ターレル戦線、異状なし   作:homura1988

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その1

【ターレル戦線、異状なし】

 

 貨物列車の連なりが背景の一部と化し、吐き出す紫煙がどこまでも続く曇り空と同化してしまう頃、戦地の燻った夜明けの間隙に己の身を滑り込ませた。しかし、目的地への道のりはまだ始まったばかりである。

 履き慣れた靴の底が、もう泥濘の感触は勘弁してくれと訴えているように感じ、無意識に右手が愛煙を探したが寸でのところで耐えた。前線での無駄な喰い潰しは禁物だ。来訪中に連邦軍の攻撃を受け帰還が難しくなることも想定しておかねば、出番がない私の銃がホルダーの中で錆びてしまう。後方勤務が長いことは誰の目からも分かるのだから。

 

「今日は暑いな」

 

 陽射しがやや強い。右手に持つ鞄を探ったがハンカチは忘れてきたらしい。何時ものことだ。週末の終業時間が差し迫った頃を見計らって、ルーデルドルフ閣下の命で公用使として戦線へ赴く。もう数か月も鞄の中を整理しておらず、何時のものであったか分からない書類が詰め込まれているのだ。何処かに忘れたハンカチも洗濯していなかったのだから、ちょうど良かったのかもしれない。

 列車に揺られる直前に飲んだ胃薬が効いているらしく、窓ガラスに映る己の顔色は悪くなかった。無意識にこぼれた溜め息は焼け焦げた鉄屑の匂いに掻き消える。

 これから軍用車へ乗り込み、多大なる資材と人員を投下して出来上がった悪路を子守歌に最前線へ赴かなければならない。無駄としか言いようがない広大な東部の、ほんの一握りでさえ帝国は悲鳴を上げている現状では、終わりの見えない迷路だろう。

 迎えの者を探しながら駅を出ると、背嚢を背負った兵士らが私の徽章を確認して敬礼をする。歩兵が数名、帝都行きの列車へ乗り込む為の列に並んでいた。

 耳に入るのは、甚大な損耗による大隊の瓦解、解散、同様に大隊を維持出来なくなった他の部隊と合流し再編成が完了するまで帝都へ一時帰還、という生気の見えない兵士らの声。貨物列車の最後尾の車輌には、重々しい棺が搬入されている最中だった。

 

「レルゲン大佐、お待たせいたしました」

 

 無言の帰還の列に供える綺麗な花がここにあるはずもなく、迎えの者が私の名を呼んだことで意識を切り替える。振り向けば、デグレチャフ中佐の部下の一人であった。陣営集落からわざわざ来てくれたのだろう。公用使は必ずしも良い情報を抱えてやってくるわけではないのだが、左手のトランクの中身はウーガ中佐に無理を言って横流しをしてもらった嗜好品が詰め込んである為、少なからず歓迎はされるだろう。

 

「メーベルト大尉だったな」

 

 挨拶もそこそこに車へと乗り込む。私を迎える為に寄越してくれたのは二輌。車輌は装甲車ではない、一般の軍用車だ。私の軍靴と同じく、タイヤも粘ついた泥をまとっていた。

 ずいぶん無理な走りをしているのが分かる。武人らの愛煙が染みこんだ座り心地の良い座席も、今は饐えた油の臭いの方が強かった。

 

「では、本格的に雨が降り出す前に急ぎましょう。哨戒任務に当たっていたグランツ中尉の魔導小隊が少し先で待機してくれています。それから陣営集落へ向かいます。アーレンス大尉の機甲部隊が途中路の工廠跡地で整備をしているはずですから、そちらとも合流します」

 

「手間をかけるが、よろしく頼む」

 

 サラマンダー戦闘団結成時の要員の一人、砲兵士官のメーベルト大尉。レルゲン戦闘団へ再編成時のデータに、砲兵としては馬鹿が付くほど優秀であるが時たま兵站を考えない思慮がある、とデグレチャフ中佐から謗られている。なぜ貴官が迎えなど、と問う前に、砲弾が無くては暴れられませんので、と一言付けくわえられた。

 

「こんな場所にまで足を運んでくださる客人は、誰であっても出来る限りで最大のもてなしを、とデグレチャフ中佐から言われておりますので」

 

 ここは、今一番の最前線だ。率先して行きたがる者など参謀本部であっても居ないだろう。

うるさいエンジン音を立てながら私を乗せた軍用車は駅を離れはじめた。私が再びここを訪れる頃には、枕木の一片も残っていないだろう。連邦軍が放棄した戦車などの鹵獲品の回収がほとんど完了し、数日後には駅の閉鎖が決まったと列車に乗り込む兵士らが話をしていたからだ。

