提督はコックだった   作:YuzuremonEP3

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鹿島の異動が決まった大本営。

大本営も一枚岩ではなく、様々な考えの人間が渦巻いていますね。
そんな古井司令長官と、ある旧友のお話となります。


第六十四話

「失礼致します。高雄です」

 

「ああ、入っていいよ」

 

手紙と書類を抱えた高雄が司令長官室に入る。父の前には何やらしょんぼりしている姉とソファーでだらけている妹。ふう、また何かやったのね…とため息をつく。

 

「陸奥、鹿島君を助けるのはいいがいささかやりすぎだ。ただでさえお前は目立つのだから荒だててはならないと何度も言っているだろう。力で解決は人間相手にはやってはいけない」

 

「ごめんなさい…ついカッとなって…」

 

「ついも何もない。鹿島君を連れてその場から離れればよかったんだ。君も散々年寄り連中にセクハラをされて頭にきているのはわかるがね。私も後に謝罪に伺おう。陸奥、下がりなさい。しっかり反省すること。いいね?」

 

「はい…」

 

しょんぼりと肩を落として退室する姉。内容から察するに姉が悪いのだろう。口出ししないほうがいい。中には陸奥様に叱られ隊なんて言う妙な集団がいるらしいが…。

 

「川内はいつまでむくれているのかね。別に玲司の艦娘には顔バレしているじゃないか。わざわざ姿を消すこともあるまい。神通君にバレたのは、うむ…驚きだがね」

 

「だってさぁ…あそこの艦娘なら別に顔バレしてもいいと思うけど…別に普通に話したことないし。その…恥ずかしいじゃん…」

 

「お前は何を言ってるんだ」

 

「恥ずかしいじゃん!話をしようにも、何て声かけたらいいかわかんないし…」

 

「大声でみんなが見てる前で玲司とケンカするのはどうなんだね」

 

「………し、しまった…う、ううううう!!」

 

顔を真っ赤にして消えてしまった。たぶん、すごく恥ずかしくなって部屋に戻ってベッドでゴロゴロ転げ回るんだろうな…。

川内はその能力から大本営の人間でも極一部にしか存在がわからない。原初の艦娘の川内、と言う名があるが、その姿を見かけたものはほとんどいない。隠密性を活かした任務。偵察や不正を行なっている者、もしくは疑わしき者の調査など。姿がバレてしまうと任務に支障が出るからだ。

が、それとは別に川内は高雄をはじめ、原初の姉妹と父である総一郎、そして兄と慕う玲司くらいとしかまともに会話をしたことがないためか、他の艦娘とも話ができないほどアガる。虎瀬にさえ、歯切れの悪い会話しかできない。顔を真っ赤にして何かをしゃべろうとするが、恥ずかしすぎて姿を消してしまう。まだマシになったほうではあるが。

 

「まったく困った娘達だねぇ…」

 

「そうして手がかかる子ほどかわいいと仰るのはお父様ですよ」

 

「いやっはっは!だがまあ、今回陸奥はやりすぎてしまったからね。しっかりと反省をしてもらいたいものだ」

 

「そうですわね…何事もやりすぎはよくありませんもの。ただでさえ艦娘は何かあるとすぐ目立ちますからね」

 

「そうだね。良いことは広がりにくいが悪いことはすぐ広まってしまう。私が悪く言われるのは構わんが、陸奥や赤城、高雄達が悪く言われるのは嫌だからね」

 

「まあ、私はお父様が悪く言われるのも嫌ですわ。お父様と虎瀬のおじ様。そして安城おじ様。お三方がどれだけ艦娘のイメージを良い方向へ持っていかれたか、忘れてはいませんよ」

 

「ははは、そうか。私も気をつけよう。どこで誰が見ているかわからんからねぇ。安城か。この間虎瀬とも話していたが、懐かしい名前だねぇ」

 

「その安城おじ様からお父様宛にお手紙が届いておりますわよ」

 

「ほ、本当かい!?見せてくれたまえ!早く!」

 

手紙を差し出すと慌てて座り、封を開けて穴でも空くんじゃないかと言うほど目を開いて読んでいる。安城おじ様。「安城 宗春(あんじょう むねはる)」。父曰く、数十年付き合った腐れ縁と気軽に言うほどの友。海軍が自衛隊と呼ばれていた時からずっと同じ船で仕事をしたり、時に喧嘩もしたりした仲。数年前のある時、突然軍を去り、どこかへ行ってしまった。そこからは杳として行方がわからなかったが、突然手紙を差し出してきた。まず生きていると言うことが嬉しかった。

