臓物ぶちまけて死にかけの侍を勇者として召喚してしまった件について   作:トロ

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第二十四話『胸の鼓動は、聞こえているか?』

 

 

 

 

 宗司が突然消えた。

 そして、アンの体は熱を帯びた。

 そう簡潔に述べざるを得ないほど、その異常は唐突だった。

 

「え?」

 

 何が起きたのかわからず当惑を露わにするアンの目の前、膝が折れ崩れ落ちようとしていたはずの宗司が刀を振りきった状態で立っていた。

 

「浅かっだが……」

 

 血の詰まった喉を震わして、口から赤色の泡を吹きながら宗司は言った。

 顔色は青を通り越して白に近い。だがその顔は清々しく、子どもが浮かべるような無垢な笑顔に満ちていた。

 振るった刃に滲ませているのはアンの血潮。それを見て、ようやくアンは己の胸を焼くような熱が、己の出血によるものだと理解した。

 

「なん、で……」

 

 疑問は、再度飛来した刃を咄嗟に受け止めたことで斬り飛ばされた。

 互いの刃が花散らし、甲高い音色を響かせる。

 両者の一撃は再び拮抗状態に戻っていた。宗司の刃が息を吹き返している。それどころか、初手に放った全霊の一撃すら凌ぐ程の速度と切れ味がその斬撃には秘められていた。

 その劇的な変化に、虚無という答えに行き着いたアンですら僅かではあるが困惑を覚えていた。

 速いうえに、重い。

 何よりも鋭く、熱い。

 

「貴方は……」

 

「俺は、俺だ」

 

 血の塊を飲み下して、宗司はアンの疑問に真っ直ぐと答えた。

 同時に放った袈裟の一撃は、アンが咄嗟に両手で槍を握って受け止めて尚、その両膝が崩れる程の威力がある。

 

「この狂気が、俺の証だ」

 

「ッ!」

 

 アンは両腕にかかる重さと、宗司の底知れぬ圧力に今度こそ動揺を露わにした。

 

「それが……! 何だっていうの!?」

 

 体中が切り刻まれ、左肩を潰され、熱血は殆ど失い、足元は今もふらつき押せば倒れそうな程に弱弱しい。

 ならば、この重さは何だ。

 何が、この満身創痍の男に力を与えているというのだ。

 意味が分からない。

 全てに意味が無いからこそ、宗司の覚醒はアンには理解出来なかった。

 

「そこがお主の、限界だ……!」

 

 競り合いを力任せに弾かれ、たたらを踏みつつ後ろに引いた宗司を襲う神速。額を射抜く虚無の魔弾を紙一重で躱しつつ、宗司は力の乗らない足を必死に動かした。

 刀を振り上げるのも億劫だ。だがそれは決して重いからではなく、体が羽毛のように軽くなったせいで、刀が煩わしく感じるせい。

 力は乗らないというが、力は要らなかった。

 何せ今は、空気の重さすら感じ取れる。

 それでも未だ肉の檻に囚われている己を内心笑いつつ、疾風の如くアンの矛と交差する。

 

「全て意味無しと断じたお主の完結程度で……俺の狂気を凌げるものかよ!」

 

「狂気? 狂気なんて!」

 

 これまでは不動のアンに宗司が斬りかかるという構図だったのが、いつの間にか両者の足は血肉の大地を踊り始めていた。

 足を動かし最適の立ち位置を探らなければ届かない。全て意味無しと断ずる一方で戦闘者としての理性がアンの体を突き動かしていた。

 手探りでありながら、博打を打つように身を晒して勝機を模索しなければならないほど、互いに体の裂傷によって斬り結べる時間は少なくなっていた。

 幕切れは近い。だが永遠のような無限の刹那がそこにはあった。

 

「何もかも意味が無いのに! どうしてそんな熱をいつまでも大切にしているの!?」

 

「決まっている! 俺の熱は俺の雑念! そしてこの刀の冷徹と合わさる熱量こそ鋼の真実! 刀の極み! 終わりなど無き修羅道を、お主如きに譲るわけがないだろうが!」

 

 空間ごと削るような無数の刺突の隙間を縫うように走る。手数では左肩の使えぬ今は及ばない。

 その分、一刀に込めた思いの丈をもって、敵手の牙に宗司の鋼は追いすがるのだ。

 

