臓物ぶちまけて死にかけの侍を勇者として召喚してしまった件について   作:トロ

2 / 51
第一章【血まみれのボーイミーツガール】
第一話『血まみれの、ボーイミーツガール』


 鋼鉄の残響が響く。

 連続する音色に間隙は無く、激突の音色が波及するよりも早く弾かれ合う鋼鉄に音すらも既に遅い。

 音を置き去りにした合唱を奏でるは人を斬るという一点を突き詰めた武器。刀と呼ばれる業を手にして踊り狂うは二人の剣客だった。

 一人は老年の剣客。顔には深い皺が幾つも刻まれており、鍛えた肉体にも老いによる衰えが感じられる。だが長年を通じて練り上げた業の深みは最早若さを頼りにした者には至れぬ極み。老いすらも己の武器と化した老剣客の力は、この年齢にして遂に全盛期と言える領域にあった。

 そしてもう一人は老剣客の孫と言っても疑う者はいない若い青年だった。若さ特有の勢いをそのままに刃を繰る腕は重く、鋭い。だが老剣客と比べてこの剣客には業が無かった。確かに同年代と比べても、否、遥か年を経た達人と比しても青年の腕は比肩、あるいは凌駕しているだろう。早熟の天才は、いずれはこの国はおろか海を越えた大陸でも名を残す極みに至るのは誰の目から見ても明らかだった。

 だが足りない。

 剣聖と、あるいは剣鬼とすら謳われた老剣客と比するには、未だこの剣客は未熟と言わざるをえなかった。

 

「シィッ!」

 

「ぬぅ……!」

 

 今宵、連続した斬撃の応酬は、再び老剣客の一閃が制する形で停止する。常人では見切れぬ僅かな隙を縫って、老剣客の鋭い一突きが青年の体を穿ったのだ。

 

「……強いな。お主、笑えぬくらいに強すぎるわ」

 

「受け取ろう。そして貴様も十分に強いぞ、若人。誇れ、今の俺を相手に一刻持たせ尚も立っている腕、賞賛に値する」

 

「それは……悔しい限りだなぁ」

 

 上から見下ろされるような言い様に、青年は己の情けなさに口許を歪めた。

 だが現実はこの通り。老剣客もいくつか刃を受けて体から血を滲ませているが、青年が受けた刃の数々に比べれば軽傷でしかない。

 あまりにも明白な地力の差は、青年の驕った心を砕くには充分だった。

 これが剣聖。

 これぞ剣鬼。

 日の本において、一騎当千ただこれのみと謳われた頂点の実力は想像していたものを遥かに超えていた。

 

「だからとて、手を休めるわけにはいかぬがな」

 

「来るか……今ならば手打ちにすませることも出来るぞ? 貴様の腕、あまりにも惜しい」

 

 この若さでこの腕。達人に比肩する技量は、おそらくこのまま鍛えれば老剣客の域を超えたところにまで行けるのではないかとすら思える。

 

「そう、貴様ならばあそこへ……あの――」

 

「御託はここまでだ」

 

 続けようとした言葉に被された青年の鋭い踏み込みに、老剣客の鋭い眼が僅かに揺れた。

 瞬間、先程以上の苛烈な剣戟の冴えに老剣客は苦悶の声を漏らした。

 幾度と重ねた残響が再び響く。超えた音の果て、疾駆する互いの肉体は踊り、狂い、舞い、血を散らす。

 だがそれは先程まではまるで違う。ここまで押され続けていた青年が老剣客を圧している。

 

「貴様……⁉ 狸を被っていたのか⁉」

 

「違う、違うぞ剣聖。確かに先程まで俺はお主の遥か格下だったよ」

 

「ならば、この圧は……!」

 

「耄碌したか? お主にとって慣れ親しんだものであろう?」

 

 言われ、老剣客は毛色の変わった青年の剣運びを見て――それが己自身の業を模したものであることに気付いた。

 

「まさか、ここまでの鍔迫りで⁉」

「然り。もっとも、ここまで時間がかかったのはお主が初めてであるがな」

 

