千景が日帰りではあるが、帰省するのだという。
貴也は非常に興味を引かれた。なにせ、自分のルーツに当たる土地なのだ。だから、ほとんど何も考えずにその言葉を発していた。
「僕も一緒に行っていいかな?」
その言葉を聞いた周りの反応は、酷いものだった。
千景は「え、え、え……?」と言ったきり顔を真っ赤にさせて押し黙り、若葉は鳩が豆鉄砲を食ったような表情で固まってしまい、杏は「へぇー……」と言いながらニヤニヤした顔で貴也と千景の顔を交互に眺め、ひなたは瞳のハイライトが消えたまま「んふふふ……」と感情のない含み笑いを続けていた。
さすがに、まずいことを言ったと悟った貴也。慌てて適当な言い訳をでっち上げた。
「あ、いや……、うちの
「場所はどこなんだ?」
「いやー、詳しい場所まで覚えていないんだ。そもそも聞いていたかどうか……」
若葉の問いに苦しい言い訳を重ねた。どうにか、ごまかしきれ……なかったようだ。皆冷ややかな目で貴也を見ている。
だが、やがて皆の興味は千景がどう答えを返すかに向いていった。
千景は、貴也の真意はともかくとして、ついてきてくれようとしていることに喜びを感じた。
だが、すぐにフラッシュバックが起こる。
『尻軽女の娘』 『服いるの?』 『燃やせ、燃やせ』 『うっとうしい髪』 『耳、切れちゃった』 『ゲームおた、キモッ』 『階段の前、いるぜ』 『落ちちゃった』 『親が親なら子も子』
嫌な思い出ばかりが頭の中をよぎる。あんな場所に彼を連れて行く訳にはいかないと思った。自分の知られたくない過去を知られるかもしれない。
逡巡している自分を、彼が心配そうに見つめていた。
そして、思い出す。
去年の十月に帰省した時のこと。村の人たちは皆、千景を歓待していたことを。
『私は……価値のある存在ですか……?』
『もちろんよ。だって、あなたは勇者様だもの』
そのやり取りが思い出された。次の瞬間、千景は村の皆に歓待される自分を貴也に見てもらいたいと強く思った。彼に自分の立派な姿を見せたいと思った。だから……
「いいわよ。ついてきてもらっても……」
その言葉を発してしまった。言ってしまったのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
バーテックスの襲来が頻発していることに対する懸念が出たが、丸亀からは直線にしてたかだか百キロメートル程度の距離である。いざとなれば二十分で合流出来るということで、なんとか大社の許可も出た。
千景と二人、特急に乗って一路高知を目指す。途中で普通列車に乗り換え、目的の駅へ到着した。
「この近くの病院に母が入院しているの……」
そう言って、千景が先導する。
駅からは徒歩圏にその病院はあった。大病院というほどではなかったが、この地域の拠点病院ではあるのだろう。複数の診療科をもつ総合病院だった。
受付を済ませた千景が貴也の分の入館プレートも持ってきた。
「はい。病院内では一緒にいてね」
「いや、さすがに初対面の僕が見舞いに行くのもおかしいだろ? 待合室で待ってるよ」
「いいのよ……。どうせ、薬で眠ってるだろうし……」
そう言って、貴也の手を強引に引っ張って連れて行く千景。
病室に入る。その女性は四人部屋のカーテンで仕切られた一角で眠っていた。
「ステージ3だと、個室には入れてもらえないのよ……」
千景の母は天空恐怖症候群、いわゆる天恐の罹患者だった。
天恐とは、文字通り天から降って湧いたバーテックスに襲われたことで発症するPTSDの一種。ステージ1では外出が困難になる程度。だが、ステージ2になると精神不安定となって日常生活に支障を来すようになり、ステージ3では薬が手放せなくなり日常生活も困難に。そして、最終段階のステージ4では……。あまりの症状の酷さに単なるPTSDとは分類されず、さらにはバーテックスは人間の脳に悪影響を及ぼすのでは、という風説まであった。
「それに、こんな田舎じゃ、天恐の専門医だっていないしね……」
千景の年齢から言って、四十代半ばにもいっていないのだろう。もしかすると三十代かもしれない。だがその女性は白髪だらけで肌もカサついており、相当の高齢に見えた。
ただ、寝顔が穏やかであったのは救いだった。
「お母さん……。この人はね、鵜養貴也くんっていうの。私の、初めて出来た男の子の友達なの……」
見舞いの品を置いた後、そう言って近況を語りかける千景。だが、その表情は優しげなものではなく、
「起きるまで待った方が良かったんじゃないか……?」
眠ったままの千景の母を置いて、病室を辞する二人。
貴也は、さすがに起きている母親との交流をした方が良いのではないかと思った。だが……
