西暦二〇二〇年が神世紀元年と表記されるようになって二ヶ月が過ぎ、夏も本番を迎えようとしていた。
上里ひなたの元へ懇意にしている大赦職員の佐々木から電話があったのは、学校も期末試験が終わり短縮授業に入って暫くした日のことであった。
佐々木和馬。彼女たち元勇者チームに利があるように、陰に日向に大赦の組織内で動いてくれている人物だ。
『上手くいきましたよ。乃木様方が夏休み中、ある程度自由に行動できるように書面を含めて言質を取る事が出来ました』
「そうですか。ありがとうございます、佐々木さん。いつも尽力いただいて、感謝に堪えません」
『いやいや。そう言っていただけると、ありがたいですがね。そもそも大赦関係者の子弟を教育するという建前の学校ですからね。一般生徒と同様の扱いをするという事に関しては意外にハードルは低かったですよ』
「一般生徒と同様という事は、予めどの辺りにいるかは書面で出しておかないといけませんよね?」
『まあ、そうですが。例えば実家に帰られるのであれば、そこから二泊以内程度の旅行なら申請なしでも大丈夫ですよ』
「という事は、本当に一般生徒と全く同じ扱いなんですね」
『ええ、そうです』
ひなたの弾んだ声に、彼の朗らかな返答が電話口から聞こえてきた。
『神樹館』
ここ香川県は坂出市にこの四月に開校したばかりの大赦直営の中高一貫校だ。
今のところ一学年につき一クラス三十名弱しか在籍していない全寮制の学校である。
ゆくゆくは小学校や大学も併設する構想はあるらしいが、今のところはある目的のためにこの小規模に抑えられている。
それは世間にあった「勇者熱」の沈静化。
乃木若葉を始めとする勇者チームはバーテックスとの戦いの中で「四国の救世主」あるいは「守り神」としてマスコミなどを通じ大々的に喧伝されていた。それを、人類が四国だけで立ちゆかなければならなくなった社会的混乱の下で、勇者たちを隔離し、秘匿することで鎮めていこうというものである。
もちろん、そこには勇者たちを自分たちの手駒として保有しておきたいという大赦の後ろ暗い意図も込められていたのではあるが。
とにかく佐々木からの電話があった、その翌々日の夕方。元勇者チームのメンバー、乃木若葉、上里ひなた、土居球子、伊予島杏、郡千景、さらにプラスして花本
「ということは、若葉さんは夏休みの期間中のほとんどをご実家に帰らなければならないという事ですか?」
若葉の長ったらしい、内容があちこちへ飛ぶ話をほぼ一言でまとめながら杏は目を丸くした。
「まあ、要約するとそういうことだ。長い間、実家にはあまり帰らなかったばかりか、帰っても一泊出来るか出来ないかといったところだったからな。それでも、さっきも言ったようにちょくちょく大赦の用件に呼び出されるようだから、なかなか腰を落ち着けるという訳にはいかないようだが。まあ、マスコミに顔をだs──────」
「ですので、私も若葉ちゃんについていきます。心苦しいですが、皆さんとは三十日ほどお目にかかれませんね」
そんな杏の態度に苦笑しながら、注釈というか補足というかを話し始める若葉。だが、また話が長くなりそうなので、ひなたが強引に話を覆い被せてくる。そのひなたの表情は「心苦しい」などと言いながらもニコニコと満面の笑みだ。若葉と二人きりでそれぞれの実家に帰るのが余程嬉しいのだろう。
ちなみにこの二人の実家。どちらも豪邸同士の上に隣同士らしい。
「郡さんはどうするんですか?」
「私は寮に残っているわよ。母の世話にちょくちょく病院へ顔を出そうと思うけど、丸亀の実家には誰もいないし、一人暮らしで自分の世話に時間を取られるのも大変そうだから。そう言う花本さんは?」
そのわかひな二人に当てられたのか、熱っぽい視線を伴いながら美佳が千景の予定を尋ねてくる。
千景はちょっと考えながら答えを返す。転職が上手くいかなかった父親がいつの間にか失踪してしまい、天恐(天空恐怖症候群)がステージ4に達し丸亀市内の病院に入院している母親の世話をする身内が自分だけになってしまっていたからだ。
「私も寮に残りますよ。でも、お盆の時期は寮も閉鎖されるから実家に帰るつもりです。…………そうだ! 良かったら郡さんも私の実家へ泊まりに来ませんか?」
「え……? でも、ご迷惑じゃ?」
「そんなことありません。私の実家でも郡さんは大人気なんです。神社の職員さん達も氏子さん達も皆、大歓迎ですよ」
「で、でも……」
「遠慮なんかしなくても大丈夫です。約束ですよ。お盆も私と一緒に過ごしましょう!」
「あ……、はい……」
