BLESS A CHAIN   作:柴猫侍

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*99 *~アスタリスク~

 立ち上る黒と白。

 この世を塗り返す力の波動は、二人を中心に波紋の如く瀞霊廷中に広がる。

 

「……フッ」

 

 脱力感に苛まれる状態を叩き起こされ、鷹揚と藍染が視線を向ける。

 目の前では一度超越者に至った自分にすら感じ取れぬ霊圧を放つ存在が二人、その手に剣を宿してぶつからんとしていた。

 

───見物だ。

 

 僅かに吊り上がる口角を自覚するや、力を奪われた際に傷つけられた束帯が音を立てて崩れ落ちる。

 見る影もなくなった束帯が地面に落ちれば、晴れて自由の身となった。霊圧を押し留めていた椅子からも解放されれば、動作を確認するように首を鳴らしながら鷹揚に立ち上がる。

 

「まさしく世界の命運を分かつ舞台という訳だ……折角だ、少し場所を移そうか」

 

 そう言って掌を翳す。

 瞬間、胸の中央に収まっていた崩玉から燦然たる光が解き放たれ、三人の姿が割れた鏡の如く中に散って消えていく。

 

 景色が一瞬にして塗り替えられる。

 そうして再び三人が顕現した場所は、これまでに幾人もの大罪人を屠ってきた処刑の舞台。

 

「───双殛か」

 

 王が口にする。

 

「貴方が決着をつけるのに、これ以上の舞台はあるまい」

「藍染……」

「安心するといい、黒崎一護。手出しはしない。ただ、この戦いの立会人を任せてもらおうか」

「……そうか……ありがとな」

「礼を言う必要はない。尤も───」

 

 言うや、対峙する二人の刃が交わる。

 黒の浄刀と白の断刀。

 浄罪と断罪───二つの相対する力を孕んだ絶剣は、たったの一合で双殛のみならず遮魂膜ごと瀞霊廷を両断しかねない衝撃波を巻き起こす。

 

 間近で眺めている藍染すらも、この衝突には感嘆の息を漏らすばかり。

 超越者を更に超えた高み───それを肌身で感じ取る事のできる優越感に浸りながら、先の言葉を続けた。

 

「見届けられるのは、私しか居るまい」

 

 立っているだけで並み居る霊魂は死に絶える。

 まさしく死線。

 生と死を分かつ最前線の前に立つ不死の大罪人は、至極真っ当な傲慢を口にしていた。

 

 そうした言葉を余所に、手心無しの一閃を解き放った王は、受け止めた黒衣の少年へ静穏ながら熱烈な視線を注ぐ。

 

「……滅却師最終形態(クインシー・レットシュティール)。成程、ユーハバッハの血を引く貴様が使えたとしてもなんらおかしくはない」

「関係ねえよ。こいつは死神なら……斬魄刀を持った奴なら誰だって持ってる力だ。何の特別なモンでもねえ」

「あくまで死神を騙るか───嗤わせるな」

 

 剣を握る力が強まる。

 すれば、刃を受け止めていた一護の足元が沈み、双殛の大地に大きな亀裂が広がっていく。

 

「くっ……」

「貴様は何者でもない。人間でも、死神でも、虚でも、完現術者でも、滅却師でも。始めから終わりに至るまで運命付けられた中途半端な被造物。そんな紛い物の力で私に敵うとでも?」

「敵うとかどうとか……んなモン、ちっとも問題じゃねえんだよ!」

 

 一護が刃を振り払えば、黒白の霊圧が弾け飛び、空が悲鳴を上げる。

 

「アンタが強い事なんて始めから解り切ってんだよ。それでも俺は……勝たなきゃいけねえから戦うんだ!」

「勝ってどうする? 力で敵を屈するか? そうして望みを叶えるか?」

「違う!」

 

 断固として一護は叫ぶ。

 

「アンタを止める! 焰真は救う! そして世界も護る!」

 

 一度は切り捨ててしまった相手へ、その時投げかけられた言葉を思い出しながらひたむきな想いを吐露する。

 

()()()にも言われた……これは他の誰かに出来る事かもしれねえ。でも、それが俺のやらねえ理由にはならねえ! 俺にも出来るなら俺もやる! 世界を支えるってのは生きている奴等一人一人の積み重ねだ!」

「今迄の犠牲……知りもしなかった童がよくもほざく」

「だから前を向くんだろうが! 俺が……俺達が胸を張って未来を歩める様に!」

「ならばそれは徒労に終わる。───今から私が全てを奪うのだから」

「それをさせねえって言ってんだよ!」

 

 三度、双殛の丘で黒と白の激突。

 剣圧だけで開けた台地のあちこちが抉れては形を変える。白哉との一騎打ちの名残である月牙天衝の跡から広がる亀裂が、そこから崩壊の引き金と化す。

 

 次元を超えた霊圧の衝突。

 ただ其処に居るだけで、周囲に存在する万物の霊子崩壊を招く力の胎動は、瀞霊廷全土を揺るがす地響きとなって波及していく。

 一刻も早く決着をつけねば、天上の眼球が墜落するよりも早く、二人の激戦によって瀞霊廷が更地と化すだろう。

 

───させるかよ。

 

 真紅に染まり上がる瞳を浮かべ、一護が斬り上げる。

 弾かれる王の刃。その余波により、崩れかけていた遮魂膜の一部が砕かれ、その先の空に浮かんでいた雲の一つが両断された。

 

「……」

 

 だが、王は黙して斬り返す。

 反転した瞳を微動だにさせず、機械染みた正確無比な一閃を繰り出した。

 眼前の死神の頚を狙う無慈悲な凶刃が、大気を裂く唸り声を上げる。

 

「うおおおお!!」

 

 負けじと吼える一護。

 返す太刀で迫る凶刃の剣閃を逸らし、反撃の暇を与えんと次々に漆黒の霊圧が形を成した剣を振るう。

 対する王も剣を薙ぐ。

 互いの刃がぶつかり、弾け、再び相まみえる度に足元を抉る黒白の稲妻が迸る。剣を形成する霊圧が、その刃を押し留められずに溢れ出す力の奔流は、ただそれだけで命を刈り取る威力を孕んでいた。

 

 それを許さないのは、偏に一護の奮闘にあった。

 

「───あくまで守りに出るか」

 

 何度か刃を交えた王が零す。

 

 ふと、自身の刃が逸れていった先を見遣る。

 いずれも双殛の高さよりも上へ弾かれる事により、瀞霊廷自体への被害は軽微に済んでいた。仮に一閃でも瀞霊廷に直撃すれば、吹き荒れる暴風と衝撃波が混乱をもたらし、異形に立ち向かう戦士達の命を数多く奪っていくであろう。

 

 故に阻止する。

 辛うじてその神業を成し得られる一護は、繰り出される一撃一撃に神経を研ぎ澄ませ、王の凶刃が自分を信じて耐え忍ぶ者達に降り注がぬよう、背水の陣で戦いに臨んでいた。

 

───誰も死なせはしない。

───彼に殺させはしない。

───俺が、そうさせない。

 

 勇む一護の心に応じ、右手に握られる漆黒の剣が熱く迸る。

 

「……時間を掛ければ私を止められる策があると、そう言いたげだ」

 

 しかし、冷たい眼差しと共に焰が薙ぐ。

 音と呼ぶには、余りにも力を孕んだ衝撃波が広がる。寸前で弾き上げた一護であるが、その眦には隠し切れぬ焦燥が滲んでいた。

 

「っ……!!」

「どんな心算か知らぬが、時を経て劣勢を強いられるのは貴様であろう?」

「……どういう意味だ」

「その威容、長くは続くまい」

 

 縦に下ろされる斬撃。

 すかさず直角に刃を構えた一護が受け止めるが、双殛の地面には長く、そして深い裂け目が広がる。

 瞬間、痛みが遅れてやってきた。

 超絶たる破壊力を秘めた一撃、それをただ受け止めるだけでも全身の至る所が悲鳴を上げている。

 