 言いながら振るう刃を捌きながら、老剣客の返しの斬撃を、己自身が培ったものに似通った業で青年が受け流す。

 しかし、完全にとはいかずに僅かにバランスを崩した隙に、動揺した心を律した老剣客の刃は突きこまれる。躱しきれずに浅く体を裂かれた青年は、しかし決して笑みを崩すことはなかった。

 

「流石は剣聖。化け狐の真似では瞬きを奪うだけしか出来なかったか」

 

「ぬかせ。真似事で済ませられる程、俺の業は安くないぞ」

 

「ならば余計に奪いたくなったわ!」

 

 老剣客の必殺を掻い潜りながら青年は吼える。咆哮に乗せた斬撃を叩きつけて、その威力に唸る老剣客へと殺意の滲み出た笑みを向けた。

 やはり、青年が老剣客に押される形は変わらない。それでも、徐々に、だが確実に青年の動きは研磨される刃の如く鋭利に、鋭敏に、無駄を排し、鋭さのみを練磨し続けていく。

 一瞬ごとに上がる技量。老剣客の半生を以て鍛え上げた武の頂を、青年の天賦が飲み下す。そのあまりにも馬鹿げた在り方に、普通の剣客ならば憤り、あるいは戦意を失うことだろう。だが相手は剣聖、無双と謳われた狂気の男は、むしろ己の喉元へと迫り続ける青年の在り方に喜悦の笑みを浮かべてみせた。

 

「俺を食らうか! 良いぞ! 俺を食らい、俺を超え、そして超えた貴様を俺が斬り捨てる!」

 

「ハッ、そう言い切るお主の啖呵、嫌いではないぞ剣聖。先程までの仙人面より面白い」

 

「皮一枚剥げば剣客などは所詮これよ。人斬りを楽しめる俺達の何処に無念無想があるものか!」

 

「それも……そうさなぁ!」

 

 剣舞が進む。

 速度が止まらない。

 今や、互角に届きえた互いの力量は既に人の域を超えている。だが、いよいよもって青年の武は、吸収した剣聖の武を元にさらなる発展を見せ始め、徐々にだが剣聖の動きが防戦へと傾いていた。

 戦いの終わりは近い。否、己が武を、業を奪われ始めた時点で、既に勝敗は決定していたのかもしれない。

 それでも、譲れないものがある。

 故に、ここからだと剣聖が嗤い、ここからこそだと青年も嗤った。

 

「剣聖ぃ!」

 

「来いよ餓鬼ぃ!」

 

 互いに嗤い、斬り殺し合う。

 防御を捨てた両者の刃は、幾つもの傷を互いに与え流血が迸る。だが、痛みすら忘我した二人の剣客――修羅の動きは衰えない。それどころか、一閃毎にさらに鋭さを増していた。

 世代も、駆け抜けた時代も異なる両者だが、必然と重なった刀の道が、こうして恐るべき死闘へと二人を誘い、恐るべき魔技の数々が両者の血肉を存分と滾らせる。

 音もなく飛んだ青年は、傍目からは身体を一切動かすことなく、まるでスライドするように袴で隠した独特の歩法で剣聖の懐へと飛び込んだ。

 身体が一切揺れることなく疾駆するという常人では理解できぬ動き。対峙する者は、たとえ達人であったとしても青年の動きに惑わされ、あらぬところを斬り裂き、そして返す刀で斬り伏せられてしまうだろう。

 これもまたこの戦いで剣聖より得た業を経て青年が手にした新たなる業。その動きを前にして、並の剣豪では眼で追うことすら至難となろう。

 だが相手は音に聞こえし一騎当千。凡百の達人を斬ってきた剣聖は騙せない。

 その手は青年を確かに捉え、天高く掲げた刀を迷い無く振りぬかれた。目に頼るではなく、周囲の空気、敵手の呼吸、戦場(いくさば)を満たす独特の気を見抜き、放たれた弾丸の弾道すら見切る第六感の如き知覚にて、相手を惑わす歩みを捉える。

 剣撃は苛烈。壮絶と襲い掛かる渾身の振り下ろしに対して、青年は既に行動を開始していた。

 

「ッ……ァ」

 

