小さな子供の躾として恐ろしい存在を上げることは常套手段であろう。
恐怖は本能に根差した単純な感情であり、理屈を知らぬ多感な心を持つ者に対しては理路整然と説明するよりもそちらの方が効果を期待出来るからだ。
それは例えば巨大な怪物であり、例えば神様であり、または子供でも知っている”悪い”存在である。
『悪いことをすると、”雑種”がお前を攫いに来るぞ』
読者の中には小さな頃、親にこう脅された者も居るのではなかろうか。
筆者の体感ではあるが獣人であればまず間違いなくこの脅し文句であり、他の種族であっても雑種が仮想敵として提示されるケースは多い。
治安の悪い地域では実際の脅威として雑種が挙げられるし、彼らの行いは新聞や報道で時折持ち上げられるため聞いたことがない者は居ないだろう。
特に最近の子供は情報が早い、幼いころから時世に触れているので昔より”雑種”に対する嫌悪感を強めているとの情報すらある。
説明するまでもないことだが、雑種とは獣人が別種族と交配した時に産まれる混血児だ。
獣人とひとくくりにされることを彼らは嫌うが、遺伝子構造上は相似性があるため別の種族の獣人同士でも生殖は可能だ。
可能であるが、獣人たちの間で混血というものは非常に忌避される傾向にある、それが”血統主義”種族的に純粋であればある程に貴いという考え方である。
血統の概念は人間にも当てはまるが、『家柄あっての血統』ではなく『血統あっての家柄』というのが大きな違いか。
貴族階級の者ならば当然として、平民階級ですら一人一人が自らの血統書を持ちステータスとする……そんな社会性がある。
そのため獣人族と仕事上でも私生活でも付き合う際、血統については非常にデリケートな話題となるため迂闊に触れないのが鉄則だ。
純粋な血統こそ正義である獣人にとって、不純な血統と言うのはそれだけでも大罪だ。
雑種と言うのは純血種に比べてタフであり、劣悪な環境であろうと生き延びられる適応性の高さが備わっている。
血が交われば交わる程、血統が混濁し種別が曖昧になる程にその傾向が強くなる。
雑種が産まれる要因としては大きく二つに分けられる、一つは種族を越えた禁忌の愛、もう一つは後進国特有の性に対する無頓着さ。
前者は浪漫に溢れるが獣人間においては許されざることである、もしもその逢瀬が見つかってしまえば破滅は避けられない。
良くて強制的な離別と軟禁、悪ければお互いの親族によってその場で嬲り殺されてしまう。どちらにせよ碌なものではない。
記者として日々様々なニュースに携わるが案外そういった事件は多いのだ、その終わりがあまりにも凄惨で救いがなく、リビングに届けるのには向かないと判断されるので報じていないだけだが。
万が一それを成就したとして、産まれてくる子供はその時から呪いを背負う羽目になる――それが幸か不幸かを判断するのは私ではないが、少なくとも喜劇ではないだろう。
そして雑種の産まれる大多数は後者である、後進国や内戦状態の地域では雑種が産まれる可能性が非常に高い。
彼らの親は大抵が娼婦や物乞い、傭兵、表世界では生きられぬ爪弾き者であり碌な教育も受けていない雑種である。
当然ながら彼らが子に愛を注ぐことはない、出来たら捨てる、路上に溢れた子供たちはやがて徒党を組んで周辺を荒らすようになる、生きる為に。
彼らは成長して女は娼婦、男は傭兵やギャング、いずれにせよその親の跡を継ぐことになるだろう。
そういった者達が問題を起こしては恣意的に報道され、更に雑種が蔑まれるようになる。被差別階級とはこのように出来上がる。
『雑種』『混血』という単語はそれらを見下す純血種にとって排泄物よりも不潔極まりない言葉であり、何の知識もなく発してしまえばそれだけで侮蔑の視線で見られるだろう。
当然ながら最大の侮蔑発言としても扱われ、どれほど落ち度が向こうにあったとしてもその単語で悪態をつけば「殺されてもやむなし、当然」の扱いを受けるそうだ。
どれほど温厚な性格であろうと、気心知れた仲で冗談のつもりだろうと、その一言で関係の決裂、最悪殺害されてしまうかもしれない特大の地雷なのである。
読者諸兄においては、十分な注意を願いたい。
さて、ここまでは前置きである。
雑種たる単語の危険性については十分に伝えることが出来たが、次の言葉はまた別の危険性がある。
「『混ざり者』に縁がないように」
筆者がこの単語を最初に聞いたのは、とある地域の従軍記者として赴任した時のことだ。
自軍の兵士たちは別れ際に必ずこの言葉を掛ける、さながら「さようなら」と同じような役割を担っていた。
従軍記者としては数度別の地域に赴いたこともあるし過去数年は兵役についていたこともあった、けれども聞いたことがない、あまりに奇妙な挨拶である。
『混ざり者』――当初はそれが混血の隠語であると認識していたが、やはりおかしい。
記者として獣人種に対し血筋の話を出してはならない、そう決めてはいたのだが好奇心を抑えきれない。
そこで私は非獣人の兵士に聞いてみたのだ、混ざり者とは一体何を指すか、それはどのような意味の挨拶なのか、所以はなんなのかと。
すると彼は心底意外そうな顔で、そして気味悪そうに肩を竦めて教えてくれた。
「知らないのかい? あいつだよ、あの悪魔、『
