臓物ぶちまけて死にかけの侍を勇者として召喚してしまった件について 作:トロ
今や宗司は己こそが極限を体現しているのだと確信していた。
奥義、心鉄金剛。そして刀匠ダンの生み出した究極の一、繋。人と鋼が合わさった極みの斬撃は数値化された力という概念を超え、殺到する数多の魔族は鎧袖一触と斬り捨てる。
「は、はは、ははははは!」
血風の只中で宗司が笑う。
あの夜を超え、刀を手にした己が放つ全てが愛おしい。虚無ですら埋め尽くす人間の可能性が全てを一刀に伏す。
最早、宗司にとって人族の絶望たる魔族ですらそこらの雑兵と大差なかった。
魔族の軍勢との激突からおよそ五分。たったそれだけの時間で、大将であるガングールを初めとした半数以上の魔族が地べたに骸を晒していた。
「ぎゃははは! スゲェな! スゲェ男だぜ勇者よぉ!!」
しかし魔族もまた嬉々とした特攻を止めない。人とは違う思考回路、闘争を前提とした生命という矛盾。喰うために殺すのではなく、殺すために殺すことがあらゆる欲求を上回る異常の種族が、悉く宗司へと殺到し、悉く赤い花を咲かせて散る。
だがこれは決して魔族が弱いためではない。もしも異世界転移当時の宗司であったならば、手傷の一つや二つは受けていたのは間違いなく、万が一とはいえ敗北する可能性すら存在していた。
少なくとも、疲弊もせずに全てを斬ることは出来ない。彼らにはそれだけの戦闘力があり、だからこそ、今の宗司がどれだけの高みに存在するかの指針となり得た。
数千を超える宗司の影が映りこみ、瞬く間に万に届く斬撃が降り注ぎ、珠玉の一刀がその命を奪われるまでが今の魔族に許された戦いの全て。
ありとあらゆる感情を以て刃を振るう心鉄金剛の粋こそこの光景。その手応えに身震いしながら、宗司は新しい玩具で遊ぶ童のように刀を振るう。
「これか……! これがアレの頂に続く極みか……!」
半死半生の時とも、慣れない得物を使っていた時とも違う。万全の状態で最高の刀を手にして初めて行われる全力の戦闘行動が多幸感となって宗司を包む。
そうしている間にも骸が増え続け、血潮が大地を潤す。だが幸福の時間も永遠には続かない。
いずれ魔族の数も限界が来る。在らぬ方向を斬り裂いた魔族を擦れ違いざまに斬り捨ててながらそんなことを考えて――違和感に気付く。
「……どういうことだ?」
「死ねや勇者ぁぁぁぁぁ!!」
「悪いが構ってはおられん」
あらぬ方向に立つ幻影の宗司を狙った魔族の首を跳ね、次いで無言で襲ってきた魔族の一撃を
「ッ!?」
宗司は瞬時に幻影に乱されずこちらを狙った魔族の四肢を斬り飛ばし、そこでその魔族が数分前に袈裟に斬られた魔族だと気付いて目を剥いた。
絶命していたはずの魔族が再び地面へと沈む。直後、その骸を飛び越えて、体に致命の一撃を受けたはずの魔族が宗司の前へと現れる。
「……こいつは」
そして宗司はまるで何かに引っ張られるように立ち上がり始める魔族の死骸を見渡して表情を引き締めた。
手ごたえは確かにあった。現に宗司を囲んでいる魔族は、いずれも壮絶な死に顔のまま微動だにせず、視線もこちらを一切向いていない。
だというのに、生前はあらぬ方向に向けられていた彼らの武器が全て宗司を向いている。
死してさらに高まったのか。死者を操る魔術でも行使されたのか。
否。
否、否、断じて否。
彼らからは魔力が流れることによって生じる奇妙な気の流れは感じない。
あるのはそう――
刹那、宗司の思考を断ち斬るように魔族の死骸が一斉に宗司へと殺到した。
「ふぅ……!」
これまでの踏み込みとは雲泥の理合に沿った足捌きに思考を挟む暇はない。宗司は鋭く呼気を吐いて身を屈めると、まずは目の前の数体を彼らの一撃が届く前に斬り飛ばした。
いずれも四肢を断たれこれ以上動きようはない。それにより生まれた間から包囲を抜け出すと同時に反転、反応が遅れた魔族を背後から斬ろうとして、宗司は突如背中を焦がす殺気に感づき背後へと刃を振るった。
