──白旗が、まるで雲のように青空へ掲げられていた。
「ぐぅぅ……くっそぉぉぉ!!また負けたぁぁっ!!」
その旗を見てセナは心底悔しそうな声で叫ぶ。
しかしその顔はとても満足そうに、そして嬉しそうに笑っていた。
「ねぇ
クロムウェルのキューポラへ前のめりに頬杖をつき、アールグレイは空になったティーカップを見せつけるかのように指で振る。
そして、からかうようにはにかむと、アールグレイはその笑顔を崖の下で吼えているセナに投げかけた。
『あ……アールグレイ、さま……わた、くし、私そんな、そんなつもりじゃ……』
その時、憔悴しきったダージリンの声が、セナを見下しながらスコットランドマーチを口ずさむほど上機嫌なアールグレイの耳に届いた。
そのあまりにも打ちひしがれた、すぐにでも泣きだしてしまいそうなほど震えている声に思わずアールグレイは吹き出しそうになる。
だとしたらちょっとショックね、とアールグレイは自身が身体を預けているクロムウェルの装甲にうっすらと反射する自分の顔を覗き込むように見た。
うん、見惚れちゃうくらい完璧で、いつも通りの眩しくて美しい笑顔じゃない!
そう自分の顔を自画自賛してからアールグレイはダージリン達の乗った、
『ご、ごめん、なさ……ごめん、なさ、』
「ごめんダージリン、飲み終わっちゃった 帰ってティータイムにしましょ?」
『っ! ごめんなさい……!ごめ、んぅっ!うぁぁあああんっ!!ごめんなさいっ!!ごめんなさぃぃっ!!』
その残酷なまでに優しい笑顔を当てられ、ダージリンは箍が外れたかのように泣きじゃくる。
「もー、いつまで泣いてるのよ ほら帰るわよ?……あ、それより架橋設備の手配をお願いしてもいい?……ダージリン?」
普段の彼女からは想像できない、子どものように声を上げて泣くダージリンの声。
さらにその後ろから聞こえてくるアッサムの泣き声に、アールグレイは愚図る子供に困った母親のような笑みを零す。
『あー、るぐれ、さまぁっ!ごめんなさいっ!わたくし、もうしわけっ、うぁぁあああっ!!』
「あっはは……駄目だこりゃ ……あーぁ、こんな事なら追加の紅茶を魔法瓶にでも淹れて持ってくればよかったわね……」
がっくりと項垂れるようクロムウェルに再び頬杖をつくアールグレイの惨めな声と、愛すべき後輩達の泣き声を聞きながら、セナの落ちた崖を囲むように展開していた他の聖グロリアーナ戦車隊の面々は微笑ましいものを見るように紅茶を楽しんでいた。
***
──試合の過程は、あまりよく覚えていない。
覚えているのは、試合結果と私の粗相。
そして、初めてきちんと伺ったあの御方のお話だけだ。
「落ち着いた?ダージリン」
「……はい、ご迷惑おかけして申し訳ありません」
「あっはは、いいのいいの! それにしても……ダージリンは案外泣き虫さんね」
「……うぅ」
どこまでも続くように広がっていた空には、既に夕陽が差し込んでいた。
辺りをオレンジ色に包み込む光は回収車に乗せられたクロムウェルと、そこへ腰を掛けて紅茶を嗜むアールグレイ達を照らし出す。
行儀悪く脚を組んでいるアールグレイだったが、その横で回収車の上に体育座りをしているダージリンはそれを嗜めるような事はせず、赤くなった顔を隠すように膝へ埋めていた。
回収車は学内の戦車倉庫前に停められていたが、整備などは明日行うことになり他の隊員達は既に解散し、辺りにはダージリンとアールグレイ以外の人間はいない。
「んー……ねぇ、ダージリン」
「は、はいっ」
