臓物ぶちまけて死にかけの侍を勇者として召喚してしまった件について   作:トロ

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第二十話『騎士を、斬る』

 

 

 

 月光の下、静けさに飲まれた夜の闇。先程まで響き渡っていた闘争の喧騒はいつの間にか失われていた。

 それどころか、鬱蒼としていただけの森林は、今や美しい緑を覆い尽くす臓物の肉林へと変貌している。

 メイルと離れて、足の赴くまま森を駆け抜けた宗司が斬り伏せた骸の数、数百。王国との盟約より数百年以上、大樹海をあらゆる存在から、それこそ人間では抗いようのない存在である魔族からすら死守していた最強の戦闘民族の群れを、傷一つなく斬って捨てた。

 辺りにぶちまけられているのは彼らの死骸だ。屈強な戦士達は誰もが一刀の元に無残と斬り捨てられている。月明かりと星明り。今宵の雲一つなき空の下、木々より微かに漏れる輝きを、散乱する臓腑の数々は、不気味に照り返していた。

 未だ熱のある臓器からあがる蒸気は命の訴える最後の残滓か。修羅の描く酒池肉林。この世界に呼び出されてすぐに作り上げたのよりも遥か凄惨な光景は、宗司が思い描く珠玉の極地のはずだった。

 だが既に宗司の思考は強者とのめくるめく死闘への歓喜から冷めている。いや、正確には冷まさせられたとでも言うべきか。

 

「近い……」

 

 宗司の眼が見据える先は、肉を纏った草木の向こう側。この場に立ち込める濃厚な死の香りを全てかき消す程の恐ろしい気配のため。

 いや、それは最早気配ではない。というよりも、気配がないからこそ気配を感じ取れたという奇妙な感覚であった。

 言うなればそれは無だった。

 何もかも飲み込む虚無が、周囲の命をかき消しながら迫ってくるような奇妙な感覚。

 死も。

 生も。

 あらゆる全てが無価値と断ずるようなそれは、何も感じ取れないことで周囲に生まれた奇妙な空間をそのまま引き連れて、宗司の目の前に現れた。

 

「……」

 

 先程まで感じていた虚無感とは対照的に、現れたそれは宗司に巨大な城のような印象を与えた。否、頭からつま先まで纏った乾いた血で塗装された漆黒の全身鎧は、まさに城であり、これまで吸ってきた命がどれほどなのかをまざまざと語っている。

 両手には宗司の背丈ほどもある戦傷が無数と残った槍が一つずつ握られていた。その切っ先には今まさに吸ってきたのだろう。真新しい血の赤が薄らと残っている。

 間違いなく、殺人者。

 宗司は知らぬが、国を裏切りし黒騎士という名がその殺人者には似合っている。

 前に立つだけでも総毛立ち、一目散に逃げ出したくなるような騎士は、その虚無の全てを眼前の宗司へと向けていた。

 だというのに、宗司は朗らかな笑顔を浮かべて虚無と相対する。

 

「月光、月下、星の下に強者が立つ赤色の大地。良い夜だ。お主もそう思わぬか?」

 

「……」

 

「返事は無し、か……」

 

 それは残念だ。

 そう呟こうとした刹那、宗司の耳元を風が吹き抜けた。

 返答代わりに放たれた神速の刺突。風切り音が後に聞こえる程の一撃を放ったのは、鈍重な鎧を身に纏った騎士のものだ。

 

「?」

 

 だからこそ、宗司の首を貫くはずの一撃が空を裂いたことに騎士は首を傾げた。

 その疑問に、宗司は笑みを一つ返すことで答えた。

 

「見誤ったな、阿呆」

 

 確かに恐ろしい刺突だったが、意の分かり切った一撃を躱すことなど容易い。

 宗司は顔の横の柄を刀の腹で勢いよく叩くと、その勢いのままに名も知らぬ騎士へと突撃した。

 柄を弾かれ懐に穴が空いている。狙いはその一点、地を這うようにしながら疾駆する宗司の影は、夜闇と相まって目視も難しいだろう。

 そして眼前の騎士の視線は宗司を見ていなかった。その意を察した宗司はそのまま懐へと飛び込んで――直感に動かされるがまま、上半身を強引に後方へと仰け反らせた。

 

「うぉ!?」

 

 顔の上を突風が駆け抜け、驚きの声が漏れる。振るわれたのは左手の槍。苦し紛れでもなく、完全にこちらの影を捉えていた薙ぎ払いに宗司は疑問を浮かべるも、即座に槍を掴む手を矛先に詰めて切っ先をこちら目掛けて振りかざした騎士の手練れに感嘆し、疑問は回避と共に払う。