 それでもまだ倒れる訳にはいかない。

 一護の瞳は、強い光を宿したままであった。

 

 その少年へ、王は憮然と続ける。

 

「知らぬとは言わせん。滅却師最終形態……貴様の父の奥義を借りるのならば“最後の月牙天衝”と呼ぼう。その姿の代償は、貴様の力の未来だ」

 

 沈黙は肯定。

 一瞬の沈黙で察した王は続ける。

 

「大方、この力と同じであると推察したか。“業魔(カルマ)”……確かに芥火焰真の奥義は、それに酷似している───しかしだ」

 

 王の刃、その火勢が一気に増す。

 

「忘れた訳ではあるまい? “絆の聖別(ブレス・ア・チェイン)”の存在を」

 

 悟らせるような口調に、一護の瞳が見開かれる。

 まさか、と。

 信じ難いものを視たと言わんばかりの様子に、淡々とした声音を紡ぐ王は、鍔迫り合いを演じながらもジリジリと刃を押し込んでいく。

 

「ぐっ!」

「芥火焰真が代償に焼べたのは、あくまで“育んだ分”だった……だが、彼奴が遺した“与えた分”も奪い去れば話は別だ」

 

 当人の口から言い放たれた宣告。

 それは一刃の絶望となり、一護の喉元へ鋒を衝きつける。

 

「やめろ! そいつは……!」

「……貴様の言葉を聞く道理は───無い」

「ぐっ!!?」

 

 閃光。

 刹那、烈火の刃が激しく燃え盛り、目を開けていられぬ程の光が周囲を───延いては瀞霊廷を包み込んでいく。

 

 

 

 無情にも、無慈悲にも

 

 

 

 ***

 

 

 

「怪我人を優先的に避難させてください! 安心してください! 奥にはまだ避難できるゆとりがあります!」

 

 避難所として解放された清浄塔居林には、大勢の人間が雪崩れ込んでいた。

 何も瀞霊廷に住まう人間は死神や貴族ばかりではない。彼等の暮らしを支える商人や、かつては死神として身を粉にして働いていた人間も含めれば、その数は途轍もなく膨れ上がる。

 故に見えざる帝国による侵攻を受けた際、少なくない人数が襲撃を受け、傷つき、あるいは命を落とす目に遭っていた。

 

 立て続けに起こる災難。

 現在、頭上に迫る巨大な眼球はその最たる例だ。あれから降り注ぐ異形もまた厄介。力のない者は齧られ、貪られ、聖別により奇跡的な生還を果たした命に二度目の死を齎していく。

 

 そうはさせまいと奮起するのが、清浄塔居林に避難した者の内、かつては護廷十三隊として虚と戦っていた人間。

 

 そして、緋真のように人命救助へ積極的に関わる献身的な人間であった。

 

 夫が死地へ赴き、実の妹も生死の境目を彷徨う姿を見舞ってからというもの、無事な姿を一目見るのも叶っていない。

 しかしながら、自分は朽木家当主の妻である自負を抱き、己に出来得る人事を尽くさんと身を粉にして動いていたのである。

 

 吹けば散りそうな儚い美貌は汗に濡れていた。

 それでも尚、懸命に尽くす姿には九死に一生を得て逃げ込んできた者達に多かれ少なかれ勇気を与える。

 

 だが、暫くすると不意に緋真が背中を丸めた。

 

「こほっ、こほっ……」

「奥方様?!」

「こほっ……心配いりません。少し慣れない声を上げてしまった所為でしょう」

 

 駆けつけた侍女の一人、ちよが切迫した面持ちで緋真の体を支える。

 対して当の緋真は『大した事はない』の一点張りで、避難誘導の続きを始めんとしたが、

 

「これ以上は御体に障ります……万が一、奥方様に大事があれば、御当主様とルキア様に何と仰れば……」

「ちよ……そう、ですね。ですが、ここが正念場です。白哉様もルキアも、きっと今尚戦っておられる筈……私だけが蹲っている訳には───」

 

 途中まで紡ぎ、緋真の体がガクリと崩れる。

 次の瞬間、艶めいた床に血が零れ落ちた。その元を辿れば、口を掌で押さえ、顔面蒼白になりながら脂汗を滲ませる緋真の顔が目に入る。

 

「奥方様!?」

「こほっ……ごほっ! けほっ!」

「如何なされました!? 何処かお具合が……!?」

「わ、私は平気ですから……医師は、他の怪我人へっ……げほっ!」

「ぁ……だ、誰か!! 誰かぁー!!」

 

 血に濡れた唇を震わせ、何とか笑みを取り繕うも束の間。

 直後に吐き出された血の量に、今度はちよが蒼白となる番であった。

 

───ただごとではない。

 

 誰もが察知した瞬間、我先にと清浄塔居林の奥部を目指していた人々の一部が緋真に駆け寄る。

 『担架はどこだ!』や『医心のある者は!?』等と、崩れ落ちた緋真を慮る人々の声が飛び交う。

 

 怒号に等しい叫びが響きながらも、意識が朦朧となる緋真にとってはどこか遠い場所での出来事のように他人事に思えた。

 全身から力が抜ける。

 体温が───否、これはきっと生命の灯火だ。

 昔から体の弱い事もあり、特にルキアと生き別れている間は心労で良く寝込んでいた。

 焰真と出会い、更には実妹と再会してからというもの、その気配は影も形もなくなっていたものとばかり思い込んでいたが……。

 

(これは……焰真、()()()()()()()……)

 

 指先が冷たくなる中、鮮明になるのは小さな幼子だった掌の温もり。

 唐突に訪れる死の影に震える暇もなく、緋真は一人の弟だった青年の姿を思い浮かべる。

 

───私は、あの子に生かされていた。

 

 身も心も。

 一度風が吹き抜けるだけで消えそうな命を、今の今迄繋ぎ止め、あまつさえ家族を築き上げるにまで至ったのは一人の少年が居たからに他ならない。

 

───あの子は無事でしょうか。

 

 最後に抱き締めたのは何時だったか。

 雨の中、彷徨っていた幼子のように涙を流し、縋りついてきたのも数日前だったかと思い出しつつ、緋真はただ願う。

 

 

 

───どうか、無事で……。

 

 

 

 ***

 

 

 

 止められない。

 一護は悟った。

 

 片腕だけでは止められない。押し負けそうになる右腕を左腕で支える。

 まだ、足りない。両脚で大地を踏み締めて堪える。

 それでも足りなかった。片膝を着けば、全身の骨が悲鳴を上げる。だが、魂より溢れ出す霊力で全身に霊圧を漲らせ、圧し潰される寸前で踏み止まっていた。

 

「う、おおおおおっ!!!」

「無駄だ。貴様は……己が護ろうとした命に殺されるのだ」

「おおおおおおおお!!!」

 

 王に集う魂。

 慈悲もなく、情心もなく。

 ただ立ち塞がる命を殺める為だけに収奪される魂により、断罪の炎───万年の時を経て積み重なった憎悪は天高く燃え上がった。

 

「させねえよ……!」

 

 しかし、折れない。

 少年は砕けそうになる体を押し留め、天上まで燃え広がる焰を前にしても屈する事はなかった。

 

「ここで折れちまったら……」

 

 

 

 何故ならば、

 

 

 

「何もッ、護れねえだろうがぁぁぁあああァ───!!!」

 

 

 

 それが全てだから。

 魂の叫びを口にし、千切れそうになる四肢に力を籠める一護。それだけで押し返せるほど敵の攻勢は甘くないが、心なしか白刃と結ばれる黒刃にドクンッ! と霊力が迸る。

 

