「兵は詭道なり、って良い言葉だよねぇ」
自身の戦車の砲塔上部に腰かけ、口から紫煙を吐き出しながらセナは誰へ向けるでもなく呟く。
「戦いに勝ちたいなら相手の嫌がることをする。当たり前の事だけど、結構皆忘れがちな事でもある」
咽喉マイクをオンにしたまま呟くその言葉は、セナの配下全員に聞こえる演説のようにもなっていた。
「『撃てば必中』?なら撃てなくすればいい。 『守りは固く』?じゃあ守れないようにするさ。 『進む姿に乱れ無し』?いいねぇ、止まればパニック起こしたヒヨコの群れって事?そんな楽な相手は他にいないね!」
自身が身を置くこの黒森峰戦車道、その源流となっている西住流の鋼の掟ともいわれている信念をなじるセナの言葉を咎める者はいない。
今、セナ達の眼前には半数以上の車両が
「そして『変幻自在の忍者戦法』?これこそ敵にすらならない。我々はそれらを圧倒的に凌駕する火力と装甲を有しているのだから そんなものが日本戦車道を語るなんて、ジョークにすらならない」
次にセナは胸ポケットから携帯灰皿を取り出し、吸っていた煙草の吸殻をねじ込みながら島田流の信条を口にして、それを馬鹿にするように鼻で笑う。
「笑えお前達 今、我々の眼前には日本最大最強と呼ばれる二つの流派が、
大口を挙げ、膝を叩いて笑うセナの声。
まるで悪戯が成功した子供のように大喜びしているセナの声を聞き、ひきつった表情を並べていた隊員達も、次第につられて自然と口角を上げ始めた。
「あーおかしい……ふふふっ、貴女達?可愛い可愛い私だけの隊員諸君?貴女達はなに?ただの西住流の門下生? 強くて勇敢な私だけの隊員諸君?貴女達の主は誰?西住流の家元?それとも師範代?」
気付けば、セナの声色が武人の猛々しさや凛々しさを持ち合わせた鋭いものから変わっていた。
「違うだろう?私だけの隊員諸君 貴女達は黒森峰の隊員達」
それは姉のようにも、母親のようにも思える、温かく全てを包み込みそうな優しさを感じさせるものだった。
「そして私は、黒森峰の隊長だ。貴女達の主であり、
セナは咽喉マイクに優しく手を当てながら続ける。
「
その声色は再び、冷たく鋭い、研ぎ澄まされた刃のようなものに変化する。
「頂点はこの場に一つでいい」
しかし、当の本人の言葉は心底愉快でたまらないといった感情で一杯だった。
「王者はこの場に一人でいい」
そして笑みを浮かべながらセナは隊員達に言い放つ。
「さぁ、
『『『『『『
セナの言葉に答えたのは辺り一面から幾重にも重なった、それこそ文香やまほ達にも聞こえるほどの熱に包まれた唱和だった。
そして各小隊長が事前に決めた計画通りに部隊を前進させ始める。
キューポラから顔を覗かせる小隊長や車長たちの顔はすっかり熱を帯び、これから蹂躙する相手の背負う看板の大きさを、そしてそれを相手する自分達がどういった存在なのかを再確認し昂ぶっているかのような笑みを浮かべていた。
「……あいっかわらずピエロだねぇ」
「んー、自分でもそう思う」
そんな熱狂した空間で、セナはキューポラから顔を覗かせた通信手に話しかけられると、苦笑いをしてみせながらそう返事をする。
前進していく戦車達を見送りつつセナは再び煙草を咥えると、慣れた手つきでそれに火を付けた。
紫煙をオレンジ色の空へ立ち昇らせながら何も考えず呆けていたが、しばらく経つと自然と胸の内を中等部からの付き合いになる乗員達に打ち明ける。
「正直、まほちゃんとフミちゃんに勝てるとしたら今回だけだと思うんだぁ」
「まぁ……そうだろうね」
「ん、だってさ あの西住流と島田流の子達だよ?今回はまだ慣れてないアタシの練習メニューをやった後で疲れてる上に、まほちゃんは上級生も混ざった大部隊の指揮をして精神的に参ってるから騙せたようなもんだよ 現にフミちゃんは引っかかってなかったみたいだし」
「大したもんだよね、あれでついこの間までは中学生だったんでしょ?すごいわやっぱ」
