臓物ぶちまけて死にかけの侍を勇者として召喚してしまった件について   作:トロ

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第二十二話『しゅらば、ちる』

 そして、勝者と敗者の天秤は逆転した。

 そも、天秤自体が無くなっているこの場で、果たして勝者や敗者の括りに何の意味があるだろう。

 

「そう。私は無感だった」

 

 夢冷めれば無感の冷徹。

 故、この冷徹は鋼のような硬質の手触りがするのだろう。

 肉を断たれ、血潮に飲まれ、それでも熱血すら即座に冷やす現実を自覚したとき、その身は可能性の終焉へと至る。

 アンが立つのはそこだ。

 そこがアンの立つべき冷たい場所。

 修羅場だ。

 この無感の冷徹こそが、誰もが臨んだ修羅場に違いない。

 

「貴方の斬撃を経て、私は無感を終と見定めることが出来た」

 

 それは、最早言語を超越した有り様を晒していた。

 纏った鋼鉄を剥がされたその内側に眠っていたのは、鎧よりも圧倒的な力強さの鉄如き体。最早、宗司をして斬撃は不可能と悟らせてしまうほどの圧倒的な生身の肉体。

 汚物のように美しく。

 宝石のように汚らわしい。

 そこに在るのは、そういった『何か』であった。

 故に、宗司は短くない己の生涯を振り返り、即座に結論を出す。

 

「勝ち目無し、か」

 

 勝てるわけがない。

 勝てる見込みが見つからない。

 こんな様を晒す人間に、そんな様に至れぬ己の刃が届く姿が微塵も思いつかなかった。

 だからこそ、宗司は口許に隠し切れない笑みが浮かべる。

 

「つまらん欲だ。この敵手を前に勝ち目を望む……くくっ、己の欲深さに笑いしか出てこんわ」

 

 敗北が待っている。

 だというのにあるわけもない勝ち目を見つけようとしていた。つまり己は、負けると分かっていながら勝利へと続くか細い火を灯そうとあがいていたのだ。

 それが楽しい。

 無を前にした恐怖を凌駕して、絶対強者を前にした興奮があった、

 死地にあって死を超えんとする宗司の精神性は最早常軌を逸している。

 だがこれこそ臨んだ死合だった。無に飲まれるという心胆冷える絶望の終わりが待っていても、アンと同じく宗司も望んだ修羅場なら。

 

「羨ましいぞ目無し。お主、終わりに至ったのだな」

 

「終わり……そう、私の肉体は終わったの。これが、私の至った無感の終末。人間の終わり、可能性の完結」

 

「無、それがお主の可能性の極みか……俺もな、短い間だが今のお主と似たような男に師事を受けた身。故に今のお主がどの程度の極地に居るのかは、なんとなくわかるよ」

 

「そう」

 

「そうだとも、名も知らぬ女子よ」

 

 人間が、人間の在り方を突き詰めた先に在る可能性の帰結。本来なら無限に存在する人間の可能性を突き詰めるに至った恐ろしき天才。

 修羅外道。

 宗司はかつてそう呼ばれていた恐ろしい侍のことを脳裏に浮かべていた。

 

「華やかな吐しゃ物。醜悪な美貌。相反するそれを内包した者を指して……なんて様だという言葉以外、誰も彼もが言うべきことを失う。そういった様さ」

 

 形容が出来ない人間の形をした『何か』。

 理解できぬそれを、人は畏怖を込めてなんて様だと罵倒し、軽蔑し、そして恐怖した。

 だがそれは違うのだ。

 宗司はそれが誰よりも人間であることを理解していたから、声を大にしてお前こそが人間なのだと叫べるのだ。

 誰よりも人間の可能性を極めた者を、人間と言わずになんと言えるだろう。

 しかし、人は己の中の『何か』を見せられて、正気でいられる訳もない。

 

「誰もが持っている矛盾する混沌。それをまざまざと見せつけられれば、誰もが認めたくないと否定する。己の中の混沌を見せつけられて良い気になれるわけがないからな」

 

 だが宗司は違う。宗司はそんな虚無も己にあると肯定するから、言葉に出来ない有り様を晒す敵手を前に立っていられる。

 だから薄らと浮かべた笑みはそのままに、究極へと到達した修羅に向けて己の鋼を突きつけた。

 

「今の俺では負ける」

 

