臓物ぶちまけて死にかけの侍を勇者として召喚してしまった件について   作:トロ

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第十一話『一心一身』

 

 戦いは最後の局面へと入っていた。

 リグの剛力が唸り、クロナの力と技が迎え撃つ。そしてその間隙を縫ってメイルの技が走る。まさに一進一退、どちらかが一つでも応手を誤った瞬間に終わりを迎える綱渡りの攻防。

 その戦いを遠目から傭兵達は傍観することしか出来なかった。

 生物の域を超えた超人の戦場。乱舞する力の渦は遠くに居ても圧力で後退ってしまう程の威圧感を発している。

 

「う、うぅ……が、頑張れ!」

 

「そうだ! 頑張ってくれ!」

 

「頼む、勝て、勝てぇ!」

 

 人族の希望へと傭兵達の声援が送られた。

 あまりに矮小な彼らに出来るのはたったそれだけのこと。

 希望が折れないように、自分達の分も託すように。

 

「気持ち悪い」

 

「奇遇だな。俺もそう思うぜメイル」

 

 その声援が戦いを汚すと何故分からないのか。

 メイルの苦々しい呟きを、リグも苦笑混じりに肯定した。

 

「ッ……はぁ!」

 

 それは違うと叫ぼうにもクロナには彼らのように口を開く余裕はない。

 リグの剛剣を捌きながら、クロナは彼らの希望に応えるべく尚も強く剣を振るった。

 どうしようもない現状を打破する者に希望を託す。それを何故気持ち悪いと言えるのか。

 脳裏を過るのはあの日の問答。

 

 ――お前さんだけ置いて逃げるアレらを守る理由がどこにあるのじゃ?

 

 ――違う! 託された。託してくれた。私はここに私の意志で立っている!

 

 ――戦士じゃのぉ。いや、流石は儂らの血を継ぐ者じゃ。

 

 ――ッ……黙れぇぇぇ!!

 

「私は……ッ」

 

 人間なのだと叫ぼうとして、ふと、何故そんな矛盾を叫ぼうとすると心の中で誰かが囁いた。

 つい先程、お前はメイルという人間に恐怖したくせに。

 アレは私とは違うと、思ったのだろう?

 

「ハハッ! 貰ったぁ!」

 

「ッ!?」

 

 一瞬の動揺より生まれた隙。当然それを逃すリグではなく、メイルの斬撃を使えなくなった左腕を強引に動かして受け止めクロナを強襲する。

 大気を砕いて棍棒がクロナの胸部に迫る。咄嗟に両手剣の腹で受け止めたが、リグの一撃は両手剣もろともクロナの体を吹き飛ばした。

 

「がふっ!?」

 

 家屋の瓦礫を巻き込んで十メートル以上も吹き飛んだクロナは、胸部の激痛よりこみ上げた血を盛大に口から吐き出す。

 胸骨が砕け、臓器に突き刺さったのか。吐き出した赤黒い血が、動揺による手痛すぎる代償を物語っていた。

 だが倒れている暇はない。この僅かな間に、リグと対峙するメイルがいつ殺されてもおかしくはなかった。

 

「オーガぁぁぁぁぁ!!」

 

 治癒の魔術と強化の魔術の重ね掛けという荒業で痛みを誤魔化し、血反吐を撒きながらクロナが棍棒を受けて歪んだ両手剣を手に躍りかかった。

 ダメージを受けたとは思えない苛烈な打ち込みに堪らずリグが防御に回る。巨人と巨躯の激突で大地が震撼し、それ以上の気迫が世界すら震わす。

 

「シィィィィィ!!」

 

 鋭い呼気を吐いて、メイルは僅かに押されたリグの腹部へ渾身の刺突を放った。

 狙いは破邪装飾で大きく裂かれた一点。傷口を抉り斬ることだけに専心し、鬼という牙城を突き穿つ。

 

「ガッ!?」

 

 そして、クロナの一撃を抑えるのに手いっぱいだったリグの腹の傷を、この日初めてメイルの一撃が貫いた。

 久方振りの肉を貫く感触がメイルの心を震わせる。

 持てる全てを出し尽くし、クロナの助力を借りてようやく届いた一閃。この歓喜にメイルの心は僅かに揺らぎ。

 

