提督はコックだった   作:YuzuremonEP3

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深海棲艦の血の暴走で倒れた玲司、横須賀に帰還するの巻。
横須賀の艦娘達に訪れる初めての提督の異常事態。さて、艦娘達はどう動くでしょうか?

久しぶりの玲司と艦娘の日常(?)となります。ここのとこ空気でしたしね(苦笑)




第八十三話

夕飯の時間になっても帰ってこない玲司に雪風や皐月、文月。霰が寂しそうに窓から外を眺め、今か今かと帰りを待っていた。駆逐艦達もそうであるが、摩耶や名取達も心配であった。帰り道で事故でも起こしたんじゃ…?と。

 

「今、陸奥姉やんから連絡があってな。玲司、体調が悪くなったんやって。で、倒れてもうたらしいんや。もうちょいしたら帰ってくると思うけど、司令官、めちゃくちゃ具合悪いから騒がんようにな」

 

龍驤と明石が食堂にやってきて、全員揃っている食堂で玲司の異常事態を知らせた。途端に食堂がえええ!?と言う大きなどよめきが上がる。

 

「ねえねえ龍驤さん!しれーかんは大丈夫なのぉ!?」

「龍驤さん、しれえ、どうなんですか!?」

 

さっそく文月と雪風が飛んでくる。服を引っ張ってねえねえ!と必死である。

 

「あーこら!服が伸びる!別に死んだりせえへんから!命に別状はないから!コラ、ゆすんな!」

「ほっ、よかったです…」

 

まったく…!とプリプリしながら龍驤が服を正している。いつも元気で笑っている提督が具合が悪いとなると心配で仕方がなく、取り乱す気持ちはわからなくもない。

 

「えーっと、命に別状はないけど、たぶんしばらくは動けなくなるかな。いろいろ込み入った事情があるからうまく言えないんだけど。今日はもうそのまま部屋で寝てもらうことにするから。今日はそっとお休みさせてあげてね。大きい声とか音ですぐ気分が悪くなっちゃうからね」

 

明石が補足する。玲司の様子はそこまでひどいのか。北上や名取、摩耶と最上が何か話している。久々の発作だ。昔は精神状況が良くないことが多かったので悪夢を見てそのまま発作が起きる、なんてことも少なくなかった。死にたくないと必死で願い、生き延びた代償なのか。彼の発作は時に見るに耐えなかった。

 

痛み止めは効かないし、水分を取らせようとしても全て飲んだ途端に吐いてしまうため、苦しそうに呻く玲司を見るしかできなかった。やむを得ず鎮静剤で眠らせてしまうことも多かった。起きた時の頭痛が本当に最悪だったと語っていた。何より、身体中をなにかが蠢くような感触、そして痛みが時に内臓を吐き出してしまいたいくらいと言う。今回も心臓や胃がそうなったのだろう。

 

人間でありながら深海棲艦の怨念を抱え込んでしまったこと。時々明石は、本当にそれでも生きたかったのだろうか?と分からなくなる。玲司がそれでも生きたかったんだよ、と苦笑いする姿が思い出される。

 

「しれえ…」

「今日はもう会えないね。寂しいよねぇ…明日、様子を見て大丈夫そうだったら、お見舞いに行ってもいいようにするからね。今日は我慢しようね」

 

雪風の寂しそうな顔がかわいそうに思えたが仕方がない。皐月や夕立も寂しそうである。

 

「とりあえず、ご飯にしようや。玲司、たぶん食べられへんし。せっかく間宮が作ってくれたんを冷たいのん食べたないしな!」

「そうっすね。おっし、全員席につけー!」

 

摩耶の掛け声で全員着席ののち、最上が手を合わせてー!いただきまーす!と号令をかけると全員、なかなか進まない感じではあったがもそもそと食事を摂りだす。

 

「なんでお前が言うんだよ!あたしが言おうと思ったのに!」

「細かいことは気にしちゃダメだよ、まよ」

 

「摩耶だっつの!!」

「摩耶、うるさい」

 

「ちょ、鳥海…んだよ、もう」

 

「雪風、今日はあたしと寝よっか」

「はい、北上さん…」

 