 仰け反った状態から右手の刀を大地に突き立て、そこを支点に体を持ち上げつつ、刀の反対側へと飛ぶ。脱力を用いた高速の体捌き、ついでに左足を振り下ろされた槍の柄に叩き込み、騎士の切っ先を僅かに逸らした。

 着物を掠めて刺突が突き抜ける。そこまでしてようやく掻い潜った騎士一撃、その結果、宗司は着地の時己が背を向けている不利に苦笑した。

 

 ――あるいは、見誤ったのは俺の方か。

 

 一瞬の油断も許されない緊迫した超接近戦でそんな余分を考える。

 だが余分ではない。

 いや、余分か。

 雑念であり、しかし余分があるとは余地がある。

 余地があるならその分回せ。

 斬ることに腐心せよ。

 そう思う今こそ余分とみるべきか。

 ともかく動け。

 

 くるくる回る思考をそのまま刀に宿す。宗司は地面に突き刺した刀を引き抜き、反転しながら背後の騎士へと斬りかかる。

 それよりも一瞬早く放たれていた矛先と刀がぶつかり合い、衝撃に火花が散った。薄暗い月明かりの中、一瞬だけ明確に照らされる両者の視線が交差した。

 一方は笑みを。

 一方は乾いた血で塗装された鉄仮面で伺えず。

 だがともに握った鋼に殺意を乗せた修羅達。間髪入れずに弾き合った得物を構え直し、二つの影が僅かに指す月明かりの下で重なった。

 音が無数と重なっていく。

 それに合わせて最初は無数とあった火花も、徐々に両者の間に同時にいくつも飛び散った。

 加速している。

 宗司と騎士。互いに今出会ったばかりの二人は、今や同一の物体となったかのように重なり合い、絡み合うように剣戟を重ねていた。

 

 ――強い。

 

 どちらともなく、互いに同じことを瞬時に悟る。

 二槍の奇怪な槍術を扱う騎士は、その長大なリーチだけでなく、柄の握りを振るうたびに微妙に変えることで間合いを騙し、さらに懐に迫られようが容易に応じてみせている。

 刀一本の宗司は、慣れぬ二槍を巧みに受け流しながら、それでも独自の歩法による間合いの錯覚を駆使して槍を掻い潜り、幾度かその鎧に傷をつけていた。

 速さは鎧を纏わぬ分宗司が有利。そして得物の巧みも宗司に有利。

 その差は僅かに過ぎないが、いずれ決定的な差となって両者の間にある天秤を傾くはずだ。

 傾くはずである。

 しかし、これはどういうことなのだろうか。

 

「抜けぬか……!」

 

 未だ鎧を浅く斬るのみで、己の斬撃が一撃も届いていない事実に宗司は歯噛みする。

 そう、宗司が思っていたのとは違い、火花が百を遥か超えて二百を遠くに置いた時を経て尚、両者の天秤は拮抗していた。

 

 ――間違いない。

 

 その間に宗司はようやく騎士に感じていたものと、この斬り合いで浮かんだ新たな疑問の二つの答えに気付いた。

 果たしてどの程度の時間が過ぎ去ったか。両者互いに渾身を込めた一撃が弾き合い、刀と槍を手元に引き寄せ構えつつ、一歩の空間が二人の間に生まれた。

 一呼吸。

 落ち着いて。

 言葉を一つ挟む間を。

 

「……お主、魔術を使っておらんな?」

 

 短くない激突の中で、宗司は眼前の敵がこの世界の人間の誰もが使用していた魔術を一切使用していないことに気付いた。

 それはつまり、聖剣という世界最強の力を誇る規格外を生身で制した宗司に、相手もまた同じく魔術を使わぬ単純な生身で拮抗しているということに他ならない。

 だがそのことに驚くことはない。何せ宗司が確認したかったのは魔術の有無ではなく、別のこと。

 

「魔、術……魔術……?」

 

 仮面越しでくぐもっているが、初めて聞こえた声に疑問がさらに一つ増える。それはさておき、宗司はそこでようやく合点した。

 

「成程、お主も此処に呼ばれた口か?」

 

 聖剣に呼び出された宗司。

 聖槍に呼び出されたナイル。

 それと同じく、この騎士も同じような何かに呼ばれたのなら納得いった。

 しかし騎士はそんな宗司の問いかけには答えず、明後日の方角を見ながらぶつぶつと何事かを呟くばかりだ。

 

