「異動……ですか?」
「ああ、そうみたいだね」
四番隊綜合救護詰所にて、焰真が異動についての話を聞いたのは、先日の虚との戦闘から三日後のことであった。
体のダメージは大きく、未だベッドから抜け出すことができない焰真へわざわざ異動についての仔細が綴られた書類を持ってきた弓親は、なんとも言えない表情だ。
そのような上官の顔を見つめる焰真は、ふととある言葉を思い出した。
―――鬼道系の斬魄刀では十一番隊には居られない、と。
視線を横に逸らす。
そこには焰真の斬魄刀が立てかけられているのであるが、浅打のように何一つ特徴のない刀から、鍔が五芒星に縁が重なったような形となり、柄は漂白されたかのような純白へと変化していた。
解放できるようになった斬魄刀は、封印状態にあっても所有者の斬魄刀であるが故の特徴が出る。これらの特徴は、焰真が意図していないながらも始解したに他ならない証拠だ。
しかし、焰真は解号も斬魄刀の名前すら知らない。
(弓親さんたちの話じゃ、死ぬか生きるかの土壇場で一時的に解放できたって話だけど……)
脳裏を過るのは、謎の女性が自分に力を与えてくれて去っていった後の光景。
刀身から迸る青白い炎は味方さえ巻き込まんと周囲を包み込んでいったが、あの場に居た隊士たちには火傷はこれっぽっちも負わなかった。
代わりに、恋次を喰らおうとしていた虚はその熱さ故かもがき苦しみ、空間を切り裂いて逃げていったのだ。
倒せなかったことを悔やむべきか、なんとか生き残れたことを喜ぶべきか。
(……今はどっちの気分でもないな)
弓親が去っていった後、病室の天井を眺める焰真は目頭が熱くなる感覚を覚えた。
目尻から側頭部へと零れる雫は、自身の力の無さを悔やむが故に流すもの。
どうやら『こう在りたい』と願う存在になる為には、些か力が足りな過ぎるようだ。
今回の一件は、そのことを焰真に痛感させる出来事であった。
***
「―――僕が五番隊隊長の藍染惣右介だ。これからよろしく頼むよ、芥火くん」
「よろしくお願いしますっ!」
約一年で十一番隊からの異動となった焰真であるが、肝心の異動先になった隊は五番隊であった。
隊長であるのは、今目の前に居る眼鏡をかけた茶髪の優男風の男性。
噂は当時一回生であった焰真が恋次、吉良、雛森の三人が虚に立ち向かった事件の際に救助に来た隊長ということから、僅かながら耳にしていた人物でもある。
(何て言うか……十一番隊に居る人と雰囲気が違い過ぎて酔いそうだ)
汗臭い十一番隊とは違い、甘ったるい香りを漂わせる藍染。
そして一挙手一投足が洗練されているようであり、焰真に別次元の人間であるかのような錯覚を覚えさせたのであった。
その後、軽く五番隊の隊訓や仕事の説明を受け、隊舎を案内される。
「実は君の噂は聞いているんだよ」
「え? 噂……ですか?」
流れる噂などあったものかとここ数か月の自分の身の振る舞いを思い返す。
「阿散井くんと仲の良い子が特に熱心だとね。阿散井くんはその戦闘能力の高さを買われて十一番隊に取られてしまったけれども、その十一番隊でも特に熱意のある君を五番隊に迎え入れられて、僕は嬉しく感じているんだ」
「きょ、恐縮です」
「ああ、だからといってそんなに緊張する必要はないよ。先日の一件……目の前で仲間を失って辛かっただろう。助けられなかった無力を嘆いているかもしれない。でも、焦りは禁物さ。君はこれからの人間だ。焦らず、一歩ずつ着実に進んでいければいい」
「は……はい」
「その途中で何かに躓いてしまったのであれば、遠慮なく僕に頼ってくれ。力を貸すよ」
「ありがとうございますっ!」
全てを見透かすように語る藍染に、焰真は格の違いを見せられたような気分となった。
