カンテレを弾く前に。   作:桜田家族

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二つの流派 3-a

 その影は、困ったように私へ小さく微笑むと、飄々とした様子で私を置いて炎の中へと消えていく。

 遠く離れていく影を、私は泣いて、喚いて、目を逸らすことすら出来ずに、ただ立ち竦んだままその場で見送ることしか出来なかった。

 手を伸ばしても届かない。

 声を上げても止まらない。

 どこまでも嫌いなその背中は、いくら呼び止めても振り向いてすらくれない。

 そんな彼女の背中は、どこまでも私が敬愛する御方の後ろ姿にそっくりだった。

 

 そこで、私は夢から覚めた。

 

 

***

 

 

 降りしきる雨。

 窓ガラスを叩くその水粒は、今この場にいる者達の耳に心地よい自然の音楽を届けていた。

 

「えーっと 本当にウチがそのエキシビジョンに出てもいいんですか?」

 

「はい このエキシビジョンマッチは大洗の皆さんをお祝いするお祭りの意味合いが大きいですから、継続高校の皆さんも参加していただければ更に賑わいますし大歓迎です」

 

「だってさミカ!出ようよ、エキシビジョン!」

 

 英国式の調度品で彩られているテーブルを囲みながら、オレンジペコの名を持つ少女と話していたアキが隣に座っていたミカに話しかける。

 話しかけられたミカは、雨粒が流れ落ちる窓から視線を外すとアキに軽く微笑みながらそれに返答する。

 

「ただ参加すれば良い、ってものでも無いんじゃないかな?」

 

「えー?お祭りだよ?もしかしたら美味しいご飯もいっぱいあるかもしれないじゃん!」

 

「そーだそーだ!この前だって、ミカが一人で拾ったレーション全部食べちゃったし!」

 

 ミカが口にした参加に否定的な言葉に、アキとミッコはそれぞれ少し頬を膨らませながら反論する。

 そんなやり取りを目の前で見せつけられていたオレンジペコは、何も自分達を前にして打算的に参加を決めるようなことを話さなくても、あまつさえその場で無下に参加を断るような事を言わなくてもいいじゃないか、と思わず苦笑する。

 

「継続の隊長さん?」

 

 すると、今までこのテーブルの上座で静かに紅茶を嗜んでいた金髪の少女が静かに口を開く。

 その手に持つ紅茶の名前と同じ、ダージリンと周りから呼ばれている少女は音も立てずにティーカップを皿の上に乗せると、ミカ達の方へ瑠璃色の瞳を向けた。

 

「期日はまだまだ先、お返事はゆっくりで構いませんわ こんな格言を知ってる?『焦ることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない――』」

 

「『――焦りは過ちを増し、後悔は新しい後悔をつくる。』 ゲーテだね」

 

 ダージリンの言葉を遮るように、ミカは彼女が引用しようとした言葉を先に述べる。

 あら、と少し感心したように声を洩らすダージリンの横では、少し驚いた様子のオレンジペコが、見直したというような視線をミカに送っていた。

 

「……!? ……え?ミカ?えっ、ほんとにミカだよね?そっくりさんとかじゃないよね?え、何か変な物食べた?どうしよう、病院に行くお金あるかなぁ……」

 

 しかし、そんな聖グロリアーナの二人とは比べ物にならないくらい驚いた様子で椅子から転げ落ち、手に持っていた紅茶を頭から被るがそんな事もお構いなしに、恐怖にも近い驚愕した表情でミカを見上げる者達の姿があった。

 

「やばい……!やべぇよアキ……!ミカが……ミカがおかしくなったぁぁ!!!」

 

「傷つくなぁ」

 

 正気を疑うとでも言わんばかりのアキ達を見て、ミカは澄ました顔のまま、しかし軽く目尻に涙を浮かべて膝に乗せているカンテレを指で弄ぶ。

 

「ぷっ、くく…… 継続の隊長さんも、中々苦労していらっしゃるみたいですわね」

 

「……そちらほどじゃないけどね」

 

 肩を震わせるダージリンの声に、ミカはばつが悪そうに彼女と目を合わせて苦笑いする。

 

 1秒。

 

 2秒。

 

 

 3秒。

 

 

 

 ダージリンとミカは、奇妙なほどに互いの目を黙って見つめ合っていた。

 

「ウフフ…… ペコ、お二人をバスルームへお連れして? お召し物はランドリーに」

 