 そこは間違いない。

 宗司は、今の宗司では。ただの人間でしかない宗司では、この終わりに至った修羅に勝つ見込みなど何処にもない。

 それでも宗司は今と言った。

 

「何、やってみれば分かることよな」

 

 この相手を前に、勝てる可能性など何処にもないけれど。

 宗司はいつもと変わらぬ口調のまま、いつもと変わらぬ歩調で虚無の権化へと突貫した。

 

「おぉぉ!」

 

 己を奮い立たせるために声を張り上げながら、痛む体を押して放つのは得意の腰構えよりの振り上げ。

 

「そう、それでも戦うのね……」

 

 アンは、何も映さぬ無表情のまま、飛びかかる宗司を迎え入れた。

 その姿に総毛立つ。目の前にぽっかりと暗い穴が生まれたかのような恐ろしさがあった。

 だが宗司は己のそんな恐怖を斬り捨てた。

 恐怖など捨てろ。

 痛みは度外視せよ。

 そも立場は対等だ。

 

「故に……」

 

 斬――

 

「意味なんて、どこにも無いのに」

 

 零より放つ十の出力。

 圧倒的ふり幅より放たれた最速の斬撃は、アンの矛先に容易く受け止められていた。

 

「ッ!?」

 

「驚く意味も無いわ」

 

 目を張る宗司は、斬りかかった刀に込めたあらゆる力が全て消えていることに戦慄した。

 まるでこの騎士の放つ虚無の雰囲気にでも飲まれたかのようにすら思えたが、宗司は即座にその超絶を察する。

 完全に威力を吸収された。

 槍の突き立つ地面に小さな罅割れが走っているのは、おそらく宗司の放った斬撃を全て地面に逃がして散らしたからこそ。

 だからと言って、そう簡単に散らされる程、生温い斬撃ではなかったはず。

 

「悩むことも、斬ることも、何もかも意味は無いの。だって、全部意味無いんだから」

 

 アンはそう呟きながら、柄に叩きつけられた刃を、赤子を捻るように容易く絡めとった。すると宗司の体から力が全て抜け去り、膝より体が崩れ落ちる。

 ――意を完全に乗っ取られた!?

 槍を用いた合気によって、宗司の刃を伝って肉体の主導権を一時的に奪い去ったのだ。それに気付いた直後、アンは無表情のまま崩れ落ちた宗司目掛けて振り下ろした。

 だが宗司は間一髪で全身の力を取り戻し、半身になって槍から逃れる。それでも躱しきれなかった矛先が胸を裂いた。

 咄嗟に宗司は後ろに飛んだ。しかし追撃はない。それすらも無意味とでも言いたいのか、宗司は注意深くアンへと刃を向けながら、己の傷の具合を確認した。

 二つ目の傷は一つ目よりもまだ浅い。しかし重症がさらにひどくなったことには変わらず、ぐらりと揺らぐ体は精神ではどうにも出来ない。

 ならば、宗司によって致命傷を受けたはずのアンが動けるのはどういった理屈だというのか。

 

「死して、屍……最早、お主は骸と言うか」

 

 命を斬り捨てられ、残ったのは真の無感に至ったその身一つ。

 生きる屍。終わりに至った虚無の修羅。

 決して技量が上がったわけではないというのに、恐ろしく強くなったのは、彼女が持つ心眼が宗司の斬撃を経てより高次元の領域に到達したせいかもしれない。

 無感故、全てを飲み干す虚無の型。

 己を斬った二つの斬撃。あれはまさに宗司が放つそれと、得物が違うだけで瓜二つと言ってもよかった。

 完全に技を奪われている。宗司の斬撃を経て極まった心眼は、相手が放つ技の予測だけではなく、その技そのものを完全に己の物にすることを可能としていた。

 それはつまり、宗司が放つ技にどう対応すればいいかも手に取るようにわかるということ。

 たった、一合。

 アンが無という解答に至ってからたった一合だけで、宗司の持つ全ては暴かれ、そして全てが意味無しと断じられた。

 

「堪らんな」

 

 正直、強がりだ。

 全てを理解したことによる絶望は宗司の肩に重くのしかかっている。

 己を暴かれ、そのうえで意味無しと断ぜられる恐怖が伝播したせいで、声にこもった震えまで隠せる自信はなかったけれど、宗司は無理矢理笑みを浮かべてみせた。

 わかっていたはずだ。

 この様を晒す者を僅かな間とはいえ見ていた宗司は、こうなることが分かっていた。

 

