提督はコックだった   作:YuzuremonEP3

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泥沼にはまり、抜け出せずにいる瑞鶴。さらに突きつけられた現実。
瑞鶴が飛び立つのはいつか。


第四十七話

「瑞鶴。命令を下す。お前は当分の間、出撃を一切禁じる」

 

「…は?」

 

気の抜けた返事しかできない。それほどまでに、玲司の口から出た言葉に強いショックを受けた。頭のてっぺんからジーンと弱い電気ショックを与えられたような痺れ。目の前の視界が白く霧に包まれたような。膝が笑い、立つのもやっとで。胃がギュウウウっと縮こまり、何も食べていないのに全部を吐いてしまいそうな感覚。だと言うのに喉はそれを拒むかのようにこちらも収縮し、息が詰まる。渇きに渇いて喉がくっつき、むせそうになる。

 

「なん…で…?」

 

絞り出すかのようにそれだけを精一杯声に出した。その声もうわずり、震えていた。玲司が瑞鶴を見つめる。そんな顔は周りの艦娘は思っていないだろうが、瑞鶴には失敗を怒り、睨んでいるように見えた。手も足も指先が氷水にでも浸けているかのように冷たい。シンと冷える。

 

「今の瑞鶴は、詳細は摩耶や最上から後で聞くとして。弓を抱えて固まっていたそうじゃないか。一体どうしたのかはわからないけど…戦場でそんな状況に陥り、戦えない精神状況にある子を出撃させるわけにはいかない。俺の仕事は皆を戦場に送り、皆を生きて帰ってこれるよう、いろいろと考えた上で編成しなきゃならない」

 

玲司が瑞鶴に説明を始める。死んででも勝って来い。誰が死のうが勝てばいい。そんな編成は玲司は毛頭考えていない。瑞鶴はそう何度も言われてきた。だからこそ、それを繰り返すことで自分は強くなった。

 

加賀も北上も、誰一人として死なせない戦い方をし、生き残る術を探った。死にたくないと悲痛な叫びを、願いを。少しでも叶えてやりたいと死に物狂いで自分を危険に晒しながら戦った。加賀は沈んだ。北上はほとんどが守れなかった。

自分は遂行できた。だから間違ってない。沈んだ。守れなかったのは加賀や北上が弱いからだ。

 

ならば、今はどうだ。自分は中破して何もできず。北上は改二になり、無類の強さを見せつけて敵を倒し、雪風を守り抜いた。甲板をやられ、何もできずにいた自分も、疲れて動けない雪風や阿武隈を守った。

 

自分より練度も低い、経験も浅い姉はどうだ。攻守において演習で油断していたとは言え強敵の舌を巻いた。冷静に指示を出し、空を守り。仲間を守り、冷静に如何なる状況であろうとも取り乱さず、響を抱いて帰ると言う優しさまで見せた。

 

二人の強さは決して越えられない断崖のように見えた。そして、今の瑞鶴では決してわからない強さだった。

 

「戦闘中に新米でもないにも関わらず、弓を抱えて立ち尽くし、ましてや旗艦でありながら指示もできない奴を出すわけにはいかない。仲間の命を危険にするわけにはいかない。しばらく…その心を落ち着けな。翔鶴。しばらく負担が増えるだろうけど、頼む」

 

「はい。わかりました…。瑞鶴。お部屋に戻って、今日は休みましょう?」

「や、やだ…やだ!そんなのやだ!もう一回!もう一回行かせて!今度はちゃ、ちゃんとするから!私を外さないで!」

 

「駄目だ。これは取り下げるわけにはいかない。瑞鶴…今のままではずっと…出撃は…させられない」

 

より、目の前が暗く…いや、白くなった気がした。その後の事はよく覚えていない。気がつけば自分の部屋で隅に座ってずっと親指の爪を噛んでいたような気がする。翔鶴に止められても一時は止むが、目を離せばまた爪を噛んで呆然とどこを見るわけでもなく、虚空を見つめていた…。

食事に呼ばれても動かず、もそもそと食べるが数口食べたところで手をつけなくなり。また爪を噛む。翔鶴はそれがいつかの自分の姿に重なった。呆然と毎日を過ごし、食事も満足に食べず、青白い顔で何もせず一日を過ごす。

 

「瑞鶴、どこへ行くの?」

「…お手洗い…」

 