 振り絞る、最後の一滴まで。

 最後の月牙天衝───それは斬月、そして父である一心の斬魄刀『剡月』に共通して存在する最終奥義の名。己の霊力を代償に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、一時的に死神という次元を超越した力を手に出来る。

 これは滅却師に代々伝承される滅却師最終形態に酷似した力。

 一時のみの強大な力、代償としての霊力喪失。まるで起源が同じだと言わんばかりの力───偶然にせよ必然にせよ、双方の力の親和性は生まれ持った霊王の欠片も相まって高い親和性を発揮していた。

 

 

 

───否。

 

 

 

 父母の愛。

 そのどちらをも注がれて誕生した一護にとって、二つの力が融け合うのは必然だった。

 

 故に、果てることしない。

 故に、尽きることはない。

 

───この心血だけは。

 

「うおおおおおおおおおおおッ!!!」

 

 口元まで覆う束帯を破る勢いで雄叫びを上げる。

 直後、加速度的に早まる鼓動が、激しい脈動と共に熱い血潮を全身に巡らせていく。

 

 体が燃えるように熱くなる。

 すれば、鋼の硬さを誇る体に更なる変化が訪れた。

 

 清廉な青い光は、一護を抱きしめる慈愛のように広がる。

 熱烈な赤い血は、一護を奮わせる激励のように燃え盛る。

 

 母の血が。

 父の血が。

 

 子を護っている。

 子を援けている。

 

 王の絶剣を防ぐ血脈の鎧と剣は、決して諦めない少年の魂に呼応するかの如く力を解き放つ。

 

「……貴様」

「伝わるぜ……アンタの剣から」

「なんだと?」

 

 黒白の火花を散らす鍔迫り合いを演じる最中、不意に一護が漏らした。

 

「アンタの心が……伝わってくるんだ」

「……心、だと?」

「憎しみが……怒りが……悲しみも……全部!」

 

 辛そうな面持ちを湛えているのは一護の方であった。

 涙さえ枯れ果てた王の代わりに悲痛な様相を呈し、最後の一線を越させぬようにと踏み止まる少年は、振り絞るような声を吐き出す。

 

「だから解るぜ、アンタはただ誰かに救って欲しかっただけだって!」

「……」

「長い間、ひとりぼっちのまま居続けて……切望していた! 誰かが手を取ってくれる未来を! 違うかよ!?」

 

 王の瞳が僅かに揺れる。

 

 だが、

 

「それを解って───今更どうする?」

「ぐぅ!?」

 

 上乗せされた力で強引に押し負かす王が、喉まで出掛かっていた言葉を飲み込まざるを得なかった一護の眼前に顔を寄せる。

 

「誰も救いはしなかった。それだけが不変の事実だ」

「違う! アンタを救おうとした奴だって居る!」

「それがどうした? 救われなかった事実こそが、私をこの身に堕とした因果に他ならない」

 

 ドグンッ! と鈍い重低音の鼓動が響き渡れば、王の放つ火勢が烈しさを増す。

 各地より収奪される魂の欠片は十や二十ではない。数十年、焰真が生きた軌跡として残る轍から根こそぎ奪い尽くされれば、その数は優に千や万は超え、彼の肉体を乗っ取る王の力として世界を滅ぼす片棒を担がされる。

 

 そうはさせまいと抗う一護。

 だがしかし、集う力はただ一人の少年の力を大きく上回っていた。

 

「救われなかった魂魄は虚へと堕ちる……それこそが三界が生まれるよりも前に存在した絶対の摂理。この世界が滅びるのも、全ては百万年前───ただの一人を救えなかった貴様達死神の無力が故だ」

 

 違う、と否定したい心を制し、一護は必死に牙を研ぎ澄ませて食い下がる。

 だが現実は無情だ。頭上の眼球が墜落するまでの時間も然り、最後の月牙天衝で失われる霊力も然り、父母より受け継いだ血を媒体にして発動される能力も然り、何もかもが有限。

 最後の月牙天衝も、本来は自身を月牙天衝に昇華させて一撃に全てを籠める最終奥義。斯様に敢て月牙を放たず、姿を押し留める方法は常用外と呼ぶ他ない使い方であった。

 

(まだ……なのかよ!)

 

 しかし、それでも王を押し負かすには足りない。

 苛烈な炎が、全霊を賭した牙を燃やし、熔かし、灰燼へと崩していく。最後の一滴まで振り絞らんとする一護ではあるが、刻一刻と膨れ上がっていく王の力がそれを上回る。

 

───まだ。

───まだ。

───まだ。

 

(頼む……!)

 

 祈る様に、剣を振るう。

 

(届いてくれ……───!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「無駄だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ……!?」

 

 冷え切った声と共に、焰刀が月牙を弾く。

 余りにも、呆気なく。

 空へと弾かれた月牙からは、注がれた霊力相応の奔流を撒き散らし、辺りの大地を食い破る。

不本意な被害を生み出し歯噛みする一護であるが、真に案ずるべきはそんなものではない。

 

───がら空きだ。

 

 王に対抗し得る武器を弾かれた今、一護を護るものは何一つ存在しない。

 このまま焰刀を流れれば、忽ちに一護の上半身と下半身は泣き別れとなるであろう。織姫も居ない今、そのような傷を負おうものならば決着はついたも同然。

 一護の瞳が大きく見開かれる。

 すぐさま月牙を振り戻そうとするも、王の焰刀はそれよりも早かった。

 

「終わりだな、黒崎一護」

 

 悟ったように響く、冷淡な声。

 

 全てに怒り。

 全てに嘆き。

 全てに恨み。

 全てに絶望した王は、後顧の憂い諸共断ち切らんと握る。

 

「貴様が共に支えると誓った者共の力で……絶えろ」

 

 絆の聖別で輝きを増す焰刀。

 煌々とした白光を放つ断罪の一閃は、迷いなく一護の胴を目指し───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『負けないで!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───己の左手に阻まれた。

 

「……?」

 

 一閃を止めた衝撃が轟いた後、唖然とした様相を呈すのは一護だけではなく、止めた王自身もであった。

 

「……」

 

 不可解な現象に剣呑な表情を浮かべ、今一度右腕に力を籠める。

 が、動かない。焰刀を成す右腕を押さえる左手は、王の意思に反するように離れない。どれだけ念じようと、どれだけ御しようと力を注いでも、一向に動く気配は見られなかった。

 

「……莫迦な……」

 

───まさか。

 

「……この期に及んで、私の邪魔をすると言うのか?」

 

 体の持ち主であった死神を想起し、忌々しげに王が吐き捨てる。

 しかし、彼が疑問に思ったのはそれだけではない。

 

「先の声……何奴だ。まさか貴様の仕業でもあるまい、藍染惣右介」

 

 懐疑の半眼を傍観者という立場にあった大罪人へ注ぐ。

 しかしながら、当の藍染はと言えば見当違いだと言わんばかりに鼻を鳴らし、口元に三日月を作ってみせた。

 

「私の鏡花水月とでも? ……残念だが、筋違いさ」

「ならば一体……」

 

 解は出ぬまま、視界に黒が爆ぜる。

 

「うおおおおっ!!!」

 

 吶喊する一護の攻撃が迫る。

 思わず顔を歪める王は、右腕を制する左手をそのままに、強引に体を捩って斬撃を繰り出した。

 だが案の定、満足でない状態から放った斬撃は十分な威力を発揮せず、力だけで言えば格下の一護と鍔迫り合いを演じる破目となる。

 

「おのれッ……」

 

『頑張れ!』

『もうちょっとだ!』

『絶対に諦めるな!』

 

「───!?」

 

 今度こそは聞き違えない。

 確かに聞こえてくる幾つもの声。その発信源はどこかと辺りを見渡すも、当然ながら天地を別つ頂上決戦に紛れ込む人影などはない。

 

───幻聴か?

