カンテレを弾く前に。   作:桜田家族

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二つの流派 1-b

 木々の合間を縫って耳に届く轟音、鋼鉄を通じて肌に響くけたたましい駆動音。

 目を閉じれば自身の静かな吐息と車内にいる他の乗員の乱れた呼吸音も聞こえてくる。

 キュラキュラとキャタピラの独特な装軌音が、乾いた土を踏みしめる音と共に車外から伝わってくるのを文香はしっかりと感じ取っていた。

 

「ど、どうするの……?先輩達はもう殆どやられちゃったみたいだけど……」

 

 文香は不安げにこちらを見ている通信手の声に気付くと、にこっと微笑みかけながらキューポラを開けて外の世界へと身を乗り出す。

 車内から「危ないよ!」と通信手に声をかけられるがそれを手で制すると、ふと天を仰ぐ。

 

 夕陽が地平線に吸い込まれつつある、黒と赤の混じる空を文香は、その視界いっぱいに取り込む。

 砲撃音に覆われながらもうっすらと聞こえてくるのは、春の訪れを歌うようにさえずる鳥達の鳴き声や、戦車に押しつぶされる草木の悲鳴を憐れむようにざわめく、風が葉を揺らす音だった。

 

 その中で文香、後に自身をミカと名乗るようになる少女は「あぁ 今日のうちに貯めていた洗濯を干しておけばよかった、また西住さんに怒られる」と、哲学的でも詩的でもない、一日中雲一つなかった空模様を見ていれば多くの人が似たような事を考えるであろう、いたって庶民的な事を思慮していた。

 

 そんな事を考えながら少し苦い顔をしつつ車内に身を引っ込めると、その表情を見た同級生でもある通信手の顔色が泣きだしそうなものに変わる。

 

「や、やっぱりもう駄目なの……?……で、でも頑張ったよね私達……!」

 

「砲塔旋回装置は故障、変速機も故障、おまけにサスペンションまで故障 流石の島田もこれ以上は無理だろ。まぁそれでもよくやったよ」

 

 通信手の声に答えるように操縦手の先輩が諦め半分、感心半分といった声で文香に振り返りながら話しかける。

 その返事に通信手は喜びながら「そうですよね!」と同調するが、文香は違った。

 目を閉じ、再び辺りの『声』に耳を傾ける。

 砲声は止み、キャタピラが土を打ち鳴らす音は聞こえず、辺りには木々の揺れる音のみが残っていた。

 

「……どうやら、シャワーを浴びるのはまだ先になりそうだね」

 

「へ?それってどういう……」

 

「おいおい、マジで言ってるのか?島田……」

 

「風はまだ止んでいないさ」

 

 通信手は意図が読めず、ぽかんと首を傾げていた。

 しかし意味は分からずとも意図は伝わったのか、操縦手が舌打ちをしながらエンジンに火を入れる。

 辺りからは木々のざわめく音が消え、その代わりにどうしようもないほど人工的なエンジンの駆動音が自身の足元から響き渡り始めた。

 

 操縦手の背を軽く小突きながら文香は再びキューポラから身を乗り出す。

 砲塔が右30度ほどで固定されたまま故障した手負いのパンターG型は、風を切るように眼前の、先ほどまで敵が横切っていた山道へと飛び出した。

 

「──行くぞ」

 

 車体に降り積もっていた桜の花びらが一面に舞い、薄暗くなった林道に出来上がった桃色のカーテンから飛び出したパンター。

 キューポラから上体だけ乗り出した、パンツァージャケットを着ていない文香の姿は、そのワインレッドのシャツが桜吹雪の中で、ただ一点だけを狙う手負いの獣の血走った眼のように映えていた。

 

 

***

 

 

 剣呑な空気で満ち満ちていた。

 