 そんな自身の敬愛する女王の様子に気付いたオレンジペコは、どうかしたのか尋ねるべく口を開こうとすると、突然ダージリンが自身の横で立ったまま控えていたオレンジペコに声を掛けてくる。

 

「っ、はい!分かりました ではアキさん、ミッコさん、ご案内しますからこちらへ」

 

「あ、分かりました…… ミカ?大丈夫だからね!すぐお医者さんを呼んでくるからね!?」

 

「何か美味いもん取ってくるから!!だから死なないでくれよ、ミカぁ!!」

 

 思わず少しびくっと身体を震わせたオレンジペコだったが、ダージリンの言葉を受けるとすぐ落ち着きを取り戻し、頭から紅茶を被ってびしょ濡れになっているアキとミッコを連れて、紅茶の園とも呼ばれているこのクラブハウスから出て行った。

 本気で心配している様子のアキ達の姿がカチャリ、と音を立てて閉じられた扉に遮られて見えなくなる。

 

 その光景を、ダージリンは可愛らしい物を見るようにくすくすと笑って眺めていた。

 だが、やがてその笑い声も収まると、ダージリンとミカだけになった部屋には、再び雨音が鳴り響く。

 

「変わらないのね、貴女」

 

 幾ばくか、雨音とカンテレの切れぎれとした音色だけが響いていた部屋で、最初に口を開いたのはダージリンだった。

 

「君もね グロリアーナの女王様」

 

「……相変わらず不愉快な人」

 

 話しかけられたミカはカンテレを撫でる手を止め、膝元のカンテレを見下ろしていた顔を再びダージリンの方へと向ける。

 ミカの目に映ったのは、先程までの気品溢れる聖グロリアーナ戦車隊隊長の顔ではなく、嫌悪や憎しみを孕んだ眼差しで、こちらを睨みつけてくる一人の少女の顔だった。

 そんなダージリンの様子に、ミカは困ったように眉を吊り上げる。

 

「如何なる時も優雅に、じゃあ無かったのかい?」

 

「貴女が……()()()()の言葉を口にしないで頂戴!」

 

 他の聖グロリアーナ生が見れば誰しもが驚くようなダージリンの激昂した声だった。

 だが、ミカは特に動じることもなく、静かに言葉を続ける。

 

「……まだ、怒っているのかな?」

 

「……そんな訳、ないじゃない あの時の貴女の考えも、行動も、今なら理解出来るわ」

 

 口調こそいつものように穏やかなものに戻っていたが、ダージリンの表情は痛々しいまでに悲痛な色を孕んでいた。

 スカートの裾をぎゅうっ、と握りしめながら、ダージリンは吐き出すように自分の思いを曝け出す。

 

「それでも、私の感情は貴女を許せないの そして……そんな卑しい自分が、一番許せないのよ」

 

「構わないさ 嫌われるのには慣れてる」

 

 ミカの何の気なしに言いのけたその台詞に、ダージリンは再び激怒した。

 

「っ! 貴女のそういうところも!!……そういう所も嫌いよ。 自分は大丈夫だって変に大人ぶって、格好つけて……その癖本当は自分が一番、」

 

「ダージリン」

 

 感情に任せたまま話すダージリンの声が震えてきた事に気付き、ミカは再び遮るように声を掛ける。

 

「もういいんだよ」

 

「……っ 大っ嫌い、貴女なんて」

 

 吐き捨てるようなダージリンの一言に、ミカは僅かに持ち上がった口角から息をふっ、と零した。

 

 三度、部屋は窓を叩く水音以外の音を失う。

 その雨音は、小さな嗚咽を覆い隠すように勢いを強めていた。

 

「……嫌いよ、雨も 文香さん、貴女の事も」

 

「雨が降らなきゃ虹は見れないよ」

 

「雨は、本当に必要な時に降らないもの それに綺麗な虹は今、あの子達が見せてくれているわ」

 

 ダージリンの言葉にミカと呼ばれていた少女、文香は少し驚いた様子でダージリンの顔を見据えるが、やがて何かに合点がいったかのように微笑む。

 

「……君は変わったね 君は、()()()に似て強くなった」

 

「……変わったのは貴女よ 昔の貴女は、もっと強い人だったわ」

 

 そう言われれば、今度こそ文香は口を噤んで膝に乗せているカンテレへと再び視線を落とした。

 話は終わりだと言わんばかりの文香を見て、ダージリンは少しだけ赤くなった目を雨水が滴る格子窓へと向ける。

 