 砂埃に汚れるフロントガラスから陽射しが反射し、視界を狭める。時計を一瞥すると、時間はちょうど太陽が天辺にいる頃だった。しかし、分厚い藍色の雲が今にでも太陽を飲み込まんとしている。ああ、雨だけはなんとしてでも避けたい。

 やや荒っぽい運転が数分続いた頃、車が急停車をする。目を通していた書類がばさりと手から落ちた。道路と言うには危ういほどの悪路ではあるが、酔いを感じるほどでもない。これは、慣れてしまったものだろう。車から降りると魔導師用軍服に身を包んだ小隊が私を出迎えてくれた。

 

「レルゲン大佐、護衛はお任せください。なんとしてでも、デグレチャフ中佐のもとへお連れいたします」

 

 春秋に富むうら若き士官、グランツ中尉の答礼と共に投げられた言葉に、若干引っかかりを感じるものの、その背中は頼もしい。ホルダーの中の銃の手触りを確認しながら、再び車へと乗り込む。エンジンが掛かり重いタイヤが回り出した。大きめの石を踏んだのか、ガタンと大きく揺れる。列車の揺れよりは笑えるほどに心地良い。

 

「装甲車も軽戦車も部品が足りず、もっぱら固定砲台になっている始末でして。接敵になった際は、大佐に運転をお任せすることになるかもしれません」

 

 皮肉を言われたのか、それとも本当に私が運転することになるのか、グランツ中尉の横顔から意図が汲み取れない。さすが、あのデグレチャフ中佐に鍛えられた精鋭の一人だ。背嚢から突き出ている、よく磨かれたシャベルが眩しい。

 エンジン音が耳を劈くなか、前方にはメーベルト大尉が乗る一輌。背後はがら空きだが、後部座席に魔導師が一人見張っている。広漠すぎる東部の、午後を過ぎた地平線。暑くはないが、嫌な汗がいくら拭っても止まらなかった。しかし雨雲はどんどん空を隠しはじめる。

 

「見えてきました、工廠跡地です」

 

 グランツ中尉の言葉と共に視線に入り込んできたのは、もはや廃墟に近い崩壊寸前の倉庫だった。戦闘区域になったのか、陣地構築はされているが本当に申し訳ない程度。生々しい銃弾の痕や砲撃痕の穴が鉄工板にちらほら見える。もう一度強襲などされてしまえば、直ぐに落ちるだろう。

 ついに雨がちらちらと降り出す。気にする程度ではないが、眼鏡が濡れるのは勘弁してもらいたい。車輌からは下りず、既に待機していた機甲部隊の戦車が工廠跡から出立していく。数は、やはり少ないと見えた。

縦陣形の真ん中に軍用車が二輌入り、一定の間隔を保ったまま、目的地を目指すことにした。鈍足ではあるが、これならば魔導師の負担も減る。それに、運ばなければならない歩兵が居るわけでもない。たちまち、エンジンオイルの匂いが濃くなった。

 

「大佐、デグレチャフ中佐と連絡が取れました。K321陣地から二時方向、中隊規模の敵機甲部隊を観測、接敵に留意せよと」

 

 グランツ中尉の宝珠が切られる寸前、久しく聞いていない少女の声音の端が聞き取れた。それだけで、少しだけ安堵の息を溢してしまう。状況はまったく正反対だが。

 

「K321陣地とは、どこだ」

 

「今現在、俺たちが居る場所です」

 

 グランツ中尉が地図を展開させ、現在の地点を指差し、レルゲン戦闘団が野営している集落の位置を確認する。その結果、残念ながらこの護衛部隊は二時方向へと向かわなければならないらしい。

 前の車輌からメーベルト大尉が降車し、こちらの運転手に指示をしている。無線機を搭載する戦車が先頭へと移動し、陣形を変えた。上空から見れば、なんと頼りない部隊だろうか。広漠の東部戦線に、砂粒のような点が、数個あるだけだ。上空から魔導師に攻撃でもされれば命の保証はない。雨が視界を阻むように激しくなった。この状況で敵部隊と接敵など、不利どころの話ではない。

 

「グランツ中尉、約束通り、運転を代わろう」

 

「いえっ、大佐は大切な客人です。戦車への移乗を」

 

 乗っていた軍用車がゆっくり動き出し、中尉の言う通りに戦車へと横付けされる。タイミングを見計らったのか、ひょっこりと戦車から顔を出したのはアーレンス大尉だった。バランスを取りながら無線で各車輌へ何かを叫んでいる。修理を終え、護送援護をしながら陣営へ戻るだけであった部下らの士気を高めているらしい。

 

「レ、レルゲン大佐殿、デグレチャフ中佐から言伝です。せめて、珈琲とチョコレートは死守してください、との事だそうです」

 