唐突な思いつきに、この上ない笑顔で千景を強引に誘う美佳。千景は目を白黒させながらも、彼女の両手を取って握り締めてくる美佳の、その前のめりの姿勢に思わず首を縦に振っていた。
「ああ……神樹様に感謝いたします……。郡さんが来たら何をしようかしら? あ! あの場所にも案内しないと……」
「なんか、いつものコンビ
なんだかピンク色の波動を発生させている二組を見やりながら、呆れ返ったような口調でそう杏に尋ねる球子。
杏は小首を傾げながら右手の人差し指を頬に当てるという、あざとさ満載の仕草で少し考えるそぶりを見せながら答えを返す。
「う~ん……? でも、お盆は私たちも久しぶりに実家に帰らないといけないんじゃ?」
「寮も閉鎖されるんだから、それは当たり前だろ? そうじゃなくてさ。夏休みに入ったらすぐ、どこか行こうぜ」
「じゃあ、真鈴さんも誘う?」
「お、それいいな」
杏が真鈴の名前を出すと、球子の顔が輝きだす。
「三人でどこかへ……、山でキャンプ? 海で海水浴? いっそのこと両方か?」
わくわくしている事が丸分かりの表情で独り言を呟き出す球子。
「そうだ! 前、避難所にいた時に真鈴とも約束したじゃん。三人でエニウルへ行こうって。あの約束を今度こそ果たそうぜ!」
「あ! それいいかも。私、あそこの大きい本屋、行ってみたかったんだー」
「タマも、あそこのアウトドアショップ、また行ってみたかったんだよなあ」
五年前の約束を思い出し盛り上がる二人。
杏はいそいそと、今も大赦内で巫女達のリーダーとして頑張っている安芸真鈴へとメッセージを飛ばすのであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
夏休みに入ってすぐ、球子たち三人は松山へと向かった。一泊二日の旅行である。
なぜそれだけなのかというと、真鈴の休みが土日しか取れなかったからである。
まとまった休みはお盆だけ。大赦という組織は巫女も神官達も疲弊しきるほどの、なぜかブラック企業並みの激務の職場であったそうな。
さて、坂出を昼前に出発し丸亀で真鈴と合流しつつ、駅弁に舌鼓を打ちながら特急電車で一路西へと向かう。
そして松山に着いたその日も銀天街や、四国唯一の地下街であるまつちかタウンでウインドウショッピングを楽しんだ。
だが、本番は翌日である。
その日は散財をせずに我慢し、翌日のエニウルの為に(金の)力を蓄える。
もちろん、その日の宿も安めのビジネスホテル。それでも、そういったホテルに泊まった経験のなかった三人ははしゃいでしまい、夜遅くまで話に花を咲かせたのだった。
翌日の午前。最寄りの私鉄駅から歩いてすぐ。四国最大のショッピングモール「エニウル」の北東側入り口の前に三人は立った。
「うおーっ! やっぱデカいな」
「そうですね。なんだかわくわくします」
「ちょっと、二人ともー。他のお客さんの迷惑にならないようにね」
目を輝かせる球子と杏に対し、苦笑しながら真鈴が注意を促す。
一応、この三人組の中の最年長なのだ。自分がしっかりせねば、との思いがある。
「ところでさあ。『エニウル』ってどういう意味なんだろな?」
今更のように球子の口から疑問が漏れる。すると杏がニヤッとしながら蘊蓄を傾けた。
「なんでも、英語の『any』と日本語の『売る』を組み合わせて『なんでも売ります』っていう意味と、お客様との『
「おー! さすが、あんずだな。タマの知らないことでもスラスラと答えが出てくるな」
「えへへ~」
「ちょっとー、それ、エニウルのウェブサイトに書いてある事じゃない」
球子の感心の態度に、さらににやける杏。だが、真鈴からすかさずタネ明かしが飛んでくる。
「三人で来るのが楽しみでかなり予習してきたんです。フロアマップもばっちり頭に入っていますよ」
「うそー!? ここ、確か二百店舗ぐらいあるのよ。それ全部?」
「はい。案内は任せてください♡」
ところがそれでも自信満々の杏。その並外れた暗記力に驚く真鈴に、誰もが胸を射貫かれそうなキラキラとした笑顔で胸を叩いてみせるのであった。
さて、九時の開店に合わせて突撃である。
概ね、真鈴がファッション、球子がアウトドアグッズ、杏が本に時間を掛けたい、さらには映画も見たいとのことで、昨夜まですったもんだの議論を重ねていた。
坂出まで帰ることを考えれば午後六時に夕食を摂って撤収である。となると、昼食の時間を除いて八時間強の時間しかない。
バラバラで行動するなど考えもしない三人。結局持ち時間制を取ることになった。映画二時間半、ファッション関係一時間半、アウトドア関係一時間、本に二時間、そして急遽見たいものがあった時などの余裕代として一時間程度の配分となった。