 1年生達が入学してから二週間、ここ黒森峰女学園戦車道科には派閥と呼べるほどまでに膨れ上がったグループが出来上がってしまった。

 一つは、旧来からの伝統に則って西住流戦車道を重視するあまり、フミちゃん……島田文香の扱いに困っている『保守派』。

 次に、黒森峰戦車道科の全国大会9連覇の為に西住流でも島田流でも柔軟に取り込むべきだと主張する『融和派』。

 そして最後に……

 

「隊長! 私達はやっぱり納得いきません!」

 

「そうですよ! この黒森峰はいわば西住流を体現した集団、そんな中に島田流の……それも島田流宗家の子がいるなんてやっぱりおかしいです!」

 

「あー、はいはい……」

 

 今、執務室のデスクに座ってるアタシを取り囲んで、もう両手足の指を使っても数え切れない回数となった抗議を飽きもせず行っている、島田文香の持つ島田流という黒森峰にとって、ひいては西住流にとっての異物をとにかく排除しようとする『排斥派』。

 現状の隊員達を大別すればこの三つの派閥に分けられるだろう。

 

 アタシのおざなりな対応に排斥派の面々は腹を立てたのか、さらにヒートアップした様子で島田文香が如何に危険な存在か、何故この黒森峰に置いておいては危険かを彼女達なりの弁で主張してきていた。

 

 普段であれば真美……蝶野副隊長がそろそろ仲裁に入り、熱の入っていた彼女達も正気に戻って部屋を後にする頃だが、生憎と今は練習後のシャワーで副隊長は席を外していた。

 

 それに、こうして意見はともかく自分達なりの考えで仲間の事を想い、熱意を持って練習後毎日のように議論を持ちかけてくる姿は好感が持てる。

 フミちゃん本人の人間性自体を否定しているわけではないし、あくまで島田流という黒森峰にとって異質なものだけを排斥して自身の学園の伝統を守ろうとしているだけだ。

 そんな子達を無下にすることも出来ず、かといって疲れてる身体のままデスクワークをしている時にこうも熱い想いをぶつけられると、正直面倒くさいとも申し訳ないが思ってしまう。

 

 排斥派の面々は相変わらず、話を半分も聞いていないアタシに対して熱弁をふるっていた。

 でも、とにかく今は来月にまで迫った聖グロリアーナとの練習試合についての書類を作らなきゃ……待てよ、練習試合?

 

「……隊長?」

 

 丁度良くこの子達も一向に口を開かないアタシを見て、息を切らしながらも落ち着きを取り戻している。

 

 幸運にも頃合いのようだ。

 

 ()はわざとらしく、それはもう仰々しくゆっくりと腰かけていた椅子から立ち上がると、デスクの前に群がっている隊員達をじっと見つめる。

 なるべく感情を感じさせない無機質な、それでいてしっかりと目を見開き口を閉じて凛とした表情を作りながら。

 

 先ほどまでかったるそうに半目で口を開いたままパソコンと向き合っていた人間とは思えない、急変した私のそんな様子を見て新入生達は驚いた表情で、進級生達はこれまでの経験上から反射的に私の言葉を待ってくれた。

 

「よろしい、君達の主張も一理ある。そして聡明な君達であれば他の主義主張を持つ者達がいることも理解しているだろう。 ではそもそも、ここまで意見が大きく割れ続けるその原因はなんだと思う?」

 

 私の問いかけに誰も答えない。

 質問に対する答えを愚直に考え唸る者達、答えを用意出来ても私の次の言葉を待つ者達、今後の話の展開をなんとなく察した者達、それぞれが黙り込んだままだった。

 上々な滑り出しだ。

 

「流派の違いから生まれる戦術の綻びや隊員たちの不和を危惧してか?それに対して我が校の全国大会9連覇を掛けて更なる力を得るきっかけが生まれることを望んでか? そんな大それたことを君達は考えているのか!そうだとしたら、私なんかよりもよっぽど隊長に向いている」

 

 言葉は無い。

 だからこそ私の耳には遠くから響く、こちらに向かって廊下を歩いてくる足音がよく聞こえた。

 

