ようこそTレックス至上主義の教室へ   作:大路京太郎

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坂柳有栖は何も知らない

 私――坂柳有栖はその日、いつも手足としてよく働いてくれている神室真澄さんと共にいました。

 その歩みはカツ、カツと音を立てている杖と同じくゆっくりとしたペースです。しかし、隣にいる神室さんは慣れているのか特に文句を言うでもなく私と歩幅を合わせてくれる。それが、彼女の普段の態度とは裏腹に、生来の生真面目さがにじみ出ているようでした。

 

「いつもありがとうございます、神室さん」

「…はぁ?いきなりどうしたの」

「いえ、あなたとの付き合いも長くなったものですね、と。なんだかお礼を言いたくなったのです」

 

 急にどうしたこいつ、という表情でこちらを見る神室さんですが、彼女は駒としてとても優秀です。また優秀なだけでなく共にいて飽きないような面白い方でもあります。

 どうやら彼女は私に隠れて動いていることも多々ありますが、私に不利益な行動をとらない内は、このまま仲良くありたいものです。

 と、徐々にざわざわとした喧騒が近づいてきます。目的地であった食堂に着いたようです。

 

「それで、あんたは何頼むの?」

 

 着いてすぐに神室さんはそう言いました。言外に、二人分頼んであげると告げているのでしょう。たしかに杖を持ったままではお盆を受け取るのは困難です。

 いつものことで申し訳なさはありますが、ここは素直にお願いすることにしましょう。

 

「レディースセットでお願いします。ですが、他に良さそうなメニューがあればそちらを選んでくださっても構いませんよ?」

「私に見る目を期待ないで」

「ふふ、それもそうですね。では、代わりに席を取ってきますね」

 

 仮にメニューを指定しなかったら彼女がどんなメニューを選ぶか非常に興味はありましたが、あまり無茶振りをするのはよくありませんね。さて、私も自分の役割を果たさなければ。

 しかし、食堂を見回してみますがなかなかいい席が見つかりません。半端に、一席だけ空けて隣の人と間をとったり、椅子に鞄を置いて席を確保している所が多いのです。マナー違反だと注意をかけることもできますが、そこまでするのも手間です。

 しばらくウロウロしていると、背後に気配を感じました。どうやら神室さんが来てしまったようです。

 

「もしかして空いてる席がない?」

「ええ、すみません。探してはいるのですが…」

「ま、この混雑じゃね」

「困ったものですね…ああ、あそこなら何とか二人で座れますね」

 

 私が目を付けたのは、入り口や受取口からほど遠い、不人気の席です。

 よく見れば先客がいるよう。ですがこれ以上神室さんにお盆を持たせたままというのもかわいそうです。お一人のようですし、少し不便ですが相席をお願いしましょう。そう思い、私は声をかけました。

 

「お一人ですか?よろしければ相席をお願いしたいのですが―――」

 

 すると、座っていた方がゆっくりと振り向きます。

 

「綾小路くん…?」

「げぇ、Tレックス」

 

 となりで神室さんが意味不明なつぶやきをしました。

 

 ※

 

 食事中、不意に声を掛けられ振り向くと、少し驚いた表情の坂柳とお盆を二つ持った神室が立っていた。

 

「げぇ、Tレックス」

「おい」

「…てぃー、れっくす?」

 

 こいつ、目が合うなり反射とも思える反応で言ってきやがった。

 いきなり失礼な奴だなと思い神室の方を薄くにらむが、目をそらされる。一方坂柳は意味が通じないようで、首を傾げている。

 同時に、俺は坂柳と神室がわざわざ声を掛けてきた意図を考える。しかし、辺りを見回し、また先ほどの神室の態度を見るにどうやら偶然だろうと結論付けた。

 

「まあ、今日は特に混んでるしな。空いてるし好きに座ればいい」

「ではお言葉に甘えて」

 

 そう言って、坂柳は少しほっとした表情で対面の席へと周った。どうやら人混みに揉まれ疲れていたように俺には見えた。

 

「いただきます」

「ん」

 

 そう言って二人は食事に手を付けた。

 奇妙な巡り合わせもあったもんだ。目の前で上品に食事をする坂柳の存在が物珍しく、気になるところだ。だが俺もまだ食べ終わってはいないし、食事に戻るとするか。

 安かったという理由で頼んだカレー。それなりに辛くて水と交互に食べていると、妙な視線を感じる。顔を上げると坂柳がこちらを見ていた。

 

「Tレックスとはなんのことですか?」

「ん、んん!」

「…なんだろうな、聞いたこともない」

 

