「ぎゃっ!」
「おら、どうしたァ! それで終いか!?」
「いえ、まだですっ!」
「ごっ!?」
「体にキレが悪くなってきてんぞ!?」
「うっ……まだまだ!」
「ぐぇっ!?」
「んな一辺倒な戦い方は『斬って下さい』って言ってるようなもんだぞ!」
「は……はい゛」
「やれやれ……」
道場で戦う二人の死神を眺めているのは、艶のあるおかっぱ頭の男。眉毛とまつ毛に着けるエクステが目を引く彼は、結果が見え見えの戦いを前に呆れた表情を浮かべている。
戦っている二人―――一人は今年から十一番隊に入隊したばかりの焰真だ。
そしてもう一人は、窓から差し込む日光をこれでもかと反射するほど、頭部がつんつるりんな男。
「ようし、今日はこのくらいにしとくか」
「あ、ありがとうございます……一角さん」
十一番隊第三席。隊の序列としては隊長、副隊長に次ぐ№3。
彼こそが護廷隊最強十一番隊に身を置く男、斑目一角だ。その席次からも分かる通り実力は非常に高く、霊術院で剣術に関しては上位の成績を収めていた焰真であっても一方的に伸されるほどである。
「へっ、久々に活きが良い新人が入ってきたからつい熱が入っちまったぜ」
「最早かわいがりだね。流石に見ていてかわいそうになったよ」
いい汗を掻いて一息吐いている一角に手拭いを渡すのは、彼の親友であり十一番隊第五席、綾瀬川弓親である。
粗野な言動の者が多い十一番隊の中では比較的穏やかな立ち振る舞いをし、尚且つ自身の美しさを磨くことに日夜努力している、一風変わった一面もあった。
そんな彼は、一角に散々木刀で打ちのめされた焰真にも手拭いを投げ渡す。
「ほら、使いなよ」
「あ゛りがとうございます……」
「気にすることはないよ。君みたいな熱心な新人は爽やかで嫌いじゃあない。美しい花が咲くだろう芽にはついつい面倒をかけたくなるのが僕の性さ」
ふわりと髪を掻き上げながら言う弓親。一見キザに見える言動だが、そのことになんの考えも抱かないほど、今の焰真は疲弊している。
護廷十三隊に入隊してから早一か月、焰真は激務に―――正確には自ら己の身を激務へ投じていた。
新人の業務は専ら雑用と書類の整理などという事務的なもの。
霊術院の頃に想像していた虚との戦いは、まだ体験してすらいないのが現状だ。
そのような中で焰真は、己の仕事や他人の仕事をさっさと終わらせた上で、隊の先輩にみっちりと扱かれていた。
井の中の蛙大海を知らずとは言ったものだ。隊には焰真以上の強者など星の数ほど居る。
だからこそのし上がり甲斐があるという面があるものの、己よりも百年は下らない年月を死神として過ごしている者達の中でのし上がることは容易ではない。
それでも尚、少しでも憧れていた人物に近づけるようにと、実力者である一角を師事して鍛錬をつけてもらっている。
一角は生粋の戦闘狂。戦いこそが酒の肴だと考えるような人物である。
故に余程機嫌が悪くない日であれば、暇つぶしに木刀でのやり合いに付き合ってもらえるのだ。
では隊長と副隊長はどうだろうか?