「ぐぅ!?」

 

 最早、宗司の斬撃は容易に受け止められる代物ではない。鎧を捨て身軽になったことが幸いしたのか、縦一閃と走る煌めきを辛うじて後ろに飛んで逃れようとする。しかしよけきれずにその頬が大きく裂けた。

 その程度である。頬が裂けたところで戦闘に支障はない。宗司から見て左側に飛んだアンは、着地の衝撃をそのまま槍へと伝播させて全力の刺突を振るった。

 稲光を超え、対象を無へと帰す意志に満ちた虚無の閃光の予測は放たれる前より。射線を捉えた宗司は、放たれるより早く身を反らし、その胸を擦るように矛先が突き抜ける。

 余波だけで着物もろとも肉が抉れる。

 返す刀で腕を裂いた。

 だが払われた槍の先が腹を浅く裂く。

 応じて一刀、胸部に三つめの爪痕を刻んだ。

 

「無駄を! するなぁぁぁ!」

 

「そいつは無理の難題だなぁ!」

 

 迸る両者の鮮血。

 その足元で踏み躙られた骸より溢れる冷血。

 その場を満たすありとあらゆる肉より吐き出された真紅が混ざり合い、空気すら血色に染まって真っ赤な霧が生まれていた。

 作り出される地獄。

 散った肉と潰れた臓物で満たされた大地を遠慮なしに踏み抜きつつ、一閃ごとに宗司とアンの体に新たな傷が刻まれた。

 互いに防御は無視している。残された体力がそうせざるを得ない状況に二人を追い込んでいた。

 何故、死なない。

 命を無くすという真実を拒否し続ける。

 アンの胸中を満たすのは常人には理解不能は常識であり、その常識に至ったがため、彼女の疑問は宗司に斬られる度に増大する。

 だが宗司は違う。

 この斬り合いを存分に楽しんでいた。

 先程までも楽しんでいたが、意味合いは随分と違う。

 勝ちたいと思う。

 負けるとも思う。

 楽しいと思う。

 痛くて逃げたいとも思う。

 そしてアンと同じく、こんなことに意味が無いとも思っていた。

 そんな全てを肯定する。斬り合いでいつも浮かんでいたあらゆる雑念を捨て、己を一つの刀へとするのではない。そうした諸々を全て許容して、だから楽しいのだと宗司は腕を振るい続ける。

 これぞ一つの武の真髄だった。完結という人の可能性ではなく、人が膨大な年月を尽くして練り上げた珠玉の技。

 今や宗司はあらゆる感情を用いて刀を振るっていた。

 勝つ意志を込めて振るう刃は迷いなく走る。

 負ける確信で振るう刃は腰の引けた情けない軌跡を描き。

 楽しいという喜悦で振るう刃は術理を無視しながらも鋭い線をなぞり。

 逃げ出したいと願う体はいつの間にか飛びずさっていた。

 その他、全ての感情を用いた一刀が花開くようにアンの心眼を染め上げた。

 たった一振りに込められた全てが、錯綜する宗司の念が真実の虚像となってアンの虚無を錯乱させる。

 あらゆる感情を限界まで発露して込めた一刀。

 それは剣士の奥義たる明鏡止水とは真逆の領域。

 雑念ばかりを込められし、狂い狂った狂気の極み。

 

「捨てても軽くなりはせん」

 

 この身に刻んだ想いを、欲するままに体に巻き付け。

 

「抱えて進めば、軽くなるのだ」

 

 疾走するこの身に纏わりつく雑念が、只の棒切れを刀とする。

 弧を描く刀と線を走る槍。火花と共に互いの得物の鉄が欠け、粒子と散った鋼の残滓は空から落ちた星屑のよう。その激突の手ごたえに、宗司はようやく眼前の虚無に己の刀が追いついたのを悟る。

