「それとも…私ではあなたの支えにはなれないでしょうか…?」
翔鶴は顔を真っ赤にし、それでもなお言葉を続ける。自分と似た境遇にありながら前を向いて歩いている玲司が羨ましかった。けれど、その裏側で今も苦しんでいる話を聞いたことで、共感どころではなく何か別の感情を翔鶴は玲司に持った。
あなたのことが知りたい。あなたと共に戦いたい。あなたと共にこの先を歩んでいきたい。あなたが――知りたい。
一晩中龍驤や明石から聞いた話を何度も頭の中で思い返し、気が付けば玲司のことしか頭になかった。自分達を救ってくれた。けれど玲司自身は救われていない。こんなこと良いはずはない。何か力にはなれないか…そのことだけを考えていた。我ながらに重い女だと思う。
けれど恐怖もある。散々男に酷い目に遭ってきたこと。玲司はそんなことはしないと頭ではわかっていても、突然どう豹変するかわからない、と言う思いもある。翔鶴につけられた傷は大きい。もし玲司が豹変し、以前のあの男のようにいいようにされる毎日になれば、きっと自分は壊れるだろう。玲司がそんなことをするはずはないと何度も言い聞かせたが、やはり心の奥底では言い知れぬ恐怖があった。
「翔鶴」
玲司が自分を呼んだ。ビクッと怯えなのか驚いたのか。おそるおそる玲司の顔を見る。玲司の顔は自分をどこか心配するかのような顔で。浮かない表情をしていた。
「は、はい…」
「そっか…翔鶴も俺の話を聞いたんだっけ」
「そう…です。ごめんなさい。けれど、玲司さんの昔のお話…聞いてみたくって…」
「そっか。変なこと聞くけどさ。それ聞いてどう思った?」
「どう、思った…ですか?」
「そう。かわいそうだなぁ、とか。何て酷い目にあったんだとかさ。何か思ったことがあるかなって」
「……うまくは言えません。ですが…思ったことは、私ではその傷は癒せないかな…と言うことしか…夜も眠れず、私や瑞鶴。ここの皆を助けてくれて。笑顔が絶えなくなって。毎日が楽しいんです。それは玲司さんがくれたもの…
玲司さんは私たちにたくさんの楽しいこと、嬉しいことを与えてくれます。ですが、玲司さんはどうなのでしょう。雪風ちゃんや私は…明石さんが言うには完全に心の傷は癒えてはいないと思います。けれどこうしていられます。では…玲司さんの心の傷は、誰が癒してくれるのでしょう?」
翔鶴の表情は真剣で。玲司は予想外の言葉の連続に驚いていた。
……
「私はあなたの心の傷を癒したいの。あなたが笑って毎日を送れるように」
そう言ったのは過保護すぎる姉だ。自分が誰も信じられず、一人で部屋の隅で怯えていた時にそう言われた言葉。あの時はもうとにかく怖くてその言葉さえ、嘘だろうと思っていた。きっとまたこの人たちも怖いことを。痛いことをしてくるんだと。
他の姉はかわいそうに。ひどい目に遭ったね。と言う言葉がほとんどだ。その言葉を一切使わず、ただまっすぐに癒したい。そう言ったのは…陸奥だけだった。どれほど拒絶しても。彼女は笑って自分に接してくれた。時には彼女を傷つけたこともある。
「ああああああああああああ!!!!」
「玲司君!大丈夫!お姉ちゃんだよ!ほら、怖くない…」
そうして伸ばしてきた手を思いきり噛みついた。そうしてやろうと思ったわけではない。ただ、錯乱していた。ゴリッと言う嫌な感触共に、口の中に広がる何かの液体の味。匂い。
「……ッ!!!」
「うううううう…!!!!」
リミットの外れた力で思いきり噛みついたのだ。手に歯が思いきり食い込み、陸奥は苦悶の表情を浮かべていた。後に、この時の痛みは深海棲艦に撃たれたどんな傷よりも痛かった。自分の無力さを知った、と陸奥は玲司に教えてくれた。
落ち着いてきたときに自分が優しく寄り添ってくれる姉に何てことをしてしまったのかとまたパニックになりそうだった。口を離し、傷を見る。歯の形にくっきりと穿たれた傷。