申し訳なさか、それとも恥ずかしさからか顔を上げないダージリンの様子を見て、アールグレイは唇に手を当てて少し唸るが、すぐ何かを思いついたかのように表情をぱぁっと明るくしてダージリンへ声を掛ける。
「貴女、チェスってやったことある?」
「チェス、ですか? いえ、ルールくらいは知っていますが実際には……」
予想外なアールグレイの話題に、ダージリンは顔を上げて彼女の方を見た。
アールグレイは既に飲み終わって弄んでいたティーカップを回収車の上に置くと、自身の膝に頬杖を突きながら話を続ける。
「そ じゃあ少しだけ教えてあげるわ。チェスってね、クイーンが異常なくらい高い価値を持ってるの。それこそクイーンを無駄に取られちゃったら即降参するくらいに」
「……はい」
そう言われてダージリンはアールグレイの方へ向けていた顔を再び膝に埋める。
こんな嫌味を言われても仕方がない、それほどの事をしたんだから甘んじて受け入れよう、そう考えるダージリンの目には再び涙が浮かんでいた。
「この学校と同じよね」
「……へっ?」
しかし、続くアールグレイの言葉を聞くと、ダージリンは考えてもみなかったその言葉に思わず少し驚いたようにまた顔を上げてアールグレイの方を見る。
アールグレイはダージリンと顔を見合わせると、いつものように無邪気にはにかんで何かが可笑しそうに話を続けた。
「だってそうじゃない この学校のキングは置物、実質的な権力を握ってるのはクイーンよ。知ってる?この学園艦の運用資金の半分以上がOG会からの支援で成り立ってるのよ?クイーンがいないと何にも出来なくなるのは、チェスもこの学校も一緒よ、一緒」
「は……はぁ」
「馬鹿馬鹿しいったらありゃしないわ、ホントに。たかが一つのクラブのOG会よ?そんな行き遅れたババァ共が私達のドクトリンに干渉して、勝手に車輛も調達して、挙句の果てにはこの学校の運営にも口出ししてるなんて……不快よ、不愉快極まりないわ。それこそ紅茶にタバスコぶっかけられるようなモンよ、っと……きゃあっ!?」
「アールグレイ様!? だ、大丈夫ですか!?」
話をしながらアールグレイが腰かけていた回収車から飛び降りると、大した高さでも無いのに脚をもつれさせ転んでしまう。
急いでダージリンも回収車から飛び降り、ティーカップを地面に置いてアールグレイを助け起こそうと駆け寄った。
「いったた……やっぱり運動は向いてないわね、私」
「無理をなさらないでください!お怪我をしたらどうなさるおつもりですの!?」
「……ねぇ、聞いてダージリン」
「きゃっ……!?」
慌てて飛び降りた際に乱れた着衣など気にも留めず、ダージリンは地べたに膝をついてアールグレイに手を伸ばす。
するとアールグレイはその手を掴んで思いっきり引っ張り、ダージリンを自分の胸元に引き込んで抱き抱えた。
驚きのあまり声を失っているダージリンを、ぬいぐるみのように抱いて座り込んだまま、アールグレイは自分の顔を見られないように彼女の肩に顎を乗せて口を開く。
「だから、私はクイーンになるの」
そう話すアールグレイの声はどこか熱の入った、おおよそ冗談を口にしているような雰囲気ではない真剣なものだった。
ダージリンはアールグレイの顔を見上げようとするが、彼女に頭を撫でるように押さえつけられ、仕方なくアールグレイの胸元に身を預け話を聞く。
「私はこの学校が好きなの、こんな変わり者の私を好いてくれて、慕ってくれて、一緒にいてくれる皆が好きなの。だから恩返しがしたい、だからババァ共の言いなりになってる暇なんてないのよ、私は」