 

「わっはっはっはっは!!!そうかそうか!!!はははは!!まったく不思議な縁だねぇ!!」

 

突然父が大声をあげて笑い出した。ここまで大笑いするのも珍しい。最近では横須賀に行った弟が良い成果をあげたときくらいにしか聞かなかったが。

 

「お父様、どうなされたんですか?そんな大声で」

 

「いや、何。何を決心したのかはわからんがね、久々に会いたいと言う手紙だったよ。ふふふ、おもしろいことにね、あいつ、横須賀鎮守府から車で少し離れた海に近い街に今いるらしくてね」

 

「まあ、そうでしたの。では、ひょっとすると…」

 

「切っても切れぬ縁だ、とここにも書いてある。玲司と。そして彼のもとで楽しそうな艦娘を見て昔を思い出し、心残りをなくしたいとね」

 

「そう、ですか。ここを去る時のおじ様のお顔。とても悲しそうでしたものね…」

 

「あれは誰が悪いわけでもない。私や虎瀬、安城もそうだし、彼女達も戦った。まさに死力を尽くしてね。だが、陸奥や赤城、龍驤までもがあわややられそうになった奴だ。采配がどうのと言うものではない。だが彼はそこに責任を強く感じた。艦娘は沈まなかった。誰一人、彼の采配のおかげで。だが、ただ一人、戦えなくなった艦娘がいた」

 

「鳳翔さん…」

 

「彼女が血路を開き、瀕死だった仲間を無事母港へたどり着かせるために戦った。最後まで戦うと決めた陸奥と共に。陸奥は鳳翔君がいなければ沈んでいた。命の恩人だと言う。あの時の悔しさは、この先忘れられないと言っていた。仲間を守りたいと言う力の極限だ。彼女は一時的に陸奥や赤城の力さえ超えた」

 

「結果、弓を引くことができなくなった…海に立つこともできなくなった…」

 

父は静かに頷いた。その鳳翔は今は大本営近くに小料理屋「鳳翔」と言う店を構えている。大本営の人間や仕事帰りの一般の人からも幅広く支持されている。この街のお母ちゃん、なんて呼ばれている。

 

「そうか。虎瀬にも手紙を出したようだね。これは何年振りか集まって飲まねばならんねぇ。鳳翔君にもようやく返事を書いたのか。長かったねぇ…」

 

「そういえば、安城おじ様は玲司君をご存知ではないのですか?」

 

「はて、知っているはずだがね。なにせ、彼は食えぬ男だからね。きっと、父の友人であると聞くと恐縮してしまうと思ったんじゃないかね。まさか安城も彼の息子が提督としてやってきて、あろうことか仲良くなるだなんて思いもしなかっただろう。まったく、偶然にしてはできすぎている」

 

夕陽を見つめ、かつての旧友を偲ぶ。最近はますます玲司が彼に似てきた。性格も良く似ている。面倒見がよく、部下からは慕われる。今では艦娘か。誰かを助けたいと思ったらまず自分が動くところも。血気盛んに、この国を守る。そう言ってなぜか集まった自分を含めた四人。世代は変わり、今度は玲司が新たな風を巻き起こす。年寄りは見守るのみだ。

 

「玲司君のお父様がご存命であれば、今ごろどのような地位についておられたのでしょう?やはり、玲司君と同じく現場至上主義なのでしょうか」

 

「いいや。彼は間違いなくこの席に座っていたよ。彼は司令長官の器に相応しかった。むしろ私が現場で艦隊指揮に躍起になっていただろうね」

 

「え、そ、そんな…お父様ではなく…ですか?」

 

「私はここに座る器ではないよ。艦娘に興味を示し、艦娘と触れ合い、そして艦娘と人の橋渡しをしようと躍起になって。三条がいなかったからこそ、私が司令長官になった。それだけに過ぎん。思い切りがあり、誰にでも平等で、人望も厚かった。当時の次期司令長官は間違いなく、三条のポストだった」

 

父が真剣な表情で語る。高雄も覚えている。朗らかな笑顔で頭を撫でてくれた優しい瞳の人。今思えば、あの目。玲司が受け継いでいると思う。

 

(よう!無理しなくていいからな。無理しない程度に海を守ってくれな!あいつに何か言われたら俺がビシッと言ってやっから。いじめられたら俺に言えよ!)

 

(失礼な。私がそのようなことをするとでも?)

