神世紀二百九十九年の正月を迎えた。
ここ何年か、鵜養家は元旦に鵜養の本家へ挨拶へ向かうのが恒例行事となっていた。
今年も例年どおり、父母と妹は鵜養の本家へと向かった。
だが、貴也は今年はそれを断った。
乃木家を訪問するつもりだったからだ。
園子の父、紘和は多忙な身の上である。そのことは貴也も重々承知していた。
だから、紘和を確実に押さえるには乃木家本家の当主であることを踏まえ、元旦に親戚や知人からの訪問を受けるタイミングしかないと考えていた。
乃木家を訪問するのは約二年ぶりである。
少々緊張しながら、インターホン越しに執事へ訪問の旨を告げる。
意外なほど、あっさりと玄関までは通してもらえた。
暫く待っていると、紘和と奥方がやって来た。
後になって思うに、こうして貴也と面と向かって会ってくれたこと自体、貴也に対して相応以上に配慮してくれた結果だったのだろう。
だが、その時の貴也にはそこまで考えを巡らす余裕はなかった。
「あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします」
「あぁ、おめでとう。――――――君が何故、ここにやって来たかは承知しているつもりだよ」
「なら、そのちゃんに会わせてください。そのちゃんは無事なんですか?」
「君が、これまで園子にしてやってきてくれたことには感謝しているつもりだ。だが、君を園子に会わせてやるわけにはいかない。園子のことは忘れてやってくれないか? 本人も、そう望んでいる」
そう無表情に返された。だから、反発するしかなかった。
「どういうことですか! そのちゃんに何かあったんですか! そのちゃんが、そんなことを言うなんて信じられません! 教えて下さい。何があったのか。自惚れでなく、僕にも何か出来ることがあるかも知れません。お願いです」
「もう、遅いんだよ。なにもかも。――――――今、言ったように園子も、貴也くんには自分のことを忘れてほしいと言っているんだ。それに、私たちにも君に、園子を会わせてやれる
とりつく島もなかった。そのかたくなな態度に、どうすることも出来なかった。
肩を落として帰るしかなかった。
踵を返し、玄関を出ようとしたところで、後ろから紘和の絞り出すような声が聞こえた。
「ありがとう、貴也くん。君にここまで想ってもらえて、園子は幸せ者だったのかもしれない。本当にすまない……」
思わず振り返った。
深々と頭を下げる二人の姿が目に映った。
園子がなにか、とても悪い状況に、それも、取り返しのつかない状況になっているのでは、と心臓を鷲掴みされたかのような衝撃を受けた。
結局、乃木家では何も状況は好転しなかった。いや、返って最悪の状況になっていることが明らかになりつつあった。
貴也は絶望に打ちひしがれそうになった。
だが、諦めるわけにはいかない、とも思った。
自分が諦めれば、もしかしたら、園子は誰にも助けてもらえないんじゃないかと思った。
まだ、望みはあるはずだと思った。だから……
神樹館中学の三学期始業式の日。
長期の休み明けの初日にもかかわらず、貴也は学校へ体調が優れないと嘘をつき、サボった。
神樹館小学校を訪問するためである。
三ノ輪銀を捕まえて、事情を訊こうと思っていた。
彼女は元『勇者』である。
ある程度、詳しいことを知っているのではないか、園子の現状も知っているのではないか、と予想していた。
小学校から、三々五々、低学年から順に下校する児童が現れ始める。
根気よく待った。
ついに六年生と思しき子供たちも下校してきた。
前方から一人、左足を引き摺るように歩いてくる灰色の髪の女子生徒がいた。
貴也は、その女子生徒の顔を見て確信した。
三ノ輪銀だった。
「あの時は、どうもありがとうございました!」
銀を
「あの時、貴也さんの助けがなかったら、あたし、確実に死んでました。――――――戦闘だけじゃないです。右腕のこともです。医者も不思議がっていました。腕がちぎれるように切断されているのに、時間経過に較べて出血量が少なすぎるって。貴也さんが凍らせてくれたおかげです。あれがなかったら、出血多量で死んでいました。――――――でも、不思議ですよね。あれだけ凍らせたのに凍傷にすらなってないって」
そう言って微笑むと右腕を差し出してきた。
貴也は一瞬、怪訝な顔をしてしまった。
「義手です。本当の腕より、相当使い勝手悪いですけどね。でも、こっちで握手して下さい。あたしなりの感謝の気持ちです」