「魔術……そうだ、魔術、私に……魔術……皆のため、魔術……奇跡を……きせき……でもみんなしんで……きせきが、まじゅつみたいなきせきが!」

 

「ちっ、気狂いか」

 

 どうやら疑問が氷解する代わりに、触れてはいけない部分に触れてしまったらしい。ぶつぶつと繰り返し「まじゅつ、きせき、みんな、ひとり」と呟いている騎士を眺めていると、突如騎士は持っていた槍を二本とも落として己の頭を抱えた。

 

「あぁぁぁぁぁぁ! いやだ! ひとりはいやだ! こわい! さみしい! たすけて! こんなのいやなの! なんでみんなしんでしまったの!? わたしをおいてしんでしまったの!?」

 

 苦悶しながら両膝をつく。先程まで華麗な槍捌きを見せていた騎士が、今はまるで親を見失った幼子のように取り乱している。

 

「おとうさま! おかあさま! せんせい! みんな! どこ? ねぇどこ? わたしはよいこでいます! がんばってころしました! いっぱいいっぱい! あたたかいものをなかったことにして! あいてしていたわ! わたしはみんなをあいしていたの! あぁぁぁぁぁぁ!! さむい! さむいよ! たすけて! くらいの! だれか! だれでもいいからぁぁぁぁぁぁぁぁ! ――皆、要らないわ」

 

 だが宗司はあまりにも分かりやすい隙を見せているはずの騎士に踏み込めずにいた。いや、醜態をさらす相手に斬りかかるのも阿保らしいと思っているのも事実だが、宗司はそれ以上に、醜態をさらして尚、その騎士に一切の隙が見えない事実によって踏み出せずにいた。

 

「気狂い……いや、正気で至れる境地ではない、か」

 

 己もまた、狂気の果てに今の極地に到達した。

 であれば、魔法というこの世界固有の力を使わずに自分と拮抗した眼前の騎士もまた、正気ではなかったのだろう。

 だから達した。

 故に、その醜態もまた騎士の強さの一つであった。

 

「何も見えないの。暗いわ。冷たいわ。だからねぇ、そこにいらっしゃる?」

 

 不意に、騎士はそう言うと被っていた鉄仮面を静かに取り外した。

 そして宗司が感じていた疑問がさらに一つ完全に解けることになる。

 

「……成程な。盲目だったか」

 

 鉄仮面の内側にあった眼は、両目ともに額から頬に走る痛々しい傷跡によって完全につぶれていた。

 だがそれでも、月明かりに濡れる漆黒の髪は神秘的で、陶器のようになめらかで白い肌と相まってその美貌は決して損なわれてはいなかった。

 最早、その見た目から騎士が『少女である』ということへの驚きは宗司には特にない。クロナから始まり、ナイルという極限の暴力を体現した女を見た後では、今更似たような女が現れたところで感じるものはなかった。

 しかし、年の頃は鎧のせいで勘違いしていたが、宗司よりも幼く見える。

 ふと、自分がこの少女と同じ頃、果たしてここまでの武力を得ていたかと考えて、苦笑する。

 

「そんなことはどうでもよいか」

 

 あの老剣客がそうであったように、生涯一度の殺し合いで、年がどうこうと言うのは愚かなことである。

 宗司がそう思っていると、少女は閉じたままの眼で空を見上げた。まるで今は失われた光を追い求めるような行為は、美しくも儚くあったが、それ以上に最初に感じたあの虚無感が全てをぶち壊しにしていた。

 

「素敵な貴方、綺麗な貴方、優しい貴方、暖かい貴方、愛しい貴方、卑しい私」

 

 少女はそう言いながら、両手に持った鉄仮面を無造作に林へと投げ捨てた。最早、己を隠す仮面など不要とでも言うように、はたまた、己を繋いでいた鎖を自ら断ち切るように。

 

「あぁ、貴方が光なのね?」

 

 改めて握りしめた二つの槍が、少女の虚無に引きずられるように存在感を失っていく。

 それは盲目の少女騎士が生み出した狂気の産物。視覚というハンデを負いながら、否、視覚を失ったことで得た極限の一つ。

 最後の疑問が氷解するのを、宗司は感じた。

 

「私を優しく抱きしめて」

 

「あぁ、つまりお主……」

 

「愛していると囁いて」

 

「見えぬ代わりに……」

 

「――でも要らないわ」

 

「俺より先が、見えるのだな」

 

「私は『くらやみ』が欲しいだけなの」

 

