臓物ぶちまけて死にかけの侍を勇者として召喚してしまった件について   作:トロ

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第十四話『散滅』

「それから私はずっと、あの魔族が残した言葉をまざまざと見せられてきた。勝手に期待し、絶望し、託し、投げ捨て、消えていく人々の姿をな……」

 

 善を尊び悪を憎む。

 これは人族が持つ尊い在り方で、魔族には決して持ちえない善性だと思っていた。

 だが老巨人の指摘によってクロナは迷ってしまった。

 善悪無く戦う魔族は、純粋だ。正しい、正しくないの前に、純粋で迷いがない。

 そもそも魔族の在り方を間違っているということすら、人族が勝手に決めた善悪のフィルターに通した指摘にすぎない。

 ならば魔族を滅ぼそうとする人族は正しいのか?

 殺戮を悪と知りながら、仕方ないと言って殺戮で対抗する人族も悪ではないのか?

 

 だが人族は正義を掲げている。

 我々は正しく、攻め滅ぼそうとする魔族は間違っている。

 奴等を滅ぼし正義を示すために戦おう。

 その旗印たるクロナを守り、生かそう。

 正義の御旗は我にあり。

 我らこそが正義の使者である。

 

「……私、は」

 

「あぁ……ようやく得心がいった」

 

 未だに迷っているふり(・・)をするクロナに対して、グリイドはクロナが何を迷っているのか理解した。

 いや、理解出来ない方がおかしい。むしろここまで語っていながら、どうしてクロナは未だに悩んでいるかのほうが理解出来なかった。

 だからこそ、口にする。

 

「君は人族が――人間(・・)が恐ろしく、そして嫌いなんだね」

 

 眼を背けていた真実がクロナの前に突きつけられた。

 

「――あ?」

 

 瞬間、クロナの頭は空白となった。

 嫌い。

 怖い。

 直後、空白の頭蓋に二つの単語がぴったりと嵌まった感覚をクロナは覚えた。

 

「う……げぇぇぇぇ!」

 

 同時、その顔が青白くなっていき、堪らず口から吐瀉物がぶちまけられる。

 脳内の爽快感とは違い、体調は絶不調そのもの。何故と自問する意味すら無い。

 認めざるを得なかった。

 クロナ・クロルキスは人族を嫌悪し畏怖している。

 だが本来ならこの感情は芽吹くことは無かったはずだ。

 迷いという種が感情の華を咲かせた理由は一つ。

 

 人間の極地(修羅)を知っているため。

 

「ソー……ジ……!」

 

「そうか……彼なのか。あぁ成程、彼は薄い血潮を滾らせる程の純正品だったのか」

 

 グリイドの言葉すら耳に入らない程、今やクロナは己の脳髄を満たした解答に心酔していた。

 あの男こそが人間だ。

 人族という嫌悪と畏怖が行き着く果て、善悪を知りながらそれら全てを超越して我を張る狂気。

 

 ――この身に燻る魔の血が、コイツを殺せと叫んでいる。

 

「アレを、私は……!」

 

 滲んでいく。

 先程まで安穏としていた空気が歪んでいき、クロナの周囲で殺気が膨れ上がり破裂の瞬間を今か今かと待ち望む。

 そんな極限状態の中、パンッと乾いた拍手の音が鳴り響いた。

 

「素晴らしい」

 

 淡々と拍手を続けるグリイドが吐瀉物で口を汚したクロナに、喝采を送っていた。

 今や戦士としての殺気を隠しもしないクロナの眼力を受けて、その顔には一切の恐怖は感じられない。

 むしろ余裕すら感じられるその態度に、クロナは僅かな警戒心を覚えた。

 

「クロナ・クロルキス。我ら(・・)が魔族を破りし恐るべき人の戦士の素顔がまさかこのようなものだったとはね」

 

「我ら、だと? ……貴様、まさか」

 

「ほぅ、その口ぶりだと、どうやらリグから聞いたのかな?」

 

 グリイドがクロナを見る視線には隠し切れない好奇心の色が宿っていた。

 全身を舐め回されるような不気味さにクロナの背筋を嫌な汗が流れる。

 

「初めましてだね、人間」

 

「魔族か!?」

 

「その通り、正解だ」

 

 立ち上がったグリイドの贅肉ばかりの体が不気味に蠢いた。体内に埋め込まれた何かが皮膚を突き上げ、体内を駆け巡る。すると、グリイドの贅肉が徐々に失われていき、ふくよかだった肉体に贅肉と呼ばれるものは一切存在しなくなった。