その言葉に微笑み返して、右手で握手する。
体温が伝わってきているのだろう。温かく、それでいて本当の人肌よりは冷たく。だが、何よりも銀の感謝の想いが伝わってくるようだ。
「質問があるんだけど、いいかな? それと、敬語は無しでいいよ」
「えっ? うん、分かった! いいよ」
「そのちゃ……、乃木園子の居場所を捜しているんだ。何か、手がかりになるようなものだけでも知らないか?」
「……ごめん。勇者を辞めさせられてからは、何も知らないんだ。須美も園子もどこへ行ったか、大赦は教えてくれなくてさ。家のことや、あたしの体のことなんかは、いろいろとサポートはしてくれるんだけど。肝心なことは何も教えてくれないんだ」
「そうか……」
「あたし、一ヶ月ほど昏睡状態だったからさ。八月に目が覚めたんだけど、気がついたら玉藻市の病院だったし。訳わかんなくて。いろいろ聞いてみたんだけど、なんにも教えてくれないんだ。リハビリが済んで、今日から学校に戻ったんだけど、もう二人ともいなくてさ。クラスの子に聞いたら十月の中頃に、神樹様のお役目でもう学校には来れないってことだけ、先生から聞かされたって」
「そっか。僕が目覚めたのも十月の中旬だったんだ。その頃に何かあったんだ」
落胆した。
彼女の障碍の程度を見る限り、勇者を解任させられていてもおかしくはなかった。とはいえ、さすがに元『勇者』にさえ、そこまで徹底した情報隠蔽がされているとは思っていなかった。
銀とは、今後の情報交換を約束して別れた。
園子の探索は、ふりだしに戻った。
苦し紛れに、伊予島家本家の御曹司である親友の潤矢の伝手も頼った。
だが、いくら御三家本家の御曹司とはいえ所詮は中学一年生の情報網である。何も分からなかった。
いよいよ切羽詰まった貴也は、鵜養家本家の力を頼ることにした。
鵜養家本家の当主、俊之とは正月に二言、三言、言葉を交わしたことがあるに過ぎない。
だが、もうこれしかないと思った。
父の隆史に頼んでアポをとると、単身、本家に向かった。
父にも事情は話せない。自分の力だけで切り拓くしかないと思った。
客間に通され、暫くすると当主である俊之がやって来た。
自分や園子の父親と較べるとやや年嵩で、だが気さくな感じも受ける人物である。
緊張している貴也に、気軽に話しかけてくれた。
「やあ、隆史さんの所の貴也くんだったね。正月は来てくれなかったようだが、今回はどうしたんだい」
「折り入ってお願いがあります。乃木園子の居場所を教えていただけませんか。お願いします」
席を外して土下座をした。もう、彼に頼るしかないと思っていたからだ。
「みっともない真似はよしたまえ。そこまでせずとも、話だけは聞いてあげるよ。園子ちゃんとは、知らない仲ではないしね」
「乃木園子をご存じなんですか?」
「ご存じも何も、大赦関連の名家の本家同士の繋がりは結構深いものなんだよ。それに、年を食ったおじさん連中の中では、これでも園子ちゃんとは仲が良い方だと自負しているんだがね」
「そうだったんですか」
「彼女の奇抜な発想はなかなか興味深いしね。それに頭も切れる。将来が楽しみだったんだが……」
その言葉で、俊之が事情に明るいことが見て取れた。
だから、思わず彼の顔を凝視した。
「ふむ。君は、『ノブレス・オブリージュ』という言葉を知っているかい?」
「……たしか、高貴な人が負うべき義務だとか、そんな意味だったかと……」
「まあ、いろいろと解釈はあるがね。概ね『社会的地位が高いものは、その高さに応じて社会的義務を負わねばならない』ということだ。今回の件は、それに尽きると言ってもいいかもしれない。――――――では、彼女がついていた『神樹様のお役目』についてはどうだい? その内容を知っているかい?」
「……いえ」
とりあえず、知らないことにしておいた方がいいものと思った。だが……
「君は、まだ中一だったね。まあ、その年齢では無理なのを承知で苦言を言わせてもらうが、中途半端な態度は良くない。知らないふりをするなら相手に気取られないようにする。ブラフのつもりなら、もっと強気に出ないとね」
その言葉に動揺し、目が泳いだ。
「君がどこまで知っているか、私は知らないし、知ろうとも思わないが、これだけは言える。もう遅い。あきらめなさい」
「そんな……。彼女は、そのちゃんは無事じゃないんですか?」
