臓物ぶちまけて死にかけの侍を勇者として召喚してしまった件について   作:トロ

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第十九話『交差する者達』

 死が走っている。

 混戦となる戦場にて、それは徐々にその存在感を増していた。

 それに最初に気付いたのは、魔族軍側の大将、レベル600に迫る怪物、ガングール・ダイ・アンクであった。

 ともかく、大きい男である。熱した鉄のような赤色の肉体は二の腕だけで樹齢数百年以上の大木と錯覚するほど。全長も巨人族のハーフと比べても遜色ない巨体。剥き出しの上半身には幾つもの傷が目立ち、無数の戦場を括り抜けた風格がある。

 彼はイシスの大結界が展開されたとき、結界の内側に居た三体の上位魔族の一体であり、その中でも魔王に仕える四天王にすら比肩、あるいは上回る実力を有している怪物である。

 手にする武器はこれまで殺した敵の武器を溶かして固めただけの鉄塊。だが百を、千を、万を超えた敵手の武器を固めて作られた得物は既に、彼の巨体すら凌駕する質量兵器となっていた。

 そして、その得物を用いて自身もまた前線で鬼神の如く奮戦して人類種の兵士を駆逐しながら、彼の戦士としての鋭敏な感覚は、迫りつつある脅威を捉えていた。

 

「報告! 右翼より人間が一匹突出! さらにアクス様が重傷により撤退!」

 

 タイミング良く訪れた伝令の報告にガングールは舌を巻く。アクスは己に付き従う下級魔族の中でも五指に入る腕の持ち主だ。それを倒して尚前進しているとは、敵側にも予想以上の好敵手が居るのだと彼の闘争心が疼く。

 何よりも敗走しているはずの人類軍が攻勢に出ている事実がもたらす、戦争という実感を与えてくれた相手に感謝すらしていた。

 

「レベルは?」

 

「後衛魔術師に探知魔術で調べさせている最中です! ですが、相手のステータス詳細が特殊であるためか、探知に時間がかかっている模様! しかしアクス様を一蹴したということから、最低レベルは400程であると!」

 

「ほう、アクスを一撫でとなると……魔王様が言っていた例の勇者とやらで間違いないか」

 

 ハットリの空間魔術で通信を行った魔王より聞いた相手だとガングールは察して、強者との会合を前に凶悪な笑みを浮かべた。

 

「面白い。俺自ら相手をしてやる」

 

「はっ!」

 

 一軍の将が自ら戦場のど真ん中、しかも危険な相手の前に出るというのは、本来は愚行なのだろう。

 だが魔族にとって強者との戦いは命よりも重い。それが例え害虫以下の人間という種族であったとしても、闘争の場で鎬を削る相手ならば、誰であろうと一定の敬意と、それ以上の殺意で応じるのが魔族というものだ。

 

「では俺も相応しい旗印を掲げるとしようか!」

 

 眼前には、悲壮感を滲ませながら槍を突き出し、矢を放つ人間達。敵わぬと知りながら抵抗を続ける愚かな者達を鼻で笑うと、ガングールは鉄塊に膨大な魔力を纏わせて、咆哮と共に湧き出る虫共を薙ぎ払った。

 

「受けよ! 『絶剣・轟』!」

 

 上級スキルが一つ。絶剣の中でも殲滅力に特化した一撃がガングールの視界全ての人間を飲み込む波となって襲い掛かる。

 まるで巨大な壁が迫りくる光景に、兵士達は逃げることすら出来ずに成す術なく飲まれて逝った。

 これが人間と魔族の間にある絶対的な能力の差。

 精々がレベル10前後の有象無象では、レベル600に届くガングールに触れることすら出来ない。

 まさに、鎧袖一触。

 圧倒的な力で全てを消滅させたガングールは満足げに喉を鳴らし、直後、広がり続ける己が奥義の一角が、突如として消滅したことに目を剥いた。

 

「ッ、こいつが!?」

 

 轟音すら掻き消す鈴の音色。清涼なる歌声こそが奥義を斬り裂いた一閃にして、その隙間より躍り出た相手を見て、ガングールの、その場に居た全ての魔族の体から冷や汗が滲み出た。

 光の波を超えて、一枚の布を腰帯で留めただけに見える風変わりな衣服を着た青年が現れる。

 それ以上に、青年が握る奇怪な剣にも眼がいった。

 

「……やはり、刀は良く馴染む。というか、前の所でもこれ以上の名刀は望めんな」

 