「……はい」
「この学校のクイーンに相応しいのは誰?OG会のババァ共? そんな訳ないわ。私よ、この聖グロリアーナ女学院戦車隊隊長の私が、いっちばんクイーンに相応しいに決まってるでしょう!」
「……っ!」
──この御人は誰よりも私に似ている……いえ、違うわ。
腕の中で抱かれながらダージリンは一瞬そう思ったが、すぐにその考えは自身の中で取り消した。
「違う?違う訳ないわ、この学校の伝統を守ってる戦車隊の隊長なんだもの、誰にも文句は言わせない……なんておこがましい考えを持ってる私が、クイーンなんてなれるかしら?」
「なれます! アールグレイさまなら……絶対なれますわ」
「あら?力強い即答ね ふふっ、ダージリンにそう言って貰えると嬉しいわ♪」
「……本気、ですのよ?」
「あっはは! ありがと、ダージリン」
だって この御人……いえ、この御方は――
「あ、そうそう チェスといえば、もう一つダージリンに教えておきたい事があるのよ」
「へ? わたくしに……ですか?」
ダージリンの無言の独白は、鼻歌を口ずさみながら彼女の頭を撫で続けていたアールグレイが何かを思い出したかのように話しかけてきたため中断される。
「えぇ 貴女はまだまだポーン、はっきり言って有象無象の一つよ」
アールグレイの手に込められていた力がふっと抜け、ダージリンは彼女の顔を見上げた。
するとこちらを見下ろすアールグレイと目が合う。
その表情はダージリンを責めている様子は無く、皮肉や嫌味を言っているような顔でもない、今日までの1ヵ月で見飽きるほど見せつけられた、いつものはにかんだ笑顔だった。
「アールグレイ、さま?」
「ただね? ポーンは進み続ければ、クイーンにだってなれちゃうの」
「……はい」
──この御方は私と違って、どんな時でもこうやって笑っているんですもの。
ぎゅっと、ダージリンはいつの間にか軽く掴んでいたアールグレイのジャケットを握り込む。
「自分を信じて進み続けなさい、ダージリン。 貴女なら、立派なクイーンになれるわ……ま、私ほど立派じゃあ無いかもだけどね♪」
そう言って冗談っぽく笑うアールグレイのはにかんだ笑顔が、ダージリンにとってはたまらなく眩しかった。
──全部分かっていたんだ。私がアールグレイ様を嫌っていたことも、私がこの戦車隊を軽蔑していた事も、私が命令をいずれ無視するかもしれない事も、この御方は全て見越していたんだ。
ダージリンはアールグレイに顔を見られないよう俯き、彼女の胸元を濡らしながら今日の練習試合で目にした物全てを振り返っていく。
──それなのにわざとこの御方は、そして先輩方は私を好きにさせたんだ。
でないと何故私がアッサムに話しかけたタイミングで先輩方が席を外したのか、何故止めることも出来たはずの先輩方が私の命令違反を見逃したのか、何もかも説明が付かないもの。
「……っ、はい……っごめんなさい……!」
「えぇっ、なんで泣くの!? かっこつけた私がバカみたいじゃない……もー、せっかくの可愛い顔が台無しよ?」
「ごめっ、なさ……!っ、ごめっぅぁぁああっ……!」
「ちょちょちょ、ごめんね?ごめんね!?お願いだから泣かないで!ほらよーしよし、よーしよしよし」
──そんな御方を私は馬鹿にして、内心では自分の方が優れていると見下して……醜いのはどっちよ。
背伸びして身に着けた所作で自分を着飾って、上辺だけの言葉を取り繕って、見せかけの気品を纏って私は何をしていたの?節穴もいい所じゃない!