「皐月もー!」

「文月もぉ〜」

「霰も…」

 

「はいはいわかりましたよ。もーウザいなぁ。部屋が狭くなるじゃんか」

「ふふ、じゃあ名取も♪」

 

「何さ、名取まで。あーもうわかりましたよ」

 

寂しさを紛らわせるため、それぞれグループを作って寝泊まりするらしい。時雨達も扶桑と寝るらしい。

 

「あ、翔鶴さん」

「はい、明石さん、どうされましたか?」

 

「急で申し訳ないんですけど、玲司君のそばにいてあげてくれませんか?」

 

 

明石に声をかけられ、何事かと思えばこれである。

 

「ええっ、私がですか?どうしてまた…」

「この発作で玲司君に今必要なのはストレスを和らげてあげることなんですよ。ちょっと時間いいですか?」

 

はい、と言うと明石に連れられて工廠にある明石の自室に連れていかれた。部屋は整然としていてしっかり片付けられている。曰く、ズボラな姉に文句を言う時に片付いていないと強く言えないから気がついたら部屋はきれいにしておかないと気が済まなくなった、らしい。ちょっと油くさいけど。

 

アルコールランプに三脚、三角フラスコで湯を沸かすと言うとんでもない光景に翔鶴は目が点になる。なんでこんなもので湯を沸かしているんだろう…とツッコミたかったが、聞くと時間がかかりそう…と思って飲み込んだ。熱いから気をつけてくださいね、と渡されたのは紅茶。それもビーカーで。明石はそれが当たり前のようにビーカーに口をつけて飲んでいる。

 

「私、科学者みたいなこともやってたことがあってね。ポットとか持ち込むスペースがないくらい工具やこう言う器具でびっしりで、めんどくさいからフラスコやビーカーで色々やってたら、今もフラスコでお湯沸かしたりしたくって。面倒だけど、味があるってことで♪」

「は、はあ…」

 

「で、お話なんですけど。翔鶴さん、ぶっちゃけ玲司君と恋仲ですよね?」

 

ビーカーを落としそうになった。突然何を言っているんだこの人は。

 

「え、あの、その…」

「いやぁ、龍驤お姉ちゃんが翔鶴さんと抱き合ってるところを見たー!ってものすごいテンション高く言ってたんで。あれ、龍驤お姉ちゃんの見間違いかなぁ?」

 

ああ、見られた…と玲司さんもしまった、って言ってたっけ…。たしかに、抱擁なんて人間と艦娘とは言え、男と女。抱き合っていたらそれはもう確かにそうであるとしか。

 

「は、はい…玲司さんが……側にいてほしい…と」

 

顔から火が出そうなくらい恥ずかしいことを明石に打ち明けた。あの時の言葉は今でも鮮明に思い出せる。そのあとでした口付けの感触も思い出せる。ああ、何を思い出しているんだ。恥ずかしくて逃げ出したいくらいだ。

 

 

好きだ翔鶴。俺の傍にいてくれないか。

 

 

玲司の言葉。この言葉を聞いてから自分は魔法にでもかかったかのように毎日、彼の顔を見てはこれを思い出し、瑞鶴に顔がにやけてるよ、と言われるほどになってしまう。嘘偽りのない目だった。たくさんの汚い人間の嘘や悪意を見てきたからこそ、彼の言葉が本物であると思った。嬉しかった。

 

「あの、顔。にやけてますよ」

「ふぁあああ!?や、やだ、私ったら…」

 

「ふふふ、龍驤お姉ちゃんには黙ってますから、大丈夫ですよ。そんなわけで、たぶんこの鎮守府で玲司君の精神的支えになってるのが翔鶴さんであるということを見越してお話ししますね」

 

そうして明石が語り出したのは玲司の深海棲艦の血が流れていると言うこと。これは聞いている。厄介なのは深海棲艦の性質も間違いなく持っていること。強いストレス。そして鬱々とした怒りを持つとソレが現れるのだと言う。確か、朝潮達のことで激怒した時は…。

 