「あ、あああ…お、お姉ちゃん…ご、ごめ…ん、なさい…ごめんなさい!ぼ、僕…」
「……大丈夫よ。こんなのすぐ治るわ。ごめんね玲司君。よけい怖がらせちゃったね…ごめんね…」
謝らなければならないのは自分だ。叩いたり、怒ったりしてもいいはずだ。なぜ…自分が傷つけられたのに謝るのか。その時玲司は、陸奥が初めての時に言った、自分を癒したいと言う言葉は嘘ではなく、心からそう言ってくれたことに気が付いた。
「お、ねえちゃ…ん。ごめんなさい…ごめんなさい!うううう!」
「泣かないで…ね?お姉ちゃんなら大丈夫。ほーら、よしよし」
片手で自分を抱きしめ、そして頭を撫でてくれた時の温もりは今でも忘れられない。あの時の笑顔は何よりも美しいと思ったものだ。
……
それを思い返し、翔鶴を見る。目だ。翔鶴の目が、あの時の姉の目に似ていた。本当に、嘘偽りなく自分を癒したい。助けたいと言う一点の曇りもない目だった。翔鶴は何も言わずにただじっと自分を見つめている。その目が玲司の心を動かす。
「……俺は、今までおやっさんや陸奥姉ちゃん。龍驤姉ちゃんもそうだし、明石だってそうだ。たくさんの優しさをもらってきた。だから俺はそれをみんなに返したいんだ。陸奥姉ちゃんにもそう言われたからな」
「ですが、それでは提督は…」
「ちゃんともらってるよ。雪風や皐月たち。ぶーぶー言いながらも瑞鶴や摩耶たちもな」
「違うんです。それだけでは玲司さんが本当に癒されているわけでは…そうして傷を見せないようにしているだけではないでしょうか…」
鋭いことを言う。玲司は意識しているわけではないが。奥底を見られることを拒んでいるように思えた。もしかしたら、大淀が玲司の悪夢のことを見つけなければずっと発覚することなく、隠れて抑え込んで過ごそうとしたのではないか?翔鶴はそう思った。
「お願いです…私だけにとは言いません…自分を隠さないで…。私はあなたがもっと知りたい。大淀さんも間宮さんも玲司さんに感謝をしていて、もっと力になりたいからと。あなたを知りたいからと龍驤さん達に聞きました。私だってそうです。ずっと、玲司さんのお側にいたいから…」
どうしてここまで言ってくれるのだろう?翔鶴は本当にそう思っていると思う。人の表情を伺うのは嫌ではあるが見えてしまう。本心で言っているのか。笑いながらも悪意を裏側に秘めているのか。
「どうして…どうしてそこまで俺にしてくれるんだ…?」
「あなたが大切ですから…。重いと言われるかもしれません。ですが、私にとって玲司さんは絶望と言う海の底から暖かな光の世界へと連れ出してくれた人。その手の温かさは一生忘れません。あなたが苦しんでいたり傷ついているのなら、私が助けたい。力になりたい。あなたがいない日々なんて…私にはもう考えられませんから」
その言葉は玲司を動かすには十分だった。翔鶴は本心を語った。その思いは玲司の心を溶かす。翔鶴の目を見つめ、ただじっと佇んでいた。何かを待ちわびていたかのような。やがて一歩を踏み出し、微妙な距離にあった翔鶴を優しく抱きしめた。
「れ、玲司さん…?」
「ありがとう、翔鶴。本音を言えば、まだ正直踏み込めないところがある。けど…俺のことを思ってくれてうれしい。前に言っていたな。私を見捨てないでって」
「はい…あなたに見捨てられたら私はもう…」
「時間はかかるかもしれない。けど、俺は翔鶴、お前を見捨てない。それで…もっと、お前に…その、歩み寄れたら、と思う。俺も、翔鶴が俺を信じてくれるように、翔鶴を信じる。まだ、ちょっと怖いんだ。信じるの。でも、ちゃんと翔鶴と向き合えるように努力するから。もっと、みんなのこと、翔鶴のことを幸せにしたい。もう少し…時間をくれ。ちゃんと、翔鶴の思いには…応えるからさ」
