BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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Ⅰ.FLAME BRINGER
*1 その真名を呼ぶ


 空には虹が架かっている。

 何の変哲もない七色の光の橋。それは雨上りの証拠でもあり、辺りはジメジメと蒸し暑くなっている。

 

 その中でため息を一つ落とす少年。

 蒸し暑さに辟易した訳ではない。ただ、空に架かっている虹が気に入らなかったのだ。

 何か害を与えられた訳ではない。しかし、満たされていない少年は、己でも呆れるほどに些細な事柄に腹を立ててしまっている。

 

 少年は孤独だったのだ。

 共感してくれる相手も、否定してくれる相手も居ない。

 故に自分の感性が正しいものかそうでないのかさえも分からず、今日まで漠然と生きてきた―――生きてしまった。

 

 死にたくはない。そんな理由で淡々と飯を探し、食べて腹を満たしては、疲れた体を労うために床につく。

 まさしく本能のままに生きていると言っても過言ではない毎日。

 

 しかし、そこに少年の求めているものなどは存在しない。

 そして、何を求めているのかさえも分からないまま、無為に時間を食い潰していく。

 

 そんな少年の日課は空を仰ぐこと。

 晴れが好きだ。曇りも好きだ。雨も好きだ。なんなら、嵐や大雪だって好きだ。そして夜空に浮かぶ星を眺めるのも好きであった

 だが、唯一好きではないのは虹である。

 

 

 

 その明確な理由が分からないまま、少年は流魂街を歩む。

 

 

 

 運命の歯車は狂うことなく只管に廻る。

 

 

 

―――BLESS A CHAIN―――

 

 

 

 ***

 

 

 

 南流魂街のとある地区。

 そこには見目麗しい女性が居た。肩に少し乗る艶がある黒髪に、猫を彷彿とさせる瞳は宝石のような“彩”と煌きを有している。

 

 緋真(ひさな)

 

 彼女の名だ。

 やや体の弱い彼女ではあるが、近所では品行方正と噂の出来た美女である。

 そんな彼女であったが、今日は数字の大きい地区まで赴いていた。流魂街は東西南北に存在し、さらにそこから1から80までの地区に分かれているのだが、数字が大きいほどに治安が悪い。

 美女一人で地区が大きい場所に赴くことは、現世との倫理観の違いも相まって『どうぞ、襲って下さい』と言っているようなものだ。

 しかし、緋真はそれを重々承知の上で大きい地区へと足を運んでいた。

 

(妹は……)

 

 生き別れた……否、現世で肉体の死んだ者達の魂が集う尸魂界なのだから、“死に別れた”と表現した方が正しいだろうか。

 兎にも角にも、尸魂界に運よく二人してやって来た妹を、緋真は探していた。

 迷子という訳ではない。赤子の妹を、苦しい生活の余り手放してしまっただけのことだ。

 

 赤子は一人では生きてはいけない。子どもでもわかることだ。だが、それをわかっていて緋真は妹を手放した。

 霊力の素質がない魂魄であれば、水さえあれば生きていくことが可能であるが、そうだとしても今尚赤子が生きている可能性は低い。こうして度々妹を手放した地に赴いているものの、半ば諦めている節がある。

 

 それでも尚、こうして妹と生き別れた地へ足を運ぶのは、手放したあの日より苛まれる罪悪感故。

 町を歩いている最中、通り過ぎる子どもがもしかすると妹かもしれぬとハッと振り返るが、そもそも妹であると確かめる証拠がない。

 そうして一喜一憂し、夕方には後悔の念を胸いっぱいに抱きながら寝屋に戻ってくるのだ。

 

 これは罰だ。

 妹を手放した愚かなる姉への罰。

 人としての心を抱いて生きていくのであれば、決して忘れられぬ罪に体を突き動かされる―――それが罰。

 

「妹ぉ? 知らねえなぁ……それよりさ、ワイとガキこさえるってのはどうだい!?」

「いやっ……お放し下さいっ……!」

 