 

 濃厚な線としては、やはり藍染の斬魄刀。

 百余年にも渡り瀞霊廷を欺き、謀ってきた彼奴であるのならば、始解をしていないというのも口先だけである可能性も十分にある。

 しかしながら、それは対峙する一護の様子で否定された。

 

 少年の息遣いが、込み上がる嬉しさに揺れる。

 それこそ在り得ない。黒崎一護は数少ない鏡花水月の術中にはまらない存在。仮に芥火焰真の肉体に完全催眠をかけているのならば、態々子細な彼の挙動を映す必要はない。

 

「何が起きている……」

 

『隊長達が来てくれた! もう大丈夫だ!』

『黒崎一護も戦ってくれている!』

『私達だけ諦められる訳ないじゃない!』

『生きろ! 生きるんだ!』

『最後まで信じろ! 護り抜け!』

 

「この雑音は……───ッ!?」

 

 忌々しげに顔を歪める王。

 その時、一人の死神から解き放たれる黒の中に垣間見た。

 

 

 

 淡い燐光を散らし、双殛を目指す黒い羽搏きを。

 

 

 

 ***

 

 

 

「すげぇ……」

 

 瀞霊廷が一丸となり、尸魂界開闢より積年の怨念と相まみえている最中、六番隊士の一人である理吉は双殛で繰り広げられている頂上決戦に、ただただ呆気に取られているような声を漏らした。

 

 霊圧を感じられない。

 それは理吉の霊圧知覚が鈍いからではなく、次元を超えた超絶的な霊圧に感覚が麻痺しているからであった。

 

 しかし、こうなってしまえば戦況がどちらに傾いているかも分からない。

 霊圧差が勝敗を分ける絶対的な要素とは言い難いが、それでも予め判別がついているとそうでないとでは安心感が違う。

 

 けれど現実はそう優しくはない。

 勝敗の行方を悟らせまいと、己以外とを次元の壁で隔てて繰り広げられる決戦を前に、理吉は迫りくる異形を打ち倒すしかなかった。

 

───俺にもっと力があれば。

 

 そう考えるのも烏滸がましい。

 

 だが、それでも。

 

「一護さん……お願いですッ……負けないで!」

 

 他力本願だと罵られようと、叫ばずには居られなかった。

 この声だけでも届いてくれと願う。非力な一人の声援であっても、今戦っている彼の力になるならば、と。

 

 

 

 その時だった、フワリと視界を横切る黒い影に目を奪われたのは。

 

 

 

「あっ……ま、待って!」

 

 見慣れたシルエットに、思わず手が伸びた。

 よく追いかけ回しては捕まえられず、憧れた先輩に怒られたものだ。

 この絶体絶命的な状況の中でも、穏やかな日常の一幕を理吉に思い出させた小さな影は、理吉の手をスルリと抜けては、懸命に漆黒の翅を羽搏かせる。

 

 向かう先は嵐の中央。

 

 世界の命運を分かつ台風の目に等しい地───双殛。

 淡い星の輝きを彷彿とさせる鱗粉を振り撒きながら、破れた檻から飛び出した影は響かせる。

 

 

 

 嵐にも負けぬ、小さな命が迸らせる魂の叫びを。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……地獄蝶……」

 

 吹けば途端に息絶えそうなか弱い命。

 荒々しい霊圧の嵐を必死に抗って進む無数の黒揚羽は、風と共に運んでくる。

 

 

 

『大丈夫か、滅却師!?』

『無理をするな! 瀞霊廷を護るついでだ!』

『お前達も護ってやる!!』

 

『馬鹿を言え! 我等にも誇りがある!』

『見えざる帝国は瀞霊廷と表裏一体なんだよ!』

『故郷を護るならば……瀞霊廷くらい一緒に!』

 

『破面も戦ってくれている!』

『虚だからなんだ! 彼等を助太刀しろ!』

『そうだ……死神は虚の罪を洗い流し、救う為に居るんだ!』

 

『滅却師かどうかなんて関係ねえ!』

『死神との因縁など捨て置け!』

『虚だからと躊躇うな!』

 

『護れ!』

『護れッ!』

『護るんだぁー!』

 

 

 

 支え合い、助け合い、共に明日を生きようとする命の声。

 伝令と導き手───本来、この二つの役目を担う蝶は、絶望的なまでの力に屈伏寸前であった一護に勇気を分け与える。

 

───一人じゃない。

───まだ皆が戦っている。

───いや、()()()()()()()

 

「みんな……!」

「……耳障りな……」

 

 引き寄せられるように集う地獄蝶を一蹴せんとする王。

 だが、不可解な力はまたもや彼の動きを止める。そして勇猛に迫りくる月牙を前に、間一髪のところで守勢に切り替えざるを得なくした。

 それでも逸らされた焰刀から放たれる剣圧は、ただそれだけで、宙を舞うように羽搏く地獄蝶の翅を千切り、捥ぎ取り、いとも容易くその命を奪っていく。

 

 一つ、また一つと声が遠のいては消え入る。

 そうしてはまた新たな声が一護の許に駆けつけた。

 

『一護ならばやり遂げる、必ず!』

「この声……」

『だから信じろ! 生きろォ! 焰真はきっと帰ってくる!』

「ルキア!」

『例え世界が滅んだとしても……私達があやつの居場所で在り続けるのだ!』

 

 積もり積もった感謝の念を今こそ、と言わんばかりの気魄で叫ぶルキアの声が。

 

『お前ら、よく耐えてくれたな! 後は俺と朽木隊長に任せやがれ!』

「恋次!」

『……大儀であった。ここまで戦ってくれた兄等を……私は誇りに思う』

「白哉!」

 

 頼もしさに溢れた威勢のいい恋次の声も。

 凛然たる居住まいを崩さない白哉の声も。

 

『みんな! もうちょっと頑張って! あたし達が付いてますから!』

『俺達は俺達に出来る事をすればいい……そうだろ、一護!』

『言い出しっぺは君なんだ! 責任をもってやり遂げてみせろ、黒崎!』

「井上……チャド……石田!」

 

 挫けそうな者を励ます織姫の声も。

 親友を信じて疑わない泰虎の声も。

 仲間故に叱咤を飛ばす雨竜の声も。

 

『一護クンが諦めない内に、僕らが諦められる道理はないでしょ。護り切るよ、瀞霊廷を───総隊長としてね』

『漸くそれらしい威厳が出てきましたね……最後までお供致しますよ、京楽隊長』

 

『もう少しの辛抱じゃぞ! 気張れよ、砕蜂! 夕四郎!』

『はい、夜一様! この身が朽ちても、貴方の為に!』

『姉様に負けぬよう、僕も精一杯瀞霊廷の為に戦います!』

『ちょ……隊長!? 夕四郎!? 俺を置いてかないでくださいよぉ~!』

 

『魂の鼓動が止まるまで、人という楽曲は永遠さ……そう思わないかい、イヅル?』

『死んだ人間に言う台詞ですか』

 

『勇音、まだ涙は収めておきなさい。本当に笑えるその時まで……ね?』

『は、はい゛ッ……了解いたしました、卯ノ花隊長……!』

『頑張って生き返った人達がたくさんいるんだ……! まだ僕も諦められない!』

 

『桃、ここが正念場やで! 気張りや!』

『分かってます! 五番隊を預かる副隊長として……ううん。本当に助けたい人が居るから! いくらでもあたしを立たせる理由はあるの!』

 

『鉄左衛門! 今こそ瀞霊廷への恩義を返すべき時! 例え死しても伏すべからず! 己が身を瀞霊廷を支える柱とするのだ!』

『押忍! それが儂等なりの仁義ですけぇ!』

 

『今へばったらぶっ飛ばすぞ、檜佐木! いいな!?』

『えぇ……何度ぶちのめされようが、何度だって立ち上がってやる……!』

 

『松本! 今さら言う事でもねえが……背中は任せたぞ』

『まっかせちゃってください! あたし、張り切っちゃいますよ!』

 