 斬るのだ。

 全て、斬るから、斬っていく。

 だから俺は、斬り続ける。

 

 そう言って、その言葉通りになんでも斬ってみせたあの人がそうだったように、この少女は有象無象の例外なく無にしてしまうのだろう。

 培った技量を容易く奪いさり、それらを平然と扱い、平然と防いでみせる。

 その者にとって最も大切な何かを、積み上げた全てを、この少女は平然と見抜いて、平然と意味無しと告げてくる。

 辛くないと言えば嘘になる。

 悔しくないと言えば嘘になる。

 己の人生を意味無しと断ぜられて、黙っていられる人間がいるはずがないのだから。

 

「まぁ、お主は天才よな」

 

 だが、賞賛するほかないだろう。

 宗司すら凡夫に落ちる程の才覚を持つ少女だからこそ、無という終わりに行き着いたのだから。

 だがそのことを考える暇はない。気付けば宗司の体は闇を舞う蝙蝠の如くアンへと飛びかかっていた。

 そして、一方的な戦いは始まった。

 火花は全く虚空に咲かない。

 逸らすのは不可能と悟り、全ての矛先を体捌きのみで宗司が回避しているというのもある。だがそれ以上に恐ろしいのは、不動の状態で宗司の斬撃を受け止めているアンの槍が、火花を散らすどころか鉄の弾く乾いた音すら響かせていないことにあった。

 宗司の振るう斬撃が、虚無に飲まれているように見える。

 触れ合わせるのは先のことも考えて一瞬、それでも膝から抜けそうになる力を留まらせ放つ刃は柄にぶつかる。だがぶつかり合う度、アンの槍は宗司の意志を無視してその力を虚無に散らす。

 それどころか、放った斬撃の全てに込めた力とともに、鍛錬で培った『理』すら、アンの槍は宗司から奪いさり、一合ごとにその槍は宗司の斬撃に迫っていた。

 己の全てを失っていく。

 己の全てを奪われていく。

 この虚無と斬り合うということはそういうことなのだ。理屈も抜きに宗司は理解した。

 それはとても怖いことに違いない。

 自分が自分では無くなるというのは、あるいは死よりも恐ろしいことなのかもしれない。

 だが理解したうえで宗司は刃を振るう。

 そも、失うことへの恐れなどいつものこと。

 死ぬのは怖い。

 痛いのは怖い。

 辛いのは怖い。

 逃げたいくらい怖い。

 

 それでも。

 

「はっ……」

 

 胸元を擦る矛先に体を冷たくしながら、いつだって怖さを超える歓喜が心を突き動かす。

 吐き出した熱血によって体が冷たくなる以上に、宗司の心は猛り狂って燃えていた。

 

「ははっ……!」

 

 一意専心とはいかない。胸中を苛むのはいつだって複雑怪奇な感情で、宗司の刃はそうやって手に入れた雑念だらけの刀だから。

 強くなりたい。

 斬って証明したい。

 童のように刀で楽しみ、刀で悲しむ。一喜一憂を共にした鋼があるから、虚無を前にしても宗司は飛べるのだ。

 

「くくく、はははははは! あーはっはっはっはっ!」

 

 いつの間にか宗司は無邪気に笑っていた。己の斬撃は一度として通らず、先程から自身には裂傷が幾つも刻まれて、今にも崩れ落ちそうなくらいだというのに笑った。

 あまりにも奇怪なその姿だが、虚無に終わった少女にはそれでもまるで響かない。

 笑ったからどうだというのか。

 

 そんなの全部。

 

「意味無いのに」

 

 その言葉通り、戦いは白熱とは逆の方向へと突き進む。

 交差する斬撃の数々は虚しく沈むだけに終わっていた。どれもこれも技の神髄。戦いに関わる者ならば、誰もが羨むような技をぶつけ合っているというのに、きっとその戦いを誰かが見たなら、感動とは無縁のことを思うはずだ。