 例えば、行きずりの男に捕まって姦淫されようとしている。それもまた罰と受け取る自分が心の中に佇んでいる。

 下卑た笑みを浮かべる男は、往来のど真ん中で緋真の腕を引っ張り、物陰に連れ込んだ後に彼女を犯そうとしていた。無論、ただでやられる訳にもいかない緋真は必死に抵抗しているものの、妹を想うが故の心労に苛まれた彼女の体が発揮できる力は余りにも小さい。

 

 みるみるうちに体は路地裏の方へ吸い込まれていく。

 それを見て助けようと思う者は居ない。男は報復を恐れるか、中には後で混ざろうと画策でもしているのかこれまた醜悪な笑みを浮かべている。女や子どもは見て見ぬフリ。治安の悪い流魂街の倫理観などこの程度のものだ。見返りがなければ助けようとは思わない。

 なぜなら、それが“自由”だからだ。

 尸魂界で最も自由な地こそ、この流魂街。

 殺人を犯そうが、強盗や強姦を犯そうとも、生前極悪非道を尽くさなかったお陰で尸魂界に来ることができた魂の自由がそこにはある。

 

 故に、道徳を知らずとも弱きを助ける者も居た。

 

「ふんっ」

「おごっ!?」

「えっ……?」

 

 突然二人に影がかかったかと思えば、上から鞘に納めたままの刀が男の頭部に打ち込まれた。ゴツン、と鈍い音が響くと同時に男は倒れ、頭部を殴られた痛みに悶絶するように地面でのたうち回る。

 

「こっち」

 

 一方、男を殴り倒した者―――年端も行かぬ黒髪紅眼の少年は、戸惑う緋真の手を引いて、迷路のような路地を颯爽と駆けていく。

 

「あ、貴方は……?!」

「いいから」

 

 子どものものとは思えぬ平坦な声色だった。

 それでも子どもらしい体の温かさを掌に感じる緋真は、連れられるがまま走り、終には町外れの林の中に連れ込まれる。

 

「はぁ……はぁ……!」

 

 緋真にはほんの数分の駆け足でも、フルマラソンを終えたかの如き息の切れ方となる。

 胸を押さえて呼吸を整える緋真の姿を隣で見つめる少年は、息が整うや否や『ありがとう』と言い放つ緋真に対し、ぶっきらぼうに応えた。

 

「姉ちゃんべっぴんさんなんだから、こんなところ一人で歩いてたら危ないぞ」

「貴方はここがお住まいで……?」

「ううん。昔居たところは住めたもんじゃないから、あっちゃこっちゃ歩いてる。流浪人って奴?」

「そう……なのですか」

「うん。姉ちゃんは?」

「私は……隣の地区から探し物を」

「探し物?」

 

 いぶかしげに眉を顰める少年は、どこから拾ってきたか分からぬ刀を肩に担ぎつつ、思案する様子を見せる。

 

「姉ちゃん、名前は?」

「緋真です」

「ひさな、ね。なに探してるの?」

「……妹を」

「妹? 迷子なの?」

「……いいえ。数年前、赤子の妹を手放したのです」

「……」

 

 途端に嫌悪感丸出しの顔を浮かべる少年。

 そう感じるのも致し方ないと、緋真は俯く。

 

「誰かに預けたとかじゃないの?」

「……はい。私は我が身の可愛さの余り、見捨てた妹の行方がどうなるかも考えず、少しでも貧窮した暮らしから逃げられるようにと飛び出してきたのです」

「それなのに今も探してるの?」

「はい……」

「赤ちゃんは一人じゃ生きてけないよ」

 

 その言葉が胸に突き刺さる。

 少年の吐き捨てるような言い方が、尚更心に突き刺さる言葉の刃を鋭利にして。

 

「本当に……その通りです」

「いい人に拾われてたらいいんだけどね」

「……え?」

「? ……だって姉ちゃん、生きてると思って探しに来てるんでしょ? だったら、そう思わないの?」

 

 こてんと首を傾げる少年に、面食らったように目を見開く緋真。

 次の瞬間、緋真はくすりと笑みが零れた。

 

「仰る通りです。私は身勝手なままに侵した罪が、自分の都合がいいような顛末を迎えていないかと愚かしくも考えているが故、ここに訪れているのですね……」

「……あんまり難しい言葉で言われてもわかんないよ。俺、学無いし」

「いいえ。貴方はとても敏いお人です」

 