 

(うんにゃ。お前はそう言うことをしねえって思ってるけどな。ははは!)

 

父と肩を組んで笑いあっていた日。楽しそうだな、と思った。それからしばらくして、その子息である玲司と出会い、ふれあうとは何の縁なのだろうか。一度に両親、妹を亡くし、あのような…。それでも彼は父の面影を持ちながら父と同じ道を歩んでいる。人の生きる道とは不思議なものだ、と高雄は思った。

 

「三条はあんな奴だからねぇ。今でもいつものように、よう、と言ってフラッと帰ってきそうなものだが…あれから十二年。私や三条が海上自衛隊に入った時と同じ年頃になった奴の息子が、奴と一緒のような目をして艦娘と触れ合っている、か」

 

父がよく見る古い写真だ。性格も趣味も嗜好もまるで違う四人が写っている写真。父と安城の肩を組んでいたずらっ子のように笑っている男。玲司の父。呆れたようにそれを見る虎瀬。

 

「四人の中では私は大したことはないよ。虎瀬は昔から現場主義で、静かだが人を鼓舞する力があった。安城は頭がよく切れてね。良い知将だった。彼の智謀で深海棲艦を出し抜いたこともある。三条は本格的に艦娘と触れ合う前に逝ってしまったが…人望厚く、人をまとめるのがうまい男だった。

私は彼らが持つものを何一つ持っていない。大きな戦果を安城のような智謀で得たこともない。虎瀬のような鼓舞する力もない。三条のような人望もない。だからこそ、艦娘兵器派と穏健派などと言うことで軍は割れてしまった。私はなるべくして司令長官になったわけではない」

 

「ですが、お父様は私達に家族と言う温もりと優しさを教えてくださりました。私達を娘と呼び、本当にかわいがってくださります。それはきっと、玲司君のお父様や安城おじ様ではできなかったことではないかと思います。私は、お父様が司令長官で、私達の提督であることを誇りに思っていますわ」

 

「高雄…そうか、ありがとう…私は良い娘を持ったね。妻…静江も自慢の娘だといつも言っている。たまには帰らねばならんなぁ。妻もだが、安城も大切な奴だからね。近々、鳳翔君にも協力を仰いで、虎瀬と安城とで飲むかな。鳳翔君は彼の元部下だからね」

 

「飲み過ぎないでくださいね。お酒を飲ませすぎるとお母様に怒られるのは私なんですから。飲み過ぎ注意、と言ってさしあげますわ」

 

「ふふ、気をつけるよ。ああ、そうだ。高雄、すまない。鹿島君に明日の朝、ここに来てくれるよう伝えてくれるかい?玲司からの返事が来てね。正式に横須賀への異動が決まった。先ほど玲司を見越して荷物をまとめておいておきなさいと言ってはいたんだが。荷を解くことにならなくてよかったよ」

 

「かしこまりました。では行ってきますね」

 

高雄が退室し、一人になった総一郎。かつての写真を眺める。自分の肩を無理やり組んでニカッと笑う男。男でありながら彼の生き方、性格に憧れた。

 

「三条。お前の息子は…私がどんな手を使ってでも守ろう。『俺に何かあったら家族を頼む』…そう言われているからね。お前に似たやんちゃに育ったぞ。優しい、艦娘に愛される男にな。すまんが玲司だけになってしまったがね…」

 

バルコニーに出てタバコに火をつけ、紫煙を吐き出す。中庭の桜は夕日に照らされる。蕾がかなり大きく膨らんでいる。もうすぐ桜の咲く季節。横須賀の艦娘たちにも、この桜のように今は蕾でも。大きく咲いて笑顔の絶えない鎮守府になってほしい。そう願う。

きっと咲く。なんせ、あそこには春の日差しのように温かい笑顔を持つ男がいる。かつてのそれと同じ目をしたその息子がいるんだから。たまにはのんびり『家族』と花見でもやりたいものだ、そう思ってまた紫煙を吐き出す。桜の蕾だけでこうも詩的になれるとは、とタバコを咥えて笑った。

 

 

先日送った手紙の返事が返ってきた。とても嬉しそうに書いているのと同時に、ところどころ便箋が点々とふやけ、インクがにじんだ後がある。文字はとても達筆で、女性らしいピンクの桜の花びらが舞い散る便箋を大切に封筒にしまう。

 

「女性を泣かせるとは男としていかがなものでしょうかねぇ…」

 

