臓物ぶちまけて死にかけの侍を勇者として召喚してしまった件について   作:トロ

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第十九話『血濡れの騎士に、気を付けろ』

 

 ――血濡れの騎士に気を付けろ。

 ――見ればたちまち命を吸われ、終わらぬ苦しみ味わうぞ。

 ――血濡れの騎士を見つけるな。

 ――見ればたちまち血を吸われ、黒い鎧の染みになる。

 ――血濡れの騎士に気を付けろ。

 ――暗い夜闇を斬り裂いて。

 ――無くした中身を追い求め。

 ――伽藍の体を満たそうと、良いも悪いも関係なしに、今宵も誰かの血を啜る。

 ――血濡れの騎士に見つかるな。

 

 死にたくなければ、見つかるな。

 

 

 

 時は未だに甲冑を着た騎士が戦場で活躍をしていた頃まで遡る。その当時、西欧のある一帯の国々では、とある化け物によって上も下も関係なく、誰もが震える夜を過ごしていた。

 その話が世俗や貴族社会に広まったのは数年程前、国家間での小競り合いから派生した大国同士の平原での激突の時だった。

 血で染まった全身鎧を纏った二槍を操る謎の騎士。騎士と言うには馬にも乗っておらず、只見た目だけは騎士然としていたそれは、敵味方入り乱れる戦場で、敵味方関係なく前線で暴れまわり――結果、二つの大国は保有する兵力を大幅に失うことになる。

 まるで触れる者全てを飲み込む暗闇のようなそれは、激突の後半、それの存在に感づいた二か国の兵士が異例の共闘を行ったにもかかわらず、鎧に触れることなく散っていったという。

 一騎当千を越え、一騎当国とでも言うべき活躍をしながら、両国に被害をもたらしたことで、怪物と呼ばれるようになった謎の騎士。

 以降もあらゆる戦場に現れては、その全てで敵味方の区別なく、戦場に在る命を虚無の闇へと飲み込んでいった。

 初めは只の噂だったのが、戦場に現れる怪物の姿を目撃する者が次々に増えていくにつれ、話は尾ひれも背びれもついて、今では戦場で死んだ亡霊が騎士の形をして現れたなどと言われる始末。

 だがそれは決して間違いというわけではないことを彼らは知らない。

 しかし騎士の正体などどうでもいいのだ。

 鮮血で濡れた騎士。森に潜む名前の無い怪物。

 必要な事実は、この騎士がたった一人で大国を相手出来る恐るべき手練れであるということのみ。結果、騎士を打倒するために結託した両大国とその他周辺国家は、騎士の潜むとされる森に選りすぐりの精鋭を投入することになった。

 

「血濡れの騎士……! 貴様は……!」

 

 その結果は、紅蓮に染まる森で無数と骸を晒す兵士の数々を見れば言わずともわかるだろう。怪物を葬るために集められた軍勢、千。いずれも各国では一騎当千と呼ばれた強者達も、今や生き残りは傷つき疲弊した数十人を残すだけとなっていた。

 先頭に立つのは代表として選ばれた大国の騎士。今回の軍勢の中でも特に秀でた実力を誇る彼も、今は肘より先が失われた左腕の傷口を庇いながら、崖の上に立つ漆黒の騎士を睨むばかりだった。

 森の切れ目である崖の下は、底すら見えない渓谷となっている。多数の犠牲を払いながら、彼らはようやく、森に潜む騎士をここまで追い詰めた。

 そのために、どれほどの犠牲が生まれただろうか。

 敵もまた極限の状況に立たされていた。

 血濡れの騎士と呼ばれたそれの体には、幾つもの矢や槍が突き立っている。疲労も限界を越えようとしているのか、荒々しく上下する肩は、目に見えて限界が近いことを知らせていた。

 だが、そこまで追い詰めるのに、千の騎士は数十にまで減らされた。

 たかが一体の怪物に、選りすぐりの騎士達は全滅寸前まで追い詰められてしまった。

 この様で、何が精鋭と誇れよう。

 眼前の怪物に比べたら、一騎当千もそこらの兵士も、等しく意味の無い雑魚に過ぎないというのだろうか。

 

「……無意味」

 