そう自責するダージリンは、自分の不甲斐なさや思慮の浅さに呆れるように再び声を洩らしながら泣き始める。
するとわたわたと取り乱した、おおよそ優雅とは言えない様子でアールグレイがダージリンの頭を抱き寄せると、涙で潤んだダージリンの視界は初めて紅茶の園を訪れた時と同じように赤い色で暗く押しつぶされていった。
初めてアールグレイと出会った時に見たものと同じ光景にダージリンは驚いたように泣き止み、そして涙を目に湛えながらも何かが可笑しそうに微笑む。
──あぁ、本当にこの御方はどんな時も自分を着飾らないんだな。
自分とは正反対の性格を持っているアールグレイ、そんな彼女への思いを改めながらダージリンはアールグレイを見上げる。
その時、本当に見慣れた、いつものはにかんだ顔を見せるアールグレイが少し意地悪そうな口振りで口を開いた。
「ふふっ 落ち着いた?」
「あっ…… 何度も、何度もお見苦しい真似を……申し訳ありません」
「いいのいいの!私ってば子育ても向いてるのかしらね? ふふっ」
「お、お戯れが過ぎますわ! アールグレイ様はいじわるです……」
「あら、いつものダージリンに戻っちゃった残念…… でもま、丁度いいし最後に一つ教えてあげる。いつかクイーンになる気があるなら覚えといて損は無いわよ?」
そういってアールグレイは抱き抱えていた腕を放し、ダージリンの頭をぽんっと軽く小突いてから立ち上がる。
今までだったら嫌がるように顔をしかめるダージリンだったが、今はただアールグレイの事をじっと見つめ続け彼女の次の言葉を待っていた。
「
夕陽に照らされながら、そういって歯を見せてはにかむアールグレイの笑顔をダージリンは一生忘れる事はないだろう。
──この御方は私と同じようにこの学校が好きで、
私と違ってどこまでも着飾らず、どこまでも美しい人だ。
アールグレイを見つめるダージリンの瞳には、紅茶の園という漠然とした存在に憧れていた頃の光が灯っていた。
「──はい!」
ダージリンがアールグレイの言葉に心から応えたのは、これが初めてだった。
後に、無冠の女王とも称されるダージリンの初戦は、味方フラッグ車誤射というあまりにも無残な結果となる。
ただ、この日得た経験こそが後の彼女を作り上げる全ての原型ともなっていた。
「そういえば『涙で目が洗えるほどたくさん泣いた女は、視野が広くなるの』……って、誰か偉い人が言ってたわ。だからダージリンなら大丈夫ね」
「……どなたの、言葉ですの?」
「さぁ?気になるなら格言集でも借りてみれば? 案外いい勉強になるかもしれないわよ」
この日、ダージリンが既に最も尊敬するべき人として見ているアールグレイが適当に言い放った言葉は、後の彼女に多大な影響を及ぼすことともなった。
***
「アッサム」
「……ダージリン?どうかなさいました?」
後日、午後の練習中にダージリンは車長席へ腰掛けながらアッサムに話しかける。
その声はアッサムだけでなく、車内にいる他の先輩達にも聞こえるほどはっきりとしたものだった。
待機中だったこともありアッサムは砲手席からダージリンの方へと振り返ると、やや険しい表情でこちらを見ている彼女と目を合わせることとなる。
急な呼び掛け、そして少し緊張しているようなダージリンの様子を見てアッサムが怪訝そうに話しかけると、ダージリンはバッと勢いよく頭を下げた。
「……ごめんなさいっ!」
「……? ど、どうされました?」
何か謝られるようなことをされた覚えもないアッサムは、更に困惑したような声色でダージリンへ問いかける。
しかしダージリンは頭を下げたまま、それ以上何も言わないアッサムと、静かに前だけを見ている先輩達に向けて言葉を続けた。
「わたくし……いえ、わたしはどうしようもないほど驕り高ぶった人間よ。なんの意味もない外面だけを取り繕って、体裁だけを気にして本質も見抜けない大間抜け、ずっと近くで見ていたモノの価値も分からない愚か者がわたしよ。そんな人に、このダージリンという大層な名前は必要ないわ」
「……ダージリン、まさか」
戦車道を辞めるつもりじゃ、そう言おうとしたアッサムだったがその言葉はすぐ口の中へ飲み込む。