 こんなにも冷たい。

 美しくもありながら不気味である。

 まるで夜空に輝く星々を見上げるかのように、そのまま吸い寄せられてしまうような不安ばかりがその場を満たしていた。

 その中で宗司は笑いながら刀を振るい続ける。

 冷気が満ち、その冷気すら無へと帰っていく世界で、ただ一人熱気を込めた鋼を握って走る。

 一閃ごとにその鋭利が衰えているとしても、前に進むことだけは変えられない。変えたくない。

 だから行くのだ。

 持てる熱量の全てを注いで、加速せよ。

 正確無比な槍の軌道を掻い潜った瞬間、宗司は瞳に覚悟の炎を灯して勝負を仕掛けた。

 

「ん?」

 

 アンはその時、宗司から放たれる違和感のようなものに気付く。直後、強制的に世界の時間が遅くなり、限りなくゼロ秒に近づいた時の中、宗司とアンの肉体だけは自由に動いた。

 傷つき、崩れそうならば、いっそ崩してしまえばいい。宗司は必死に留まっていた両足から順に全身から力を抜き去った。

 完全に零となった力を意志と変えて、宗司は己の内部に練り上げる。全身よりかき集めたなけなしの全霊。この身が吐き出せる最大の刹那。

 感じた余分を全て削ぎ。

 心と鋼を重ね合わせ、紡ぎ合わせた一本の刃へとなろう。

 

「……行くぞ」

 

 我欲で編んだ刀にて、虚無の終すら斬り開かん。

 そして宗司は、己が手にした極みの扉を再び自ら解放した。

 

 急激な緩みから一気に限界まで向上した力の流れに耐えきれず、裂傷より血が噴き出すのも構わない。

 その心中にあるのはたった一つの無垢な思い。

 

 斬る。

 

 鮮血の衣を纏った宗司の覚悟を悟ったアンは――それすら無意味と断ずるように、表情一つ変えはしない。

 それも構わない。

 練り上げるのは乾坤一擲。究極の一振りのみがあればいい。

 

「ぃゃぁぁぁぁあああ!」

 

 喉より振り絞った猿叫によって大気が震えた。それは一時的にだがアンの耳にすら干渉して機能を剥奪する。

 

 ――今!

 

 疾走するのはここしかない。零より振り絞った十を、宗司は体の傷を無視して渾身を解き放った。

 神速を超えて、速度すら断つ絶速へ至る。かつて、老剣客を斬り伏せ、聖剣の至高すら超えた刃。

 これをもって、虚無すら斬り裂き極みを示す。

 そして、放った斬撃の軌跡を感じる暇すらもアンに与えず、宗司の渾身はその首元へと吸い込まれ――途中で止まってしまうのだった。

 

「ッ……」

 

「無駄」

 

 刀と首の間に割り込んだのは冷たい矛先。その切っ先に僅か斬りこみを与えただけで、宗司の至高はアンの虚無に飲み干された。

 アンの表情は変わらない。これまで飲み干せたはずの宗司の技が、一瞬とはいえ己の虚無を超えて矛先に小さな傷を与えたところで、彼女の虚無は揺るがない。

 故に、それはあまりにも無感動に。

 手首を支点に槍が一回転した。何とかその動きに反応して宗司は刃を引き戻すが、全てを使い果たしたために、宗司の体は大きく揺らぎ――

 

 何の言葉もなく、回転させた槍の石突きが、宗司の左肩に炸裂した。

 

「ぐ、お……」

 

 肉と骨が混ざり合い、ぐしゃりと音を立てて砕け散る。弾けた血管と突き出た骨、裂けた肉より着物に滲む命の赤色。

 衝撃は完全には殺しきれなかった。

 だがこれでも槍の威力を殆ど殺しきった結果だ。本来なら直撃と同時に宗司の肉体は粉と散っていただろう。

 しかし、致命傷。

 木偶のように吹き飛んだ宗司は、遂に動くことも出来ずに地べたを転がって崩れ落ちた。

 

「……」

 

 アンは石突きについた血と肉と着物を振り払うと、一歩一歩ゆっくりと宗司へと歩み寄る。

 心音と呼吸は小さく、呻き声には血反吐が混ざり、絶え間なく出血している身体の傷は放っておいても宗司を殺す。

 殆ど死んでいる。

 だが、まだ死んでいない。

 

「本当に、不思議」

 

 アンは自然とそう呟いていた。

 意味が無い。

 何もかも存在する価値も無い。

 だからこそ、小さな疑問があった。

 

「どうして貴方は、まだ在ろうとしているの?」

 

「……ばれて、いたか」

 