用を足すときだけは動く。しかし、フラフラと危なっかしい。放っておけばどこかへ行ってしまいそうな危機感を覚えた翔鶴が付き添う。拒否する様子もなく、よろよろと歩いては用を足し、また部屋に戻っては…の繰り返しで数日。

 

「瑞鶴。ちょっと汗でも流さない?一緒に矢を射ましょう?」

「……」

 

見る見かねた翔鶴は、矢を射れば少しは気が紛れるし、何か気付くことでもあるのではないかと弓道場に誘った。玲司に出撃を禁じられた当日や、翌日に比べればまだ食べるようにもなったし、爪も噛まなくなった。一言くらいは返事をくれるようになった。少しでも立ち直ってほしい。そしてまたいつもの美しい残心を見せてほしい。そう思った。

 

トンッと矢が的に刺さる音。翔鶴が美しい姿勢で矢を射る。瑞鶴はそれを弓を抱えて見つめていた。

 

「瑞鶴、どうしたの?」

「な、何でもない」

 

慌てて弓を構え、矢をつがえる。そして、的へ目掛けて矢を放つ。ドスッと刺さる矢。それは…的から大きく外れた場所。

 

「瑞鶴…?」

「え…?」

 

翔鶴が目を疑う。それ以上に瑞鶴は信じられない表情で自分が放った矢を見つめる。嘘だ…そんなはずがない…。

 

もう一度構え、矢を放つ。今度は飛びすらせず、けたたましい音を立てて床を跳ねる。もう一度。床を滑る。もう一度…何度やっても同じだ。数日前の記憶。海にぽちょんと言う音と共に艦載機にもならなかった矢。ガタガタと震える。

 

矢はどうすればよかったっけ。どう構えればよかったっけ?どうすれば?わからない。わから、ない…。

 

「翔鶴姉…わかんないよ…」

「え?どうしたの?」

 

「わかんない…何も…何もわかんない…。翔鶴姉……私…何もわかんないよぉ!どうすればいいの!?どうすれば私は皆みたいに強くなれるの!?みんなを守れるの!?みんなに置いていかれる!北上にも!神通さんにも!夕立ちゃんにも!翔鶴姉にも…!加賀さんにも…おいつけない…もう、わかんない…」

 

瑞鶴の心はこんなにも脆く、弱かったのか…そう翔鶴は思った。どんな状況でも自信ありげにこなしてきた妹がこんなにも弱くなってしまうとは…。瑞鶴が弱気になった所は人には例え翔鶴にさえ見せなかった。安久野にさえ、折れずに真っ向から言い合うこともあった。結果、汚されたとしても自分を支え続けてくれた。

 

「翔鶴姉…教えて…強さって何…?何が強いの…?敵を倒すことが強いんじゃないなら。勝つことが強いんじゃないなら…私が思ってきた強さが違うなら、何が強さなの…?教えて…教えてよ!ねえ!!!」

 

「……私には答えられないわ…そして、例え教えたとしても。今のあなたには一生理解できない」

「はっ!ははは…あはははは!!そうやって!そうやって私を見下すんだぁ!いいわよねぇ!翔鶴姉は!提督さんのお気に入りだもんねぇ!空母のリーダーで!いつも旗艦で!どうやったの!?何か提督さんに取り入ってんじゃないの!?体とか使ってさぁ!」

 

バチーン!と言う大きな音と共に瑞鶴が倒れ込むほどの翔鶴の平手打ちが決まった。数日前とは比較にならない力で瑞鶴を張り倒した。

 

「いい加減にしなさい!そこまで…そこまでになってしまったの?私を支えてくれて。いつも自信満々で深海棲艦を倒し、みんなを励ましてきたのは全部自分の為だったの!?そうやって、私たちを見下すための自信だったの!?ふざけないで!!そんな下らない自信や嫉妬で私の大切な人を!大切な仲間を貶さないで!汚さないで!!!」

 

「…………!!!」

「今のあなたじゃこの鎮守府の誰にも勝てはしないわ。私にも。あなたは強い子じゃない!少し間違えて、失敗しただけじゃない!瑞鶴、お願い、目を覚まして!あなたが今追いかけている強さは、あなたが一番嫌っていた人が言う強さよ!どうしてそれに気がつかないの!」

 

その言葉に目を大きく開き、絶望する。なぜだ。なぜあんな奴の言葉をこんなにも忠実に守ってきたんだ…!どうして疑いもせずそれが一番なことだと信じてきたんだ!どうして、大好きな姉に…ここまでひどいことを言ってしまったんだ!自分のつまらない…下らないプライドのせいで!!!