「君達は恐れているんだよ、島田文香という全く新しい未知の存在に。 人というのは昔から未知を恐れる、ではどうすればいい?簡単な話だろう、彼女という人間を知ればいい。 ではどうすれば彼女という存在を理解できる?それこそ簡単な話だ。単純明快、もう私が言いたいことは理解できるな?……おいおい、そんな顔をするな これは罰でもなんでもない」

 

 言葉も無い。

 絶句した様子で進級生達の顔はみるみるうちに青ざめていく。

 同時にがちゃり、と執務室のドアが開いた。

 

「君達は戦車乗りだろう?その心はどこに置いてある? 1730時までに全員集合だ──さぁ、乗車用意!」

 

 進級生達は皆一様に頭を抑え、新入生達は皆口々に「えぇー!?」と悲鳴にも似た声を上げた。

 

「……は?」

 

 そして今しがたシャワーを終えたのか、バスタオルで髪を拭きながら部屋に入ってきた副隊長、真美は事態を飲み込めないながらもこれから何が始まるか、どうしてこうなったかは部屋の様子を見てすぐに察したようだった。

 察したからこそ特大のため息を吐き出して、濡れた髪を丁寧にバスタオルで纏めながら恨めしそうに進級生達を睨みつける。

 

 この戦闘中毒者(バトルジャンキー)に口実を与えたな?とでも言いたげな真美の横目を見て、()()()はニヤける口元を堪えようともせず、ドヤ顔で真美の方へと顔を向けた。

 

 

***

 

 

 執務室でのやり取りからおよそ15分後、ガレージに集められた全隊員達は何事かとざわついていた。

 既に本日の訓練は終了しており、各々が入浴や趣味を楽しんでいたり、これから外出して街の方で遊ぼうとしていた矢先の臨時召集にあらぬ疑惑や噂が飛び交う。

 

 中には文香に対する中傷紛いな冗談も少なからず挙がっていたが、そうこうしている内に隊長と副隊長がやって来た。

 すると誰からともなく会話を切り上げ姿勢を正して整列する。

 

「はいみんな!紅白戦しよっか!」

 

 たった一言、その言葉を言い終えるや否や黒森峰高等部戦車隊隊長、逸見セナはさっさと自身の操る戦車へと乗り込んでいった。

 まるで新品のおもちゃを買ってもらった子どものように、使い込まれた戦車に乗るセナの後ろ姿を殆どの隊員達は呆気にとられた様子で見つめていた。

 

 そしていち早く正気に戻った隊員が「どういうことですか!?」と、セナの後をついてやってきた副隊長である真美に尋ねようと口を開こうとして、口を閉じた。

 

「さっさと搭乗しなさい チーム1は奇数号車、チーム2は偶数号車。開始地点はそれぞれB地点とF地点よ」

 

 逆光でよく見えなかった真美の姿。

 シャツは洗っていた物を無理やり絞って身に着けたのか生乾きでぐしゃぐしゃに皺が寄っていて、パンツァージャケットは半分だけアイロン掛けが終わっていた、と主張するかのように片方だけの襟がぴんっと立っていた。

 なんとも不格好な出で立ちで近づいてくる副隊長を見て、隊員達は思わず吹き出しそうになる。

 

 だが、その真美の表情が見えるようになると、隊員たちは自分達の中で今の彼女の姿を笑う者が出なかった幸運に感謝することとなった。

 

「聞こえなかったの?早くしなさい は・や・く ……あの馬鹿、今日という今日は絶対に車内から引きずり出して履帯でひき肉にした後、ヴルスト用の豚のエサにしてやる……」

 

 結局半乾きのまま髪を放置することになり、ごわごわになった自慢の長髪から覗くその何かを彷彿とさせる表情は──あぁ、教科書で見た風神雷神だ。そんな顔してる──隊員達に一切の質問をさせないまま戦車へ搭乗させるに足る、100万の言葉に勝る圧力を放っていた。

 

 

***

 

 

「西住さん!今日はよろしくね!」

 