「ねー ただあの二人は……っつうか、ウチ全体がまだ打ち解けられてないからねぇ……」
砲塔の上で胡坐をかくように足を組み替えてからセナは紫煙を吐き出すと、その煙を目でぼーっと追いかける。
煙が晴れ、目に入ったのは交戦が始まった山岳地帯だった。
セナの赤チームは善戦こそしてはいるが、まほが率いる白チームの迅速な立て直しを受けて思っていた以上の戦果は出ていない。
そしてそこには白チームのフラッグ車である文香の乗るパンターを始め、何輌かの姿が見えなかった。
「思いつきだったけど、今回のこの練習試合でなんとか二人が仲良くなってくれて……それにプラスで他の子達もフミちゃん達に対する印象が変わってくれたらいいなぁ」
「とかいって、結局お前が試合したかっただけだろ?」
「あ、バレた? っていうかそれはアンタ達もでしょうが」
互いに気心が知れてるセナ達はお互いに笑い合った。
折よく、丁度吸い終わった煙草の吸殻を再び携帯灰皿へ入れる。
そしてセナは慣れたように砲塔上部から片手を支えに車長席へ飛び乗ると、煙草の臭いが移らないよう中に掛けておいたパンツァージャケットに袖を通した。
「まぁ、隊長として色々考えてはいるけど折角の戦いなんだ 更々負けてやるつもりもないね」
「お、それで二人が喧嘩したらどうする?」
「知らねぇよ さて、二人はどれくらい強いかな?私達は強いぞぉ ふふふっ……今のお前等程度、個々で向かってくるとすれば敵にすらならない 私達をがっかりさせないでくれよぉ?」
セナのあまりに二面性を持つ発言に、セナと同じ戦車を操る乗員達はため息を吐くが、次の瞬間には車内全員が似たような笑みを浮かべる。
大地を引き裂くように急速で前進する1輌の戦車、その中の人間達はおおよそ少女とは呼べない、獲物を前にした大蛇を思わせる笑みを浮かべていた。
「……で?今回は何のドラマを観たの?」
「スポ根系のアツいやつ」
「ほんっと……真美もだけど、セナも割かし影響されやすいよね」
***
『第一小隊です!方位320の交戦群、さらに規模増大!』
『こちら第三小隊!また1輌やられた!残存2!残存2!』
『すみません……第二小隊、全滅です……!』
「くっ……」
数分前、まほは咄嗟に比較的無事だった第一小隊と、自身の第四小隊を180度ずつ展開させ全周防御に当たらせていた。
しかし、ティーガーⅡをはじめとした重戦車は軒並み落とし穴に嵌って行動不能となっている。
その不安定な姿勢からでは射撃どころか満足に防御するための姿勢も取れず、擱座した車輛は一方的に撃破されるのを待つだけだった。
何とか1分でも工面出来れば、無理矢理後ろから押してでも落とし穴に嵌った車両を救出できるだろう。
しかし、敵の砲撃は更に激しさを増してきており、そんな事をすれば格好の標的となる事も目に見えている。
(疲れていた、なんて言い訳にもならない!私はどうかしていた、こんな初歩的な見落としをするなんて……!)
まほが自身の失態に思わず唇を噛んでいると、一つの無線が入った。
『西住さん』
「島田!小言は後にしろ!」
珍しく語気を荒げるまほだったが、無線の相手である文香は気にも留めず端的に言葉を告げる。
『提案するだけだよ、聞いてくれるかな?』
「……なんだ?」
『私が敵を二分させる、その間に西住さんは体勢の立て直しを』
「……なにをするつもりだ」
絶え間ない砲撃の中、隣同士に車両を止めている二人は無線で会話を続けた。
『言った通りさ、私が単騎で包囲網を突破して例の森林部へ逃げ込む そしたら、折角フラッグ車がたった一輌で逃げ出したんだ、向こうも部隊を割かないわけにはいかないだろう?』
「駄目だ、危険すぎる」
『大丈夫、ちゃんと出来るさ その間に西住さんはまだ戦える車両を穴から救出してほしい、砲撃も今よりはマシになっているはずだよ』
「だが……」
『ん? あぁ、天下の西住流はそんな簡単なお使いも出来ないのかい?ならこの話はおしまいだね』