更木ともまた違った別格の存在。聡明という言葉がまさしく似あう男だ。
(あと、顔もかっこいいなぁ)
そしてイケメン。
霊術院時代、クラスの女子生徒が藍染についてキャッキャウフフと騒いでいた理由がなんとなくわかった気がする焰真なのであった―――。
閑話休題。
「君とは……そうだなぁ。君としても同期の子との方が仕事はしやすいだろう」
「え、あ、まぁ……恐らく」
「だから、適任な人物が一人居るよ」
「今向かっている先に居る訳なんですか?」
「勘がイイね。その通りさ」
キラリ、と振り返った藍染の眼鏡が煌いた……ように見えた。
意外と茶目っ気があるのかもしれない。
などと思っている間にも、目的地に辿り着いたのか藍染はある部屋の前に立ち止まった。
「雛森くん。少しいいかい?」
『ひゃ、はい!? ちょ、ちょっと待ってください!!』
「ああ」
襖の先でドタバタと足音が響いてくる。
その間、焰真は藍染が口にした名に心当たりがあるかのように思案していた。
(雛森? 確か、一組の―――)
「お、お待たせしました!」
ガラリと勢いよく開かれた襖の先に居たのは、可憐な野花を思わせる小柄な少女。
黒く艶のある髪を、一つ結びにまとめる少女は、焰真も何度か見たことのある人物―――雛森桃であった。
だが、
「……」
「……」
「あ……あの、どうかしたんですか?」
雛森の顔を見るや否や黙ってしまう男性陣。
その様子に不安を覚えた雛森が問いかければ、藍染が苦笑いを浮かべながら彼女の顔を指さす。
「おまんじゅうは……おいしかったかな?」
「ふぇ? ……あ、あぁ~~~! こ、これは違うんです!」
藍染がさす指の先を辿り頬に手を当てた雛森は、頬についてたまんじゅうの食べかすであろう餡子に気がつき、みるみるうちに赤面していく。
「決してサボって食べていたとかじゃなくて! ついさっき先輩方が差し入れだと持ってきてくださって! 食べずにおいてたら悪くなっちゃうんじゃないかって、それで……ッ!」
「そんなに焦って弁明してくれなくても大丈夫さ。別に菓子を食べていたからといって咎めるほど厳しいつもりはないよ」
「す、すみませ~ん!」
「……」
藍染を目の前にして必死に取り繕う彼女の姿は小動物を彷彿とさせる愛らしさがあった。
十一番隊という男所帯に居た為か、元々可憐な容姿である彼女が一層可愛く見えてしまう。
焰真は得も言われぬときめきを覚えつつ、これから共に死神としての仕事を共にする女性を見つめる。
それから少し経って雛森が落ち着いた頃を見計らい、藍染は柔和な笑みを浮かべて焰真に振り返った。
「芥火くん、この子がこれから君を世話してくれる雛森桃くんだ」
「よ、よろしく頼む」
「そして雛森くん。この子は今日を以て十一番隊から異動してきた芥火焰真くんだ。面倒を看てあげてくれ」
「は、はい! よろしくね」
はにかんで手を差し出してくる雛森に応え、焰真も手を差し出し、やんわりと握手を交わす。
こうして焰真の五番隊としての生活が始まるのだった。
***
「芥火くん! この書類、十一番隊に届けて!」
「おう」
「芥火くん! 隊首室のお菓子なくなりそうだから、菓子折り買って来て!」
「お、おう」
「芥火くん! ここの地区のお掃除お願い!」
「おぉう……」
一日を振り返る。
あれ? 話だけ見るとパシリにされてるだけじゃないか? と。
だが上記の雛森とのやり取りは、全て与えられた仕事を的確に雛森に割り振られた時のものだ。いいように使い走りにされている訳では決してない。
それに可憐な少女が一生懸命指示を飛ばす様は中々悪くないように思える。