「あー、あれは瞬間的な怒りでしたからセーフです。でも、私たちもどう言うことでそれが起きるか読めないからセーフって言いにくいんですけどね。今回は、作戦が始まる前から大淀の嫌な予感で、もしかしたら沈んでしまうかもしれない不安。表に出た海図の話。そして大本営でまた嫌な話でも聞いたかな。あれこれ溜めて爆発しちゃうと起きるんです」

 

とにかく暴力的な衝動に駆られるらしい。目の前が青くなり、そしてだんだん黒になっていく。それはまさに、艦娘が深海棲艦になっていく過程のようだった。艦娘でさえ激しい苦痛であるらしいと聞いているソレを、人間である玲司が味わう。死ににくくなった体だからこそ、それに抗えてしまう。

 

「玲司さんが……深海棲艦に?」

「なる前に玲司君の体がたえきれないかな。たぶん、死んじゃうと思います。ただ、そうに至るまでにはなってないんですけど。今回もまあ重いですけど無事です。ただ、これが起きると本当に気が気じゃないのはたしかですよ」

 

「それで、私にできることは、ストレスの解消?」

「はい。強いストレスで起きるのならそれを取り除いてあげるしかないんです。強いストレス。特に玲司君は艦娘が絡むとほんとにすごいストレスになるもんですから。で、そのストレスを緩和できるのが艦娘。と言うわけです」

 

と言うわけですと言われても…。何が何だかわかるはずがない。

 

「玲司君は過去のこともあってお父さんやお母さん。今は良くしてくれる商店街の人。それ以外は人間に対して極度の不信感を持っていて人間嫌いと言ってもいいです。雪風ちゃん達と遊んでる時はいいストレス解消になるでしょうけど、今はそれよりも居て安心できる翔鶴さんが傍にいることが一番の薬だと思います。玲司君が。あの玲司君がまさか好きだっていう方ですからね」

 

「……」

「大丈夫ですって!こう言ったら発狂しちゃいそうですけど、陸奥お姉ちゃんより信頼されているんですよ!大丈夫ですって!あ、これ陸奥お姉ちゃんには内緒でお願いしますね!」

 

付き合いの長い原初の艦娘。彼の姉妹。そんな人が言うのなら、本当にそうなのだろう。私が、あの人に一番…。そこまで言われたらやってみるしかない。

 

「わかりました、明石さん。私が本当にお力添えできるかはわかりません。ですが、私を癒してくださったように、私もあの人を癒したい。助けたい。この気持ちだけは嘘偽りはありません」

 

「助かります。私や龍驤お姉ちゃんもサポートしますし、たぶんここの艦娘のみんな、玲司君のために何かしたいって動くんじゃないかなぁ」

「きっとそうだと思います。私たちは玲司さんに救われて今がありますから。摩耶さんや最上さん、何かお話ししていましたし。きっと雪風ちゃんや北上さんも」

 

「うんうん。私のお兄ちゃんがこんなに愛されてるって嬉しいなぁ。もうすぐ帰ってくると思いますから、大淀にも説明しておきます。兄をよろしくお願いします」

 

深く頭を下げて頼まれてしまった。私なんかが…といつも卑屈的であった翔鶴だが、今回ばかりは私がやる。そう思っていた。どんな状況であれ、彼を全力で守りたい。助けたい。癒したい。傍に、いたい。この気持ちだけは誰にも負けない。一刻も早く帰ってきてほしい。そう願っていた。

 

 

「あっ!車の光です!」

「え!ほんと!?」

 

夕飯を食べた後もなお、帰りを待ちわびて雪風達は食堂の窓から夜の鎮守府の入り口を見つめ続けていた。ようやく帰ってきてくれたようだ。雪風の言葉に皐月達が立ち上がり、窓を見る。たしかに車の光のようだった。

 

「司令官が帰ってきたよ!!」

 

「では、私と神通さんと翔鶴さんで行ってきますね」

 

具合が悪いと言うことで大人数で出迎えるわけにもいかない。そう判断して鳥海、神通、そして翔鶴が玲司のもとへ行くことになった。翔鶴はそのまま玲司の看病をすることになっている。雪風達の玲司に会いたいと言う気持ちはわからなくもないが、早く元気になれるようにしようね、と名取が言ったことで丸く収まり、申し訳ないがガマンしてもらうことにした。

 