「タマっち先輩、ありがとう……」
その配分結果に、昨夜はよよよと泣き真似までして感謝の意を表した杏であった。最初は各人一時間半ずつの持ち時間としようとしたところ、球子が三十分を杏に回してくれたのだ。
「いいっていいって。タマもマンガとか買いたいしな。それにファッションは三人とも楽しめたりするけど、アウトドア関係は言ってみればタマだけの趣味だからな。あんず優先で文句はないぞ」
そして、いい笑顔で薄い胸を張る球子。
真鈴は、そんな二人を微笑ましく見ていたのだった。
まずは映画館へとやって来た三人。
恋愛映画を見たい杏に、多少でもアクションかサスペンス色の欲しい球子、そしてコミカルな部分も欲しいとの真鈴の意見。それらをすべて満たすのは困難かと思われたところ、偶々三十年前の名作映画のリバイバルがあったので、それを鑑賞することにした。悪巧みに巻き込まれて殺されてしまい幽霊になった男が恋人を守る為に奮闘するという米国製映画だ。
「やっぱ、リバイバルばっかだな。新作は一本だけか……」
「しょうがないよ。四国だけじゃ、スタッフも役者さんも足りないもんね」
「そっかー。ハリウッド映画もヨーロッパ映画もインド映画ももう新作は見れないんだよな」
「後背人口も避難民合わせて五百万人にも届かないですからね。映画産業は廃れていくんでしょうか?」
掲示されている上映スケジュールを見た球子の感想に杏が四国の実情を返す。映画の暗い未来に二人が嘆息していると、真鈴が慰めるように声を掛けた。
「まあ、バーテックスの襲撃前みたいにはいかないけどさ。大赦が映画だけじゃなくて、芸能界とかスポーツ界とかエンタメ産業にも力を入れていくらしいよ」
「それホントか、真鈴!?」
「どういうことでしょう?」
「製造業とかは神樹様の恵みがあるからね。ある程度、以前と同様に出来るようだし、産業界も再編でいろいろ頑張ってるようだし。ほら、越智重工がいろんな会社を合併して、自動車とか白物家電とか昔の大手企業の製品のコピーを作り出したじゃない? あんな感じだからね」
「ええ? それと映画との関係は……?」
「だから、四国のみんなの心のケアの方にこそ力を入れていくんだって。坂出って映画館が無かったけどさ、今度駅前のイネスを増築して入れるって話も出てるんだって」
「そっか! そういえばタマも聞いたぞ。野球やサッカーのプロリーグも再建するって」
「ああ……! そういえば、芸能界もリソースを高松に集中させるって新聞に出てましたね。そっか……裏で大赦が糸を引いてたんだ……」
兎にも角にもエンタメ業界壊滅の真っ暗な未来が回避されることを予感し、三人は笑顔で映画館のゲートを潜っていくのであった。
映画を堪能した後は早めに昼食を済ませ、まずは球子に付き合う。
「すっげー! やっぱ品揃えが違うな! タマは小学校低学年の時、ここに連れてきてもらってキャンプ道具に目覚めたんだ! あんずも真鈴もタマが覚醒させてやろう!!」
「アハハ……」
「ハハハ……」
アウトドアショップでは、はしゃぐ球子に振り回された。
「杏ちゃんはやっぱり、こういういかにも少女っぽい服が似合うねえ」
「だーっ! なんでタマがこんなヒラヒラのスカートを!?」
「球子も元がいいんだからさ。おめかししたら、男どもが軒並み撃沈するよ?」
「タマっち可愛い……ハァハァ」
アパレルショップでは真鈴が二人を着せ替え人形にして遊んでいた。もちろん、自分のおしゃれ用の服も確保した上でだ。そんな中、ちょっと杏の挙動がおかしかったが。
「凄い品揃え……」
「ああっ……あんずがあっちへふらふら、こっちへふらふら……!」
「しっかりして! 杏ちゃん?」
本屋ではその品揃えに当てられたのか、杏が夢遊病患者のようにふらふらと店内を行き来しつつ、背表紙をニヤニヤと眺め、本を取ってはパラパラと捲っていた。
そんな活字中毒のかなりやべー奴感を醸し出す彼女に心配の目を向ける球子と真鈴。
そんなあれこれがあって夕方。そろそろ早めの夕食を摂って伊予市経由で坂出まで帰らなければならない。
目星をつけていたレストランに向かう途中、スポーツ用品店の前を通りかかった。
すると球子が立ち止まり、ある一点をじっと見つめる。そこは男性用水着の売り場だった。
「なに見てるの、タマっち先輩?」
「へー、なになに? 球子も色気付いてきたのかな?」
「いや……う~ん?」
球子の視線の先を見ると、黒一色にオレンジのストライプが入ったボードショーツを穿いたマネキンが飾られている。一推しの商品なのだろうか?