その言葉に翔鶴の胸がドクンと一つ跳ね上がった。拒絶をされなかったことに安心した。それよりも自分を受け入れてくれて、何より自分と共に歩んでくれると言うこと。自分もまだ男は怖い。でも、この人なら絶対安心できるから。もっと寄り添って歩んでいきたい。この人ならば。この人でなければならない。嬉しくて涙が出そうだ。けど、それはガマン。今は微妙な距離でいい。でも、いつかきっと、もっと近くであなたに笑いかけたい。
「お互いに慰め合うわけじゃないけどさ…一緒に笑って、うまいもん食べて。一緒にいられたらって…そうだな…翔鶴に手の甲にキスされたときからかな。すごい翔鶴を意識しちまって…。安久野がここに来た時も、みんなを守らなきゃ。真っ先に出てきたのは翔鶴だったな…」
「れい、じ…さん」
翔鶴はもう泣きそうだった。まだこの感情がよくわからないけれど。玲司にこう言われることがとても嬉しくて。幸せで。胸がいっぱいだった。胸が温かい。自分を特別に見てくれているのか。それだけで翔鶴は嬉しかった。
「だから。お互いのことをもっと知っていこう。翔鶴の期待に応えたい。俺も…翔鶴と一緒にやっていきたい」
「はい…はい…!」
「だから、ごめんな。今はこれで許してくれ」
そう言うと玲司は翔鶴の右手を取り、以前翔鶴がした時のように、細く白い手の甲に唇をそっとつけた。目の前でそれを抵抗せず見ていた翔鶴は平静を装っていた。心臓は飛び出さないか心配なくらい早鐘を打っていたが。
ゆっくり唇を離すとニッと玲司は笑った。
「今はこれが精いっぱい。ごめんな」
「いいえ…私…うれしい。私も…玲司さんを守り、癒せるようもっとがんばりますね…」
「ああ。お互いに頑張ろうな」
翔鶴はその言葉に強く頷いた。玲司もそれに頷いた。
「じゃあ、改めてよろしくな。俺、執務室にいるから、何かあったら呼んでくれな」
「はい。私は一度部屋に戻り、弓道場へ向かいます」
玲司がすかさず翔鶴を抱きしめる。男と言うものはタバコと何かわからない匂いで密着すると嫌悪感しかないが、玲司は清潔な匂いがする。自分も嗅ぎ慣れた、妖精さん印の柔軟剤の匂いだ。ほんのりと石鹸の香り。それとは違うまた安心できる匂い。クセになりそうだった。
「じゃあ、また後でな」
「はい…また…」
颯爽と執務室の方へ向かってしまった。頭は玲司に撫でてもらった感触。抱きしめられた温もり。そして、手の甲のキスの感触がいつまでも残る。玲司が見えなくなるまで見送ったあと、翔鶴はスタスタと早歩きから、タタタ…と小走りになって自室へと急ぐ。勢いよく扉を開け、勢いよく閉める。そして、瑞鶴がいないかをキョロキョロと確認し、いないことを確認するや否や顔を両手で隠してへなへなとへたりこむ。
(ああああ…私…私…何て恥ずかしいことを…!そ、それに…玲司さんにたくさん…ど、どうしましょう…!!)
誰もいない空間で一人、自分が言ったこと、玲司にされたことを何度も何度も反芻し、そして…顔から火が出る勢いで耳まで真っ赤にし、手で顔を覆いながらブンブンと首を振っていた。正確に言えば悶えていた。
嬉しさと、幸せがもの凄い勢いで翔鶴を満たしどうしていいかわからない翔鶴。
建造されて間もなく、絶望しか体験してこなかった翔鶴。そこから救い出してくれた彼の存在。そして、共に歩もうと言ってくれた。ただ側にいられるだけでも幸せなのに、あんなこと…ひとしきり悶えた後はと言うと…
「えへ…えへへへ…」
(ど、どうしましょう…落ち着かなきゃ…で、でも…何だか笑いが止まらないわ…えへ…えへへへへ…)
瑞鶴や龍驤に見られたらとんでもないことになるであろう顔で、ただひたすらににやけていた。それほどまでに翔鶴は幸せだった。これさえあれば、自分はどこまでだって羽ばたける。あの人がいる限り。私は…どこへだって…!