 

翔鶴は優しく、包み込むかのように瑞鶴を抱きしめた。温かく、柔らかな感触。

 

「瑞鶴。今からでも遅くない。私と一緒に頑張りましょう?みんなとも頑張れば、きっと何かがわかるわ。それがわかったとき、きっと瑞鶴は私よりももっともっと高みへ行けるわよ。だって瑞鶴は…私の自慢の…強い妹なんですもの」

 

やめて。私はそんなに強くない。翔鶴姉のほうがいざって時に強い。私はこの程度なんだ。弱くて、すぐに人を妬んで…誰も信じようともしない…独りで勝手にこうして姉にさえ嫉妬に狂うような小さな奴…。自慢なんかじゃない…。

翔鶴を突き飛ばす。温もりが痛い。優しさが痛い。こんなことをしてもらう資格なんてない。自分は独りがお似合いなんだ。大切な姉すらも、汚い言葉で罵った私なんか!

 

「あっ!瑞鶴!待って!瑞鶴!!」

 

ここまで姉にひどいことを言い、心の底で仲間を見下してきた奴なんかここにいても仕方がない。いられるわけがない。瑞鶴はついに、無我夢中で走り出した結果、鎮守府の外へと飛び出した。行く宛てなどどこにもない。ただ何も考えず、外へ飛び出し、なるようになれと思った。こんな奴は、皆眩しく輝く艦娘達がいる場所には相応しくない。いなくなったほうがいいんだ!!

 

艤装もないため、どこにでもいる少女と今は変わらない。心臓がバクバクと悲鳴をあげ、ぜえぜえと大きく息を切らす。肩で息をしながら、ここがどこかもわからず、さまよい歩く。誰もいない。仲間も、提督さんも。自分は独り。それに気づいた時、瑞鶴は泣き出したかった。皆は自分に歩み寄ってきてくれたのに。自分はそれに歩み寄ったふりをして気付かずに見下していた。距離を置いた。突っぱねた。仲間を守ろうとすれば自分は弱くなる。だからと。

 

今気付けば、小さな体で駆逐艦も。阿武隈や扶桑達も。自分がやられて動けずにいたときに危険を冒してまで自分を守ってくれた。さらに敵を倒し、優しく声をかけてくれていた。結局自分は弱かった。仲間に守られなければ姉と違って満足に戦えない。そしてこの様だ。姉に悪態をつき強く当たり。どこにも居場所がなくなった。これでいい…これでいいんだ…。

 

フラフラと道を充てもなく彷徨っていると、通り過ぎた車が一台、瑞鶴の少し前で止まった。人間…誰だ…提督さんではない。息が詰まる。もし、もしあいつみたいな人間だったら…。ドアが開き、現れたのは白髪の男性。その顔は悪意に満ちてはおらず…いや、見覚えがあった。

 

「ああ、見たことのある服と髪型をしていると思ったら、やはり瑞鶴さんですな。どうされたのですか?玲司さんは…見当たらないようですが」

「………」

 

やはりそうだ。姉や扶桑、鳥海達と出かけたときに自分の振袖姿を撮ってくれた…喫茶「ルーチェ」のマスター。安心した。知らない人ではなかった。

 

「どうやら訳ありで鎮守府に帰れない…と言ったところですかな?ここは人通りも少ない。艦娘と知った市民団体等に見つかれば酷い目に遭うやもしれません。私のようなジジイでよろしければ、屋根のあるところで寒さは凌げますが、いかがですかな?」

 

行く所はない。勢い良く飛び出したはいいが怖くてたまらなかった。藁にもすがる気持ちで首を縦に振った。

 

「では、どうぞ。少し、買い物をしましたので散らかっておりますが」

 

後部座席のドアを開け、乗るように促すマスター。いつも乗っている大きな車とは違い、小さな車。頭を打ちそうになりながら乗り込んだ。

 

「では、出発しましょうか」

 

ゆっくりと動き出す車。海をぼんやり見ながら「ルーチェ」まで乗せてもらった。

 

 

「さあ、どうぞ。まだまだ冷えますからね」

 