「クカッ」

 

 失敗したと悟ったのは、半ばまで突き立った剣がへし折れたのを見た瞬間だった。

 リグは笑っている。まさしくこれを狙っていたのだと男の笑みが物語る。

 腹に刺さった剣を、腹筋を締めることでへし折るという魔族ならではの荒業。それほどにメイルを警戒しているというべきか。半ばで砕けた剣を見て己の失態に気付くメイルは、その失態に気付くという新たな隙をリグに見抜かれた。

 瞬間、枯れ木を割る音をメイルは自分の中から聞く。

 合わせてぶれる視界。右半身より紡がれる不快な旋律を演じたのは、右腕もろとも体を巻き込む丸太の如き真紅の足。

 

「あばよ」

 

 リグの放った鋭い回し蹴りの直撃を受けて、クロナに続き今度はメイルが数十メートルも先に木端の如く吹き飛んだ。

 

「ッ、メイル!?」

 

「ハッ、仲間を気遣う余裕はねぇだろ!?」

 

 鍔迫り合いから容易くクロナの両手剣を弾いて、リグが再度クロナを防戦一方に追い込んだ。

 その苛烈な攻めを受けて、クロナの一撃に押されたのが罠だったのだとようやく気付く。

 確実に敵を一人潰すため、肉を斬らせて骨を断つ。格言通りの行動を実践してみせたリグの荒々しくも狡猾な一手の結果はこの通り。

 メイルは完全に持っていかれた。

 安否は定かではないが、リグの怪力をまともに受けて無事で済むはずがない。

 そしてクロナもまた胸部のダメージを庇いながらリグの猛攻を捌いて反撃は出来ない。

 

 ――ここに、戦いの勝敗は結実する。

 

 魔族という絶対を前に、人はどう足掻いても無力でしかない。

 そして例えリグを倒したところで、所詮彼ですら派兵される程度の兵士。その背後には何十ものリグ以上の恐るべき魔族が控えている。

 さらに、北の大陸には全ての魔族を力で治めた生ける伝説、魔王クラウディア・ザ・ウロボロスと配下の四天王が虎視眈々と大結界を挟んで人族を睨んでいるのだ。

 これが魔族という絶望。

 種族滅亡を確信させる現状の証明。

 

 だから人は、何も見ないように希望の光で目を眩ませるのだ。

 

「う、うわぁぁぁぁぁ!」

 

「行けぇ! 進めぇぇぇ!」

 

 最早ここまでと覚悟したクロナの耳に、勇ましくも情けない声が聞こえた。

 それは恐怖に顔を歪ませ、涙を流しながら駆け寄ってくる傭兵達の集団。

 誰もが死へ突撃する恐怖に屈していた。勝てるはずがないと涙していた。

 だが、希望の光がその眼に宿っている。

 

 ――止めてくれ。

 

 クロナが鉄仮面の下の表情をぐしゃぐしゃに歪めた。

 誰もが自分を見ている。

 魔族と戦える力の持ち主が生き残ればまだ希望は繋がるのだと。

 そのために、種族を守るために彼らは死のうとしている。

 魔族殺し。

 我らが英雄、魔族殺し。

 彼女がいつか、魔族を殺すと信じて。

 

「あぁ? クソが。最高のとこに水差すんじゃねぇぞ!?」

 

「逃げてくだガっ!?」

 

「俺達の希ぼ――!」

 

「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!」

 

 羽虫のようにたかってくる傭兵達をリグの一撃が次々に薙ぎ払っていく。

 いつか見た光景と全く同じだ。

 何度と、幾度と繰り返された希望に繋がる死の行軍。

 火に近寄って燃え尽きる虫だ。

 何度となく見続けた地獄絵図。

 また同じものを見る。

 いつだって繰り返す。

 過ちは際限なく、二度と繰り返すかと決めた誓いは数年前には消えていて。

 

 ――よくやった。素晴らしき戦士よ、お前さんになら儂の首をくれてやってもいい。

 

 いつまで私は、偽りの(・・・)英雄を演じなければならない?