男は一人呟いた。白髪交じりの髪を後ろで束ねた初老の男。喫茶「ルーチェ」のマスター「安城 宗春」。彼は過去とのしがらみを断ち切るため、三人の人物に手紙を送った。内容は簡単なものだ。

 

行方をくらまし、音信不通で申し訳なかった。自分は生きていて横須賀鎮守府の近くの街で喫茶店を営んでいること。一言虫のいい話ではあるが、今まで心配をかけたことを謝りたい。そして、顔が見たい。ただそれだけを書いた。

古井総一郎。虎瀬龍司。そして、かつての部下とも呼べる…いや、もはや妻と言ってもよかったほどに愛した艦娘「鳳翔」。鳳翔には総一郎や虎瀬と違い、一枚ではなく、三枚にもわたるほどの手紙を書き綴った。謝罪と、返事をせずとも毎週のように手紙を送り続けてくれたことへの感謝。ようやく決心がつき、一目お会いしたい。簡素に書こうと思ったがどうにもまとまらずに長くなってしまった。ちゃんと読んでくれるだろうか。心配だった。

 

未だに自分を手紙でも提督と呼ぶ。もう自分は提督を投げ出した身なのだ。提督と呼ばれる資格はない。だが、それでも彼女は私の提督は提督だけなのです、と呼び続けることにしたと言う。

 

(今度お会いした時に伝えるべきか…ううむ、悩みます)

 

総一郎や虎瀬が手紙を読んで憤り、姿を見せてくれずとも、鳳翔にだけは会いたかった。怒られてもいい。私はそれだけのことを。鳳翔さんを見捨てたのだから。未練がましく再度手紙を取り出し、また読み返す。そこにはぜひとも私もお会いしたく存じます。お待ちしております。いつまでも。とある。それを見るのがたまらなく嬉しかった。あの日から七年もかかった。いつまでもあの時のことを引きずり、逃げ回っていた。だが、彼と彼の艦娘のおかげでようやく決心がついた。

 

「三条君。あなたとはやはり、切っても切れない。親子に渡って、私の心に風を通すのですねぇ。玲司君は立派に。あなたが成しえなかった。成したかったことを少しずつ築いておりますよ。私も命ある限り、君の遺志を知ってか知らずか継いだ彼を見守ろうと思います。ここが僅かでも彼らの羽休めができる場所になりますように」

 

写真でニカッと笑う男。いつもここに艦娘を連れて来ては楽しそうにしている彼に瓜二つ。三条雪丸。玲司の父。志半ばに行方不明となって十二年。彼の死はマスターにも。総一郎たちにも深い陰を落とした。

 

「艦娘と人間、俺たちはパートナーだ!互いに支え合わなきゃ生きていけねえ。それに、こんな美人かわい子ちゃん達に冷たくなんてしたら男が廃る!そうだろ?総一郎、龍司、ムネ!おっと、家内には内緒だぜ、角が生えっちまうからな。ハハハ!」

 

懐かしいものだ。彼は逝くべきではない。海軍となったあそこで不可欠の存在だった。艦娘との共存が本格的に始まる前に逝ってしまった。彼の目標まであと少しだったのに。

いや、自分も逃げてしまった身だ。言及する資格はない。まずは鳳翔に会う。これが優先だった。だが、タイミングがつかめないな…と困っていた。

 

電話がけたたましく鳴る。感傷に浸っている場合ではない。そろそろ夜の仕事の準備をせねば。まあほぼ終わっているのだが。営業しているか?の電話だろう。そう思って「はい。喫茶『ルーチェ』でございます」といつものように電話に出た。

 

「………久しぶりだな。宗春。いや、ムネ」

 

「……!?とら、せ君?」

 

「お前がわざわざ手紙に電話番号を記したのだろう。数年ぶりに…行方知れずだった友の声が聞きたくなってな。鳳翔もお前の住所を教えてくれなかったのでな。元気そうで何よりだ」

 

「いや、ああ…虎瀬君もお変わりないようで」

 

「ああ。木曾や利根、磯風と共に元気でまだ現場でやっている。お前は順調か?」

 

「ええ。おかげさまで…何の縁でしょうか、玲司君も顔を出すようになりましてね。私のことは覚えていないかもしれませんが」

 

「あいつはなかなかヤツと一緒でクセがある。とぼけているだけかもしれんぞ」

 

「おや、それはそれでおもしろいのですがね…ふふ」

 

電話の主、かつての親友。虎瀬。数年ぶりに聞く声は昔と変わっていない。少し老けたかな、とは思うが。

 