キンッと甲高い音を立てて宗司目掛けて放たれた漆黒の刃が二つに断たれて地面に落ちる。その特徴的な短刀――苦無と呼ばれる武器を見た宗司は「……驚いたのぉ」と喉を鳴らした。
「ないる殿にあの槍使いときたのだ。もう二、三人は居るかもしれぬと思っていたが……まさか同郷とはな」
虚空に向けて言葉を放つ宗司は端から見れば奇妙にも見えたことだろう。だがしかし、修羅の道を極まろうとしている宗司の眼は、視界を騙してそこに立つ奇妙な揺らぎの正体に気付いていた。
「名乗れよ、
「その言葉、お前にそのまま返すとしようか侍」
「彼我一刀流、宗司だ。そら、姿を晒せよ」
挑発するように鼻を鳴らす宗司に呼応するように、何もなかったはずの場所が歪み、蜃気楼で包まれていた漆黒が地面より滲み出る。どういう原理で何もない場所に隠れるという荒業を成せたのかは分からない。だが、それこそが歴代最強とも謳われ、忌み嫌われ、遂に歴史から抹消された忍の証明。
「我が名ハットリ。我が主の命によって死ね、侍」
異世界より呼び出され、新たなる主によって名を与えられた忍者、ハットリ。宗司という規格外に引き寄せられて呼び出された四人の修羅外道の一人が、いつの間にか取り出した苦無を両手に構えて、宗司に死を宣告した。
「ハッ、丁度良い。今の俺を試すに相応しい相手が欲しいと思っていたところよ!」
立ち込める気と殺意はナイルとほぼ同等。そして宗司がかつての世界で倒したことのある忍者と比して遥か極上の手合い。
つまるところ、敵もまた極限の申し子。可能性を完結させるに足る修羅外道と察して、宗司の気も高まる。
「行くぞハットリ!」
「いいや、行くのは俺だ侍」
そんな宗司の出鼻を挫くように、機先を制したのは宗司の背後に居た魔族の死骸だった。
「忍法、分け身骸」
「ッ……この死骸全てお主の絡繰りかよ!?」
「それだけとは思うなよ」
再び風景に体を同化させるハットリの言葉の真意を問い質すよりも先に、宗司は視界の全てを埋め尽くす光の雨に目を細めた。
天より降り注ぐアイアス城塞からの魔力砲撃。最早死骸を巻き込むことに躊躇は無いのか、放たれた光の柱は魔族の死骸を飲み込んで大地を炙る。
「ッッッッ……!」
こちらに追いすがる魔族と魔力砲撃を掻い潜る宗司に先程までの余裕はない。どういう原理か定かではないが、ハットリはこの場の死骸を操るだけではなく、遠く離れたアイアス城塞の全権すらその場で操ってみせていた。
だがそれだけならば宗司の余裕が無くなるほどではない。恐るべきは、そこまで操って尚、宗司の死角から無数の苦無や魔族の武器を放るハットリの技にあった。
「これ、が……! 本物の忍か……!」
影に潜み、夜より牙を剥く闇の戦闘術。互いの実力を出し尽くす宗司やナイルといった手合いとは前提が違う。忍者という在り方に特化させたハットリの技の数々は、宗司をしてこれまで出会ったことのない類の実力者に違いなかった。
「卑怯と吼えるか?」
「まさか、流石と嗤うぞこの俺はなぁ!」
しかし、ハットリの問いに宗司は良しと笑いながら魔族の四肢を斬り飛ばした。
肉体の技をぶつけ合うだけが戦いではない。その場にある全てを用いて勝利をもぎ取ることもまた戦い。
その極限を目指した者こそ忍者。その粋こそハットリ。まさしく何もかもを賭して戦うこの男の戦い方が宗司にはいっそ好ましくすら思えてたまらない。
故に、凛と奏でる鋼の音色を響かせながら、肩を揺らして宗司が吼える。
「お主の全てで俺を殺しにこい! 代わりに俺の全てでお主を斬ってみせようか!」
これぞ修羅。これぞ人間。
繋を構えて我を誇る。修羅に相応しい技の極みを魅せつけて、宗司は見えぬ影へと宣誓を果たすのだ。
「言われずとも……お前は殺す。必ず殺す」
その狂気に対してハットリもまた彼だけの狂気を胸に答えを返す。
この男はここで殺す。全てを賭して、全てを利用しつくして殺してみせる。捻じれ狂った忠義と殺意で構成されたハットリの苛烈な攻めはさらに激しさを増して宗司を襲う。