「西住!今回の指揮はお前だとさ!存分に腕を振るってみてくれ!」

 

「わ~……ほんとにあの西住さんと一緒に戦えるなんて……夢みたい……」

 

 ただでさえ高い技量を持つ隊員全員が、まるで火がついたかのように普段以上のスピードで搭乗を済ませ、ガレージから次々と飛び出していくと肝心の試合準備が間に合っておらず、各自は自身に割り当てられた開始地点で待ちぼうけを食らう羽目になっていた。

 

 そのため偶数号車の面々、今回白チームとして共に戦う隊員達は演習場のF地点で車外に身を乗り出し雑談にふけっている。

 そしてその話題は自然と、同じチームになった期待のスーパールーキー、もしくは同学年の英雄に関することで持ち切りとなった。

 

「はっ、微力ながら全力を尽くします しかし……先輩方や蝶野副隊長を差し置いて私が全体指揮を執ってもよいのですか?」

 

「あー、いいのいいの!練習試合だし それにどうせ隊長の思いつきで始まったことなんだから、こっちだって何か見てみたいもの見せてもらわないと。ねぇ?」

 

「そうそう、西住流本家本元の動きっていうか、やり方ってどうやるのか見てみたいしね! それに、副隊長はああだし……」

 

 そう言いながら3年生の先輩はちらりと、陣形からも外れ後方で1輌だけぽつんと佇んでいる副隊長の車両の方へ目をやる。

 

 そこには白チームが集合完了した時、指揮権をまるごと移譲することだけを告げた後に一言も喋らなくなった真美の姿があった。

 ホラー映画に出てくるような風貌となった彼女が乗っている戦車は、尋常じゃないほど負のオーラを纏っており、さながら幽霊船……いや幽霊戦車のようにも見える。

 そちらへ目をやった隊員は皆、こちらへ助けを求めるような目を向ける真美の車輛の乗員達と目を合わせないように、ゆっくりと視線を外した。

 

「と、ところで西住 フラッグ車はどの車両にする?」

 

「そ、そうですよ西住さん!副隊長……は駄目ですし、西住さんが自分で務めますか?それとも思井先輩のティーガーⅡに?」

 

 先ほどから場の空気を和ませようとして口数が増えているティーガーⅡを任された2年の先輩がまほに尋ねる。

 それに同調するようにまほと同じティーガーⅠに乗る、車外に出て砲塔に座り込んでいた同学年の砲手が話題を切り替えようと少し上ずった声を出しながらまほへ振り返った。

 

「そうだな……ん?」

 

 辺りを見回す、そしてまほはそこでふと目に入る。

 キューポラは閉じられ、会話にも参加せず先ほどから沈黙を保ったままの、()()()()()()()()()()が操るパンター。

 寮生活で相部屋となってから二週間が過ぎるが、未だに付き合い方を図りかねている飄々とした彼女のことがこの時、何故か無性に気にかかった。

 ただの好奇心か、それとも先ほどガレージで耳にした彼女への謂れもない言葉に対する同情心がそうさせたのか、自分自身でも分からないまま、まほは中に残って定期連絡を行っていた通信手に手を伸ばし無線機を催促する。

 

「島田、聞こえるか?」

 

 車長用の咽喉マイクを受け取るとまほはそれを自身の首に着け、自分の左手でそれを抑えながら文香を呼び出した。

 

『……どうかしたかい?西住さん』

 

 少し間が空いた後、イヤホンからは少し驚いた様子の文香の声が返ってくる。

 まさか自分に話が振られるとは思っていなかったようで、急いでまほと同じように文香が車長用の咽喉マイクを着けるガサガサという耳障りな音がイヤホンから響き、まほは少し顔をしかめるが構わず会話を続けた。

 

「今回、フラッグは君に任せたい いいか?」

 

 そんなまほの突拍子も無い発言を受け、周囲からざわめきが起きる。

 ティーガーⅡの車長は目を点にしたまま今回の指揮官を見つめ、まほ車の砲手も彼女の発言を聞き間違いかと目をぱちくりとさせていた。

 