「無事か、無事でないかで言えば、命に別状無し、という意味では無事だよ。だが、もう会えないものと思った方がいい。彼女は大赦の管理下にある。我々でも、たとえ乃木家ですら手出しは出来ないんだ」
「そんなことが」
「そんなことがあるんだよ。組織というものには、いろいろな力が複雑に働くものだ。鶴の一声でどうにか出来るようなものでもないんだよ。特に、大赦という組織は宗教的な部分と世俗的な部分の双方がある。その二つのせめぎ合いは一筋縄ではいかないんだ」
それ以上、話が進展することはなかった。
貴也はすごすごと引き下がるしかなかった。
ただ、一つだけ分かったことがある。
実力行使しかない。
俊之の言葉から、幾つかヒントをもらえた。
なんの因果か園子から授かったとも言っていい、指輪の、精霊の力を使うんだ、と思った。
深夜、大赦関連の施設へ忍び込む姿があった。
七人御先の一体を壁抜けさせ、窓の向こう側へ送り込む。
警備システムに見つからないよう、精霊の力を用いる。
『置換』
凄まじい激痛とともに、吐き気を催す目眩が襲う。
しかし、一瞬で貴也と室内の精霊の位置が入れ替わった。
『どんな犠牲を払ってでも、そのちゃんを取り戻すんだ』
貴也の目に、狂気にも近い決意が宿っていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
パタン。ノートパソコンを閉じた。
音声入力と右手だけのオペレーションによる校正。
やはり、執筆速度は著しく低下している。疲れも酷いものだ。
園子は遅々として進まぬ小説の執筆にため息をついた。
『もう、本当に楽しいことって寝ることと、ぼーっと考え事をするだけになっちゃった』
どちらも、大好きでかつ得意なことで良かったと思う。普通の感性の持ち主なら、とうに気が触れていてもおかしくないかも、と思ってしまう。
周りをちらっとだけ見る。膨大な数の御札に形代。祀られているだけなのに何故だろう、それらを見ると吐き気を催す。
それらが出来るだけ視界に入らないように天井を見上げた。
二十回の満開は、園子からあらゆることを奪い去っていた。
もはや、ろくに動くこともままならない体。両足、左手。右手だけはまだ少しだけ動いた。
五感もその多くを失った。右目の視覚、嗅覚、味覚は全滅。聴覚は左耳が難聴レベルまで奪われた。触覚も
特に、味覚と嗅覚を奪われたのは痛かった。食事が完全に苦行に変わったから。だから、もう何も口にしなくなって久しい。栄養をとらなくても死にはしないが、やはり体は衰えるようなので、点滴で最低限の栄養補給をしていた。
内臓機能も多くを失っている。心臓が動かないので、脈が無いのに違和感を覚える。血液は体内を循環しているようだが、それは精霊の力によるのか、はたまた神樹様の力か。
勇者としての力も大赦によって奪われていた。
大赦は園子を、何かあった時の切り札と考えているようだが、それと同時に自分たちに制御しきれない力を持つ者として、神にも等しい存在として以外にも畏怖しているようであった。
だから、勇者に変身するために必要な端末、スマホは取り上げられたままだ。
勇者に変身さえ出来れば、システムが彼女の欠損した身体機能を補助してくれる。だが、それも望むべくもない状況に置かれていた。
最近のお気に入りはifの物語。須美と銀、それに貴也。自分を加えた四人で楽しく遊んでいることを想像すること。四人で遊んだことはないので、逆にいろいろと想像が捗る。
だが、本当は四人ともバーテックスとの戦いで……
だから、せめてもと願う。自分以外の三人が幸せを掴めますように。
特に、貴也は男の子だから自分のことに執着しているかもしれない。
貴也が自分のことを忘れて、いい人と巡り会えたらな、とも願う。
『その相手が、わっしーかミノさんなら心から祝福できそうなのにな』
自分の顔が悲しみに歪んでいるのにも気付かず、園子はそんなことをとりとめなく考えていた。
精霊の能力に関しては、目一杯拡大解釈しているスタンスです。
便利能力が無いと、すぐに捕まっちゃうフラグが立ってしまいますから。
置換は、のわゆでの七体すべてが実体かつどれか一体でも残ればOKの拡大解釈かつ劣化版能力といったところ。精霊は位置の目安ですね。
銀は右腕だけでなく、左足もやっちゃいました。隻腕だけではお役目を外してもらえなさそうなので、さらに過酷な状況にしてしまいました。銀ちゃん、ごめん。
逆に言うと、これぐらい過酷だと精霊バリアも実装されるかな、と。