魔王の魔力を用いて行うアイアス城塞の魔力炉の限界すら無視した砲撃の数々、肉体の限界すら超えた動きを行う魔族による突撃、地面に設置した地雷も無数と爆発し、その合間に見出した隙へとハットリは武器を次々に繰り出す。
だがそれでも未だ宗司に傷一つすら与えることが出来なかった。
人間の可能性の終わりに到達した盲目の騎士すら凌駕した宗司は既に、転移当時互角だった他の修羅外道ですら手に余る域へと至っている。
宗司と魔族の戦いぶりを見た僅かな間にハットリも理解していた。
殺すという誓いは変わらない。
必ず殺すことを確信すらしている。
だが、届かない。
ハットリ一人では、今の宗司には届かない。
だからこそハットリは魔族の死骸やアイアス城塞の砲撃などを使ってみせたのだ。奇しくも、アン・サルソンの覚醒と対峙した宗司と同等の、否、それ以上の絶望的な力の差を理解した――故に、この場こそが必殺出来る唯一の瞬間なのだ。
地形の有利、数の有利、こちらが相手の技を知っている有利、相手がこちらの技を知らない有利、それだけの有利を積みに積んで、現状の拮抗。
「……認めよう。お前は俺が戦った中で最高最強の侍だ」
惜しみない賞賛を口にしながら、ハットリは徐々にだが確実に己が追い込まれていることを理解していた。
だが殺す。
意志は変わらず、現実も変わらない。操る魔族の数は失われていき、魔力砲撃も残り数分で機能停止する。
そして全てが失われたその時こそ、ハットリの敗北が確定する。だからと言って打開策は無く、か細い勝機に全霊を賭けて刃を放とうが、悉くが心鉄金剛の前に砕ける。
だが殺そう。
きっと殺そう。
俺の全てでこの極上を、ありとあらゆる全てを投げ出してでも殺してみせれば――。
「くはっ……!」
忠義を捧げる主君を得ても変わらない。
生涯最高の忍を殺したとしても止められない。
強さを求める。超えて、殺し、超え続け、研鑽する。
いずれくたばるその時まで、ハットリの闘争は終わらないから。
「俺の技、悉くを存分と味わえよ侍」
「是非も無し。かかってまいられよ、ハットリ」
短い会話を終え、ハットリが再び魔族の影に姿を消した。
物言わぬ魔族の群れが再度宗司へと襲い掛かる。鎧袖一触と斬り捨てられていた時とは違い、確実に宗司の場を見抜き攻めたてていた。
それでも宗司の斬撃は衰えることはない。どころか、より強さを増した魔族の軍勢を相手取り、心鉄金剛の冴えはさらなる域へと至ろうとすらしていた。
死山血河の上で踊る骸と戯れる外道。音すら断つ神域の刃は、虎視眈々と宗司の隙を伺うハットリをして戦慄を禁じ得ない技の極みだ。
――だからこそだ。
敵が強大であればある程、ハットリの中を流れる修羅の血潮が沸き立った。
魔族を壁にして、隙を縫って苦無が宗司を襲う。だがどの角度から武器を放っても、まるで後方にすら目があるかのように宗司はハットリの必殺を斬り払う。
全てが圧倒的だった。
死骸の気を操りスキルや魔術すら行使させた魔族の技を全て、降り注ぐ魔力砲撃、爆発する地雷の衝撃。いずれも宗司の刃は寄せ付けない。
それは斬るという行為の終着点に至っていたとすら思えた。だがハットリはそこにまだ無限の可能性が秘められているようも感じた。
「俺の知らない域か」
「彼我一刀流奥義、心鉄金剛よ。無限と広がる人の
無限と放たれる斬撃を繰りながら、宗司は歌うように己が技を誇る。
だが虚無の完結すら斬るという荒業を成した奥義の深奥へ続く道はまだ開かれたばかり。
この戦いを経てさらなる習熟を見せる奥義は、未だ完結に至っていないハットリでは及ぶはずもない。
それでも彼は僅かな勝機を手繰り寄せるべく戦っていた。
迷いなど何処にも無い。あの夜に完結を前にした宗司と同じく、本能が否定する勝利を理性が確信していた。
明らかに前提が異常な破滅的思考。正しい本能を間違った理性が凌駕する狂気。
そう、狂気だ。
結局、この場で生きた二人はまともではない。
それで良いと二人は笑って戦場で鎬を削る。
夢のような戦いの日々。
練磨され続ける修羅達の喜び。