『……私が、かい?』

 

 当の文香自身も動揺したかのように言葉を詰まらせていた。

 そんな初めて聞いた文香の声色にまほは、久しく忘れていた悪戯心に火でも付いたのか更に口を開く。

 

「そうだ 先ほど思井先輩もおっしゃっていたが折角の練習試合だ、私も自分が見たいと思うものを見てみたい」

 

「え゛っ 私のせい?」

 

 突然名前を挙げられたティーガーⅡ車長の口から素っ頓狂な声が洩れた、そんな声がその場にいる全員に聞こえるくらい、辺りは唐突な静寂に包まれている。

 それほどまでに皆が皆、この唐突な二人の会話の行く末に集中していた。

 

『……』

 

「理由という理由はないが、強いて言えばこのチーム分けには隊長の何かしらの意図を感じる。 これは恐らく私達の問題が関連していると思う」

 

 まほが私達と指したのは文香とまほの事か、それともどこか鬱屈とした雰囲気の流れる黒森峰戦車道科全体の事を言ったのかは分からないが、少女達はその言葉を聞いて改めて自分達の行いを振り返る。

 

『……閉じた窓から風は入らないよ』

 

「お前の言いたいことは分からないが、私はこの状況を打開するきっかけを作りたい それは恐らく君と足並みを揃えてみることだと思う」

 

『その行為に意味があるとは思えな……』

 

「あぁ、別に怖気づいてしまったのならいいさ いつも通り、私の事を煙に巻けばいい」

 

 まほの好戦的な物言いに周囲は息を飲む。

 中等部時代からまほと共に過ごしてきた者達は、初めて見るまほの喧嘩腰の姿勢に驚いたようでもあった。

 しかしそんな中まほだけは顔には出さないが、どこか確信めいた笑みを胸の内に浮かべている。

 二週間という短い共同生活の中で知った、文香の分かりやすい特徴の一つを確かに刺激出来ただろうと。

 

『……いいだろう、君の判断を信じよう』

 

 ふっ、とまほは思わず笑みを零す。

 思った以上に容易く乗ってきた文香の幼稚な性格に吹き出しそうにもなった。

 島田文香、彼女はあまり表には出さないがかなりの自信家だ。

 その為、少しその自尊心を逆撫ですれば、ムキになって張り合う節があることをまほは理解していた。

 いわば煽り耐性が意外に低いのだ。

 

「という訳です 副隊長、よろしいですか?」

 

 話は終わったと言わんばかりにまほは真美に無線で話しかける。

 指揮を任されたとはいえ、このチームで最も位の高い人間である真美の許可が降りなければ部隊の統率にも乱れが生じるだろうとの考えからだった。

 

 この島田フラッグ案をあまり快く思っていない者達は副隊長の言葉に期待を持つ。

 いくら表面上は中立を保っているチームでも、今ここで黒森峰戦車道科全体が抱えている大きな爆弾を刺激すればその指揮系統は大きく乱れる。

 それらを考慮して真美は却下するだろうと。

 

 そのいくらかの者達が抱く淡い期待は、次に真美が述べた言葉に悉く裏切られる羽目となった。

 

「へ?あぁ、いいから始めなさい もうなんでもいいから」

 

 今しがた車内無線機用の電源を無理矢理流用し終わって使っているヘアドライヤーとヘアアイロンを必死に髪に当てながら、真美は全く話を聞いていなかったという様子で生返事を返す。

 その様子を見た隊員達の中には、あの隊長にしてこの副隊長だなぁ、とため息を吐く者もいた。

 

 蝶野真美。

 一貫校であるはずの黒森峰中等部で第一志望はアンツィオ高校、そして単願。

 親のエゴを押し付けられて黒森峰高等部に進学した彼女は、間違いなく黒森峰一のお洒落好きだった。

 

 

***

 

 