 どうやら死んだふりをして近づいたところを斬る、というわけにはいかないらしい。

 宗司は真っ赤に染まった口許を拭いながら、刀を支えにゆっくりと立ち上がった。

 

「……血が、止まりかけてる」

 

「とある道場で、習った……あ、浅知恵、よ。呼吸の、流れと、闘志によって……血の巡りを、抑える、な」

 

 呼吸と自己暗示によって、肉体の動きを操作する秘技。これによって辛うじて命を長らえているが、宗司は刀を支えにしなければ立てず、朦朧とした視界では常の見切りも行えない。

 アンが軽く突きを放てば宗司は死ぬ。

 他ならぬ宗司自身が、もう打つ手が無いことを悟っていた。

 手に入れた究極ですら、この虚無に小さな傷を与えることしか出来なかった。

 もう何もない。

 研鑽の限りは意味無く終わった。

 それでも足掻く。

 尚も足掻く。

 

「無駄なのに」

 

「意地が、あるからなぁ」

 

 残されたのは、剣客としての矜持だけだった。

 万策尽きて、立っているのに必死で。

 どうしようもなく、負けてしまっているけれど。

 いや。

 いやいや。

 それも違うなぁ。

 

「そも、俺は、勝つ」

 

 アンは歩みを止めない。

 宗司の言は聞く価値も無く、彼女がなすべきことはひたすらに、あらゆる全てを無へと帰すだけならば。

 それでも、宗司は告げるのだ。

 見つけた勝機。

 矛先に刻んだ僅かな裂傷はつまり――

 

「俺の、鋼は……お主に、届いた、ゆえに……!」

 

 ならば、動けないなどとは言っていられない。

 斬れるのだ。

 斬って、散らせることが出来るのだ。

 あの虚無を斬って、開くことが出来るなら、這ってでも斬るしかないだろう。

 

「十二だ」

 

 宗司は言葉に出来ない感情を一切表に出すことなく、ひたすらに歓喜のみを口から吐き出すように告げた。

 

「その無感……俺の鋼で、十二の斬り合いの間に……斬り伏せる」

 

 それは決して瞬殺を誓う言葉ではないし、己を鼓舞するための言葉でもない。

 単純な話、虚無が己の究極を食らい尽くす数がその程度だと、先程の剣戟で悟っただけの話。

 無論、切り結べたところで勝てるわけがない。

 もしかしなくても十二も持たないかもしれない。

 いや、確実にもたないだろう。

 左肩は潰され、ついでに肋骨も何本か砕けて肺が一つ潰れている。

 せっかくの活路も、動けなければどうしようもない。

 そも、勝機を見出しただけで、負けるという想いはこの瞬間も変わってはいないけれど。

 

「言霊だがな。しかし、口だけならば……俺の勝ちだ」

 

 口にするだけならこんなにも容易く。

 後は行うだけで済む。

 では、己に残された十二の斬撃を、心行くまで楽しむとしよう。

 最早、問答は不要だった。宗司は全身の力を抜き去ると、己の思考を限界まで加速させた。

 残された十二撃。放つのは心鉄極まる我が金剛。

 

「お主が至った終わりと、俺が至った、斬撃」

 

 死して散るのはどちらか一人。

 無論、負けを悟った己とて、理解は別に納得出来ているわけがない。

 

「どちらが上か……」

 

 決めようではないか。

 そう告げる前に、アンは静かに答えた。

 

「そんなこと、どうでもいい」

 

 上も下も関係ない。

 勝利も敗北もどうでもいい。

 無という解答に至ったアンの言葉。対して宗司は空気にでもなったように脱力させた肉体に全ての力を注ぎ込んだ。

 その顔に浮かんでいるのは、宗司がここで初めて浮かべた感情。

 それは怒りだった。

 

「どうでもいいわけ、ないだろうが……!」

 

 刀は人を斬るためにある。

 活人などとは無縁。殺すために、何人も斬り殺して、何人でも斬り捨てるために存在する。

 決して無意味などではない。

 何せこの刀はきっと。

 

「お主を斬るために、俺はこの鋼を練り上げたに、違いない……!」

 

 まだ見ぬ強敵と斬り結ぶために鍛錬を続けた。いくつもの殺し合い、死線を越えて、いつか、きっといつかはと、遠くにぼやけている強さの頂を求めて歩き続けた。

 なら、眼前のこの騎士は、それなのだろう。

 最果てとはつまり、先が無いということ。

 つまり、無。

 虚無こそ頂点の極み。

 