 そして爪先から徐々に肌の色が漆黒に染まっていき、真紅の瞳が鋭くクロナを射抜く。

 

「ふぅ……いやぁ、この姿になるのは久しぶりだ」

 

 体の調子を確かめるために腕を回すグリイドは、最早先程までとは別人だった。

 だぼついた上半身の衣服を脱ぎ捨てれば、鍛えこまれた筋肉を搭載した戦士の体が現れる。精悍で逞しい青年の姿となり今一度二人を見たグリイドは、優雅に一礼をしてみせた。

 

「改めて自己紹介といこう。私の名はダグラ・ゼノン、アバド流通街に根差した魔族だ」

 

 刹那、これまで巧妙に隠されていたグリイドの――ダグラが内包していた莫大な魔力が噴出した。

 物理的な圧力を伴う魔力の奔流がクロナを襲う。反射的に手元の刀で魔力の波を斬った宗司だったが、クロナは成す術なく魔力で吹き飛ばされて壁へと激突した。

 

「ガ、ハッ……!」

 

「む……これは失敗した。加減を間違えたかな?」

 

 衝撃で地面に倒れたクロナを見て、ダグラはわざとらしく肩を竦めた。

 

「ぐ、ぅ……! どういう、つもりだ貴様ぁ!」

 

 しかし、即座に立ち上がったクロナは激情の赴くままにダグラへと突撃する。最早、そこには一切の躊躇いもなく、そのまま押し潰す勢いで天空から鉄塊を振り下ろしていた。

 石畳を砕く程の踏み込みからの渾身の斬撃がダグラを襲い、当然の如くダグラの片手で受け止められてしまった。

 

「残念ながらこの程度では私の障害にすらなりはしない」

 

「ッ……!」

 

 握られた剣を引き戻そうにも微塵と動かない。その膂力と感じる圧力は、つい先程死闘を繰り広げたリグと比しても圧倒的。

 これまで感じたことも無い力に戦慄が走った。

 

「貴様、ただの魔族ではないな……!」

 

「そうだな、あえて細かに言うならば私は悪魔の最上位種、魔神種と呼ばれる存在だ」

 

「魔神種、だと……!? 馬鹿な、イシス大結界の内部にそんな奴が存在したのか!?」

 

 ダグラの種族名を聞いたクロナの表情が驚愕に歪んだ。

 魔神種とは、膨大な種類の種族が存在する魔族の中でも、数が少ない希少種だ。それこそ人族側には文献でしか記されていないほどで、現在確認されていないことから魔族側の領土に存在するだけだと語られていた。

 それほどに希少な存在である上に、文献には魔族の中でも頭一つ以上抜けた実力の上級魔族として記されている。

 つまり、ダグラの言が真実ならば敵のレベルは最低でも500以上。この日、クロナとメイルがタッグを組むことで、辛うじて打倒したオーガの戦士であるリグを遥かに上回る強者。

 リグが探していた魔族の正体。あろうことか人族側の有力者に化けていたというのも最悪だった。

 

「初めは、ちょっとした疑問と次の勝利へ向けた調査からだった」

 

 戦慄を隠せないクロナに、ダグラはもう一方の手に持っていた優雅にグラスを煽ると静かに語りだす。

 

「私は魔族の中でも特殊な存在でね。我らが愛すべき魔王、クラウディア・ザ・ウロボロスが前回の勇者に敗れてから数十年後、人族を知り尽くすためにこの大陸に移り住むことにしたんだ」

 

「移り住む? あり得ない、魔族は私達を殺すことしか考えていない奴等だろう!?」

 

「君の指摘は的確だよクロナ・クロルキス。確かに我々は三大欲求を超えた本能として、戦闘と人族抹殺を宿している。しかしね、君達が食事や睡眠や性欲を抑えられるように、魔族の本能も抑えようと思えば抑えられるのだよ。まぁ私は憑依魔術を嗜んでいたからね、他の者よりも本能の抑制は簡単だった」

 

 そうして、ダグラは今日に至るまで様々な人間に憑依して人族という存在を観察し続けてきたのだ。

 時には農家の三男坊。時には成金の商人。時には娼婦として過ごし、王族として過ごしてきた時期もあった。

 人族を影で殺しながら、彼らの営みを観察していた。

 