マスターの作る甘いミルクティー。瑞鶴は甘いものが玲司が来てから好きになった。紅茶なんかも積極的に仕入れて各自で作っていいとまで言われた。この紅茶の甘さは瑞鶴の好みだった。ホッと安心できる甘さ。

 

「おいしい…」

「瑞鶴さんは甘い方がお好きでしょうと思いまして。砂糖もミルクも多めに入れてありますよ」

 

「ど、どうして…?」

「以前ここでお飲みになられた時に、砂糖ミルクを少なめにお入れになって渋そうなお顔をされておりました。翔鶴さんは少な目の方がお好きなようですが。今回は私が独断で入れさせていただきましたが、お口に合ったようなら何よりでした」

 

たったあの一瞬を覚えていて、好みを合わせられるとは…マスターは何者なのだろうか。

 

「ただのしがない喫茶店のマスターですよ」

 

…心まで読まれた。ますます何者かわからない。それにマスターはフッフと笑っていた。マスターは買ってきた皿やカップを洗い、布で拭いていく。瑞鶴は一言も話さない。マスターも瑞鶴の心情をわかっているのか無言である。無言が耐えきれなくなったのか、瑞鶴が口を開く。

 

「マスターは…強さって何だと思いますか…?」

 

その言葉にマスターはカップを磨きながら考える。少し笑みを浮かべているようにも見えた。

 

「強さと言っても、それは人によって違います。自分を鍛える強さなのか。それとも、あなたが迷っているのではなかろうかと言う、誰かを守ろうと言う強さなのか。強さは人それぞれ。力が強い。実力があるから強いと言うのも強さです。果たして、瑞鶴さんが今求める強さとは、何ですかな?」

 

…この人は心を読む力でもあるのだろうか?そう思った矢先に「いえ、私はただのジジイですよ」と笑って答えられた。ますますわからない。

 

「…私が間違ってたんです。自分が強くなれば、みんなも守れるって。そうすれば、みんなも強くなって。敵を倒して。そして勝てば生きて帰れるって。けど、けど…違ってた。皆が私を守ってくれてたから。だから私は強くいられた。自分がとんでもない失敗をして…間違えて…自分は結局一番弱くて…!」

 

ここに来て瑞鶴は涙を流した。馬鹿なことしてしまった自分が情けなくて。弱い自分が悔しくて。大好きな姉にひどく言ってしまったことを後悔して。

 

「もう…もうわからないんです!私はどうしたらいいのか!こんな小さな事で皆に嫉妬して!見下して!翔鶴姉にひどいことも言って!私…私なんか!!」

 

何とか言った。もう取り返しのつかないところまで来てしまったと思い込んで。しかし、マスターは真面目な顔で返す。

 

「瑞鶴さん。貴女はお強い」

「は、は?い、今言ったじゃん!私なんて弱いって!」

 

「自分の弱さを認めると言うことは、そうできることではありません。人はそれを指摘されれば激怒し、相手を罵倒したり、場合によっては傷を付ける。弱いと言うことを認めれば、馬鹿にされるからと。違う。自分は強い。そう言って弱みを見せない。

ですが、瑞鶴さん。貴女は違う。しっかりと自分を見つめ、やってしまったことに深く反省をし、傷つけてしまった方を思いやり、弱さを認め、反省することができる。貴女の心は優しく、気高く。強い」

 

「あ、えっと…」

 

「失敗は反省する事が大事です。気付くのが遅れてしまったようですが、しっかりと反省をし、見つめて弱さを認める。強い心がなければできないことです。貴女はいささかまっすぐすぎるところがある。だからこそ、失敗も直視して全身で受け止め、冷静さを欠いてしまった。それもしっかりまっすぐ認め、今後に活かせば良い。そうすれば、貴女はもっと強くなるでしょう。

そうすれば自ずと気がつくはずです。貴女が真に求めている、本当の強さ。仲間を守る強さとは何か?私が言えるとすればここまででしょう。後は貴女次第ですよ。きっと、見つかるはずです。貴女のその澄んだまっすぐな眼ならば」

 

「本当の…強さ。仲間を守る…強さ…見つかるかな…私にも…」

 

何かにすがるような目でマスターを見つめる。マスターは笑顔で強く頷いた。それは、見つかると言う確信を持った頷きだった。

 

「見つかりますとも。必ず。その為には、まずは鎮守府へ帰らなくてはいけませんね」

 