 そう告げて、少女はまるで暗黒の如き無貌の表情のままに宗司目掛けて踏み込んだ。

 同時、雷光と見間違う刺突が二つ宗司へと走る。宗司は一つを弾き、一つは躱しつつ、再び始まった音速領域の剣戟の間、少女が持つ恐るべき能力に喜悦を浮かべる。

 速度も、術理も、先を見られているならば通じる道理は何処にもない。

 全てにおいて宗司に劣りながら、宗司と互角に渡り合えるその正体。それは、暗黒より生れ出た、あらゆる全てを見通す眼。

 

 それが、心眼。

 

 呼気を聞き、風に触れ、血潮を嗅ぎ、鉄の味を知る、潰れた視覚以外の感覚を全て鋭敏にした結果、少女の知覚領域は目に頼る者達よりも遥かに優れた領域に到達していた。

 失われた視覚以外が異様に発達したことによって少女が得たその力。それは見切りという一点のみが宗司を上回ることによって、宗司の技量と拮抗状態を作り出しているのだ。

 無論、少女の技量も決して侮れるものではない。

 心眼のみならず、僅か十五、六程度の年齢でありながら練り上げられた武力は一騎当千を超える領域へと至っている。年齢を考慮するならば、その才覚は宗司という天才から見てしても遥か天上。極上の中の極上と言ってもよい究極を彼女は秘めていることだろう。

 

 ならば、今は惜しいのか。

 斬るに値するが、まだ先に至る可能性があるのではないか。

 だとすれば、ここで斬るのは早計だろうか。

 要らぬ思考が沸々と剣戟の合間に加速する。

 斬って。

 斬られて。

 そも、この敵手を俺は斬れるのか?

 

「まぁ、斬れたなら斬るのだろう」

 

 ゆるりと断つのだ。

 宗司はそう結論付けてから、思考の全てをこの敵手へと注ぎ込み、いっそう苛烈な斬撃を振るった。

 しかして今、鉄仮面を外した少女の耳は、仮面越しではなく直接宗司の息遣いや足音、刀の風切り音に、脈打つ心臓の鼓動まで正確に捉えることで完全なものに至っている。その領域は、己の全存在を闘争に変換した宗司の力をもってして、完全に斬り崩すことの叶わぬ鉄壁へと化していた。

 懐に入り込めない。心眼が完全となった少女の見切りは、宗司の歩法も刃の神速も全てを見切り、適切な応手を返している。

 だからこそ斬りがいがあるというものだ。

 

「試しに工夫するぞ」

 

 宗司は自ら後方に飛び退く。当然、その分だけ詰めてくる少女目掛けて、強烈な殺気を叩きつけた。

 メイルや賊を拘束したものとは違う。常人ならそれだけで心臓が止まる程の強烈な殺気は、上段よりの斬撃というイメージを描くことによって、実際に宗司が上段から斬りかかる映像を相手に錯覚させるほど。

 殺気を用いた宗司の奥義。とはいえ互角の技量相手なら普通は通用しないが、盲目の騎士ならば、他の感覚が鋭敏になっている分効果が十分望めるはずだ。

 それだけではなく、宗司は上段よりの意をそのままに体は下段よりの掬い上げを試みる。意と動を切り離す。これもまた奥義の一手。

 培った極地を二つ。試しと言いつつ、その実必殺の一閃を前に――少女はそれが当然とばかりに、下段よりの閃きに槍を合わせた。

 

「ッ!?」

 

「嘘つき」

 

 目を剥く宗司と、薄ら笑う少女は対照的。虚実を完全に見抜かれた。技巧を崩された衝撃に僅かな驚愕。

 それは明確な隙。

 見誤った、そう思った時には肩が熱を帯びていた。

 鋼鉄は走っている。矛先が宗司の肩を浅く切り裂いている。

 捉われた。

 見抜かれた。

 代償に痛み、焦り。

 崩れた体に迫る二槍の冴え。

 これは――

 

 死ぬ。

 

 

 

「ッ! おぉ!」

 

 瞬間、加速した槍捌きを、宗司はらしくもなく己を奮い立たせる雄叫びをあげて迎えた。

 左肩の鈍痛が脳に響く。だが今は無視。好機を逃さず畳み掛けてくる少女の攻勢をしのぐ。

 繰り返し視界に走る点の軌跡。槍というのはその特性上、距離を離したところからの刺突が特に凶悪である。

 何よりも恐ろしいのは刺突とは視界には点としてしか映らないということ。これが袈裟斬りなのであれば視界に移るのは線であり、予測は遥かに容易なのだが。

 例えば宗司が操る刃が、九の斬撃に刺突が一程度の間隔で振るわれているとするならば、少女のそれは一の斬撃に刺突が九。長大なリーチと無数の点を織り交ぜたそれは、さながら真正面から降り注ぐ豪雨とでもいうべきか。