「そして君達を見続けている内に、私の中に生まれた疑問は、今尚膨れ上がり続けて私の頭を苛んでいる」

 

 魔族と違って複雑怪奇な人間の価値観は、あらゆる立場に憑依したダグラであっても、いや、あらゆる立場に存在したダグラだからこそ理解が出来なかった。

 

「君達は一体なんだ? どうでもいいことで争いを起こし、かと思えば戦うべき時に戦わない。そして現在、種族の滅亡を前にして逃避する者や戦う者、享楽に耽る者や我関せずと気ままに生きる者、その他数えられない程に大量の価値観で生きる者で人族は溢れている。弱肉強食で生きる魔族とはまるで正反対だ。だがね、そんな君達にも一つだけ共通点がある」

 

 共通点と言う言葉にクロナが反応を示した。それを見て楽しそうに微笑んだダグラが小さく頷く。

 

「そうだ、そうだともクロナ・クロルキス。君が語ってくれた老巨人の残した言葉……彼らは善悪という価値観を知っているのだよ。人族は誰もが良いことと悪いことを知っていて――平然と悪逆非道を成してみせる」

 

 一般的な道徳観の持ち主だけではない。例えばサイコパスと言われる存在ですら、良いことと悪いことは知っている。

 問題なのは、人は誰もが悪いと知りながら悪を成せることにあった。

 

「なぁ、何故なんだ? 君達は何故善悪という価値観を持っていながら、良いことだけを行えない? 悪いことは楽しいからか? 良いことはつまらないからか? 面倒だから? 簡単だから? ともあれ、だとしたら何故そのような価値観を抱いた? 善悪が無ければ、そのような面倒くさいことを考えなくてもいいというのに?」

 

 ダグラには、魔族には分からない。

 彼らは力こそ全てであり、戦いこそが生きがいであり、良いことなのだ。

 

「私は知りたいのだ。何故聖剣は人族を救う? 君達に価値があるのか? 意味はあるのか? ……君達が聖を、正しさを掲げられる理由はなんだ?」

 

 結論としてはそこなのだ。

 前回の魔王と魔族達が、何故聖剣の担い手に敗北したのか。ではない。

 

 何故、聖剣は人族を選んだのか。

 

「ずっと人族を観察したことで、良いと言われることと、悪いと言われることの違いは知識として理解出来た。だがまだ完全に理解に至ったわけではない」

 

「ッ……ここで正体を明かす理由はなんだ?」

 

 クロナが息のかかる距離でダグラを睨む。あるいは、彼の詰問から逃れるようだった。

 

「貴様のこの圧、上の鈍麻達はさておき、ソージとメイルは察するぞ? 貴様も奴の剣捌きを見たはずだ。アレは、貴様では届かん」

 

 ダグラも宗司の凄味と、隠し切れない実力の差を理解していないわけではないはずだ。むしろ、人を観察し続けたことにより、宗司こそが人間(・・)の極点だと確信すら持っていた。

 彼らの血が絶やさんと願う人間の権化。嫌悪と侮蔑こそが相応しい、善悪を超越した歪なる者。

 故に、ダグラは敗北を悟っていた。

 

「無論、分かってはいるさ。私も本来はここで正体を明かすつもりはなくてね。そもそも、魔族が私を察知したと知って、別の場所に逃げる時間稼ぎとして君達を雇ったのだが……もう、いい」

 

「もういい、だと?」

 

「あぁ、そうさ」

 

 答えは得たのだ。

 いや、答えに至る可能性を見出したと言うべきか。

 

「君だ、クロナ・クロルキス。人族でありながら魔族としての血を発現させた者よ。人を嫌悪した君は、人族の本質を見抜いたのではないかい?」

 

 彼女が見せた嫌悪と憎悪。

 この場で語られた彼女の真実と、突きつけた解答が証明した。

 人でありながら、魔として人を突き放した存在、クロナ・クロルキス。

 魔族だけでは理解出来ない人間の悍ましさを、魔族として語れるのは彼女だけだと。

 

「たわけたことを抜かすなぁ!」

 

 クロナは両手で強引に掴まれていた剣を引きはがした。数歩、距離を離したクロナをダグラは追おうとはしない。ただ、迎え入れるように両手を広げるだけだ

 

「たわけたとは、どういうことだい?」

 

「人を嫌悪するだと!? そんな、そんなこと!」

 

「そう言ったつもりだが……嫌かね?」

 