 後はこの虚無、超えるのみ。

 だが時間は殆ど残されていない。

 肉体に蓄積された疲労と裂傷。その分流れた血潮の量は致命的。

 眩暈がする。

 腕と足が上がらない。

 呼吸も苦しく、痛みすら遠い。

 油断すれば意識なんて木端よりも呆気なく吹き飛びそう。

 それだけではなく、宗司とアン、両者と同じく、二人が使う得物にもまた限界は訪れようとしていた。

 軋みをあげる互いの鋼。ぶつけるたびに削られていく刃も、その命を削っている。

 それは、積み上げた積木がいつかは瓦解するかのように危うい均衡。

 だが、限界と見定めた十二撃は遥か以前に過ぎ去っていた。

 閃光と連なる刃。

 響く旋律に似た鋼鉄の軋み。

 場内の熱気を模した血潮と臓腑の臭い。

 結末は残り数秒か。

 しかし、際限なく引き伸ばされる刹那の時は数秒を数時間に変え、今も一秒は彼岸に消える。

 永遠はここにあった。

 一切を飲もうとする虚無を切り開こうとする宗司の手にした心鉄の極みと、狂気を飲まんと疾駆するアンの狂気が作り上げる、二人が望んだ修羅場がある。

 そこに終わりなんて無い。

 終わりと言う無すらも無いという矛盾。だがアンの虚無は終わり無き終わりすら肯定した。

 そうか。

 つまりこの男はそうなのだ。

 

「あはっ」

 

 永遠に終わらない終わりが始まったのだ。

 虚無という解答に目覚めて僅かな時間。世界が在るという事実と、世界は無いものだと知った自分の解答との矛盾に苛まれ、この解答を与えてくれた宗司と戦うことで紛らわせた己の思い。

 それが昇華されていく。

 終わりがあった。

 今やこの場には終わりしか存在しない。

 無という存在の一つの解答がここにはあった。

 それを知って笑わずにいられようか。

 笑うことに意味は無いけれど。

 しかし、この場そのものが無の極地なら、この場で何をしようとそれは自由。

 何もかも虚無。ここにはアンの全てが在る。

 無いことが在る至福は、それだけで奇跡だった。

 

「世界が、虚無になっている……」

 

 故に、終と定めた完結に、飲まれた世界を是とするか。

 

「そう思うのは、お主の勝手だ」

 

 アンの歓喜を、それこそ意味無しと宗司は嗤った。

 

 決着は迫る。

 

 全てを飲み干す人間大の暗黒天体と化したアンの槍捌きは、宗司の体を引きずり込もうとその規模を増す。

 この世に存在するありとあらゆる全てが、その槍の範囲に踏み込めば瞬きすら持たずに消滅する程の破壊と速度の乱気流。では、そこに飛び込み尚も生きながらえ斬り合い続ける宗司は、既に人間の領域を逸脱したのか。

 否、宗司は何処までも人間でしかない。傷つき痛んだ体を押して、折れかけの鋼を頼りにするだけの只の人間だ。

 だから、乱れ咲く虚無の必殺にだって突入する。

 必殺を超えて、我が必殺を。

 お主を斬るために、俺は死地を疾駆する。

 だが足りない。まだ後一歩。必要なのは終わりの先。

 槍の薙ぎ払いに鋼鉄を叩き込む。何度目の必殺をこれで弾いたか。アンの目に驚きはない。宗司もまた同じだった。

 終わらない。

 決着に、届かない。

 だが斬るのを止めない。

 それしか知らぬと二人は笑い、千を超えた斬撃は刹那の隙間に鳴り響く。

 

「もう少し……」

 

「あぁ、もう少し、だな」

 

 両者共に永遠の存続を望んだのか。それとも永遠の終わりを望んだのか。

 でも、もう少し。

 この言葉だけは、重なった。

 重なった言葉は見えない糸となって絡み合い、二人の距離を縮め、突き出した刃が交差し互いの体に突き立つ。

 血潮の雨。

 致命傷に重なる致命的。

 それはつまり――

 

 死が、迫っている。

 

「が、は……」

 

「ぅ、ぁ……」

 

 そして終わりは始まった。

 腹部を貫通した刃の切れ味によって、引き伸ばされた世界の時間は元に戻る。

 互いに虚ろな眼差しで、腹に刺さった鋼を支えに立っているだけという現状。

 余力は無かった。

 永遠に続くと思われたあの刹那に至った術も、今の二人ではもう一度入ることは出来ない。

 放っておいても互いに死ぬのが目に見えている。

 だが。

 それでも。

 それ故に。

 