だがそれにもいずれ終わりが訪れるのだ。
「……さて、これで手札は全てなくなったようだのぉ」
「……」
戦いの開始より僅か五分も満たない、しかし二人にとって永劫のような時の終わりが訪れた。
操ることすら出来ない程に切り刻まれた魔族の残骸が辺り一帯に散乱し、遠くでは過剰な魔力によって内部より爆発して炎上するアイアス城塞が爛々と赤い光を発しながら爆発音を幾つも響かせて崩壊していた。
そんな場所に残された二人の修羅が互いに間合いの一歩外で向かい合っていた。
宗司とハットリ、互いに目立った外傷はそこには存在しない。
だがハットリが宗司との拮抗を果たすために使用していた全ての駒は消滅し、残されたのは彼の肉体のみ。そこまでして手にした結果は、肩で息をする程度に宗司を消耗させたことのみ。
分りきった当然の結末。完結を超えた人間と、完結に至っていない人間の差が両者にはあった。
宗司の体力も一分もすれば回復するだろう。その間に攻め切れなければ今度こそハットリは宗司の刃の元に下る。
か細い、いや、もう途切れている勝利への道筋。
敵は強大で、ハットリの持つ全ては無限の可能性を前にしては無意味と同義か。
否。
否なのだ。
ここで折れるならば――彼は、彼らは修羅外道とは言われない。
「く、くかっ……! はは、はははは! 殺す! 殺せる! お前を殺せば俺は! 俺の今を! 今より、先に!」
敗北を前にして、己の死を予感して、故にハットリは無表情を崩して笑った。笑える狂気を彼もまた秘めていた。
「くくっ、良いなオイ。羨ましいぞお主」
ハットリの笑い声を聞いて、宗司も楽し気に肩を揺らす。
天秤は確実に宗司へと傾いている。だがそんなことはどちらかの命が散る瞬間まで意味が無いのだ。
宗司があの日心鉄金剛に目覚めたように、ハットリが死線の間際で宗司と同じ覚醒をしないと誰に言える?
出来るのだ。
繰り返し続けてきたのだ。
彼らはソレを成し続けた。限界と呼ばれる線を、才能ではなく狂気で飛び越えてきたからこその修羅。
ここまでと思ったところから、ここまで以上の場所へ指をかけられるのが人間。
悍ましき二本足。
進化し続ける破滅。
善悪を超越した悪意が二つ、互いの破滅を互いに願い、再び刃を交わすべく動き――。
「そう、この混沌こそを私は望んでいたのです!」
互いに捻じれ狂う悪意の渦の只中に、新たなる修羅の悪意が歓喜の声と共に恐るべき修羅場へと降り立った。
そこは見渡す限りの死骸、死骸、死骸。
ここにはもう命の香りなど殆ど存在しない。誰も彼もが死に絶えて、どいつもこいつもくたばった。
故にこここそが命の証明だった。戦い続ける戦士達の命が輝いた刹那を積み重ねた死の世界。すなわち命が満ち溢れた輝き。
矛盾した混沌。愛すべき狂気。
ならば、この女が馳せ参じぬなどあり得ない。
「おぉ我が神よ! 黒き混沌の神、偉大なるにゃるよ! 見よ、我らが使徒によって生み出された世界を! 冒涜された命と尚も輝いた命が等しく黒に塗り固められた此処こそが我らが聖域! 我らが故郷!」
謳いながら歩を進める女の顔は恍惚に染まっている。薬を嗅がされた女ですらここまでの色香は出せない程の艶やかさで、淫らに尻を揺らしながら歩く様は嬲られ貪られる女の化身の如く。
だがその実態は、その色香に誘われた哀れな者共を等しく殴殺する混沌の化身。
ナイル・アジフ。この世界に呼び出された修羅外道が一人もまた、幻想世界ファービュラス最大の戦争に引き寄せられていたのだ。
「久しぶりだのぉ、ないる殿」
「……えぇ、貴方も変わりないようですねソォジさん」
場を乱されて多少思う所はあるが、ナイルの体より溢れ出る殺気を感じ取り雑念はすぐに消え去る。
一方ハットリと言えば先程の哄笑が嘘のように収まり、黙したまま読めぬ表情でナイルへと鋭い視線を飛ばしていた。
世界はおろか、歴史を辿っても比肩する者は片手で数えられる程度しかいない強者の視線を二つ受けて、ナイルも一層滾りを見せる。
「こんなにも素敵な光景が他にあるでしょうか?」
