「っ、ふぅ……二人とも お疲れ様」
「あぁぁぁっ……! 死ぬっ……腕攣る……足攣る……っ!」
「もう、なにもっ……持てませんよぉ~……!」
文香は少し上がっていた息を一息ついて落ち着かせると、二人に話しかけた。
話しかけられた内の一人である操縦手を務める先輩は、カタカナの「ヒ」を全身で表すかのように両手両足を投げ出していた。
そしてもう一人の乗員、ちびちゃんと文香達に呼ばれている通信手を主に務める同級生も、目に涙を浮かべながら砲手席と弾薬庫の間でへたり込む。
「……ふふっ」
「はぁっ、はぁっ……あー、はは……はははっ!」
「う~……もう動けません……えへへ……」
しかし、様子は違えど皆一様に達成感に包まれていた。
文香達が乗っているパンターの輪郭は、周りで燃えている二号戦車に赤く照らし出されている。
そして文香達と同じように、パンターは急停車した反動で履帯から側面装甲に跳ねた泥を、汗の如く光を反射させつつ大地へと落としていた。
「……ん?あれ? 島田さん!無線が入ってるみたいですよ!」
そんな心地よい静けさは、床に転がっている空薬莢と同化していた通信手が起き上がると共に消え去る。
文香がいつの間にか耳から外れていたイヤホンを付け直すと、そこから聞こえてきたのは今一番話をしたかった相手の声だった。
『島田?……島田、平気か?』
「あぁ、西住さん いい引き立て役だったよ」
『言ってろ……ふふっ』
「ふふ、やっと笑ってくれたね」
『あぁ、お前がそこまで意地っ張りだとは思わなかったよ ……中隊長より全車、稜線部を確保した 即時後退、稜線にて横隊で防御に当たれ』
『『了解!』』
悪戯っぽく、年相応のあどけなさを持った文香の声にまほは思わず頬を緩めるが、すぐに表情を引き締めると隊長としての顔を作って指示を飛ばす。
そんな緊張をほぐしてくれるやり取りを聞いていた第一小隊長や、残存した車長達は僅かに口角を上げながら久しく耳にしていなかった朗報に明るい声で返答する。
「西住さん」
『あぁ、今度は分かってる 敵フラッグ車は……いや、なんでもない』
「……どうやら、もう少しこの風を感じることは出来そうだ」
『その回りくどい言い回しはやめろ。 だが、同感だ』
文香が感じていた懸念は、すっかり冴えたまほも感じていたようだ。
戦闘が始まって以来、一度も姿を見せない敵のフラッグ車、セナの操るレオパルト軽戦車の所在を文香とまほは互いに確認し合う。
しかし、結局その意味はなかった。
木々がざわめく。
「探す手間は省けたみたいだね まぁ、それが良いか悪いかは分からないけれど」
『戦車前進 ……お前よりも、今はあの人の性格が読めん』
「変わった人だ」
『お前が言うな。 弾種、徹甲装填』
会話を続けながら文香は倒した二号戦車の残骸に車体を隠しハンドシグナルで装填を、まほは無駄話の合間合間に自車の乗員へ無線を入れたまま指示を飛ばす。
森の闇間から音が聞こえた。
『中隊長!敵部隊が接近を開始!稜線を登り始めています!』
『西住!なんとか遅滞攻撃は出来てるが持って5分、いや3分だ!位置を変えるか?それとも反転攻勢に……』
「らしいよ どうする?西住さん」
『要はタイムリミットか、どこまでも嫌らしい人だ ……中隊長より全車、現位置を保持しろ。敵フラッグ車を発見、可能であれば支援願うが可能か?』
『了解、そちらへ……うわっ!?』
『無理だ!敵の攻撃熾烈、反転不能!反転不能!』
「どうやらご希望は私達だけみたいだ」
『まるで子供の我が儘だな ……了解、以降稜線防御の指揮を第一小隊長に一任する。島田、サブチャンネルに無線を切り替えろ』
「両方聞いてるよ、こっちには優秀な無線手がいるからね」
『……本当に、お前も大概…… いや、なんでもない』
にわかに騒がしくなった稜線上を、まほはパンターの横まで移動して停止させたティーガーⅠから見上げながら、相棒となった相手のどこまでも意地を張る性格と、これから相対する敵の性格に大きなため息を漏らす。
ふと、今までずっと苦労してきたであろう副隊長の顔がまほの脳裏に過ぎる。