「だから、そんなことを言うなよ」

 

 泣きそうな声色で語る宗司は、動かぬ左手は力無く垂れ下がったまま、右手の刀を肩に担いで、食指で垂れる唾液に赤色を滲ませながら口許を歪めた。

 

「これからお主を……俺が、斬るのだから」

 

 斬るという意味がある。

 それは、真理であり。

 

 意味が無いなんて、言わせたくなかった。

 

「いざ、尋常に」

 

 支えが無くなった足元はまるで泥に浸かっているかのようにあやふやで動きづらい。一歩踏み出すのすら全霊を注ぐ程に苦労する。

 この様で残り十二撃のうち幾つ放てることやら。

 そこまで考えて、宗司は今度こそ思考の一切を破棄した。

 

「勝負」

 

 時間の感覚が引き伸ばされる世界に再び宗司は突入する。その気配を敏感に感じ取ったアンもまた、同じく時間から外れた世界に入り込んだ。

 だが宗司が目指すべきは敵手でありながら違うところにある。

 もっと深く。

 もっと真理へ。

 未だ奥で眠っている己の才覚を引きずり出せ。

 

「ッ……!」

 

 初手、踏み込んだのは宗司。踏み抜いた大地から巻き上がる土と砂が虚空に散るより早く、アンの槍の圏内へと入り込み、体を独楽のように回転させながら刀を一文字に放った。

 足りぬ射程を補うために、柄のぎりぎりを掴んで放つ宗司の妙手は、少しでも距離が狂うことで相手を惑わすことも視野に入れている。

 しかし小手先は容易く見抜かれ、あの火花すら散らせぬ槍に刀は受け止められた。

 だがこれまでと違い弾かれあった互いの得物は火花を散らす。刀と己を同一とする宗司の牙は、この瞬きのみアンの虚無にすら突き立てられる牙となっていた。

 それでも受けられた。

 稲光に勝る閃光すら、届かない。

 むしろ、受けられた衝撃で内側から痛みが爆発して、人間らしい感情があふれ出す体たらく。

 死にたくない。

 辛い。

 楽しい。

 死ぬには良い夜。

 混ざり合う感情の渦に飲まれそうになって、宗司はさらに己を律する。

 雑念は捨てろ。

 歯を食いしばれ。

 でも怖い。

 だけど逃げたい。

 それでも楽しい。

 いつまでも続けたい。

 そんな思いを全て捨てて、余分を削いだ鋼たれ。

 

「ぐ、おぉぉぉぉぉ!」

 

 今度は迷わずにそのまま押し込んだ刃が、アンの力で強引に押し返された。

 互いに重傷とはいえ、ダメージは宗司の方が多い。体力的に劣っているせいか、均衡を保つことが出来ずに弾かれ、空いた胴に刺突が迫った。

 時間は未だ引き伸ばされている。それなのにアンの放った突きは目視の領域を容易に突破していた。

 相手もまた尋常ではない異端。

 常軌を逸した尖爪を前に、覚悟を決めて前を向く。

 躱すことは出来ない。

 その分の体力は全て斬撃に回せ。

 

「オォ!」

 

 宗司は矛先目掛けて刀を振りぬいた。上段より重ね合わせた槍と刀が互いに弾けあい、一際巨大な火花を咲かせる。

 踏み止まるアンとは違い、塵芥のように宗司の体は後退する。

 熱血は再度噴き出した。

 量が少ないのは、術理のおかげではなく、もう体に血が残されてはいないから。

 まぁ考える必要はないだろう。

 それこそ、言葉を借りるなら『意味が無いこと』だ。

 

「カァッ!」

 

