「サキサキ~! 今日うちに来ない?」
「ごめんなさ~い! 今日用事あって……」
「そっか、残念。じゃあ、明日またね!」
「うん!」
他愛のない会話。
他愛のない時間。
他愛のない別れを経て、少女たちはそれぞれの道を歩んでいく。
「ふぅ……」
先程までの溌剌とした笑みは息を潜める。
『サキサキ』と呼ばれた高校生くらいの少女は、カバンを手からぶら下げ、夕焼けに染まる町を行く。
その途中、閑散とした裏路地に入っていった少女は、ビール瓶に差されて供えられている花を見下ろした。
「や! また来たよ」
「―――うん、ありがとうお姉ちゃん」
どこともなく現れる人影。
それは既にこの世の生きる存在ではなく、あの世に向かうべき存在―――幽霊であった。胸から吊り下げている因果の鎖が何よりの証拠。
「どう? まだ成仏できそうにない?」
「……うん」
「……そっか。まだこっちに居たいのね」
「ワガママ言ってごめんなさい」
「ワガママなんかじゃないよ。だって、今まで暮らしてきた町だもんね。できるだけ長く居たいって思うのが普通だよ」
「……うん!」
所謂地縛霊に分類されるであろう幽霊は、少女の慰めに笑みを浮かべる。
それから幽霊と他愛のない会話を続けた少女は、ポケットに入れていた懐中時計で時間を確認し、『そろそろ行かなくちゃ』と幽霊に別れを告げて去っていく。
これが彼女の日常。
幽霊を見ることができる類まれなる霊感を有す彼女は、その面倒見の良さから道行く幽霊が安らかにあの世に行けるようにと、時間を見つければ除霊に勤しんでいた。
少しでも救われる魂が多いように、と。
都市郊外に位置するこの町は、産業が発達し始めているこのご時世であっても空気が綺麗だ。
だからその気になれば夕方でも星を望むことができる。
流れ星があれば願おう。
そう思った少女が空を見上げた時、二つの黒い影を目撃した。
「あれは―――」
***
「縛道の四『
雛森の手より放たれる一条の縄が、空を飛んでいた鳥型の虚の翼に絡まる。
それに伴い虚はバランスを崩して地面へと落下し始めた。
きりもみ回転しながら地表へと落ちる虚の体。刹那、黒衣を纏った男がすれ違いざまに刀を振るう。
「おらァ!」
「ピェェェエエ!!」
頭部を一刀両断された虚は、バラバラと仮面が崩れ、肉体も元の人間の体へと戻っていき、地面に叩きつけられる―――のではなく、地面に開いた尸魂界へ続く空間へと吸い込まれるようにして消えていった。
その光景を見下ろしていた焰真は斬魄刀に纏わりつく血をふるい落とし、鞘に納める。
「ふぅ。これで終わりか?」
「うん! それにしても凄い剣捌き……あたしより全然凄いよ!」
「そ、そうか? 前の隊に居た時は、周りの人がグングン前に出てって必然的に後方支援になってたから、あんまり分からなかったんだけどな。あ、鬼道での援護ありがとうな」
「ううん、どういたしまして」
「あんな遠距離から撃って命中させるなんざ、流石としか言いようがないな」
「そ、そんなぁ~……えへへ」
駐在任務一日目、早速虚出現の報せを伝令神機で受け取った二人は現場に急行し、即席のコンビとしては中々の連携をとって虚を無事撃退した。
幸先の良いスタートを切ることができた二人は、地上に降り、今後の動きについて話しながら歩く。
「さっきは早速お出ましだったけど、重霊地でもないし、四六時中警戒する必要もないんだろうな」
焰真の言う“重霊地”とは、霊なるものが集まりやすい場所を言う。
数十年ごとに場所は移り変わるというが、今回焰真と雛森がやって来た町は重霊地とは縁の無い場所。
「となると、町を歩き回って魂葬するのが主な目的だねっ」
「そうなるな」
「こう言うのもなんだけど、ちょっと楽しみだな。ほら、現世って瀞霊廷の建物とは違うし、前に魂葬演習に来た時ともまた街並みが変わってて……」
「そうだなぁ……」
ザっと辺りを見渡せば、凡そ瀞霊廷や流魂街に建っている建物とは違う風変わりな建物を散見できる。
それがまた二人の好奇心を高め、今回の任務へと意欲を高めていると言えよう。
「じゃあ、まずはどこに行く?」
「無難なのは墓じゃないか? 魂魄居そうだし」
「えぇ、もう夜なのにお墓行くのっ!?」