「これでいいのよ……。目が覚めれば、暴れるか、泣き言を言うかしかないんだから……」
どこか諦めの気持ちが滲むその言葉に、貴也は何も言い返せなかった。
駅近くまで戻って昼食を取った後、バスに乗り小半時。目的地のバス停に着く。
「実家はバス停からは近いの……」
そう言って、布袋に入っている大鎌を担ぎ直し、貴也を先導して歩き出した。
周りは、のどかな田園風景が広がっている。
歩いていると、近所に住んでいる中年の女性二人が前方から歩いてきた。
以前は、千景の母のことを『阿婆擦れ』と蔑んでいた女性たちだ。だが、去年の十月は千景のことを勇者としてもて囃していた。
だから、挨拶の声を掛ける。後ろで貴也も会釈をしているようだ。
「こんにちは」
「あ……、ああ、郡様ね」
避けるように挨拶だけすると、そそくさと立ち去る女性たち。その不審な態度に立ち尽くしていると、彼女たちの会話が微かに聞き取れた。
「あの子達のせいで死人も出たっていうのにねえ……」
「よくもまあ、臆面もなく帰ってこれるものだわ……」
その言葉に、体も表情もこわばる。
貴也を連れてくるのではなかったと、後悔の念が湧き起こった。
バス停から七、八分。実家が近づいてきた。一階建ての小さな借家。
空気を読んだのだろう。貴也が話しかけてきた。
「いきなり僕みたいなのがお邪魔するのもヘンだから、この辺りをブラブラしてるよ。お父さんと水入らずで話してきなよ。帰る時に連絡してくれればいいからさ」
そう言って、手のひらをヒラヒラさせて行ってしまった。
彼を見送ったあと、玄関先まで進む。
絶句した。
彼と別れた地点からは見えなくて良かったと、心底思った。
チラシか何か、材質も大きさも異なる紙が幾枚も貼られていた。スプレーによる落書きも。そのすべてに罵詈雑言が書かれていた。
『クズの娘もクズ』 『ゴミ一家出て行け』 『税金泥棒』 『村の恥』………………
父が家事を全くしないからだろう。ゴミ屋敷と化した家に上がった千景が、まず最初に父から掛けられた言葉は罵声だった。
「千景! お前のせいだぞ! 勇者のくせに負けるから! 人を守れないから! だから、俺までこんな目に!!」
テーブルの上の紙束を投げつけられた。それらの紙には、先ほど玄関周りに張られていた紙と似たり寄ったりの罵詈雑言が躍っていた。
「毎日、毎日、玄関先に張られ、家の中に投げ込まれ! それだけじゃない! 村を歩いているだけで、そこに書いてあるような陰口を叩かれるんだ!」
「そんな……」
千景は目の前が暗くなり、床が揺れているような錯覚を覚える。
「ああ、こんな村、住んでられるか! 金さえありゃ、今すぐにでも出て行ってやるのに!!」
喚き立てる父親。
元々、家族を省みない父親に絶望した母親の不倫を切っ掛けに郡家は村の嫌われ者になっていたのだ。それが、千景が勇者になったおかげで敬われる立場になったはずだった。だが、ここ最近の自然災害の頻発が切っ掛けとなり、ネットでも書かれていたような噂が広がったのだろう。あまりに酷い手のひら返しだった。
千景は、ふと罵詈雑言が書かれた紙切れの中に、その文字が躍っているのを見た。
『土居と高嶋は無能。勇者は役立たず』
頭に血が上った。
布袋から大鎌を取り出すと、まだ何か喚き散らす父親を捨て置いて家を出る。
『ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな! 無価値なのは、お前達の方だ!!』
貴也は一旦、郡家から遠ざかる方へと歩いていった。周りを物珍しそうにキョロキョロと眺める。
大橋市も丸亀市も大都市ではない。少し町はずれまで行くと、田圃や畑が広がる風景は珍しいものではなかった。だが、ここは山間部といってもいいような土地柄だ。田畑と山のコントラストは印象的だった。
『千景は、こんな所に住んでいたんだな……』
ご先祖様の出身地であるこの土地に、遥かな感慨を抱く。
雑談をして歩く同世代の少女四人組とすれ違った。
しばらく歩いた後、ふと思い直し、踵を返して郡家へと向かう。
『千景は、病院での母親とのやり取りや、近所の人らしきおばさん達の態度からして、あまり良い境遇にいる訳じゃなさそうだ。気を利かしたつもりだったけど、何かあっても心配だしな……』
「何よ! そんな刃物を持ち歩いて! バッカじゃないの!?」
「勇者だからって、なんでも許されるって思ってんじゃないの?」
「やっぱ、てめえは昔どおり愚図のまんまだな!」
「こんなとこにいないで、さっさと化け物と戦ってきなさいよ!」
先ほどすれ違った四人組の罵声の前で、千景が立ち尽くしていた。ゆらりと大鎌を振り上げようとしている。
「千景! 何やってんだ!?」
貴也の叫びに、千景の瞳に光が戻る。
「貴也くん……?」