十一番隊隊長こと更木剣八は、それこそ一角以上の戦闘狂。三度の飯より戦いが好きな人間であるが、あくまで好むのはギリギリでの命のやり取り。焰真程度の相手ではそもそも“戦い”にすらならないため、眼中にすら入れられていないのが現状だ。
そして副隊長の草鹿やちるだが、彼女は鍛錬という言葉とは縁がない人間である。自由奔放な幼女。彼女を説明するにはそれで事足りる。遊びにこそ付き合わされはするものの、焰真が鍛錬を申し出たとしても、真面に取り合ってくれはせず、逆に菓子をねだられて会話を強制的に終了させられてしまうのだ。
となると、やはり残る一番の実力者は一角だけになる。
今はまだ一太刀も入れられぬほど実力が隔絶しているものの、“まずは一太刀”。その目標が今の焰真のハードスケジュールをこなせるだけの活力を生み出していた。
(少しずつでもいい。少しずつでいいから、俺は胸を張って死神だって言えるようになるんだ)
歩みは遅かろうと少なくとも前には進んでいるという自負はある。
立ち止まるつもりは、今はない。
***
「―――こうして三人で居ると、少し感慨深い気持ちになります」
朗らかに淡い笑みを浮かべる緋真。
畳の香りが心地よい。開かれた障子の先に見える庭園から、風に運ばれる草花の香りにもまた風情を感じる。
人が三人集うにはあまりにも広い居間で座布団に腰かけるのは、緋真、焰真、ルキアの三人だ。
流魂街から『一度は』と夢見ていた面々の集いに、緋真はいつもに増して喜んでいる。
「ひさね……緋真様もお元気そうでなによりです」
「そのように畏まらなくても大丈夫です。私はありのままの……あの頃の焰真と話がしたいのですから」
「……そっか!」
途端、快活な笑みを浮かべる焰真に、緋真は唇に指をあててクツクツと笑う。
それを傍から眺めるルキアは、彼女にしては初めて見る組み合わせにも拘わらずこのように仲良くしている彼らに、意外だという感想を抱いた。ついでに、親しい姉と仲良くしている男に嫉妬のような感想も―――。
「焰真。なにか変な真似をしようものならば、義兄様を呼ぶからな」
「……変な真似ってなんだよ」
「変な真似は変な真似だっ! それ以上でもそれ以下でもなかろうに!」
護廷隊に入ってからも、依然として霊術院時代の親しい間柄の関係が崩れている訳ではない二人は、緋真の目の前でワーワーと言い合う。
その光景に微笑ましいものを見たと言わんばかりに慈愛の瞳を浮かべる緋真は、『そうだ』と何かに気が付いた様子を見せる。
「ルキアはこう見えて私だけの前では甘えん坊さんです。嬉しいことに、私と焰真が仲良くしていて嫉妬してくれているのでしょう」
「姉様何を!?」
「……ほー」
「焰真! なんだその反応は!?」
にやにやとルキアを見遣る焰真に、実姉にべったりであることを明かされたルキアは赤面したまま焰真の下へシャイニングウィザードで飛び込んでいく。
辛うじて『危なっ!?』と紙一重で躱す焰真であったが、回避するや否やマウントを取ってくるルキアに、今度は手と手を組み合う形へとなる。
「忘れろ……忘れるのだ……っ!」
「そんな鬼気迫った形相で迫るな!」
単純に怖い。同時に、愛らしい顔立ちの少女が顔を真っ赤にして涙目で迫ってくる状況は、余り悪い気分ではなかった。
しかし、
「昔の焰真を思い出しました。あの頃の焰真も、甘えん坊さんでしたものね」
「ひさ姉!?」
「……ほほ~う」
「忘れろ……忘れてくれっ!!」
「おおうっ!? 急に起き上がって押し倒すな、このたわけ!」
焰真もまた甘えん坊であった事実を緋真に暴露され、赤面したまま良いことを聞いたとばかりにほくそ笑むルキアのマウントを取る。
この二人、似た者同士だ。
傍で二人を見ていた緋真は、自然と重なる彼らの姿に胸を締め付けられる感覚を覚えた。
そうだ、これだ。
私が求めていたものは―――。
「―――焰真」
「ん?」
ふと焰真に呼びかける緋真の声に、兄妹喧嘩よろしく取っ組み合っていた二人は一先ず離れる。
「貴方は私の幸せを……一心に願っていてくれましたね」
「そりゃあ、まあ……」
再び座布団に腰かける間、緋真はしみじみとした様子でそう語った。
「私は今幸せです。貴方と出会い、こうしてルキアとも再会できた。あまつさえ夫もできました。これを幸せと言わずなんと言うのでしょう」
ポツリポツリと紡がれる言葉。合間に庭より響いてくる鹿威しの音が、彼女の言葉に奥行きを持たせる。カランと空に響き渡る音が、ここまでの道のりの長さを表すように感じた。
彼女の言葉を受け、今一度緋真を見遣る焰真。
流魂街に居た時よりも僅かに肉付きがよくなり、病的なまでに白かった肌は、明るい肌色で塗りつぶされたように血色がよくなっていた。
圧し潰されそうになる心労がなくなったお陰だろう。
そう思うと、自分の道のりが無駄ではなかったと焰真は救われた気分になった。