駐車場へ向かうと車が2台。いつも玲司が乗っている車からは、見知らぬ男。緊張が走ったが大本営の人間であることがわかった。もう1台の車からは大淀がまず降りてきて、ああ、帰ってきたと思った。荷台の扉が開き、しばらくして現れたのは車椅子に乗っている男。

 

「提督、大丈夫ですか?ご気分は…」

「心配ないよ…」

 

それこそが、この鎮守府の主である提督だった。その姿に迎えに来た3人が絶句した。では、これで、と大本営の人は玲司が降りてきた車に乗り、去って行った。力無く車椅子に座り、大淀に押してもらう玲司。その姿は神通や鳥海ですら、ただそこで立ち尽くすしかない。

 

「………よお。翔鶴、神通、鳥海。ただいま。遅くなったな。ごめんな」

 

弱々しい。いつもの元気な玲司はどこにもいない。まさかここまでとは予想もしていなかった。何より……。

 

「提督、その眼…」

「ああ、まだ蒼いか?治んねえんだよ。ちょっと今回のはきついな」

 

闇夜に薄く光る蒼い双眼。それは神通は見たことがある。響と戦った電で見た眼だ。

 

「とにかくお部屋へ。早くお休みしましょう」

 

大淀に促され、車椅子を押されて中へと入っていく。終始息を呑んだままの鳥海達は一言も声をかけられぬままだった。

 

………

 

一方食堂でもちょっとした騒ぎが起きていた。食堂で玲司が帰ってきたことで喜んでいた電達。

 

「電。その眼…」

「ふぇ?響ちゃん、電の目がどうかしたのです?」

 

「電さん?」

 

朝潮達も驚いている。眼と言われても電は自分で見えないのでわからない。村雨がポケットから取り出した手鏡で自分が今どう言うことになっているかが把握することになる。

 

「な、何なのですかこのおめめ!?」

「それだよ。その眼こそが、私を深海棲艦から救った眼さ。でも、一体なぜ?今は戦闘でもないし、誰も深海棲艦になったりもしていない。司令官に何か、ある?」

 

「おい、瑞鶴!その眼どうしたんだよ!?」

 

瑞鶴にも異変が現れていた。名取の手鏡を借りると右眼が蒼く輝いている。

 

「えっ!?ちょ、なにこれ!?」

「前に言ったでしょ?瑞鶴、その眼は何って。すごい集中力で敵の攻撃をかわしたりしてた時、その眼だったんだよ」

 

「ま、待ってよ!私、深海棲艦にでもなっちゃうの!?」

「そうじゃないと思うけど。だとしたら、電ちゃんも響ちゃんと戦った時になってるはずだし。深海棲艦の目とはちょっと違う気がする」

 

名取が冷静にそう言う。深海棲艦のような冷たさではなく、温かみさえ覚える蒼い眼。電と顔と目を真っ赤にしていきんでも現れなかったもの。なぜいま出てきたのか。誰にもわかるはずがない。

 

食堂は騒然となった。時雨と村雨も、時雨は両眼が電のようになり、村雨は右眼が夕立のように紅く輝いている。電と一緒に村雨は「はわわ!」と言っているし、時雨は難しい顔をしているし、大事件の様相になった。

 

 

よろよろと肩を借りなければならないほど歩くことが困難になるまでの玲司。思った以上に深刻だった。何よりべったりと汗をかいているはずなのに、体は冷たい。顔は土気色。おおよそ生気が感じられない状況であった。明石が様子を見ている。

 

「久しぶりだね、こんな大きな発作は。うーん、全治1週間かな。玲司君、絶対安静ね。鳥海さん、大淀、霧島さん、妙高さんに事務はお願いするね。決済の判も押せないね。料理も間宮さんにお任せするからね。玲司君はとにかくゆっくりすること!翔鶴さんが付いていてくれるから、何かあったら翔鶴さんを頼ってね。はい、今日はお休み!」

 

「………」

「不満そうにしてもだーめ!」

 

歩くこともままならない。明石の問診では指一本動かせないくらいと言っているのになぜ仕事をしようとするのか。私たちのためとはい言え、さすがに我慢ならない。

 