「当然だろう! これまで貴様らにどれだけの仲間が殺されたと思っている!? 酒を飲み交わした者も! 憧憬を向けてくれた者も! 信じてついてきてくれた者も! 彼らを憎悪するのではなく、貴様らを憎悪する理由ならば腐る程あるぞ!?」

 

「誰も彼もが、君に勝手を押し付けた愚物だ」

 

「ッ……!」

 

「君という存在にだけ全てを託した者だろう? かつて、聖剣の勇者へ向けられていたものと同じだ。あの時から、人族は全くもって成長していない……むしろ、悪化していると言ってもいい」

 

 その証拠がこの街だ。

 アバド流通街。前線より逃げ出した敗残者達が最後に行き着く楽園の如き煉獄。

 現実から目を背け、惰性で生き続ける落伍者達の末路をダグラは知っている。

 

「我らのように強者を求めて戦い、死ぬときまで笑うことが出来る魔族とは違う。自分達だけの善いことを求めて足を引っ張り合い、平然と悪行を成し、駄目と思ったら戦わずに蹲る。彼らは何だ? 彼らは何故生きている?」

 

「黙れ……」

 

「教えてくれ、クロナ」

 

「黙れ、黙れ……!」

 

「君が人間を嫌悪する理由を聞かせてくれ」

 

「黙れぇぇぇぇ!!」

 

 絶叫しながら、クロナは剣を握り直してダグラへと突撃した。

 かつて否定するために老巨人の首を斬り捨てた時と同じように、今再び己の頭に宿った答えから目を背けるために。

 

 もう無駄だと分かっていながら、剣を振るう。

 

「その自己矛盾! ハハハハッ! 素敵だなクロナ! 君は実に人間らしいよ! 正しい答えを知りながら、間違った行動を起こす君もまた――」

 

「黙れよぉぉ!!」

 

 先程とは違い、クロナの拳をダグラは後方に飛んで回避した。その影を追い続けるクロナだったが、いずれもダグラの影すら捉えることは出来ない。

 当然だ。リグにすら勝てない自分が魔神種であるダグラに勝てるはずがない。

 頭では分かっていても戦いを続けるしかなかった。

 

「うぉぁぁぁぁ!!!!」

 

 刃を振るう。

 刃で払う。

 脳裏の答えを斬り捨てるべく。

 だがどんなに足掻こうともクロナではダグラを黙らせることは出来なかった。

 振るう刃は一度たりとも敵手を捉えず、当てられたところで痛みを与えることすら叶わないのは眼に見えている。

 それでも振るうのは何故か。

 もうクロナは訳が分からなかった。

 老巨人によって突きつけられた人間の不気味さと、分不相応の魔族殺しとしての称号。

 宗司とメイルによってまざまざと証明された人間の根幹。

 ダグラによって理解させられた人間への嫌悪と憎悪。

 もう分かっている。

 分かっているのに否定したいのは何故だ?

 

「私はぁぁぁぁ!!」

 

 剛剣がついに会議場の壁を砕いて散らした。

 直後、場内に仕掛けられていた空間拡大の魔術が解除され一気に縮小が始まる。

 

「ッ!?」

 

「おっと、これでは生き埋めだな」

 

 迫りくる壁の圧力にクロナが息を呑んだ刹那、これまで回避行動しか行ってこなかったダグラが初めて動きを見せた。

 

「インフェルノ」

 

 片手間で右手に収束させた魔力は、物理的な干渉すら起こすレベルの密度と量。上級魔術規模の魔力を即座に練り上げた直後、単一詠唱で放たれた魔術は巨大な炎の柱となって地下から地上までを貫いた。

 

「ふむ……どうやら私の言うことを聞かずにまだ同胞を弄んでいたようだな」

 

 突如発生した炎によって騒然とする宴会場を、炎の柱より現れたダグラが冷めた眼差しで見据える。そこには先程よりも凄惨な肉塊となったリグの死骸が地面に転がっていた。

 その死骸にダグラは片手で引っ張ってきたクロナの顔を無理矢理向けてさせる。

 改めて見せつけられた人間の醜悪さの証明。この邪悪と醜態の源泉こそ、ダグラが知りたい人間の在り方、クロナにとっての悪夢。

 

「見給え。彼らは平然とこのような所業を成す」

 

「う、ぁ……」

 

「そして、ほら。見ろよ彼らを、怯え惑う彼らの姿を」

 