 乗せられてしまった、文香は自身の操るパンターを配置につかせながら後悔していた。

 そして何より、自分の性格を正しく理解して手玉に取ってきたまほにしてやられたという悔しさと、単純な自分の思考の浅はかさを文香は車長席で憮然と噛み締めていた。

 

「しっかしまぁ、島田もそうだが西住も一体何考えてるか分からんな」

 

「で、でも先輩!島田さんだってすごい人なんだって西住さんが知ってるからフラッグ車を任せてくれたんじゃないですか?」

 

「どうだかな 腹の底じゃあ、うちらが早々に撃破されて後ろ指刺されるのを期待してるんじゃないか?」

 

「そんな……!」

 

「西住さんはそんな人じゃないさ」

 

 しかしそんな思考も、聞こえてくる他の二人の会話が中断させた。

 思わず口にした反論だったが、文香の本心ともいえるその言葉に他の二人は意外そうに文香に振り返る。

 

「おっと、まさかこんな短期間に友情を育むなんて お姉さん嬉しくって涙が出てくらぁ」

 

「茶化さないでください先輩! でも、島田さんがそう言ってくれて安心しました えへへ……」

 

「だが、彼女が私の事を嫌っているのも恐らく事実だよ」

 

「へっ……?」

 

 文香の言葉に通信手の席に座っていた子が言葉を失う。

 

「……私はまだ、彼女の笑顔を見たことがないからね」

 

 文香が困ったような笑みを浮かべながら零したその言葉もまた、彼女の本心を表しているような気がした。

 

「っ……」

 

「……うぅ」

 

 二人は何も言う事が出来ず、車内には何とも言えない重い雰囲気が流れ始める。

 その沈黙を保ったまま、フラッグ車を示す旗の付いたパンターは、事前にまほから指示を受けた通りの地点に到達して停止した。

 

「……ほら、到着だ! ちびちゃん!無線送れ!」

 

「は、はい! あっ、島田さん?配置完了の報告、送ってもいいですか?」

 

「もちろん」

 

 ようやく口を開けたと操縦席に座る先輩が必要以上の声量で指示をすると、無線手が文香に改めて確認してから通信でやり取りを始める。

 そして数度の通信の後、1分後に試合が始まるとの連絡を受けたことを無線手が文香達に伝えた。

 

「うん、ありがとう……さてと」

 

 無線手に一言礼を言うと、文香は狭い車内の中でゆっくりと砲手の席へ身を滑らせるように移動する。

 その様子を見た無線手はなんとも言えない表情で、無線を終えた今、砲弾を抱えながら文香に話しかけた。

 

「その……島田さん、大丈夫ですか?」

 

「なにがだい?」

 

「えっと、あの……大変じゃないかな、って」

 

「? ……あぁ」

 

 何かを言いづらそうにもじもじと話しかけてくる無線手、兼装填手の彼女が言いたいことをやや遅れて理解した文香は合点がいったように呟く。

 

 パンターG型、文香が操る戦車は本来5人乗りで運用する物だった。

 しかし今、文香を含めて車内には3人の人間しかいない。

 

 これはいじめによる嫌がらせ、などではなく文香が自分から言い出したものだった。

 そもそも文香を排斥しようとしている隊員達も、文香個人を貶めようとしているのではなく、島田流という異端を除こうとしているだけである。

 プロ意識ともいえる価値観を持っている黒森峰戦車隊の隊員達は、逆にこの文香の提案を止めようともしていた。

 

「無理に捕まえようとしても、風を空き瓶に詰め込むことは出来ないだろう?」

 

「まーた始まった……その意味わかんないのやめろって、」

 

「島田さんと組むのを嫌がる人と一緒に乗っても、お互いのためにならないってことですか?」

 

「いや意味分かるのかよ!?」

 

 ちびちゃんと先輩に呼ばれていた少女の返答に文香は微笑みで答えた。

 

「だから私には、瓶と蓋があれば充分なのさ」

 

「私は空きビンより翻訳機があったことに驚きだよ……」

 