 

「っ……!」

 

 機先を制され、流れを奪われた。

 自覚はあれど、一度傾いた形勢を立て直すことは難しい。それでも必死に刀一つで豪雨を凌ぐ宗司の周囲を千の火花が彩る。照る顔には笑みではなく歪み。花乱れる虚空を楽しむことなど、死線に立たされた己には全くない。

 

 余裕なし。

 さっきとはまるで違う。

 全く、こうなるならもっと早くに雑念を捨てれば良いものを。

 そう考えるこれもまた雑念。

 つまり余裕。

 ならばまだまだいけるだろ。

 己の余分を削いでいき、果てに待つ一本の刀へと成り果てられるはずだ。

 

「面白い……!」

 

 苦悶は消えて再度の笑み。情けなき己の思考を嘲笑い、宗司は突き出される矛に刃の腹を添えて、赤子の腕力と変わらぬ力をそこに注いだ。

 小さな誤差。しかし小石の如き異物で逸らされた鋼は、宗司の纏う着物を浅く裂いて彼方を突いた。

 極限状態。窮地を超えて死地にある身。

 だからこそ、再度刹那の賭けに身を投じる。

 逸らすというにはあまりにも危険。力の入れ方が僅かでも足りず、注ぐべき支点を少しでも違えたら、矛先は宗司の肩を貫きえぐったはずだ。

 しかしあえて必要なぎりぎりの力で宗司は槍を逸らした。その効果は、無言で攻勢を続ける少女の虚無に、小さな戸惑いが生まれたのを察したことで身を結ぶ。

 

「活路、見えた……!」

 

 心眼が相手では、宗司が会得した体捌きに斬撃などの流れは全て見抜かれてしまう。現に宗司は気付いていないが、心臓の音までも鋭敏に感じ取っている少女の知覚は、かつての世界はおろか、この世界でも比する者はいない程鋭い。

 だから、極限まで力は薄くする。風に流される綿毛の如く儚く、川に流離う木端の如く緩やかに。

 己を無くせ。

 虚無たる敵手を斬るために、その直前まで無感にすら己を投じろ。

 

 そしてその心眼、斬って捨てる。

 

 それでも、心から吐き出される喜悦が濃くなり続けるのを抑えることが出来るとは思わなかったけれど。

 その歓喜は、斬って捨てる瞬間まで大切に秘めておこう。

 

「光……! まだ光! 消えて、消えてよ! 消えないわ! 消えてよぉぉぉぉぉ!!??」

 

 突き出す殺意が悉く空を裂く手ごたえに、少女の声に苛立ちが混ざってきた。見た目相応の精神性。いや、それ以上に幼いせいか。

 だがまだまだ。

 斬り捨てるには仕込みが足りない。

 

「行くぞ!」

 

 言霊通り切っ先を向けて突きに構えて突撃を示す。対して少女は羽ばたく直前の鳥の如く両腕を左右に大きく広げた。

 まるで魔的な怪鳥。鋭い爪を翻すその様に戦慄と、それ以上の歓喜を胸から足の先へ。引き絞った弓に番えた矢に己を見立てて宗司は飛び出した。

 だが幾ら宗司の踏み込みが苛烈であろうと、少女の心眼はその直前の起こりを見抜き、広げた槍を動きに合わせて振るうのは容易かった。

 左右同時の薙ぎ払い。宗司の頭と膝を狙った少女の槍は、さながら閉じられる獣の口内か。

 逃れるには。

 いや、突き破るには、何がいる?