 グリイドとは似ても似つかないダグラを見た傭兵達のいずれにも恐怖の色が見えていた。

 人族最強の兵士であるクロナをひれ伏せさせるその姿。漆黒の肌と立ち込める邪悪な魔力を感じて、新たな魔族の襲撃に怯え、絶望している。

 先程まで死骸となった魔族を嬉々として嬲り者にしていたというのに、今や新たな脅威に震えるしか出来ない哀れな存在。

 

「本当に、気持ち悪い」

 

「うわぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 咆哮をあげて伏した状態から強引に振るったクロナの拳を、ダグラは空へと飛んで免れる。その間に体勢を立て直したクロナは、空を舞うダグラを睨もうとして、瞳の中に揺らめきが発生した。

 

「クロナさん!」

 

「魔族殺し!」

 

「クロナぁぁ!」

 

 そんな彼女の背に傭兵達からの声が降り注ぐ。いつもと変わらない不快な声援。誰も、自分では何かを成そうとしないくせに、平然と悪意だけはぶつける弱者の群れ。

 

「お前が戦うなら俺もやるぜ!」

 

「そ、そうだ! ついさっきだって魔族の奴を殺せたんだ!」

 

「あぁ、俺達が力を合わせればあいつだってやれるぞ!」

 

 もう、駄目だった。

 偽れない。眼を背けられない。突きつけられた解答に、違うと吼えられる意味が見いだせない。

 

「黙れ!!」

 

 口から出たのは、ダグラだけではなく自分を取り巻く全てに向けた叫びだった。

 

「ほぉ? ようやく人間の――」

 

「貴様もだ、囀るな魔族」

 

 誰も彼もが、最早煩わしかった。

 善悪に狂った人間も。

 昆虫のように本能だけしか無い魔族も。

 もう充分だった。

 今や、全てが嫌悪に満ちていた。

 

「分かっていたんだよ、ずっと、ずっと前から」

 

 クロナは、懐から一枚の白い布を取り出した。

 真ん中に穴が空いたその布は、ただの布ではない。かつて、取るに足りぬという理由で自分に託された聖遺物の亡骸。

 聖骸布ハック。

 万全の状態であれば世界すら変革できるこの遺物を握り締めたクロナは、漆黒の意志に染まった眼でダグラを、そして、背後の人間共を見た。

 

「私は分かっていて眼を逸らしていた」

 

 かつて、共に居るのが楽しいと思えた仲間たちが居た。頼りにしていた大人が居た。守るべき子ども達が居た。

 そして、僅かな間とはいえ、共に旅をして笑い合った『友達』が居た。

 

「でも、あぁそうさダグラ。貴様の指摘した通りだ。私はね、きっと、魔族として目覚めてしまったのかもしれない」

 

 理解させられた人間の業。善悪を認識して悪行を成す悪性の本質。

 いっそのこと、闘争だけを是としている魔族のほうがまだ純粋で好ましいとすら思っていた。

 だが、今は違う。

 

「しかしダグラ。貴様を見て考えが変わった」

 

「私を?」

 

「あぁ……本能を喪失した魔族である貴様は、命令だけを実行するゴーレムと変わらない。いや、魔族というのは本質的にそういうものだと理解した」

 

 問答の中でのダグラはあまりにも無機質すぎた。人間を観察する手前、本能を抑圧しすぎた結果、本能を喪失した魔族の成れの果て。

 理性というにはあまりにも機械的な魔族と、理性というにはあまりにも矛盾だらけの人間。

 あぁきっと、どちらもまともではないのだろう。

 それでもまだ――魔族のほうがまともなのだと結論した。

 

「教えてあげよう、ダグラ」

 

 クロナの手の中で聖骸布が淡い光を生み出した。

 輝きは徐々に熱を生み、数秒もせずに鉄の手甲越しでも熱さを感じる程の熱と閃光がクロナを飲み込んでいく。

 だが不思議とそこに痛みは存在しなかった。むしろ、こみ上げる全能感に高揚すら覚えてしまう。

 そんな感情の昂りすら沈める内の激情を支えにして、クロナはただひたすらに聖骸布へと祈りを捧げた。

 

「人間というのは、狂気だ」

 

 最早、世界を改変する力は聖骸布には残されてはいない。しかし、生命を一つ改変するだけの力ならば存在していた。

 聖骸布より与えられる情報によって、クロナは今出来ることを行使していく。その中に、宗司かメイル、どちらか一人ならば存在ごと消滅出来る力も存在したが――却下した。

 