 浅く吐き出した一呼吸の間。脳天を焼く殺気を相手の全身の動きから辛うじて察したことで、間一髪のところで身体を逸らし、必殺を免れる。

 それでも完全に見切るに至らず、二の腕が切り裂かれた。

 ぐらり揺らぐ体躯。血を流しすぎた。

 だが己の内側に溜めた力を総動員して足を支えると、ふらつきよろめいたことすら反動にして、振り抜きの隙を晒す剣聖の両腕と胸部を同時に切り裂くべく真一文字に鉄の鋭利を翻す。

 咄嗟、腕を上げつつ身を引いた剣聖の胸部に浅き裂傷。やはり血を流しすぎたためか、あちらも同じくたたらを踏んで、距離を取る。

 互いに吐き出した力はほぼ互角。重ねた剣戟は、両者が両者共に、相手がこれまで戦い、下してきた敵手の中で極上であると教えてくれた。

 或いは、感謝なのだろうか。

 刀傷の痛みすら忘我して、青年は決闘の最中だというのに思考を飛ばす。

 だがそれは隙ではなかった。いや、剣聖も同じことを考えていた。

 感謝、なのだろう。

 出会わせてくれた奇跡。

 育んだ研鑽を吐き出す至福。

 この先を見れるという歓喜。

 いやしかし、どうなのか。

 

「さて……」

 

 青年は青く変色した唇を吊り上げて、下らぬが必要な思考を嘲笑った。

 

 決着は今まさに訪れようとしていた。

 

 互いに無数の刀傷を体に刻み込み、一段飛びで近づいてくる死の淵を自覚しながら、それでも握った刀を構え、眼前の敵手を斬り捨てることを切と願っていた。

 最早、残された力は少ない。技巧の限りを尽くして削りあった二人の腕は重く、足は大地に吸い付いたように動かず、見開いた眼も朦朧と翳っていた。

 だが、振れるのだ。

 手にした刀。

 この凶器に代弁させる狂気が胸にあるならば。

 人は容易と、修羅を成す。

 

「ッ!」

 

 直後、同時に駆け出した両者の影が重なる。閃光と走る刃が互いの体を深々と引き裂き、溢れ出た鮮血が時雨に抗うように天へと迸った。

 そして、一方が倒れ付す。剣聖は、肋を抜け臓腑を斬った青年の刀に破れ、青年は腹部を横一文字に裂かれながらも、特殊な呼吸法で内臓を上半身に持ち上げることで臓腑を裂かれるのを逃れ、辛うじて一命を取り留めた。

 勝敗を決めたのは、まさに紙一重。

 

「内臓上げ、か」

 

 倒れた剣聖は、死を迎えようとして年相応の老人のように弱弱しくなりながら呟く。

 

「……海を越えた土地にて、無手で刀を相手取る武術より習ったものだ」

 

「そうか……ククッ、俺と貴様の差はそこかの。強さのためなら、流派の垣根はおろか無手、武器使い、構わず取り入れる、貴様ゆえ……」

 

「だが、勝敗は紙一重であった」

 

 事実、痙攣するような呼吸法にて内臓を上半身に上げている青年だが、大きく切り裂かれた今の腹部のままでは、呼吸を乱した直後に、持ち上げていた臓腑がそこより溢れ出て絶命することになるだろう。

 

「引き分け、そう呼ぶべき、決着だ」

 

 致命傷を負ったのは青年も同じだ。

 ただ、僅かに生きながらえる時間が老人よりも長いだけ。

 そう語る青年に、剣聖は申し訳なさそうな、だが得意げな笑みを浮かべた。

 雫が降り注ぐ。決闘の時より空を覆っていた暗雲は、戦いの執着を知らせるように雨粒を二人の剣客へ降らせていた。

 

「名を、聞かせてくれ」

 

 斬られた体より流れる鮮血が雨に流されていく。残された幾ばくかの時間、剣聖は己を下した青年へと静かに問いかける。

 

「我流、宗司。お主と違い、名も知れぬ剣客よ」

 

 青年、宗司もまた己の死を予感しながらも、剣聖の最期の願いに一度瞼を綴じて呼気を整え、静かに答えた。

 名も無き剣客。日の本に敵なしと賞賛された剣聖を斬り捨てながら、未だ誰も知らない孤高の天才。

 宗司と名乗った青年に、剣聖は小さく頷いた。

 