 アーレンス大尉は狼狽えながら、中佐からの電文を読み上げる。雨音とやや霞む視界に邪魔をされていなければ、眼前の大尉の青い顔がはっきり見えるだろう。言伝の通り、足元に置いていたトランクを取る。

 

「ああ、ではこれを預ける。丁寧に扱ってくれ」

 

 アーレンス大尉の方へトランクを投げると、見事キャッチをしてくれた。前線では、機密文書よりも最優先事項の品物と思われる、珈琲とチョコレートが入ったトランクは直ぐに戦車の中へ預けられる。さすが、優秀な機甲士官だ。部隊は再び、レルゲン戦闘団およびデグレチャフ中佐が待つ陣営集落を目指す為、鈍足の弾みを揃わせる。

 

「いやいや駄目です大佐、小官がデグレチャフ中佐に殺されてしまいます」

 

 後部座席から運転席へ跨ろうとしたが、グランツ中尉は断固として私を止める。デグレチャフ中佐の士官教育の賜物だな。大佐クラスの者への意見具申に一切の躊躇が見られなかった。

 

「運転を、と言ったのは貴官だろう」

 

 やはり、私に投げた言葉は冗談の類いだったのか。ますます、一体どんな士官教育を受けているのか気になってしまうところだ。

 

「それは、接敵の際にと―」

 

 雨が少しばかり弱まったと同時に、ザザザ、と中尉の言葉が遮られた。先頭を走る戦車から緊急アラートと共に無線が入る。ああ、これは嫌な予感が的中したという最悪の知らせだな。

 

「接敵しました。機甲と歩兵の混成部隊です」

 

 ノイズ混じりの至極平坦な無線が小雨の空間に入り込む。少し間が空いて、連邦軍です、と再度無線が入った。隣の中尉は、一瞬ばかり嫌な顔をしたものの直ぐに表情が切り替わる。運転席へ移動しようとしていた私を遮っていた中尉の身が動いた。

 陣形の中央を走っていた戦車が前へ出る。アーレンス大尉が再びハッチから顔を出した。

 

「無駄に相手をしてやる必要はない、なんとしてでも、大佐をデグレチャフ中佐の元へお連れするんだ」

 

 咆哮にも激昂にも近い、アーレンス大尉の声が無線機からも雄々しく耳に届く。しかしながら、先ほどから私をデグレチャフ中佐に会わせることに固執している気がする。まさか、とグランツ中尉の方を向くと、頭を抱えていた。

 

「なんでまた、こんなことに…」

 

 その中尉のぼやきは、後の報告書で知っている。以前グランツ中尉は、敵に包囲されたレルゲン戦闘団の救援に向かうため、今の状況と同様、東方司令部からゼートゥーア中将を装甲車でも戦車でもない軍用車に乗せ、連邦軍の防衛部隊と戦ったのだ。その時よりは幾分かマシだろう。

 

「では大佐、運転をお願いします」

 

 何かを諦めたようなグランツ中尉は、そう言って私に予備のヘルメットを渡す。そして、深く大きく深呼吸をした中尉が宝珠を起動させ、小隊の部下三人に配置の指示をしはじめた。まだ少年のような若さが見えていたはずの横顔は、次の瞬間に立派な航空魔導師の顔になっていた。

 

「グランツ中尉、こんな時にすまないが、ひとつ窺いたい。貴官は私とデグレチャフ中佐の、関係を知っているのか」

 

 運転手から座席を奪い、ハンドルを持つ。久しく握っていなかったそれはなかなかに重い。だが、アクセルの遊びも直ぐに慣れるだろう。だから頼む、グランツ中尉。私のその問いに、存じ上げないという顔をしてくれないだろうか。

 

「恐れながら…レルゲン戦闘団で、大佐と中佐が恋人関係であることを知らない者はいないと思われます」

 

 今度は中尉の言葉を遮ってくれる無線の声は無く、一字一句聞き漏らすことはなかった。そうか、それならば私が彼女に会うことに躍起になることに疑問を持つ者は居ないということだ。前向きに考えよう。

 直ぐに私の思考を掻き消さんばかりの砲弾の音が、びりびりと鼓膜を震わせる。先頭車輌がついに敵と交戦状態になったようだ。悪路の道では、伝わる音も揺れも、ハンドルに影響する。恐怖心などは無く、不謹慎ながらも私の心は妙に弾んでいる。

 

「もういい、やけくそだ」

 

 一気にアクセルを踏みながら、やはりハンカチは必要だなと感じた。はたして、私は無事に恋人であるターニャ・フォン・デグレチャフ魔導中佐に会えるのだろうか。

 

続く

 

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