「総一郎とも相談して、二人で時間を作る。なるべく早くお前に伝えれるようにしよう。鳳翔の店で、三人で…しんみり飲む」

 

「ええ。ええ。それは楽しみです。私はいつでも動けます」

 

「謝罪はいらん。酒がまずくなるからな」

 

「そう、ですか…」

 

「鳳翔の店はな。窓から大きな桜の木が見える。桜が咲く頃に会おう。夜桜を眺めながら一杯。どうだ?」

 

「虎瀬君らしいですね。楽しみにお待ちしておりますよ」

 

「ああ。じゃあ、またな、ムネ」

 

「はい。それでは、また。虎瀬君」

 

受話器を置く。宗春の顔は笑っていた。ほんの数分の電話でも。少し声が聞けただけでも嬉しかった。怒られると思っていたのも、杞憂に終わった。では、その時を楽しみに。今を精一杯がんばるとしよう。ドアを開け、「Closed」から「Open」に札を変える。昼間はケーキや紅茶の喫茶店。夜はバー「ルーチェ」として開く。光と闇と言うことで昼間は「ルーチェ」。夜は「オンブラ」としたかったがややこしい申請が必要だったのでやめた。あと、茂や徳三から暗い!!!と指摘を受けたこともあった。夜の闇にポッと明るい光を灯すバー。それはそれでありだと思う。

チリンチリンと来店を知らせる鈴がなる。一番客。いつもゆっくり飲みに来る若い女性だ。今日は何だか嬉しそうだ。

 

「いらっしゃいませ。おや、今日は随分と機嫌がよろしいですね」

 

「こんばんはマスター。んっふふ。そうなの。念願の国家試験に受かったの!!もう嬉しくって!マスターにはいつも愚痴とか悩みとか聞いてもらったから、一番に知らせにきたの!!」

 

「おお。おめでとうございます。試験のあと、もう終わった…私はもう駄目だとひどく落ち込んでおられましたが、杞憂で済みましたねぇ。ではお祝いに一杯奢りましょう」

 

「ほんと?ありがとう!じゃあ、お任せで!今日はうーんと酔いたいの!」

 

かしこまりました、と言うとさっそくカクテルを作る。軽やかな手つきでシェイカーを振る。そして、小さなグラスに注ぐ。

 

「こちらはダイキリと言いましてね。言葉は希望。あなたにこれからたくさんの希望の光が常に降り注ぎますように」

 

「わあ、マスターってお上手ね」

 

「いえいえ。恐縮です。チーズもどうぞ」

 

お客は嬉しそうにゆっくりとお酒を味わう。薄暗い店内。くどくないピアノジャズ。静かな空間。日常に疲れた人々に癒しを。そう思って夜は憩いを求めてやってくるお客が多い。常連から一見まで、皆来たときは暗い顔をしている。しかし、帰る時にはほとんどの人が少しだけ笑って帰っていく。そんな空間。

 

「そういえば、マスターも何だか嬉しそうな顔ね。いいことあった?」

 

「そうですね。数年ぶりに友人と会う約束をしました。訳あって会えなかった友人ですので…期待しているのですよ」

 

「そっかぁ!じゃあ、マスターも希望の光がありますように!!」

 

「ほっほっほ、これは一本取られました。あなたもお上手ですね」

 

そうして談笑していると新たな来客。男性は見知った顔だが女性は知らない。おやおや、これはお祝いのお酒を奢るべきかな?とマスターは笑って再び「いらっしゃいませ」と声をかける。案の定、彼は恋人ができました。相談に乗ってくれて助かりました!と報告に来てくれたらしい。

 

「では、ジンライムのように色褪せぬ恋を彼女さんと育んでください。彼女さんには、彼からの誠実な愛をいっぱいもらってください。ブルーラグーンをどうぞ」

 

そうして、バー「ルーチェ」とマスターこと宗春は今夜も静かな時間を過ごしていく。親友と、そして大切な艦娘…いや女性に会える日を楽しみにして。




親父たちのそれぞれ、と言う回になってしまいました。

古井司令長官、虎瀬大将。喫茶「ルーチェ」のマスター、ムネこと安城宗春。そして玲司の父。彼らは腐れ縁。いろいろとありましたが、積もる話もありそうです。

親父たちの花見酒。近いうちに書きたいと思います。桜の咲く時期に書こうと思ったのですが、思ったより妙高や朝潮達の話がノってしまって書けませんでした(汗。

次回は横須賀に戻って鹿島着任。そして霞の話を書こうかと思います。

それでは、また。

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