「そう、か……宗司か。てっきり、貴様こそ奴であると思ったのだがな……」

 

 剣聖と呼ばれた己を斬るのは、あの男だけだと思っていた。

 日の本に剣士の鏡として名が知れた己と対照的に、知られてはならぬと蓋をされた悪鬼羅刹。いずれ、雌雄を決すると考えていたが、所詮、それこそ自惚れでしかなかったのだろう。

 そうでなければ、この誰も名を知らない剣客に後れをとることなど無かったはずなのだから。

 

「……安心しろ。お主が挑もうとした相手こそ、俺がいずれ斬る相手だ」

 

 自身も致命傷を受けているにも関わらず、剣聖の言葉を未練と感じて答えただろう宗司に、剣聖は血を吐きながら笑った。

 

「誰かも知らずに安請け合いとはな。存外、義理深いのか? だがそうだとしたらやめておけ、俺がいずれ斬り結ぼうとした相手は――」

 

「知っているよ。あの斬撃のことは、きっとお主よりもな」

 

 宗司の答えに剣聖は僅か驚愕を見せた。今のは決して適当な返事ではない。それは、たった一言、斬撃と答えた宗司の言葉が何よりも雄弁に語っていた。

 斬撃。言ってしまえばたったそれだけの言葉に込められた全て、そこに込められた恐ろしさこそ――。

 

「……なら、託す。アレを斬り、その先を行けよ」

 

 それはもう不可能だとは、言わなかった。

 互いに致命傷。ただ、少しだけ宗司が生きながらえるだけの話。

 だがそれでも剣聖は託した。

 この男なら、アレすらも超えられると信じて、託すことを躊躇わなかった。

 最早、それ以上は必要ない。その言葉を最期に、剣聖と呼ばれた男は静かにその生涯を終えるのであった。

 

「無論、そのために俺はお主を踏み越えたのだからな」

 

 宗司は骸へと語りかける。

 答えは無い。

 だが、それでよかった。

 

「全く、斬り殺されておきながら、安らかなものよ。流石は剣聖、死に際も見事なり」

 

 そして、僅かに黙祷を捧げたのも束の間、ここにはもう用が無いと踵を返して歩き出す。

 

「こんな美しい時雨だ。ご老体には優しく染みこむだろう……全く、羨ましいくらいに良き笑顔で逝きおって」

 

 だから眠れと最後に語り、宗司は斬られた腹部を押さえつつ、刀を杖に立ち上がった。

 俺もまた、この時雨のように儚く散るのだろうか。

 奪われ続ける体温、呼気は次第に維持するのも難しくなり、霞んだ眼は一歩先すら見通せぬ。

 緩やかに至る死地。人里から離れたここでは誰かの助けを呼ぶことも叶わず、このままでは青年は確実に死に絶えるだろう。

 だが歩く足を止めることは出来なかった。

 一歩。

 いつも、この一歩だったから。

 刀に生きた人生。刀に投じた魂。骸の数だけ極めた剣閃。そのためにいつも踏み出した一歩を、最後まで止めるわけにはいかない。

 だが、やはり動かぬ。

 一歩も定まらず、呼気は乱れ、腹部を押さえた腕に暖かな臓腑の重さが圧し掛かる。

 死ぬのか。

 生きて、死ぬ。

 当然と呼べる帰結を前に、後悔はあるか。

 

 否、そんなもの、あるわけない。

 

「だが、お主を食らっただけでは俺は止まらん」

 

 後悔はない。

 する必要はきっとない。何せ今この身は動き、未だに刀を振るうことが出来るのだから。

 死の間際にありながら、宗司の歩みに迷いはない。

 この程度では終われない。

 いや、終わるためにも、終われない。

 終わりの向こうにこそ、宗司の求める境地があるが故。

 

「だから俺は嗤うのだ。この様でも嗤えるのだよ、剣聖」

 

 意識が途切れる間際まで、浮かぶ笑みは崩さずに。

 そしてその死の間際、淡く光る燐光に己の身体が抱かれるのを宗司は確かに見たのだった。

 

 

 

 