「だから、今度は貴方が幸せになってください」
「……え?」
緋真の言葉に、素っ頓狂な声を上げてしまう焰真。
「っと……それはどういう意味で……?」
「私は貴方に救われました。貴方が私を幸せに導いてくれました。だからこそ知ってほしいのです。私の幸せには、貴方が幸せであることも含まれているのだと……」
「!」
思ってもいなかった。
他人の幸せの中身に、自分が幸せであることも含まれているのだとは。
面食らった焰真を前に、緋真は続ける。
「努々忘れないで。貴方の幸せを願う者がここに居ると……」
「ひさ姉……」
「余り貴方の生き方にあれこれ申すのも憚られるのですが、できれば……他人だけではなく自分が幸せになれるよう、これからは生きていて欲しいのです。これが貴方への最後の我儘です」
「……そっか。でもごめん、ひさ姉」
「え……?」
唐突な謝罪に今度は緋真が面食らう番だ。
どういう意味であるのか? そう問いかける瞳を投げかける緋真に焰真は、これまた清々しい笑みを浮かべていた。
「俺さ、どうも他の人も幸せそうじゃないとダメな性質なんだ」
「焰真……」
「だから、自分だけ幸せになるなんてことはないからさ。死ぬまで誰かの世話焼くと思う」
「貴様は筋金入りの世話焼きだからな」
焰真と緋真の会話に割って入るルキア。彼女の言う通り、焰真は奉仕精神とでもいうのだろうか。“人のために”という理由で動くことが非常に多い。
それは他でもない。一人で生きていくことを至上と―――その生き方しか知らなかった焰真と触れ合い、彼に優しさの心を芽吹かせた緋真のおかげだ。
「でも、安心してくれよな。俺はそのことを不幸だなんて思ってないからさ」
そう言い放った焰真に、緋真は暫し呆然とする。
彼の浮かべる笑顔は、昔共に過ごしていた頃の天真爛漫なものとなんら変わりはない。
しかし、何故だろうか。彼の言い放つ言葉を受けて得も言われぬ“重み”を感じる。
(……大きく……なったのですね)
月並みにだが、緋真はそう結論付けた。何も体の成長がどうこうという話ではない。精神的にも成長した彼の言葉には、子どもが口にするような直球の感情ではなく、その結論に至るまでに悩み、考え抜いたという過程があるのだ。
その過程に気づけばこその“重み”。
彼を子どもとして見ることができなくなった今を前に、緋真は嬉しいような悲しいような気持ちを覚えた。
―――きっと子どもの親離れの時もこのような気持ちになるのだろう。
桜の季節は過ぎ、差し込む日の光は日に日に暖かくなってきている。
しかし不意に吹き渡る風を肌寒く覚え、一肌恋しいと思う時があった。
この胸に抱く気持ちはそれに似ている。
緋真は改めて焰真が独り立ちしていることを確認すると、やおら立ち上がり、後方の大事そうに置いていた箱を手に取った。
豪華絢爛……という訳ではないが、質素ながらも気品の漂う箱を焰真の下へ届ける緋真は、『どうぞ開けてご覧になって』と促す。
言われるがまま焰真が箱の蓋を開ければ、中には一対の手甲が収められていた。
冬に降り積もる新雪を彷彿とさせる吸い込まれそうなほどの純白の生地。それだけではなく、全体を引き締める印象を与える赤色と青色の刺繍が施されていた。
「これは?」
「私から貴方へのささやかな贈り物です」
「ひさ姉……!」
「おめでとう、焰真」
それは間違えようのない祝福の言葉。
導かれるように手甲を取り出した焰真は、肌に触れるそのきめ細やかな触り心地にフッと微笑んだ。
「ありがとう」
―――安い人間だと思われてもいい。それでも、今手にしている手甲こそが自分と緋真の繋がりの形だ。
そう思わずにはいられなかった。
***
「だぁ!?」
「……あっ」
呆気にとられた声を上げるのは焰真だ。
彼の目の前には、たった今木刀の一撃をその頭部にモロに喰らった一角が、悶絶しながら倒れている。
普段通りの鍛錬。その中で焰真は初めて一角から一本取ったのだった。
それは緋真に手甲をもらった次の日。意気揚々と手甲を嵌め、大分手に馴染んできたと思った先での出来事だ。
いつも通り観戦していた弓親も感心して目を見開いていた。
「わお。凄いね、君。偶然でも一角から一本とるだなんて」
「や……やった……!」
「ちぃっ! おぉい、芥火ィ!」
「はい!」
その時、ネックスプリングで飛び起きる一角。
これでもかと眩い光を放つ頭部には、縦に一筋、真っ赤っかに染まり上がっていた。
「偶然だろうがなんだろうが、今のは確実にお前の勝ちだ……」
「は、はい!」
「だから、次ァ足掬われねえように戦るぜ?」
「え? あ? ちょっ……ぎゃああああ!!!」
起きたと思うや否や、木刀を振りかざして襲い掛かってくる一角に、焰真は悲鳴を上げながら対処を迫られることとなった。
まだ彼が席官となれる日は遠い。