「玲司さん。指一本動かすのも辛いとおっしゃっているのに、なぜ私たちを頼ってくれないのですか?私たちは…私は信用できませんか?」

「そういうわけ、じゃ、ない…」

 

「なら休んでいてください」

「……ごめん」

 

深く大きく息を吐いた。喋るのも辛いようだ。しまった、と思った。

 

「翔鶴さんが言った方が言うこと聞くね。うんうん、任せて正解かな。じゃあ、何かあったらすぐ呼んでくださいね。玲司君、ちゃんと寝るんだよ。悪夢見たら、お薬飲んでね」

 

明石が去り、玲司と2人きりになる。今しがたは深い息を吐いていたが、今は呼吸が浅い。

 

「翔鶴…」

「はい、翔鶴はここに」

 

「……お世話に、なるよ。あり、ありがとう」

「いいえ。あなたが私を助けてくれたように。私もあなたの助けに。癒しになりたい。そう、前も言ったはずです」

 

「そう、だな」

「あなたが私を見捨てないと言ってくれたように。私もあなたを見捨てたりしないわ…私を、私を好きだと言ってくれたから」

 

「うん…翔鶴……愛してる…ずっと。ずっとそばにいてくれ」

「私も…玲司さんをずっと愛します。ずっと。ずっと」

 

冷たい氷のような手を握る。握っていなければ遠くへ。二度と会えなくなるような気がして。

 

「あったかいなぁ…翔鶴の手」

「玲司さんの手も温かいですよ。いつもは」

 

「そっか…早く。よくならなきゃな」

「はい。そのお手伝いは致しますから」

 

「ありがとう。翔鶴。あー…ほんとに、あったかいなぁ…」

 

その言葉を言い終えると静かに規則正しい寝息が聞こえ出した。片手は頭をなで、玲司の手は握り返したまま。そうしているうちにどうしようもないくらいの愛しさがこみ上げてきて、眠っている玲司の唇に自分の唇を重ねた。

 

(臆病でごめんなさい。眠っている時にしか、勇気が持てないの。いつかはあなたがしてくれたように、起きている時に私からも…ね?)

 

自分の唇の感触を何度も確かめるかのように触りながら、眠る玲司の顔を見つめながら念じた。

 

………

 

しばらくして、翔鶴も微睡みに包まれてうとうとしていると、呻き声を玲司があげた。それですぐさま目を覚まし、様子を見る。体が痛むのだろうか?

 

「うう、ごめ、母さん…ゆき、の。ごめん。生きてて……ごめん」

 

寝言、か。それにしてはとんでもな…生きていてごめんなんて。謝る必要はないだろうに。体が動かせないのか、首だけが左右に揺れている。

 

「玲司さん」

「う、う。嫌だ、いきたくない」

 

いきたくない。果たしてそれはどこかへ行きたくないと言っているのか。それとも、もう生きていたくないのか。後者なら。後者なら嫌だ。せっかく、せっかく生きる意味を自分は見つけたのに。あなたと一緒に歩いて行くって決めたのに。そんなことを言わないで。私と一緒に歩くのは、いや?

 

「いや、だ。しょう、かく…たす、け…」

「!!」

 

夢の中で誰かに連れて行かれようとしているんだ、と思った。だから、私の名前を呼んだんだ。寒いのだろうか。ガタガタと震えている。玲司さんは行かせない。私がそれを許さない。温もりを求めているのなら、と翔鶴は意を決して袴を脱ぎ、上も脱いだ。質素な下着姿になる。1つ大きく深呼吸をし、少し湧き出た恐怖を無理やり押さえ込んで心の中で失礼します!と言って玲司のベッドに潜り込んだ。

 

寝巻きを着ているにも関わらず、玲司の体は冷たい。毛布に厚手の布団をかぶっているのに。布団の中はちっとも温まっていない。重くならないように、玲司に体を重ねる。苦しくないように、抱きしめる。

 

「玲司さん。私がいますから……お傍に、いますから」

 