「……私、帰るのが怖い…帰ったら、みんなに…」

 

「皆さん、心配されているのではありませんか?突然いなくなってしまったのです。さぞや心配しているでしょう。まずは、きちんと謝るところから始めましょう。大丈夫。皆さんは瑞鶴さんの帰りを待っていることでしょう。心配性な方が…ほら、迎えに来た」

 

ふっふ…とマスターが笑うとチリンチリンとかわいらしい鈴の音に合わせてドアが開く。そこにいたのは…

 

「て、提督さん!?ど、どうして…」

「いえね、玲司さんと連絡先の交換をしておりまして。迎えに来て頂こうと先ほどこっそり電話をしたのですよ。ほっほっほ」

 

「て、提督さん…わ、私、その…ご、ごめん…なさい…」

「まったく、心配かけさせやがって…帰るぞ。翔鶴が心配してる。みんなも」

 

そっと瑞鶴を抱きしめて優しく頭を撫でる。その顔は怒った顔ではなく。笑っていた。怒ればいいのに。迷惑をかけて。わざわざ迎えに来させて…。怒られると思っていたのに…。

 

「マスター。うちの家出娘がご迷惑をお掛けしました。助かりました」

「いえいえ。美しい女性との楽しいティータイムが堪能できましたよ。ふっふっふ…またいつでもおいでください。喫茶『ルーチェ』は皆さまのご来店を心よりお待ちしております」

 

「マスター…ありがとうございました。私なりに、もっと頑張ります…」

 

「ええ。期待しておりますよ。私はそれをついには得られませんでした。どうか、瑞鶴さんがその強さを見つけられるよう、お祈りしていますよ」

 

そうして、瑞鶴は玲司と共に帰っていった。ニコニコと笑顔で見送ったマスターであったが、二人がいなくなると同時に、写真を一枚取り出し、寂しそうな笑顔になってその写真を見つめた。

 

「私は得られなかった。結果私は逃げ出した。そうしてここで店を開いて数年。貴女も前線から引かざるを得なくなり、小料理屋を開いたそうですね…一度行ってみたいとは思いますが、やはり気が引けます。お手紙もお返しできず、申し訳ありません。そうですね、数年ぶりに…貴女に送ってみましょうか…鳳翔さん」

 

丁寧に磨いていたカップは、かつて彼女がほしいとねだっていたティーカップ。ついに渡すことはできず、自分は軍を辞め、逃げるかのように…しかし未練を残したままこの街にやってきた。艦娘との縁があるこの街に。海からも離れられず、こうして毎日を送ってきた。

新しくやってきた彼と、彼を慕う艦娘達。当時の自分が理想としてきたものを見ることができ、嬉しくもあり寂しかった。彼らがもたらした風。その風は彼の中で澱として溜まっていたものを吹き飛ばした。幸せそうな彼と彼女たち。彼らのおかげで止まっていた時間が動き出しそうであった。

 

マスターはそのカップに紅茶を入れ、少しずつ飲みながら、手紙を送ってくれても怖くて送り返せなかった彼女。彼が軍にいたときに世話になった艦娘。いや、今は女将となった女性に、何を書けばいいかわからないがとりあえず手紙を書こうと便箋に文字を綴っていく。

 

(ありがとう、瑞鶴さん。私も一歩前へ、やっと歩み出せそうです)

 

 

車内は無言。瑞鶴は気まずいまま助手席に座ってしまった。後ろに乗ればよかったのに。そうすればまだ距離も遠くてよかったのに。ちらちらと玲司を見る。玲司は笑みを浮かべながら前を見て運転をしていた。ああ、しかしこの無言の空気が重い…。

 

「何か、発見はあったか?」

「ひゃい!?」

 

「ククッ…何だそりゃ」

「う、うううう…」

 

玲司はいつもと変わらない。怒ってもいなければ馬鹿にしたようでもない。

 

「私…私がいろいろと間違ってた。翔鶴姉に張り倒されて。マスターと話をして。いかに私が間違って…馬鹿なことを思ってたんだなって…私だけが強くなっても。私が皆のことを考えないで…突っ走って。何でここで中破するんだ、とかって思って」

 

まとめることができず、いろいろとわけの分からないだろうことをポツポツと呟いても、玲司はそれを遮ることなくただ黙って瑞鶴の話を聞いていた。瑞鶴は続ける。

 