逸る気持ちを抑えて、ナイルは両手を広げて惨状の跡地を見渡した。
地平線の先まで積み重なった骸の群れ。人魔等しく肉片と化し、残された僅かな者は恐怖に怯えて蹲るばかり
嬉々と動ける者など、この場を除けば要塞を挟んで反対側で轟音響かせて戦っているクロナとメイルのみ。
「私が望んだ刹那の混沌です。儚く醜く美しい。愛すべき、修羅場」
「修羅場、なぁ」
狂気という点では一つ飛び抜けているナイルの言葉に同意するのも癪ではあったが、確かに宗司もナイルと同意見ではあった。
いや、これまで只見えなかっただけで、この三人が歩んだ道のりとはこの様だったのだ。
数えきれない死骸を積み重ねて出来た外道の道。ならばこれこそ彼らが愛した世界で、この誰も彼も救われない悪意だけが彼らの全て。
死ぬべき畜生だ。
しかし、彼らは胸を張る。これこそが人間なのだと。
足りぬ屍を欲する餓鬼であると。
そう笑う宗司にナイルも本心の読めない深い笑みで答えた。
「それで――別れた際の約束は覚えているのかのぉ?」
「しっかりと、私の心に刻みましたから」
言って、ナイルもまた静かに拳を握り半身を落として構えを取った。
この場において唯一の徒手空拳。だがその四肢はあらゆる魔剣、聖剣すら凌駕する珠玉の兵器。
だがそれでも足りない。ナイル・アジフという狂信者であっても、今の宗司に届かないのは他ならない彼女自身が二人の戦いを見て理解していた。
故に、ナイルとハットリは互いが互いを意識することを止めた。
突如として生まれた三つ巴の状態。修羅外道が食らい合う蠱毒の只中で、狙うべきは極上の敵手の首のみ。
「殺してあげる」
「殺すとするか」
二匹の修羅が、修羅道の化身へ牙を剥く。
重なり合った極上二つの鬼気は、その時点で覚醒したアン・サルソンすら凌駕する圧力。
「良い。良いな、こいつは」
だが繋を片手に構えた宗司が放つ剣気もかつての比ではない。先の世界で見出した彼だけの刃は二人の修羅を前にしても劣らず、膨れ上がる鬼気すら押し返す勢い。
人魔の死骸が積み重なる戦場で、今、戦いの第二幕が切って落とされた。
「おぉ!」
「ひひゃ!」
「ッ……!」
瞬間、一際巨大な爆発がアイアス城塞より発せられたのを切っ掛けに三つの影が激突した。
誰よりも先んじて先を取ったのは、百を超える無数の苦無の流星。正確に宗司の逃げ道を全て塞いだうえで、愚直に走るナイルの動きを阻害しない絶技を前に、堪らず宗司も足を止めて繋を振るって弾き飛ばす。
一拍遅れてナイルの剛拳が宗司の顔面への道を走った。直撃すれば頭蓋骨ごと脳髄を吹き飛ばす正拳はしかし、膝から崩れるようにしゃがみ込んだ宗司の頭上を掠めるにとどまる。
晒されたナイルの腹へ横一文字の斬撃は流星すら凌ぐ不可視の神速。ハットリをして遠距離のみに腐心しなければならない冴えだったが、腹を裂く直前で獣の牙の如く刀身を挟み込んだ膝と肘によって完全に抑え込まれた。
「挟み受け!?」
「未来にまで伝わる東方の絶技です!」
朗々と誇るナイルだったが、その背からは大量の汗が流れていた。
このたった一合、しかしナイルは素知らぬ態度でこの一瞬にこそ全てを賭けていたのだ。
奇しくも先程のハットリと同じ、相手の技をこちらが知っており、相手がこちらを知らない刹那。
この一瞬のみ、実力が離れた両者に拮抗が生まれた。
そしてその隙を見逃すハットリではない。ぬるりとナイルの股下からハットリが体ごと宗司へと飛び込んだ。
「ぐぅ!?」
咄嗟に胸元を庇った左腕に激痛。差し込まれた苦無が腕を貫通している。
だがただでは宗司もやられない。「おぉぉぉ!」雄叫びをあげ、未だ挟み受けされている繋を全身の力を振り絞って振り切り、さらに苦無を押し込もうとするハットリの脇腹を膝で蹴り上げて突き飛ばす。
「ずッ!?」
受けより放たれた刃に腹を浅く斬られたナイルの顔に苦痛の色が浮かび、蹴られたハットリが地べたを転がりながら体勢を立て直す。
宗司も左腕の痛みに顔を歪めながら傷を無視して両手で柄を掴みなおす。