うっ、とまほは言葉を詰まらせ隣に並んだ文香のパンターをキューポラの覗き窓から睨みつける。
案外根に持つタイプなのか……と、場違いな事を考えながらも、他にこの状況を打開出来るような案も浮かばない。
まほは泥船に乗ったつもりで自身の喉元にあるマイクに手を当て文香に返答した。
「……分かった 島田、お前に任せる だが撃破されるなよ」
『任されたよ なに、なんとかなるさ』
そしてそんなやり取りが済むと、隣にいたパンターが急速に発進する。
やや斜面になっている防衛陣地から飛び跳ねるように下っていくパンターを覗き窓から見つめていると、まほは文香の操るパンターの動きを目の当たりにして目を見開く。
「なっ……」
あれが本当にパンターの動きか?と誰にも聞こえない呟きがまほの口を動かす。
実家で何度も見た、そして実際に乗り込んだこともあるからこそパンターはドイツ戦車の課題である足回りの脆弱性、特にサスペンション周りに問題を抱えていることを知っているまほは、眼前で文香が行っている機動に目を奪われた。
文香のパンターは前進時の慣性をそのままに斜面を横滑りしながら下っていきつつ発砲し、当たり前のように1輌の敵戦車を撃破した。
それに続けて山を下り切る寸前に、斜面へ対して下になっていた履帯だけを動かしてフィギュアスケートのように車体を回転させ敵の砲弾を弾き飛ばす。
そして回転しながら発砲し、更に2輌の敵戦車を撃破すると、丁度包囲網の穴となった、たった今撃破した2輛の戦車の間を突風のように吹き抜け、木々を揺らしつつ森林部へと吸い込まれていく。
僅か15秒の間に起きた、嵐のような出来事。
文香の乗るパンターの後姿を、信じられないものを見たといった表情で、まほは呆然と見つめ続けていた。
『あれが……島田流……』
「……っ 全車、動ける車両は方位320の警戒に移れ 第一小隊は1輌選抜し、私のティーガーと共に他隊の救助に充てろ」
『り、了解!』
一時両軍が見惚れたかのように砲撃をやめていたが、誰かの息を飲んだかのような声で正気を取り戻したまほが号令を出す。
それとほぼ同時に敵が砲撃が再開する。
しかしその砲撃は先ほどと比べれば、素人が見ても分かるくらい散発的な弱々しいものへと変化していた。
「……なんとかなる、か」
弾幕が薄くなり、敵味方の詳細を確認しようとキューポラから身を乗り出したまほが苦笑しながら呟く。
「せめてあいつが戻るまでは……なんとかするしかない、か」
まほの呟きは誰にも届かない。
眼前に広がるのは、落とし穴に嵌って無様に車体下部を晒した数々の重戦車と、麓で整然と並んでこちらへ砲口を向ける数多の敵車輛。
絶望的な光景を前に、まほは一瞬だけ露骨に俯き、弱々しい表情を見せた。
「だが、逃げる訳にはいかない 西住流としても」
しかし、誰も見ていないその顔はすぐに引き締められ、長としての責任を請け負った、険しくも凛とした表情へと変わる。
「西住さん?」
「いや、なんでもない 第一小隊へ連絡、我々の一斉射の後に擱座した車輛の牽引作業を実施しろ」
「
ふと、まほの呟きを耳にした通信手が怪訝そうに車内から見上げていたが、まほの返答を受けると特に怪しむことも無く交信作業へと戻っていった。
搭乗しているティーガーⅠの車体に敵の撃った砲弾が命中し、金属音を響かせながら弾き飛ぶ。
「……私個人としても あいつには、負けたくない」
直後、射撃の為に動き出したティーガーⅠの砲塔、その上のキューポラの縁をいつもよりぎゅっと力強く握りしめながら、まほは呟いた。
脳裏を過ぎるのは、いつもいつも訳の分からない言い回しでまほの事を煙に巻く同室の少女の顔と、たった今その少女が魅せた信じ難い光景。
文香が難無く突破した敵の車列を見つめながら呟いたその声は、僅かに悔しさの色を含んでいたが、その言葉は誰の耳に届くことなく空へと消えていった。