 止む気配の無い大雨。

 それを黙って見つめるダージリンは、自身が今でも敬愛する()()()()の事を思い出していた。

 

 

***

 

 

 降りしきる雨。

 窓ガラスを叩くその水粒は、ダージリンの耳に心地よい自然の音楽を届ける。

 午後の授業も終わり、生憎の大雨で珍しく戦車道の訓練が中止となったため、ダージリンは紅茶の園とも呼ばれているクラブハウスで一人読書に耽っていた。

 

「ねー、ダージリーンちゃーん!何してるの?」

 

 紅茶でも飲もうか。

 そう思いながら本から視線を落としたままダージリンがテーブルに手を伸ばすと、その空いた脇から突然誰かの腕が生えてくる。

 

「っ!? きゃあああっ!!」

 

 そしてその腕は、慣れた手つきでダージリンの胸元の膨らみを揉みしだいた。

 ダージリンは悲鳴を上げながら椅子から跳ねるように飛び退くと、()()()()()()()()()()()、この無礼を働いた犯人の顔を見てやろうと物凄い速さで振り向く。

 

「おぉーう、むふふ……ダージリン、まーた育ったんじゃないの?」

 

「な、な、な、なんてことをなさるんですか!()()()()()()様!!」

 

 アールグレイ、そう呼ばれた長い金髪を靡かせる少女は、顔を真っ赤にして烈火の如く怒るダージリンに悪びれもせず、時代劇に出てくる悪代官のような表情のまま、わきわきと手を蠢かしていた。

 

「うーん、何回揉んでもこの初々しい反応……ダージリンのえっち!」

 

「は、はぁっ!?……コホンッ というより何度も何度も申し上げましたが、このようなお戯れはお止め下さいまし」

 

 アールグレイは品無く動かしていた指を止め、今度は残った何かの感触を確かめるように手を握りしめる。

 そしてそんな彼女を呆れたようにじとーっとした目で見ながらダージリンは、ようやく落ち着いた様子で乱れた襟を正していた。

 

「やよ、だって一番反応いいし それにアッサムは()()()()()で掴めないし」

 

「……今のは聞かなかったことにいたします それで?ご用件はなんでしょうか、アールグレイ様?」

 

「あ、そうそう!聞いて聞いてダージリン!ついに……ついに届いたのよ!」

 

 落ち着きなく今度はダージリンの腕に抱きつきながら、アールグレイはキラキラとした目でダージリンを見上げる。

 

「……はぁ その、何がでしょうか?」

 

 顔に聞きたい?聞きたい?と書いてあるかのようにダージリンの様子を伺うアールグレイ、その表情に思わずため息を吐いてから、ダージリンは努めて丁寧にそう尋ねた。

 

「あっ、でもどうしようかしら?教えてあげてもいいんだけどなー? ね、ね、知りたい?そんなに知りたい?」

 

「……知りたいです 教えてくださいませ、アールグレイ様?一体何が届きましたのでしょうか?」

 

 悪戯な笑顔を浮かべて勿体振るような態度を取るアールグレイに対して、ダージリンは瞼をぴくぴくと痙攣させながらも、笑顔を保って更に聞き返した。

 相変わらず面倒くさい御人だ、とダージリンは心の中で毒づく。

 

「んふふ~♪ じゃあちょっとついてらっしゃい!」

 

 そんなダージリンの気など知らないアールグレイは、鼻歌を歌うほど上機嫌にはにかみながらダージリンの腕を掴み、扉を乱暴に開けて走り出した。

 引っ張られて無理やり走らされるダージリンは、アールグレイの背中越しに彼女のその表情を睨みつけるように見て思わずため息をつく。

 

 悪い御人ではない、そうは分かっていても淑女とは到底呼べないこの人物に振り回されて1ヵ月が過ぎようとしていたダージリンは、呆れ果てながらもアールグレイにされるがまま抵抗はしなかった。

 

 

***

 

 

 はっきり言って、ダージリンはアールグレイという人物を嫌っていた。

 

 聖グロリアーナ女学院、英国式の格式高い校風と風光明媚な作りで知られ、その生徒達は気品ある優雅な立ち振る舞いを常に求められる国内有数の名門校。

 その聖グロリアーナ女学院で淑女の嗜みとも言われている戦車道を受講する者、その中でも隊長クラスの幹部や将来を有望視された者にしか入室すら許されない、紅茶の園と呼ばれるクラブハウス。

 