 騎士はそんな彼らの努力を嘲るようにそう言い放った。追い詰められている事実を知りながら、それでも尚、未だ戦う余裕のある血濡れの騎士に、誰もが返す言葉を持っていない。

 事実として、絶望的な差が両者にはあり、人間を超越した力を持つ怪物は、さながら神話に語られる怪異そのものと誰かが呟いたものだ。

 勝てるわけがない。

 倒せるわけがない。

 自分達は、怪物を葬る英雄にはなれないのだ。

 

「だからとて……! 散った命に報いるために、引くわけにはいかんのだ!」

 

 失った左腕の傷口を布で縛った男は、腰の鞘より王より賜った剣を引き抜いた。絶望にありながら、決して怯むことは無い。天高く掲げる剣こそ、その証明。炎に照り返す刀身は、その背後で疲労と痛みで呻く精鋭騎士達を導く光となった。

 そう、諦めるわけにはいかない。

 ここで諦めたら、何のためにここまで戦ってきたのだろう。

 諦めたらそれこそ怪物が言うように、本当に無意味になってしまうではないか。

 

「そうだ!」

 

「我ら、貴様を葬るために、この命を散らすと決めた身なれば!」

 

「臆することなく前を向く! 怪物とて、我らの覚悟を無意味と呼ばせはせんぞ!」

 

 次々にあがる騎士達の咆哮を背に受けて、男は掲げた切っ先を崖に立つ災厄へと向けた。

 

「最早、後顧の憂いなし! いざ行かん! 進軍せよ!」

 

 男の号令を受けて、傷だらけの騎士達が最後の特攻を仕掛ける。策などはない。彼らを突き動かすのは、前へ前へとこの身を押し出す灼熱の思いだけ。

 その熱を束ねて、虚無の具現となりし怪物を埋め尽くすしか、道は無い。

 

「……熱い」

 

 血濡れの騎士は、熱波となって襲い掛かる彼らを感じて、か細い声で呟いた。

 刹那、雄々しく叫んで飛びかかって来た男の一人が、血濡れの騎士が放つ神速の刺突を真正面から受けて絶命した。

 貫通ではない。胸に刺さった槍は、纏っていた鎧を容易く貫いて、捩じりながら突き抜けた切っ先の周囲の肉と鎧がはじけ飛ぶ程。結果、胸部に巨大な風穴が空くという常識外れの魔技は、体中に槍と矢を受け、疲労困憊にある人間が放てるものとは思えない。

 やはり、怪物。

 人間では届かない領域にそいつは立っている。

 

「怯むなぁぁぁぁ!」

 

 最初に号令を発した男も、周囲の騎士の波に加わって血濡れの騎士へその刃を放った。それに呼応して、幾人もの兵士が手に持った槍や剣を血濡れの騎士目掛けて振り、突き、薙ぐ。

 そのまま押し潰さんと迫る人の壁、剣と槍の剣山。さらに怪我はしているがそのどれもが一騎当千を誇った者の太刀、幾ら鋼鉄を纏おうとも、それごと断ち切る鋭さと、血濡れの騎士には劣るものの、常人では反応すら出来ない速度で迫る。

 

「……」

 

 だが、その全てが血濡れの騎士には届かない。

 二槍を巧みに操って、血濡れの騎士は全ての攻撃をいなし、崩し、弾き、あるいは躱す。

 

「……ッ!」

 

 だが騎士達もそれはここまでの戦いで重々承知。怒涛と走らせた初手が受けきられるのと同時、いつの間にか血濡れの騎士の左右に回り込んでいた者が、視界外から槍を突き出した。

 ただでさえフルフェイスの仮面を装着しているため視界が悪い騎士にとって、音も無く放たれたこの一撃は知覚すら叶わない。

 さらには、決死の覚悟と、卑怯と知りながらあえてそれをした彼らの決意。壮絶を極めた意志を込められた矛先は、練り上げられた技量と相まって、空気の壁すら貫く究極へ到達する。

 ――これで、終わりだ!