 血を撒き散らして消え続ける命の灯火を眺めて、クロナは心を犯す絶望に潰されてしまいそうになっていた。

 そうしている間にも、誰も彼もが希望を託して死んでいく。

 勝手に託して、勝手に祈って。

 見たくないから光で目を眩ませて。

 

 だからこそ、お前達は知らなければならない。

 

 お前達が本当は何者なのかということを。

 

「ふざけるな」

 

 雑兵を薙ぎ払うリグが。

 絶望に染まるクロナが。

 勝手にくたばる傭兵達が。

 か細くも朗々と戦場に響く声を聞いて、誰もが動きを止めた。

 声の主がゆっくりと姿を見せる。

 使い物にならなくなった右腕を揺らし、幽鬼の如き頼りなさで一歩一歩を歩む少女。

 この場において、只一人のか弱き修羅。

 メイル・リンクキャット、この場で唯一、人間(・・)に退化した狂気の産物。

 

「どいつもこいつも……自分じゃできない馬鹿ばっか……」

 

 砕けた剣の代わりに、鞘に収まった聖剣を左手に掴み、衰えるどころか膨れ上がり続ける戦意を瞳に宿して立っている。

 歩くだけで限界の体を押して、しかして尚も狂気が進む。

 

「邪魔だから失せろ」

 

 知るがいい、理性を忘れた獣達よ。

 これより魅せる狂気こそが、お前達の本性だ。

 

「そいつは私が、斬るって決めた」

 

 

 

 

 

「ところであのオッパイチビはお前の何だ?」

 

「ん? 藪から棒にどうした?」

 

 鉄が奏でる高音と充満する熱気で満たされたダンの工房。かれこれ丸一日経過した室内で、久方ぶりに開いたダンの問いに宗司は逆に疑問をぶつけた。

 ダンは錬鉄に注ぐ集中力はそのままに「まぁアレだ。ちょっとした息抜きみたいなものよ」と軽く答える。

 ならば答える必要があるかと宗司もまた気軽に応じた。

 

「めいるは俺の弟子だ」

 

「へぇ。まぁ確かに中々見どころはありそうだったが……ありゃ才能なんてねぇぞ?」

 

「それはそうだろう。アレは凡才で秀才の類だ。しかしダン、お主は才能が無かったら鍛冶をやらなかったのか?」

 

「……ケッ。そんなん知らねぇよ。俺は命を殺す武器が大好きなだけよ」

 

 それはもう十分に答えとなっているではないか。などと野暮なことは言わない。

 だがダンも宗司の問いで得心したのか、「ついでにオッパイの刀も作ってやるよ」と言った。

 

「俺のだけではなく、めいるの分までも本当に良いのか?」

 

「良いも悪いもねぇよ。俺は気に入った奴に武器を作る。それで、俺の作った武器がド派手にカス共をぶっ殺し、大した武器を持てなかった強い奴を武器のおかげでぶっ殺す。最高だろ?」

 

「ははは、お主はやはり俺と同じ畜生以下だな。性根が腐りすぎておる」

 

「お前程じゃあねぇさ色男……しかし弟子か。お前はオッパイが今後どうしたいんだ?」

 

「どうするか、か」

 

 いずれ自分を殺させる。それは間違ってはいない。

 だがどのような形でメイルの華が開くのか。そればかりは彼女次第だ。

 狂気の芽は芽吹き、異形と恐れられる黒き華を咲かせた。

 宗司がメイルに与えたのは気付きだけだ。

 剣術、体術、戦術眼。

 時に体に、時に言葉で、メイルの心に染み込ませた教えは既に、雑兵程度ならあしらえる程の力を彼女に与えた。

 だが本当の目覚めはここから。

 真の殺し合い。全てを出し尽くしても届かない相手に見出す、乾坤一擲の極み。

 宗司も、あのナイルだって繰り返したに違いない、窮極の狭間で行われる進化の時。

 宗司とは違う在り方へ。メイルだけが進むことが出来る未知へと一歩踏み込めば。

 

「修羅と化すのだ」

 

 全てを尽くして届かなかった。

 挫けて迷い、どうしようもないと理解した。

 

 その時、我ら(修羅)は思うのだ。

 

故に(・・)、とな」

 