 憧れ、そんな安っぽい言葉だけでは片づけられない感情をダージリンは紅茶の園に抱いていた。

 淑女の慎みある言葉遣いや所作を学んだ。

 様々な作法や教養を身に着けた。

 他者を常に尊重し、己を常に律する心を育んだ。

 すると、その努力が認められたのか入学後すぐにダージリンという名を貰い受ける。

 同じ学年の中ではダージリンともう一人、アッサムと名付けられた少女の二人しかいないエリートの証。

 

 心が躍った。

 しかしその名を自慢することはせず、あまつさえ他の学友を見下すような感情などはダージリンもアッサムも持ち合わせておらず、むしろ学年の代表として聖グロリアーナの伝統と風格に傷を付けないよう一層努力しよう、とお互いに誓い合う。

 

 そして迷わず入った聖グロリアーナ女学院戦車道クラブ、その初練習の後に二人は揃って紅茶の園の扉を叩いた。

 練習後、ただでさえ流麗な雰囲気を端々から感じさせる先輩方に「私達は、あの方にならついていける」とまで言わしめた隊長に呼び出されたダージリンとアッサムは、ノックの返事を受けると逸る気持ちを抑えて静かに扉を開くのを待つ。

 

 そして扉が開き、夢にまで見た紅茶の園が目の前に現れた。

 

「ねー、いい加減諦めなさいな どう見てもチェックメイトよ?」

 

「やぁ、よく来てくれた ……ほらアールグレイ、新しい茶葉のご到着だ」

 

「あ゛っ!! ちょっ、なにボードをひっくり返してるのよ!?」

 

「あぁごめん ティーポットを置く場所が見つからなくて、つい」

 

 そこには、扉を開けてくれた副隊長が席に着きながら()()()()()()()()()()()()()()()()光景と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()チェスの駒を拾い集める隊長の姿が広がっていた。

 目に映る、自分が理想郷と夢見てきていた世界の住人達の行いに、ダージリンは扉の前で固まってしまう。

 

「もー……チェスピースって欠けやすいんだからやめてよぉ…… というか貴女、コーヒー派じゃない」

 

「ん?あぁ、ティータイムはちゃんと取るからご心配なく」

 

 紅茶は飲み物ではない、とでも言いたげな副隊長の皮肉っぽいジョークにアッサムは思わず軽く吹き出してしまうが、その隣にいたダージリンは表情を凍り付かせたまま、アールグレイのあられもない姿をただただ見ていた。

 

 なんだこれは。

 

 ダージリンは沸々と湧き上がる、言いようの無い怒りで肩を震わせる。

 先程吹き出したアッサムと肩を震わせているダージリンを見て、二人の緊張をジョークで解せたかと勘違いした副隊長が声を掛けてきた。

 

「そのドアにまだ替えはいらないよ、おいで ……あとアールグレイ、見えてる」

 

「あらららっ!? もうっ、早く言ってよ!」

 

 こっちに手招きする副隊長に促されるよう、ダージリン達は中へと足を踏み入れる。

 そんな副隊長の横で隊長、アールグレイは口に咥えていたカップを片手に持ち、空いたもう片手でスカートを抑えながら慌てたように立ち上がっていた。

 ティーカップを改めてテーブルにあった受け皿に置き直し、乱れた髪を整えながらアールグレイはダージリン達を見つけると、その口角をにんまりと引き上げる。

 

「ダージリンとアッサムね!きゃー!可愛い!……あっ、自己紹介がまだだったわね? 私はアールグレイよ!で、こっちが副隊長のモカ!」

 

「人に指を差すな、悪い癖だ えっと、君がアッサム?とすると……」

 

 嬉しそうに歯を見せてはにかむアールグレイは、褐色の肌と白くて長い髪を持つ副隊長のモカを、チェスの駒を示す時のように人差し指で差しながら紹介した。

 アールグレイに指されたモカは、ダージリンの横にいたアッサムの顔をまじまじと見つめてから、ダージリンの方をちらっと一瞥する。

 

「じゃあ貴女がダージリン?私と同じ髪型じゃない!それに同じ髪の色、仲良くできそうね♪」

 

 アールグレイはそう言いながらダージリンに手を差し伸べながら微笑みかけた。

 しかし、ダージリンはじっとアールグレイの緑碧眼を見つめたまま動かない。

 

 どこが淑女だ、何が紅茶の園だ。

 不思議そうに首を少し傾げるアールグレイを前に、ダージリンは自身が持つ瑠璃色の目を潤ませる。

 

 こんなものに私は憧れたのか。

 そう考えた瞬間、ダージリンは自分の頬に涙が伝う感触を覚えた。

 