「……ダメなのか?」
「う、ううん! ダメとかそういう訳じゃないけど、その、昼でもいいんじゃないかって……」
「……俺たちも幽霊みたいなもんだし、怖がる必要ないと思うんだが」
「こっ、怖いなんて一言も言ってないよぅ!」
「顔に書いてあったぞ」
墓地を怖がる死神。
字面だけ見ると、なんとも滑稽で情けないものなのだろう。
だが、雰囲気を怖がる気持ちは分からないでもない焰真は、それ以上言及はしなかった。
「じゃあ学校だ。どうだ?」
「が、学校!? 同じ……いや、もっと怖いよ! なんでよりにもよって学校を選んだの?!」
「いや……他の駐在任務の経験者からの話で、学校は七不思議になるくらい魂魄が居るって……」
「そ、そうなの?」
「聞いた話では」
「うう~~……」
「折角藍染隊長に言われてきたんだから、このくらいでどーのこーの言ってる―――」
「そうだ! 藍染隊長に言われてきたんだから、頑張れあたし!」
藍染の名を出した途端奮起する雛森に若干引く焰真は、意気揚々と近場の学校へ向かう雛森の後を追う。
既に日は落ち、空には満天の星が瞬いている。
流魂街や瀞霊廷で望む星ともまた一味違った景色に心を奪われつつ、焰真たちは学校にたどり着いた。
「聞こえるな」
「うん……」
先程の意気はどこへやら。
雛森は意気消沈し、地面をジッと見つめるように学校から視線を逸らしている。
その理由は学校側から響いてくる泣き声。
嗚咽にも似た泣き声は延々と夜空に響いており、只ならぬ雰囲気を周囲に漂わせていた。
「地縛霊か……確かに近づいてみないとあんまり感じなかったもんだな」
「そ、そうだね」
「……さっさと終わらせるか」
「ありがとう……」
あからさまにげんなりする雛森を励まし、学校へ足を踏み入れていく。
古い木造建築の校舎だった。建てられてそれなりに長いのか、色には深みが出ており、それが余計に夜中というシチュエーションと相まって恐怖を煽り立てる。
ビクビクとしている雛森の横に並ぶ焰真は、着実に近づいている霊気を感じ取りながら進んだ。
そして、
「ここか」
とある教室の前にたどり着いた。
シクシクと涙する声は、この先より聞こえてくる。
いざ行かんと扉に手をかける―――のではなく、すり抜ける焰真と雛森。
「あ」
「あ」
「あ」
目が合った。
中に居たのは、地縛霊らしき少女ともう一人。明るい茶髪が目を引く三つ編みの少女だ。後者の胸には因果の鎖が見えない。故に、生者であることはすぐに理解できた。
だが、問題であるのはその生者である少女がばっちり自分たちと目が合ったことだ。
数秒、静寂が室内を支配する。
「きゃあああ!!!」
「ひぃいいい!!!」
「うぉおおい!!?」
叫び声を上げる少女。
同時に悲鳴を上げ、焰真に抱き着く雛森。
そして雛森の盛りが体に密着していることへの恥じらいから反射的雄叫びを上げてしまった焰真。
場は混沌としていた。
すると場に居る四人の内、焰真たちが見えていると思しき茶髪の少女が、腕を頭上でクロスさせながら弁明を始める。
「違うんです警備員さん私は忘れ物をちょっと取りに来ていただけでェ―――!!」
「……警備員さん?」
「え?」
『警備員さん』と呼ばれたことに目が点になる焰真。
少女もまた『違うの?』と言わんばかりに首を傾げた。
ポクポクと数秒木魚の幻聴を耳にした少女は、得心いったように我に返ったかと思えば顔から血の気が引いていく。
「とすると……ホントの泥棒ォ―――!!?」
「泥棒でもねえよ」
『なんだなんだ!?』
「ホントの警備員さん来ちゃったァ―――!!」
一人で盛り上がる少女を余所に、焰真は扉から顔だけをすり抜けさせ、廊下を覗いてみた。
すると少女の言う通り警備員らしき恰好をした中年の男が、懐中電灯を片手に自分たちの居る部屋へと駆けつけてくるではないか。
焰真と雛森は霊体であるため見つかる心配はないが、今しがた慌てふためている少女は生者である為、無論警備員には発見されてしまうだろう。
だが、この一分ほどのやり取りで焰真は少女へ聞きたい事が山ほどできた。警備員に取り押さえられて連行されてしまっては聞くこともできない。
そう思い至った焰真は、懐からライターのような道具を取り出した。