 そう言いつつ緋真は目の前の少年を軽く抱き寄せる。

 今度は少年が面食らう番だった。女性の花のような色香、肌の柔らかさ、今にも冷えてなくなりそうな熱、全てが少年にとっては新鮮でこの上なく心地よいもの。

 この状況を少年は、春に咲き誇る桜だと考えた。

 桜色に染まった木に登った先で包まれる香り、麗らか且つ儚げな春の陽気、花びらの柔らかさなどまさにそうだ。

 

 そして見知らぬ容姿端麗な異性に抱き締められるという体験が皆無で、本能的に“女”を感じた少年は、羞恥心を覚えるがまま女性の腕を振りほどく。

 

「っ……姉ちゃんの妹なんでしょ? きっと似てるだろうし、見かけたら教えるよ」

「え……?」

「見かけたら教える! そう言ってる」

「あ……ふふっ、ありがとうございます」

 

 恥ずかしさを大声で紛らわそうとする少年の様子がどうにもいじらしく見え、緋真はこれまた笑みが零れてしまった。

 それからはさっさと歩いて行ってしまおうとする少年を呼び止め、どこの地区に住んで居るかを簡単に教えたる緋真。そろそろ帰らねば、自分の足では帰路の途中で暗闇となってしまうと危惧し、緋真は少年と別れる。

 

「―――また、お会いしましょう」

 

 少年にも、そして今もどこかで生きていると信じている妹にも向けて言い放った。

 それは誓いであり、願い。

 再会への―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 その日は快晴だった。

 気を抜いたら汗が流れ落ちそうなほどに温かい天気。緋真はそんな中、律儀に町の入り口で待ってくれていた少年と落ち合った。

 少年は以前よりもぶっきらぼうな態度だ。

 緋真から一定の距離離れる。裏を返せば、一定の距離を保ったまま―――それこそ従者や護衛のような立ち位置で緋真に付き添うようにしていたのだ。

 

「一つ気になっていたのですが、その刀は一体……?」

 

 心の距離を近づけようと適当に話題を振る緋真に、少年は、

 

「死んでた死神から拾った」

 

 と、答えた。

 心なしか、心の距離が遠のいたような気がする。

 しかし、その程度のことでめげる緋真ではなかった。

 

「今日までお一人で生きてきたのでしょう? お強いですね」

「たまたまだよ」

「紅色の瞳……お綺麗だと思います」

「自分じゃわからないよ」

「その腕輪はなんなのでしょうか? よろしければお教えください」

「……知らない」

「え?」

 

 緋真は少年が手首に巻いている腕輪を見て問いを投げかけたが、少年ははっきりしない答えを返してきたではないか。

 

「気が付いた時には持ってた。売ったらお金になるかと思ってるんだけど、結局売らずじまい」

 

 そう腕輪を着けた腕を掲げる少年。

 白銀色に輝く五芒星。紐の部分を見るからにして、腕輪というよりは、本来ペンダントやネックレスのように首にかける装飾品なのであろう。

 それにしても綺麗な装飾品だ。

 錆一つない腕輪に緋真は瞳も奪われ、腕輪について語る少年の声色も若干ではあるが嬉々としている。

 

「宝物……なのですね」

「……うん。まあ、そんなところ」

 

 『やらないぞ』と念を押す少年に対し、緋真は『とりませんよ』とにっこり微笑み返す。

 すると、また少年はそっぽを向いて歩いてしまう。

 結局、今日だけでは緋真の妹は見つけることは叶わなかった。

 しかし、手伝ってくれる人間が一人居るだけで、こうも心強いものか。

 

 『今日はありがとうございました』と頭を下げる緋真に対し、少年は頬を掻いて、さっさとどこかへ行ってしまう。

 

 『またね』と、別れを告げながら。

 

 

 

 ***

 

 

 

 また別の日。

 その日は雨だった。ザアザアと地面を打ち付ける雨は、人に遠慮しようなどという気概は微塵も感じられない。

 生物でないものに気概を求めるなど土台可笑しな話ではあるが、傘を差しつつも、衣服の裾が濡れている緋真は今日も妹を探しに外へ出かけていた。

 