 

「楽しいな、おい」

 

 宗司の全身から力が抜ける。踏み込みの活力をそのまま全て零にしたような急激なふり幅。脱力の応用、限界間際の力を一瞬で零にすることで、その肉体はまるで羽毛のように軽やかな物へと変わる。

 槍から発生する突風。その流れを力抜けた肉体で鋭敏に察した宗司の体が傾いた。崩れ落ちるようによろめいた勢いのまま、宗司は搾りかす程度に残った力を爪先から破裂させ、虚空に舞う。

 そして槍の軌跡の合間に体は滑り込んだ。肉を弾くことなく空ぶった鋼鉄の上顎と下顎。何とか体を崩すことなく持ちこたえただけでも賞賛出来るが、しかし今度は少女こそ隙を晒すことになる。

 虚脱のせいか瞳からも光が失われていた宗司の瞳がその隙に光を見出した。ぎらりと光る両眼に浮かぶのは好機を手にした喜び。この敵手の裏をかけたことへの興奮。

 着地。

 同時、槍を構え直そうとする少女へと、脱力の極みが飛んだ。

 

「一手」

 

 十全からの零。

 そして零から再び十全へ。

 繰り返し行われた脱力に肉が悲鳴をあげたが、その程度の些事は無視した。

 

「馳走」

 

 槍が放たれるよりも早い。少女はその心眼故に、己の迎撃がこれより来る斬撃に間に合わぬことを察した。

 袈裟に振るわれる神速。夜を行く鋼鉄の流星を予感した直後、少女はその左肩を刃の軌跡に強引に重ねた。

 本来は剣の一撃すら受け止める血濡れの鎧は、宗司という斬鉄の業を前にあまりにも頼りない。

 しかし、少女は肩の鎧に刀が斬りこまれる瞬間に、宗司がしてきたように全身の力を抜きさった。

 その効果は劇的とまでは言わない。付け焼刃の脱力では、風に巻かれるように敵手の攻撃を抜ける宗司の領域には至らない。

 

 容易に鉄を裂いた刀が、生身の肩の肉に斬りこむのが分かる。

 筋繊維が断裂し、毛細血管が千切れ、骨まで突き立つそこまでを見る。

 だがそこまで。刀の勢いに引っ張られて、軌跡の流れにそって少女の体が回転した。

 その結果、左腕を切り捨てるはずだった刃は骨に浅く斬りこんだところで、鮮血を引き連れ虚空に抜ける。

 いなされた。

 驚きは特にない。この敵手ならそこまで出来ると宗司はわかっていて。

 

「がっ!?」

 

 直後、宗司の腹部に鈍痛が生まれ、そのまま背後に吹き飛ばされてしまった。

 見れば、腹部に突き立っていたのは槍の石突き。回転の勢いを殺すことなく、そのまま少女は反撃に転じていたのだ。

 

「痛ッ……」

 

 咄嗟に自身も後方に飛ぶことで衝撃を緩和したが、それでも宗司は地面を二転三転するほどの痛烈な一撃を受けてしまった。

 見事、と賞賛すべきか。

 または己の未熟を嗤うべきか。

 考えるな。

 己を研ぎ澄まし続けろ。

 石突きを受けた部分に右手をそっとあてがい痛みの度合いを確認しつつ、宗司は油断なく、痛みに口許を歪めている少女へ視線を向けた。

 見れば、刀で斬りつけた鎧部分から新たな鮮血がにじみ出ている。微妙に左腕の動きが悪いのは決して見間違いでも虚実でもないだろう。

 確実に性能を貶める程の一撃を与えることには成功した。

 

「……尤も、肉斬り代わりに骨砕かれと言ったところだろうがな」

 

 宗司もまた、腹部の痛みによって万全に動ける状態ではなくなったことを自覚している。

 だがまだ致命的と言うほどではない。互いに刃を握れている。足は動く。なにより爛々と輝く闘志が決して損なわれていない。

 だから斬る。

 必ず斬る。

 そう言葉にせず刀を構えることで告げる宗司を前に、同じく槍を構え直した少女は小さくない困惑を無表情の裏側に滲ませていた。

 痛み分け。

 

「いや、俺の方が、一歩行ってるか」

 

 天秤は徐々に傾き始めている。先は一手とれた喜びから一撃を受けたが、次からは確実に追い詰めていこう。

 決意を新たに、鋼に意志を。

 精錬された殺気をいぇきしゅを刻む鋭利とする宗司。対して少女は己が追い詰められている事実を前に、果たして何を思うのか――

 

「要らない。欲しいの。こんなの要らない。貴方が嫌い。暖かい貴方が好きよ。大っ嫌い」

 