 坂柳の隣で神室がむせるのをこらえていた。昨日から、一体何なんだ…

 そしてどうやら、噂は坂柳の耳には届いていなかったらしい。常にそこの神室や橋本が傍にいるはずだが。そのことに驚きつつも、努めて冷静を装い誤魔化すことにした。

 

「綾小路くんらしくもありませんね。先ほどから動揺がみられますよ」

「早く食べないと昼休みが終わるぞ、坂柳」

 

 俺はその話をするつもりはないと分からせるため、強引に話題転換を図る。しかし、その態度が余計に坂柳の気を引いてしまったようだ。

 

「興味が湧きました」

 

 湧かんでいい。

 

「あなたがそうまで隠そうとするTレックス、おそらく何かの比喩といったところでしょうが、神室さんと綾小路くんだけで通じ合っているのは少々癪に障ります」

「そうか。だが、少なくとも俺は知らないし、知っていても教えるつもりはない」

「なら、教えるつもりになるよう精一杯努力しますね」

 

 坂柳は本気のようだった。勘弁してくれ、本当に。

 俺はこんな状況になった原因である神室の方を向き、声を掛ける。

 

「俺よりも神室、お前の方が詳しいんじゃないか?」

「ちょっと!あんた、私に何を言わせるつもり?」

「…?」

 

 背筋がぞくぞくするような冷たい目で睨まれた。思えばたしかにこれはセクハラになりそうだな。いや、だがそれなら俺が言ってもセクハラには変わりないような気もする。

 状況はすでに詰みなのかもしれないと、そう思った。

 

「坂柳。これは本心からの言葉だが、知る必要のないことも世の中にはある」

「Tレックスがそれにあたると?それは何故ですか?」

「頼む、何度も口にしないでくれ」

 

 坂柳がTレックスと言うたびに神室が微妙ににやけるのが気に入らない。何とかして坂柳からの追求をやめさせようと、やんわりと警告を発する。しかし、もっと直接的に言わないと納得しなそうな雰囲気だな。

 

「ここじゃ言いにくいことなんだが…その、なんだ。神室の反応からも察して欲しいんだが、それは不名誉なあだ名というか、とても下品な意味で使われている言葉なんだ」

「えっ」

 

 坂柳は思わず神室の方を振り向く。神室はただ頷いて見せただけだったが、嘘はないと判断したのだろう。

 再びこちらを向く坂柳の顔は少し赤かった。

 

「Tレックス…肉食獣…食べまくり…」

 

 坂柳はボソボソと何かを呟いているが、より変な勘違いでも起こしたようだ。みるみる内に顔が赤くなっていく。

 

「あ、綾小路くんあなた、この一年で一体何人に手を出したんですかっ!?」

「違う」

 

 出してない。

 しかし、坂柳は俺の言葉など聞いていない様子だ。また、何か思い当たる節があるのか、再びボソボソと呟きながら指を折っていく。

 

「堀北さん、佐倉さん、長谷部さん、一之瀬さん、椎名さん……」

 

 おい。両手じゃ足りないくらい数えているが、坂柳から見てそんなに候補が居たことが逆に驚きだ。

 そして、最後に坂柳は神室の方を見た。

 

「…まさか神室さん、あなたまで?」

「その流れでこっちを見るのやめて」

 

 神室は心底嫌そうな顔をしていた。私を巻き込まないで欲しいという気持ちは分からないでもないが、そもそもお前が原因だろう。

 結局、昼休みが終わったことでその日の追求は一旦止んだ。

 

 ※

 

 後日、坂柳には改めて会った時にまた聞かれたので、包み隠さず全て教えてやった。正直なところ変に隠して、会うたびにも聞かれるのは面倒な上に精神的に辛い。

 ちなみにその際の坂柳の反応はこうだった。

 

「あれのサイズ…?それが大きいからと言って何かあるのですか?」

「男子は変なことを考えるものですね」

 

 そう言って、肩透かしというか、つまらなそうな顔をして去っていった。

 全く持ってその通りだ、坂柳。俺もそう思う。

 そして出来れば元から興味を持たないで欲しかったところだ。

 しかし、今回の件で坂柳の新しい一面を発見したような気がする。隠されると気になって仕方がない、好奇心旺盛な面。性知識に変な偏りがある面。

 また、これは前々から気付いていたが、どうやら坂柳は純粋に人と話すことが好きなようだった。そして俺もそんな坂柳が嫌いではないらしい。

 特別試験のことやあの男のことを抜きにすれば、坂柳とは普通に友人になる未来もあったのだろうか。

 そんな現実はなく、こんな事を考えても意味はない。

 だがそれでも、そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

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