苦労人、そう呼ばれるポジションにいる先輩の後を継ぎそうな未来を予見したまほの目は、これから先の自分の身を案じながらもしっかりと木々の合間から一瞬だけ見えた車体を捉えていた。
森の中から聞こえるエンジン音は、そういった音は聞き慣れている文香やまほでも、聞き覚えのないものだった。
「行くよ、西住さん」
直後、木々の間から飛び出してきた戦車は、敵フラッグ車を示す旗を翻していた。
『命令するな、
まほの予想だにしていなかった言葉に文香は、現れた敵フラッグ車をしっかりと見つめながらも思わず苦笑する。
「ふふっ 似合わないよ、西住さん」
『……う、うるさい』
まほの少し恥ずかしそうな尖った声を受け、文香はさらに少しだけ口角を上げた。
単に慣れない言い回しをするまほが面白かったのか、自分と息を合わせようとして出た彼女の言葉が嬉しかったのか、文香自身にも分からない。
だが、そんな考えもターボチャージャーの音を響かせて急速に接近する、まるで獲物に飛び掛かる蛇のような機動を見せる戦車を前にすれば消え去ってしまう。
「さぁ、西住さん」
『よし、島田』
「『行こう』」
二人が声を合わせると同時に、二人に肉薄してきたレオパルトは、砲口から煙を上げながら弾丸を吐き出した。
パンターはその弾丸を受け流すよう車体を急速に回転させ回避し、ティーガーⅠは動かずとも迫ってきた弾丸をいとも簡単に弾き飛ばす。
たった3分。
その短い共闘は、後に全世界へその名を轟かせる
***
「うーん……」
セナは激しく揺れる車内でも極めて落ち着いた、まるで万事何が起こるか分かり切っているような様子で腕を組み、つまらなそうに唸っていた。
「どうしよう、勝っちゃうよこれ」
キューポラの覗き窓から一度目を離したセナは、予想外に善戦する自車と、予想外に苦戦している文香達の様子を見比べて嘆息したかのように息を吐く。
「おいおいマジかよぉ……いくら色々弄ってるって言っても、こっちは
「さっきまであんなに一人で盛り上がってたのに、どうしたセナ?」
「いや……ここまで一方的だと酔いも醒めるっていうか……なんだろ、期待外れ?」
「あー、なら手ぇ抜こっか?イカサマしてる訳だし」
「冗談! 勝負にイカサマは付き物だし、何よりそんなのアタシのキャラじゃないっしょ」
あはは、と笑いながら搭乗員の声に言葉を返すセナだったが、その顔はどこか寂しそうな表情を浮かべていた。
キューポラから外を伺うと、そこにはまほのティーガーⅠが、文香のパンターとセナのレオパルトの間に延々と割り込むような機動を行っている様子が見て取れた。
正面装甲や側面装甲を巧みに扱いレオパルトの砲撃を弾き返しているそのティーガーは、パンターを庇い続けながらレオパルトに対する砲撃を断続的に試みている。
だが、急制動や急発進を繰り返すティーガーから放たれる砲弾は、F1レースで耳にするようなターボエンジンの爆音を打ち鳴らしているレオパルトには掠りもしない。
そしてセナの落胆は、文香の操るパンターを見て更に深いものになる。
先ほどから、ティーガーの影で停止したまま動かないパンター。
恐らく砲塔旋回装置が故障したのだろう、こちらへピクリとも動かさないその砲身は、パンターの左側面を守るティーガーⅠに対してちょうど反対側の、何も無い山肌に向かって伸びている。
「諦めた、かぁ……」
そう呟くセナの目は、先程までの子どものような煌々とした輝きを失っており、いつの間にか普段の少し気だるげな、自分勝手だけど優しい隊長としての顔に戻って苦笑していた。
正直、期待し過ぎていたのかもしれない。
島田流と西住流、そんな大きな看板に目を奪われて、彼女達自身をよく見ていなかったのかもしれない。
それなのに勝手に舞い上がって、こんなレギュレーション違反の改造を施した、趣味全開の私物まで持ち出して。
そんなの、隊長として失格だ。
セナは心の中で反省するように自嘲する。
その表情は既に蛇のような禍々しい笑みではなく、年長者としての自覚がたりなかった自分への軽蔑や、彼女達への申し訳なさを含んだ寂しそうな笑顔だった。
「終わらせよう ……確かに期待外れではあるけど、そこらの一年生よりはよっぽど凄いね」