 鋼を握る掌が、燃えるくらいに熱かった。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

「おぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 腹より同時に引き抜いた得物を手に、一歩引いた両者が吼え滾った。

 全身を引き絞り、互いに防御を一切無視して敵手へ放つ一撃に全霊を注ぎ込む。

 そして、虚無に至った刺突と我欲で編まれた斬撃が、この戦いで一際強烈な踏み込みと共に放たれる。

 激突し合った互いの鋼。

 弾けた火花もこれまでで最大。

 そして――。

 

 宗司は、笑った。

 

 その時、限界を超えた互いの鋼が砕け散ったのを見て、両者ともに終わりを悟る。

 二人よりも先に、その相棒は極限を超えた死闘に耐えきれなかったのだ。

 刀と槍の残骸が混ざり合い、血潮の霧に反射する。

 その煌めきに照らされながら、二人は手に残った残骸を互いの心臓目掛けて突き出した。

 半ばで折れた刀と槍が再度激突し、今度こそ衝撃に耐えきれず、完全に砕け散る。

 柄を握った掌は内側で砕けた鋼によってずたずたに引き裂かれた。だが二人は迷わず血濡れの手を虚空に伸ばし、辛うじて刃の形を残していた断片を同時に握り締めた。当然、断片とはいえ抜き身の刃を素手で掴んだせいでさらに傷口は深くなる。

 先手を取ったのは宗司だ。懐に飛び込んでアンの腹に刃を突き立てる。そして深々と刺さった刃をさらに回転させようとしたところで、宗司は己の背中に異物感を覚えた。

 振り下ろされたアンの刃が肩甲骨を砕いて肺腑を突く。貫かれたのが潰れた方の肺だったのは僥倖か。

 構わず腹に刺した刃を捩じりこんだ宗司が刃を手放すと、踏み込んだ爪先を支点に体を回転させた。

 足先から膝を経て、腰、肩、肘へ。距離を用いず、全身駆動のバネを用いて力を溜めた宗司は、肥大した力を掌底に注ぎ、刃の尻に叩き込む。

 火薬を弾かれた弾丸のように、刃は勢いよくアンの腹から背中へと抜けた。

 だがアンは宗司の背中に突き立てた刃から手を放さない。それどころかより力が込められてズブズブと刃は肉へと沈んでいる。

 

「ぐ……がぁ!」

 

 肺より逆流した血液を鼻と口から流しつつ、顔を上げた宗司は刃を掴むアンの腕目掛けて拳を叩き込んだ。肘に炸裂した拳は本来曲がらぬ方向に肘を折り曲げ、肉より骨が突き出る程。

 結果、物理的に力が入らなくなったアンの掌は強引に刃から引きはがされる。その勢いで背中より引き抜かれた刃を、宗司の右手は見ることもなく感じ取った。

 

「ひ、ひひ……!」

 

 アンは歪んだ笑みを浮かべ、骨の突き出た腕を振りかざす。尖った骨の先はそれだけでも凶器。笑みの正体は、宗司を葬る確実な武器を手にした歓喜からか。

 少なくとも、彼女には躊躇いなど微塵もない。

 この敵手を葬るため、不細工で醜い矛すら、今は愛おしいのだから。

 筋肉を締めて骨を固定すると、アンは体ごと倒れこむように宗司の首へ腕を突き出した。

 己の虚無そのものを叩きつけてくる恐怖。歪んだ笑みに込められた無感の歓喜はすぐそこに、対して宗司が感じたのは、背後に在る確かな冷徹、冷たい刃。

 舞う鋼の息吹。

 眼前には凶兆の化身。

 迷わず伸ばした掌は――意志なき鋼を手繰り寄せた。

 

 だが、遅い。

 

「これでぇぇぇぇ!」

 

 ぬめる矛先は、宗司の首筋に触れ、その皮膚を貫くところまで到達する。

 宗司という究極の我欲を終わらせられる歓喜にアンは叫んだ。無防備な背中を向ける宗司の首をこの切っ先で貫ける幸福に笑い、見えぬ視界に血濡れの終わりを夢想する。

 その光景を、宗司もまた同じく思い描いていた。

 首を貫かれ、死ぬ。

 分かっている。

 分かっているけれど。

 

「こんなにも……」

 