 百を超える兵を飲み干した破壊を斬り裂いたというのに、のほほんと呟く青年が剣を、刀を掲げる。

 僅かに曲線を描く波紋もない刀身。鍔も柄も遊びは一切なく、美しさよりも無骨な印象を覚える。

 しかし、ガングール達は奇怪な見た目を除けば地味としか言えない刀に込められた壮絶なる意志に息を飲まれた。

 

「名乗りが遅れたな魑魅魍魎共。俺の名は宗司、そしてこいつは我が相棒の刀……(つなぎ)

 

 故あって、斬る。

 

 異界の剣客、宗司はそう告げると共に、あまりの剣気に飲まれた魔獣の波に飛び込み、一瞬にして繋の範囲内に居た有象無象を細切れにした。

 

「おぉ!」

 

 魔法でも使用したかのような斬撃の乱れ撃ちに、魔族達から感嘆の声が挙がる。

 魔王クラウディアが恐れた勇者の技の冴え。足りぬ力を狂気の果てに手に入れた業に、闘争に命を賭す魔族達の背筋すら凍り付く。

 だがその直後、魔族達は是非もないとばかりに犬歯を剥いて魔力を放出すると、前線を維持する魔獣達を薙ぎ払いながら宗司目掛けて殺到した。

 

「ふはははは! 勇者よ! 我らが頭、ガングール様の前に我が爪の鋭さを味わえ!」

 

「なんの! それよりも早く俺の牙が貴様を噛み殺すぞ!」

 

「くはは! 遅いぞ鈍麻共が! 人間の英傑よ! 一番槍はこの私が頂いたぁ!」

 

 誰も彼もが宗司という極上を求めてそれぞれが誇る最強の武をかざして走る。その加速の余波だけで人も魔獣も纏めて挽肉する様は悪漢の一言。

 肌にかかる圧力は、そのどれもがかつて一騎打ちをしたクロナの実力を凌駕していた。

 故に宗司もまた笑う。

 魔術を使わずとも身体能力でこちらを圧倒する化け物が、魔術によってさらに肉体を強化したうえで、この身をすり潰すためだけに殺意をばら撒いているのが堪らない。

 

「この高揚、じっとりと味わいたいものだが……前座を愛でてばかりでは奥に立つ者に失礼というもの……」

 

「死ねばいいだろぉぉぉ! 勇者ぁぁぁぁ!」

 

「では食い散らかすぞ、獣共。田舎産まれ故、無作法なのは許してくれよ?」

 

 虎のような顔の魔族がその顔に違わぬ速度で宗司に肉薄する。人体を十体纏めて紙のように引き裂く鋭い爪は、暴風すら引き起こして唸った。

 刹那、凛と冴える鈴の音色が戦場に鳴り響く。

 そして確実に宗司よりも早く爪を振るったはずの虎の魔族の四肢と首が血の噴水に押されるようにして胴体から斬り離された。

 音速の爪に遅れながら、五つの斬撃を先んじて敵手にぶつける。

 取るに足りぬ脆弱にて、遥か強大なる魔族を食らい尽くす絶技。

 

「おぉ!」

 

 その在り方に魔族達が驚愕の声をあげる。

 これぞ明鏡止水では至れぬ斬撃。あらゆる感情を爆発させ、その振り幅すら一閃へと昇華させる人の極み、狂気の真髄。

 宗司の体がぶれる。後退しながら前進し、刀を振るいながら刀を受けに回し、立ち向かいながら逃げるという矛盾の術理。あり得ぬ動きに魔族達が停止する中を、神速を経た宗司が一瞬にしてすり抜け様に刃を走らせた。

 

「初手より奥義にて相手いたす」

 

 奥義、心鉄金剛。

 手にした極みは未だ極みを超え続け、瞬く間に数体の魔族がただの肉塊へと成り果てた。

 その後、冴えわたる刃鳴りの残滓を耳にした宗司は、虚無と死闘を演じた月夜に手にした斬撃が、繋という刀によってさらなる段階に登りつめたのを確信する。

 俺はまだ達せる。

 いずれあの終わりすら超えた向こうへと、混沌と化した我が心中にて凌駕せんと吼え滾る。

 

「どいつもこいつも嗤いおってからに」

 

 だが究極を超えた宗司の斬撃を見ても尚、魔族達の猛りは収まるどころかさらに過熱されていく。

 誰も彼もが嬉々として死んでいく。殺すのだから殺されてもいい。それが当然であるからこそ、笑って死地へと飛び込む姿にこそ人間は怯えるのだ。

 それは人には分からない正気の在り方。善悪を持たず、強者を求めて強者を屠り、弱者はすべからず殺し尽くす彼らの常識。

 人外の不変価値。

 人にあり得ぬ正気こそを、真実の狂気と呼ぶのか?