 その日、生身で千騎を両断したと言われる伝説の剣聖は散った。

 しかし後世の歴史では、彼が誰に殺されたのかは記されていない。その事実は彼が抱えていた幾人もの弟子と共に、歴史上から消え去ってしまった。

 千を超える無数の敵によって殺されたのか。

 あるいは毒を盛られ、奇襲を受けて殺されたのか。

 事実はわからぬ。歴史に空いた、不可思議な穴。

 唯一の証拠である骸となった剣聖の側には何もなく、ただその体を斬り裂いた幾つもの刀傷だけが、その壮絶なる戦いを物語っていた。

 

 

 

 

 

 違和感を覚えた身体は、咄嗟に意識を手放すことを止めた。

 

「な、なんだ貴様はぁ!」

 

 動揺を露にする声に宗司は閉じていた瞼を開き、前を向く。

 そこは時雨の降理注ぐ、決闘に適した開けた場所ではなく、太陽の光が眩しい森の中だ。だがそこまで状況を理解出来る余力もない宗司は、ただ前に立つ男だけを見た。片手に両刃の剣を持った、見慣れぬ鎧──皮で作られた軽装の鎧を装着した、見るからに不衛生で小汚い顔の下品そうな大柄の男だ。

 男の背後には、似たような装備をした、これまた汚らしい男達が数人立っている。おそらく、リーダー格は先頭に立つ男なのだろう。背後の男達を従えたその風貌は、まさに悪党の親玉とでも言うべき風格がある。

 だが宗司の今の眼では、ぼんやりとその全体像を眺めることしか出来ない。何せ全身は傷つき、呼吸法すらままならなくなった腹部の傷口には、左手で押さえているものの、今にも臓物があふれ出しそうになっているのだから。

 辛うじて右手の刀を杖にして身体を支えているが、素人が見ても宗司の命が今にも尽きそうなのは目に見えた。

 

「あ、あぁ……」

 

 宗司の背後、真っ赤な血潮を流すその背中を見つめ声を失っているのは、煌びやかな装飾の施された、白塗りの鞘に収まった立派な剣を両腕に抱きかかえている美しい少女だ。

 その体は恐怖し、疲弊している。柔らかい黄金とでも言うべき金色の髪と白い肌、そして身に纏ったシルクのドレスは土と返り血で汚れ、宝石のように輝く青い瞳には恐怖の色が滲んでいた。

 震える唇は、助けを求めるように開閉していたが、既に声を出す気力すら失われているようであった。

 そんな彼女は今、地べたに尻をつけて青年を見ていた。その瞳には、恐怖とは別の困惑と畏怖が入り混じった感情が渦巻いている。

 どうしてこうなったというのか。

 その疑問に対する答えを出す時間は無く、宗司の前に立つ男が、ニタリと下卑な笑みを浮かべて、背後で震えている少女を見た。

 

「ケッ、いきなり召喚陣なんかやりやがるから何事かと思ったが、まさか人間呼ぶどころか今にもくたばりそうな奴を呼ぶなんてよぉ……ま、ささやかな抵抗も終わったところで、これでかくれんぼはおしまいだ。こいつをぶっ殺したら、屋敷に居る女共と一緒にたっぷり可愛がってやるからな」

 

 舌なめずりの音と、情欲で濁った眼差しが幾つも少女に向けられる。

 下衆な視線から浴びせられる生ぬるい舌で全身をまさぐられたような不快感に、少女がいっそう剣を抱きしめる力を強くすると──そんな男達の視線から守るように(単純によろめいただけだが)宗司が男の前に立ちはだかった。

 折角のいい気分を台無しにされた男が表情を歪ませて怒気を強める。突けば倒れそうな男に己の欲望を遮られた怒りは強く、握った片手剣を鋭く横に振るって宗司を威嚇した。

 

「黙ってりゃそのままくたばらせてやったってのによぉ! 最後にいいところ見せてくたばりたいってか!? 面白ぇ! だったら直接お前をぶっ殺してやるぜ!」

 

「ケケケッ、だったら俺にやらせてくださいよ兄貴。屋敷に押し入ってから誰も斬ってなくて不満だったんでさぁ」

 

「よし……やっちまえ!」

 

「シャーッ!」

 