「えっ!?ちょ、ちょっとダージリンちゃん!? 大丈夫!?」

 

「ダージリン!? ど、どうしました?」

 

 そんな唐突に流れ落ちたダージリンの涙を見て、アールグレイは仰天した様子で慌ててダージリンに詰め寄る。

 練習中に同じ車輛へ乗り込んでいたアッサムもまた、つい先ほどまで一緒に談笑していたからこそ、隣にいるダージリンの急変した様子に驚いて声を掛けた。

 

 しかしそんな中、当のダージリン本人は何が起こっているのか分からないように呆けた顔で立ち尽くしている。

 すると、ダージリンの視界は徐々に、赤い色で暗く押しつぶされていく。

 

 その後に何があったか、ダージリンは覚えていない。

 ただ覚えているのは、やり場のない怒りと悲しみと、この堕落した聖グロリアーナ戦車隊に対しての深い嘆きだった。

 

 

***

 

 

「着いたわよ!ほら、目開けてダージリン!」

 

 そう言いながらアールグレイは自身の長い金色の髪を手で翻しながらダージリンに声を掛けてきた。

 興奮しているようなその声に、ダージリンは紅茶の園を初めて訪れた翌日から欠かさずアップスタイルにセットしている髪が乱れていないか確認をしつつ、考え事をしていたらいつの間にか閉じていた目を開く。

 

「……クロム、ウェル?」

 

「そ!Mk.VIII巡航戦車、クロムウェル!苦労して手に入れた甲斐があったわ~♪ ほら、見て見てダージリン!かっこいいでしょ!」

 

 ダージリンは目の前にある2輌の戦車に思わず驚きの声を上げるが、アールグレイは気にも留めずはしゃいだ様子でダージリンの両肩に手を置いてぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

 しかし憧れたからこそ、聖グロリアーナ女学院の内情を事細かに調べたからこそ、ダージリンはアールグレイの振る舞いを咎める事もなく、眼前に並ぶ2輌のクロムウェルを、まるで信じられないものを目の当たりにしたかように言葉を失う。

 

「お、OG会の皆様はこの事を知っていらっしゃるのですか?」

 

 マチルダ会・チャーチル会・クルセイダー会の3つに分派している聖グロリアーナ女学院OG会。

 卒業生で構成されるこの3つの会派はその名の通り在学時代に乗っていた戦車に合わせて組織されており、ここ聖グロリアーナ女学院に対して多額の経済的支援を行っている。

 

 ここまでは問題ないが、その代わりにこの3つのOG会は学園艦の運営方針にも口出ししており、中でも最大派閥を誇るマチルダ会は戦車道チームの車両編成にまで注文をつける有様だった。

 そんな聖グロリアーナ女学院を取り巻くドロドロとした現実を知るダージリンだからこそ、この場に有るはずのない、あってはならない2輌に目を奪われてしまう。

 

 しかし導入した当の本人であるアールグレイは、なんだその程度のことか、と事も無げに笑っていた。

 

「もちろん、快く快諾してくれたわよ!」

 

「そ、そんなはずありません!だって、だってあの()()()が新規導入なんて許すはずが……」

 

「おぉ 言うわねぇ、ダージリン」

 

 あっ、と思わずダージリンは手で口を覆う。

 その様子を見てアールグレイは、後ろからダージリンを抱きしめるようにして気にしていない風に彼女の頭を撫でた。

 

「大丈夫よダージリン、今この時間は私達だけしかいないから それにしても……あのババア共の事まで知ってるなんて物知りね、尊敬しちゃうわ♪」

 

「ば、ババ……なりませんそんな言葉遣い! それより、どのようにして説得をなさったのですか?」

 

「私、()()()()()には強いから」

 

「魔法の? ……っ! いけませんわ!アールグレイ様は不良です!」

 

「んふふ~♪ ……あら?」

 

 腕の中で暴れるダージリンをアールグレイは愛おしそうに撫で続けていたが、ふとその手を止めた。

 ダージリンは怪訝な表情を見せて、アールグレイの胸元から急に撫でる手を止めた彼女を見上げる。

 そこにはスマートフォンを弄る、少し不機嫌そうに唇を尖らせたアールグレイの顔があった。

 

「アールグレイ様、どうされました?」

 

「もー、せっかくダージリンで遊んでる時に水を差さないで欲しいわね……」

 

「まさか、OG会から呼び出されて!」

 

「あ、違う違う! これよ、これ」

 