「私が求めていた強さは翔鶴姉に言われるまで気が付かなかった。あいつの…あいつがずっと私に言っていたこと。散々あいつのことを馬鹿にして…嫌っていたのに、いざ気が付けば私はあいつの言ってたことを馬鹿みたいに信じて…皆に迷惑かけて、翔鶴姉にひどいことまで言って…私は結局弱かった。皆が守ってくれてたからこそ、私は強いと思い込んでいただけだった。

結局私は…皆に守られていたのに…それを見下してた。私が強いんだから守ってもらって当然だって。そりゃ、加賀さんや北上とも合わない…よね。私の言ってるレベルが低すぎたから…」

 

膝を抱えて顔を隠してなお話す。いかに自分が弱かったか。馬鹿な考えだったか。そして、マスターとの話。本当の強さとは何なのか。弱い自分を認め、それでいて受け止めること。強さは求めるものではないと言うこと。仲間を信じること。矢継ぎ早に玲司に話した。

全てを聞き終えた玲司は顔は見れないが、瑞鶴の頭を撫でた。優しい、くすぐったい感触。

 

「瑞鶴。弱くてもいい。まずは皆の為に何ができるかをしっかり考えろ。そうすれば、自ずと何をすればいいかが見えてくるはずだ。そうすれば強さなんてものは勝手についてくる。弱いのなら強くなればいい。強いのならさらに強くなればいい。けど、強さは求めても得られるものじゃない。日々強い心をもって、自分の弱さから逃げるな。下を見るな、上を見上げて太陽を。星を見ろ。そして考えて。考えて考えて考え抜け。翔鶴や、仲間をどうすればしっかり守れるか。どうすればみんなと一緒に帰って来れるかを。そうすりゃ、お前も翔鶴も。どの空母にも負けない最強の空母になれるさ」

 

「なれる…かなぁ?私も」

 

「なれるさ。俺もいる。一緒に頑張ろうぜ。俺たちは家族だ。仲間だ。何か困ったこと。行き詰ったり悩み事があったら俺に。俺に話すのがきついなって思ったら翔鶴や仲間を頼れ。大丈夫。きっと力になってくれる。俺も力になる。まずは仲間に相談することが大事だ。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥って言うだろ。そんな大それたことじゃない。一番いけないのは、そこから逃げて自分でどうにかしようと考えることの方がだめだ。俺もまだまだその辺、できてないけどさ」

 

「うん…うん!私、頑張る。きっと皆を守って、期待に応えてみせるね…!」

 

「おう。頑張ろうぜ」

 

また頭を撫でてくれる。嬉しい。今までこうしてもらってなかったことを後悔した。皆に歩み寄っていかなかったのは自分だ。今度からはちゃんとこっちからも歩み寄っていこう。うん!と気合いを入れて頷いた。玲司はそれを見てフッと笑った。

 

ピリリリリリリ!!!

 

味気ない電子音で呼び出す音。玲司のスマホが鳴っている。せっかくちょっといい空気だったのに…と瑞鶴は不満そうな顔をした。

 

「悪い、瑞鶴。運転中だから出れねえ。ちょっと出てくれ。たぶん大淀か鳥海か、霧島か…」

 

ポイっと投げられたスマホ。いきなり投げられたので落としそうになったが何とか受け止めて、玲司に電話の出方を教えてもらって呼び出し音は止まった。そうして、ここを押せと言われてスピーカーから声が耳に当てなくても聞こえるようになった。

 

「え、ええっと…こんにちは…」

『もしもし!その声は瑞鶴さんですね?』

 

「あ、ああ、うん。大淀?」

『はい、大淀です。提督は電話には?』

 

「悪い、運転中で手が離せなかった。今声は聞こえるし、会話はできる。どうした?」

 

『先ほど緊急連絡を傍受しました……』

「救難要請か?わかった、もうすぐ瑞鶴と戻る。どういった話だ?」

 

『……源さんから、深海棲艦に追いかけられていると言う緊急連絡です。今は何とか逃げ切ったそうですが、エンジンが焼き付いて動かない。漂流中…とのことです』

 

瑞鶴の顔つきが変わった。




次回で瑞鶴のお話は終わりになるかと思います。

瑞鶴はどう動くのか。源さんの安否は。「天空の黒鶴」覚醒

次回もお読みいただけましたら嬉しいです。


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