 

「くかっ」

 

 否。

 狂気の真髄はここにある。

 宗司もまた笑んだ。

 善悪を知りながら、人間の善性を尊いと悟り、悪逆を恥と知りながら――あえて闘争の螺旋に嬉々と身を投じることこそ、狂気。

 故に魔族の在り方に、そうあることが普通である正気の在り方に感謝すらしたからこそ。

 

「楽しくなるぞ、お主達」

 

「言わずともなぁ!」

 

「強者と死合える喜悦に勝れるものなぞないわぁ!」

 

 続けて飛び込むのは無数の首に幾つもの武装を携えた大蛇と、クロナと比べても遜色ない巨体の筋骨隆々とした牛面の化け物。それぞれが手にした獲物を、渾身の勢いで宗司へと叩き込む。

 炸裂の瞬間、爆弾でも炸裂したかのように地面が破砕され噴煙が舞い上がる。

 その噴煙に巻かれるように、大蛇と牛面の血潮と肉塊が周囲へと飛び散った。

 

「是非も無い。俺の狂気がお主らの抱く正気に等しいものならなぁ」

 

 そして土煙を突き破って修羅は姿を曝け出す。

 血の雨を超えて宗司は立て続けに襲い掛かってくる魔族達へと、自ら身を投げ出すように踏み込んだ。

 相手はいずれもその腕の一振りで兵士達を薙ぎ払い、その口より吐き出す息は城壁すらも吹き飛ばし、一度走り出せば進路上の全てを残骸へと変える一騎当千の怪物達。

 対するは只人。力も無く、魔力も無い。勇者の証たる聖剣すらも手に持たぬ、吹けば吹き飛ぶ脆弱なる身。

 しかして狂気その身に孕み、手にした鈍らのみを頼りに真正面より斬鬼となるならば。

 

 これより先は存分と、一切合切皆殺し。

 

「互いに存分と歌舞くとしようか、正しく在りし武士(もののふ)達よ」

 

 死して屍、拾う者無し。

 

 戦禍渦巻く混迷にて、一振りの鋼のみを信仰する修羅の舞踏が、激動の魔族達を巻き込んで始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 鼓動の赴くままだった。

 踏み出した足が無くなったように軽やかな感触に、これから始まる死闘の甘露にむせび泣く己をメイルは自覚する。

 今、自分はたった一人で殺しあえている。

 リグの時は傭兵とクロナが居た。

 だが今はクロナと自分の二人だけ。

 一対一の、殺し合い。

 それが何故か嬉しかった。

 理由は無い。

 いや、あるかもしれない。

 どっちだろうか。死への歓喜を是としたのか、死を忘我した愚鈍の否なのか。

 理由が必要だと思った。

 即座に、どうでもいいと嘲笑い、どうでもよくないと繰り返す。

 クルクルとどうでもいいことを延々と、続けながらも走る切っ先は思考の余分すらそぎ落としながら敵手へと向かうのだ。

 

「メェェェェェイル!」

 

 己を呼ぶ声に思考は吹き飛んだ。同時、メイルは応じるように地面を疾駆すると、鉄塊を構えて不動と待つクロナの側面へと飛び込んだ。

 

「楽しいわクロナさん!」

 

 飾比翼が地面に根差したクロナを切断せんと踊る。僅かとはいえ寝食を共にした相手への行いとは思えない迷いの無さ。

 その在り方に、クロナは顔すら隠す黒髪の下の表情を憤怒と畏怖に染め上げて、修羅の子の刃よりも早く鉄塊を振りぬいた。

 

「ッ!?」

 

 鼓膜を割らんばかりの爆音に合わせて、大剣より巻き起こった風の壁がメイルの全身を強かに打ち付けた。

 堪らず壁に押し出されるがまま吹き飛んだメイルへと、クロナは地鳴りを起こしながら走り出す。

 

「ここで死ねぇ!」

 

「そういうの、嫌いじゃないよ!」

 