『ちまちまちまちま来やがって……てめえら斬ったところで斬り応えがねえな! もっと骨のある奴出てきやがれ!』

『おらおらァ! 隊長のお通りだ! 雑魚は退いてなァ』

『露払いは僕達に任せちゃってくださいよ、隊長!』

 

『いやァ、それにしてもこれからどんな世界になちゃうんでしょうねェ。涅サン♪』

『フンッ……分かり切った質問をしないでくれたまえヨ、虫唾が走る。ほら、ぐずぐずするな! 行くぞネム!』

『承知いたしました、マユリ様』

 

『しかし、とんでもないな……死神と滅却師が手を取り合うなんてな。こんな日が来るなんて……』

『浮竹さん……そりゃあ、死神も滅却師も関係ねぇってことでしょう。想えば心も縁も生まれるってもんよ……』

 

『いい加減くたばらんかい! こちとら徹夜やねん、いい夢視させろや!』

『同感や。前戯はこれくらいにして、そろそろ気持ちええ思いさせたってくれや』

『まっ、こんくらい頑張ってこそ大団円が盛り上がるって寸法だろうよ……いいじゃねえか、これこそ少年漫画の醍醐味だぜ』

『そうでショウか……』

『み~んな~! あたしを仲間外れにしないでよ~! 全員揃わなきゃヒーローもカッコつかないでしょ~!?』

 

『やれやれ……まさか俺達が死神の為に戦う日が来るとはな』

『そんなこと言って空吾も薄々予想していたんじゃないの?』

『ちょっと! グダグダしゃべってる暇あるならこっち手伝ってよね! 一護~、早くなんとかしなさいよ~!』

『騒いだってどうしようもないよ、リルカ。ラスボスは一護にしか相手できないんだから、僕らはちまちま雑魚狩りにでも勤しもうよ』

『時を満たしてこそ万全を期するというもの……はてさて、そろそろですかな?』

 

 

 

「護廷十三隊……仮面の軍勢(ヴァイザード)……XCUTIONのみんな……!」

 

 

 

 “護廷”の誇りを背に刃を掲げる死神の声も。

 忌わしい力たる仮面を被る仮面の軍勢の声も。

 特別と呪った力に誇りを抱く完現術者の声も。

 

 一つの声が届く度、一護は魂より湧き上がる無尽の力に勇気づけられる。

 

 対する王は、耳を震わせる声を受け取るにつれ身体の自由を奪われていく。見えない力に縛り付けられ、王は苦々しい顔を浮かべる。

 

 あってはならない、このような茶番は。

 ただの声に百万年来の憎悪を抑え込まれるなど。

 

「あってなるものか……! 斯様に矮小な魂に……!」

「───そろそろ、頃合いか」

「! 藍染惣右介、やはり貴様の……」

 

 意味深な呟きを零す藍染に、王は険しい顔で詰問する。

 しかし、どこ吹く風を言わんばかりに余裕を湛える大罪人は『まさか』と返した。

 

「これは必然だよ。貴方が他者の力に縋った、その瞬間に決められていた結末……全くもって私の読み通りさ」

「なん……だと……?」

「まだ分からないか? 貴方は───いいや、貴方の力は芥火焰真に負けた」

 

 突きつけられる事実に閉口する。

 その様相に大罪人は嗤う。

 

「意味が分からないという顔だ。それも仕方がない、貴方と私では力が何たるかという認識に齟齬があるからだ」

 

 悠々と、そして鷹揚と立会人となった男は語る。

 

「力とは魂より湧き出ずるもの。貴方が執心するのは、あくまで霊体に満ちる霊圧や霊力といった表層的な力……故に貴方は、魂の深淵より滲み出る根源的な力を見逃していた」

「戯言を。そんなもので……」

「現に芥火焰真の身体に集う魂は、貴方が掌握した肉体ではなく彼の魂に味方している」

 

 瞠目する王。

 その眼を、集う魂の光が眩ませる。

 

 止まらない。

 今更、止まるはずがない。

 

 絆の聖別によって集められた魂。

 焰真によって与えられ、愛され、育まれてきた力の結実。

 それは今、魂の奥底で眠りにつく一人の死神へと集い、霊体を支配する表層的な力に対抗せしめんとしていた。

 

 肉体の主導権を失い、やっと気づく。

 集う魂は、最初から味方していた───本来の肉体の主へと。

 

 

 

 真に愛した魂を。

 

 

 

「漸く理解したか」

 

 信じていた一人が憮然と告げる。

 

「さて……私からも手向けといこう」

「っ───やめろ!」

「……いい加減目覚めるといい」

 

 王の慟哭も虚しく、一人の大罪人から怒涛の力が雪崩れ込んでくる。

 本来であるならば奪うべき力の一つに過ぎなかった。

 

「ぐっ……!?」

 

 しかし、今だけは違う。

 歴史に名を刻む大罪人───そんな彼とさえも絆を絶たない少年が、今、身体を取り戻そうと覚醒の時を迎えようとしている。

 

(身体が)

 

 動かない、完全に。

 鎖で縛り付けられたように、微塵も。

 

 固く結ばれた絆の力は今、悪意に駆られる肉体を止めんとする鎖となって、暴力では千切れぬ無類の強さを発揮していた。

 

 それは致命的な隙。

 するや、晒した無防備を前に黒が閃く。

 

「おおおおおっ!!!」

「黒崎……一護!!!」

 

 右手に霊力を全集中させ、漆黒の霊圧を爆発させる一護が吶喊してくる。

 防ごうにも防げない。がら空きとなった胴体は、構えられる刃を受け入れるだけの体勢を整えるのみ。

 

「帰ってこい、焰真あああああ!」

 

 大勢の魂の願いを背負って立つ一護は、万感の思いを胸に叫ぶ。

 そうして突き出される鋒は、吸い込まれるように胸の中央を目指した。真っすぐに、何の躊躇いも無く、

 

 

 

 最上の虚を衝いた。

 

 

 

「っ、……は」

 

 王の中心(ココロ)を。

 

 食らいついて、放さない。

 牙は確かに捕えている、憎悪に駆られた御心を。捧げた死神としての人生は、確かに王へと届いていた。

 すべての喪失までの刻限を思えば、これが最後のチャンス。“絆の聖別”による不測の束縛も二度は通じない。

 

 ゆっくり、ゆっくりと刃を押し込む。

 全身全霊を注ぎ込んだ月牙からは、微かに王の脈動を感じ取る事ができる。注ぎ込む力に相反し、刃から伝わる感情は黒く粘着質で───酷く冷え切った虚しさと悲しさばかり。

 

 ひどく矛盾した感情の波が、一護の心へ流れ込んできた。

 荒々しい波のような感情があれば、静穏な海底のような感情もある。

 

 この海の荒立たせる衝動はなんだ? ───怒りだ。

 この海の暗闇を成すものはなんだ? ───憎しみだ。

 この海を生み出したものはなんだ? ───悲しみだ。

 この海が光に満ちぬ理由はなんだ? ───虚しさだ。

 

 百万年もの涙に埋もれた心の裡は、斯様に複雑で、ちっぽけな少年一人が共感してしまえるくらいに人間臭いと、一護には思えた。

 だからこそ、心底思う。

 

───今、終わらせてやる。

 

 決意を胸に、もう一歩踏み出そうとした───その瞬間の出来事。

 

「こんな……もので」

 

 直後、刃に響く鼓動以外の衝撃。

 吸い寄せられるように一護が眼を遣れば、体と心───二重の痛みに鬼の如き形相を作り上げる王と目が合った。

 

「私を……殺せると思ったか」

「違ェよ。俺はアンタを殺す為に戦ってんじゃねえ」

「ならばなんだ?」

「アンタを……止める為に戦ってんだ」

「愚かな」

 