 流石に心配そうな表情でアールグレイを見上げていたダージリンの前に、スマートフォンの画面がかざされる。

 そこには、乱雑で句読点もまともに使われていない、とても聖グロリアーナ女学院卒業生が送ってきた物とは思えないメールの文章が映し出されていた。

 

「……練習試合、ですか?」

 

「そ 私の可愛い子犬ちゃんから」

 

「相手は……く、黒森峰じゃありませんか!」

 

「そうよ~ まったく、飽きもせず毎日毎日……嫌になっちゃう」

 

「それに、日取りは明日!? そんな事一度も伺っていませんよ!?」

 

「断ったら次の日に一方的に書類まで押し付けてきて……モテる女って辛いわねぇ」

 

 やれやれといった様子でダージリンの肩に頬杖を突きながらアールグレイはため息を漏らす。

 先ほどから、最近ようやく大声に慣れてきた喉を痛めつけつつ、驚きの声を上げているダージリンは、食い入るように見ていたスマートフォンの画面から目を外し、アールグレイの顔を再び見上げた。

 

「では……お断りするんですね、少し安心しました」

 

「んー……いや、受けよっか! ちょうどこの子の試運転もしたかったし!」

 

「へっ!?……コホンッ アールグレイ様、それは無理です。まだ一度もクロムウェルは動かしたことが無い上に、今日までの全体練習はずっと移動訓練だけですのよ?練習試合、それも相手が黒森峰だなんて……失礼ですが、正気とは思えませんわ」

 

 そう窘めるダージリンの言葉は、傍から見れば正論だった。

 一度も操縦したことの無い車輛をいきなり実戦で運用するというのは誰が考えても無理な話である。

 

 その上、ダージリンが言った通り今日までの訓練は部隊行進や陣地転換など、専ら移動に関する事のみしか行っておらず、行進間射撃どころか停止した標的に対する射撃すら今年度中は一度も行っていなかった。

 

 いくら経験のある上級生といってもブランクは生じるだろうし、あまつさえ新入生は入学してから初めて乗った車輛での砲撃は全く経験しておらず、練習試合どころの話では無いというのが今の聖グロリアーナ戦車隊の実態である。

 今のアールグレイの言葉を聞けば、ダージリンで無くとも動揺し同じことを言うだろう。

 

 だが、アールグレイは未読メールの通知ランプが付いたままのスマートフォンをポケットに仕舞いながら、あっけらかんとした声でダージリンに告げた。

 

「大丈夫よ 私、()()を淹れるのは上手なんだから」

 

「は、はい……?」

 

 そう言いながらアールグレイは自身の胸元にいるダージリンの頭を撫でながらはにかむと、ぽんぽんと彼女の頭を軽く叩いて戦車倉庫の出口に向かって一人で歩き始めた。

 

「じゃあ私、早速予定作ってくるわね~ あ、電気消してきて頂戴ね?ダージリン?」

 

「わ、わかりました……ではありません!お待ちください! ちょ、ちょっと待って……アールグレイ様っ!」

 

 呆気に取られていたダージリンは、はっとした表情を作ると扉の向こうに消えていく背中を追いかける。

 

 やっぱり嫌いだ、苦手な御人だ。

 そう心の中で呟くダージリンは、まるで腹の内が読めないアールグレイの行動に再び大きなため息を吐いた。

 

 

***

 

 

「にしても……きったない恰好ねぇ」

 

「いやごめんって!さっきまで土いじりしてたからさぁ アッハッハ!」

 

「あら、ガーデニング? まるで女の子みたいじゃない」

 

「いや、ここんところ毎朝自分で掘った穴を埋めさせられてて…… つうか女だよ!」

 

「……貴女、自分の隊で拷問でも受けてるの?」

 

 翌日、昨日の大雨が嘘のように雲一つない快晴となった空の下へ浮かぶ聖グロリアーナ女学院学園艦に作られた演習場には、ダージリン達新入生は初めて見る黒基調のパンツァージャケットに身を包んだ集団が、自分達の車輛と共に訪れていた。

 

 そしてその隊長と思われる人物は、威圧感や聖グロリアーナ戦車隊とはまた違った高尚さを漂わせるそのジャケットに土汚れを所々付けた姿で、ダージリンの眼前でアールグレイと話を弾ませている。

 

 品の無い御人ね。

 ダージリンがそう思って目を逸らすと、自分と同じ新入生と思われる二人の黒森峰戦車隊の隊員に目が行った。

 