耳元でそう囁くとビクン!と体が痙攣したように感じた。数十秒ほど呻き声をあげていたが、やがて顔は穏やかな顔に戻り、胸が規則正しく上下するようになり、落ち着いた。眠りにつくと気が動転して服まで脱いで下着姿になってしまったことにとてつもない羞恥心が襲ってきた。離れようとも思ったが、このままこうして彼に温もりを分け与えたい。そう思うと離れようとは思わなくなっていた。

 

(目が覚めたらどうしよう)

 

いや、もうその時は事情を説明して受け止めてもらおう。ひんやりと冷たい玲司の体に、少しずつ翔鶴の熱が伝わって行くかのように、ほんのりと温かくなったような気がした。玲司をどこにも連れて行かせないようにしっかりと抱きしめ、翔鶴はただ夜明けを待つ。そもうち、いつのまにか翔鶴は眠っていた。最愛の人の全てを感じながら。

 

 

またこの夢だった。鉄筋が腹に突き刺さったまま動けない自分。そして、一面青の世界。痛い。寒い。それでも、逃げ出そうにも動けるはずもなく。目の前には無残に転がる母と妹の亡骸。その濁った目が突然動き出し、顔をこちらに向けて言うのだ。

 

「おにいちゃん、いたいよう。さむいよう。どうして?どうして?ドウシテオ兄チャンハ助ケテクレナイノ……?」

 

助けられるはずがない。自分は動けないし、雪乃、お前はもう胸から下がないじゃないか。腕も片方ない。やめろ、這って近寄るな。ヒタリと足に冷たい感触がする。そして、自分の足を引きちぎらんかのように引っ張る。

 

「ガッ!?」

「オ兄チャン。一緒ニイコ?雪乃、寂シイナァ」

 

うるさい、黙れ。俺はそっちへなんて行きたくない。長きに渡って見る夢だからなのか、最近はこの声に抗うことができるようになっていた。

 

「嫌だ!行きたくない!ごめん、雪乃。そっちにはまだ行けない!行くわけにはいかない!!」

「………嫌デモ連レテ行ッチャウカラ!!」

 

「玲司。ワガママヲ言ワナイデ。サア、雪乃ト一緒ニ3人デ過ゴシマショウ」

 

闇が、そこまで来ていた。青い世界。その先は深淵の闇。そこに連れて行かれたら終わりな気がした。いつもとは違う本当に一筋の光も通さないような闇が迫る。焼けただれた母とともに。

 

「行かせない!!」

 

青い世界を切り裂くかのように静寂を破る音。彼方からやってくる光。それは聞き覚えのある音とともにやってきた。

 

ブオオオオオオン!!!と目の前を通り過ぎて闇に光を灯す何か。あれは。あれは。

 

「流星!!」

 

空母の艦載機「流星」。それは彼女が使いこなす艦載機。低空を艦戦のような速度で飛ぶ。その白い光は白銀に輝く鶴のように見えた。

 

「グッ!?」

「オ兄チャン!」

 

体が動く。とっさに悪いと思いつつも雪乃の手を蹴り飛ばす。

 

「こっちへ!」

 

声が呼ぶ方向へ。光を纏う白鶴のもとへと駆け寄る。近づくたび、鶴は声をあげて力強く羽ばたいて飛ぶ。後ろを振り返れば、忌々しげにこちらを見つめる母と妹。戻ってはいけない。追いかけるんだ、あの鶴を。闇が晴れ、鶴は輝く太陽の下、大きく空へ羽ばたいて消えていった。一枚の羽が空を舞い、風に吹かれながら空へ落ちる、その先には…。

 

「玲司さん。私があなたを守るから。お傍に…いますから!」

 

彼女は力強くそういうと手を差し出してきた。救いを求めるかのようにその手を取ると、とても温かく、力が湧いてきた。

 

「さあ、帰りましょう」

「……ああ」

 

にこりと笑いかける彼女にこちらも笑いかける。そして白く温かな世界へと引き上げられていった。

 

「帰ろう」

 

翔鶴。




よれよれの玲司と横須賀の艦娘。またしても初めての事態にあたふた。玲司の具合が悪いことに、艦娘たちはどう動いていくのでしょうか?

次回も玲司の看病をしたい駆逐艦のドタバタや、日頃の感謝を込めた思いを打ち明ける巡洋艦たちを書いていこうかなと思います。

それでは、また。

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