すぐには思い当たらなかったが聞いたことのある呼び名に記憶を探れば、確かにそいつは存在した。
『蠢く死線』『首狩り犬』『掃除屋』『褐色の勝者』『近寄りがたき者』『死神の遣い』 そして『厄災の獣』――それらはただ一人の個人を指す。
歴史に埋もれ、影から影へと渡り歩く凄腕の存在、隠れるように争いへと身を投じては敵あるいは味方にすら夥しい被害を齎す雑種の獣人。
その脅威から幾度となく、あらゆる勢力から刺客を送られたもののまるで児戯のように退けられたと言う。
そして狙われていることを知ってもなお、逃げも隠れもせず気の済むまで滞在し、包囲網を易々と掻い潜って別の地域へと現れると言う。
更には雑種と侮蔑されようと意にも返さず、名前を聞けば平然と名乗り、謝礼付きであればそこら辺の喫茶でインタビューに答えたとの報告もある。
『ペパーミント・シュガームーン』
各地で轟くその所業からは全く考えられない名前を、彼女は大真面目に名乗るのだ。
余談であるが彼女のファンを名乗る酔狂かつ不謹慎にもほどがある団体は自らを『ペパーミンツ』と名乗るらしい、だが本当にそんなものが存在するのかは疑わしい。
もしも本当に存在しているのなら……世間からのバッシングは、それこそ獣人社会における雑種の扱い以上であろう。
勿論そんなふざけた名前を使う者は居ない、彼女が本当の本気にそう名乗っていたのだとしてもその行いはあまりにも凄惨だ。
彼女のことを『混ざり者』と呼んでいた軍はかつて彼女ただ一人に大打撃を受け、たった数日でその30%が首から上を消し飛ばされたのだという。
それも奇襲ではなく全て正面突破で、武装した精鋭一個師団を相手に怪我一つ負わず殺し尽くした――信じがたい話ではあるが、彼女にまつわる噂の数と内容がそれを裏付ける。
ルブラン戦役におけるユーフラス戦線……互いが全戦力を投入し、その結果如何で戦局の優位がひっくり返るまさに大一番。
徹底した塹壕戦、押されればすぐさま押し返し、機銃による牽制を繰り返しては完全な膠着状態へと陥ったその時、彼女は突如として戦史上に躍り出た。
誰しもが度肝を抜かれたことだろう、一匹の獣人が塹壕から飛び出て機銃の雨を潜り抜け、敵の塹壕に飛び込んでは文字通り血の雨を降らせ始めたのだから。
それも一度や二度ではない、塹壕から塹壕へと飛び移り、殺しに殺しては次の塹壕へ……逃げ場のない狭い空間に突如として飛び込んできた狂犬に誰も太刀打ちできず殺されていったのだ。
当然ながら士気はガタ落ち、兵士たちは我先にと命からがら逃げ出し始め、三カ月続いた終わりのない塹壕戦はたったの一週間で終わりを迎えることとなった。
軍によって情報を隠されてはいるが、その獣人が『ペパーミント』であることは周知の事実である。
後々に刊行されたルブラン戦役について書かれた本の中で、当時の兵士が彼女について語った一文があるので引用させていただこう。
「彼女は突如として現れた、それは戦場において往々にしてよくあることだから誰も気に留めなかった……彼女が雑種であることも。前線おいて雑種はありふれたものだ、彼らは使い捨てられるためにそこに居て、彼女もその内の一人だろうと誰もが思っていた。ひどく血が入り混じった混血であったことをよく覚えている、ぱっと見は犬だが狐や猫、あるいは熊も混じっていたか――まるでキメラだ、誰かが意図して適当に混ぜ合わせたのだとしても不思議ではないぐらいだった。一番驚いたのは彼女の強さだった、私は彼女の訓練に付き合ったことがある、それなりに戦える方だと思っていたし白兵戦の技能がいくつもの死線を潜り抜けつつも私を戦場に留め置いていた。しかし彼女はなんというか、強いとしか言いようがなかった。雑種としてのタフさ、混血としての体格、そして戦闘へのセンス……恐らく既に私と同じ、いやそれ以上の鉄火場を潜り抜けてきたのだろう。経験と天性の才能だ、まるでこちらが避けているかのように攻撃は当たらず、彼女の放つ一撃一撃が重く、鋭く、的確に急所へと刺さった。印象深かったのはその不愛想さだ、彼女はどんな敵に勝利しても、上官に『アバズレの股から産まれた雑種』と詰られても、眉をピクリとすら動かさずただただ相手のことを見ていた――」
彼女は国を渡り歩き、その度に呼ばれ方を増やしていった。上記で述べた異名はその内の僅かなものに過ぎない、そしてまた次の街へと向かうのだ。
しかし近年は彼女の目撃情報は少なくなった、噂ではかのウィティアにて腰を据えているとのことだが大人しくしているとは思えない。
しかしながら、世の中には触れないことが良いこともある。
諸兄に知っておいてほしいのはただ一点――『雑種』と『混ざり者』は全く違うということだ。
彼女に狙われたら誰一人として生きられない、それ故に戦場の兵士たちはペパーミントという厄災に魅入られないよう、別れの挨拶に祈りを込めるのだろう。
――サンセットバーグ新聞社 グリンウッド=オーウェン著 『異種族小噺』 第三章四項
(刊行の後、「大量殺人者をあたかも褒め称えているような記述がなされている」「雑種共が調子づくことが懸念される、廃刊するべき」等の抗議が殺到したため本書は回収、当該項目を削除した上で再出版された)
主人公(せめて名前ぐらいは可愛くしたいと思うんだよね)