「文香、お前今度はどこに行って……おい、何を買ってきた?」

 

「スコーンさ まほも一つ食べるかい?」

 

「そういう意味じゃなくて……試合前に何をしてるんだお前は」

 

「スコーンが風に乗せて私に語り掛けて来たんだよ 私を食べて、って」

 

 ぴしりと黒森峰のパンツァージャケットを着込んだ彼女、同学年で知らない者はいないだろう西住まほ。

 中学生時代の煌びやかな戦績を持つ彼女は言わずと知れた西住流、その本家の長女で、卓越した能力を持つ彼女を一目見た聖グロリアーナ戦車隊の1年生達は、思わず固唾を飲む。

 

 しかし、ダージリンはその横にいる、楽しそうな笑みを浮かべながらまほとじゃれている少女に注目した。

 

 パンツァージャケットは身に着けず、ワインレッドカラーのシャツを着崩した彼女。

 中学生大会には一切姿を見せていなかった、そして西住流と対を成す一大流派である島田流宗家の長女、島田文香その人だろうとダージリンが推測する少女は、スコーンを腕一杯に抱えながら、飄々とした様子でまほの隣に並んでいた。

 

 ()()()は本当なのか、そう思ったダージリンはアールグレイ達に一礼して二人に近づいていく。

 

「そもそもそんなに買ってきてどうするんだ?そろそろ試合も始まるぞ」

 

「あぁ その事かい?」

 

「まさか食べきれるとか言うんじゃないだろうな? いや、でも普段の食事量を考えれば不可能じゃない、か……?」

 

「……たすけて」

 

「えっ」

 

「あの、もし?」

 

 軽く目尻に涙を浮かばせて震える少女と、その様子を見て固まっていたまほにダージリンは声を掛けた。

 すると二人は揃ってダージリンに顔を向け、怪訝そうにその様子を伺う。

 

「私は聖グロリアーナ女学院のダージリンと申しますわ 貴女はもしかして西住まほさんではなくって?」

 

「あぁ、いかにも 私が西住まほだ」

 

「そう ごめんなさい、お話に水を差すように声を掛けてしまって それで、そちらの貴女は?」

 

「名前……そんなものに縛られる必要は無いんじゃないかな?」

 

「……はい?」

 

 文香の突拍子も無い言葉に思わずダージリンが眉を顰めて首を傾げる。

 すると、まほが手慣れた動きで文香の頭を手に持っていたクリップボードでスパァンッ、と叩いた。

 

「コイツのことは文香でいい それに、私の事も名前で呼んでもらって構わない……よろしく頼む、ダージリン」

 

「よろしくね、ダージリンさん ……まほ、()は駄目だよ」

 

「え、えぇ……よろしくお願いするわね まほさん、文香さん」

 

 素知らぬ顔でクリップボードを小脇に抱え直したまほと、そんな彼女に涙目ながら直立不動で抗議する文香からそれぞれ挨拶を交わされる。

 調子を狂わされたダージリンは、苦笑して返事をすることしか出来ず、改めて文香がどういった人物か尋ねようと口を開いた。

 

「それで 文香さんって、もしかして……」

 

「っしゃああああ!! 頑張るぞみんなああああああ!!」

 

「きゃっ!?」

 

 しかし、そんなダージリンの質問は後ろから近づいてくる大きな叫び声にかき消される。

 急な大声に思わずびくっと飛び上がったダージリンは、息を飲みながらもその声の主を探して振り返った。

 

「あれ?なんでアールグレイんところの子がいんの? まほちゃんとフミちゃんの友達?」

 

「逸見隊長 いえ、今……」

 

「友人かどうか、それは私達が決める事じゃないよ セナさん」

 

「ん?どゆこと?……まぁいっか! ほら、もう試合始まるよ~帰った帰った!」

 

「え、えぇ……コホン 失礼しましたわ それじゃあまほさん、文香さん、また後程」

 

 近づいてくる黒森峰の隊長、セナに一礼すると顔を合わせないよう少し俯いたままダージリンはその場を返事も待たずに後にする。

 そして自身が身を置く聖グロリアーナ戦車隊の方へ戻ると、既に搭乗を開始していたようで隊員達は自分達の車輛へと歩き出していた。

 

 ちらりとアールグレイの方を一瞥すると副隊長と何かを話し合っているようだった。

 だが、そのほのぼのとした空気感を感じ取ると、どうせいつもの無駄話だろうと視線を外し、ダージリンは自らが車長を努めるチャーチルへと歩を進める。

 