「えへへ…玲司さん…私…幸せ…え、ええと。でも、玲司さんと結ばれたら…え、ええ!?わ、私…大丈夫かな…」
謎の独り言。このよくわからない感情を何と呼べばいいのか。この夢見る少女はまだはっきりとは知らない。後にこの感情が『恋』である、と言うことを名取に教えられ、名取ににやけ顔を見られて大笑いされるのはまた別の話。
……
一方で玲司は執務室に寄る前に自室に戻り、顔を手で隠して翔鶴と同じように悶えていた。
(やっちまった…つい感情的になって翔鶴にベタベタと…嫌われてはなかった…よな?)
人を信じられず、人と触れ合う機会は総一郎とその妻である義理の母、そして虎瀬だけ。あとはどっぷり艦娘と共にここ十年以上を過ごしてきた。長らく忘れ、心の奥底に閉じ込めていた感情が再び蘇った。と言っても玲司は妹母を守るように、と父に言われて生活してきたため、恋など全く無縁の生活をしてきた。
艦娘とは言え見た目は自分と同じくらいか少し下。そんな美しい女性が必死に自分に対して全く悪意のない善意を向けてくれたなら…男として応えなくてはいけないだろう。と思った。
チョロいと言えばそこまでだろうが、それでも玲司は翔鶴のひたむきな言葉と感情に揺り動かされ、眠っていた感情が目を覚まし、そして翔鶴にそれの感情を向けた。以前から自分を慕ってくれ、一途な感情を向けられてきた。姉とは違う女性。幸せにしたいと思った。そのために…もっと自分も自分を鍛えなくては…。
そう思いつつもこれである。玲司は恋をすることを覚えた。
その後、玲司は女の子にどう振る舞えばいいのか?と陸奥に相談を持ち掛け、とんでもない目に遭うのはいずれ明かそうかと思う。
……
夕食時、響が新たに加わったと言うことで横須賀鎮守府のルール「新しい艦娘が来た日の夕食はオムライス」と法則に基づき、全員がオムライスとなった。もちろん、これには駆逐艦は大歓声をあげる。雪風はもちろん、電や普段物静かな時雨でさえ喜びの表情を見せるくらい、玲司のオムライスはもう定番かつ、大好きな食べ物となっていた。駆逐艦に合わせて大喜びする摩耶や最上、阿武隈。静かに喜ぶ北上など、鎮守府全員の好物である。
初めて響の前に出されたその金色に輝くかのようなとてもお腹の空く匂いのする食べ物。それを見た響は興奮を隠せないでいた。
「ハ、ハラショー!これはとてもおいしそうだね」
「とってもおいしいのです!これをオムライスにかけるのです~!」
ババーンと言う音がしそうな感じで右手に持ったものを天に掲げる。至って普通のケチャップなのだが。そうして電は響のオムライスにケチャップをかけていく。遊び心に火が付いたのか、響のオムライスに文字を書いていく。
「!すでのな」
「……電らしいね」
「なのです!」
スプーンを手に取り、もったいないが電の描いてくれた文字を崩しながら卵と、その中から出てきたこれまた胃を刺激する匂いのするチキンライスを掬う。意を決して口に運ぶ。ほどよいケチャップの味。ふんわりとした卵の柔らかさ。ジュワッと染み出るチキンライスのチキンのうまみ。全てが口の中で溶け合い、想像を絶するおいしさが何とも言えない。
「は、はらひょー!おいひいよ、ひれえはん」
「ちゃんと飲み込んでから喋ろうな…」
「おいひいのれふー♪」
「おいおい、電もか…」
響は夢中でオムライスを頬張り、電はそれを嬉しそうに眺めてパクパクと食べている。響もかつてはひどい食事しかとっていなかった一人だ。これからはたくさんおいしいものを食べて元気に電とやっていってほしい。心の底から玲司はそう思っていた。だからこそ料理には力が入る。そしてみんなが笑ってくれることが嬉しい。