ただ、それだけだ。
それだけでしかない彼女達を大人げなく、全力で喰いものにしようとした己の事をセナは恥じていた。
なんて言って謝ろうか、これから更に分裂していくだろうこの黒森峰戦車隊をどう率いて行こうか、そんな事を考えながらセナは操縦手の背中を優しく押し込む。
それを受け操縦手は、レオパルトをティーガーとパンターの僅かな間に入り込ませるようバシュウッ、とブローオフ音をエンジンに吐き出させながらパンターの斜め後方から高速でドリフトするかのように滑り込ませる。
同時に、砲手は何も言われずとも、フラッグ車である文香のパンターへ照準を向け始めた。
セナは、何の気なしにキューポラから、レオパルトの左へ流れるように映るまほのティーガーⅠを見つめる。
ティーガーは全力で砲塔をこちらに向けようとしているが、如何ともし難い機動力の差で、こちらがたった1度発砲する前にティーガーの砲口がレオパルトを捉える事は難しそうだった。
そのティーガーの様子を見て、セナは再び自分に呆れ返ったようにため息を吐く。
そうしているとレオパルトが、まるで最初からそこにあったかのようにティーガーとパンターの間で停止した。
零距離射撃。
撃てば必中となるこの位置で、砲手は射撃装置を覗き込み、
「うわっ!? セナ、右!!」
「んー?」
砲手の急な切羽詰まった声に、セナは生返事を返しながら、ティーガーとは反対側の、レオパルトの右側に停車しているパンターへ視線を移す。
「……ッ!?」
そして、呼吸も忘れて操縦手の背中を蹴り飛ばした。
反射とも言えるスピードでセナに背中を蹴り飛ばされた操縦手は、レオパルトを後退させようとレバーを引く。
直後、レオパルトの車内に激しい衝撃が走る。
ミキサーに掛けられたかのように激しくスピンするレオパルトの車内でも、セナはただ一点だけを、硝煙を吐き出す砲口を、
セナが呆気に取られた様子で目を見開いていると、そのパンターから赤い影が伸びる。
自身の姿を見せつけるようにキューポラから身を乗り出した文香は、セナに何かを伝えようと、口をぱくぱくと動かしていた。
声は聞こえずとも、その呟きはしっかりとセナに届く。
──兵は詭道なり、だよ
そう呟きながら微笑む文香の姿を見て、セナは身体中にゾクゾクとした、身の毛がよだつほどの
あぁ、間違ってなかった。 期待通りだ。
持て余す感動と喜びを少しでも発散しようと震える手を、セナは両手で自分を抱きしめるようにして抑えていた。
そうとは知らずに文香は、隣に並んでいるティーガーに向かって何かを一言、叫ぶように投げかける。
それに応えるようにまほのティーガーⅠは、僅かにずれている砲身をこちらへ向けようとしていた。
そんな彼女達の反撃に、セナは引き裂かれんばかりに口角の持ち上がった嗤いで応じる。
「アハハハハハハ!!!そうだ、それだよ!それなんだよ!!やっぱ最高だよアンタ達!!じゃないと、私もここまでやった意味がない!!もがいて、足掻いて、出し抜いて!自分の全てを出さなきゃ意味無いよねぇ!いいよ、いいよぉ!!」
ティーガーⅠの砲口はぴたり、と88mmの眼孔でレオパルトの正面装甲を眼前に捉えた。
その暗く深い凶悪な巨眼に晒されてなお、セナはあまりの快楽に身悶える。
「そう!そうそう!!そうなの!!一度限りのオールイン!!私がやりたい
嬌声にも聞こえる声を上げながらセナは、再び力いっぱい操縦手の背中を蹴り飛ばした。
先ほどの本気の焦りから反射で蹴飛ばした時とは違う、久しく感じられていなかった悦びに感極まった様子で。
***
その瞬間、文香は何が起こったか理解できなかった。
レオパルトは接地面が引きちぎれた履帯を、前輪を回転させて蛇の尾の如くティーガーの砲身へ投げ飛ばす。
半分ほどになっていたレオパルトの履帯はぐるぐると、まるで
そして、レオパルトがさらに何かしようと再度エンジン音を響かせ始める。
「っ、西住さん!!」
『分かってる!』
文香の咄嗟に口をついて出た呼びかけと共にティーガーが発砲すると、今さっきまでレオパルトが