 押し込む刃が、反発してくる力に小刻みに震える。

 一瞥すれば漆黒の刃を掴む王の手が見える。紺碧の紋様を浮かばせながら白刃取りしてみせる手からは、相反する真紅の体液が雫となって地面に零れ落ちた。

 

「止めたところでどうする? 私という存在が在り続ける限り、この世界はいつ訪れるやもしれぬ恐怖に脅かされるというのに。私を止めたくば、殺すしかあるまい」

「それも……違えんだよ」

「何が違うか。私を止めるということは、そういう意味だ。誰にも変えられはせぬ、この意味は」

 

 冷淡で観念した物言いが、少年に突き付けられる。

 次第に突き立てられた刃が押し戻されていく。何者にも染められぬ漆黒の刀身も、次の瞬間に広がりゆく紺碧の紋様により、次第に色を失いつつあった。

 肉体の大部分を縛られようと、巡る血潮に宿る王の力までもが無力化された訳ではない。

 

 奪われゆく黒に対し、白が燃え上がる。

 

 形勢逆転。

 千載一遇の好機ですらも無為に帰そうとする間、王は静かに終焉の時を待つ。

 

 だが、少年の瞳は揺らがない。

 

「変わるさ、きっと」

「? っ……───!?」

()()……()()()()()()()!」

 

 ()が、白く濯がれる。

 

「なんだ……この力は……!!?」

 

 驚愕を隠せない王は、全身を駆け巡る白くさらさらとした力に目を見開いた。

 全身を焼き付けるような、熱く眩い衝動。それでいて穏やかな温もりを覚えさせる感覚は、痛みともまた違った代物であった。

 

 刹那、王の悪意に呼応して燃え上がっていた断罪の焰が霧散する。

 

「っ!!?」

「……やっと……届いたかよ」

 

 待ち焦がれていた、そう言わんばかりに一護が紡ぐ。

 

「こいつは死神なら誰もが持ってる力……そいつをほんの少し、滅却師の力を借りて強めたモンだ」

「……! まさか、貴様……!」

()()()が遺したモンが、まさかこんな形で役に立つとはよ」

 

 皮肉なモンだぜ、と可笑しそうに笑う一護。

 最後の月牙天衝、その超絶とした膨大な霊圧は始めから斬る為ではなく、()()為に振るわれていた。

 

 すべては、一人の死神を侵す悪意を濯ぐべく。

 

 それは本来、一人の死神の祖が、心を見失った虚を救い上げる為に創り上げた神器の権能。

 

「ルキアが俺に託してくれたみてえに、俺も賭けてみることにしたんだ」

「貴様すら……私の邪魔をすると言うのか……!」

「あいつン中の力を……」

「───()()()()()()!」

「───死神の力をよ!」

 

 普く死神が携える力。

 普く虚を救済する力。

 そして、滅却師の血によって覚醒(めざ)めた力。

 

 

 

 

 

黒崎一護/17歳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

髪の色/オレンジ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞳の色/ブラウン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

職業/高校生:死神

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖文字(シュリフト)/B

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浄罪

───『BLEACH』───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 相対する断罪と浄罪の力。

 始めこそ両者は拮抗し合う。

 だが、注ぎ込まれた浄罪の力は、滅却師の血に乗って巡る黒い悪意を漂白していく。

 

 

 

 王の心の中へ、広く、深く。

 

 

 

 古の思いと願いが、時代を超える形で。

 

 

 

 色褪せる事無く、確かに彼の元へ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 暗い闇が広がっている。

 

 闇夜を衝き上げる塔も、今や崩れる寸前。

 積み上げた因果を焼き尽くした今、激しい振動と共に各所が崩れ落ち、倒壊しそうな様相を呈している。

 

 王は、その天辺に立っていた。

 

 この世界の主である青年も居らぬ中、満点の星も消え、永久の闇ばかりが浮かぶようになった空の下でたった一人。

 寂しくはなかった。長い間、ずっとそうだったから。

 これからもきっと変わらぬままだろうと諦めがついた心は、揺れ動く世界に相反するように静けさを保ったままであった。

 

「……」

 

 柔らかい風が薙ぐ。

 何かを知らせるように吹きわたった風は、冷え切った王の頬を優しく撫でた。

 

『……来たか』

 

 察したように振り返る。

 すれば、延々と広がる夜空に変化が訪れていた。

 

 星一つ浮かばない空に一つ、また一つと点が浮かび上がっていく。

 紛れもなく星───生命の輝きたる光は、時と共に増えてゆく。そうして夜空を望むこと、どれほどの時間が経っただろうか。

 

 いつの間にか、夜空は満点の星に埋め尽くされていた。

 

 目を奪われるような光景を前に、王は黙して見上げるばかり。

 そうしている間に夜空が零れ落ちてくる。深く、そして優しい黒はヒラヒラと柔らかな翅を羽搏かせながら、王の立つ天辺へと舞い降りる。

 この夜空の化身たる黒いアゲハ蝶───地獄蝶の群れは、溶け合うように繋ぎ合わさっていった。

 

 

 

 片や夜空は死覇装へと。

 片や星々は斬魄刀へと。

 

 

 

 数多の人々の願いと想いは、幾星霜を経て一人の死神を導いた。

 

 

 

『───芥火……焰真』

 

 

 

 王が呼ぶ。

 

 

 

「───ああ……」

 

 

 

 死神は答える。

 

 

 

「待たせたな。ずっと……ずっと長い間」

 

 これまでに出会ってきた人々の魂が折り重なった剣を握る焰真。

 湛える面持ちからは肉体を奪った王への厭悪感は微塵も漂っておらず、凪いだ海のように静穏そのものであった。

 

 怨みはない。

 怒りもない。

 

 あるのは、ただ彼を救いたいという思いばかり。

 

 固い決意と共に斬魄刀を構える焰真は、内なる虚と化した王に対峙する。

 

「だから……ここで絶ってみせる」

 

 浄罪の力を宿した一刀は、やがて清廉な輝きを放ち始めた。

 

「あんたを救って」

 

 一方で王もまた剣を生み出す。目玉の浮かぶ影ばかりの肉体から、深淵を覗き込むような色彩の黒を伸ばし、それを己の武器とした。

 

 睨み合う両者。

 しかし、築き上げた白亜の塔が崩れ去るのも間もない未来。多くの罪を洗い流し、大勢の命を救い上げた誇りの象徴も消えゆく運命にあった。

 

 残された時間は少ない───互いに。

 

 故に、迷う事無く駆け出す。

 

「───!!!」

『───!!!』

 

 己の剣を握り、一瞬の剣戟を制そうと全霊を籠める。

 

 

 

『───焰真』

 

 

 

 刹那、懐かしい声が胸に響く。

 

 思い起こされるのは柔らかな掌の感触。

 それが今、堕ちた魂を救う斬魄刀を握る死神の手にじんわりと広がった。

 

(ひさ姉……)

 

 家族の愛を教えてくれた女性の声が、少年だった死神に勇気を与える。

 しかし、届く声は彼女だけに留まらない。

 

『焰真!』

 

 ルキアの華奢な手が。

 

『芥火ぃ!』

 

 海燕の頼もしい手が。

 

『焰真くん!』

 

 雛森の柔らかな手が。

 

『焰真ぁ!』

 

 恋次の奮い立つ手が。

 

『芥火焰真』

 

 白哉の揺るがぬ手が。

 

『アクタビエンマ!』

 

 虚白の懐かしい手が。

 

『帰ってこい……焰真!』

 

 一護の直向きな手が。

 

『焰真さん!』

『芥火副隊長!』

『芥火ィ!』

『アックン!』

『焰真さぁーん!』

『芥火くん!』

 

 声は止まない。

 未だに響き重なる声は、そうして力を束ねて押し上げる。

 ちっぽけだった魂を、たった一人を救えるだけに。

 