 左肩が痛い。

 この痛みは果たして何時以来のものだろうか。

 あの騎士の群れから受けた傷とも違う、炙られるような痛みの波を感じる。

 痛いのは要らない。

 熱くなって、温かいのを思い出すから

 そう思いをはせて、そう言えばまだ数年しか経過していないんだなと少女は過去を思い出した。

 この眼を奪われたあの日。

 あの日、全ての光を奪われてからこれまで、ずっと一人で来る日も来る日も研鑽と生存を重ね続けた日々。

 痛いのは知っている。

 痛みが何をもたらすのかも知っている。

 体の痛みより、喪失によってもたらされる心の痛みを少女は知っている。

 だが痛いのだ。

 とてもとても、泣いちゃうくらいに痛いのだ。

 臓腑の臭いでむせ返りそうなこの場で、死臭漂うこの場で、どうしようもないくらい泣きたくなって。

 じくじく痛む。

 じゅくじゅく痛む。

 かつて、太陽の下に曝け出した肌が感じたあの熱と同じ温かさに似ているような気がしたから。

 

「要らないわ。光がこの手から無くなって冷たくなるくらいなら、初めから要らないの。愛しい貴方、綺麗な貴方、要らない貴方」

 

 無感である。

 虚無である。

 あらゆる一切を全て散らし、この暗がりと同じ暗黒を作り出すことだけが少女の願い。

 

「阿呆、何も要らぬと欲さずにいて、何を楽しみに人斬りが出来るのだ? 欲して欲張り、そして斬るのが人の業だろうが」

 

 そんな少女の可憐な願いを、宗司という修羅は一刀の元に斬り捨てた。

 再度、激突する両者。放たれる斬撃のどれもが、これまで少女が生きた短い生涯で頂点に立つ鋭さ。

 己の全力を振り絞っても突き崩せぬ化け物。

 どうして。

 そう願う程、宗司の強さは化け物染みた少女をして恐ろしかった。

 火花が散る度に気圧される己がいる。

 化け物なのか。

 こんなに強い存在がこの世には居たのか。

 

「いやだ」

 

 全てを無へとするために、自分はまだここでは『死にたくない』。

 だが偶然の果てに激突した相手は、確実に自分の首へとその刃を近づけつつある。脳裏を掠める確かな終末。宗司という光は、少女の『くらやみ』を確実に削いでいる。

 宗司と少女の奏でる極限の闘争は尚も苛烈する。

 それは鋼を用いた近接戦闘における究極に違いなかった。誰もが息を飲むような絶技の応酬。しかし観客はその場を満たす死骸とぶちまけられた臓腑のみ。

 次第に宗司の体に矛先でえぐられた傷が増えていく。幾ら宗司と言えど、力を限りなく薄めた状態で達人の槍を凌ぎ切れるわけではない。少女の槍は宗司の体を鮮血で斑に染め始めていた。

 一方、それ以上に少女の鎧も斬鉄によって破損していた。それも血を纏う宗司とは違い、その損傷は未だ鎧部分のみ。

 それだけ見るなら、宗司が押されているようにも見えるだろう。だが決してその戦いは見た通りの形勢ではない。少女の鎧につけられた爪痕は深くなっており、遠くない激突の果て、少女の肉体は――

 

「ッ!?」

 

「今度は、骨砕きはさせんよ」

 

 懐に飛び込んだ宗司の斬撃から飛び退いた少女は、己の左肩よりさらなる熱が生まれるのに言葉なく驚愕した。

 弾け飛ぶ鎧の一部と噴き出す鮮血。重厚な鎧とは裏腹に、内側から覗くのは少女らしい細見の肢体。鎖帷子ごと断たれた左腕の鎧は完全に機能を奪われた。

 咄嗟に邪魔となった肘より先の鎧も剥ぎ取りつつ構え直すと、その時には宗司はまたもや眼前まで迫っていた。

 

「お主相手に準備を待つ余裕は見せん」

 

 いつか聖剣と戦ったときは、その全力を見るために回復を待ったのとは違う。

 同格、いやその才覚を考慮すれば格上の敵に対して、宗司にだって余裕があるわけがないのだ。

 大上段からの一刀。いなされつつも下段より膝斬り。

 浅く斬られる関節部の鎧を犠牲に返しの刺突。

 放たれた槍の柄に宗司は掌を添え悟られぬ程の力で軌道を逸らす。

 槍は毛髪を幾つか奪い去りこめかみの皮を裂くも外された。

 応手、片手持ちの刀を胴目掛けて振るう。

 痛みを少女は感じた。

 熱血が腹部から滲み出た。

 堪らず再度の後退。

 胸部の鎧が落ち、外気に触れた体が熱と冷気を帯びる。

 

「せい!」

 