 まともな訓練もしていないんだ、それに相手はあの黒森峰、勝てるわけがない。

 

 そう思いながらキューポラから車長席へと移り込んだダージリンは、座りながら車内の様子を伺う。

 

 チャーチルには同級生にして親友のアッサムと、操縦手と装填手をそれぞれ務める先輩達が既に乗り込んでいた。

 アッサムは緊張しているのか、射撃装置の点検を何度も繰り返していたが、先輩達は談笑しながら紅茶を楽しんでいる。

 

 そう、勝てるわけがない。あんな隊長の下で、こんな堕落した部隊で。

 

 膝の上に置いた手に力が入った。

 ダージリンは先輩達に聞こえないよう、こっそりとアッサムに話しかける。

 

「……アッサム、聞いて頂戴」

 

「なんですか、ダージリン」

 

 緊張からか、やや震えている声でアッサムは応じてくれた。

 先輩達はちらりとこちらの様子を見ると、それぞれのハッチから外へ出ていく。

 

 好都合だ。

 そう言わんばかりに、ダージリンはアッサムの方へやや身を乗り出して話を続けた。

 

「貴女、この学校は好き?」

 

「……なんですか?藪から棒に」

 

「お願い、答えてアッサム ……私は好きよ、ここにいる先輩方は気品に満ち溢れていて、貴女も含めて御学友の皆さんは私と同じように淑女として己を磨こうと努力するこの学校が。そしてそれを自慢せず、驕り高ぶらず、ただ慎ましく貞淑に過ごすこの学校が」

 

 突拍子の無い質問に、アッサムは最初は思わず眉を顰めたが、ダージリンの今まで以上に真剣な、そして思い詰めているような目と目が合う。

 

「……はい、私も同じですよ ダージリン」

 

 気圧されたかのように答えてしまったが、その言葉は紛うことなき本心だった。

 その返事に、ダージリンはほっとした様子で息を吐く。

 

「そう、安心したわ ……なのに、この隊の有様はなに?落ち着きが無くて、姦しくて、ただの一度も気品を感じさせたことの無い隊長。皮肉屋で、がさつで、大雑把な副隊長。そして、それに喜んで付き従う先輩方。こんなものがこの学校の花形なの?こんな醜い隊が私達の好きな学校の象徴なの?……そんなの、あんまりよ」

 

「……ダージリン」

 

 膝の上に置いた震える手に涙が零れる。

 理想だった、憧れだった聖グロリアーナ戦車隊のパンツァージャケットを、ダージリンは自分の涙で濡らしていく。

 そんなダージリンの手に、アッサムの手が重なった。

 

「ダージリン、貴女はどうしたいの? ()()は貴女よ」

 

 優しくも力強い、そんなアッサムの言葉を受けダージリンは顔を上げる。

 そこには微笑みを浮かべた、まさに優雅で温かい笑みを浮かべたアッサムがいた。

 

「……わたしは、いえ 私は変えるわ、この隊を。そしてもう二度と、私のように失望するような人が出ないようにしたい。何よりも、私が大好きなこの学校に、皆さんに恥を掻かせたくないの。その為にはなんだってするわ。辛酸を舐めるような事になっても、()()()()に歯向かう事になっても、他人を利用することになっても、あの隊長の命令を無視しても構わない」

 

 そう述べるダージリンの目に涙は残っていない。

 その目には小さな、それこそ生まれたばかりの闘志とも言うべき火が灯っていた。

 

「こんな私に、付いてきていただけるかしら アッサム」

 

 力強く、そしてどこまでも猛々しく凛々しい表情でダージリンはアッサムに問う。

 

「……えぇ、貴女がそこまでの考えをお持ちなら 一緒に背負いましょう、ダージリン」

 

 そのビリビリとした迫力を受けアッサムは再び気圧される。

 しかし、次の瞬間にはダージリンの手の甲に添えていた手をぎゅっ、と包み込むように力を入れ彼女に応えた。

 

 丁度その時、車外に出ていた先輩達も戻ってくる。

 それぞれの席に付く先輩達を横目に、ダージリンはアッサムへ一言礼を言ってから車長席に改めて座り直した。

 

「ありがとう、アッサム ……さぁ、行くわよ」

 

 試合開始を告げる空砲。

 既に乾いたパンツァージャケットの袖を伸ばし、ダージリンは前を見る。

 若く、幼い闘志を宿したどこまでも初々しいその目は、16歳の少女の顔を美しく彩った。

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