 浮いた体を立て直して、暗くなっていく視界を気合いで広げて前に出る。アンも既に構え直しており、微動もせずに立つ様は、未だ虚無に立っていることを示していた。

 神速へ至った宗司を上回り、アンの槍は空気を割り進む。斬り捨てられる大気すらも飲み干し、矛先に真空が生まれた。

 これも応じる他ない。出し惜しみなく、練り上げた力を刃へと伝達。鋼と化す全身をもってして虚無の矛へと拮抗を果たせ。

 下段より昇竜の如く上げた刃は辛うじて矛との相殺を完了した。

 しかし代償はあまりにも大きい。

 激突の直後、三度目の激痛と共に矛と合わせた刀身が一部欠けた。それはまるで同一となった主の身と同じで、刀も敵手の虚無に飲まれているかのようで。

 ――苦しいか。

 物言わぬ鋼に心で語り掛ける。

 ――むしろ、狂おしいだろう。

 さも、それが当然だと宗司は言い直す。

 何故なら宗司と刀は同じ存在だ。宗司の思いは刀と同義であり、この刹那だけ、二つ合わさり刃を成すから。

 ――なら、刀の本分を共に果たすとしよう。

 吐き出す吐息に熱量は少ない。心胆冷え切り、青くなった唇はそのうえについでと出した鮮血で化粧した。

 ――せめて死ぬにしても、綺麗な首を晒したいものだ。

 良き死に化粧が整ったという思い、そこでまた下らぬ思考を次々と飛ばす己に苦笑。

 捨てろ。

 思考を捨てて、鋼に至れ。

 

「づぎだ……!」

 

 喉に残った血の塊で濁った声のまま、宗司は雑念まみれの己を削りながら、四手目を指す。

 既にアンの矛はこの心鉄極まった金剛すら吸収し始めているが、特に問題は感じなかった。

 後、何回刀を振れるのだろうか。

 雑念の中、その思考だけは根っこにあった。

 揺らがない。

 揺らぎようがない。

 鋼は折れど、決して柔らかくはならないから。

 だから雑念は捨てよ。

 この鋼鉄にのみ腐心するのだ。

 

 その鋼鉄の意志を感じ取るアンは、全く響くところのみせない宗司の在り方に奇妙な違和感を覚え始めていた。

 何故、この男は意味の無いことを繰り返すのだろう。

 結果は覆しようがない。そもそも、結果が覆ったところでアンには最早意味の無いこと。

 そこで死ぬのも意味が無いからどうでもいい。

 ここで相手を無に帰すのも当然だからどうでもいい。

 ただ、そんな当たり前なことに対して、この男が見せる揺るがない意志は何だというのか。

 四撃目もまたアンの方が早い。一撃ごとに宗司の斬撃は離され始めており、彼女もまた、残り八撃も合わせればその次で宗司を無に帰すことが出来ると確信していた。

 さらに、それよりも早く宗司が自壊してしまうという可能性も察している。

 いずれにせよ宗司はアンの矛によって命を失う。そして存在が消滅し、ここでまた一つ新たな虚無が生まれ、アンは己が得た解答を示すことが出来るのだ。

 そのことを相手も分かっているはずだ。

 重ねた剣戟の数だけ、アンと宗司の間には奇妙な信頼関係は生まれ、ある種の友情と言ってもいい絆が形作られているから、言葉を介さずとも分かっているだろう。

 勿論、今のアンにとってはどうでもいいことではあるから、あえて宗司の考えを分かろうとはしないが。

 故に宗司の行動はまさに意味無しと言ってもいい。

 突き進む敗北を知りながら、己の勝利を信じて愚直に走る様。

 無様と言うべき、浅ましき醜態。

 

「……関係無い」

 

 思考の間に、八度目の衝突は終わった。

 残りは四つ。それによりアンは宗司の手にした極みの斬撃すら吸収し、意味無しとして宗司もろとも斬り伏せることになる。

 もうすぐ終わる。

 そう思った矢先、激突の衝撃で後退した宗司の体が大きく揺らいで膝が折れた。

 だが別段驚きはない。宗司の極みを全て飲み干すのが先か、その前に宗司が倒れるか、どちらが早いかの差でしかなかったから。

 そして、予想を違うこともなく、宗司の体は大地に崩れる。

 美しい月光に照らされた血濡れの肢体は、それでも握りしめた刀だけは落とさぬままに。宗司は押し寄せる微睡みに身を任せ、その視界は暗黒に染め上げた。

 いつか斬ると思った頂点にまるで届かなかった。

 結局、見苦しく足掻くことしか出来なかった自分を嘲笑いながら。

 このまま無様に、死に絶える。

 

「あぁ……だが」

 

 こんな終わりも、悪くない。

 

 その最後、綴じゆく瞳に浮かぶ三日月は、泣きたいくらいに遠かった。

 

 

 

 




次回、原初の君を
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