 回避も迎撃も、そも、突きさされるその刹那まで知覚させるつもりはない。

 

「……まだ、熱い」

 

 だが血濡れの騎士は、視線すら送ることなく左右から迫ってきた槍を、放たれる前から分かっていたかのように、事前に体を逸らすことで躱してみせた。

 

「なっ……」

 

「……無念ッ」

 

 己の全てを捧げた技を、赤子のそれと同じように抜けられた騎士は、驚愕と苦渋の表情を浮かべながら、返す槍にてその脳天を破砕されて絶命する。

 

「これが……!」

 

 まただ。

 また、本来なら避けられない一撃を抜けられた。

 戦いが始まった当初は、その物量にて回避できない隙間を作ることで何とか攻撃を加えていたが、数が減ってきてからは、あらゆる方向からの攻撃も、僅かな隙間さえあれば血濡れの騎士は回避していた。

 

 まるで、背中に目があるかのように。

 

 そんな思考をリーダーの男がしている間にも、最後の特攻に全てを賭け騎士達が次々と散っていく。

 この怪物と戦い、この最後まで生き残ってきた彼らは、精鋭の中でも選りすぐり。誰もがその名を知る偉大な男達だというのに。

 勝てると思っていた。

 今も勝てると信じている。

 だがこれは何だと言うのだ。

 男も憧れた偉大なる英雄達が、雑兵の如く死んでいる。

 この光景は何なのだ。

 まさに、血濡れの騎士が漲らせる虚無に引きずられるように、誰もかれもが無意味と断じられ死していく。

 

「ぐ……う、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 消えていく憧れを見ることに耐え兼ね、男は、男も含めた誰もが吼え滾った。

 怪物め!

 森に潜む血濡れの騎士め!

 戦場(いくさば)の戒律も知らず。

 騎士装束をまといながら、騎士の在り方すらも知らず。

 一切合財を食い散らかし、血を吸うばかりの怪物が!

 

「貴様を! 認められるものかぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 それは、あらゆる感情を燃やした男の執念だったのかもしれない。

 あるいは、怪物と言えど、疲労によって隙が出来ていたからかもしれない。

 だがいずれにせよ、激情を焦がし、散っていく仲間の流す真紅を踏みしめ、喉元より飛び出す全てを乗せた男の刃は、血濡れの騎士に体を貫かれながらもその腹に突き刺さる。

 そして、体ごと飛びかかった男に続くように、残った騎士の全てが血濡れの騎士へと群がった。

 その様は英雄には程遠く、腹を空かせた乞食が道端の生ごみに群がるような醜悪なる光景。

 誰もかれもが死んでいく。

 誰もかれもが消えていく。

 謳われる通り、血濡れの騎士を見つけた者は、有象無象も関係なく、ただ骸を晒すだけ。

 だがそれでも、彼らは届いた。

 一つの肉の塊となった男達の勢いに押され、血濡れの騎士は崖を踏み外して奈落へと落ちていく。

 この高さならば、たとえ怪物と言えど死ぬしか道は無いだろう。

 

「……ようやく、熱いのが消えた」

 

 だが、己の死を前にしてすら、血濡れの騎士は己の周囲で滾っていた熱を散らせたことへの喜びすら感じていなかった。

 

 

 

 

 そして、彼らの身を挺した特攻は結実した。

 だがその最後を見届ける者は何処にもいない。

 残されたのは紅蓮に彩られた森と、その一帯に散らばった騎士達の醜悪な死骸のみ。

 誰もそこには存在しない。

 どこにも何も、居やしない。

 まさに、血濡れの騎士が謳われる通り、周辺国家より集められた選りすぐりの騎士達は、怪物を谷底へ落とす代償に、その命を全て無意味に散らしたのであった。

 そう、無意味だったのだ。

 男達の決意も、死を賭した特攻も、全てが全て無価値で無意味。いたずらにその命を散らせただけの、不毛な行いに他ならない。

 

 何故ならば――。

 

 

 

 

「……素晴らしい」

 

 世界に満ちる光がそこにあるというのに、感じたのは空間ごと削り取られたような虚無。

 その空間だけぽっかりと穴が空いたかのような違和感をそのまま引き連れて、光の中からそれはゆっくりと現れた。

 

「……光」

 

 その手に持つのは、長大な鉄――身長程の槍が、左右それぞれ一本握られている。

 そして右手の槍の先端には、恍惚とした笑みを浮かべる、首だけになった族長がぶら下がっていた。

 

「光は、要らない……」

 