 振るい続ければ街すら根こそぎ壊滅させるクロナの必殺が頭上より落ちてくる。

 だがメイルは虚空で回転して地面に着地して、かつての宗司がクロナにしたように奇怪な歩法を開始した。

 全力で走りながら小刻みに減速することによって、敵手の眼を欺く魔技。そこに強化の魔術の恩恵を加えたメイルのそれは、宗司と比べて幼稚ではあれど、加速と減速のふり幅の差によってクロナの眼に虚像を見せる技と成していた。

 しかし、相手もまたハックと言う世界の理を逸脱した魔具によって限界を超えた超人。生み出された分身によって悲鳴をあげる脳髄を無視して、間合いを数歩外した距離で鉄塊を肩に担ぎ精神を統一する。

 

「ぉぉぁぁああああ!」

 

 咆哮を乗せた剣戟が周囲一帯に解き放たれた。大気が弾け、地面が砕ける。つい先程メイルを吹き飛ばした大気の壁など児戯だと言わんばかりに、最早それは人工的に生み出された乱気流に等しかった。

 スキルでも魔法でもない。クロナ・クロルキスという超人の力のみで生み出された人知を超えた火力。

 

「なっ……!」

 

 驚愕の表情を浮かべながらメイルが土砂に飲まれて彼方へと飛んでいく。

 筋力だけならば聖剣所有者を凌駕する破壊は、所詮は人知によって練り上げられた程度の技を使うメイルを、分身ごと巻き込んでいた。

 全方位を対象にした破壊を前には成す術などないのか。無数の瓦礫に体を打たれながら、メイルは――。

 

「あはっ、死んだかも」

 

 目前の死を嗤う。

 その姿の恐ろしさを才覚と告げた誰かを、クロナはメイルの瞳に見た。

 

「ソォォォォォジィィィィ!」

 

 眼前のメイルではなく、今はこの戦場の何処かに居るだろう男の名を叫ぶ。

 貴様が私の全てを砕いて散らせた。

 憎悪、嫉妬、あるいは恋慕。入り乱れた激情の波は最早クロナ本人ですら自覚出来ない何かとなってその小さな胸の中を荒れ狂い、世界にまでその暴風を撒き散らす。

 そしてその暴風にただ一人笑いながらメイルは突撃した。

 死への転落。

 愚挙の極み。

 飛び込むことが等しく終末である死の旋風に、笑んで走るは愚者の如くか。

 否。

 全く持って否なのだ。

 

「これ! これこれぇ! 死ねるからぁ! 死んでないからぁ! うふふふふふ!」

 

 大剣の発生させる暴風に、あろうことか乗り込む(・・・・)ことでメイルは対応していた。

 メイルの視界にのみ映る風の流れ、人の動き、そして、死線。

 外に張り付けた気狂いの在り方とは裏腹に、思考は冷静に取捨選択を行い、安全かつ攻撃に移れる風の流れにメイルは身を任せ続ける。

 風に飛ばされながら、風を乗りこなし鉄塊の死地を掻い潜る。傍目から見れば風に巻かれる木端のようだ。

 四肢をばたつかせ、乱気流に空中で四方八方振り回される無様な姿。

 だが一定の実力を備えている者ならば、それがどのような絶技なのか理解出来よう。

 理解したうえで、正気を疑うはずだ。

 僅かに風の動きを読み間違えれば、全身の自由を奪われて破壊の餌食になる領域にあえて踏み込む。

 それこそ、ばたつかせている四肢の末端、指先の動きを些細に間違えて風の乗りこなし方を違えれば、そこでメイルは自身の制御を失う。

 だというのに、笑いながらその繊細な動きを行い、薄氷の上を歩くよりも至難な行為に笑って命を投げ出している。

 誰にも理解出来ない。

 それを成しえる技術があるとしても理解出来るはずがない。

 これぞ、狂気と呼ばれる真紅の華。

 咲き乱れて舞い散ることを是とした理解不能の姿こそ、絶対なる死を超える唯一の人間性(・・・)

 正気の裏側にある人間という狂気の赴くまま、メイルは暴風を乗りこなして再度クロナの元にその刃を届かせた。

 

「だから死んでよクロナさん!」

 

「貴様が死ね! 人間!」

 

 風の勢いも味方につけたメイルの飾比翼が上空よりクロナに襲い掛かる。

 最早、鉄塊の迎撃は間に合わない。

 確定した斬撃の予感。

 決別の代わりの鋼。

 喜悦に混じった悲哀すら、凶器を震わす力と化して。

 

「一撃目ぇ!」

 

 飾比翼が巨人の頭部へ突き刺さった。そう思ったメイルは、刃より伝わる感触に表情を濁らせた。

 全霊を賭した一撃は、クロナの頬を一直線に斬り裂くだけで終わる。

 咄嗟に体を引かれたことで辛うじて必殺を掻い潜られたのだ。

 ――違う!