「人間を理解することなんできない」

 

 どちらか一人では駄目なのだ。

 悍ましき人間。正気の骸と化した修羅を、そして何れはそこに至る可能性と、歪さを持ち合わせた人間を滅ぼすために行うべきは一つ。

 

「前提を間違えたなダグラ。人間なんて、あの様としか言えないのさ」

 

 刹那、クロナの体内で光が弾けた。

 一つ一つの粒子が、これまでクロナを塞き止めていた見えない壁を砕いて、空っぽの肉体を満たしていく。

 気を抜けば自分が全て漂白されるような力の濁流。聖剣による力の付与とは違うクロナ自身の根幹すら作り変える力の補填。

 だがその濁流の中で、不思議とクロナは自分を見失うことは無かった。

 もう彼女に迷いはなく、あるのはひたむきなまでの純粋さだった。

 それは魔族のように真っ直ぐで、人間のような強欲で。

 宗司との出会いからこの日に至るまでの偶然。振り返れば血と惨劇で満たされた日々が育んだ確信が、聖骸布による自己改変でも穢せない自我を支えていた。

 

「あの、様?」

 

「そうさ」

 

 光に包まれるクロナを、傭兵達は言葉もなく見守って――否、息を潜めて怯え竦んで見上げていた。

 神々しさすら感じられる美しい光景でありながら、彼らが感じるのは得も言われぬ恐怖だった。

 きっと今から取り返しのつかないことが起きる。

 責任を全て押し付けてきたツケを払わされる時が来たのだ。

 そしてダグラもまた、クロナに対して魂を震わせるような畏怖を覚えていた。

 

「何だ、これは?」

 

 ダグラの疑問は、その場に存在した全てが共有した疑問だった。

 光が収束していく。純粋無垢な光が飲み干され、次々にクロナが纏っていたはずの鎧が剥がれ落ちるように地面へと落下していった。

 そして、光の中よりソレが現れた。

 衣服を一枚も纏っていない全裸の乙女がそこには立っていた。地面に溢れる程の黒い髪で覆われた肌には日焼けも無く傷一つも存在しない。まるで生まれたての赤子のように穢れないというのに、黒髪の間より覗くその眼はこの世の汚物を全て纏めたように醜い漆黒だった。

 

「クロナ、なのか?」

 

「あぁ、そうだ」

 

 今となっては長大すぎる両手剣を、その細くたおやかな右手で造作もなく持ち上げたクロナが肯定の返事をした。

 だがそれは一見ではクロナとは思えない程に様変わりしていた。

 見た目も当然だが、放たれる圧力が、魔力が、膂力が。悉くがこれまでとは別次元の領域。

 たった一瞬で現れた超越者。聖骸布を切っ掛けとして人間と魔族の全てを発現させた孤独の異形。

 

「私はクロナ・クロルキス」

 

 刹那、ダグラの体が斜めにずれた。

 

「あっ?」

 

 遅れてこみ上げる熱血を吐きだし、斜めに切断されたダグラの体が地面に倒れる。見上げれば、いつの間にか両手剣を振り抜いたクロナがダグラを見下ろしていた。

 

「かつて、魔族殺しだった者だ」

 

 そしてダグラが何かを口にする前に、大上段より振るわれた両手剣がダグラを両断する。

 たった一瞬のうちに、魔神種と呼ばれる上級魔族は絶命していた。

 

「……」

 

「……」

 

 常識からは考えられない展開に、戦いを見守っていた傭兵達は言葉もない。だがそれも数秒、徐々に色めき立ってきた傭兵達は、すぐに歓喜と賞賛の声をあげ始めた。

 

「スゲェ! スゲェよ!」

 

「何だアレ、訳わからねぇけど、アレが魔族殺しの真の実力か!?」

 

「伝説だ! 新たな伝説が生まれたんだ!」

 

「クロナ・クロルキス! 我らが魔族殺し!」

 

「あぁもう滅茶苦茶だがめでたいのは確かだ! おい! 吹っ飛んだ中でまだ飲める酒を持ってこい!」

 

「人族反撃の日だ! 今度は俺達が魔族を追い詰める時が来たんだ!」

 

 クロナを中心とした傭兵達の歓喜の声は収まらない。だがそれは沈黙し続けるクロナから目を逸らす行為のように見えた。

 だが彼らは気付きながら気付こうとしない。自分達が今まさに台風の眼に居るということを。

 