 己の死が迫っているというのに、宗司の瞳は握り締めた鉄の欠片に反射する、理想と描いた斬撃と同じ軌跡を描く三日月に奪われていた。

 死闘の果て。

 死線の間際。

 死地の終わり。

 そこはきっと、至ってはならない修羅場なのに。

 修羅場に零れる月光は、舞い散る花びらのように美しかった。

 世界はそこで停止する。

 時よ止まれと願うほど美しさに魅せられた、涅槃寂静より短き時の間。

 溢れ出る感情は限界を容易に超えて――さぁ、終の先へと踏み出そう。

 

 我欲の極みは無感を抜けて、一人の修羅が、鳥のように羽ばたいていく。

 

 練り上げた思いの丈を小さな鋼に纏わりつかせれば、体はいつの間にか動いていた。

 既にアンの虚無は首筋に触れていて、今から動いても意味は無いかもしれないのに。

 しかし宗司に迷いはなかった。

 理由も無く、確信も無い。

 だけど、この刃は今こそ月すら断つのだと思えたから。

 刃を掴んだその腕は、空に浮かぶ三日月をなぞる様に虚空を走り――。

 

「月が、綺麗だ……」

 

 りーん、と。

 

 いつか、どこかで聞いた音色が、木霊した。

 

 か細く漏れたのは、偽りの無い真実の一閃。

 初めて聞いた音色なのに、どこか懐かしい響きの歌声。

 透明で、静寂に酔い、風に溶けるような美しい旋律。

 刀の奏でる鈴の音色。

 

 凛と冴える、鋼の調(しらべ)

 

「……名も知らぬ武士(もののふ)よ」

 

 斬り飛ばされたアンの腕が虚空を舞う。閃光と疾駆した斬撃は、今宵、最速で最短の軌道を飛び、少女が手にした唯一無二の解答を斬り払っていた。

 それなのに、茫然と己の腕が失われた事実を悟ったアンは、総身を走る結末の予感に嬉しそうな笑みを一つ。

 腕を広げて虚空を仰ぐ。

 まるで、聖母のように美しく、悪魔の誘いのように汚らわしく。

 

 あるいはこの結末に、感謝するように。

 

 宗司は流線形を描く鮮血の尾を引いたままの刃を構え直し、抱き締めるようにアンの胸へと飛び込んだ。

 ぞぶりと胸部を抜け、骨を斬り裂き、心を突く。

 明確な死。

 先程とは打って変わって、至高と呼ぶには稚拙な一撃だったけれど。

 この斬撃もまた、己が手にしたたった一つの――。

 

「俺は我流……否、彼我(ひが)一刀流、宗司」

 

 我流を誇る男が抱く、いつか師より告げられた秘奥を名乗る。

 

 彼我一刀流奥義、心鉄金剛。

 

 無垢の刀に極まり注ぐ、我欲の生き様ここに煌めき。

 

 

 ――虚無の終わりを、斬り捨てる。

 

 

「この死合……俺の、勝ちだ」

 

 宗司は無邪気な笑みに、寂しさを少し混ぜて、結末の至福に酔いしれる。

 その笑顔を盲目の少女は見ることは出来ないけれど。

 

「素敵な貴方。愛しい貴方」

 

 嬉しそうに笑う宗司の姿が彼女の目に鮮明に描かれたのはきっと、紛れもない真実のはずだから。

 

「貴方のおかげで……」

 

 私は『無になれた』。

 

 言葉無き声こそ、終わりの音色。

 眠る様に瞼を綴じた少女は安堵の笑みを最後に浮かべ、それすらもまた、夜に溶けて無に消えた。

 

 

 

 

 

 むせる程の血の香りと、暖かくて柔らかな何かの感触を感じる。

 地獄にしては心地よい。そんなことを思った宗司は、とりあえず綴じていた瞼をゆっくりと開いた。

 

「……めいる、か」

 

「おはようございます。あれ? こんばんはかな? まぁいいや、はい、ソウジさん。メイルですよ」

 

 視線の先の少女、メイル・リンクキャットは、乾いた血の張り付いた顔で宗司に微笑んだ。

 後頭部に感じる感触と間近のメイルを見て、宗司は己が膝枕をされている状況に自嘲を一つ。

 無防備を晒しすぎたものだ。

 未だ微睡んでいる意識を何とか繋ぎつつ、浴びるように受けた矢と斬撃によって、最早服としての機能は最低限しか保っていないメイルの服と、そこにこびりついた血の量を見て喉を鳴らす。