 メイルは自分が誘い込まれたのだということに、研ぎ澄まされた見切りによって感づいた。

 

「あぁ! 一撃だなぁ!」

 

 しかし、既に遅い。

 斬られた頬より血を流しながら、クロナは返礼とばかりに鉄塊より離した左手を握りこむと、落下するメイルに叩き込んだ。

 予想通りの最悪。

 頭部への一撃を誘って、ぎりぎりを掻い潜って致命的な一撃を入れる算段だったのだ。

 だがその展開を凌ぐ一手がメイルにはもうない。気付いた時には時すでに遅く、放たれた必滅に対して出来るのは、細い見た目とは裏腹に、巌の如きイメージの過る鉄拳と己の間に飾比翼を壁として割り込ませるだけだった。

 衝撃が飾比翼を超えて体全身に響き渡る。

 両腕の骨が軋み、ほぼ生身の肉体が内部で無数の悲鳴をあげるのを聞いた瞬間、メイルは悲鳴をあげる間も無く地面へと鉄拳ごと叩きつけられた。

 

「ご、ふ……ッ」

 

 口内に溢れる熱血。耐えきれずに酸素ごと吐き出した血潮が身体の力ごと持って行ったかのように、メイルの動きが完全に停止した。

 まさに肉を切らせて骨を断つという格言を地で行ったクロナは、衝撃で動けないメイルを前に、躊躇など一切見せずに両手で鉄塊を再度握りこむと、断頭台の如く大上段に刃を掲げた。

 

「死ね」

 

 辞世の句を読ませるつもりも無い。

 クロナは最早メイルに対して一片の慈悲すら持ち合わせていなかった。

 ここで必ず殺す。

 淡々と作業をこなすように解き放たれた刃。

 逃れられない死。

 

「あ……」

 

 ――これが絶望。

 戦場に立てばいずれ誰にも等しく訪れる理不尽。成す術は存在せず、抗う理由も忘我し、生への活力が微塵も消し炭とされ、死という冷たさが甘美に思える感覚。

 死ぬのだと悟る。

 理解は早い。メイルの限界を超えた見切りの能力は、クロナの必殺がまさしく必殺として機能するのだと魂に分からせた。

 だから死ねと。

 口づけるように囁く声に、メイルは呆けた顔をして。

 

 ――だから、楽しいんだ。

 

「あははっ」

 

 メイルは、嗤った。

 そして、大剣は空を(・・)裂く。

 

「ッ!?」

 

 必殺を誓った刃に何の手応えも得られずに、たった一撃で周囲一帯の地面を破裂させたクロナは驚愕に目を見張った。

 身動きの取れない状態でこれ以上はない一撃を叩き込んだはず。

 だが、磨り潰す相手はそこには居らず、地面を砕いたことで舞い上がった噴煙の先で、凛と静かな鈴の音色がクロナの鼓膜を掻き毟った。

 

「メイル!」

 

 片手で視界を遮る煙を薙ぎ払った先、いつの間にか射程外に逃れていたメイルが立っていた。

 だがクロナの声に反応もせずに、メイルは口の端を吊り上げただけの笑みを浮かべたまま動かない。どころか、視線は虚空をさ迷っている。

 先程の拳による一撃のダメージによって脳震盪でも起こしたのだろうか。油断なくメイルを見据えながら再び鉄塊をクロナが構え直す。

 だがメイルは仕切り直された闘争の空気にも反応せず、ただただ光を失った眼で虚空を見つめ続け。

 

「ひぃ、ひふふ、うふぃひっ。ふひ、ふひゃ、うふふ、うひゃは! ひ、ひはっ!」

 

 突如、正気では発せないような笑い声とも泣き声ともつかない奇声を可憐な唇から漏らしたと思うと、狂ったように全身を震わせて笑い出した。

 その声に、対峙しているクロナはおろか、遠くから戦いを傍観していた者達すらも全身から冷や汗を流す。

 常軌を逸している。

 先程まで死ぬ直前にあった者が、九死に一生を得た奇跡に笑ったりすることはあるが、メイルのそれはまるで違う。

 その違いは、殺気。

 クロナと比べてはるかに矮小な身だというのに、全身に絡みつくような粘着質な殺気が戦場一帯を覆うように滲んでいる。

 それが、恐い。

 狂ったように笑いながら、この場の誰一人として逃さないという冷徹な殺気が、恐い。

 