「へ、へへ。このクソヤロウが、いきなり現れてビビらせやがって!」

 

「そうだ、おいお前ら、このクソヤロウも滅茶苦茶にした後に流通街全域に死骸を晒してやれ!」

 

 熱狂と言うべき狂った行為だった。

 リグと同じく、魔族というだけでダグラの死骸も弄び、晒そうとするその行為。

 醜かった。

 もうクロナには、周りの全てが糞袋以下にしか見えなかった。

 

「黙れと言ったぞ、人間共」

 

 そしてそれが当然の如く、クロナはダグラに剣を突き立てようとする傭兵を斬り捨てた。

 剣圧だけで傭兵が肉塊へと変貌する。クロナの斬撃に耐えきれなかった肉体は四肢が千切れて四方へと吹き飛んだ。

 

「え? え?」

 

 飛び散った残骸を浴びた傭兵が、状況を理解出来ずに言葉を詰まらせる。だが彼は幸いなほうだったかもしれない。次の瞬間にはクロナの手によって彼も同じ肉塊へと姿を変えたのだから。

 

「な、あ?」

 

「何を、何をするんだ魔族殺し!?」

 

「黙れ!」

 

 どよめく傭兵達は、クロナの喝と共に発せられた魔力と殺気に当てられて言葉を失った。

 何故? 何故同胞である人間を殺した?

 魔族を滅ぼし、人族の英雄である魔族殺しのはずだろう?

 だがそんな疑問もクロナの眼光を浴びれば一瞬で漂白する。

 そして思うのだ。

 

 死にたくない。

 

 希望が見えたのに、死にたくない。

 

「悍ましい」

 

 いっそ哀れにすら思う。だがそれ以上の嫌悪感から、クロナの表情が歪みに歪んだ。

 

「そうやって情けない姿も醜いが、だがその果てがアレなのが私には悍ましくてたまらない」

 

 今は震える者達。だが彼らこそがいずれ行き着く可能性を秘めているのだ。

 惑いまどった果て、いつか至る。

 修羅の域。人間が人間を極めた成れの果て。

 

「ダグラ、貴様には一生分かるまい」

 

 人間とはソレなのだ。

 善悪という価値観の果て――どうでもいいと一笑する悪性。

 

「奴らは悪だ」

 

 生まれ持った悪性。

 根幹より間違った設計図。神々の誤算。

 人間と言う前提が誤った狂気。

 

「人間とは悪で、善悪を嘲笑う狂気の産物。正気の骸でしかない」

 

 故に、クロナは誓った。

 聖遺物ハックにすら改変出来なった唯一無二の解答。

 この世界から、間違った生命体を消去するという狂気の解答。

 

「だから死ね! 死に晒せ!」

 

 修羅よ。人よ。悍ましき二本足よ。

 

「我が名はクロナ! 人でも魔でもない! 私は魔人! 魔人クロナ・クロルキス! 二つの血の猛りに従い! この日! この世に存在する全ての人間に宣誓する!」

 

 絶対の誓いをここに。

 狂気を以て、狂気を滅ぼす証を手にして。

 

散滅(さんめつ)せよ! 人間(・・)共!」

 

 聖骸布を媒体として誕生した最強の生命体が、確殺の狂気を瞳に宿して、世界に己の答え(悪意)を吐きだしたのであった。

 

 

 

 




例のアレ

クロナ・クロルキス

聖骸布ハックによって小っちゃくなった、メイルよりも小っちゃい、胸も小っちゃい。これででっかい剣を使う全裸の小っちゃい女の子が完成、数年前からずっと考えていたところを書けてマジで嬉しい。巨人とかいう扱い難い人物を当てがった理由なんてこれ以外にないんだよ!

さておき、今回の話でクロナは聖骸布ハックによる文字通りの魔改造が施された。ハックの力を使ってレベルの限界値撤廃。その後、残されていた僅かな力をレベルに補填して、とてつもないレベルとなった。少なくとも500レベル程度なら一撃で殺せるくらい。魔人というか魔神人。とはいえ、本編で描写してあるとおり、本来これ程の改変を自身にもたらしたら自我すら残らないはずだったが、人間への憎悪と嫌悪、修羅を殺すという本能だけで自我を残すという荒業を発揮。

ようはユダの痛み使ったダーク・シュナイダーみたいな感じ。
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