「西住さん、全車射撃準備完了とのことです!」
「了解、射撃用意……撃て!」
まほが喉頭マイクを押さえながらそう声を上げると、ティーガーⅠの砲口から轟音を伴いながら砲弾が発射される。
その射撃を合図に周囲の戦車も発砲を開始、それと同時にやや後方へ移動していた第一小隊の面々が穴に落ちた車輛の救出作業を開始した。
***
「あれだけの啖呵を切っておきながら、これはちょっとダサいな」
「そうでもないさ 現に西住さんの方は上手くやっているようだよ」
「こ、怖かったですぅ……」
森へ逃げ込んだ文香の車両はその後、山道に近い位置で植生の濃い窪地をたまたま見つける。
そこにパンターを停車させると、音で気づかれないようエンジンを落とした上で文香達は車外に降り、そこら辺に落ちていた落ち葉や枯れ枝を拾い集めてパンターの擬装を行った。
要は戦闘を完全に諦めて静かに隠れる、逃げの一手を文香達は決め込んでいた。
「それにしてもちびちゃん、あの装填速度は中々だったぞ 私には及ばないけど」
「へ?えへへ……ありがとうございます」
「助かったよ ちびちゃん」
「あ、島田さんまでちびちゃんって呼ばないでくださいよぉ!」
「つうか島田、よくお前アタシの肩を蹴りながら砲手なんか出来るな」
「砲弾、少なくしておいて正解だったね」
「そういう事じゃなくて……いや、いいわ……」
「あはは……」
恐怖心や緊張を和らげるために、三人は取り留めのない会話を続けていた。
「……」
「……」
「えーっと、えーっと……」
が、やがて話題は尽きてしまう。
辺りからは疾走する他の戦車の音がかなり近くで、それも大量に鳴り響いている。
そして試合開始前の気まずい空気とは違う、潜伏状態のストレスが生み出す、窒息してしまいそうな沈黙が車内に流れ始めた。
しかし、そんな中でも文香は相変わらず、微笑を浮かべたまま目を瞑って砲手席にもたれかかっている。
その様子を見て、通信手と装填手を兼任している文香の同級生が、なんとか空気を軽くしようと文香へ話しかけた。
「……あっ、そ、そういえば!島田さんってなんで黒森峰に来たんですか?」
「え?」
その話題は、文香が黒森峰にやってきてから初めて直接尋ねられた、文香自身に関するものだった。
思ってもみなかった唐突な質問に、文香は少し驚いた様子で目を開く。
「あっ、おいバカ!」
すると、何故か操縦手の先輩が慌てた様子で彼女を叱りつけた。
「え? ……あっ!ご、ごめんなさい!ごめんなさい!!」
同級生の子も、取り返しのつかない失敗をしてしまった、とでも言わんばかりに文香に目に涙を貯めて謝る。
そんな二人の様子を見て文香は、何が起きているのか分からない、といった様子で困惑したように眉を顰めていた。
「? ……!あぁ、なるほど っ……ふ、ふふっ……くぅっ、あはははは!」
だが、やがて二人の言動の意味が分かるとおかしそうに、目に涙を浮かべながら声を上げて笑い始める。
突然の文香の変わりようにぎょっとした二人は、「大丈夫か?」「大丈夫ですか!?」と心から心配した様子で話しかけた。
そんな二人とは対照的に、文香はまだ尾を引いている笑いを懸命に抑えつつ、二人を手で制してから口を開く。
「あぁ、いや すまない……どうやら私達は頭の上の眼鏡を探していたようだね」
「は……?」
「まさか、ここまで皆さんに要らない気遣いをさせていただなんて……ふふっ」
目尻に浮かんだ涙を指で拭き取りながら、文香は今までの二週間の行動を改めて振り返っていった。
「食事の時、よく一人っきりにしてもらったね あの意図は?」
「あぁ、あれは島田が委縮しないようにって話し合ってな ほら、お前入学早々みんなに喧嘩売っただろ?あの後、挨拶すらしてないのにお前を追い出そうとしてた私達も悪いって話になって それで……」
「謝ろうとしたけど、いっつも島田さんすぐ部屋に帰っちゃうから…… だから、それまでは島田さんを怖がらせないようにしようって……」