 鋼鉄に遮られた声はくぐもっていて男か女かも分からない。

 クロナと同じく、全身鎧を纏ったそれは、見ただけならば騎士と言えばいいのだろうか。だが高潔なイメージがある騎士と、眼前のそれのイメージは真逆のものであった。

 虚無を纏ったその姿。

 槍と矢を受けて流れる血潮と、それ以上に体に浴びた、あらゆる命の鮮血で黒く染まった鎧の騎士。

 

「そこの、光も……」

 

 消して見せよう。

 見ただけならば、まるで傷の影響など見て取れない騎士だったが、それでも腹部に刺さった剣はその命に届いたのか。目の前のナイルに槍を突き出そうとしたところで、仰向けに倒れてそのまま動かなくなった。

 

「どうやら、私と同じみたいですね」

 

 ナイルは、騎士の壮絶な戦いの跡を見て、己もここに転移される直前のことを思い出して邪悪に微笑む。

 

「やはり素晴らしい! 混沌の代行者である故、その直前までもまた混沌を振りまいていたということですね! ふはははは! まさにソォジさんの最終試練に相応しい! 相応しい逸材に違いありません!」

 

 一通り高笑いしたところで、ナイルは己の胸部に右手を乗せてそこから聖槍ジムを召喚して、今にも死にそうな騎士に矛先を突きつけた。

 

「故に、戦え。混沌を担うために、いつまでも何処までも戦い続けていくのです!」

 

 ジムより与えられる無限の魔力がナイルの体より溢れだす。その魔力を己の体を操るように巧みに束ねたナイルは、その全てを騎士に向けて放出した。

 

「『大いなる慈愛の歌声よ、罪深き我らの業を払いたまえ』」

 

 瀕死の人間ですら瞬時に回復させる最高位の回復魔術が発動する。蛍の放つ輝きのように小さな光の粒が騎士の体に入り込むと、その全身が全て光に包まれた。

 その光より、突き刺さっていた槍や矢が吐き出されるように騎士の体より落ちていく。さらに、穴だらけの鎧すらも癒しの光は修復した。

 だが、最高位の回復魔術ですら、その鎧が吸ってきた数千を超える人々の生血で彩られた漆黒は消すことは出来ない。光が消えた後、むせ返る程の血の香りだけがそこに残っているのを感じて、ナイルは感極まったように体を震わせた。

 

「あぁ、美しい……貴女がこれまで築き上げた骸の数と、それにより生まれる怒号と悲哀、そして立ち上がる者達が掲げる穢れなき正義! そして、その正義すら飲み干す貴女の姿が目に浮かぶ!」

 

 その全てを思い描いて至福に酔ったナイルだったが、気絶していた騎士の指先が動いたのを見て、妄想を止めて優雅に一礼を一つ。

 

「では、後はめくるめく。ソォジさんと至福の時に酔いしれてくださいな」

 

 ナイルはそう言って、音も無く森の中へと消えていった。

 後に残されたのは、ゆっくりと体を起こした騎士と、その手に握られた槍に貫かれた族長の首と、泣き別れた胴体だけ。

 

「……」

 

 騎士はナイルが消えた方向に顔を向けたが、それを追おうとはしなかった。鋼鉄で見えないが、ナイルに興味すらなかったのだろうか。

 いや、あるいは逃げたところで――。

 

「あっちに、沢山」

 

 騎士は遠くより感じる気配へ体を向けると、ゆっくりと立ち上がった。そこで、思い出したかのように右手の槍に突き立った族長と、もろとも貫かれた聖骸布を軽く薙いで放り捨てる。

 吹き飛んだ首には興味は無いのか。そのまま歩き去ろうとした騎士は、ふとそこで立ち止まり、穴の空いた聖骸布を左手の槍を地べたに突き刺して拾い上げた。

 

「暖かいのは、要らない」

 

 槍に付着した血を拭い去って綺麗にすると、今度こそ騎士はその場を後にする。血をぬぐわれて捨てられた聖骸布は、風になびいて森の奥へと消え去っていった。

 

「全部、要らない」

 

 それしか知らないと、全てを意味無しと断ずる虚無を纏った騎士が行く。その先に待つ混沌とした戦場すらも、手にした二槍で虚無へと帰すべく、翻した矛先は月の光すら斬り裂くのだった。

 

 

 

 

 

 




次回、しゅらば、まう

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