零距離でのティーガーの砲撃、普通なら停止状態だったはずのレオパルトが避ける事は絶対に不可能なはずだった。
『……っ!?』
「そん、な」
自分が目の当たりにしている光景を信じられず、文香は思わずそう口にする。
巻き付けた壊れかけの履帯を支点に、レオパルトは僅かに起動輪に引っかかっている履帯を巻き上げ、一気に自身の車体を引っ張り込んだ。
そうしてティーガーの砲身の下部、絶対的なティーガーの射程外へ三脚のような形になるよう潜り込んだレオパルトは、その車体半分が持ち上がった状態から文香が乗るパンターの上部装甲へ砲口を向けた。
「あ……」
完全に出し抜いたはずだった、罠にかけたはずだった。
だが、結果はどうだ。
捕らえたと思っていた獲物は、まるで舌なめずりをするようにこちらへ
キューポラから身を乗り出していた文香は思わず膝から力が抜け、崩れ落ちるようにパンターの中へと吸い込まれる。
車長席に座り込んだ文香の口から洩れた声は小さく弱々しい、そしてとても呆気ない一言だった。
「また、まけた? ……ふふっ、あはは」
その呟きは誰にも聞こえず、文香はキューポラの覗き窓から僅かに見えるレオパルトを力無く見上げる。
その笑い声は先程までの自信溢れた様子とはまるで真逆の、何もかもを捨てて諦めた乾いたものだった。
全力を尽くしたのに、駄目だった。
あの時のように。
文香の頭を過ぎるのは、多くの大人や仲の良かった親戚達にまで糾弾される『あの時』の光景。
黒森峰に来るきっかけともなった、最大のトラウマの一片を思い出してしまった文香は、
もう、好きにすればいい。
そんな独白と共に文香はレオパルトへ改めて顔を向ける。
何も言わず、黙って砲口を文香へ向け続けるレオパルト。
イヤホンから聞こえるまほの声、しかし頭が真っ白になった文香には何の言葉も届かなかった。
そして次の瞬間。
「はは……は?」
数メートルほど打ち上がったレオパルトが地面に叩きつけられると、今度は縦横斜めと縦横無尽に回転しながら平原を転げ回る。
立て続けに起こる予想外な出来事に、すっかり乾いた笑いも収まった様子の文香は、大混乱する頭を必死に正気に戻そうと、まずはイヤホンを耳に付け直した。
イヤホンから聞こえてきた無線はまほの声ではなく、
『お風呂上りにバンバンバンバンうるさいと思ったら……あなた達まだやってたの? まぁ、これで終わりね』
『ちょ、蝶野副隊長? 今までどちらへ?』
まほの困惑したような声も続いて聞こえ、ここでやっと文香は自分の耳に幻聴が聞こえているわけではないと少し安心する。
『あぁ、演習場の端っこギリギリにお風呂があるでしょ?……ごめんね?』
『ごめんね、って…… いえ、それよりも そちらから狙撃したのでしょうか?』
しかし、相変わらず状況が掴めていない文香は静かに二人の会話を聞いていたが、頭の中にはまほと同じ疑問が浮かんでいた。
『へ? えぇ、そうだけど』
何の気なしにそう言いのける真美の言葉を聞きながら、文香はキューポラから身を乗り出すと、演習場の地形図を取り出し、真美がいるだろう方向へ双眼鏡を使い彼女の姿を探す。
すると確かに双眼鏡越しに小さく、森の鬱蒼とした木々や演習用の市街地を模したハリボテなどの先に、米粒ほどにも満たないサイズで映る真美の車輛を見つけた。
『……その位置からですと、ここは恐らく4000mは離れているかと思われますが……』
『ん?そうね
『え、えぇ……了解しました』
まほはそう言われると、動揺した声のまま全体用の無線で両チームの全車両へ試合終了を告げる。
文香もまた何事も無かったかのようにガレージへ移動を始めた、通常の2倍近い長さの砲身を持つ真美の車輛を双眼鏡越しに見つめながら呆気に取られていた。
戦車の最大射程は、弾が飛ぶだけなら確かに十数kmにも及ぶ。
しかしそれは、限りなく好条件のみで満たされた場合のみで実際には何も無い平原では2kmほど、市街地では数百メートル先の標的に当たれば上々と言える。
それも、ただ当てるだけならという話であり、ましてや数km先の敵を撃破するなんて芸当は狙って出来るような事ではない。
しかし真美は、