 胸が、熱い。

 熱くて熱くて堪らない。

 今にも心が燃え上がり、焼き尽くような情動に背中を押される焰真は、全身に滾る勇気に目頭を熱くさせながら、目尻から零れゆく一粒の雫を置き去りにする。

 

 あの頃とは違う。

 弱さを悔やみ、ただ泣く事しかできなかった少年の自分とは。

 

 あの頃よりも、一歩前に踏み出し涙を追い越す背中こそ、その成長の証に他ならなかった。

 

『ぇんぅー……』

「!」

『まぁー!』

 

 最後に届いたのは小さな声。

 幼く、か細く。今にも吹き消されそうな灯火を幻視させる赤子の声だった。

 

 けれど、その声が誰のものか知っている。

 

 

 

 小さな掌は、忘れられないくらいに温かかったから。

 

 

 

(六花……)

 

 

 

 優しく、そして強く握り返す。

 

 放さない、絶対に。

 この温もりだけは、放してなるものか。

 

 未来を生きる子供の為にもと。

 青年は、一人の大人として戦う決意を固めた。

 

 

 

 

 

(俺は───)

 

 

 

 

 

「おおおおおおおおおおっ!!!」

『ああああああああああっ!!!』

 

 

 

 

 

(届けるよ、みんなの願いを)

 

 

 

 

 

 漆黒が爆ぜ、白刃が煌めいた。

 

 閃光に遅れ、力の本流は絶え間なく溢れ出づる。刹那の剣戟により刻まれた刀傷からは、血飛沫に似た漆黒が舞い上がっては落ちていく。

 夜空を衝き、世界を埋め尽くす黒い雨。それが続いたのも少しの間であった。

 

 

 

『……ありがとう』

 

 

 

 影が洗われていく。

 暗い感情に覆われていた輪郭も、次第に漂白されていけば、穏やかな表情を湛える一人の男の姿を浮かび上がらせる。

 

 未来を掴み取ったのは───小さな星々だった。

 

 突き立てられた刃にそっと触れる男。そこに込められた数多くの想いと心に耽りながら、やがて自ら身を引いた。

 半歩引き、穿たれた孔を愛おしそうに撫でる。

 それも瞬く間に埋められて影も形もなくなるが、思い出した生命の衝動は、たやすく消えぬ程には鮮烈で熱烈な記憶を刻み込んだ。

 

 穏やかに目を伏せる男は告げる。

 

『そして、おめでとう。これで未来は君たちのものだ』

「……本当に」

『なんだい?』

「本当に……俺は、あんたを救えたのか?」

 

 不安そうな眦を向け、問いかける。

 その様子は、まだ子供らしさが抜けていないように見え、男は思わず可笑しそうに笑みを零した。

 

『ああ、私も……』

「……!」

()()()()

 

 気づけば、男は一人の赤子を抱きかかえていた。

 生まれたままの姿で、まだ眼も開き切っていないような初々しい存在。

 

 しかしながら、どことなく見覚えがある。

 数秒の思考。その後にあたりをつけた焰真は、ほんの少しばかり瞳を見開いた後、静穏な面持ちを浮かべてみせた。

 

「そう、か……それなら……よかったよ」

『……なまじ永い時を生きると、懸命になるのが億劫になってしまう』

「……そういうものなのか?」

『ああ。だからといって死ぬのも恐ろしい。どれだけ永く生きようと、人は臆病なままなんだ』

 

 ぐずり始める赤子に、男は一層優しい声音であやす。

 

『けれど……命に終わりがあるからこそ、君たちのような勇気が堪らなく尊いのだと、私は考えるよ』

「……霊王様」

『私は王などではないさ。ここに居るのは───一人の父さ』

 

 徐に踵を返し、光差す方角を目指す。

 

「どこに?」

『輪廻の道に』

「……もう、行くのか」

『いつか会えるさ。君が死神である限り』

「!」

 

 思い残したことはない。

 そう言わんばかりに、父は見送る死神に背を向けて歩き出す。

 

 

 

『世界は───そういう形に廻っているのだから』

 

 

 

 さようなら、と。

 

 

 

 そして。

 

 

 

 またいつか、と。

 

 

 

 晴れやかな笑みをと共に───父子の姿は、光に消えた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 戦火の音が、遠い出来事のように遠のいている。

 

 世界から切り離されたように静止を続ける二人の英雄。

 彼らが沈黙してから、どれだけの時間が経っただろうか。

 

 王の胸を貫く一護の頬には、血が混じった一筋の汗が伝っている。

 心血を注ぎ、全霊を放った。これでどうにもならなければ、取らざるを得ない道は一つに限られるだろう。

 緊張の一瞬は目の前。にも拘わらず、世紀の大博打を打った一護の面持ちは穏やかそのものであった。

 

(……伝わってくる)

 

 冥い、冥い夜のような漆黒の剣。

 

 未来を投げうって成した一振りの刃には、じんわりと熱が帯びていく。

 

───温かい。

 

 これを自分は知っていると、一護は口元に三日月を浮かべる。

 戦いで熱狂したが故の火照りでも、ましてや、怒りで煮えたぎった怒りでもない。そこに当然の顔をして浮かぶ太陽のように、人と人が触れ合う時、自然と魂を温めている優しい心の光。

 

 

 

 

 

 太陽に照らされて、月は微笑んだ。

 

 

 

 

 

「……待ってたぜ、焰真」

「……ああ、ありがとう」

 

 

 

 

 

 向き合う両者。

 一護は胸に衝きたてた刃を引き抜き、魂の奥底より舞い戻った死神の帰還を歓迎する。

 

「ったく、心配かけさせやがって!」

「悪い……でも、お前らが救ってくれただろ?」

「礼なら他の奴らにも言ってやれよ。俺だけの力じゃねえ。みんながお前を救いたがってたから、こうして取り戻せた」

 

 そう言って右手を握る一護。

 こうして彼が剣を手に取っていられているのも、力を喪失した彼を想って大勢の死神が手を取り合ったからだ。

 

 百万年の不変を変えてみせた帰結が、こうして巡り巡って一人の死神を救い出した。

 

「……いや、()()()()()()()

「うん?」

「……さぁーて、それよりも仕事だ仕事!」

「おい! 今なんつったよ!?」

「気にするな! それよりも()()だ!」

 

 胸に残る熱に耽るのも程々に、世界の危機とは思えぬ晴れやかな笑みを湛えた焰真が空を仰ぐ。

 視線の先に佇むのは霊王宮の破片を環のように浮かべる巨大な眼球。霊王とユーハバッハの力が混ざり合った残滓は、今も尚瀞霊廷を目指している。

 

「アレをぶっ飛ばして世界を護る! 準備はいいかよ、一護!?」

「───トーゼン!」

「それならいっちょ、最後の大仕事といこうぜ!」

 

 最後に絶ち切るべき存在を前に、焰真と一護は空を握る。

 すれば、全身を巡る霊力の全てが収束を始めた。

 

 一護の手には、夜空のように青く縁どられた黒い刃が。

 焰真の手には、朝空のように赤く縁どられた白い刃が。

 

 未来を懸けた一閃を前に、光は燦然たる輝きを放つ。

 

「みんなァ! 聞こえるか!?」

 

 しかし、それだけで終わるはずもないと焰真は声を上げる。

 瞬間、瀞霊廷に居る全ての魂が震えた。

 それが合図と言わんばかりに、死神は言の葉を紡いで生きようと呼びかける。

 

「みんなが頑張ってくれたお陰で、元凶はどうにかできた! あとは───あのお天道様隠すデカい目ン玉だけだ!」

 

 歓喜が大気を通して伝わってくるようだ。

 だが、真に喜ぶべきはまさしく落下する残滓の塊を解決してからだ。

 

 その方法を───二人は知っている。

 

「……なあ、一護」

「あん?」

「心残りはねえか?」

「……今更何訊いてやがんだ!」

「いって!?」

 