驕りか慢心か、いや、ここは相手の覚悟に敬意を表するべきか。
代償に腕を一本、安いか高いか。少なくとも、これで二人がかりでも厳しかった戦況は五分五分にまで至った。
「はぁ!」
苛烈に気合いを入れた宗司の左腕の苦無が筋肉の動きだけで腕より引き抜かれる。その勢いで多量の血も地面に飛び散ったが、すぐに出血は収まる。
「毒は効かんよ」
「……侍め」
苦無に塗られていた毒への対処をされて、ハットリが頭巾より覗く両目を苛立たし気に細めた。
とはいえ僅かなりとはいえ苦無の毒は宗司に巡っている。霞む視界と左腕の鈍い痛みは今後の戦いに響いてくる。
そんな宗司目掛けて、同じく筋肉を締めつけて腹の出血を抑えたナイルが再度飛び込んだ。
応手の斬撃を手の甲で逸らし、返しの拳。足を止めることなく繰り出される技の数々。間断なく続く刀と拳の激突の合間を縫って、黒い影が幾度と宗司を攻める。
「あはははは! こうして楽しむのは初めてですねぇソォジさん!」
「あぁ! そして予想に違わぬ鋭さだなお主は!」
「そういう貴方は私の予想をはるかに超えたぁぁぁ!! 素晴らしい混沌! 私ごときでは測れぬにゃるの使徒に相応しき強さ! だがしかし! しかししかししかぁぁぁぁし! 貴方を殺すことで私こそが真なるにゃるの混沌を世に示すのです!」
「黙れ侍、そして南蛮の格闘術使い。侍を殺した後はお前の番だ。お前も殺す。全て殺す。敵は全て殺して殺す。俺を知り、そして死ね。我が技に誓い、我が魂に刻んだ宿業に従い、確殺こそが我が信念故に殺す」
「いいわ! 貴方も素敵ねシノビ! 二次大戦での航空戦力の跋扈を防ぐどころか潰したと言われる者の妙技! 貴方もまたにゃるの使徒に相応しいぃぃぃぃ! おぉ! 我らが贄よ! 私も貴方達もこの世界が全て! 全てが全て混沌の玩具なりぃぃぃ!」
「楽しくなってきたなぁ! これだ! 俺の技、俺の高み! 俺が欲する全てだよお主らがなぁ!!」
修羅が踊る。死地を舞台に嬉々と踊る。
彼らが交わす言葉の全てが互いに通じていなかった。誰も彼も自分本位、辛うじて会話が成立していたクロナとメイルとは根本から違う。
彼女達がまともに見える程に、彼らはもう根底が終わっていた。人間が人間を律するために生み出した正義という在り方を全否定した悪意の塊。つまりは人間という生物の善性という薄皮を剥いだ内側の根幹に従う理性の狂気、本能の死骸。
鈍い音と鋼鉄の残響が幾つも響いた。その音に合わせて入り乱れる三人の体から血潮が溢れ、殴打による骨の軋みが鼓膜を揺らす。
それ以上に嗤い声がやたらに五月蠅かった。気付けば彼らは嗤っていた。戦争の音すら消えた戦場全域に響き渡る程に煩わしく汚らわしい、歪で邪悪な声が木霊していた。
「はははは! くかかかかか!!!」
「ひひ! ひひゃひゃ、ひゃひ! ひゃひゃひゃ!!」
「くくく、く、くか、くははは!!」
僅かに生き残った人族がその声に耳を塞いで蹲った。
この声が、この在り方が、こんなものが人間なのだと信じたくなかったのだ。
これが人間なら、自分達が生きる意味はなんなのか? 正義などは嘘っぱちで、悪意こそが人の根幹で、滅ぼされるべき邪悪は人間でしかなくて。
だが認める認めないに関わらず踊り狂う修羅の狂騒は終わらない。
「う、おぉぉぉぉ!!」
荒々しい呼吸を繰り返す宗司が一際大きな気迫を発した。
頭上高く掲げた刃をナイルを両断する勢いで振るう。視界を走る縦一閃に半身で応じたナイルの肩に鋭い熱。躱しきれずに斬られた肩より溢れる熱血よりも早く、半身より右の拳を腰から打つ。
斜めから伸びてきた拳に、刃を振り切らずにとどめて、柄尻を添えて軸をずらす。さらに踏み込みの勢いでナイルと交差した宗司は繋の峰に手を押し当ててナイルの体に押し込もうとしたが、背後を取ったハットリの動きを察してさらに体を反転。勢いもろとも刃の圏内に居たハットリを袈裟に一刀――しかし、妙な手応えと共に、ハットリだったものが木片へと姿を変える。
――代わり身!?