それを当たり前と感じているのか、黒森峰戦車隊の上級生達は特に何事も無かったかのように、新入生達はここで過ごせばそれが当たり前の事になるのかと感動した様子で撤収し始める。
ふと、文香が双眼鏡から目を外すと、同じような様子でキューポラから身を乗り出していたまほに気が付いた。
自分と同じく事の異常さに気が付いているだろう彼女は、視線を感じたのか文香の方へ振り向く。
そして目が合ってしまった。
「……意味が分からない」
「……うん 気が合うね、本当に」
先に口を開いたのはまほだったが、その放心したような声色は、後から口を開いた文香も似たようなものだった。
そのあまりにも気の抜けた二人の声に、文香とまほは見つめ合ったまま同時に吹き出す。
「フッ……意味が分からないのはお前もだ、島田」
「ふふっ、どこがだい?」
「接敵中に、砲塔を直すから援護しろなんて 初めて言われたぞ」
「君なら出来ると思ったんだよ 現に上手くいったじゃないか」
「……だが、負けた」
「……うん、そうだね」
淡々と会話を繰り返す二人の間に風が吹き、わずかに二人の前髪を揺らした。
二人を照らす月明かりを湛える空は、既に星が満天に輝き、黒いジャケットと赤いシャツをそれぞれ纏った少女達を照らし続ける。
「……撤収しよう」
「わかった ……ねぇ、西住さん」
「ん? どうした、島田」
「新しい風は、何もない所から突然生まれるのかもしれない ……君はどう思うかな?」
「……」
また何を訳の分からない事を、そう言おうとしたまほの口は、初めて見る文香の表情に思わず閉ざされる。
それ程までに、まほを見つめる文香の表情は、不安や怯えといった色に染められていた。
「……1からやり直すのは こわいよ」
絞り出すような文香の声で、まほは先程の言葉の意味に気付く。
その言葉の真意は、今日の試合を通じて文香だけではなく、まほ自身も身に染みて感じた事だった。
「……分かったよ、
「?……ありが、とう? その……
少しばかり間を置いて、まほが微笑みながらそう答える。
すると、ずっと不安そうな表情を見せていた文香だったが、その返答の意味が分からず一瞬だけ怪訝そうな表情を見せたが、まほの温かい表情を見れば少し安心した様子で礼を言った。
そんなやり取りの後、彼女達の車輛はそれぞれガレージへ向けて走り出す。
まだお互いに距離感を掴めていない文香とまほは、それぞれが何かを胸に秘めつつも、肩を並べて戦場を後にする。
***
「えー、以上……ほんとにすんませんっした」
「は?」
「申し訳ありませんでした皆様!!今後はこのような事が無いよう、より一層隊長職を全うする人間としての自覚を持ち行動いたします!!あと、もうあのレオパルトはドライブ用にするから!!しますから!!」
数台のスポットライトで照らされたガレージ。
隊員達が整列している前でセナは、笑顔のまま表情を固定している真美が操る長砲身を持つティーガーⅡの履帯のすぐ脇に簀巻きにされた状態で、煤だらけのまま置かれながら全員に向けて話をしていた。
そして時たまエンジンを空ぶかしする真美の一挙手一投足に怯えながら、セナはその話を終える。
本来ならば練習試合の後はデブリーフィングを行うのが定番だが、時間も遅くなってきたからと、デブリーフィングの代わりに開かれた隊長の反省文朗読会に、隊員達はなんと言っていいか分からないといった表情を浮かべながら整列していた。
「ほんとに反省してるの?次は本当に許さないからね?」
「してます、してますから!……っせぇなブスが」
「はいみんな、解散していいわよ!ここからはR-18だから!」
「うそうそ!!冗談だって!!ごめんって、いやマジで近い近い近い!!あっああああああああ!!!!」
セナの顔がティーガーⅡの履帯とガレージの床に挟まれて軽く潰れる。
そんな二週間も経てば新入生達も見慣れた、解散の合図にもなっているいつも通りの光景が繰り広げられ始めた。
そんな中、文香は普段の飄々とした澄まし顔とは違う、どこか緊張した面持ちで立ち竦んでいた。
隊員達は泣き叫ぶセナの声を完全に聞き流してその場で伸びをしたり、帰り始めようと仲の良い友人に声を掛け始める。