「ん、うまいな」
「なのです!司令官さんのオムライスは最高なのです!」
「うん。これはおいしいね。ところで司令官。電が言うにははんばあぐと言うものが素晴らしいと聞いた。ぜひとも作ってほしいかな」
「お、リクエストか。いいね。じゃあ明日は…あっさり間宮の和食で…あさってでもいいか?」
「いつでも早いうちに作ってくれるなら。期待しているよ。うん、間宮さんの料理も楽しみだ」
「うふふ、では腕によりをかけて作りますね」
「間宮さんの和食もおいしいよね!」
「うん…僕はあっさりしてて好きかな」
「提督の料理のほうが足をパタパタさせて期待してることが多いのに?」
「村雨…何を言い出すんだ。僕はそんな…」
玲司と間宮の食事はどちらも好評で。和食の場合は間宮がメイン。洋食は玲司がメイン。今度は中華を協力して作って、みんなの予想を全部ぶち壊してやろうと画策している。間宮には絶対に内緒だ、と釘を刺しているが。
時雨たち駆逐艦や、摩耶や最上達巡洋艦も騒ぐ中、黙々と皆の輪には入らず、大好きなはずのオムライスを味わいもせずにかきこみ、素早く食べ終える瑞鶴。いつもなら摩耶や最上に混ざって明日の夕飯のメニューをああでもないこうでもないとうるさく騒ぐはずであったがそんなこともしない。
食べ終えると流しに食器を置き「ごちそうさま」と小さく呟いて食堂を会話には混ざらずに去ろうとする。
「瑞鶴?もう食べ終えたの?どこへ行くの?」
「どこって。弓道場。これからまた練習」
「練習って…あなた、朝からお昼も食べずにずっと弓道場にいたんじゃ…」
「別にいいじゃん。私、疲れてもないし。もっと練習しないといけないって昨日の出撃で思ったから」
「で、でも…そんなずっと弓を引いていたんじゃ体がもたないわ。今日はもうお風呂に入って…」
「うるさいなぁ!私は大丈夫って言ってるじゃない!!なに?また瑞鶴瑞鶴って私を側に置いておこうって言うの?もううんざりって言ったじゃない!」
「ち、違うの瑞鶴…私はあなたが疲れていないかと思って…」
「だから疲れてないって言ってるじゃん!!私のことは放っておいて!翔鶴姉に私の気持ちなんてわからないわよ!!」
突然瑞鶴が激昂し、怒鳴り散らしたので皆何事かと会話を止めて翔鶴と瑞鶴を見る。特に翔鶴は瑞鶴を束縛しようとしていたわけでもなく、ただ疲れているからだろうと止めただけだ。ただそれだけで何をそんなに怒る必要があったのか…?
ハッとなった瑞鶴は、バツが悪そうに下を向いて目を泳がせる。そしてそのまま早足で消えていった。翔鶴はオロオロとその場で立ち尽くし、思考が停止している。
「なんやぁ、瑞鶴。えらい剣幕やったなぁ。何かあったん?」
「いえ…疲れているからと言ったら急に…私、そんな…あの時のようにあの子を束縛しようだなんて…」
「わかってるよ。せやけど、何であんな翔鶴に風当たり強う怒鳴ったんやろなぁ。うーん、気になるけど今日はちょっと放っとくしかないかな。翔鶴、大丈夫?」
「……正直混乱しています…。私、瑞鶴に何か…思い当たることが多くて…」
「気にしたらあかんよ。たぶん、翔鶴は悪うないよ。あいつ自身が何か壁にぶち当たっとるんやろ。昨日の出撃なぁ…」
龍驤が顎に手を当ててうーん、と考え込む。10秒きっかり考え込んだのち「わからん!」の一言で席に戻ってオムライスを食べ直していた。一方で翔鶴は瑞鶴に一方的に怒られたことで何がいけなかったのかをグルグルと頭の中で考えていた。何が何だかわからない。昨日の出撃で…と言っていたが、一体何がいけなかった?