気付くよりも早く、次いで宗司の背後を取る形になったナイルの回し蹴りを刃で受け止める。
だが、脛の骨をガリガリと削がれながらも刃を滑るようにしてナイルは足を振り抜いて宗司を吹き飛ばした。豪脚に姿勢を崩し地面を転がる宗司に休む暇はない。回転する視界の隅で空高く舞い上がった
同時に分身したハットリが宗司目掛けて急降下してきた。
一刀に伏す――否、予感。直感。
死。
必殺の妙手。
「えぇい!!」
直感に身を任せて飛び退いた宗司の居た場所に顔面から激突したハットリが、その直後に轟音を響かせて爆発した。
驚く暇もなく二度、三度。繰り出される人間爆弾から逃れる宗司を熱波が炙り、発生する粉塵が視界を遮る。
ここに来てまだ必殺の手が隠されていたことに舌を巻くのも束の間、粉塵を超えてナイルが宗司の間合いに飛び込んだ。
幾度目になるか分からない背後からの奇襲。しかし今更この程度で後れを取る宗司ではない。ナイルが必殺の拳を放つ前に万全の状態から刃を掬い上げ、ナイルの体を斜めに斬り捨てた。
「ッ、いやこれは!?」
「そうこれです!」
ナイルに変化させた変わり身の術。
万全からの斬撃故に生まれる隙。ハットリが仕掛けた二重の罠で掴み取った勝機、今度こそ背後より現れたナイルの一撃が左肩に深々と突き立った。
「ぐ、ふっ!?」
肉と骨をすり潰す音が体内を伝播して、伝わる衝撃に宗司の口から苦悶の声が溢れる。
この戦い、遂にナイルとハットリがもぎ取った一手。隔絶した実力差すら練り上げた技と狂気で埋め尽くすからこその修羅。
「が、は……!」
咄嗟に自ら後方に飛ぶことで左腕が完全に潰れるようなことはなかったが、それでもこの戦いではもう左腕は完全に使い物にならない。
だからどうしたと宗司は笑い、対する二人もその程度では終わらないだろうと笑みを濃くする。
「まだだ……! まだだよなぁ!」
そんな二人の在り方が宗司には心地よかった。
この修羅場の冷徹で、熱血を迸らせて嬉々とする修羅と競い合える喜びに勝るものはない。
「やはり貴方は最高ですわソォジさん! 惚れ惚れする! 神々しくすらある! あぁそうよ! 私はこの瞬間を待ち望んでいたの! さぁソォジさん、私の予想を超えてください! 全てが思い通りになる私の脳髄を超えた奇跡を! その時こそ私はぁ!」
およそ美女がしてはならない悍ましい形相で声を張り上げるナイルとは対照的に、ハットリは静かに残された最後の苦無を構えることで意志を示した。
短くも濃縮された戦いの決着はすぐそこだ。
いや、あるいはここからが始まりなのかもしれない。
心鉄金剛をもってしても超えられるか分からない二つの巨大な敵を前に、沸き立つ心とは裏腹に、宗司の心はやけに静かですらあった。
雑念が満ち溢れながら、鋼のように固く静かな心持ち。発露させるばかりだった心が新たな高みに至った感覚。
「……あぁ、そうさ」
強くなりたいと思った。
刀を手にして幾年。刃を振るうことだけを繰り返した日々、他者を殺してでも強くなることだけが真実で、餓鬼のころからいつまでも変わらない思いを刃に秘めて。
「俺は、ここからだぞ」
「そして私もここからですよソォジさん」
「あぁ、俺も……ここからだよ侍」
宗司との戦いを経て、二人の修羅も終着点へと至ろうとしていた。
ナイルの握る拳に黒く塗り固められたかのような殺意が集まっていく。全身より滲み出る殺意は純化の一途を辿り、その完成された暁に至る『殺意』という完結が体現するのは時間の問題。
ハットリも残された苦無に戦いへの渇望が満ち満ちていた。殺すばかりの日々で、強さを求める忍者という異端が見出した一つの答えは『闘争』という形に終わりを迎えようとしている。
だが彼らの在り方は完結では終わらない。無限を是とした宗司と戦うことで答えに至ろうとしているからか、いずれもたった一つの可能性に飲まれる兆候はなかった。
宗司が虚無の完結に追い込まれることでようやく至った場所に彼らもまた辿り着こうとしている。
今はまだ明確な形ではないが、いずれ至るのは時間の問題。
心鉄金剛が無限の象徴ならば、人の数だけこの奥義は存在する。
人間の可能性を技という形に押し込めた奥義。それが意味することは――今は、関係ない。
気が世界を埋め尽くす。もうこの戦いは誰にも予想の出来ない超越の向こう側。
だがはっきりしていることが一つだけある。
「斬るぞ」
勝敗は関係ない。残された全ての力を注ぎ込んで宗司はそれだけを達成すると覚悟した。