彼女にそうさせるほどダージリンの目は力強くアッサム達を見据え、その表情は毅然としたものだった。
「でも、私は諦めないわ。確かに私は愚か者かもしれない、未熟なんて言葉だけでは片付けられない程の無能かもしれない。けれどこの学校に、ずっと焦がれていたこの隊に入ったんだもの……ここにいれば本物というものを学べるかもしれない。そして何よりわたしはあの御方の……アールグレイ様の背を、この足で追いかけたいの。こんな我が儘なわたしが……こんなわたくしが本物のダージリンになれるまで、どうか一緒にいて アッサム」
ダージリンと名を受けただけの少女の決意表明ともいえる言葉を受けて車内は静まり返る。
アッサムは初めて見るそんな彼女のなり振り構わず、何も着飾らずに自身の胸の内を晒け出した様子に何も言えず口を閉じたままだった。
「……そういえば、確かタロットには愚者というアルカナが存在するのよ」
すると、装填手を務める先輩が静寂の中、無線機を調整しながら口を開く。
「負の位置では夢想・愚行・軽率という意味が……正位置では純粋・自由・可能性、そして型にはまらないという事を意味するんですって 不思議ね」
「あら、急にどうしたの?」
「なんとなく思い出しただけよ、他意は無いわ」
装填手と操縦手はただ談笑するように淡々と会話を行い、再び口を閉じる。
ただその会話が何を意味するか、どういった意図で行われたのかはダージリンとアッサムに十分伝わった。
静かに見守られていた、そしてこんな私にまだ期待してくれている。
ダージリンが静かに目を閉じながら先輩達へ感謝の念を感じていると、ふと視線を感じる。
その視線の方へ顔を向けると、そこにはダージリンへ微笑みかけるアッサムの姿があった。
「ダージリン 私は先日、貴女に申し上げたでしょう?車長は貴女だとも、一緒に背負うとも」
そう言う彼女の表情は先日の練習試合が始まる前にダージリンへ見せたものと全く同じ、優しく温かい慈愛を湛えたものだった。
「っ……いいの? わたし、また今日みたいに間違えるかもしれないのよ?」
「間違いを犯さない人なんていませんよ」
「貴女に迷惑を掛けるかもしれない……それこそ貴女が傷つくような事に巻き込んでしまうかもしれないわ」
「構いません」
迷いなく返答するアッサムをこれ以上直視出来ないとでもいうようにダージリンは俯く。
その肩はわずかに震えていた。
「……そう、ならアッサム これからもわたしの……いえ、
「はい、付き合いましょうとも ですから……それだけの御人になってください、ダージリン様」
「……ありがとう あり、がと……っ」
「もう ダージリン、そんなに泣いては癖になってしまいますよ?」
「泣いてなんか、ないわよ……!」
少し呆れたように息を吐いてからアッサムは困ったように笑いながら、スカートを握り込んでいるダージリンの手の上にそっと手を添えた。
そんな二人に気付かれないよう、先輩達はティーカップに口をつけながら小声で会話を始める。
「……ねぇ、カモミール 正位置の愚者って、たしか天才という意味もあるんじゃなかったかしら?」
「うふふっ、それを言うとなんとなく少し悔しいじゃない 先輩のちょっとした意地悪よ」
操縦手を務める彼女の言葉に苦笑しながら通信手が無線機に手を伸ばし練習から離脱することを告げると、先輩達は再び静かにティーカップを手に談笑に耽っていった。
***
「それじゃあホントに、ご迷惑おかけしました!」
「いえ、そんな お見送りも満足に出来ず、申し訳ありません」
「ほらミカ!こーんなにお土産貰ったんだぞ!?だからもう正気に戻ってくれぇ……」
「心配には及ばない ただ、たまには昔の声を聞いて自分を見つめ直すのも大切なことだと思っていただけさ」
「「あ、良かった いつものミカだ」」
止む気配の無い雨空の下、聖グロリアーナ女学院のエントランスホールに備わっている扉には6人の人影があった。
赤いパンツァージャケットを身に着けた3人は扉の縁に立ち、外へ繋がる階段に立ってこちらへ礼を述べる水色基調の制服姿の少女達3人を見送る。