……翔鶴は何となくわかってしまった。瑞鶴がひたすらに練習する理由。だが、それだけでは自分があんなにも怒られることはないはずだ。それを知ってからでなければ。また瑞鶴とケンカをしてしまうことになる…。
(昨日の出撃。私に対して…もしかして…ううん、わからない)
「翔鶴さん、大丈夫?」
「時雨ちゃん…ええ、私は大丈夫よ。けど、自分のお部屋に戻るのはちょっと怖いわね…」
「じゃあ僕たちと一緒に寝ない?村雨と夕立と。あと霰、吹雪だね。夕立の寝相が心配だけど、翔鶴さんには被害がいかないようにするから」
駆逐艦のお誘いは嬉しい。正直今の状況だと、瑞鶴は部屋に戻って眠るだろうが気まずい。戻って来ないなら、一人で眠るといろいろと嫌な考えしか思い浮かばなさそうだった。ここはありがたく乗ろうと思う。
「そうね…じゃあ、寝間着を取って来るわ。ありがとう、時雨ちゃん。今日はよろしくね」
「うん。翔鶴さんといろいろとお話がしたかったんだ。提督とはどういう関係なのかってね。村雨も気になっててさ」
「ええ?わ、私はそんな…玲司さんとは何も…」
「そう、それですそれ!翔鶴さんが玲司さんって提督を呼ぶ理由が知りたいです!ついでにさっき、じーっと提督をあつーい視線で見てたことも!」
「村雨ちゃん!?そ、そんなこと…ど、どうしよう…」
「残念だったね…」
そう言って逃がさないように吹雪と村雨でがっちり腕を組み、翔鶴の部屋へついていく時雨たち。今夜は大変そうだな…と玲司が翔鶴があたふたしている様を笑いながら見送った。
「しれえ!雪風達も時雨ちゃん達のまねっこをしてしれえと一緒に寝たいです!」
その一言に文月と皐月もはいはいはいと手をあげて一緒に寝たいとおねだり攻撃が始まった。
「わかったわかった!んじゃあ布団は敷いておくからパジャマに着替えてから集合な!」
「やったぁ~!さっちん、ゆっきー、いこいこ~」
「司令官!待っててね!絶対だよ!」
「うふふ。提督はお部屋に戻って雪風ちゃん達を待っててあげてください。こちらでやっておきますので」
「悪いなぁ、間宮。頼むよ」
「よっ、もてもてだねぇ玲司は」
「うるせー」
悪態をつきながらも手を振って出ていく玲司。瑞鶴の事が気がかりではあったが、今は翔鶴でさえあのように激昂するのであれば、自分が行けば余計に拗れるだろう。今日はそっとしておき、明日様子を見ようと思った。しっかり眠れなかったこともあったせいか、雪風達としばし遊んだ後、眠いと言いだして一緒に布団に入るとすぐさま雪風達と共に眠りについた。そっと繋がれた雪風の手の温もりのおかげか、その日は夢も見ずに朝まで熟睡できた。
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「翔鶴姉…いないんだ…」
深夜、風呂に入って汗を流し、部屋に戻ると真っ暗で人の気配はなく。瑞鶴はよかったと思う反面、謝る機会を失ったことに落ち込んだ。夕食後についカッとなって怒鳴ってしまった。そして翔鶴が正気でなかったときの話を蒸し返してしまい、きつい言葉を放ってしまった。いないのならいないでいい…。そう首を横に何度か振って考え直す。
「……くそっ!」
髪を拭いていたバスタオルを壁に投げつけ、やり場のない怒りをぶつける。ばさりと床に落ちるバスタオル。そんなことをしても怒りが収まることはない。こんなことでしか怒りを発散できない自分が情けなくなる。いや、情けないのだ。
やるせない感情を胸に燻らせたまま、瑞鶴は昨夜と同じように頭までずっぽりと布団をかぶり、誰かが来たとしても情けない姿を見せないようにして目を閉じた。目を閉じても、思い返すのは先日の何もできなかった自分の姿しか思い浮かばず、それがより瑞鶴の胸を抉った。
もっと強くなる。役に立たない自分は必要とされない…!間違った方向へと彼女の思考は流れていくのであった。
バレンタインデーは嫁の艦娘からチョコはもらいましたでしょうか?私は任務でもらえたからと油断し、もらうことができませんでした…
いよいよむっちゃんが改二になりますね。楽しみです。
次回は瑞鶴を中心に話を進めて行こうと思います。瑞鶴の苦悩は一体何なのでしょうか?翔鶴はそれに気づいて瑞鶴の暴走を止めることができるのか?
次回。姉妹喧嘩