「この水着が穿かれているところ、なんか見たことがあるような気がするんだよな-」
「おっとぉ、男の話? 恋バナ恋バナ?」
その球子の呟きに、食い気味に顔を寄せてくる真鈴。
球子はそれに取り合わず、杏に今し方浮かんだ疑問を投げかけた。
「なあ、あんず……、タカヤと一緒に泳ぎに行った事ってあったっけ?」
「ある訳ないよ。あの人、いつもフラ~ッと現れてはフラ~ッと消えてたじゃない……?」
「ダレダレ? 杏ちゃんとも知り合いなの?」
その疑問に、杏がばっさりと否定の言を振り下ろす。
そして真鈴は球子と杏をキョロキョロと見比べながら、好奇心に目を輝かす。
「そっかー。そうだよな。気のせいか……」
「そうそう。今頃、歩き遍路でもしてるかも」
「そりゃいいや。あいつっぽい♪」
「ねえねえ……、誰なの?」
そんなやりとりをしたので吹っ切ったのだろうか? 球子は視線を通路の方に戻すと、元気に右手を振り上げる。
「じゃあ、夕飯へ出発だー! あんずは何を食べたい?」
「あ、私はねえ──────」
「ねえねえ……、誰なんだってばさあ……?」
そのまま何を食べようかと相談をする杏と球子に、ねちねちと『タカヤ』なる人物が何者なのか問い続ける真鈴。
傍目から見ても仲良さげな少女三人組は、そうやってワイワイと騒ぎながら目指すレストランがある方へと消えていった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「安芸先生、安芸先生」
安芸は貴也に声を掛けられ、ハッとした。
「どうしたんです、ぼーっとして? 先生らしくないなあ」
「ううん。なんでもないわ。ちょっとあの二人に見とれていただけ」
その安芸の視線は麦穂の髪色をした姉妹に向けられている。犬吠埼風と樹だ。
神樹館高校くにさき分校番の州陸上校舎。その一角にある勇者部の部室。
樹が歌のレッスンの休みにかこつけて遊びに来たのだ。
風と樹が話し込んでいる、その周りを勇者部のメンバーが笑顔で取り囲んでいる。
結城友奈、東郷美森、三好夏凛、三ノ輪銀、乃木園子、楠芽吹、弥勒夕海子、山伏しずく、加賀城雀、国土亜耶、古波蔵棗、十六夜怜。
総勢十五名の部員。もちろん、そこには貴也の名も含まれている。そして樹も神樹館高校の生徒でこそないが名誉部員として含まれているのだ。
「見とれていたって……、風と樹ちゃんに?」
「そうよ。あの二人が仲良くしているのを見るとね、なんだか……」
そう言って、安芸は柔らかな笑顔を見せる。
その笑顔は本当に幸せそうだ。
その後に言葉は続かなかった。
だが、貴也はなぜだか納得する。
『見守ってくれているんだな』
誰が、誰を?
春を告げる暖かな風がカーテンを揺らし、窓から吹き込んできた。
神世紀三〇三年四月。
四国はその日も平和の中に微睡んでいた。
はい、神世紀のファーストエピソードでした。
球子と杏の尊いコンビに真鈴を絡ませると更に……、かなと思いまして「うひみ」のあの約束を実現させてみました。
ぐんちゃんと
なお、「タカヤ」なる人物については43話を参照のこと。神樹による記憶消去の余波ですね。
また、「エニウル」に関する蘊蓄も捏造です。真に受けないで。
年内にもう1話、今度はもう一つの方の連載で投稿したいと思います。