慌てて走り寄って千景を抱き留めると、郡家に向かって強引に引き連れていく。
後ろから四人組のさらなる罵声の追い打ちがあったが、一喝して黙らせた。
「うるさいっ!!」
四人組は貴也の鋭い視線に射竦められたようだった。
「落ち着け、千景。何があったんだ……?」
唇を噛み締め、黙り込む千景。
彼女の家の前まで行って絶句した。
罵詈雑言が書き殴ってある紙が幾枚も張られ、スプレーによる落書きさえ。
とりあえず挨拶の声掛けだけはして、家の中へ連れ込む。
家の中は悪臭が鼻をつく、ゴミ屋敷であった。
千景の父親と思しき男が出てくる。
「なんだ? 貴様は?」
「あ、初めまして。僕は千景さんと同じゆうっ……!」
バキッ。
いきなり殴られた。
「な、何をするんですかっ!?」
「千景っ! お前もあの女と同じかっ!? 男なんか連れ込みやがって!! この
その男は、今度は千景に掴みかかっていた。
緊急避難だと思い、慌てて男の腕を捻り上げた。
「ぐっ……。貴様ぁ!」
『まさか、若葉たちとの鍛錬がこんな形で功を奏するなんて、思っても見なかったな……』
そんなことを思っていると、千景が必死に男に訴えかけていた。
「違うの! お父さん!! この人は、私と同じ勇者で鵜養くんっていうの! 私のことを心配してついてきてくれただけなのっ!」
「勇者だと……?」
多少理性が戻ったように見えるその男、千景の父親にジロリと頭から足先まで
父親と千景との三人で話をして、大体の状況はつかめた。もちろん、父親も千景も言い淀む場面が多かったため、詳細が分からない部分も多かったが。
だが概ね、こういう事らしい。原因は不明だが元々郡家は村八分に近い状態だったらしい。そこに千景が勇者となったため状況が一旦は好転したものの、昨今の状況やネットの噂にも引きずられたのだろう、手酷い手のひら返しに遭ったようだった。
二人の承諾を取り付け、貴也はスマホを取り出すと佐々木に電話を掛けた。コール音が鳴り響く間ももどかしい。
『はい、もしもし。鵜養くんだね。何かあったのかい?』
「佐々木さん? あんたに言うことじゃないかもしれないけど……、大社は何を考えているんだよ! 勇者を駒扱いしてまで、四国を、人類最後の砦を守ってもらってるんだろっ!? なら、ちゃんと勇者の、彼女たちのケアをしてくれよ……。お願いだからさ……」
『話が見えないんだが……? 郡さんのことか? そちらで何かあったんだな? 具体的に何をすればいい? 出来る限りの対処はすると約束するよ』
「分かった……。まず、彼女の母親は天恐で入院しているんだけど、専門医のいる病院へ転院させてやって欲しいんだ。ステージは3だそうなんだ。出来れば丸亀近辺の病院がいい。勇者の家族ということで大社ならどうにでもねじ込めるだろ? あと、郡家自体をこの村から避難させて欲しいんだ。父親はどうにもならない人物だけど、それでもこれは酷い。村全体から排斥されているんだ。それから千景は、本人が望まない限り家族と会わせない方がいい。――――――出来ますか?」
『了解した。善処しよう。すぐに対処する。約束するよ』
「ありがとうございます、佐々木さん。最初にキツい言い方をして、すみませんでした」
『いいよ。切羽詰まった状況なのは、分かったから……。じゃあ、すぐに対処するから切るよ。じゃあ、また!』
「ええ、丸亀に帰ったら、また……」
電話を切ると、貴也は千景の父親に向き直った。
「まだ一、二週間は掛かるかもしれませんが、それさえ我慢すれば、この村から出て行けるように手配しました。新しく住む場所も、ちゃんと提供されるでしょう。でも、あなたは千景が望まない限り、彼女に接触しない方がいいと思います。お互いのためです」
「フンッ! ガキが……」
千景の父は、さも面白くなさそうに悪態をつくと、もう彼ら二人に目を向けることはなかった。
「行こう、千景……。丸亀に帰ろう……」
「………………」
貴也が善後策をとっている間、千景は一言も発さず、呆然と彼を見つめていた。
無言の彼女を促し、貴也は二人で帰途についた。
もう日は落ちていた。暗くなった丸亀城の敷地内を寮へ向けて千景を送っていく。
寮が見えてきたところで、千景が立ち止まった。
怪訝に思い、振り返る。
彼女はその目いっぱいに涙をため、貴也に問いかけた。
「ねえ、どうしてあなたは、こんなにも私に優しくしてくれるの……?」
ある意味原作以上にクズい村人がいる模様。
借家そのものに対するこの仕打ち。大家さんも泣いているのでは?
千景の暴走もすんでの所で回避できたんですかね?
まだ火種は残ってそうですが。
のわゆ編もそろそろラストスパートを掛けねば。
次回からいよいよ情報量が右肩上がりになる予定です。