 操縦席に座る先輩は呆れたように後ろへ座る二人の顔を見比べていたが、そんなやり取りをしていると遠くから試合開始を告げる空砲が遠くから響き渡る。

 空砲の残響が消えてもいないうちに装軌音と駆動音が辺りを包み始めた。

 

『島田、始めるぞ 私の後方に続け 他の車両は鶴翼で展開しろ。 我々第四小隊を中央に第一小隊は右翼、第二第三は左翼へ』

 

 空砲と同時にまほの声が無線機のスピーカーと、文香が付けているイヤホンから聞こえてきた。

 まほの声に了解、と答える各小隊長の声に合わせて文香も口を開く。

 

「さぁ、前進だ」

 

 文香の言葉を受けてパンターは眠りから覚めたようにゆっくりと、しかし確実に大地へ轍を残しながら進み始めた。

 

 

***

 

 

『こちら第一小隊、敵影無し』

 

『第二小隊、同じく』

 

『第三も同様です!』

 

「……妙だな」

 

 試合開始から10分後、まほは妙な胸騒ぎを感じ始めていた。

 1軍と2軍全てを投入した、20vs20という全国大会決勝戦並の大規模な数での紅白戦。

 その上、いくら広いと言えど敷地の限られた学内の演習場で未だ接敵すらしないというのは、あまりに不可解であった。

 その疑問は、まほ以外の車長を始め全員が頭に浮かべていたものでもあり、にわかに白チームは混乱の様相を呈してくる。

 

『中隊長、これ以上前進すれば隊列を組みづらい森林部に差し掛かりますが……』

 

「了解、把握している……全車停止! 方位240、500m後方の山岳地帯稜線で待ち伏せ(アンブッシュ)して待機、第一、第二小隊は斥候として2輌ずつ森林部へ前進させろ」

 

『『『了解!』』』

 

 まほは定石通り、高所より視界を確保しつつ敵を迎え撃つという、シンプルながらも強力な手を打つことにした。

 他の小隊長達も同じような戦法を考えていたのか動きは早く、それぞれが事前に打ち合わせでもしていたかのように相互支援がしやすく、それでいて自分の隊が安全に身を休められるだろう地点に後退を始める。

 

『……西住さん』

 

 ただ1輌、フラッグ車だけを除いて。

 

「どうした島田 後退しろ」

 

『……まだ気づいていないのかい?』

 

「何を言って…… っ!」

 

 その文香の一言で、まほは自身の失策に気付いた。

 

 定石とは、囲碁の世界で最善とされる()()()()()()()を指す言葉で、それが転じて長らく多くの人々が最善として取ってきた行動の事を意味する。

 つまりそれは裏を返せば()()()()()()()()、単純でワンパターンともいえる行動だ。

 

 では相手チーム、赤チームの中隊長を務めているであろうセナは、何故まほに定石通りの行動が出来るよう、伏兵に最適な土地を空けていたのだろうか。

 

 中戦車、重戦車の数が赤チームより圧倒的に多いまほ達の到着はもっと遅いと踏んだから?

 ──隊長を任せられるほどの人が自分の部隊で扱う戦車のスペックを知らないはずがない。

 

 ではまほを新入生と侮ったから?

 ──仮に侮っているとしても、黒森峰を率いる人間がわざわざ負ける可能性を自ら高める暴挙に出る訳がない。

 

 では何故?

 ──考えるまでもない。救いようのない馬鹿でなければ、()()()()()()()()()鹿()()()()事になるとすぐに気が付く。

 

「ぜ、全車全速前進!」

 

 罠だ。

 まほが思考を巡らせ、その答えに達するまで僅か3秒にも満たなかった。

 しかし、全国トップレベルの練度を持つ黒森峰戦車隊にとっての3秒は、命令を訂正するにはあまりにも長すぎる空白だった。

 

 刹那、まほの中隊の半数以上が姿を消した。

 まるで大地が割れ、()()()()()()()()()かのように。

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