 あの少年は居ないのだろうか。

 こんな雨の日なら外に居ることはないだろう。

 

 一人で自問自答を繰り返す緋真であったが、町の入り口に佇む人影にハッと息を飲んだ。

 居た。黒髪は濡れた烏の羽のような艶を出している。雨に打たれまいと屋根の下には居るものの、やや横殴りの雨は屋根だけでは防げない。

 緋真は水を跳ねさせぬよう注意を払いつつ少年の下に駆け寄った。

 体が冷えていまいか確かめるべく頬に手を当て、冷たいと感じるや否や、懐に仕舞っていた手拭いで少年に纏わりついている水滴を拭っていく。

 

「ああ、申し訳ございません。私なぞのためにお体をお冷しになって」

「ううん。雨見るの好きだし」

 

 心配する緋真にそう応えた少年。

 

「では、私の寝屋に来ますか?」

「……は?」

 

 脈絡のない誘いに、少年は心底不思議そうな声を上げた。

 すると緋真は今一度傘を掲げ、少年の手をとる。

 

「こうも濡れては風邪を引いてしまいます。止むまでの間、私の家で暖をとってはと……」

「い、いいよ。そんなの」

「向かうまでの間、雨も共に眺めましょう」

 

 にっこりと微笑む緋真に、それ以上少年は拒否することができなかった。

 温かい緋真の手。一回り大きい掌は少年の冷えた手をすっぽりと覆ってくれる。

 なにより、傘で雨を遮れるようにと出来る限り身を寄せ合うため、冷えた体に緋真の体温がこれでもかと伝わってくるではないか。

 湿気の所為か、以前会った時よりも緋真の衣服から香りが漂ってくる。

 しかし、不思議と不快感はない。

 雨に濡れた花弁のようにしっとりと鼻を撫でる香りに、思わず少年は緋真の体へ頭をもれかからせた。

 

 緋真はそれを拒まない。

 両手が塞がっているために抱き寄せることはできないが、『もっとお近づきに』と囁き、少年を受け入れた。

 

(……あったかい)

 

 今はまだ吹かれればすぐにでも消え去りそうな熱に、少年は初めての感情を抱いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 それからは晴れの日も雨の日も、二人は共に過ごした。

 目的は“緋真の妹を探す”、ただそれだけ。しかし、二人は互いに何かを求めているかのように身を寄せ合った。

 流魂街という不特定多数の人間が住まう地においては、住民同士が協力することが常。

 だが、治安が悪い場所ともなればそうはいかない。

 大人は疑心暗鬼になりつつ、裏切られないように、嵌められないようにと、なるべく独りで生きようと試みる。子どもはそんな大人たちにいいようにされまいと、数人の塊となって行動を起こす。

 

 緋真はどちらかと言えば、子どもと大人の間に居る年頃。

 大人から見れば、品の良い美少女と言ったところか。

 そんな彼女の近づく男のほとんどは邪な考えを持つ者。そうなると緋真は、否応なしに大人の男とは距離をとらざるを得ない生活を強いられていたのだった。

 

 そこへ現れたのが、彼の少年。

 子どもらしい無垢な心を持つ彼は、緋真に邪な劣情ではなく、家族―――それも母や姉に向けるような愛情を抱いて接してくれる。

 少年は愛に餓えていた。

 

 一方で緋真は、もし共に過ごしていれば傍に居たであろう妹を想い、少年を弟のように愛情を持って面倒を看る。

 

 歪な共依存。しかし、若くして尸魂界にやって来た魂などは、裏を返せばロクな死に方をしなかった者達―――少なくとも前世に未練などがある者がほとんどだ。

 特に若い子どもは、注がれるハズであった親の愛も受けず、手探りで生きていくしかない。

 そんな中、優しく面倒を看てくれる人物が目の前に現れたらどうなるだろうか?

 

「ひさ姉」

「はい?」

「ルキア……今日こそ見つかるといいね」

「ええ……焰真(えんま)

 

 焰真。

 血の繋がらない姉に、漢字を与えられた少年“えんま”。

 

 彼は顔も知らぬ緋真の妹を探すべく、今日も流魂街を走る。

 

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