「ふふっ、なるほど…… あれは皆さんの団欒の邪魔をしないようにしていたんだ、だから私も悪いね ごめんなさい」
「あっ! な、島田さんは何も悪くないよ!ごめんなさい!」
文香のいつもとは違う、素直で直球な言葉に操縦手の先輩は驚いて閉口するが、装填手席に座っていた同級生はそんな文香の態度を気にも留めず、ただただ思った事をありのままにぶつける。
その様子を見て、先輩は決まりが悪そうに頭を掻いていたが、やがておずおずと文香へ申し訳なさそうに話しかけた。
「あー……その、謝るついでだが、最近うちらで流行ってるスラングっつうの?その中で、なんかトラブった時とかに『これぞ島田流!』っつうのがあるんだが……知ってるか?」
「知ってるよ、試合前も誰かがガレージで言っていたね あれは嫌味でもなんでもなかったのかい?」
「あー……うん、すまん 茶化して気を惹こうとしただけだったが、悪ふざけが過ぎた。 というか私も結構使ってる」
「……なら、普通に話しかけてくれても良かったんじゃないかな?」
「うっ か、返す言葉もございません……」
「ふふっ」
文香の述べた正論を受けて、先輩は肩を縮こまらせて反省する。
その様子を見て、文香はどこか安心した様子で口に手を当てて顔を綻ばせた。
「えーっと、つまり……お互い気を遣い合って、それで変に気まずくなってたってこと、ですか?」
「そのようだね、どうやら 中には、気になる相手にちょっかいを出すタイプの可愛い子達もいるようだけどね」
「……ごめん、マジでごめんって マジでちゃんと言っとくから……」
互い違いの気遣いで生じたすれ違いの積み重ね、それが今の黒森峰が抱えている大きな爆弾の正体だった。
その後も何度か文香達は今までの気まずい出来事を話題に上げては、それが誤解だと確認し合う。
気付けば、話題はお互いの好みや趣味、世間話等のなんの取り留めのない話になっていった。
そうしてしばらく談笑を、文香にとってはまさに久しぶりとなる他愛のない談笑をしていると、ふと文香が真剣な表情を作って二人の顔と相対する。
「私がここに来たのに大した理由はないよ、風に流されたようなものさ ……さて、このまま降参して、さっさと私達の大きな誤解を解くのもいいかもしれない」
文香の、車長の言葉を、他の二人も真剣な顔つきで受け止める。
そんな二人の様子を見て、文香は僅かに微笑んで話を続けた。
「でも、私はこの勝負を諦めたくない 西住さんが私の事を本当に嫌っているのかどうか、確かめるにはいい機会だしね」
冗談っぽい言い回しだったが、これも本心なのだろうと二人は何となく察する。
「それに、まだ何かをやり残している気がするんだ……ついてきてくれるかい?」
しっかりと二人の目を見据えて話すその言葉に、二人の乗員はしっかりとした口調ですぐに返した。
「勿論だ、島田 でっかい貸しもあるしな」
「私だって黒森峰の一員です!頑張ります!」
その返答を受け、文香は満足そうに頷く。
「ありがとう なら……まず先輩は車両の損傷チェックを、ちびちゃんは西住さん達の状況を」
「おう」
「はい!……あっ、ちびちゃんじゃないですよ!」
──そして、文香以外の二人は絶望的な自軍と自車の状況に前言を撤回する事になるが、それはもう少しだけ後の話だった。
***
「残存している車両は私か思井先輩のティーガーの後方へ退避しろ! 各車、さらに100m後退!」
全滅、その二文字がまほの脳裏をよぎる。
文香が生み出した隙を突いて救出出来た車輛の数は、わずかな時間の間に救い出した数として考えれば十分だった。
しかし、結局は穴に落ちた車輛の半分も救出することは叶わず、数的不利を脱却するにはあまりにも少ない数である。
更に、文香を追っていた部隊が再び包囲網へ復帰、敵の砲撃の苛烈さも尋常ではないものに逆戻りしてしまった。