そう、普段通りの風景が広がっていた。
……別にこのままでもいいじゃないか、私が我慢すればいいだけだ。
そんな考えが文香の脳裏に過ぎる。
誤解されていたって、別に私以外の誰かに迷惑をかけているわけじゃない。
先程抱いた決意が壊れそうになる。
文香は何かを誤魔化すような笑みを作り、いつもの澄ました表情を浮かべようとした。
「文香」
そんな文香に、後ろからまほが声を掛ける。
そっと背中に添えられたまほの手から、文香はじんわりとした温かさを感じた。
……もう、逃げたくない。
文香の顔から笑みが消える。
もう、逃げ続けるのはたくさんだ。
その表情は何かに怯えるような、しかし何か決意を秘めたようなものに変わる。
それに、今は――まほさんが一緒にいてくれる。
「あ、あの!」
ガレージに文香の声が響き渡る。
初めて聞いた文香の大声。
それもいつもの飄々とした声ではなく、びくびくと人の顔色を窺う様な震えた声だった。
そんな文香の声に、隊員全員は何事かと一気に文香へ注目する。
思わず文香は僅かに身を強張らせるが、落ち着かせるように優しく背を叩くまほの手の感触を感じると、なりふり構わずといった様子でさらに口を開いた。
「その、わたし、みなさんと! ……皆さんと、一緒に、頑張りたい、です」
途切れ途切れの、声量もちぐはぐな文香の口調に全員動きが止まる。
「……私は、皆さんの邪魔者かも、しれません」
しかし、自分の事で精一杯になっている文香は、そんな周りの様子などお構いなしに言葉を続けた。
「でも、まほさんと……そしてみなさんと一緒がいい、です」
文香は、いつの間にか自分の足元を見下ろすように俯いていた顔を上げ、一度大きく息を吸う。
「迷惑かも、邪魔かもしれません! でも、がんばります!頑張ります、から……一緒に、いさせてください! おねがい……します」
そう言い切りながら、文香は瞼をぎゅっと閉じながら頭を下げた。
あまりにも拙い、そして突然の文香の言葉を受け隊員全員が、先程まで泣き喚いていたセナまでもが目を点にして固まる。
その静寂が、文香にとってはたまらなく怖かった。
やっぱり言わなければよかった、黙っていれば何も壊れることはないんだから。
私が我慢すればいいだけなのに。
後悔とも言える感情に支配され始めた文香は、今すぐにでもこの静寂から逃げ出したかった。
「……私は西住として生まれ、そこで育ってきました」
そんな静寂を打ち破ったのは、まほの声だった。
「その環境で育った事に傲りや慢心は抱いていないものだと、自分では思っていました」
淡々と、だがしっかりとした口振りで唐突に始まったまほの独白に、再び隊員達は何事かと口を閉じたまま意識を向ける。
「ですが、それこそが慢心だったと先ほど気づかされました 西住流などという大層な名前など、私には何の意味もないと」
その中でも一番驚いたように目を見開いているのは、まほのすぐ横で話を聞いている文香だった。
「そんな簡単な事にも気づかない愚か者の目が醒めたのは、横にいる文香と、皆さんのおかげです」
何故なら、その抑揚なく紡がれていくまほの声は、どこか文香に対して共感し、文香と同じようにどこか怯えているような色が見えたからだ。
「今日、今ここで私は一人の若輩者として、ただの西住まほとして、皆さんにお願いしたい事があります」
そんな感情はおくびにも出さず、まほはしっかりと隊員達を見据え、凛とした表情を作った。
「こんな厚顔無恥な私ですが、どうか一から皆さんと一緒に勉強させてください お願いします」
そして言い終わるや否や、まほは文香の横ですっと頭を下げる。
そんなまほの様子を見て、隊員達はさらに目を丸くした。
あまり必要以上に口を開かないまほが、すらすらと口上を述べ、あまつさえ反目し合っていると思われていた文香の為に一緒に頭を下げている光景を見て、その場にいた全員が閉口する。
奇妙なまでの静寂の中で文香は、まほの指先が震えていることに気が付く。
それを見て、先程ガレージに帰る前に言われたまほの言葉の意味に文香は気が付いた。