流魂街時代には異性に対する意識は乏しかったものの、霊術院、そして男所帯の十一番隊を経たことにより、女性を年相応に意識するようになってしまったかもしれない。
その上で、霊術院時代もそこそこ人気のあった雛森と接したとしよう。
余程斜に構える者でない限り、反感は抱きにくい。
(“惚れた弱み”っていうのは、きっとこういう感覚なんだろうな)
特段雛森に恋愛的な好意を抱いている訳ではない焰真であるが、カワイイ女性に弱くなってしまうのは男の性とも言うべき性質だ。
十一番隊時代、座敷に遊びに行き一人の芸者に給料を貢いで一文無しになっていた先輩を目の当たりにし、なんと計画性のない人間だと呆れていたものだ。
だが、今ならば貢いでいた気持ちが少しは分かる。あくまで少しだ。
―――だってカワイイんだもの。
「ふぅ~、お疲れ様芥火くん! なんだか今日は一日中走らせたみたいでゴメンね。大変だった……でしょ?」
「い、いや。病み上がりの体にはちょうどいい運動だったぞゥ」
若干声が上ずった。
そのことに少し羞恥心を覚える焰真であったが、その一方で雛森は深刻な表情を浮かべる。
「え……病み上がりだったの? ご、ごめんなさい! あたしそんなこと知らなくって!」
「いや、謝らなくて大丈夫だ! 治ってるから!」
「ほ、ホントに? 具合悪くない?」
「悪くない。そうだ、寧ろ動き足りないくらいだ!」
心底心配し濡れた子犬のような瞳を浮かべてみてくる雛森を前に居た堪れなくなった焰真は、必死に取り繕う内に一つの考えが頭に浮かんだ。
「なんなら、仕事終わった後に鍛錬に付き合ってくれ」
「え?」
「あ……
「そ……そんなに大層に言われるほどの腕じゃないよ」
謙遜する雛森であるが、反応は悪くない。
因みに彼女の鬼道の腕は焰真たち2066期生の中でも群を抜いており、将来的には鬼道専門の部隊である鬼道衆にも勝るとも劣らないほどに成長すると、霊術院時代には既に期待されていた。
ルキアも同期に比べれば優れた鬼道の腕を持っていたが、それでも雛森は頭一つ抜きんでている。
「でも腕は確かだ。時間があればでいいから頼む!」
合掌して頭を下げる焰真。
「しょ、しょうがないなぁ……」
すると雛森はあっさりと承諾してくれた。
どうやら焰真が押し勝ったらしい。
雛森との鍛錬の約束を勝ち取った焰真は溌剌とした笑みを浮かべ、いじらしく前髪をいじる彼女に礼を告げる。
そして焰真の五番隊としての初日が終わっていく―――。
***
「現世駐在任務だぁ?」
とある料亭の座敷にて、料理を摘まんでいた恋次が素っ頓狂な声を上げた。
それは焰真が五番隊に異動してから一か月後の話。
五番隊の雰囲気にも慣れたり雛森との鍛錬もあったりなど、公私共々日々が充実していた頃だった。
『雛森くんと芥火くんには、これから数か月の間共に現世の駐在任務に就いてほしいんだ』
『あ、あたしと芥火くんがですか?』
『ああ。雛森くん……ここだけの話、君はいずれ五番隊を担う人材に成長してくれると僕は思っているんだ。そのためにも上に立つ者としての経験として、駐在任務を就いてほしいと思ってね』
『わ、わかりました! あたしやります!』
……などというやり取りがあり、『頑張ろう、芥火くん!』とやる気十分の雛森を止められるハズもなく(もとより止めるつもりはないが)、焰真は流れに呑まれるがまま駐在任務に就くことになった。
「役得じゃねえか」
「そうか?」
「そうだろうよ」
「なにがだよ」
「そりゃあ……言わせるなァ!」
「なんでキレた!?」
途端にキレる恋次に慄く焰真。これが最近の若者か……と。しかし、焰真も霊術院時代よりは感情の抑制はできるのだが、まだまだ頭に血が上りやすいことを追記しておこう。