 

 

 

 

 激痛がまともな思考を阻害していた。辛うじて行った治癒魔術では僅かな回復しか期待できない。右腕は肉と骨が潰れて弾け、ただ付いているだけの有り様。皮を引き裂いて飛び出た肉と骨は最上級魔術の治癒が無ければ二度と治らないだろう。

 それでも咄嗟に折れた片手剣を間に挟めたおかげで、胴体は辛うじて戦闘に耐えられる程度のダメージしか受けずにすんだ。とはいえ骨は砕け内臓が損傷しているので、戦えても一分も持たないが。

 否、正直に白状すれば戦うどころではなかった。

 ダメージは限界を超え、軽く押せばそのまま倒れてしまう程に弱々しい。

 死の足音だって聞こえる。

 この様だ。

 手持ちは尽きて、万策も果て、望みは絶えた。

 メイル・リンクキャットの全霊は、届かなかったと理解した。

 

 理解したうえで、メイルは聖剣を手放さずに立っていた。鞘から抜けない聖剣を、ただの武具として構えていた。

 

「スゥ……」

 

 息を吸うだけで体中を激痛が駆け抜けた。だがメイルは痛みを一切顔には出さず、鮮血で真っ赤に染まった視界の向こう側に立つ敵だけに腐心する。

 

「そうかい。やっぱテメェ、最高だ!」

 

 リグにはもうメイル以外の誰も目に入らなかった。それほどの鋭さと強さが、瀕死のメイルより感じられるのだ。

 戦士としての本能が告げている。

 あそこに立つのは敵を超えた。無二の天敵として在る脅威。

 足掻きようもない現実に唯一牙を立てる唯一の一手。

 闘争から不純物を削り取った果ての一つの単位。

 ()に至った闘いの火が、不可逆の勝敗を覆す絶技を成すのだ。

 

「死ねやぁ!」

 

 我慢出来ないとばかりに突撃してきたリグの気迫に相応しい豪打の嵐がメイルを再び追い詰めていく。

 辛うじて避けているが、最早、一手を返すことすらままならなかった。

 風圧だけで肉体が悲鳴をあげる。次に直撃を受ければ死ぬのだと頭の片隅でどうでもいいことを考える。

 だが戦っている。

 まだ戦える。

 

「そうさ! 下らねぇ雑魚をぶっ殺すのは飽き飽きだ! テメェやアイツみてぇな強い奴を殺すのが生きてる証だろうがぁ!」

 

「……」

 

「テメェもそうだろ!? 強ぇ奴に殺し殺されて! それだけしか知らねぇがそれ以外どうだっていいからまだ立つんだろ!?」

 

「……」

 

「ぎゃははははは! メイル! 死ねよ! 派手に死んだり死なせたりしようぜぇぇ!!??」

 

 リグの絶叫に応じられない。

 だが、言っていることは確かに共感していた。

 乱打の中を九死に一生の機を掴み続けて回避しながら、闘争の正しい在り方を素晴らしいと思った。

 

 ――だけどね。

 

 ――知っているかしら? リグ・ガ・ギガ。

 

「貴方が分かるわ」

 

 ――貴方はそれしか知らないからそうしているだけの人形みたいな存在だ。

 

 ――だけど私は違う。無限と存在する素晴らしいことと嫌悪すべきことを知りながら、私は自ら此処(・・)に居る。

 

 ――唾棄すべき悪意の渦の只中に一人。

 

 

 ――私はね、居るんだよ?

 

「ねぇ、リグ・ガ・ギガ」

 

 無感の冷徹、修羅場に一人。

 善悪を超越した不退転の極み。

 だから彼女――彼らは笑える。

 故に、彼らだけが至るのだ。

 狂気の真髄。

 

 修羅の域。

 

「ようやく……見えた」

 

 瞬間、メイルの眼がリグと自分の間を走る一筋の光を捉えた。

 戦いの果て。勝者と敗者の確定。

 絶対強者へ告げる狂気の宣誓を。

 

 超越するは、我が無感。

 

 ――刹那、頭上から振り下ろされた棍棒ごと、メイルの一閃がリグの巨体を後退させた。

 

「……あ?」

 

 何が起きたのか理解出来ないと首を傾げたリグは、棍棒が半ばから綺麗に切断されていることに気付く。

 ただの鉄の塊ではない。リグの怪力に耐えられるように特注で作られた自慢の一振りだ。

 その自慢が半ばより断たれた。斬られた。

 視線を戻せば、聖剣を振り抜いた状態で動きを止めたメイルが立っている。

 幾ら聖剣とはいえ、鞘に収まった状態でどうやって切断したのか。

 何をした?