まほのティーガーⅠと、先輩の操るティーガーⅡを遮蔽にするようにして後退を続ける白チームは、敵に向ける事の出来る火力が圧倒的に劣っており、ジリ貧の後退戦を強いられ続けている。
だが後退しようにも、これ以上下がれば山の稜線を超えてしまう。
超えてしまったが最後、後方で待ち伏せているであろう、小口径砲を積んだ敵軽戦車と挟み撃ちにされる事が容易に想像できた。
いくら装甲の厚いドイツ戦車と言えど、軽戦車の砲弾を近距離戦闘で何発も被弾すれば機能不全に陥る。
その間に、今まさに相手している敵本隊に距離を詰められてしまえば、あっという間に包囲殲滅されるだろう。
だからといってこのまま防衛を続けていても勝ち筋が見えず、敵本隊に突撃して一点突破するには数が足りない。
はっきりいえば、白チームは既に殆ど詰んでいた。
「せめて密集してでも横列を組めれば……うっ!」
そう呟くまほのティーガーに大きな金属音が鳴り響く。
ティーガークラスの主砲弾が飛来したようで、車体は激しく揺さぶられた。
跳弾させることは出来たものの、先ほどから直撃弾が増えてきており、やられるのも時間の問題だなとまほは心の中で独白する。
「……あれだけの大口を叩いておいて、このザマか」
ふっ、と自分に呆れたといった様子で苦笑する。
まほは今この場にいない車両の事を、そしてその乗員達の事を思い出した。
そして、どこか彼女達を当てにしている自分に気が付き、更に自分の厚かましさに呆れかえる。
私が招いた結果だ。であれば、私が責任を取って血路を開く。
「中隊長から各車、ティーガーⅡの後方へ遷移しろ これより私が稜線を超え退路を拓く」
『なっ!? 西住、よせ!やめろ!……まさかお前!』
その命令を受け、まほの意図を理解したティーガーⅡの車長が引き留めようと無線を送ってくるが、まほはそれを聞きたくないとばかりに耳からイヤホンを外した。
同時にティーガーⅠは稜線を越える。
キューポラから半身を出していたまほの目に映ったのは、星が見え始めた空に向かって
これでいい。
私なんて、所詮こんなものだったのだろう。
まほは目を閉じ、自身の失態を受け入れるべく車内へと戻り、キューポラのハッチを閉じて静かに車長席に座った。
そして、轟音が稜線先の平原から鳴り響く。
「……?」
しかし一向に車体を揺らすはずの敵弾は飛んでこなかった。
いくら小口径と言えど被弾すれば音は鳴るし、被弾の衝撃で車体も揺れる。
まほは目を閉じながらも僅かに首を傾げた。
そして再び轟音が複数回、敵の二号戦車が展開している平原から鳴り響く。
しかし、待てども待てども衝撃や金属音がまほのティーガーⅠを揺さぶることはない。
「西住さん!」
砲手の興奮したような声に思わず目を開く。
そこには、目を輝かせながらまほの方を見る砲手の顔があった。
「あれ!あれ見てください!」
そう促され、まほは何事かと覗き窓から外を伺う。
そしてその光景を見たまほは、目を見開きながらもすぐにイヤホンを耳に付け直した。
『西住さん? ここまで無視されると流石に傷つくなぁ』
まほ達が見たのは、黒煙を上げるⅡ号戦車を背に、パンターのキューポラから身を乗り出してこちらを伺う文香の姿だった。
「島田!?何故ここに……」
『風は気まぐれなものさ だが、台風の目に近づけば自ずと周りと同じように吹く……不思議なものだね』
「な、にを言って」
『西住さん』
文香のパンターは砲塔が回らなくなったのか、信地旋回を繰り返しながら無理矢理照準を合わせていた。
数発被弾しつつ、回避行動を取っていた敵のⅡ号戦車をほぼ零距離で砲の先に捉えると、すかさず発砲し眼前にいた獲物を屠る。
その間にも文香はずっと身を乗り出し、その身に着けた服装も相まって暗闇に浮かぶ赤い眼のようにも見える姿をまほに晒し続けていた。
『
初めてあいつの言う言葉の意味が分かった、そして私から引き出したい言葉も。
……しかし、一度勝利を諦めた私が望んでいい願いなのか?