まほが自分と同じような事に悩み、それでいて自分の背中を押してくれていた事に。
静寂の中から一番最初に聞こえてきたのは、笑い声だった。
「あはは!なーに今更そんな事言ってんの 後輩なんだがら、私達が指導するのは当たり前でしょ?」
「ははっ!思井の言う通りだ! というか島田、もしかして帰り道ずっと黙ってたのって、これ考えてたせいか?お前、案外可愛いやつだなぁ!」
ティーガーⅡの車長を務めていた2年生と、文香のパンターの操縦手を務めていた先輩の笑い声に釣られて、隊員達はぽつりぽつりと笑いだす。
「島田さんは悪くないですよ!元はと言えば、私達が島田さんをよく知りもしないで邪魔者にしてた私達がいけないんです……!」
「そうそう、というか私達がまず島田さんに謝るべきだったね というか西住さんも結構人情派なんだ、イメージ変わるなぁ……あ、いい意味でね!思ってたより話しやすいかも」
それに続いてパンターの通信手の同級生や、今回第一小隊長としてまほと同じチームに参加していた先輩がそれぞれ思っていた事を口にした。
そしてそれに同調するように頷く子や、文香に駆け寄って謝ったり話しかける子、まほの意外な一面を見て今まで話しかけられなかった子がまほに話しかけたりと、様々な少女がそれぞれ違った様子で二人に話しかけていく。
「ねぇねぇ島田さん!好きな食べ物ってなに?」
「お、西住って案外こういう趣味してんのな」
「島田ちゃん!さっきのドラテク、どうやってあのバカに仕込んだの?ちょっと教えてよ!」
「西住さん西住さん!さっきから島田さんのこと下の名前で呼んでるけど、もしかして部屋でなにかあったの!?きゃー!ちょっと教えて教えて!」
セナと真美を除く隊員で出来た人だかり。
その中に、文香を排斥しようとする声は無かった。
***
そんな隊員達を遠巻きに眺めながら、セナは少し肩の荷が下りたと言わんばかりに安堵の溜息を吐く。
「なんだかんだ、隊長に向いてるわ あんた」
ティーガーⅡの車体上面に乗って腰掛けながら、真美はセナへ話しかける。
「たまたま運があの子達に向いただけだよ アタシは全力を出しただけ」
「それが良かったんじゃないの? まぁ、私が待機してなきゃ危なかったけどね」
「それも含めて幸運って言うんだよ、多分ね」
そう言うセナの顔は、隊員達を温かく見守る優しい笑みを湛えていた。
その顔を車体から見下ろしながら、真美は膝に頬杖をついて愚痴を零す。
「……私、本当は島田さんより西住さんを心配してたのよ 大丈夫かな~あの子、ってね」
「ふぅん」
「聞きなさいって あんたも知ってる通り、
「うん」
「その兆候はあったのよ、島田さんの影に隠れてたけど。 西住さんに対して、上級生も下級生もみんな必要以上の会話はしないように気を付けてた」
「あー、やっぱそうだったかぁ……」
「そういう嘘はいいから、どうせ気づいて無かったでしょ? ……ま、それも杞憂で終わったみたいで良かったわ」
そう言いながら真美は再び人だかりの方へ視線を向ける。
そこには困ったような様子でてんわやんわしている文香とまほを中心に、隊員達がにこやかに盛り上がってる様子が広がっていた。
「……ほんっと、悔しいけどあんたの方が隊長に向いてるわ 私じゃ、こうは出来なかった」
「そんなことないよ、アタシは楽しんでただけだもん 真美がいてくれたから出来た」
「馬鹿 ……それじゃあ、私も私で楽しませてもらうわ」
真美は車体の上で改めて立ち上がると、操縦手の席へ手を伸ばす。
すると、アイドリング中だったティーガーⅡがゆっくりと、ゆっくりと前進を再開した。
「……真美? 照れ隠しにしては度が過ぎてない?」
「自家製ヴルストって、一回作ってみたかったのよね」
「え?……ちょっと真美さん?冗談でしょ?ほら、誰も見てないし もうジョークの域を超えて……おおおおおおいみんなあああああ!!助けて、ちょっとま、ムリムリ死ぬ死ぬ死ぬ!!あっああああああああ!!!!」
ミシミシ、と顔から鳴ってはいけない音が鳴る。
セナの叫び声は楽しそうな人だかりの喧騒に消え誰にも届かないまま、履帯が地面を踏み込む音の中へと消えて行った。