その覚悟にナイルとハットリも胸に宿した答えで応じる。
故に、そう、故に、だ。
この日、あらゆる必然と偶然で集まった三人の修羅外道はもう誰にも止められない。
世界の理すら凌駕して、原初の狂気で突き進む人の末路達よ。お前達の決着は凛。
遠くで鈴の音が聞こえた。
「ッ!?」
三人の視線がアイアス城塞の向こうから響いた音色の方角へと向けられた。
それは誰にも止められないと思えた彼らの激突を止めるに充分な、しかしあまりにもか細い旋律だった。
だがその音色に思考を挟む余裕は彼らには残されていなかった。
何故ならば
この戦場で散った命も。
稚拙ながらも修羅の本懐を果たそうとしてた二人の戦いも。
この場で行われていた修羅外道達の狂騒を見ていたからこそ。
「やぁ、元気かい?」
「ッ!」
その姿を見た瞬間、三人は吸い寄せられるように一斉に
半ば無意識、だが三人それぞれが手にした答えを元に放つ必殺の一撃。
例え神であろうとも必滅するに充分な攻撃を三方向から放たれた
凛と、再び歌が響く。
「ッ!? ぅぎぃぃぃぃぃぃ!!??」
突然、ナイルが絞り出すような絶叫をあげながら、失われた左腕の傷口を抑えて地面に転がった。遅れて、胸を袈裟に斬られたハットリが声も漏らさずに地面に伏す。
そして――甲高い音色が戦場はおろか世界全てに波及した。
「ぐぅ!?」
「やっぱり、君だったんだね」
「お、主、いや……お前、は……!!」
宗司は無意識に掲げた刀で受け止めた刃の向こう側を見て、一瞬の動揺も束の間、激しい怒りを露わにした。
だが、刀身から柄まで漆黒の大太刀を持った
「久しぶりだね、宗司」
「何故だ! 何故お前が、ここに居る!!」
「彼らはお友達かい? 良いことだ。友達は大切にしないとね。そうだ、後で紹介してくれないか?」
まるで言葉が噛み合っていない。襲われたとはいえ、宗司の名を知り、宗司の友人だと思いながら、紹介してくれと嬉しそうに言って、既に斬っている。
特徴が無い?
違う。
刀を手にしていなければそう見えただろう。だが一度刀を手にした時、
だから、
「俺はずっと心配だったんだ。君が俺の元を離れた後、無事にやっていけるのだろうか、と」
「君は反抗的ですぐに突っかかってくるから人付き合いが上手くいかないんじゃないかと思っていた」
「だけどそれが杞憂だと分かって嬉しい」
「おめでとう宗司、師匠として一安心だ」
何を言っているのか、
人並みに心配を口にしながら、まずは斬っていた。まるでそれが当然だとばかりに斬る当たり前があった。
斬撃が前提として存在していた。理解出来ないことだが、その男は斬撃という形の人間で、人間と言う名の斬撃だった。
「君の先生の代わりとしても誇らしいよ」
刹那、脳裏を過るのは――あの日の雨。
「ッ……それをお前がぁぁぁぁぁぁ!!!!」
憤怒に任せて、宗司は刀もろとも
否、それどころか首を傾げてすらいた。
まるで、何故怒っているのか分からないとでも言わんばかりに。
「ッッッッ……あぁ、久しぶりだな、師匠」
「師匠、です……か?」
しかし宗司は苛立ちを無理矢理飲み込んで、表面上は冷静を装って
遅れて、傷口より血を滴らせながらナイルがゆっくりと立ち上がり、ハットリもふらつきながら体を起こす。
「えぇ、そうです」
そして背後に居る二人へと
瞬間、ナイルとハットリの表情が凍り付く。
中肉中背、覇気も無く、彼らのような狂気すら感じない。だがそんな印象は即座に消し飛ぶこととなる。
「初めまして二人共、俺はかつて彼の――宗司の師匠だった者です。とは言っても、恥ずかしいことに教えることは殆どなかったのですが」
黒い、とても黒い眼だった。
光すら飲み込む暗黒天体。美しさと醜さを同時に内包した漆黒の眼球を見た瞬間、二人は即座に全てを理解した。
ナイルはそこに黒き神の現身を見た。
ハットリはそこに口伝のみで語られた伝説を見た。
だがどちらも初めに感じた思いは一つ。
「なんて、様」
「はい、そうです」
どちらともなく呟いた言葉を男は当然と肯定した。
何故ならば彼は常にそう言われ続けてきた。誰もが認められない人の本質、眼を背けたくなる悍ましさ、狂気に至った人間ですら心を苛む得体の知れないものに僅かな恐怖を抱く完結の化身。
それは、世界を跨ぎ恐れられてきた人の終わり。
無限と言われる人間の可能性の一つをその才覚で完全に完結させた修羅外道。
悍ましき真の名を――。
「だから俺は、青山と呼ばれていました」
次回、斬る