 直後、背後に控えていた男の一人が、身体を駆け抜ける激情の赴くままに宗司目掛けて斬りかかってきた。

 こそ泥らしく、それなりに鍛えられているが不細工に作られた肉体。同じく未熟で乱雑な踏み込み。どれをとっても宗司が先程まで対峙していた恐るべき剣聖に及ぶところなど何一つないというのに──何故か、その動きは異常なまでに速かった。

 その身体を包むのは淡い魔力の光。

 宗司が居た世界では存在しなかった異能の術理。魔力という人体から生み出される未知のエネルギーを用いて編み出される魔術と呼ばれる神秘の恩恵。

 その一つである強化の魔術によって常人を遥かに凌ぐ能力を得た男の速さは、野生の獣すら凌駕するほどにまでなっている。

 対する宗司は死に体。かつ、魔術など見たことも聞いたこともないという身。事前の知識もなく、万全には遥か遠い体調では男に勝る要素など何一つ存在するはずが──否、存在する。

 

「……」

 

 宗司は一陣の風となって迫り来る男を捉えた。いや、最早意識があるかも定かではないため、見ているかもわからない。

 だが、体はいつの間にか動いた。

 敵手が居る。

 願った敵手。

 今わの際で、今一度と望んだ敵手が居る。

 

 ならば、動けぬ道理など──ない。

 

「死ねぇぇぇぇぇぇ!」

 

 型も何も無い。下衆な見た目に相応しい力任せの荒々しい振り下ろしが迫る。だが恐ろしきは魔の成す術か。宗司が知る中でも速い部類に入る速度で放たれた閃光の斬撃は、まるで幻を斬ったかのように、手ごたえもなく瀕死の体をすり抜けた。

 

「あ?」

 

 確実に斬り裂いたはずが、手ごたえが何一つない。

 唖然として勢いあまり全身のバランスを崩してつんのめった男は、その疑問を浮かべた表情のまま。

 

 首を落とされ、絶命した。

 

「はっ?」

 

 斬ったと思ったら、首が落ちていた。

 目の前の光景を見ていた全ての人間が、異常極まる出来事に言葉を失う。

 この場の誰に分かろうか。宗司が今行った一連の動作。迫る斬撃をそれと分からぬくらい微妙に体をずらすことで、まるで相手に斬ったと錯覚させるくらいぎりぎりで回避を行い。支えとしていた刀を、強化された反射神経ですら捉えることの出来ない神速で振るい、その首を一瞬で斬り落としたのだということを。

 天に掲げた刀が太陽の光を反射する。

 そこでようやく、男達は青年がその手の刃で仲間を殺したのだと理解した。

 理解は、同時に恐怖となって男達を支配する。

 あぁ、眼前の死にかけの男が発する黒い眼光の、何たる嬉々たるか。

 斬ったのだぞと。

 極まった剣戟を今一度振るえたのだぞと。

 まるで幼き童のような無邪気な瞳で語りかける、狂気のありさま。

 死に体などと、誰が一笑できる。

 

 血に塗れた漆黒の着物を羽織ったその姿は、黒いマントを羽織った髑髏の死神ではないか。

 

「ひ、ぃ……」

 

 異常に対してリーダー格の男以外の連中が首を絞められたような悲鳴をあげた。

 だが逃げるどころか、一歩引くことすら出来ない。天を衝くその牙が、動いたと同時にそれを斬ると誇っているかのようにすら見えて。

 一瞬の均衡状態。

 その僅かな静寂も、瀕死の青年が踏み出した一歩によって瓦解した。

 

「う、うわぁぁぁぁぁ!」

 

「死ねよぉぉぉぉぉ!」

 

「ひぃ! ひぃぃぃぃ!」

 

 恐怖によって思考が麻痺した男達が、最初に突撃した男と同じように強化魔術で体を強化した状態で宗司に突貫した。

 連携などまるでばらばら。唯一褒められるのは、死地に来て極まった彼らの強化が恐るべき精度で全身を強化し、過去最大級の速度と力を生み出したことか。

 一歩で数メートルはあった距離を埋めるほどの速度。動きは出鱈目とはいえ、三方向から迫る男達へ、宗司は定まっていない瞳を軽く周囲に一瞥して、前方の男へと一歩踏み出した。