そして警備員がいざ扉を開けようと取っ手に手をかけた瞬間、ライターのような道具を警備員の眼前に突き出し、フリントホールを回す。
すると次の瞬間、小規模の爆発が警備員の前で起こり、そのまま彼は気絶したかのように倒れる。
「これでよしっ」
今しがた焰真が用いた道具は“記憶置換”と呼ばれる代物。
使用用途としては、霊に関する事件を生者などが体験した場合、それらが大事にならぬよう生者の記憶を代替するといったようなものである。
一般の魂魄であれば手荒な真似をせず気絶させることもできる、使用方法によっては大変な道具と化す代物なのだ。
「さてと……」
「あ、あの」
「ん?」
半ば放心していた少女が焰真に声をかけてきた。
「貴方たちは誰ですか? 普通の幽霊じゃないみたいですけど……」
「俺たちか? 死神だ」
「死神? 死神ってあの黒い外套を着てドクロのお面被ってて大きい鎌を持っている……」
「え」
「え」
死神に対する認識の齟齬が見て取れる。
少女は普遍的な死神の認識である西洋風のイメージを持っていたが、若くして尸魂界にやって来た焰真にとって死神とは現在彼が就いている職に他ならず、少女の有しているイメージとは黒衣以外合致しない。
「まあ、それは兎も角だ……」
少女との話は後回しにすると決めた焰真は、依然として怯えている雛森を連れ、泣き止まない少女の霊の目の前に立つ。
そして徐に斬魄刀の柄を握り、柄頭を魂魄の額に押し当てようとした―――が、
「な、なにするんですか!?」
血相を変えた少女に腕を掴まれ、魂葬を阻まれてしまった。
「なにって、ソウル……あの世に送るんだよ。それが死神の仕事だからな」
「仕事って……」
「ああ、ここの所を額に押すだけだ。痛くなんてない」
「そういう問題じゃなくて……っ」
途端に悲痛な面持ちとなる少女は訴えかけてくる。
「この子は家族のことを心配してて……それでいつか入学してくる妹さんを一目見たいってずっとここに居るんです! なのに、そんな急に仕事だからって勝手にあの世に送られるなんて理不尽です!」
「うっ……」
少女の意見に思わず口ごもる焰真。
理由がなんであれ、仕事は仕事だと魂葬することはそう難しくはない。
しかし、こうも情に訴えられてしまうとどうも割り切ることができなくなってしまうのが人間というものだ。
「わかった……アンタの言い分も尤もだ」
「え、いいの芥火くん!?」
「ああ。胸の孔もほとんど空いてない。因果の鎖も長いから、その妹とやらが学校に入ってくるまでに虚になるなんてことはないだろ」
そう言いつつ地縛霊となっている方の少女の胸元を焰真は見遣る。
整の魂魄が虚になるプロセスとしてあるのは、大まかに二つだ。
一つは因果の鎖の浸食が胸に到達すること。
そしてもう一つが、因果の鎖に引っ張られて胸の孔が開き切ること。
その二つのプロセスを考慮した際、現状目の前の魂魄が十年以内に虚と化す可能性は限りなく低いだろうと見当をつける。
雛森も暫し唸った後に『それもそうだね』と納得し、目の前の少女の魂葬はまたの機会にすることを了承した。
「……」
「ん? なんだよ」
焰真と雛森のやり取りを傍見守っていた少女は、あんぐりと口を開けている。
「お二人、幽霊にお詳しいご様子」
「……幽霊みたいなもんだしな」
「もしかすると、様々な除霊手段も知っている感じで?」
「除霊手段……まあ、持ってるっちゃあ持ってるが、それがどうした?」
「―――よろしくお願いします!」
「はぁ!?」
突然手を差し出して頭を下げる少女に、焰真のみならず雛森も呆気にとられる。
「な、なにがだよ?」
「私、ご覧の通り幽霊を見れる・触れる・喋れるの三拍子が揃ってる人間です!」
「お、おう」
「だから、町中に居る幽霊の人たちのこと、たくさん知ってるんです! そんな幽霊の人たちが満足して成仏できるよう、手伝って下さい!!」
「「……はあ?」」
突拍子の無い人間の申し出に、死神二人は驚愕せざるを得ない。
「私、咲って言います! 皆からは『サキサキ』ってあだ名で呼ばれています! 改めてどうぞよろしくお願いします!!」
こうして焰真と雛森、そして常人ならざる霊感の持ち主・咲は出会うのだった。