***
「「つ、疲れた……」」
声を合わせて一緒に部屋へ入った文香とまほは、電気もつけないまま、服も着替えずにそれぞれのベッドへ頭から飛び込む。
ガレージから出た後も、揉みくちゃにされる勢いで食堂や浴場で質問攻めに遭い続けた二人の表情は、今まで戦車道の訓練では見せたことの無い、疲労困憊としか形容できない色を浮かべていた。
ぼふん、と音を鳴らしてへこむ枕に顔を埋めながら、文香は今日の出来事を思い返す。
「……ふふっ」
たった一日、しかしその中で起きた様々な出来事はどれもこれも文香にとって予想外なものが数多くあった。
初めて、黒森峰のみんなと話をした。
初めて、試合中に他人と協力した。
初めて、家族以外の人間を頼りにした。
それに……
「笑うなぁ、文香ぁ…… お前だって、似たような格好じゃないかぁ……」
そうやって今日の出来事を振り返っていると、まほの間延びした疲れ切っている声が聞こえてくる。
文香と同じように枕に顔を埋めているのか、少しくぐもった彼女の声を聞くと、文香はさらに嬉しそうに年相応の少女が浮かべる、明るい笑みが顔に現れた。
「ねぇ まほさん」
「なんだぁ……」
「今日は、ありがとう」
「……んー」
「まほさんが背中を押してくれたから、私は逃げ出さずに済んだ でも……まほさんがああいう事を言うなんて意外だったよ、ふふっ」
「……ったから」
「? ……聞こえないよ?」
既に意識が半分夢の世界へ旅立っているのか、まほは素直に思っていた事を口にする。
「ひとりじゃ、なかったから」
その本音とも思える言葉に、文香は少し目頭が熱くなった。
それを誤魔化すように一度咳払いすると、文香はこの共同生活で初めて本音をまほにぶつける。
「……私も、一人だったら何もしなかったよ まほさんがいたから……ううん、まほさんのおかげで今日、私は皆と話せたんだ」
「……んん」
「すごく怖かった、こんな事しなくてもいいんじゃないか、って思ってた ……勝手に期待されて、勝手に失望されて、」
「……てでいい」
少しずつ熱くなっていた文香の告白は、聞き手であるまほの寝言のような声に切り上げられた。
「え?」
文香はその声にハッとすると、いつの間にか口走りそうになっていた面白くも無い話を切り上げ、単純に聞こえなかったまほの言葉を聞き返す。
「呼び捨てで、いい ……おまえの、それ なんか……むずかゆくて、いやだ」
「……え?」
普段のイメージとは真逆の、ふわふわとした声色になってきているまほの言葉に、文香は息を飲んだ。
交友関係というものを持たずに生きてきた文香は、名前で呼び合う友人という存在に憧れてはいる。
しかし、いざそういったものを得られる今この瞬間に、文香は怯えにも似た感情を抱いた。
「……っ」
ただ、文香は今日みんなから、そして彼女自身からも教わった事を思い出す。
他人を必要以上に恐れて逃げ出す事は、とても馬鹿馬鹿しい事なんだという事を。
「……っ ま、まほ……?」
「なんだぁ……」
「! ……一緒に、一緒に頑張ろうね まほ」
「んー…… がんばろ……ふみかぁ……」
「……おやすみ、まほ」
「ん……うん……」
「ふふっ ……あははっ!」
電池が切れたかのように、寝息のようなものを立てているまほの様子を見て、文香は再び笑みを零す。
それに、初めてともだちが出来た。
その顔に浮かぶのは、今までの飄々とした澄まし顔とは違う、心から楽しそうに笑う普通の少女の屈託のない笑顔だった。
この日、文香とまほは――
(次の日、練習風景)
「まほ、まほ」
「なんだ文香 作戦会議中だぞ」
「水は止められない、いつか溢れてしまう でも流れを変える事なら出来ると思うよ」
「は? ……あぁそうか、この防御配置では第二小隊が最悪の場合孤立する……気が付かなかった、助かる」
「構わないさ、今日は私が副隊長だ」
「……」
「どうしたんだい、まほ? そんなに見つめられると照れてしまうよ」
「……名前の呼び方より 訳の分からない喋り方をどうにかしてもらうべきだったか」
「……本人の目の前で、そんなに大きなため息を吐かなくてもいいんじゃないかな?」