 それだけで、連携などとれていない男達の動きは混乱する。左右の男は絶妙のタイミングで宗司が踏み出したせいで、正面を担当した男が壁となり刃を振るえない。

 一瞬の躊躇、だが前方からの斬撃は止められず、いや、止める必要などなく。

 トンと喉に突き刺した鋼鉄が、ずるりと喉を突き破り。

 そのまま縦に振りぬかれた刃は、真ん中から男の顔面を断ち割った。

 

「……」

 

 左右に分かれた男の頭の中身が熱血と共に漏れ出る刹那。続いて左側に踏み出した宗司は、未だ混乱したままの男の腹部を閃光と化した切っ先を突き立てた。

 強化された肉体と皮鎧による耐久力は、石を砕く魔獣の牙に挟まれても耐え切れるほどの堅牢さを誇るが、宗司の刃の前では何もかもが無力。

 今度は趣向を変えてとばかりに、腹部から一気に股まで割られた男は、その情欲の固まりたる股間の一物もろとも腹部から内臓のあらゆるを垂れ流して膝をついた。

 この間、僅か一秒もない。目を騙す歩法、目で捉えきれぬ斬撃。この二つが合わさって行われた魔技の一連をなした剣客の鋭い瞳が、硬直していた三人目の男へと向けられた。

 

「ひ、ぎゃ──」

 

 最早、悲鳴をあげる暇すらも与えぬ。

 見えているはずなのにどう動いたのかまるで分からぬ踏み込みで刃の圏内に捕捉された男は、即座に放たれた雷光の突きにより額を抉られ、直後、まるで火薬を使ったかのように男の後頭部が爆ぜ、髪の毛と骨と脳漿と血液の混ざった血肉の固まりがぶちまけられた。

 一瞬で作られた臓物の大地、血潮の雨。その中心に立つのは、腹部を裂かれ自身のモツが流れるのを左手でせき止めた瀕死の青年だというのは何の冗談だというのか。

 訳が分からん。

 だが、こいつを殺さなければ、俺がやられる。

 状況の全てが分からないが、己の成すべきことだけは冷静なくらい理解した。

 いや、逃げ出せばすむ話だというのに戦闘を選んだことから、既に男は冷静ではないのだろう。混乱が一周して冷静になった風に見えるだけだ。

 対峙する宗司には、力など残されていない。ここまで動けただけで奇跡。本来なら指一つ動かせぬ重傷ながら、ここまで歩めたのは執念のなせる業か。

 耳垢ほども残されていない意識の中、青年は唯一確かな手の感触を思う。

 突撃してくる男は目に映らなかった。

 どんなに速く、どんなに力があり、どんなに強くても──。

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 己を鼓舞しながら、男はこれまでの最高最大で行った強化の魔術を、さらに二重に掛け合わせることで、強化された者ですら視認できないほどの速度を生み出した。

 消える。としか言いようのない踏み込み。零秒で埋められる距離。そして反応される前に振り上げられ、落ちてくる鋼の殺意。

 宗司の常識とは違うこの世界でも目を見張るほどの速さと威力。

 完璧。

 これ以上ない一撃。

 

「つまらん」

 

 それを宗司は一笑した。視界は見えず、意識は殆どなく、そんな状態でも察知した第六感は、男の最強など放たれる前から何処に打ち込まれるかわかっていた。

 故に、足らぬ。

 故に、及ばない。

 これではまるで、俺の修羅には響かない。

 臓腑を押さえていた腕は、いつの間にか右手の柄に添えられていた。

 露出した腸が噴出すこの間際。抑えても無駄と知ったならば、最後に一つ、己が至った一撃にて。

 

「天よ──」

 

 凛と歌うは、誰の奏でた音色だろう。

 

「刹那の桃源に……感謝する」

 

 吐き出された臓物が、敵手の鮮血で温かく染め上げられる。

 死ぬ間際まで、斬ることが出来た至福。

 この幸福に感謝しながら、今度こそ青年はその意識を手放して、望んだ修羅場たる血肉の大地に仰向けに倒れるのであった。

 

 残ったのは臓腑と死体。空気を汚染する血の香り。

 残されたのは、血濡れの少女と死に掛けの青年。

 

 

 

 

 そんな、ボーイミーツガール。

 

 

 

 

 




次回、臓腑の海でヒロインお漏らし
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。