 宗司は少女より落ちた鎧の残骸を蹴り飛ばした。

 強烈な蹴撃で吹き飛んだ鎧は一直線に少女へと飛んだ。まるで投石器から放たれたように走る鎧の弾丸も、少女の技量であれば弾くはおろか斬り捨てるのは容易。

 当然、ぶつかる前に切り裂かれたが、一息つく間を奪われた。

 宗司の狙いはそこだ。流れはこちらに傾いている。ならば、間を置かれて再度流れを取り戻させるわけにはいかない。

 刀を腰構えに鎧を蹴ったと同時に飛びかかった宗司は、真正面からではなく少女の左側に回り込むように走った。

 傷ついた左腕は右腕と比べて些か以上に精細に欠ける。確実に斬り捨てるという思いがあるが故、痛んだ箇所を狙うのは当然。

 

「まさか、卑怯とは言うまいな」

 

「う、ぁ……!」

 

 鈍い銀色が走る。真一文字に振るった宗司の斬撃を槍の柄で強引に少女は受け止めた。鉄製の槍をたわませて刃の衝撃を受け流すも、それでもその刀身が柄の半分ほどまで斬りこみをいれる。

 押し込めば斬れる。

 だが宗司は咄嗟に刃を引きもどした。

 あのままでは切り口に挟まったまま捕らわれる予感がした。察知は早く、引きもどしたのは正解か。

 いや、一呼吸置かれた。

 誤った。

 押し込むべきだった。

 今更。

 前を見ろ。

 来る。

 

「消えて、消えちゃえ、消えろよ、消えろぉぉぉぉ!」

 

 少女が絶叫をあげながら左右の槍を回転させて、勢いのついた石突きが宗司の頭頂部を狙う。

 心眼を持つ少女の見切りは、情けないが宗司では及ばない。それでも培った技量が体を咄嗟に動かし、その頬の皮に石突きは掠るだけに留まった。

 それでも頬の半分程の皮膚が千切られ、外気に触れた頬肉より命の真紅が溢れる。痛みは殆どない。顔を剥がされたような激痛があるはずだが、その程度は無視出来た。

 石突きが宗司の皮膚と着物の一部を道連れに大地へ突き立つ。柄に切れ込みが入っていたせいか、地面に突き立った瞬間鉄製の槍が半ばから折れ曲がった。

 これで得物は一つ潰した。

 宗司は反撃に転じようとして、反対側の槍が視界の隅で煌めいたのを見た。

 胴目掛けての薙ぎ払い。気付いたころには既に激突する直前。

 宗司は刀身が欠けるのも構わずに初めて全力の受けに回った。しかし音速を突き破った鋼鉄の柄は、刀越しに衝撃を宗司の肉体へと伝えた。

 受けた腕の肉が千切れ、骨が軋む。歯を食いしばって全身を駆け抜ける痛みを飲み干して、大地に両足の跡を引きずりながらも受けきる。

 流れに乗って飛び退くことは出来ない。

 ここで無理をしてでも止めなければ、再度流れは少女のほうへと傾くという直感が働いていた。

 それは少女もまた同じく思っていることだった。

 か細くも確かに存在する勝利の糸を手繰り寄せる。そのためには、己もまたここで無茶無帽を行う必要があったと悟ったから。

 

「あぁぁぁぁ!」

 

 力を込めた左腕の傷口から出血が増える。構わずに刀と競り合った槍へ力を注ぎ、宗司の体をもろとも薙ぎ払った。

 その状況で、宗司の体が再び力を失う。タイミングはこの瞬間、勝ちを急くあまり強引さを見せたところで、脱力によって槍を捌く。

 刀身を這うように流れた柄が火花を散らしながら横薙ぎに走った。だが吹き飛ぶはずだった宗司の体はその下、まるで限界まで潰されたバネのように屈んだ姿で、今度こそ完全に覗かせた懐目掛けて宗司は踏み込みを果たす。

 心眼であろうがなかろうが回避は出来ない。

 互いに時間の止まった世界の中、緩やかと動く宗司の手が掴む鋼は、臨んだ強者の肉を斬る歓喜に悶えているかのようで――

 

「もらったぞ」

 

「ッ!?」

 

 月光に揺らぐ鋼が空気を裂く。それは違うことなく、今度こそ少女の肉体へと吸い込まれた。

 真っ赤な血潮が滂沱と舞う。

 決定的な決着の形、流線描く鮮血は、勝者たる宗司を祝福する清水の如く降り注いだ。

 そして、極限の死闘の末に盲目の騎士を斬ることが出来た己を誇り――

 

「あ?」

 

 見上げた視線の先。

 閉じられていた少女の目が見開かれた瞬間、宗司は己の敗北を否応なしに悟るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、我が虚無は、無感を是とする
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