結構大きな衝撃だけに何事かと海を見やる。白い板のような何か。それは…船の破片か何かであろうか。

 

「何だ?ゴミか…?しかし、こんな大きな破片……」

 

その時、船に物凄い衝撃が走り、転倒してしまう。予期せぬ衝撃に受け身も取れず、顔を強打し悶絶する。

 

「ぐ、ぐう…!な、何だ一体!?」

 

見渡すと船の後部から煙が上がっている。それがどういうことなのかを瞬時に理解した安久野は慌てて船室へ向かい、エンジンをかけようとする。しかし、エンジンはかからない。うんともすんとも言わない船に苛立ち、ドンドンと計器類を殴るも船はそれに応えることはない。

 

「く、クソォ!まずい…早く逃げなくては…!!」

 

―――ニガ…――サ―…ナイ――

 

低く、か細い声が聞こえる。その声に安久野は固まった。恐る恐る海を見るとそこには軽巡ホ級や重巡リ級が恐ろしく冷たい殺意を向けて安久野を見ていた。周りにはイ級やロ級もいる。その駆逐艦でさえ無機質な目であろうとも殺意を訴えていた。

 

「ひっ、わああああ!!!な、なんだ貴様ら!!!」

 

「……貴様カラハヒドク忌々シイ感情ガ流レテクル…」

「ツマラナイコトデ私タチヲ海ニ沈メタ…コノ憎シミトクルシミ…オ前ヲ殺サネバ晴レルコトハナイ…」

「痛イ…苦シイ。ヨクモシズメテクレタナ」

 

360度、船を取り囲み安久野へ向けて怨念の言葉を放つ深海棲艦。安久野から流れてくる何かの憎しみの声が彼女たちに記憶として流れ込む。泣き叫び許しを請うても海に駆り出され、沈められた悲しみ。大破したまま進撃を命令されて沈められた痛み。戻っても暴力を振るわれ、挙句には沈められた苦しみ。そこにいたたくさんの深海棲艦がその負の感情に当てられ。安久野にそのまま憎しみをぶつけている。

 

「かかれ…!かかれ!動け!動かんか!!クソォ…!」

 

エンジンを必死にかけようとするが、スクリューをやられており、動くはずもない。ドン!と言う音と共に目の前が爆発する。爆風により飛び散った様々な破片と爆発の熱、衝撃が安久野を襲う。肩に大きなアクリルの板の破片が突き刺さる。瞬く間に赤く染まっていく。そして激痛。

 

「ギャアアアアア!!!!痛いいいい!痛いいいいいいいい!!!!何をする!!この儂が貴様らに何をしたぁ!やめろおお!!!やめてくれええええ!!!!」

 

船室から這い出て黄色のオーラを纏うリ級に向かって顔を出す。痛みと恐怖で涙を流し、涙と血で顔はぐしゃぐしゃだ。

 

「た、たたた…助けてくれえ!お願いだぁ、殺さないでくれええ!痛い…痛いいいい。怖い…助けてくれ…!お願いじゃあ…、やめてくれえ…」

 

そうしてリ級に手を伸ばす。リ級はその手を取ると同時に思いきり握り締め、安久野の左手を握りつぶす。鈍く嫌な音が響き渡る。

 

「グアアアアアア!!!ぎゃああああ!!いだいいい!!!だ、だずげでえええええ!命だけは…命だけはだずけてええええ!!!」

 

彼はかつて自分がそうやって助けを乞うた時、何をしただろうか?あらん限りの罵声と暴力を浴びせ。そして、出撃させ、海の底へと沈めた張本人が、自分の身に死が迫るとこれである。ゴミを見るかのような目でリ級は必死で命乞いをする男を見つめる。やがて興味を失ったのか、後ろを振り返り距離を取る。

 

「ひ、ひいいい…ひ、引いていく…ひ、ヒヒヒヒ…今だ…今のうちに逃げ…ふひ…フヒィ!!!」

 

「…ヤレ」

 

リ級の一言に、イ級とロ級が大きく口を開けた。その口から吐き出される深海魚雷。6匹の駆逐艦が一斉に魚雷を発射する瞬間を目の当たりにした安久野は恐怖に顔を強張らせ、逃げ場のない船上で叫んだ。

 

「あ、ああ…やめろおおおおおおおおおお!うわああああああああああ!!!!!」

 

直後、夕陽の沈んだ真っ暗闇の海に轟音が響き巨大な爆発が起きた。戦艦や空母でさえ当たり所が悪いと大破、最悪轟沈させる魚雷。それがただの船に6発。1発でさえ十分だったが、あまりの憎しみにリ級は惜しみなく駆逐艦6隻に魚雷を撃たせた。

多少なりの銃弾くらいは弾ける装甲ではあったが、魚雷など防げるはずもない。船は跡形もなく消し飛び、もちろん、安久野も跡形も残らないほどに消し飛んだ。

 

元横須賀鎮守府の暴君、安久野楠男。その最期は自分が行ってきた命乞いを無視することをそっくりそのまま返され、仲間からの連絡が途絶えたことに微塵も疑問を感じず。何の護衛もないままに深海棲艦に会うことなどないだろうと慢心し、最後まで醜い欲を浮かべたまま消えた。


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