子供の頃、ゲームに夢中だった。
『スプラッターハウス』と言うゲームがPCエンジンで発売された。
「彼女と一緒にスプラッターハウスに来たんでしょ?
彼女はどうしたの?」
「彼女は心霊に乗り移られて化け物になったから、心霊を退治した時に一緒に死んだよ」
「え」
「そんな救いがないゲームばっかりだよ?
シューティングゲームだって人類がほぼ絶滅してて、主人公は最後の抵抗・・・って設定ばっかりだし。
Rタイプなんて機体の反応速度を上げるために、手足を切り落として神経をコードで機体に繋ぐ・・・ていう話だし、敵にも改造された人体けっこう出てくるよ?
勝っても負けても『めでたしめでたし』ってゲームはもうほとんどないね」
「いつのまに・・・」
「昔からそんな胸糞展開がなかった訳じゃないよ?
シンデレラの姉妹達はガラスの靴が入らなくて、かかとを切り落とす・・・って話らしいしね。
でもやっぱりサイバーパンクとエヴァンゲリオンの影響が大きいんじゃないの?
子供向けと言われてたアニメだって今は『めでたしめでたし』じゃないんだよ」
その後出たドラクエ8をやった時、あまりの勧善懲悪に吐き気がした。
いつの間にか俺も毒されて『悪にも正義はある』『正義だから勝った訳じゃない、勝ったから正義なんだ』という思考になっていた。
今考えれば『勧善懲悪の何が悪い?ゲームの中でくらい正義語っても良いだろう?』というものだが、『偽善だ』と切り捨ててドラクエ8を途中でやめてしまった。
ドラクエ8は何も悪くない。
悪いのは中二病を患っていた俺自身だ。
そういったひねた見方は一定の需要があった。
『芸能界の裏側』
『アウトローの世界』
『ネットのアンダーグラウンド』
『極道の裏事情』
今冷静に考えればすぐに思う事がある。
『どんな裏世界があったとしても俺には一切関係がない』
だが俺は当時事情通を気取っていた。
タイムマシーンがあれば当時の俺を殺したい。
その後『勧善懲悪』は息を吹き返す。
『勧善懲悪』の代名詞だった時代劇『水戸黄門』『遠山の金さん』が好きだった連中は『韓流ドラマ』のわかりやすさと『勧善懲悪』に惹かれた。
ラノベでも『俺TUEEE!』と主人公が圧倒的な力で悪をなぎ倒す展開が主流になったのだ。
別に何の問題もない。
フィクションの話の中で『勧善懲悪』で何の問題があろうか?
『正義と悪でキッチリ別れているのはおかしい』などと鬼の首を取ったように喚くヤツもいるが、おかしいのはソイツの頭だ。
フィクションでわかりやすく正義と悪に別れてて何が悪い?
そう言った話が「好きか嫌いか」という話で、嫌いだったとしても「俺向けの話じゃない」というだけの事だ。
俺は中二病はとっくに完治したはずなのだが、善悪が入り雑じるややこしい話が好きなのは変わらなかった。
善悪が別れている話が『単純な話』に思えてしまうのだ。
そんなものは単なる好みの問題だというのは流石にわからないほど狂人ではない。
だが信じられないかも知れないがラノベを読んだりアニメを見たりして『内容がバカげている、子供騙しだ』とせせら笑う人間は存在する。
子供向けなのは当然だろう、子供が見ているのが前提なのだから。
「アニメは深夜にやっているのだから子供向けではないだろう?」などと戯けた事を言う者もいるが、昔は青年誌でやっていた子供向けでないマンガのアニメ化された物もゴールデンタイムにやっていたのだ。
アニメの放映時間など対象年齢とはほとんど関係ない。
録画が当たり前な現代ならなおさらだ。
関係するのはほぼ製作費の問題だ。
ラノベは別名『ジュニア小説』で、大人が読んでいる方が異端なのだが「大人が読んでも楽しめる」ラノベが数多い事が認識を狂わせている。
俺は正義漢ではない。
悪人でもないとは思うがそこまで正義を振り翳す気はない。
だいたい『正義』を振り翳す連中は宗教か政党所属である事が多く「お前ら本当に正義か?」と胡散臭く思ってしまう。
俺は中二病でも正義の味方を気取る痛々しいヤツでもないが『FATE』などは大好きで、正義の味方を「カッコいい」と思わない訳ではない。
「俺は正義の味方にはなれない」とわかっているだけだ。
言うなれば大人なのだ。
だいたい現世で一般人だった俺が、異世界で能力を得たところで急に正義の味方的な行動を取れる訳がない。
我が身かわいさで正義に悖る行動だって普通にするだろう。
「何を考えているのですか?」目の前の女が言う。
「いや、過去を思い出してセンチメンタルになってただけだよ」
「そうですか、貴方がボーっとしている間にだいたいの説明は終わってしまいました。
もう一度説明するだけの時間はございません。
貴方は異世界に転生いたします」
「お決りの?」
「お決りのです」