「いつまでも……」

 

 それでもクロナの動きをいつまでも抑えられるものではない。むしろ、耳障りな笑い声に我慢できなくなったクロナはさらなる戦意を漲らせ、こちらに意志すら向けていないメイルへと一歩踏み込み。

 

「次は私の番ですね」

 

 声は、下。

 音もなく間合いを詰めたメイルの刃が、愚かに一歩を踏み出したクロナの体を袈裟に斬った。

 

「なっ」

 

 痛みよりも、疑問。

 それよりも、死の臭いに突き動かされた本能が、咄嗟に握っていた鉄塊を振るわせていた。

 しかし追い払うためだけの稚拙な一撃ではメイルを捉えられない。風圧すらも見切ってぎりぎりで回避したメイルは、発生した風の勢いすらも借りてクロナの右側へと回り込む。

 連動して線を描く刃が続いてクロナの体に深々と出血を強いる。

 速い。

 速すぎる。

 これまで以上の速度で、宗司と同じ奇怪な動きを見せるメイルに怖気が走る。

 だがその理由は、メイルの走った軌跡をなぞるように残る魔力の残り香が示していた。

 肉体の神速に追従する閃光。光すら後方に置く絶技の深淵。

 

「あの時の……!」

 

 その事実が示す真実は一つ。

 メイルは再び、リグを一刀に伏したあの領域へと踏み込んだのだ。

 常軌を逸している。

 狂っているとしか言いようがない。

 本来なら相容れぬはずの宗司の技と魔術の二つを平然と組み合わせることも常識的に考えればあり得なかった。

 

「いや、これは……」

 

 以前よりも、はるかに成長している。

 違う。

 

「この戦いで、成長した?」

 

 だとしたら、馬鹿げている。

 あの極限状態で、己の死が一秒よりも短い間に訪れる直前で、メイルはさらなる進化を果たしたというのか。

 あり得ない。

 あり得てはいけないと。

 そう思って、クロナは今更なことだと憤怒した。

 

「あぁ……それが出来るんだよな。貴様らは! それが出来る! 出来るからこそ!」

 

 分かっていたはずだ。

 道徳や倫理というものを知り、それを尊く、正しいと理解しながら、尚も過ちを犯さずにはいられない人間という愚者。

 その中で、眼前のこれは誰よりも濃く人間を体現していた。

 宗司という男が示し、宗司という男の背中を追っている少女にも根付く、才覚すらも食らい尽くす根源の名。

 それこそ狂気。

 人間という、修羅。

 そうだ。

 正義と邪悪、相反する二つの価値観を矛盾させることを苦としないからこそ。

 人はいつしか――修羅を成す。

 

「だから殺す! 必ず殺す!」

 

 クロナは傷ついた体を自然治癒に任せて大剣を構え直す。

 最早、微塵の油断すらない。

 己の中に未だに僅か燻っていた、旅の仲間としてのメイルへの感情をすり潰して、クロナ・クロルキスは吼え滾る。

 

「その先に奴が待っているならば! 狂気の種子はここで殺す! 殺して殺し尽くす! 貴様を殺し! 奴を殺し! そして世界に蔓延る人間共を殺す! 老人から赤子まで、我が鉄塊は貴様らの存続を一欠片たりとも許しはしない!」

 

 成長を許されたのはメイルだけではない。

 魔人として得た力。ステータスの限界値を喪失したことによる無限成長。

 ハックの能力にて限界を捨て去ったクロナの力は今も際限なく肥大している。さながら火山の噴火に似た殺気の唸りは、遂に敵手と認められた矮小なる少女一人に向けられた。

 

「そういうややこしいのはいいですから」

 

 だが進む。

 普通なら身動きも取れない圧力をものともせず、風を切るように堂々と歩む足徐々に速く。

 狂っている在り方を、凡夫と同義と嘲笑う所業にて、メイル・リンクキャットは限界を超越した魔人の牙へと、挑む。

 愚直なまでに、意の赴くまま、例えその先に死が待っていたとしても。

 

「さっさと斬られてくれません? 私、今すぐソウジさんに会いたいの」

 

 是非も無い。

 死んでも斬ると、狂気の申し子は走り出した。

 

 

 

 


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