閑話休題。
駐在任務に就けば、否応なしに暫くの間尸魂界に戻ってくることができなくなる。
その為、出立するより前に友人である恋次と共に食事に来た焰真は、何気ない一時を楽しんでいたという訳だ。
しかしどうだ。いざ、駐在任務についての不安などを愚痴として吐いてみれば、返ってくるのは激怒の声。何が何だか分からないとは、このことだ。
「女と一緒に長期駐在任務なんざ、お前……お前っ! 現抜かすんじゃねえぞ!」
「抜かさねえよ! 寧ろ気を遣うだろ!」
「それもそうだな! スマン!」
「いいってことよ!」
変なノリとなった二人は、料理が並ぶテーブルの上にて手を組み交わす。
そのようなやり取りを経て、二人は話に戻る。
「―――それで、まだ斬魄刀の名前は聞けてねえのかよ」
「ああ。あの日からまたうんともすんとも言わなくなった」
「ふーん、それにしても変な話だなオイ。刀は変わったのに始解ができねえなんざ」
次なる話題は焰真の斬魄刀についてであった。
生命の危機に瀕した際に魂魄は急激に霊力を上昇させるというが、それがきっかけか否か、焰真の斬魄刀は一度始解の段階に踏み込んだ。
虚だけを灼く青白い炎を迸らせたのがその証拠。
鍔も柄も鞘も変化した。だが、依然として焰真は始解ができない。
そして変化がもう一つ。
(ペンダント……無くしちまったな)
幼少期より大切にしていた五芒星のペンダントが無くなったのだ。
確かにあの日は身につけて持ち歩いていた。故に、戦闘の激しさから外れてしまったのかと、休日に先日の場に赴いたものの、結局は見つからず仕舞。
諦めて帰った焰真であったが、変化した斬魄刀をよくよく見る内に、柄がペンダントに酷似している事実に気が付いた。
(まさか……な)
もしかすると、あのペンダントに特殊な力が宿っており、斬魄刀共々焰真が死にかけたことにより力が目覚め、斬魄刀と一体化したのではないか。
そのような妄想を夜な夜な思い浮かべる焰真であったが、真相は未だに謎。
それこそ斬魄刀に訊くしか―――。
「まあ、駐在任務中になんかしら手掛かり掴めんだろ」
「……テキトーに言うな」
「そんなもんだよ、案外。斬魄刀は持ち主の鏡だなんだって弓親さんは言ってたからな。要するに手前に斬魄刀の性格も似るってこったーよ。変に気張らず、気長に付き合えばいつかは聞けるだろ」
「恋次……お前、意外とイイコト言うな」
「意外とってなんだ、意外とたァコラ」
額に青筋を立てる恋次は、何を思ったのか店員に酒を一杯注文する。
するとほどなくして徳利とお猪口がテーブルにやって来た。
今迄酒を嗜んだことのない焰真は、徳利の口から仄かに漂ってくる酒気に思わず顔をしかめる。
「お前酒飲んだっけか」
「いんや。おら、飲めよ」
「はぁ?」
お猪口に酒を注いでいった恋次が、ほんの少しの量ではあるが酒の入ったお猪口を焰真に差し出してくる。
数拍、受け取ることを躊躇ったが、折角注いでもらったのだからと手に取った焰真は、一気に酒を仰いだ。
「どうだ?」
「……苦いし、喉がカッカする。旨いとはちょっとな……」
「だろうな。まだ酒の旨さも分からねえガキの俺たちがあーだこーだ悩んでても仕方ねえんだ。今はまだ我武者羅に頑張る……そういう時期だと俺は思うぜ」
「恋次……」
「へっ、臭ェこと言っちまったか!」
「今日は雨降るんじゃねえだろうな」
「てめェ!! 意外と失敬な野郎だな!!」
仲が良くなるほど失礼になる人間は時たま居る。
無礼に物申せる間柄の友を持てたことを喜ぶべきか否か……兎に角焰真は、恋次なりの叱咤激励を受け腹を決め、現世駐在任務への志を新たにするのだった。