 神妙な面持ちを浮かべて訊いた焰真に、一護は蹴りで答える。

 

「んなもん、未練タラタラに決まってんだろ!」

「そうか……って、はぁ!?」

「折角みんながあくせく頑張って集めてくれた力だぜ? それを手放したら、他の奴らになんて言われるか堪ったもんじゃねえ」

「い、一護……」

 

 思わぬ返答に唖然とするが、『でも』と一護が続ける。

 

「ここでそいつらを見捨てた俺を、明日の俺はぶん殴るだろうよ」

「! ……そうか、そうだよな」

「だから後悔はねえ! これっぽっちもな」

「……俺もだ」

「なら、全部をぶつけてやろうぜ!」

「ああ!」

 

 刹那、各地より届いた力を宿し、双星の刃は影に覆われる瀞霊廷に閃いた。

 世界を両断するように強く、強く、強い輝きを放つ一閃。それは迷う事無く、空に我が物顔で居座る悪意の残滓を目指して突き進む。

 そのように照らされる光景に、焰真は優し気な眦を送っていた。

 

 

 

 

 

(今度は……見守っててくれ)

 

 

 

 

 

 心の中で呼びかける。

 

 

 

 

 

(あんたが護ってきた世界を)

 

 

 

 

 

 これまでを担ってきた、彼に。

 

 

 

 

 

(これからは、俺達が護っていくから)

 

 

 

 

 

 そして、誓う。

 

 

 

 

 

「───無月(むげつ)!!!!!」

「───火輪(かりん)!!!!!」

 

 

 

 

 

 勇気づけられた、この魂に。

 

 

 

 

 

『───……!!!!?』

 

 

 

 

 

 ()()が昇る。

 

 それは暗い影を照らす、二つの一閃。

 それらが重なれば暗澹たる絶望の気配に覆われていた瀞霊廷に光が差し込んだ。見事なまでに絶ち切られた影は。原型を留めることもできぬまま、次の瞬間には弾けるように飛散した。

 

「……ほう」

 

 見上げる空に描かれる景色に、立ち会っていた藍染が感嘆の息を漏らす。

 

「これは、また……───」

 

 差し出した掌に降り注いだのは、不気味な黒い液体などではなく、細やかな輝きを放っては消えゆく光の───。

 

 

 ***

 

 

───導かれている。

 

 そう感じたのは、光が目の前を揺蕩っているから。

 深い暗闇に浮かぶ光は、こちらを案内するように付きまとう。

 その不安定で、無軌道で、移り気な歩き方は幼い子供を思わせるようで。

 

 歩き続けること、暫くしての事だった。

 不意に止まった光が、もじもじとまごついている。

 何事かと小首を傾げれば、彼は不器用なりに自分が欲しているものを表現しているようだった。

 

───……ああ、これは。

 

 懐かしい。

 感じた途端、笑みが零れてしまう。

 

───はい……手を繋ぎましょうか。

 

 

 光に差し伸ばせば、何かに手を掴まれる。

 すれば、世界には煌々とした光が満ち溢れ始めた。

 

 温かい。

 そう理解した途端、視界が色鮮やかに彩られていく。

 

「───……ぅ……ぅん……」

「あぅー……」

「……六花……?」

 

 真っ先に目に入ったのは、愛する我が子。

 まだ物心もついていない年ごろだというのに、侍女に抱かれながらこちらを見つめる姿は、紛れもなく母親を心配している様子に他ならなかった。

 

「奥方様!」

「……ちよ」

「あぁ、よかった……! 緋真様が倒れられてから、ちよは心配で心配で……!」

 

 ややもすれば赤子より泣きじゃくっている侍女に見遣り、緋真は『ありがとうございます』と笑いかけた。

 

 状況把握の為にぐるりを見渡せば、これまた大勢の人間がこぞって集まっていた。

 ちよの他にも救護に手を貸してくれたであろう人々が、寝台に横たわる緋真に向けて憂いの目を向けていたのだ。

 意識が戻るのを見るや、ホッと安堵の色が広がる彼らを見れば、余程心配をかけていたと想像するのは難くなかった。

 

「申し訳ございません……自分が虚弱なのを忘れ無理して、あまつさえ多大なご迷惑を」

「いえ、いえッ……ちよは緋真様がご無事なだけで……!」

「ちよ……」

「これも空から降ってきた奇跡のお陰でしょうか」

「奇跡?」

 

 はい! と泣き腫らした顔のまま快活に頷くちよは、これまた大勢の人々が集まっている部屋の外を指さす。

 侍女の支えを受けながら立ち上がる緋真は、ゆっくりと人の輪へと歩み寄る。

 

 そして、目の当たりにしたものは───。

 

 

 

「……綺麗……」

 

 

 

 溜め息が出るような、幻想的な光景。

 そこには太陽を覆い隠す脅威などはなく、雲一つない青空から雪にも似た光の塵が絶え間なく降り注いでいるではないか。

 光の塵は、触れればパッと溶けるように消え入る。

 しかし、消える瞬間に肌身に残されていく温もりは、愛する人に抱かれたかの如く、熱く胸を高鳴らせる気分にさせるようだった。

 

「あぁー! うぅー!」

「こらこら、六花……危ないですよ」

「むぅー!」

「もう、こんなに元気いっぱいで……誰に似たのでしょうね?」

 

 愛娘は侍女の腕の中で手足をばたつかせ、降り注ぐ光の塵に手を伸ばす。

 落とすまいと冷や汗を流し、必死に抱き留める侍女の姿に、思わず緋真はコロコロと笑った。これも空よりもたらされる言いようのない温もりの所為だろうか?

 

「……あ」

 

 すると、不意に予期せぬ訪問者が緋真の下へ。

 

 それは蝶。

 優しい輝きを放ち、瞬いては消え入る鱗粉のような光の尾を描きながら舞い降りる存在である。

 ひらひらと翅を羽ばたかせ、緋真が差し出した指先に止まったかと思えば、次の瞬間には跡形もなく崩れ去って世界に溶け込む。

 

 すると、悴んでいた彼女の指先に熱が伝わってきた。

 

「これは……」

 

 導かれるように、空へ目を向ける。

 

「きゃっきゃ!」

「……うふふ。とっても綺麗ね、六花」

 

 無邪気に笑う愛娘を受け取り、緋真は共に望む。

 

 傷ついた土地を。

 傷ついた人間を。

 傷ついた世界を。

 

 そのすべてに祝福をもたらさんとする、光の蝶の群れを。

 

 特別な力を持つ訳でもない緋真でも、各地で巻き起こる奇跡で歓喜に沸き立がる様子が目に浮かぶようであった。

 

 種族の垣根を超え。

 過去の軋轢を超え。

 

 明日を迎え入れた喜びを、彼らは共にしているのだと。

 

 

 

 

 

「こうして分かち合える……そうなのでしょう? 焰真」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 あれほどの巨影も、今や目を見張るばかりの天の川のような光の蝶の群れへと変貌しているではないか。

 

 瀞霊廷全土に降り注ぐ力の残滓は、そうして戦火で傷ついた戦士を祝福するかのように癒して廻る。

 

 当然、藍染にも光は来る。

 

 まるで、自分もまた祝福された魂だと。

 そう言われんばかりに光に包まれる藍染は、苦々し気に───それでいて可笑しそうにほほ笑んだ。

 

「なんとも清新な決着だ」

 

 そう漏らし、視線を百万年の怨嗟を絶ち切った英雄へ向ける。

 

 

 

「だが……それも君達らしい」

 

 

 

 嘘偽りのない言葉と共に、柏手が空に響き渡る。

 

 

 

 最早、この空を遮るものは何一つ無い。

 

 

 

 人々が掴み取った掛け替えの明日が、そこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千年血戦

───終───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




*9章 完*
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