制服姿の少女達の中で一際目立つ、チューリップハットを被りカンテレを脇に抱えているミカの言葉にアキとミッコは、いつもの調子で意味の分からない事を言う彼女の様子に安堵のため息を吐いた。
しかしミカの目はパンツァージャケットを纏う少女達の中心にいる彼女、ダージリンを鋭く見据えている。
「……だろう?ダージリン」
「……そうね お陰様で一つ、大事な事を思い出したわ」
会話を交わす二人は互いに微笑みを湛えながらも、その眼はしっかりとお互いの瞳を射抜いていた。
再び一瞬の沈黙が流れる。
ただその沈黙はすぐにミカが口を開いたため打ち破られた。
「それは良かった じゃあ、失礼するよ」
「えぇ、御機嫌よう ミカさん」
互いに社交辞令を口にし、ミカが軽くチューリップハットを手で持ち上げて一礼してから背を向ける。
それを合図にアキとミッコも振り返って、ミカに何事か文句をぶつけながらエントランスホールを後にしようとした。
「『二流は自己の振る舞いや言葉を着飾るが、一流は何もせずとも他者にその印象を抱かせる』」
その時、ダージリンが唐突に口を開く。
思わずぴたりと足を止め、ミカは振り返らずにそのままダージリンと言葉を交わした。
「……その言葉は初耳だね 誰の言葉だい?」
「
「……さて、どうだろうね」
少し寂し気な声色でミカはそう言うと、今度こそアキとミッコを連れて去っていく。
オレンジペコが見送りの為にその後ろ姿を慌てて追いかけていく光景を横目に、アッサムはどこか遠くを見つめるような目をして隣に立っているダージリンに話しかけた。
「いいのですか?」
「……なにが?」
「このまま文香さんを帰して」
「いいのよ 私、嫌いな人ほど恋焦がれるタイプみたいなの」
「そう言うわりには、随分と仲がよろしかったようですが?」
「……意地悪ね、アッサム」
「嫌いな人ほどお好きなんでしょう?」
「……はぁ 私、お蔭様で友人には恵まれたようね」
「今日、貴女が素直になれなかった罰だとでも思ってください ダージリン
「ほんっと 嫌いよ、アッサム」
「ふふふっ」
少し拗ねたようにそっぽを向くダージリンの様子を見て、アッサムは二人きりの時にしか見せない少し意地悪そうな笑みを浮かべながら空の様子を伺う。
降りしきる雨。
今日は止みそうにもない生憎の土砂降りと、親友のこじれた交友関係を重ねたアッサムは、一人呆れたように目を瞑る。
***
「誤射なんて、気にすることないさ」
「貴女は……島田さん、でしょうか?」
「文香でいいよ アッサムさん」
練習試合後、撤収作業も佳境に入りダージリンを探していたアッサムは文香に呼び止められていた。
急に呼び止められ、あまつさえ名前まで知られていた事にアッサムは少なからず驚いたが、それよりも文香の不躾とも言える歯に衣着せぬ物言いに顔を顰める。
「……突然、なんでしょうか あれは私のミスです。ダージリンは関係ありませんよ」
「あぁ、そういうつもりは無いよ ただ……目を瞑ったままだといずれ何かにぶつかってしまう、という事を言いたかったんだ」
「……なるほど、お気遣い感謝いたします」
遠回しな激励に数瞬呆けながらもアッサムは素直に礼を言う、しかし文香は自販機の横にあったベンチに腰掛けながら更に話を続けた。
「それに私は、一度に29もの味方車輛を撃破したこともあるんだよ それに比べれば些細なことさ」
「は……?」
「ふふっ 冗談だよ」
その突飛な言葉に今度こそアッサムは呆れたように声を洩らしたが、その様子を見た文香がくすくすと手を口に当てて笑っている様子を見て、アッサムは軽く彼女を睨みつけながら問いかける。
「……それで文香さん、私に何か御用が?」
「ううん、ダージリンさんが私に聞きたいことがあったみたいだからね」
「ダージリンが? ……申し訳ございませんが、日を改めて頂いてもよろしいでしょうか?今の彼女は……」
「彼女にも今度言うつもりさ ただ、遠目で私を見ていた君も、何か聞きたそうにしていたから声を掛けたんだ」
そう言いながら、文香は手に持っていたジュースを口に付けた。