 どんなスキルを、魔術を用いた?

 いや、そもそも――。

 

「テメェ、何者だ?」

 

 これは、先程と同じ存在なのか?

 

「……」

 

 答えはない。否、答える余裕すらない。

 メイルは既に肉体の機能を纏めて捨てていた。

 斬るという一点以外の機能は不要。余分に注いでいたリソースを全て斬撃に置換していく。

 最早、臓器すら幾つも機能を消失してしまったただのデッドウェイト。その分の力すら魔力と筋力の覚醒に注ぎこむ。

 今や、メイルは人型の斬撃兵器だった。

 斬るのだ。

 斬ることでしか意味が無いのだ。

 目指す域へ至るのに必要なのは速さと力と技。

 つまり全て。

 今の自分に足りない全てを、不要な全てを捨て去って補填する。

 メイルは宗司から与えられた全てを自分の中で本物へと組み立てた。

 宗司より派生した短くも濃密な戦いの記録を全て掻き集めて、砂粒一つの欠片すら残さず斬撃へと変えた。

 技だけでは斬れない。

 強化だけでは使えない。

 だからこの時、今、この瞬間。

 この先すら要らない。我が理想に比する必殺を一つだけ。

 

「……」

 

 メイルの体が強化の魔術で淡く輝く。

 今こそ異世界の魔術と異界の技術を合わせる時。

 成し得なかった奇跡を、自分だけの極みへと作り変えろ。

 

 そして、窮極の狭間で超越が紡がれる。

 

 メイルの全身から力という力が抜けた。まるで体が液体にでもなってしまったような脱力。見る者からすれば前のめりに倒れたとしか思えなかっただろう。

 しかし、崩れていく体が地面に激突する瞬間、地面を食んだ親指が、爪すら砕く力で大地を弾いた。

 那由他の時を駆ける修羅の激走。

 誰もその疾走を視認出来なかった。彼女が走る跡を示すのは、体より零れた魔力の残光と、神速を得たメイル当人のみ。

 もっと、早く。

 もっと、強く。

 そのために刻んだ時を引き伸ばし、伸ばした時をさらに刻んで長くする。

 刹那の時が一秒へ、一秒が十秒へ、十秒が百秒へ。知覚領域が膨れ上がったメイルは、宗司の居た世界で達人と呼ばれる侍たちが当たり前に知覚していた域へ、ようやく片足を踏み込んだのを理解した。

 

 ――これが、ソウジさんの見ている世界。

 

 世界が停止していた。

 音速が遅くなり、光速に反射が届く。脳髄からの電気信号にも手応えがあった。

 一つの域。武芸者が是とした無限時間。

 思考だけがさらに加速していく。速すぎる肉体が遅くなる。

 もっと、早く。

 もっと、強く。

 いつか、宗司が目にした零秒の世界は遥か彼方。遅すぎる自分に辟易し、まだまだ未熟と自嘲したくなる。

 だがメイルは確かに自分が一つの域を超え、新たな世界に入門したと自覚した。

 魔術と技術、異端の融合が掴んだ肉体の真髄。

 己の中の余分を削いで、一心一身ひたすら鋭く。

 感情すらも斬撃へ。

 

「あぁ、そっか」

 

 メイルは声も出せないはずの世界でふと呟いた。

 この世界に到達したから、宗司は気楽に告げたのだと知って。

 嬉しくなって、最後に残った思いを一つ。

 

 剣と化した、我が身に添えて。

 

「斬ろうかな」

 

 成長した狂気に鍛え上げた肉体が追従したこの日。

 

 凛――。

 

 今、祝福の鈴の音が鳴り響く。

 

 

 

 




次回、人間というもの
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