怯えにも似た感情が思考をを遮り、まほは思わず逡巡する。
しかし今一度、暗くて良く見えない闇の中でただ一点。
暗闇に良く映える彼女の姿を、その『眼』を見れば、そんな迷いはすぐに消え去っていった。
文香は、自分を
そして、私の事を
なら、隊員が諦めていないうちに隊長が諦めてどうする。
「……まだ、諦めたくない」
『気が合うね』
まほは気付けば、キューポラのハッチを開いて車外へ身を乗り出し、相変わらずこちらを見つめ続けている文香と目を合わせていた。
「まだ、やれることは残ってる」
『同感だ』
まほは口元に笑みを浮かべる。
それは先ほどまでの自分の馬鹿馬鹿しさに呆れるような笑みではなく、何か大きな確信を得たような、自信が見え隠れするような凛々しい笑みだった。
わずかな月光と、眩い砲炎がそれぞれ二人の姿を照らす。
「悔しい……いや、
『おや、慰めて欲しいのかい?』
ふっ、今度は私が乗せられたな。
全く……あいつは一体、どこまで根に持つタイプなんだ。
可笑しそうに口元から息を零すと、まほは砲炎に照らされた、こちらを見上げる薄墨色の目が良く見えた。
その目はまるで、まほ自身を映す鏡のようにも見えた。
まほは一度目を閉じて深呼吸する。
「西住流に、逃げるという道は無い」
そして再び目を開けると、正しく冷静に文香達と敵をしっかりと見据えていた。
「──勝つぞ、島田」
『──うん 勝とう、西住さん』
そうだ、まだ試合は終わっていないんだ。
落ち着いた、それでいて勝利への熱を帯びた声でまほが宣誓する。
それに応えるのもまた、似たような文香の声だった。
「弾種、徹甲装填」
「ちびちゃん、装填終わった?」
なら、最後まで惨めに勝ちを狙おうじゃないか。
まほは自身のティーガーⅠを山頂付近に、まるで城から平民を見下ろす万人の王かのように昂然と停止させる。
文香はその麓で敵と敵の間を、まるで風が吹き抜けるかの如く、パンターを踊るように素早く華麗に滑らせる。
「照準、最左翼のⅡ号」
「よし、用意……」
流派どころか、未だ何一つお互いの事を知らないこの相手と。
二人は示し合わせたかのように、それぞれがそれぞれに対して火砲を向けている敵戦車に照準を合わせた。
平原に残存する敵戦車は2輌。
「「
今はただ、もう少し
ティーガーⅠとパンターから全く同時に放たれた2つの砲弾は、その弾頭に砲炎を纏って輝く二人の少女の笑顔を映しながら真っ直ぐと飛んで行った。
***
「うわぁぁ……めっちゃいい、すごくいい!!」
「うわぁ……」
セナの恍惚とした声に、同行している隊員の一人がドン引きしたような声を上げる。
「いやすごいよ!青春だよ!ドラマみたいにそのまんま!!」
「分かった分かった、今のお前すっごくキモいから近寄んな」
「ぶふっ!!」
うつ伏せで双眼鏡を構え、無線機を耳に当てたままイモムシのように悶え続けるセナをその隊員は思いっきり蹴り飛ばした。
セナは青あざが出来る勢いで蹴り上げられた腹部をさすりながら立ち上がると、蹴られたことなど気にも留めず、スキップでも始めるんじゃないかというくらいのテンションで自身の車両へと足早に戻る。
「ねぇねぇ聞いた?さっきの無線!それに息ぴったりの砲撃!もう感動しちゃった!!」
キューポラの縁へ飛び乗ってから急いで車長席へ座ると、興奮冷めやらぬセナが車内に残っていた隊員達にも声を掛ける。
「うっわキモ…… いや、今のセナ見て醒めたわ……」
「ひっど! まぁでも、これであの子達の青春パワーみたいなのが貯まったでしょ!」
同じく乗り込んだ外での偵察に同行していた隊員は、改めて自身の無線手用の席に座るとセナが持ち出していた無線機の延長コードを手早く巻き始めた。
「さぁこっから!こっからだよ! 二人の芽生えかけた友情は、果たして賽の河原の鬼に壊されるか!それとも否か!試してあげよう、フォールド禁止のオールイン!勝てば総取り!負ければ何も残らない!くぅぅ~っ!いいなぁ、羨ましいなぁ!わくわくするなぁ!!」
車長席で足をぷらぷらと、本当に楽しそうにセナは、
そんなこの戦車の主を乗員達は呆れたように首を振るが、それを嗜める者はおらず、むしろ口元はセナと同じように歯を見せて嗤っていた。
「よーし出発だ!前進だ!彼女達の記憶に私達を植え付けよう!はやくあの子達のかけがえのないものを得た、嬉しそうな笑顔が見てみたい!でも、同じくらいに全て失って呆然とする二人の顔も見てみたい!どちらか一つ!半か丁か!ほーら前進、全速前進!」
パンツァー・ハイとでも言うべき、ある種のトランス状態になったセナの操るレオパルト軽戦車は、自身が身を潜めていた茂みを引き裂きながら動き出す。
そしてすっかり暗くなった山道を、黄色のラインを大きく横一線に車体へ記されたレオパルトが駆け抜けた。
そんな軽戦車のキューポラから身を乗り出し、一身に風を受けながらセナは静かに嘯く。
「さぁ行こう 兵は機動なり、ってね」
自身の真紅の目を煌々と輝かせながら嬉々として嗤うセナ。
その表情は、彼女が身に纏っているパンツァージャケットの肩に縫いつけられた