どこかのほほんとした彼女の様子に思わず気を緩ませそうになったアッサムだったが、ダージリンと試合前に会話していた時、遠く離れた位置にいた自分の様子まで観察していたという文香に若干の戦慄を覚える。
整列していたとはいえ100m程度離れた相手の様子を、それも他にも沢山の隊員がいた中で、確かに文香へ一つの疑問を抱いていたアッサムを見抜き、更にその顔まで覚えていた彼女にある種の恐怖心を抱きながらも、アッサムは臆せずにその一つの疑問を投げかけた。
「……文香さん 貴女は何故こちらへ進学をなさらなかったのですか?貴女のお母様は……いえ、そもそも何故黒森峰に?」
島田流のお膝元である群馬県には島田流が出資している学園が存在しており、もし文香が高校に進学するとすればこの学園か、若しくは島田流現家元である島田千代の母校であるグロリアーナ女学院へ入学するだろうと予想されていた。
しかし現に今、黒森峰のジャケットを腰に巻きワインレッドのシャツの袖を捲り上げている文香は答えを誤魔化すように微笑みながら口を開く。
「ふふっ、風は気まぐれなものさ それか……台風の目がこちらにあったからかもね」
「台風の、目? ……なんのことでしょうか」
「さぁ? 彼女が言い始めたことさ」
そう言いながら文香はアッサムの後ろへ指を指す。
アッサムが振り返ると、そこには息を切らしながらこちらへ駆け寄ってくるまほの姿があった。
「ふみ、か……っ お前……なんで、こんな所に……」
「お疲れ様、まほ」
「お疲れ様じゃ、ない……はぁっ……はぁっ……どこまで、探したと思って……」
西住まほ、アッサム達の代では名を知らない人はいないトップスター。
冷静沈着で端正な顔立ち、そして圧倒的な実力を持っていながらもそれらを誇示しない彼女は、男性ファンよりも女性ファンの方がかなり多い。
そんなイメージのある彼女が両膝に手を吐いて肩で息をしている姿を目の当たりにして、アッサムは言葉も無く目を丸くしていた。
文香は、そんなアッサム達の様子を面白そうに見つめながらジュースを飲み終えると、立ち上がりながら二人へ声を掛ける。
「さ、行こうか」
「はぁっ……はぁ……待て、まって文香……息が……」
「ゆっくり整えながら歩けばいいさ どうせじっくりと見て回るんだからね」
「はぁ……はぁ…………は?」
「外泊届は出しておいたよ」
「待て 待て文香、話が見えない」
膝に置いていた手を、今度はこめかみに置きながらまほは文香に詰め寄った。
しかし、当の文香は澄ました顔で微笑みながら空き缶をゴミ箱に投げ捨てつつ、まほに殴られる前に腕を組んでアッサムに手を伸ばす。
「おい文香! こんな事、蝶野副隊長が許すわけ……」
「セナさんに身代わりになってもらうさ さぁ、アッサムさんも行こう。まずはダージリンさんを探しに行かないとね」
そう言う彼女に差し伸べられた手を見ながらアッサムは、何を考えているのか分からない文香に問いかけた。
「えっと……文香さん?その、西住さんを連れて何をするつもりなのでしょうか」
「うん? せっかく聖グロリアーナに来たんだ、観光して帰らないと……それに、どうせなら友達も増やしたいからね」
「観光って、文香お前……」
「ふふっ 息抜きの仕方を教えるって言ったろう?たまには風に身を任せるのも大切なことだよ」
「……はぁ」
「決まりだね それじゃあアッサムさん、道案内を頼んでもいいかい?まずはダージリンさんを探さないと……校舎かな?だったら紅茶を飲んでみたいなぁ、それから……」
ため息を吐いて軽く項垂れるまほの横で、本当に楽しそうな笑みを零しながらつらつらと自分のやってみたいことを述べていく文香の顔を見ると、アッサムは思わず文香の手を取っていた。
雲一つないオレンジ色の空。
その夕陽はまだ幼い少女達を煌々と照らし出しながら水平線へと消えていった。
あとがき(読み飛ばしていただいても全く問題ありません)
おぉ……もう……(事後修正の嵐)
まずはここまでお読みくださいまして本当に感謝いたします。
こんな感じで既存キャラは捏造改変が目立ち、オリキャラも多数出てきますが、これから先もご愛読していただけましたら幸いです。