 

「何だお主。随分とやられたようだのぉ」

 

「三百八十九回死にました。ソウジさんが聖剣を残してくれなかったら、色々と駄目だったはずです」

 

「だが、言いつけは守ったようだな?」

 

「はい。根っこ齧って流れを読みました」

 

「その流れ、忘れるなよ?」

 

「大丈夫です。聖剣放しても、私の手にちゃんと残ってくれましたから……それで、強くなりたいって思いました。今回は聖剣に頼りっぱなしになっちゃいましたけど、でも次からは自分だけであの死線を越えて、強くなろうって思えたから……それって、とっても素敵なことですよね」

 

 誇らしげに語るメイルに、それならばいいと宗司は満足した。

 体は随分と軽い。見れば、右手にはしっかりと聖剣が握られている。

 

「あの日と同じだな。また、お主には命を救われたようだ」

 

「ちょっと違いますけどね。私、今度は自分の意志でソウジさんを助けることが出来ました」

 

「後悔してるか?」

 

「後悔なんてしませんよ。ううん、したくないです」

 

「なら、良い……」

 

 宗司はこの世界に来た時のことを思い出す。

 初めて出会ったあの日。まだ一月も経っていないというのに、随分と昔に感じるのはどうしてだろうか。

 散乱する死体と、充満する血の香り。そして鬱蒼とした森の中。

 状況は同じだ。違うのは、メイルの心の在り方だけ。

 初めて出会った時は、偶然だった。

 なら今回自分を助けたメイルの必然には、何が込められているのだろうか。

 

「あほらしい」

 

 どうでもいいことだ。

 宗司は疲労で重くなった上半身を起き上がらせると、握っていた聖剣を地面に突き刺して手放した。

 そんなことよりも、もっと大事なことがあるだろう。

 偽りの全能感は消えうせる。宗司が手にした極みを汚す邪魔が無くなれば、この手に残るのは――

 

「まだ、この手にある」

 

 鋼と人が合わさり至る真理は、刀を失った今も己の掌に。虚無の完結を超えた己の修羅が、隠し切れない喜びとなって胸の内からこみ上げてくる。

 

「だが、まだまだだ」

 

 不意に見上げた空の三日月はそれでも遠い。

 しかし、差すらも分からなかったかつてと違い、今は己と三日月の差がどれほど離れているのか分かるまでは、近づくことが出来た。

 修羅外道。

 あの男の至った極みは、アンのそれとは違う。同じ終わりでありながら、アンは戦いの最中入ったばかりの初心者だったのに対して、あの男は手にした完結に浸り尽くして、完結を十全に扱える程のもの。

 人間の可能性の底は見た。

 だが、可能性の底を惜しげも無く操る男は、尚も超えられぬ頂に。

 

「……それでも俺は、いつかあの三日月も」

 

 斬って捨てる。

 童のように無邪気な心地で語る宗司は、飽きることなく夜空を見上げ続ける。

 

「……はい、私もきっと」

 

 その隣で、同じように夜空に思いをはせるメイルもまた、胸に宿した原初の願い。強くなるという渇望を空に託すのだ。

 

 

 

 

 そして、修羅場の終わりの静寂に、死闘を制した修羅二匹。極めた武力を一人誇り、狂気の月夜で血潮に浸る。

 

 ――胸の鼓動は、聞こえているか?

 

 今はその手の我欲も忘れ、熱く冷たい儚さに酔え。

 

 

 

 

 




次回、新たな土地へ、約束を添えて

例のアレ
心鉄金剛
ぬれしたたるげっこーのきば。とはまるで関係ない。
あえて定義するなら明鏡止水や無念無想の逆。一刀の間にあらゆる思考や感情を張り巡らせ、そのうえで刃を振るうという、雑念と妄想で溢れた狂気の刃。
これによって対峙する相手は様々な気の残像に踊らされ応手を見誤る。あくまで人が人を殺すために積み上げた狂気の技の集大成。

研ぎ澄まされた可能性の極みに比肩するのは、血塗れの雑念と妄執のみ。どちらもきっと、なんて様。
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